| 2008年1月 5日 | |
タイ映画「ゴーンバーイ映画版」 |
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「よかったじゃない。映画も見れたことだし、これでもう満足でしょう?」 午後9時、 ■ あらすじ (ネタバレなし) ティーポー(オーフ=スパナット・チャルームチャイヂャルーンギット演)、ローチャー(ヌイ・チューンユィム=チューギアット・イアムスック演)、マーヂュー(ヂャッガブム・チューンユィム=ソムチャート・ソングロット演)の3馬鹿トリオは、人々から愛されながら、国境付近にある霧に囲まれた山間の集落で暮らしていた。 3馬鹿トリオの運命は、山にやってきた女神に振り回される。ティーポーは、バンコクからやってきたエーンニー(アレクサンダー・スティッバート演)を見て「 ほどなくして、お花様=エーンニーがバンコクへと戻り、ティーポーは悲嘆に暮れる。そして何を勘違いしたのか、ティーポーたち3馬鹿トリオも「オラが心、お花様プロジェクト」と称して山を下り、お花様=エーンニーを追ってバンコクへと向かう。 バンコクは、3馬鹿トリオにとって、あまりにも大きすぎた。粗野で大柄なオカマや、変な料理ばかりを注文する強欲な男たちなど、変人揃いの町内の面々を巻き込んで、とんでもないドタバタ劇を繰り返す。挙げ句の果てには、高所配電線作業車(高架電車と同じタイ語名称のクルマ)を乗っ取って町中でカーチェイスをはじめる始末。 お花様=エーンニーと感動の再会をするや、すでに婚約者がいることを知らされ、ティーポーはいきなり失恋する。その裏で、婚約相手のパキン(トラガーン・パンロゥムルートルヂー演)が、お花様=エーンニーを亡き者にしようと、さまざまな陰謀を巡らせていた・・・・・・ ■ 感想 この作品は、著名なお笑い芸人を多数起用することで観客のウケを狙っているが、これまでに使い古されてきたような古典的なギャグをテンコ盛りにしているだけで、まったく新鮮味に欠ける。唯一、目を見張るのは、山間の村落で中世のような生活を送ってきた3馬鹿トリオが、近代都市バンコクに出てきてテンパりまくるというタイムスリップ的な設定くらいか。 その後も、コメディー映画のくせにリズムが悪く、観客をイライラとさせる展開が続く。特に残念なのは、ペット・チューンユィムの演技が浮きまくっている点と、ほかに多数登場する優秀なお笑い芸人たちが単なる笑い袋に成り下がっている点。シモネタも露骨すぎ、オカマの立ちんぼ(街娼)はまだ許せるにしても、女性乗客たちがバス強盗に服を剥ぎ取られて強姦目的で連れ去られ、逆に老女が自発的に脱ごうとするシーンは、笑いどころか吐き気をも誘う。 笑いのツボを完全にハズしているのみならず、年々深刻になっている強姦事犯(人口比認知件数で日本の約3倍)も笑いのネタに使ってしまう、製作者の社会性とセンスの欠如には本当に呆れかえる。社会を痛烈に風刺するのもコメディー映画の役割だが、(もし次回があれば)製作者には映画が持つ社会的な影響力とそれに付随する責任をしっかりと認識し、観客(特に犯罪被害者)の気分を害さないような映画作りを心がけてもらいたい。 ■ え? 「政府は、非バンコク人によって樹立され、バンコク人によって打倒される」 これは、 バンコク人と非バンコク人の解離性は、単に政治的な傾向だけでなく、「与えられるもの」全般に関する受け止め方の違いについても言える。今日の主題であるタイ映画「ゴーンバーイ映画版」だって、けっしてその例外ではない。僕はバンコク人的な視点から今回のレビュー記事を書いてみたが、非バンコク人的な視点で考えれば「いろんなギャグが満載されていて気晴らしに最適な映画」と書くことだってできる。 「タイ」というものを説明するのは難しい。一部に共通している部分もあるが、そもそもバンコク人と非バンコク人には共通していない部分の方が多い。政治的要請から、娯楽や恋愛の趣向まで、何をとってもまったくの別物。タイ映画「ゴーンバーイ映画版」も、バンコク人にはまったくウケないが、非バンコク人にはバカウケする内容になっている。