2009年1月9日(金)

(日本での生活について公表してほしいとのリクエストをいただいたため、2009年1月9日の「きょうの出来事」を期間限定で掲載します。なお、このブログは「タイ」をテーマにしているため、日本での生活については今後言及しない旨、ご理解いただきたくお願い申し上げます)

午前6時50分起床。 NHK BS1 の「おはよう世界のトップニュース」を見ながら朝食を済ませ、いつもの日課となっている朝風呂に入る。午前7時40分、有料録画サイト bbtvthai.com で、昨晩放送されたタイ3チャンネル BEC のニュース「三次元ニュース」を見ながら整髪。ネクタイを締めて玄関の扉を開けたところ、ポケットのなかに部屋の鍵がないことに気付いて引き返すが、どこにも見つからず大慌て。棚の奥からスペアキーを取り出してなかったら、確実に遅刻していた。

きょうの仕事は、朝ミーティングの資料を出力するところから始まった。世界同時不況のあおりをうけて、タイ関係のミーティング資料に記載されている懸案事項も目に見えて減少している。席に戻ってからは、コーヒーを飲みながらタイ関連の各種ウェブサイト(タイ語)をチェック。庶務係から渡された社内通封筒を開けると、来月タイへ指導に行く某工場技術者のパスポートが英文履歴書とともに入っていた。週明けにでも旅行代理店を呼んで、商用査証を手配させよう。その後、今年4月に改訂される価格表を取り纏めている同僚に、いま自分が担当している仕入先からの回答状況を報告。午前11時半、別のフロアにいる安全衛生担当者のところへ出向いて、新たに導入する商用渡航カードについて説明し、申請フォームに必要事項を記載するよう依頼。この商用渡航カードは、従来の商用査証に代わるものとして、昨年末に導入するよう提案したばかりのものだ。

昼食は会社の弁当。昼食仲間がブラジルへ出張に行ってしまってからは、仕出し弁当で手早く済ませることにしている。きょうは中国広州の産業用機械市場を担当している現地出身者や留学経験者の同僚たち6人のところへ行き、現地の物価や市民生活などに関する情報を仕入れた。

午後、タイにある某日系工場向け産業用機械予備品の見積に着手するが、タイ現地法人からのファックスが不鮮明だったため、再度 EXCEL ファイルで送り直すよう国際電話で依頼をかける。

「いくら世界的な不況下にあるとはいえ、社会に対して責任ある上場企業として、あまりにもブサイクな真似は避けたい」

すぐ近くで会話を聞いていた上司に国際電話の頻度についてとがめられたため、昨年末に財務部門から取り寄せた部門別国際通話料金明細書と、タイ向けの通話料金を劇的に低減するための施策を纏めた上申書について説明するが、返ってきたのはあまり前向きではない回答だった。電話をかけまくるのもダメ、国際電話カードを使うのもダメでは、もはや身動きが取れない。いまでも国際電話事業者から72%割引の適用を受けているが、それをさらに9割低減することで、誰からも文句を付けられることなく現在の7倍の頻度で発信できる権利を獲得したい。

その後、別の案件で利益を折半することになっている地方営業所へ見積を依頼。別フロアにある応接用ブースで、近日中にタイへ出張する上級管理職に、きのう用意した資料をもとにバンコクナイトの楽しみ方を伝授。設計図とにらめっこしながら、小社受注範囲が変更になった設備更新案件の改訂見積書を作成。午後6時5分まで、タイ国内の某工場で問題を起こしたコンピュータについて関係各所に電話で問い合わせるなどして調査するが、当初疑われていたコンピュータウイルスとは無関係であることが判明。このままでは、タイの現地法人に英文報告書の原案を送ることができない。ため息をついてパソコンの電源を切りコートを羽織る。

今晩、アメリカ現地法人の新社長就任にともなう祝賀会が予定されていたが、それでも自分は女性事務職主催の新年会に参加。韓国風鉄板鍋料理屋「鉄板鍋づくし」でキムチ鍋を囲みながら、某同僚との関係について探りをいられられた。タイでの人間関係については、元クラスメイトの話など面白味のない話題を取り上げることで華麗にスルー。地下鉄で別の駅へと移動し、隠れ家的なバーでウイスキーを傾けながら噂話に花を咲かせる。

午後11時43分、アメリカ東海岸にある得意先を担当している若手男性社員から SOS が入る。午前零時20分、店を出てタクシーで急行すると、その若手男性社員はカラオケスナックでミニスカサンタクロースのコスプレをさせられていた。乳首の廻りには緑色の油性マジックで温泉マークのようなものが書かれている。調達部門の新任上級管理職を接待しているところらしい。危うく自分にも書かれそうになったため、ミニスカサンタクロースのコスチュームを同僚から奪って装着。素っ裸になった同僚は同じフロアで働いている中級管理職にライターで陰毛を燃やされた。

面倒を避けるために B’z や X Japan などの長め曲をリクエストしまくったせいで、とうとう声が出なくなった。

午前3時20分、調達部門の新任上級管理職が「キミは気合いの入った芸達者な部下達に恵まれて良かったな」と満足そうに言うと、同じオフィスで働いている中級管理職は「私が電話で一声かければ、すぐに駆けつけて来ます」と胸を張った。いろいろとムリをさせられたが、いつもお世話になっている方のためになったのなら、それでいい。

2009年1月3日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090103.jpg" width="300" height="169" align="right" />「お坊さんが来たわよ。そこの花と袋を持って、早くこっちに来て!」

午前6時30分、サムットサーコーン県アンポワー郡にあるバンガロー「水上縁側庭園の家」3号室に敷かれた茣蓙の上で目を覚ました。年末年始のハイシーズンに、しかも直前になって予約を入れたため、人数分の部屋を確保できず、けっきょく昨晩は6人で雑魚寝することになった(ベッドのうえ2人、茣蓙のうえ4人)。

頭頂部にあるガラス製の引き戸の外から、友人たちの声が聞こえる。目を開けて室内を見渡してみると、すでに6人中3人が目を覚まし、プラチャーチョムチューン運河沿いにある縁側でなにやら楽しそうに話している。屋外はまだ薄暗いままだ。日出時刻まで、まだあと10分はある。スースーすると思って足元を見てみると、自分がトランクス一丁になっているのを思い出した。そういえば昨晩、「どうせ下にボクサーをはいてるんでしょ? 脱ぎなさいよ」と言われてジーンズを脱いだんだっけ(実はタイ人がボクサーと呼んでいるのは膝上くらいまで丈のある簡易パンツのことで下着とは別の扱い)。いらんところで変質者的行為に及んだかのような気がして、少しココロが痛む。

さすがに、このままの格好で部屋を出るわけにもいかず、すぐ近くに脱ぎ捨ててあったジーンズをはいてガラス製の引き戸を開けると、ヒンヤリとした空気が室内へと流れ込んできた。午後6時半現在のアンポワー郡の気温は18度。一晩中冷房を付けっぱなしにしていた屋内よりも気温が低い。旅行用トランクを開けてジャケットを探すが、ガラス製の引き戸の外に目をやると、運河沿いにある木製のテーブルでモチ米と豚串の炭火焼(カーオニヤオムーピン)を食べている小柄な友人が羽織っていた。やむなく氷点下の北京にも耐えた厚手のコートを羽織ってサンダルをはく。

バンガロー「水上縁側庭園の家」からプラチャーチョムチューン運河をはさんだ向かい側には、仏教寺院「ワットナーングピム」がある。ちょうど仏教僧たちが運河から小船を引き上げているところだった。どうやら、ひとりめの僧侶が托鉢を終えたところらしい。友人によると、この運河では3人の仏教僧が托鉢をしており、しばらくするとまたやって来るという。

なんて健康的で清々しい朝なんだろう!

