2008年1月1日(火)

「ハピニウイー、ハピニウイーヤってこの曲、もう耳について離れないからイヤなんだけど」

きょう1月1日は、タイ語では วันขึ้นปีใหม่สากล(ワンクンピーマイサーゴン) (国際新年)と呼ばれ、 วันตรุษจีน(ワントゥルットヂーン) (春節)や วันสงกรานต์(ワンソングラーン, ソンクラン) (タイ正月・ソングラーンの日)と区別されている。しかし、それは独自の正月を持っている東南アジア諸国ならどこでも同じことだが、ベトナムには国際新年用のニューイヤーソングが少ないせいか、ハノイ市内の店はどこもこの曲ばかりを繰り返し流しており、長時間コーヒー屋に籠もっていると飽きてくる。

正午、 Nguyễn Thái Học 通りにある屋外レストラン Brother’s Café で昼食をとった。ビュッフェ形式の店だが、西洋料理店とベトナム屋台料理店のテイストが絶妙に融合されていてとても良い。客の大半は日本人個人旅行者(+在住者)とタイ人ツアー客。

午後2時から15分程度ホーチミン廟とホーチミン博物館を見学。この2ヶ所は、ベトナムの社会科教育を受けてきた子供たちが喜びそうな作りになっている。午後3時から Thanh niên 通り沿いにある係留遊覧船コーヒー屋 Highlands Café のソファーに寝ころんで、タイ湖(東)とチュックバック湖(西)を眺めた。ベトナムに白鳥足こぎボートがあるのは意外だった(それも超たくさん)。夕方、鎮国寺を参拝してからチュックバック湖の畔を散策し、 Lý Thái Tổ 通りにあるイタリア料理店 Opera で夕食。西洋的なきめ細かなサービスには感心だけど、味の方はまあまあ。値段には見合わないかも。

ちなみに、タイのニューイヤーミュージックといえばこの2曲。

สวัสดีปีใหม่

สวัสดีปีใหม่แล้ว ผองไทยจงแคล้วปวงภัย
ช่วยกันรับขวัญปีใหม่ เถลิงฤทัยไว้มั่น
สุขศรีปีใหม่หมาย สุขใจและกายรวมกัน
สำราญสำเริงบรรเทิงมั่น สุขสันต์ยิ้มกันไว้ก่อน
 
สิ่งที่ล่วงแล้วให้แล้วกันไป
อย่าได้ผูกใจอาวรณ์
จับมือกันไว้อวยชัย อวยพร สุขสโมสรเริงรมย์
 
ความพลั้งพลาดล่วงเลย
อย่าหมางเมินระทม รวมน้ำใจให้เหลียวกลม
จงถืออารมย์อภัย
 
สวัสดีปีใหม่แล้ว ผองไทยจงแคล้วปวงภัย
ช่วยกันรับขวัญปีใหม่ เถลิงฤทัยไว้มั่น
สุขศรีปีใหม่หมาย สุขใจและกายรวมกัน
สำราญสำเริงบรรเทิงมั่น สุขสันต์ยิ้มกันไว้ก่อน
 
แย้มยิ้มยินดีปรีย์เปรม สุขเกษมเปรมใจ
เรามาตั้งต้น ชีวิตกันใหม่ เราผูกใจไว้ไมตรี
 
ประสานน้ำใจเราไม่ให้ระคาง ตั้งต้นทุกทางอย่างนี้
มารักกันให้คงมั่นทวี ร่วมกันรับปีใหม่เทอญ
 
สวัสดีปีใหม่แล้ว ผองไทยจงแคล้วปวงภัย
ช่วยกันรับขวัญปีใหม่ เถลิงฤทัยไว้มั่น
สุขศรีปีใหม่หมาย สุขใจและกายรวมกัน
สำราญสำเริงบรรเทิงมั่น สุขสันต์ยิ้มกันไว้ก่อน

 

ไชโย ปีใหม่

2008年1月2日(水)