そんなチグハグな要素をまとめて、どうして「タイ」を説明することができようか。 近年のタイブームにともない、いろんな日本人が「タイとは・・・・・・」と説明しているが、それはどっちのタイのことを言ってるんだろうか。非バンコク人向けのポップミュージックを「タイポップス」、非バンコク人向けのナイトクラブを「タイのクラブシーン」、非バンコク人との恋愛を「タイ人との(典型的な)恋愛」と紹介する日本人が多いのには、本当にびっくりする。バンコクをメインに活動している日本人たちが、どうして次々と非バンコク人化してしまうんだろう? それに、非バンコク人化することを、「タイ化」と表現するのも、ちょっとオカシイような気がする。 日頃から、タイに関わっている特定の日本人に対する評価を求められることも多いが、僕の回答はたいてい決まっている。 ―― それは、この人が田舎系だからです。表面上はそれっぽく取り繕っていますが、この人の言ってることを「 昼、友人の得意先回りと集金に同行(といっても車中待機)。午後5時半から、 | |
| 2008年1月 4日 | |
タイ式クラブシーン 2001 Returns? |
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「あの後ろにいるイモっぽいヤツら、ホントウにもう、なんとかならないかしら?」 午前3時16分、ラッチャダーピセーク6にある Pub and Restaurant バーリーの、ステージからもっとも離れている2階席で、本日付で退職する友人の同僚たち7人とハイボールを飲んでいた。すぐ後ろのテーブルにいる部屋着姿の女性客5人組が、タバコをふかしながら激しく踊っており、僕の背中にガンガンぶつかってくる。パッと見、20歳くらいか。 ―― いつの間に、2004年以前の旧 RCA Royal City Avenue で流行したヘボヘボダンスが復活したんだ? 激しいジェネレーションギャップを感じながらも、友人たちと「はーい、チーズ」なんて言いながら写真を撮っているうちに、ふと我に返った。 ラッチャダーピセーク6~8の一帯は、留学時代(~2006)から「 ソープ嬢といえば、留学中に興味深い話を聞いたことがある。そのときは、さすがに「日本人出張者ヤマダさん(仮名)のカノジョが言いました」とは書けなかったからスルーしたけど、時効(?)となったこの機会に、そのときの話をバンコク留学生日記のネタ帳(テキストファイル)を元に再現してみたい。 当時、ヤマダさんのカノジョ(?)ミンちゃん(20歳, 仮名)は、 「わたしの店、けっこう待遇いいのよ。正月や連休も、好きなだけ休ませてもらえるし、給料も良いし」 ―― それは良いじゃん!! でもさ、いきなりお金持ち(チップ込み月収約50,000バーツ)なんかになっちゃったら、ご両親、絶対におかしいって思うんじゃない? 「始めたばかりの頃、わたしも親にどう説明しようか真剣に悩んだわ。で、先輩が教えてくれたのよ」 ―― 何を? 「話の分かる客を見つけて、一緒に田舎へ行ってもらうの(ポセイドン客の日本人比率はおよそ8割)。そして、『バンコクのレストランで働いていたときに、この日本人にナンパされて一緒に暮らすことにした』と説明すれば万事オッケーよ。日本人と一緒になってビンボーになるなんて話、聞いたことないからすぐに信じてもらえるわ」 ―― (あまりにも狡猾すぎる。娘の幸福を願っている親の心理を悪用してウソをつくことに、何の罪の意識もないのか? それに、日本人のすべてが金持ちなわけじゃないし、ここバンコクには路上生活者寸前の日本人だってウヨウヨいるんだぞ)あはは、それは名案だね。どうせなら結婚しちゃえばいいじゃん? それで将来の安泰が約束されるんだし、ヤマダさんの死後も日本政府が支払ってくれる遺族年金でウハウハだよ。 「それはできないわ。だって、この人(ヤマダさん)がバンコクに滞在するのは年に数日だけで、今回もすぐに日本へ帰っちゃうし、わたしの素性を知っている人と結婚するのもちょっと・・・・・・」 ―― いいじゃん? 