午前10時すぎ、バンガロー「水上縁側庭園の家」を出発。午前11時50分、バンコク都バーングスー区にある Big-C Supercenter ウォングサワーング店で友人たちと別れ、タイの日本人社会に詳しい別の友人に電話をかけて昼食のアポイントメントをとった。この友人には、バンコクにおける日本人社会と日本人向けサービス業の現状や課題を知るために、留学時代からいろいろとお世話になってきた。僕や僕の友人たちは通常、この種の分野には比較的疎い(とはいっても、そこらへんのバンコク在住日本人よりは相当くわしい)だけに、けっこう頼りにしている。

午後1時30分、スクンウィット39にあるタイ人経営のラーメン屋「ばんからラーメン」(日本の同店から暖簾分けしてもらったらしい)で友人に昼食をごちそうになる。その後、午後3時45分まで友人宅のパソコンモニターの前で世間話に興じる(内容については特に秘す)。午後4時50分、ウォングサワーング通りにあるバス停で別の友人にピックアップしてもらい、スワンナプーム国際空港まで送り届けてもらった。

スワンナプーム国際空港の搭乗ゲートE1で時間をつぶしているときに、友人宅で聞いた話が気になって、いろいろとインターネットで調べてみた。タイ関連の情報は日頃からタイ語のソースに頼っているためこれまでまったく気にならなかったが、日本語のそれは半数が酷いを通り越して、もう病的としか言いようがないありさまだった。あまりにもキモ間抜けすぎて悶え笑いそうになった(もし友人と一緒にいたら本当に爆笑していたに違いない)。これがタイにおける日本人社会の実態なのか!?

タイ関連の病的なウェブサイトの例として、なにか適当なものを紹介できれば安直で良いのだが、いらん敵を作るのも何だから、きょうのここまでの日記を自分なりに典型的な「病的調」に書き直してみた。日本人社会に詳しい友人とのあいだで、ちょうど「裏バンコク留学生日記」の構想もあったことだし。視点はまるで異なるが、文中の出来事がすべて事実であることをあらかじめお断りしておく。

2009年1月3日(土) のむのむできなかったけど・・・・・・

ネットでナンパしたミルクちゃんたちと、
きのうアンパワーへ行った。
でもネーチャンたちと6人で寝たから、
のむのむできなかった・・・・・・orz

あさスヤスヤ眠ってたらうるさくて・・・・・・
薄目開けたらミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん、
短パンの下からパンティー見えてるって♪
っつーか俺の上を寝間着で歩きまわるんじゃねーよ。
奴らはガキだ。

新年早々サオサーオたちのパンティー、新株発行で大セール中!
未曾有のセリングクライマックス並に大暴落しておりますぞっ!
しかも大企業で働いてる OL たち。
中華系だから、もちろん白いし、ヤバいくらい色っぽい・・・・・・

奴らは坊主に食い物を恵んでやるために早起きしたらしい。
まあ変な警戒心持たれるのもイヤだから、
とりあえず眠ってるフリを続けておいてやったが・・・・・・
で、托鉢ってなにが楽しいんっすか?
そんなことで、俺を起こすな。ざーけんな。

と思ってたら、グラマー系の未成年パッツン女子大生、ジュディーちゃんから電話・・・・・・
บางคน と ส่วนใหญ่ を日本語に訳してください・・・・・・
朝っぱらから、どおでもいいことで目、覚めた。

とりあえず、コート着て外でてみた。
なかなか楽しかった。
すべすべナマ足ミルクちゃんの隣にすわると「は~い、あ~んしてぇ♥」・・・・・・
女の子みんなノリいいし、
やっぱり女の子と食べるご飯は楽しいね。

途中またパッツンから電話あったけど、まあいいや。
どうせ今晩には日本帰るんだしね。
バンコクで在タイブログ仲間だった「某亞」さんと「ばんからラーメン」で昼食。
ロリ系のミルクちゃんに車で空港まで送らせた。

うわ、キンモー。

この「病的調日記」を書いている途中で、何度か精神病院送り寸前まで脳味噌がイカれそうになったが、とりあえず気を取り直して、この文章がいかに病的かを考えてみたい。

―― 病的ウェブサイト用語集 ――

★ ナンパ(第1段落)

病的ウェブサイト筆者は、この表現が大好き。ナンパに成功することがイケてると勘違いしてる節がある。でも、ナンパが肯定されるのは、せいぜい二十歳くらいまで。筆者の精神的・恋愛的な稚拙さが表れている。日本での恋愛経験が足りなかったのかも。なかには娼婦を買うことをナンパと言っている人もいるため注意。

★ のむのむ(第1段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。女性の胸を吸うことがイケてると勘違いしている節がある。ノムとは、タイ語で女性の胸部または乳の意味。したがって、この場合ののむのむとは、女性の胸を赤ん坊のように吸う行為、またはその先にある性行為を暗示している。でも、女性の胸を赤ん坊のように吸うのが許容されるのは、せいぜい4歳くらいまで。セックス自慢が許容されるのも、せいぜい高校卒業くらいまで。筆者の精神的・性的な稚拙さが表れている。思春期によほど女性の胸に飢えきった生活を送ってきたのかも。なかには娼婦を買うことをのむのむと言っている人もいるため注意が必要。

★ ネーチャン(第1段落)/ミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん(第2段落)/ジュディーちゃん(第5段落)/女の子(第6段落)

病的ウェブサイト筆者は、この表現が大好き。自分のウェブサイトに女性の存在と、その名前をコレクションするのがイケてると勘違いしている節がある。でも、彼女たちについて言及されることはほとんどない。ただ名前を書いているだけ。しかも女性にだらしのない男性は世間的にあまり信用されないため、本来であればむしろ複数の女性の存在は隠しておきたいところ。そこまでのリスクを冒して、なお自分の悦びや感動を読者に伝えたいのだろうか。あまりにも無邪気すぎる。筆者の女性関係における未熟さと精神的な稚拙さが表れている。これまでに女性と関わった経験がほとんどないのかも。

★ 短パン(第2段落)/パンティー(第2段落)/パッツン(第3段落)/すべすべナマ足(第6段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。エロい場面に遭遇できることがイケてると勘違いしている節がある。「パッツン」とは、タイ国内における評価が低い大学に通っている女子学生あいだで流行っているボディコン的な制服、または女子大生そのもののこと。でも、女性のエロさに新鮮な悦びを感じるのが許容されるのは、せいぜい高校卒業くらいまで。筆者の精神的・性的な稚拙さが表れている。制服時代に同年代の女性とドキドキ体験をしたことがないのかも。ほとんどの場合、とんでもなくショボい大学の徽章が制服の胸元に輝いており、ある程度タイの高等教育に精通している日本人からは失笑を買っている。