「次は、もう少しマシな国、せめてタイよりもイケてる国へ行かない?」

ベトナムの首都ハノイは、それなりに整備されてはいるが、お世辞にも近代的な都市とは言えない。市場為替ベースの国民1人あたり GDP を見ても、日本(USD34,180)の約37分の1、タイ(USD3,137)の約3分の1と、あまり裕福ではない。ベトナムの大統領府は日本の公立学校の旧規格標準校舎そのものだし、近代的な建造物も市内に数えるほどしかない(それでもラオスよりかなりマシ)。それだけに、いつか近代的なビルが建設され、地下鉄も開通する日が来るかもしれない、と想像するだけでワクワクしてくる。

バンコクは外国人にとっても住みやすい近代化された都市だが、一方で国内には開発から取り残されている地域も多い。当然、タイ人は、開発が遅れている外国の成長を見守ろう、という日本人的な娯楽に何の意義も見いだしていない。

正午、 Vincom City Towers で昼食をとった。このビルは、ハノイ中心部でも珍しい近代的なビルで、ハノイ市内に2つしかない百貨店のうちのひとつが入っている。3階のレストランで、ウエイターに西洋料理(タイと同程度の値段)を注文して料理が来るのを待っていたが、すぐ隣の席で、あとからやってきたホワイトカラーの会社員たちが、店の隅にある食堂内屋台で調達した簡素な料理を今にも食べ終えようとしていた。

食後、市内中心部にある Hoàn Kiếm 湖(ホアンキエム湖)(還剣湖)へと向かい、湖に浮かぶ玉山祠を見物。この一帯はハノイ市民の憩いの場で、ベンチに座っている何組ものカップルたちがディープキスを交わしている。ナイトクラブでもなかなかお目にかかれないような光景に友人は驚いていたが、タイ人向けのガイドブックによれば、公然ディープキスは、旧宗主国フランスが残していったベトナム文化の一部という。

午後9時、 Nội Bài 国際空港(ノイバイ国際空港)に到着した。ちょうどハノイ発バンコク行最終便の搭乗手続きが集中する時間帯で、タイ国際航空、オリエントタイ航空、ノック航空のチェックインカウンター前には長蛇の列ができていた。これだけたくさんのタイ人がいれば、観光地の至る所でタイ人観光客を見かけるのもムリはない。

今回のベトナム旅行は、東南アジア観光以外に、ベトナムが日系企業の進出に必要な各種要件をどれだけ備えているかを、自分の目で確認するためだった(タイを専門として生きていく以上、タイの競合国となりうる国は知っておきたい)。輸出の拠点とするのなら問題ないだろうが、ベトナム人の購買力に期待するのは難しいというのが結論。ベトナムにおける商業の中心地がホーチミンにあることをに差し引いて考えても、首都ハノイの小売業はあまりにも貧弱すぎる。正直、長期間滞在するにはあまりにも面白みがなく、もし自分が会社からベトナム駐在を命じられたら、その日の夕方には転職斡旋会社で適当な求人案件を紹介してもらわざるを得ない。

ノイバイ空港内には、「ショッピングしにバンコクへ行こう」という航空会社の広告が立っているが、国内で入手できないような贅沢品を欲しがっている富裕層にはそれなりの需要があるのかもしれない。

空港内の免税店に興味を示す観光客は皆無だった。ノック航空3209便は、午後10時半にノイバイ国際空港を発ち、午後10時25分にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。友人とは空港で分かれ、その足でスラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋「有馬温泉」へと向かった。

2008年1月3日(木)

「この割引券あげるから、髪の毛でも切ってらっしゃい」

午前10時半、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)で、出勤途中(タイの民間企業は1月2日から営業)の友人から 48% OFF と書かれている割引券を受け取り、美容室 Art Hair 2 へと向かった。この店では、午前11時までに入店した客に 15% の割引をしている。順番待ちの老若男女たちが、窓際の椅子で暇そうにしていた。

自分の順番は、タイ留学時代に使っていた旧式ケータイのゲームにもすっかり飽きた頃に回ってきた。友人から割引券をもらってから、すでに約2時間が経過していた。テキトーな散髪とブローで、料金は110バーツ(定価฿280×48%×15%)。サヤームスクウェア(サイアムスクエア)界隈の美容室は高いことで知られているが、リピーター向けの割引券を使えば案外まともな値段になる。

店から出るときに、割引券の束をドッサリもらった。

2008年1月4日(金)

「あの後ろにいるイモっぽいヤツら、ホントウにもう、なんとかならないかしら?」

午前3時16分、ラッチャダーピセーク6にある Pub and Restaurant バーリーの、ステージからもっとも離れている2階席で、本日付で退職する友人の同僚たち7人とハイボールを飲んでいた。すぐ後ろのテーブルにいる部屋着姿の女性客5人組が、タバコをふかしながら激しく踊っており、僕の背中にガンガンぶつかってくる。パッと見、20歳くらいか。

―― いつの間に、2004年以前の旧 RCA Royal City Avenue で流行したヘボヘボダンスが復活したんだ?