毎晩のようにプロの技を披露してあげれば、ヤマダさんもきっと大喜びだよ。あれって、超スゴいんでしょう? 「そうもいかないわ。普通の家に、あんな大きな浴槽あると思う? それに将来は、やっぱり『世間一般の女』として、それなりの相手を見つけて幸せな家庭を築きたいの」 ―― ふぅん、そういうもんなんだあ。 その時の話を思い出して、「 そうこうしているうちに、フワイクワーング署の警察官がステージの上にあがって宣言した。 「すでに法定営業時間を超ぎています。みなさん、もうお帰りください!!」 バンコク都内の一部では、今もなお旧 RCA Royal City Avenue で流行したヘボヘボダンスは健在だ。オンライン Pub でも、地方出身者が多い「フロア」では、民謡モーラムとヘボヘボダンスをよく見聞きする。 ―― こういう店、もう本当にやめようよ。ブラックなジョークよりもブラックだから。 | |
| 2008年1月 3日 | |
美容室61%引き? |
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「この割引券あげるから、髪の毛でも切ってらっしゃい」 午前10時半、 自分の順番は、タイ留学時代に使っていた旧式ケータイのゲームにもすっかり飽きた頃に回ってきた。友人から割引券をもらってから、すでに約2時間が経過していた。テキトーな散髪とブローで、料金は110バーツ(定価฿280×48%×15%)。 店から出るときに、割引券の束をドッサリもらった。 | |
| 2008年1月 2日 | |
せめてタイよりもイケてる国へ (タイ人とのベトナム旅行4) |
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「次は、もう少しマシな国、せめてタイよりもイケてる国へ行かない?」 ベトナムの首都ハノイは、それなりに整備されてはいるが、お世辞にも近代的な都市とは言えない。市場為替ベースの国民1人あたり GDP を見ても、日本(USD34,180)の約37分の1、タイ(USD3,137)の約3分の1と、あまり裕福ではない。ベトナムの大統領府は日本の公立学校の旧規格標準校舎そのものだし、近代的な建造物も市内に数えるほどしかない(それでもラオスよりかなりマシ)。それだけに、いつか近代的なビルが建設され、地下鉄も開通する日が来るかもしれない、と想像するだけでワクワクしてくる。 バンコクは外国人にとっても住みやすい近代化された都市だが、一方で国内には開発から取り残されている地域も多い。当然、タイ人は、開発が遅れている外国の成長を見守ろう、という日本人的な娯楽に何の意義も見いだしていない。 正午、 Vincom City Towers で昼食をとった。このビルは、ハノイ中心部でも珍しい近代的なビルで、ハノイ市内に2つしかない百貨店のうちのひとつが入っている。3階のレストランで、ウエイターに西洋料理(タイと同程度の値段)を注文して料理が来るのを待っていたが、すぐ隣の席で、あとからやってきたホワイトカラーの会社員たちが、店の隅にある食堂内屋台で調達した簡素な料理を今にも食べ終えようとしていた。 食後、市内中心部にある 午後9時、 今回のベトナム旅行は、東南アジア観光以外に、ベトナムが日系企業の進出に必要な各種要件をどれだけ備えているかを、自分の目で確認するためだった(タイを専門として生きていく以上、タイの競合国となりうる国は知っておきたい)。輸出の拠点とするのなら問題ないだろうが、ベトナム人の購買力に期待するのは難しいというのが結論。ベトナムにおける商業の中心地がホーチミンにあることをに差し引いて考えても、首都ハノイの小売業はあまりにも貧弱すぎる。正直、長期間滞在するにはあまりにも面白みがなく、もし自分が会社からベトナム駐在を命じられたら、その日の夕方には転職斡旋会社で適当な求人案件を紹介してもらわざるを得ない。 ノイバイ空港内には、「ショッピングしにバンコクへ行こう」という航空会社の広告が立っているが、国内で入手できないような贅沢品を欲しがっている富裕層にはそれなりの需要があるのかもしれない。 空港内の免税店に興味を示す観光客は皆無だった。ノック航空3209便は、午後10時半にノイバイ国際空港を発ち、午後10時25分にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。友人とは空港で分かれ、その足で | |