★ サオサーオ(第3段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。旅行者レベルのタイ語を駆使することがイケてると勘違いしている節がある。「ナックスックサー(現役大学生)」、「キットゥン(恋しい)」、「アップヤー(違法薬物の使用)」などの表現も同じような用法で、日本語の解説なしに使われている。でも、読者が分からないような単語を並べて優越感に浸ることができるのは、せいぜいタイ語初級レベルまで。筆者の語学力不足と精神的稚拙さが表れている。よほどタイ語力に乏しいのかも。

◆ 大暴落/セリングクライマックス(第3段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。趣味の分野における用語を駆使することで、自らの興奮や悦びを余すことなく伝えられると勘違いしている節がある。「高騰」、「下落」、「指標」、「整理ポスト」などの表現も同じような用法で使われている。ここから、筆者の日常生活における金融取引が占めている重要度の割合が垣間見られる。これは、定職に就いていない日本人男性にしばしば見られる傾向。金融取引に自分の運命がかかっているのかも。

◆ OL (第3段落)/女子大生(第4段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。ブランド力のある職業そのものがイケてると勘違いしている節がある。「スッチー(客室乗務員)」などの表現も同じような用法で使われている。でも、その呼称にふさわしいだけの洗練された女性かどうかについて言及されることはまずない。なかには「コヨーテ(高級風俗店の踊り子)」がイケてると勘違いしている病的ウェブサイトの筆者もいるため注意。コヨーテは、 Go Go Bar の売春ダンサーやカラオケスナックの売春ホステスよりも若干マシな程度で、バンコク人男性が決して恋愛対象にしないような社会的地位の低い女性のため、ある程度タイの社会に精通している日本人からは失笑を買っている。

◆ 中華系(第3段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。中国移民の子孫が特別に(裕福で)イケてると勘違いしている節がある。タイには実際、裕福な中国系タイ人が存在しているが、だからといって中国系タイ人だから裕福なわけではない。中国系タイ人と非中国系タイ人の平均所得も、そう大して変わらない。タイにおいて肌の色が薄い人々が持て囃されているのは事実だが、それは太陽光に晒されない生活を送っている人々(自家用車やタクシーで移動し、オフィスで働いている人々)が持て囃されているのであって、中国系タイ人だからではない。ちなみに、タイにおける中国系移民とその子孫は人口の14%、約800万人を占める。タイ社会に対する筆者の理解の乏しさが表れている。

★ 色っぽい(第3段落)/グラマー系(第5段落)/ロリ系(第7段落)

病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。すぐに女性を性的魅力によって分類したがる節がある。でも、女性の評価を性的魅力だけで判断するのが許されるのは、せいぜい大学生くらいまで。女性と十分なコミュニケーションをとるための話力や語学力が足りないのかも。

■ 楽しかった(第6段落)

文章を読めば「楽しかった」のは理解できるけど、「きょうは学校へ行って、みんなで給食を食べて、ブランコで遊んで楽しかったです」じゃないんだから(以下略)。

―― 病的ウェブサイトのレシピ ――

1. 性的な画像を掲載する
2. 女友達について言及する
3. 女友達の人格を否定するような短絡的かつ感情的な罵詈雑言を並べる
4. 女友達と一緒にいることで、自分がいかに満足しているかを力説する
5. 世間における常識を否定して、自分がいかに反社会的なアウトローであるかを力説する
6. 女友達に自分がいかに厚遇されているかを力説する
7. すべての記事に上記の1~6を適用する

ってゆうか、いちいち分析するまでもなくアタマ悪すぎる。この文章には、ほぼすべての段落に性的ワードが散りばめられており、しかも女性に関すること以外の言及がほとんどない。これを書いているのが16歳の高校1年生ならまだ微笑ましくもあるが、二十歳を過ぎた成人男性が書いているというのだから本当にキモチ悪い。精神的な幼さも目立つ。

バンコクには、オンナにハマった結果として移住してきた日本人男性も少なくない。その性的な欲求を満たすだけのために、彼らは社会的自殺(日本人としての社会的地位・社会的信用の永久的放棄)や経済的自殺(日本人としての標準的またはそれ以上の経済力・経済的信用の永久的放棄)を何ら躊躇もなく行った。それだけに、女性に対する執念は異様なまでに強烈で、しかも女性の存在そのものが彼らにとってのアイデンティティーとなっている。そんな彼らから「オンナ」を取ったら何が残るというのか。すべてを投げ出してスッテンテンになってしまったあとの惨めな自分の姿に気づいたとき、彼らはいったいどのような行動に出るのだろうか。

そもそも、彼らにとっての「オンナ」とは、バンコク在住のタイ人すら恋愛対象としてみなしていないような娼婦(売春婦)ばかり。これはタイ階級社会的自殺行為(タイにおける社会的地位・社会的信用の放棄)にあたる。つまり、物事の本質的な面において、彼らは最初から「何もなかった」のに等しい。日本人としてこの世に生を受けたときに等しく与えられた社会的・経済的なセーフティーネットすべてを自らの意志で解除して、そして最後に「何もない」を手に入れたのだ。

「何もない」ことにすら気付かず、「何もない」ことを自慢する行為。第三者にとって、それは喜劇以外のなにものでもない。ここで笑わずして、いったいどこで笑えというのか。

タイにおける日本人社会には、「在タイ」という言葉がある。「タイ在住の日本人」という意味で用いられているが、バンコクに住んでいる多数のまともな日本人が、このようなドウシヨウモナイ日本語話者と一緒くたに「在タイ」と総称されてしまうのはいかがなものか。ドウシヨウモナイ日本人に対して「在タイ」を自称することを禁止するか、もしくはそれぞれを明確に区別するための新たな呼称を考えるかすべきではないかと、わたしは常々思っている。

(さすがに、病的調日記に登場する固有名詞は、すべて仮名にさせてもらいました)

タイにおける日本人社会については、シリーズ「微笑みの国タイと厳しい現実」でより詳しく説明しています。

2009年1月2日(金)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090102.jpg" width="300" height="169" align="right" />「これからアンポワーへ行くけど、あなたも一緒に来る?」

午前11時、フワヒン80にあるホテル Crystal をチェックアウト。市内で朝食をとっていたところ、友人に冒頭のように訊かれたが、そもそもアンポワーが何物か分からないことには答えようがない。タイ北部にあるメーホンソーン県パーイ郡が、一昨年あたりから観光地としてタイ人に人気なのは知っているが、アンポワーに関しては聞いたことすらないので、インターネットで調べてみた。

アンポワーは、サムットサーコーン県(サムットサコーン県)西部にある郡。人口57,260人、人口密度366人/km²の小さな街で、ペッブリー県に隣接している。主な産業は、果樹栽培(ココナッツ, ザボン, ライチ)と養殖(エビ)。アユッタヤー朝(アユタヤ朝)プラサートーン王(サンペット5世, 西暦1629-1656)の治世には交易地として栄え、「バーングチャーング水上市場」として知られた。

現在のアンポワー・チャイパッタナーラック水上市場は、タイ伝統文化の再生、地域社会の経済的充足を目的として、プラテープ王女(スィリントーン, シリトーン)が代表を務めるチャイパッタナー財団が建設したもの。毎週末(金曜日15:00-22:00, 土日祝日12:00-22:00)のみ開催。日没後の数時間は、付近の運河でホタル狩りを楽しめる。

まあ、近年ありがちな復古主義的観光開発(古き良きタイ文化の再現による観光開発)の一環だろう。一昨年から流行っているタイ北部のメーホングソーン県(メーホンソン県)パーイ郡にしてもそうだが、タイ人は「復元(創造?)されたタイランド」が大好きだ。