激しいジェネレーションギャップを感じながらも、友人たちと「はーい、チーズ」なんて言いながら写真を撮っているうちに、ふと我に返った。

ラッチャダーピセーク6~8の一帯は、留学時代(~2006)から「イーサーン館(ローングイーサーン)」と呼ばれ、バンコクの流行から隔絶されている、田舎臭さ満点のクラブ街として知られていた。バーリーは、僕の本帰国後にオープンエアーの飲み屋の跡地に作られた「新しいクラブ」だが、本質の部分では隣接する Wollywood や Dance Fever と大差ない。ソープランド街の外れにあるという場所柄、地方出身のソープ嬢コミュニティーに属している女性客が多く、午前零時の営業時間終了後に大挙して押し寄せてくる。日本人向けの歓楽街「タニヤ」で働いているホステスたち(持ち帰り可能)が日本人観光客を連れてくるのも、大抵この界隈にあるクラブのどれかだ。

ソープ嬢といえば、留学中に興味深い話を聞いたことがある。そのときは、さすがに「日本人出張者ヤマダさん(仮名)のカノジョが言いました」とは書けなかったからスルーしたけど、時効(?)となったこの機会に、そのときの話をバンコク留学生日記のネタ帳(テキストファイル)を元に再現してみたい。

当時、ヤマダさんのカノジョ(?)ミンちゃん(20歳, 仮名)は、ラッチャダーピセーク(ラチャダーピセーク)17にあるソープランド「ポセイドン」でマッサージ嬢をしていた。もちろん、あの部分を使ってあの部分をマッサージするのがお仕事だ。

「わたしの店、けっこう待遇いいのよ。正月や連休も、好きなだけ休ませてもらえるし、給料も良いし」

―― それは良いじゃん!! でもさ、いきなりお金持ち(チップ込み月収約50,000バーツ)なんかになっちゃったら、ご両親、絶対におかしいって思うんじゃない?

「始めたばかりの頃、わたしも親にどう説明しようか真剣に悩んだわ。で、先輩が教えてくれたのよ」

―― 何を?

「話の分かる客を見つけて、一緒に田舎へ行ってもらうの(ポセイドン客の日本人比率はおよそ8割)。そして、『バンコクのレストランで働いていたときに、この日本人にナンパされて一緒に暮らすことにした』と説明すれば万事オッケーよ。日本人と一緒になってビンボーになるなんて話、聞いたことないからすぐに信じてもらえるわ」

―― (あまりにも狡猾すぎる。娘の幸福を願っている親の心理を悪用してウソをつくことに、何の罪の意識もないのか? それに、日本人のすべてが金持ちなわけじゃないし、ここバンコクには路上生活者寸前の日本人だってウヨウヨいるんだぞ)あはは、それは名案だね。どうせなら結婚しちゃえばいいじゃん? それで将来の安泰が約束されるんだし、ヤマダさんの死後も日本政府が支払ってくれる遺族年金でウハウハだよ。

「それはできないわ。だって、この人(ヤマダさん)がバンコクに滞在するのは年に数日だけで、今回もすぐに日本へ帰っちゃうし、わたしの素性を知っている人と結婚するのもちょっと・・・・・・」

―― いいじゃん? 毎晩のようにプロの技を披露してあげれば、ヤマダさんもきっと大喜びだよ。あれって、超スゴいんでしょう?