| 2008年1月 1日 | |||
まったり寝正月 (タイ人とのベトナム旅行3) |
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「ハピニウイー、ハピニウイーヤってこの曲、もう耳について離れないからイヤなんだけど」 きょう1月1日は、タイ語では 正午、 Nguyễn Thái Học 通りにある屋外レストラン Brother's Café で昼食をとった。ビュッフェ形式の店だが、西洋料理店とベトナム屋台料理店のテイストが絶妙に融合されていてとても良い。客の大半は日本人個人旅行者(+在住者)とタイ人ツアー客。 午後2時から15分程度ホーチミン廟とホーチミン博物館を見学。この2ヶ所は、ベトナムの社会科教育を受けてきた子供たちが喜びそうな作りになっている。午後3時から Thanh niên 通り沿いにある係留遊覧船コーヒー屋 Highlands Café のソファーに寝ころんで、タイ湖(東)とチュックバック湖(西)を眺めた。ベトナムに白鳥足こぎボートがあるのは意外だった(それも超たくさん)。夕方、鎮国寺を参拝してからチュックバック湖の畔を散策し、 Lý Thái Tổ 通りにあるイタリア料理店 Opera で夕食。西洋的なきめ細かなサービスには感心だけど、味の方はまあまあ。値段には見合わないかも。 ちなみに、タイのニューイヤーミュージックといえばこの2曲。
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| 2007年12月31日 | |
ハノイの道路が渡れれば 世界中の道路を横断できる (タイ人とのベトナム旅行2) |
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「確かに・・・・・・あれって大袈裟じゃなかったのね」 日本人的な感覚からすると、タイの交通事情ほど無茶苦茶なものはないが、ノック航空の機内誌(タイ語)には、「ハノイの道路が渡れれば、世界中の道路を横断できる」とあった。そのときは、旅行情報誌にありがちな誇大表現くらいにしか思わなかったが、いざハノイ市内の通りを渡ろうとすると、その意味をイヤというほど実感する。 主要な交差点なのに信号機すらなく、しかも二輪車が滝のように押し寄せて来てくる。せっかくチャンスを見つけて渡ろうとしても、車線を無視して猛スピードで接近してくる自動車が予想外の動きで行方を遮る。こんなところを渡るなんて、絶対にムリだ。 午後1時、 Thánh 通りにあるベトナム料理店 Seasons で昼食をとった。地球の歩き方のレストラン一覧で上位に大きく取り上げられているためか日本人客ばかりだったが(ベトナム人男性を連れている大柄な日本人女性観光客もいた)、味の方はまあまあ。ただそれだけといった印象で、友人のガイドブック(タイ語)ではベトナム料理店のひとつといった扱いにすぎなかった。午後2時、ショッピングモール Tràng Tiền Plaza で土産物を買い漁った。種類はさほど多くなく、物価もバンコクと同じくらいだが、それなりに土産物らしいものを調達するには勝手が良い。夕方、ガイドブックに載っている店に片っ端から電話して予約を入れようとしたが、どこも席が埋まっていたため、チュックバック湖の畔にある料理店で年越しのディナービュッフェを食べることにした。 ふたつの音楽を同時に聴くのは難しい。店内のスピーカーからはニューイヤーソング(2008年1月1日参照)が、客席のすぐ真上にある液晶テレビからはラップミュージックが同時に流されていたため、気分が悪くなってホテル Sofitel Plaza Hanoi へと引き返し、ベッドに横になった。