午後1時50分、サムットサーコーン県アンポワー郡にあるバンガロー「水上縁側庭園の家」(バンガロー1軒につき1,500バーツ)に到着。このバンガローは、ホタル狩りの名所、プラチャーチョムチューン運河の畔にあり、向かいには仏教寺院「ワットナーングピム」がある。直前になって予約を入れたため人数分の部屋を確保できず、6人で雑魚寝することになった。午後2時20分、サムットサーコーン市営市場で今晩の海鮮バーベキューの素材を調達。

午後4時20分、バンガロー「水上縁側広場の家」前から、小型ボート(ホタル狩りツアー付き600バーツ)でアンポワー・チャイパッタナーラック水上市場へと向かった。この市場は、手頃で伝統的な土産物を調達するのに適しており、タイ伝統菓子の食べ歩きに興じることもできる。ダムヌーンサドゥワック水上市場とは異なり、バンコクを昼過ぎに出発しても水上市場を見物できるのも魅力。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090102-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後6時40分、アンポワー・チャイパッタナーラック水上市場前から、小型ボートでプラチャーチョムチューン運河流域のホタル狩りへと出かけた。運河の暗闇を小型ボートで走り抜け、ココナッツの木で輝いているホタルを見つけるたびに、みんなで指さし歓声を上げた(友人のひとりは、なぜか犬の遠吠えをしていた)。午後7時50分、バンガロー「水上縁側広場の家」でシーフードバーベキューを食べ、午後10時50分に就寝。

2009年1月1日(木)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090101.jpg" width="300" height="169" align="right" />午前11時10分、アユッタヤー(アユタヤ)市街のホテル「ウートーングイン(U-Thong Inn)」を出発。昨晩の精神的大赤字をなんとか黒字転換するために、プラヂュワップキーリーカーン県のビーチリゾート「フワヒン(ホアヒン)」に滞在している友人たちの元へ向かった。

「ねえ、聞いた? 昨晩、カウントダウンの直後に起こった SANTIKA(ZANTIKA, サーンティガー, サンティカ) の火災で、少なくとも50人、もしかしたら200人くらいが焼死したかもしれないんだって」

午後3時55分、フワヒン80にあるホテル Crystal (1,500バーツ)に到着。友人たちが滞在している306号室を訪ねると、年初の挨拶もそこそこに、昨晩バンコク都内で発生したという大惨事の話題になった。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090101-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />タイ3チャンネル BEC のニュース「今夕のホットな話題」(午後5時~)によると、カウントダウンのおよそ20分後、エーガマイ通り(エカマイ通り)にあるクラブ SANTIKA が全焼し、これまでに59人の死亡が確認された。この日は用地の賃貸借契約終了にともなう SANTIKA の営業最終日でもあり、 GOODBYE SANTIKA をテーマにした DVD やチラシが大々的に配布されていた。もちろん、焼失による閉店を企図したものではない。カウントダウンの音頭をとったゲストによると、演出の花火が天井に引火し、スプリンクラーで消火できなかったことが原因で延焼が広がった。天井から出ている煙に気づいた客はいたものの、大半がそれも演出の一環だと思い込んだため避難が遅れる結果になったという。 SANTIKA は、2004年に営業開始。収容人数は1,000人強。開業当初から無許可で営業を続けていた(映像はタイ3チャネルのニュース「三次元ニュース」(午後10時~)のものです)。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090101-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後7時半、友人たちが宿泊している306号室で仮眠をとるなどダラダラと過ごしてから、デーチャヌチット通りとネープデハート通りの交差点にある海鮮料理屋「ヂェックピヤ珈琲店」で友人たち6人と夕食をとる。友人によると、この店はタイ人のあいだで評判との噂だが、味の方はそこそこ。ほかにも、フワヒンにはタイ人のあいだで評判の店が数店舗ある。午後8時半、フワヒン中心部の出店で土産物を買い、ホテル Crystal へと戻った。

午後10時半頃、フワヒン80にあるホテル Crystal の308号室で、タイ3チャンネルの報道番組「三次元ニュース」見ていたところ、いつの間にか眠ってしまった。友人たちによると、誰よりも早く真っ先に眠りに落ちたという。やはり、昨晩のピヂット~アユッタヤーの強行軍が効いていた。この年末年始で228人が交通事故で死亡したと報道されていたが、昨晩、危うく国道1号線を時速140kmで走行中に車線を逸脱して、交通事故死亡者数のカウントを増やすところだった。

2008年12月31日(水)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231.jpg" width="300" height="169" align="right" />「もう、ピヂット(ピチット)をバカにしないでよね! ワットチャイモンコン、ワットタールワング、ワットワングロム。ほぉら、プラクルアングで有名なお寺だって、たくさんあるじゃないの。それにね、ちょっといまメロディー思い出せないけど、誰かの曲に『美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう』ってゆうフレーズがあるじゃないの。一度見ておいても損はないわ」

午後7時50分、起床。ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn で朝食をとる。午後1時15分、タイタナカーン銀行(バンクタイ銀行)で中小企業向け有担保融資営業をしている友人が迎えに来る。一路ピッサヌローク県(ピサヌローク県)を目指して北上し、チャイナート県付近にさしかかったあたりで、友人がしきりにピヂットにも立ち寄ろうと駄々をこね始めた。この友人は、新入生歓迎式(ラップノーング)だけ参加して転出したナレースワン大学(ナレースアン大学)(ピッサヌローク県)へと通っていた一時期、母方の実家があるピヂット市街中心部に住んでいたことがある。

ピヂット県の県都ピヂット市は、人口107,687人、人口密度161人/km²(参考:チアングマイの人口密度は1,446人/km²)。ナーン川の畔にあるとてもこぢんまりとした街で、市街地の領域は約2km²しかない。タイ北部のナコーンサワン県とピッサヌローク県のほぼ中間地点に位置しており、バンコクからの距離は約347km。主要産業は、農業、畜産業、漁業の順。

このまま友人に押されっぱなしだと、本当に何もない、地方都市と呼べるかどうかも怪しい街で2009年のカウントダウンを迎える羽目になる。

「なんでカウントダウンなんかにコダワってんのよ? まったく外国人の考えていることは理解に苦しむわ」

なんとかピヂット滞在を回避しようと努めたが、一方で友人のいらだちは次第に募っていくばかり。このままでは本当にピヂットなんか新年を迎えることになりかねない。議論が大詰めにさしかかり、「ピッサヌロークの観光名所『ワットプラスィーマハータートウォーラマハーウィハーン』でカウントダウンをしたいんだ!」と苦し紛れの理由を捻り出したところであえなくノックアウト。仏教寺院でカウントダウンなんて、説得力がなさすぎた。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後6時10分、ピヂット市に到着。友人の祖父母と親族が集住している街路は、確かに友人が言っていたとおり市街地の中心部にある。住居のレベルも、バンコク郊外の一般的な住宅のレベルを維持している。街路の入口にはインターネットカフェ、その向かいには銀行の支店もある。しかし、やはり都市型商業インフラの不備はいかんともし難い。午後6時半に親族宅の二輪車で買い出しに行った Tesco Lotus(テスコ・ロータス) ピヂット店も、ミャンマー国境の高地にある Tesco Lotus の小型店舗(チアングラーイ県(チェンライ県)メーサーイ郡)に映画館を併設した程度であまり変わらない。いよいよ今晩のカウントダウンに暗雲が立ちこめてきた。これはマズい。しかも、ピヂットの女性は、とてもではないが「美しい」という言葉では形容することができないありさま。友人は、「クラブに行けば分かる」と言っているが、そもそもバイク移動が基本の地方都市で生活していれば、熱帯の肌を焼くような日差しを浴びて、すぐに全身真っ黒になってしまうのが分かりきっている。タイでは、肌の色がくすんでいる女性は美しくないということになっており、たとえ日本人女性といえども、彼らのような生活を続けていれば、どこの黒人か分からなくなるほど真っ黒になるに違いない(ただしチアングマイ(チェンマイ)などの山岳部ではそうでもない)。