「そうもいかないわ。普通の家に、あんな大きな浴槽あると思う? それに将来は、やっぱり『世間一般の女』として、それなりの相手を見つけて幸せな家庭を築きたいの」

―― ふぅん、そういうもんなんだあ。

その時の話を思い出して、「イーサーン館(ローングイーサーン)」の本質を思い出した。この界隈のクラブでは、普段バンコク人から絶対に相手にしてもらえないような、強烈な格差社会における最底辺にいる女の子たちが、世間一般の女の子のふりをして日頃のウサを晴らすところなんだと。クラブシーンを非日常と説明するカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の理論にも一致している。こりゃあもう、精神的マイノリティー層による抵抗行為どころの騒ぎじゃないぞ。社会的マイノリティーによるなりすまし行為だ。チョー楽しいに違いない!!

そうこうしているうちに、フワイクワーング署の警察官がステージの上にあがって宣言した。

「すでに法定営業時間を超ぎています。みなさん、もうお帰りください!!」

バンコク都内の一部では、今もなお旧 RCA Royal City Avenue で流行したヘボヘボダンスは健在だ。オンライン Pub でも、地方出身者が多い「フロア」では、民謡モーラムとヘボヘボダンスをよく見聞きする。

ラートプラーオ通り(ラップラオ通り)にある Pub and Restaurant グロムグリアオで夕食をとってから、ラッチャダーピセーク6にある Pub and Restaurant バーリーで飲んだ。

―― こういう店、もう本当にやめようよ。ブラックなジョークよりもブラックだから。

2008年1月5日(土)

「よかったじゃない。映画も見れたことだし、これでもう満足でしょう?」

午後9時、 Major Cineplex ラッチャヨーティン(メジャー・ラチャヨーティン)前で、ため息をつきながら友人が言った。時期的に、ほかに一般公開されている映画がなかったとはいえ、この映画はちょっとヒドすぎた。友人の投げやりな言葉にもうなずける。

■ あらすじ (ネタバレなし)

ティーポー(オーフ=スパナット・チャルームチャイヂャルーンギット演)、ローチャー(ヌイ・チューンユィム=チューギアット・イアムスック演)、マーヂュー(ヂャッガブム・チューンユィム=ソムチャート・ソングロット演)の3馬鹿トリオは、人々から愛されながら、国境付近にある霧に囲まれた山間の集落で暮らしていた。

3馬鹿トリオの運命は、山にやってきた女神に振り回される。ティーポーは、バンコクからやってきたエーンニー(アレクサンダー・スティッバート演)を見て「お花はま、うすくしい(お花様、美しい)」と言って感動し、村人たちは、そんなティーポーを見て「めっちゃお似合い」とウワサした。すべてはティーポーの片想いだったが、そんな人々の勝手な思い込みがさまざまな事件を引き起こす。

ほどなくして、お花様=エーンニーがバンコクへと戻り、ティーポーは悲嘆に暮れる。そして何を勘違いしたのか、ティーポーたち3馬鹿トリオも「オラが心、お花様プロジェクト」と称して山を下り、お花様=エーンニーを追ってバンコクへと向かう。

バンコクは、3馬鹿トリオにとって、あまりにも大きすぎた。粗野で大柄なオカマや、変な料理ばかりを注文する強欲な男たちなど、変人揃いの町内の面々を巻き込んで、とんでもないドタバタ劇を繰り返す。挙げ句の果てには、高所配電線作業車(高架電車と同じタイ語名称のクルマ)を乗っ取って町中でカーチェイスをはじめる始末。

お花様=エーンニーと感動の再会をするや、すでに婚約者がいることを知らされ、ティーポーはいきなり失恋する。その裏で、婚約相手のパキン(トラガーン・パンロゥムルートルヂー演)が、お花様=エーンニーを亡き者にしようと、さまざまな陰謀を巡らせていた・・・・・・

■ 感想

この作品は、著名なお笑い芸人を多数起用することで観客のウケを狙っているが、これまでに使い古されてきたような古典的なギャグをテンコ盛りにしているだけで、まったく新鮮味に欠ける。唯一、目を見張るのは、山間の村落で中世のような生活を送ってきた3馬鹿トリオが、近代都市バンコクに出てきてテンパりまくるというタイムスリップ的な設定くらいか。