リモコンでチャンネルを換えていると、中国中央电视台4チャンネルの歌番組(中国版紅白歌合戦)の華やかさに心を奪われた。日本の NHK や韓国の Arirang TV とも比較してみたが、今年の中国中央电视台4チャンネルは抜きん出て素晴らしかった。 「屋外の騒音を室内に持ち込むの、お願いだからやめてくれない?」 午後9時、ホテル Sofitel Plaza Hanoi 1801 号室で、撮りためたビデオを眺めていたら、友人が不快感をあらわにして言った。クルマの警笛は、ベトナムでは自分の存在をアピールして事故を防ぐために使われているが、タイでは不満や敵意をアピールするときに使われる。そんな(タイ人的には)一触即発の合図ともとれる音を何時間も聞かされれば、無茶苦茶な交通事情に慣らされているタイ人だってイライラする。 午前零時、ホテル20階の BAMBOO BAR からハノイのチープな夜景を眺め、カクテルとともに新年を迎えた。 | |
| 2007年12月30日 | |
ベトナム人の方がイケてるけど (タイ人とのベトナム旅行1) |
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「本日は、ノック航空3208便、ハノイ行きにご搭乗くださいまして、誠にありがとうございます。当機の機長はウィチャイ、客室乗務員はソムちゃん、オーンちゃん、パットちゃん、そしてわたくし客室サービス責任者のギフトちゃんです」 ノック航空は、タイパーニット管財(タイ商業銀行系)とラダーワン投資(王室財産庁系)が出資して2004年に設立された 今夜のベトナム行きチケットは、10月1日の予約開始とともに、友人がクレジットカード決済でオンライン予約しておいてくれた。費用はひとり3,172.67バーツで、内訳は航空運賃6バーツ, 燃油料1,500バーツ, 保険料400バーツ, 事務費300バーツ, 空港使用料1,166.67バーツ。ところが、当初予定していた午前10時15分発の DD3200 便が欠航(?)になったため DD3208 便に振り替えられ、その代わりに座席がエコノミーから Nok Plus にアップグレードされた。 はじめてのベトナム旅行に多少怖じ気づいていたが、このアナウンスのせいでいよいよ不安になった。友人に「この飛行機、本当に飛ぶのか!?」と聞くと、「さあね」との答え。成田バンコク間を結ぶ570人乗りの Boeing 747-400 が空飛ぶ貨客船なら、144人乗りの Boeing 737-400 はせいぜい空飛ぶ路線バスといったところか。 「さっき乗務員が『毛布はもってっていいけど枕は返して』と言って、これとこれ持ってきたんだけど、あの口の利き方、ふつうサービス業じゃあり得ないんだけど」 時間の経過とともに大きくなっていく僕たちの心配を余所に、ノック航空3208便は午後6時にスワンナプーム空港を離陸し、午後8時20分、ベトナム社会主義共和国首都の空の玄関口、ノイバイ国際空港に無事着陸した。 空港を出ると、発展途上国ならどこでも同じだが、タクシーの客引きが声をかけてきた。あわただしく誘導して、右も左も分からない観光客から冷静な判断力を奪い取り、値段交渉を有利に進めようとする、あれだ。結局、タクシー運転手はメーターの使用を頑なに拒み、相場12USドルのところ15USドルを請求してきた。 東アジア系の人々であれば、どうせ規則違反をするなら派手にやろうと考えそうなものだが、ベトナム人もタイ人と同じように「ささやかなボッタクリ」のためにルールを犯す人たちなんだろうか。 ハノイ市内の普通車タクシーは、どこかのホテルに所属しているようだ(軽自動車タクシーとなると、そうとも限らないらしい)。ホテル Sofitel Plaza Hanoi (1泊130ドル)にチェックイン後、ホテルのタクシーでホテル Fortuna へ向かった。ハノイ市内唯一のカジノを楽しむためだった。 ホテル Fortuna に、僕が大好きなブラックジャック台はなかった。静かなパチンコ屋といったカンジで、店内にスロットマシーンが数十台あるだけで、テーブルはバカラ台1つだけ。