午後9時、ピヂット市街の中心部にある親族宅で酒を飲みながら夕食をとっていたところ、少し離れた場所で飲んでいたオジサンがやってきて皆に絡み始める。僕がとことん煩わしそうに対応していたところ、年末年始を利用してバンコクから遊びに来ている友人の従姉妹たちが「カラオケへ行こう」と助け船を出してくれた。よく見ると、みんな余所行きの格好に着替え、いつの間にか化粧までしている。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />しかし、友人の従姉妹たちが途中で Jonnie Walker Red Label を調達してまで乗り込んだ先は、屋外に簡素なステージが設置されているピヂット市タールワング町の町長宅だった。この光景は、タイの田舎を舞台にした映画にたびたび登場する宴会のイメージそのままだ。ステージの上では、拳銃を腰に下げたままの中年警察官がウイスキーグラス片手に歌っており、ちょっとだけ偉そうにしている町長が MJ の真似事をしているが、よく聞いてみると町内における来年の雇用見通しについて話している。もう少し空気を読んでくれよと思いながら、どこかのオジサンが注いでくれたウイスキーを飲み、特に上手くもないカラオケを聴き続けた。まあ、有力者なら何をしても大抵のことは許されるんだろう。ステージの前では数人の若者が踊っており、その後方では30人くらいの地元民が酒を囲んでいる。ようやく歩けるようになったばかりの女児がバラの花片手にステージへと駆けだしていくが、途中で気が変わったのか、バラを振り回しながら支離滅裂な踊りを始めてしまう。警察官が歌い終えると、つぎに税務署の職員が指名され、夫婦でステージへと上がっていった。

午後10時20分、これまで一度は見てみたいと思っていたが、同時に5分も見れば十分とも思っていた田舎パーティーにウンザリし始めてきた頃、友人の従姉妹たちが場所を変えようと声をかけてきた。このままでは、せっかくのオシャレが台無しだし、なにより足下を縦横無尽に飛び交っている蚊にも耐えられないという。そもそも、この種の宴会は都会派のバンコク人女性が好むようなノリでもない。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-4.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後10時半、市内唯一のクラブ PLAZA PINK MUSIC に到着。エントランスフィーひとり80バーツ(こんなショボいエントランスフィーはバンコクにはない)を支払って入店。どんなカウントダウンがあるのかと楽しみにしていたが、2009年1月1日午前零時は、バンドが入れ替わるあいだに流されるヒップホップミュージックとともに平然と過ぎ去っていった。同時に、タイ=スナーウットの演歌「ピヂットの街の娘」にある「美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう」というフレーズが、実はとんでもない皮肉だったと確認した。クラブ行きの化粧をしてもまだ目を当てられないようでは、もはや救いようがない。明らかに、自分たちのグループがいちばんまともだった。

翌1日午前零時40分、市内にふたつしかないホテルが両方とも満室であることが判明。急遽、友人の親族宅で僕の寝所が用意されたが、他人の家に泊まるのも落ち着かないと思い、バンコクへと引き返すことを提案。途中、チャイナート付近を140kmで走行中に意識が遠のいたため、アユッタヤー(アユタヤ)の市街地に入り、午前4時40分、ホテル「ウートーンイン」(1,400バーツ)にチェックインした。

まったく、とんでもない目に遭った。つくづく、タイにおける人間関係インフラの質的低下を痛感している。バンコクに戻ってきたら、ほかの何よりも優先して、まず真っ先にこの問題に取り組まなければならない。

2008年12月30日(火)

午前9時50分、起床。午後2時50分に McDonald’s(マクドナルド) スィーロム(シーロム)店でメガマックセットを食べる。午後3時半、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body Massage で2時間の全身マッサージ(330バーツ)を受ける。午後5時40分、世界的な不況の影響でまともな現地採用の求人がないと嘆いていた日本人の友人に電話をかけ、本帰国前にバンコク都内で TOEIC を受験しておくように勧める。一旦、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn (一泊900バーツ)へと戻り、午後7時50分に仕事帰りの友人と合流。スクンウィット39にあるイタリア料理店 Bacco で夕食(ふたりで870バーツ)をとった。午後10時、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn まで友人に送り届けてもらった。

午後3時頃から、強烈な頭痛にずっと悩まされていたため、有意義なことが何もできなかった。日記を書く気力すらない。イタリア料理の味も、ろくに覚えていない。メガマックのせいか、風邪のひきはじめのせいなのか、最後まで分からないままだ。

2008年12月29日(月)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081229.jpg" width="300" height="169" align="right" />きょうとあすの2日間、バンコク都内で英語検定 TOEIC(トーイック) (Test of English for International Communication)を高校時代の友人と受験するつもりだったが、けさ試験実施機関の Center for Professional Assessment (Thailand) のウェブサイトを確認したところ、例年より2営業日早い27日から年末年始休暇に入っていることが判明し、やむなく諦めた。

バンコク都内では、 TOEIC が平日(週5日)1日につき2回ずつ実施されており、日本の3分の1程度の費用で受験できる。そのうえ、試験前日までに電話をかけるだけで受験できるため、何ヶ月も先の予定を考慮に入れて出願する煩わしさがない。しかも、試験翌日には結果が通知されるため、気に入らなければ翌々日に再受験するという荒技も使える(日本国内で開催される TOEIC は、3ヶ月に2回程度しか実施されず、しかも試験日1ヶ月前までに出願しなければならず、結果も受験1ヶ月後にようやくが通知される)。

午前9時、起床。午前11時40分に友人と合流し、ヤオワラート通り(ヤワラ通り, ヤワラート通り)にある中国料理店「和成豊魚翅」で昼食をとる。メインのフカヒレスープは、留学時代と変わらず土鍋ひとつにつき300バーツ。その他、蟹炒飯(100バーツ)等を注文。友人によると、スープは多いものの、フカヒレは標準的な中国のものよりやや少なめな印象。午後2時30分、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)にある電気店街 Fortune で買い物をし、午後4時40分に友人と別れる。その後、ラッチャダー3にある美容室で洗髪とプロー(70バーツ)をした。

「まだ小売業には影響ないみたい。 IT 関連の求人も今まで通りかな。ところで、タイ人と日本人、どっちの方が大酒飲み?」

午後6時12分、ラーチャダムリ通り(ラチャダムリ通り)のショッピングセンター Central World Plaza 前にあるビアガーデンで別の友人たちに合流する。平日の夕方にもかかわらず、シンハビールのブースには開店前から長蛇の列ができていた。気温はまだ30℃ほどあるが、湿度が30%前後と乾燥しており、バンコクの夜としては1年を通じて最も過ごしやすい季節と言われている。また、国王誕生日(12月5日)の少し前あたりからショッピングセンター各所で始まるコンサート付きのビアガーデンが、この季節のタイの風物詩になっている。