その後も、コメディー映画のくせにリズムが悪く、観客をイライラとさせる展開が続く。特に残念なのは、ペット・チューンユィムの演技が浮きまくっている点と、ほかに多数登場する優秀なお笑い芸人たちが単なる笑い袋に成り下がっている点。シモネタも露骨すぎ、オカマの立ちんぼ(街娼)はまだ許せるにしても、女性乗客たちがバス強盗に服を剥ぎ取られて強姦目的で連れ去られ、逆に老女が自発的に脱ごうとするシーンは、笑いどころか吐き気をも誘う。

笑いのツボを完全にハズしているのみならず、年々深刻になっている強姦事犯(人口比認知件数で日本の約3倍)も笑いのネタに使ってしまう、製作者の社会性とセンスの欠如には本当に呆れかえる。社会を痛烈に風刺するのもコメディー映画の役割だが、(もし次回があれば)製作者には映画が持つ社会的な影響力とそれに付随する責任をしっかりと認識し、観客(特に犯罪被害者)の気分を害さないような映画作りを心がけてもらいたい。

■ え?

「政府は、非バンコク人によって樹立され、バンコク人によって打倒される」

これは、タンマサート大学(タマサート大学)政治学部の元学部長アネーク・ラオタンマタット准教授が提唱している「タイ民主主義物語の解離性理論」で、その根拠をバンコク人と非バンコク人の経済的、社会的要請の違いに求めている。今回は政治的な話題を取り上げるつもりはないので社会学的な部分だけを簡単に要約するが、それによると、両者が描いている民主主義像には大きな隔たりがあり、バンコク人が政権担当者の主義・思想や能力を優先するのに対し、非バンコク人は自己の利益を第一に考えるという。

バンコク人と非バンコク人の解離性は、単に政治的な傾向だけでなく、「与えられるもの」全般に関する受け止め方の違いについても言える。今日の主題であるタイ映画「ゴーンバーイ映画版」だって、けっしてその例外ではない。僕はバンコク人的な視点から今回のレビュー記事を書いてみたが、非バンコク人的な視点で考えれば「いろんなギャグが満載されていて気晴らしに最適な映画」と書くことだってできる。

「タイ」というものを説明するのは難しい。一部に共通している部分もあるが、そもそもバンコク人と非バンコク人には共通していない部分の方が多い。政治的要請から、娯楽や恋愛の趣向まで、何をとってもまったくの別物。タイ映画「ゴーンバーイ映画版」も、バンコク人にはまったくウケないが、非バンコク人にはバカウケする内容になっている。そんなチグハグな要素をまとめて、どうして「タイ」を説明することができようか。

近年のタイブームにともない、いろんな日本人が「タイとは・・・・・・」と説明しているが、それはどっちのタイのことを言ってるんだろうか。非バンコク人向けのポップミュージックを「タイポップス」、非バンコク人向けのナイトクラブを「タイのクラブシーン」、非バンコク人との恋愛を「タイ人との(典型的な)恋愛」と紹介する日本人が多いのには、本当にびっくりする。バンコクをメインに活動している日本人たちが、どうして次々と非バンコク人化してしまうんだろう? それに、非バンコク人化することを、「タイ化」と表現するのも、ちょっとオカシイような気がする。

日頃から、タイに関わっている特定の日本人に対する評価を求められることも多いが、僕の回答はたいてい決まっている。

―― それは、この人が田舎系だからです。表面上はそれっぽく取り繕っていますが、この人の言ってることを「タイ系(タイ・スタイル)」だなんて、絶対に思わないでくださいよ。これは日本人についても言えることなんですが、タイでは趣向や主張からすぐにお里が知れるんです。で、この人、どんなタイ人たちと連んでるか知ってます? (非バンコク人程度の話で済めば、まだ全然良い方だ)。

昼、友人の得意先回りと集金に同行(といっても車中待機)。午後5時半から、ラーングナーム通り(ランナム通り)にある複合施設 Century The Movie Plaza で友人のバースデーパーティー。その後、 Major Cineplex ラッチャヨーティン(メジャー・ラチャヨーティン) でタイ映画「ゴーンバーイ映画版」を見た。ラートプラーオ通り(ラップラオ通り)にある Pub and Restaurant グロムグリアオ前で友人の車を降り、タクシーでバンコク・スワンナプーム空港へと向かった。午後11時55分、全日本空輸 916 便成田行に搭乗した。