午後10時半頃になると、ラーチャダムリ通りを挟んで向かい側にあるショッピングセンター Big-C Super Center 本店勤務のシステムエンジニアが酩酊状態に陥り、とうとうアルミ製のテーブルに突っ伏してしまう。閉店時間の午前零時を少し過ぎたあたりに店を出て、酩酊状態の友人をラーチャダムリ通りでタクシーの後部座席に押し込んだ。通常、東京勤務の日本人は90~120分で切り上げるが、タイ人は気が済むまで飲み続けることがよくある。午後6時半からの約5時間半で4リットル入りのタワーサーバーを3本空けた。ひとり平均3リットルは飲んだ計算になる(タイ国鉄財務局の職員は閉店間際に合流したから、酩酊したシステムエンジニアは撃沈するまでに4リットルくらい飲んでいた可能性がある)。

その後、ペッブリー10にあるカラオケ屋 OK. Karaoke The Music Room へと移動し、大部屋のテーブルの上に大量の LEO BEER を並べた。ちなみにこのビール、タイ語では「ビア・リオー」と発音する。日本語的な感覚で「ビア・レオ」と発音してしまうと、「ビア・レーオ」に通じて「酷いビール」という意味になってしまう。しかし皮肉なことに、このビールの味そのものが最低最悪で、発泡酒すらダメな自分にはとても受け付けられない。バンコク人的には「質より酔うことを優先するときのビール」との位置づけにあり、酔いが回るのもなかなか早い。なんとか LEO BEER をほとんど飲まずにタイポップスを歌い続けたが、さすがにまともな酒なしに歌い続けるのがバカらしくなって、翌30日午前3時頃に席を辞した。

留学時代は際限なく飲み続けるのに至福の喜びを感じていたが、歳のせいか、それとも日本の習慣に慣れきってしまったせいか、最近では2時間程度で切り上げるスタイルが自分に合っているような気がする。

2008年12月28日(日)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228.jpg" width="300" height="169" align="right" />「―― それと、ちょっと朝が早くてツラいかもしれませんが、日の出とともに行われる天安门广场の国旗升旗仪式なんか、けっこうオススメですよぉ」

せっかくの北京滞在中、ホテルの客室でただ温々しているだけでは芸がない。そんなことを考えていたところ、3日前、北京留学組の同僚たちとランチをとっていたときに聞いた国旗升旗仪式(国旗掲揚式)イベントのことを思い出し、さっそく客室サービス係にきょうの日の出の時刻を問い合わせた。

午前6時半、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」6階にあるレストランで開店同時に朝食をとる。窓の外はまだ真っ暗だが、航海薄明から4分が経過していることもあって、徐々に薄明るくなっていくのがなんとなく分かる。調理場の方へ目を向けると、それなりに有難味のあるメニューが並んでおり、隅っこには鰻や日本そばもある。朝の平穏な時間を過ごすためにもう少し放っておいてもらいたかったが、ほかの宿泊客がまだ誰も来ていないこともあって、数人の接客係が完璧なタイミングで代わる代わる空いた皿を交換し、マンゴージュースのおかわりを持ってきてくれた。おかげですっかり目が覚めた。

午前7時5分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」からタクシーに乗車。市民薄明を迎え、道ゆく人々の表情がなんとか分かるようになる。一時代前まで、北京の主要道路といえば無数の自転車が10車線すべてを埋め尽くしているかのようなイメージがあったが、いまではそれもすっかりバスや乗用車に取って代わられている。

午前7時28分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の国旗掲揚台から600メートルほど離れている人民大会堂西路で下車。广场周辺は交通を規制するための柵に覆われているため、ここが最寄りの下車場になる。運賃は22人民元(約308円)だった。

午前7時半現在の北京市は、気温零下5℃、湿度74%、最小視程3.0km。湿度は十分あるにもかかわらず、肌を刺すような強烈な寒風のせいで、いまにも手の甲にヒビが入りそうだ。こういうとき、オトコの一人旅がいかに不便かと、しみじみ実感する。女性と行動していれば、ハンドクリーム塗って自分の手を保護するくらい、きっと簡単に済ませただろう。

午前7時35分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)にできた大勢の観光客たちの最後尾で、なんとか掲揚台を見渡せるポジションを見つけた。遙か前方には、完璧に統率されているツアー観光客らが、整然と列を作っている。国家の名誉と威信をかけたこの天安门广场の国旗升旗仪式だが、中华人民共和国国歌(中華人民共和国国歌)义勇军进行曲(義勇軍行進曲)」の演奏が始まり、国旗が高く掲げられるにつれ、ある種の意外さを覚えた。なぜか人々はカメラを高く掲げたまま撮影を続けている。国歌演奏中の直立不動が鉄則のタイでは、到底考えられないような光景だ。しかも、前近代的としか形容できないほど音質が悪く、音割れすら起こしている。国家の威信をなによりも大切にし、しかもショービジネスにおいては日本の遙か上を行く中国が、このような大雑把な儀式を演出するとは、本当に意外だ。

国旗升旗仪式(国旗掲揚式)が終わり天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)を見渡すと、そこが巨大な建造物に囲まれている、広大な広場であることが分かる。正面にあるのは毛泽东の肖像が掲げられている故宮天安门(故宮(紫禁城)天安門)、左側は中国の国会議事堂に相当する人民大会堂、右側は中国历史博物馆(中国歴史博物館)中国革命博物馆(中国革命博物館)天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)には最大で50万人を収容できると言われており、周囲に中央政庁が密集しているこの広場で、もし敵意をむき出しにしている民衆がシュプレヒコールをあげていたら、どんな為政者も恐れおののくに違いない。あまりにも圧倒的すぎる迫力だ。決して褒められたことではないが、六四事件(いわゆる天安门事件(天安門事件), 1989年)当時の中国政府が天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の周辺で市民を虐殺した理由も、なんとなく分かるような気がする。現在も人民行動黨(人民行動党)による一党独裁政治が続いているシンガポールの国父、李光耀(リー・クアンユー)も個人的に「自分も同じことをしただろう」も述べていた。

午前8時、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)周辺の歩道にある喫煙所で一服してからバス停へと向かうが、どのバスに乗って良いのか分からずに断念。途中、地下道で长安街を渡って故宮(紫禁城)を見物することも考えたが、高校の修学旅行のときに散々歩いて回ったので、そのまま北京地铁1号线(北京地下鉄1号線)天安门东站(天安門東駅)へと向かった。自動券売機で市政交通一卡通(ICカード式乗車券,2バーツ)を購入し、宿泊中のホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」がある大望路站(ターワングル駅)までの6.4kmを13分で移動した。

「中国の女の子って、みんな本当に冴えない格好をしてるんだよ。たとえるなら、ワイシャツの上にトレーナーを着ているようなダッサイ感じ。色彩のセンスもどこかオカシイし。あれじゃ、せっかくの容姿が台無しだし、色気もまったく感じられない。オトコにとっては、まさに夢も希望もない街さ。もし俺が中国への転勤を命じられたら、迷うことなくその日のうちに退職願を提出するね」

ある友人が以前、こんなことを話していた(実際に中国転勤を命じられて退職した)が、午前8時20分に大望路站(ターワングル駅)を下車し、北京における商業の中心地である中央商务区(中央商務区)を歩く女性たちを見ていると、その気持ちがなんとなく分かるような気がしてきた。ビニール素材で安っぽく、ぺーシックなデザインのダウンコートで画一化されており、色彩もなんだか派手すぎるような気がする。唯一の差別化といえば、画一化されたデザインのダウンコートに、特にキレイでもない刺繍が施されているくらいか。せっかくの冬物ファッションがモッタイナイ。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />王府井(ワンフーチン)もけっこう変わりましたよ。13年前と比べたら、たぶんぜんぜん別物になっていると思います」

一旦、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」2213号室に戻ってくつろぐ。このまま中国を去るのも芸がないと思い、一昨日、中国出身の中国人同僚たちとランチをとっていたときに聞いた、北京における小売業の中心地「王府井」へ行ってみることにした。ついでに、中国語留学をしていた友人が小籠包を勧めていたので、それも食べてみたい。

午前10時50分、北京地铁1号线の王府井(ワンフーチン)站で下車。东长安街から眺める王府井大街には近代的な商業ビルが建ち並び、それなりに開発が進んでいるように見える。13年前、高校の修学旅行で来たときには、公立小学校クラスの安普請な建物が「王府井」を代表するショッピングセンターと紹介されて驚いたが、少なくとも目の前に見えるのは、それなりにまともな商業施設だ。ところが、しっかりしているのは建造物だけで、入居している店舗はどれもヘボい。その路地にあるレストラン街で、さっそく小籠包(ひとつ1人民元)を10個、白米(3人民元, 大盛り)、可口可乐(コカ・コーラ)(7人民元)を注文。扇風機型の電熱器で暖まりながら、本場の中国料理を堪能した。死ぬほど不味かった。段ボールで作られた、偽装小籠包ではないかと疑いたくなるほど不味かった。

その後、午前11時35分にホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」をチェックアウトし、午後12時15分に北京首都国际机场(北京首都国際空港)に到着。欧州人ばかりの中国国际航空(中国国際航空)CA959號航で、身体の大きい欧州人の男女に左右を挟まれながら、泰国新曼谷國際機場(スワンナプーム・新バンコク国際空港)へと向かった。

午後6時35分、スワンナプーム国際空港に到着。目の前の27Cに座っていた中国人女性観光客が、27Aと27Bの西洋人男性から熱烈なアタックを受ける。西洋人男性に親切にされて困惑している様子だったが、税関を通過するときには自分の手荷物を取り返し、大きな機内預け手荷物(あれは100kg以上あったと思う)を乗せたカートをひとりで押していた。午後7時3分、4階出国ロビー2番出口前に到着した友人のクルマに乗り込んだ。

午後7時53分、ヂャン通りでさらに友人たち3人と合流。ヂャルーンナコーン通り61にあるレストラン D River で、ヂャーオプラヤー川とプララームサーム橋を眺めながら夕食をとった。

2008年12月27日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227.jpg" width="300" height="169" align="right" />「あー、んもうっ! なんで、北京経由なんかでバンコクへ行くんですか!? バンコクなら、上海経由でも行けたでしょう? それに、もっと早く教えてくれたら、北京を案内してあげられたし、わたしもちょうどバンコクへ行ってみたいと思っていたんですよ!! んもー、ゼッタイに殺す。今度は、ちゃんと出発の2ヶ月前には知らせてくださいね!!! ほんと、ムカつくわー」

12月19日の昼食時、この年末年始に北京経由でバンコクへ出かけることを伝えると、中国人の同僚が興奮してしまった。もし、この同僚が北京経由で帰省するのであれば、1日だけ北京観光に付き合ってもらおうかと思って話を持ちかけたが、どうもおかしなカンジになってしまった。いっしょに昼食をとっていた中国留学組の日本人同僚は、そのときの様子を「突然、ものすごい剣幕で怒り出した」と話している。

今回のタイ旅行は、12月18日の夜になって突然決めたことだった。それまでは学生時代の友人たちと正月気分をまったり楽しむつもりだったが、一年中世界中を飛び回っている高校時代の友人から、中国国際航空の北京経由なら税金や燃油サーチャージ等の付加料金込みでも68,500円と聞いて、中国国際航空のウェブサイトで航空券を半ば衝動的に購入した。もし、中国人同僚が上海出身であることを事前に知っていれば、上海経由にしておいた方が良かったかも。

その後の約1週間、昼休みになるたびに「地球の歩き方 - 北京」を持ち歩き、北京留学経験のある日本人同僚たちや、北京勤務経験のある中国人同僚たちに、ひたすらオススメの旅行計画について訊いてまわった。ちなみに、冒頭の中国人同僚には、その後この件で、少なくとも20回は殺された。

午後6時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」にチェックイン。当初の予定では、午後7時半から朝阳剧场(朝陽劇場)四川遂宁杂类伎团(四川遂寧雑伎団)による雑伎を見ることになっていたが、ホテルの前を走る长安街の渋滞の様子を見ると、どう考えても開演までには間に合いそうもない。同僚たちからオススメの中国料理店を何軒か教えてもらっていたが、ひとりで円卓に料理を並べて中国料理を食べるのは格好悪いことに気付き、ホテル6回の中国料理店「老上海」で夕食をとった。大きなエビ、北京ダック、野菜の3品で480人民元だった。美味しかったけれど、ちょっと予算オーバー気味。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />夜はまだ始まったばかり。2004年に上海駐在の日本総領事館電信官、2006年に海上自衛官が日本人向けのカラオケスナックでセクシャルエントラップメントに引っかかりニュースになったのを思い出し、インターネットでホテル近くにある日本人向けカラオケスナックを検索し、そのなかから説明が一番分かりやすかった「夜星」へ行くことにした。しかし、タクシー運転手が北三环东路(三元桥ちかく)にある「夜星」までたどり着けず、変なところで降ろされてしまった。やむなく付近を散策するが、それっぽい建物がどうしても見つからない。机场高速と並行して走る薄暗い通りで、ひとりの中国人男性に話しかけ、(最初は無視されそうになったが)外国人と分かると親切に近くまで連れて行ってくれた。

午後8時34分、日本人向けカラオケスナック「夜星」に到着。さっそく、南部出身者に限定してからホステスを選び、席に着いた。やはり、現地の言葉を十分に使いこなせないと、ホステスとの会話を十分に楽しむのは難しい。自分も大学時代に中国語を第二外国語として履修していたが、今となっては実用に耐えないありさまになっている。こんな状態(現地語が出来ない状態)で、タイへ足繁く通っている日本人買春夫たちは、タイのカラオケスナックに満足できているのだから、まったく不思議でならない。しかも、ひとりの娼婦に入れ込んでしまうような、とんでもないアホまでいるというのだから開いた口がふさがらない。きっと、よほど豊かな想像力の持ち主か、よほどのご都合主義者かのいずれかだろう。ちなみに、中国人ホステスの莹莹(ユィンユィン)(仮名)によると、この店の主な客層は北京駐在の日本人駐在員と、その駐在員が連れてくる日本人出張者で、中国語が出来る客は約半分。従業員は北部出身者が大半を占め、ほとんどが英語を話せず、日本語も少ししか分からないため、筆談に頼ることも多いという。2時間のセットで、ひとり350人民元だった。

中国語を満足に話せないような自分が書くと、まるでタイ語も分からない日本人男性観光客が書いているような、まったく見当違いも甚だしい妄想だらけの恥ずかしい評論文になってしまうのではないか心配でたまらないが、個人的な印象としては、中国人はタイ人に比べ遊び心が全然足りないため、この種の娯楽は中国ではあまり楽しめないと思う。これで、とりあえず中国出張組の同僚や取引先とカラオケスナックの話ができるようになった。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後10時20分、松霖保健で全身マッサージと足裏マッサージを受けた。タイのマッサージ屋がリラクゼーションを全面に押し出しているのに対して、この店はどちらかというと医療機関のような雰囲気。腕はタイのマッサージ師よりも良さそう。料金は初回88人民元。午前0時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」へと戻った。

2008年8月17日(日)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20080817.jpg" width="300" height="169" align="right" />午前8時50分、サゲーオ県(サケオ県)アランヤプラテート郡中心部にあるホテル「アランマーメイド」で友人と米国式朝食をとる。はじめてタイ語でオムレツを注文した。窓の外に目をやると、ヤシの葉が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。ヤシの木といえば常夏の海岸を想像するが、それを海から遠く離れたこの内陸部で見るのもなかなかに風情がある。留学時代(~2006年)にカンボジア人クラスメイトから聞いた話によると、カンボジア国内ではヤシの栽培が盛んで、数十本持っていれば生涯安定した収入が得られるという。ホテルの入口では、西洋人観光客たちがいままさにカンボジア国境へと向かう観光バスに乗り込もうとしていた。

午前9時半、タイ国道33号線沿いにあるカンボジア王国サゲーオ領事館(サケオ領事館)でカンボジア観光ビザ(1,000バーツ, 滞在許可30日)を取得。今回は申請用紙に貼り付ける証明写真がなかったため、特別手数料として100バーツを徴収された。カンボジア観光ビザは、タイ出国後にも取得できるが、代筆屋がいろいろと五月蠅いため、ここで取得しておきたい。三輪バイクタクシー「トゥックトゥック(トゥクトゥク)」(アランヤプラテート中心部発国境行, 80バーツ)も無料でここに立ち寄ってくれる。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20080817-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />午前10時、ローングルア市場前からタイを出国。この国境は、日本人のあいだでは「アランヤプラテート国境」として知られているが、タイ人からは「ローングルア市場前国境」と呼ばれ、偽ブランド品が安く買えることで知られている。現在、アライバルビザ発給システムがダウンしているため、ビザ非免除国の人たちはあらかじめ再入国許可証(リエントリーパーミット)を用意しておかないとタイへ戻ってこられなくなる。僕の前に割り込んできたインド人は、係官からこの件を指摘されて出国をあきらめ、バンコクへと引き返していった。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20080817-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />「わたしはあの日陰で待ってるから、チャチャッと済ませてきてよ」

約10分後、国境を隔てる橋を渡って、カンボジア王国バンテイメンチェイ州にある国境の街「ポーイペート(ポイペト)」へと入る。カンボジア入国審査場の手前には魅力的なカジノがたくさんある。タイ人観光客たちは、カンボジアの入国手続をしないままカジノを楽しみ、出国手続もせずにタイ国内へと戻っていく。ところが、日本人を含む外国人はカンボジアの入出国スタンプがないとタイへ再入国できないため、約400メートル東にあるカンボジア入国審査場に立ち寄らなければならない。カンボジア警察の治安維持能力を全く信用していないタイ人の友人は、入国審査場の入口付近で心細そうに待っていた。しかも、カンボジアが2008年6月、タイが領有権を主張しているカオプラウィハーン寺院(プレアビヘア寺院)の世界遺産登録を申請したことによって、両軍が国境線をまたいで対峙する事態が続いており、両国の国民感情は著しく悪化している。

「ここの客は、みんなタイ人の年寄りばかりでしょう? みんな朝早くにバンコクを出発して、こうやってプレイしているのよ。どうせ深夜にカジノを渡り歩いても、年寄りの夜は早いから誰もいなくてツマラナイ思いをするに決まってるじゃない。日に焼けるのはイヤだけど、やっぱりカジノは週末の昼に限るわ!」

昨晩すでに致命的なダメージを食らっている今回のカジノ旅行の満足度を少しでもあげようと、友人はそう力説していた。しかし、太陽が高いうちから酒を飲む気分になんかなれないし、酒抜きでプレイするカジノなんて中国人観光客のガチンコ勝負みたいで好きになれない。でも友人の言うとおり、週末の日中にタイ人カジノ客が多いのだけは間違いない。今回の戦績はつぎのとおり。

ポーイペート・カジノにおける8月17日の戦績
Holiday Palace Resort & Casino +1,000
Star Vegas International Resort & Casino -1,000
Tropicana Resort & Casino +1,000

午後2時すぎにタイ側ローングルア市場の駐車場へと戻り、カジノホテル Star Vegas International Resort & Casino が委託し、チャイヤユットツアーが運行している午後3時発のバス(往路200バーツ, 復路100バーツ)でバンコクへと向かった。午後6時すぎ、スコールに見舞われて冠水しているバンコク・プララームスィー通り(ラマ4世通り)ボンガイで友人が下車。僕もルンピニー公園前で下車し、タクシーで帰宅した。

シャワーを浴びてスッキリしてから、高架電車 BTS サーラーデーン駅(サラデーン駅)連絡橋にある美容室で散髪(250バーツ)し、タニヤ2にある牛丼屋「牛野屋」で夕食をとった。日本国内にある牛丼屋「吉野屋」そっくりの店だが、レトルト牛丼程度の味は維持しており、バンコク都内にある日本料理屋としてはまともな方かも。牛丼が恋しくなったときや二日酔いのときには、美味しく食べられそう。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20080817-4.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後9時40分、テートサバーンソンクロ通り(テサバーンソンクロ通り)にあるパブ「ティットロム」で友人たちと合流。郊外にある小型のパブだが、閉店直前になるとバンドのメンバーが総出演してお祭りのような雰囲気になる。外国人がよほど珍しいらしく、いろんな客から話しかけられた。

翌18日午前1時の閉店後、すぐタクシーに乗って、午前5時35分まで別の友人と長電話した。午前6時20分、サービスアパートメント Silom Convent Garden をチェックアウトし、バンコク・スワンナプーム空港の出発ロビーに腰を下ろした。

「いま空港にいるんでしょう? 昨晩、何度も電話したのに!!」

―― コーリングウエイティング機能(キャッチホン機能)の設定、まだ済ませないんだ。いまは徹夜のせいであまり話す気分になれないから、日本に到着したら連絡するね。

そんな、周囲から見たらマヌケ以外の何物でもないやりとりを何回か繰り返しているうちに、全日本空輸916便成田行きの搭乗手続が始まった。

今回のバンコク滞在は、単なる旅行だったとはいえ、準備があまりにも杜撰すぎた。前半で飛ばしすぎたせいか、のこり10日間にして消化試合のようになってしまっている。こんなんじゃ全然ダメだ。質・量ともに、まったくもってイケてない。次回出張時までに、バンコクにおける生活インフラの再構築を図り、各々の優先順位についても全て再検討しておきたい。

(2008年9月2日追記: 8月21日付けで転職先の海外事業部門に配属され、現在は日本本社からタイ法人の後方支援をする業務に専従しております。今回の転職により待遇が向上したため、この機にひとり暮らしをはじめてみました。ご愛読ありがとうございました。)

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