やむなくひとまわりして、すぐにホテルの外へ出た。 このままでは面白くないと思って、ドアマンにお勧めの観光名所を運転手に伝えてほしいと言ってからタクシーに乗り込むと、少し離れた夜店街でクルマから降ろされた。 「こうやって見ると、タイのオトコよりベトナムのオトコの方が美形の比率が圧倒的に高いような気がするんだけど・・・・・・、ちょっと難点あんのよねぇ」 週末の夜、 Hoàn Kiếm 湖と ĐÔNG XUÂN 市場を結ぶ約800mの道は、歩行者天国へと変わり、生活雑貨屋や軽食屋、土産物屋などの夜店が並ぶ。午後10時40分の気温はわずか13℃。ベトナム人の若者たちはダウンコートで寒さを凌いでいたが、友人はフェイクファー付きの薄手の上着しか用意しておらず、ガクガクと震えていた。 冬物の服は、夏服よりもオシャレがしやすい。そのことを差し引いて考えても、ベトナム人男性の容姿は(タイ人的な価値基準に照らし合わせた場合)全体的に水準が高い。顔だけのスナップ写真なら、半数はテレビ局主催オーディションの書類選考くらい通過できそう。ベトナム人女性の容姿も整っているが、それでも背の低さだけはどうしても気になる。 統計によると、ベトナム人男性の平均身長は163cm。タイ人男性の165cmと比べても大差ない。しかし、バンコクの平均身長は地方より6cm程度高いと言われており、バンコク在住の友人の目には、ベトナム人男性がタイ人男性より8cm程度低く映る。どう見たって身長が155cmあるとは思えないような「イケメン」たちがたくさんいるんだから、そりゃあ複雑な心境になるのも仕方ない。女性の平均身長も同様に低く、いわゆる「日本人タイフリーク」の一部に存在する幼児性愛者たちがこれを見たら、大喜びしてはしゃぎ回るかも。 一方、日本人男性の平均身長は170cm(20歳平均, 2005年)で、僕の身長は169cmだから、自分より背が高い人と低い人の割合は半々ぐらい。でも、ここでは僕より背の高い人が20人に1人いるかどうかといった感じで、まるで自分がバスケットボール選手並みの長身になったかのように思えた。 朝、ホテル The Siam City Suite で朝食をとってから、 | |
| 2007年9月 2日 | |
交通事故 その2 |
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「ほんの一週間前まで、自分のクルマは完璧だと信じて疑ったこともなかったけど、いまでは、エンジンはいつまた動かなくなるか分からないような状態だし、ドアの窓はすぐ落っこちてしまうし、車体も見てのとおりの惨状だし。いっそのこと Toyota Vios 、ローン(返済月額約10,000バーツ, 4年)で買っちゃおうかしら?」 午後2時すぎ、サンカターン寺からチャルームプラギアットウォーラハーン寺へと向かう道中、ノンタブリー市内で交通事故に遭った。時速30キロで見通しの悪い交差点へと進入した瞬間、4代目 Toyota Corolla (E70系, 1979-1987年製造, いくらタイでもここまで古いクルマはそうそうお目にかかれない)が交叉する街路から出てきて、友人のクルマ、7代目 Toyota Corolla (E100系, 1991-1995年製造)の左後方に突っ込んできた。 相手は家族連れの3人組だった。運転していたのは30歳前半の息子(公務員)で、助手席に母親(公立学校教諭)、20代後半の娘が後部座席に乗っていた。息子がクルマから降りて喧嘩腰でいろいろと捲し立ててきたが、僕が「起きてしまったことは仕方ない。公正かつ公平な手順を踏んで穏便に解決しよう」と促していたところ、「わたしは公立小学校の教諭よ。無茶をする気はないわ」と母親が割って入ってきた。 友人のクルマは自損事故特約付第3種自動車保険(年間掛金1万数千バーツ)に加入しており、2,000バーツ払えば元通りになる。ところが、友人は責任を一切認めようとしない。一方、強制保険にしか入っていな相手も、なんと自分のクルマの修理代くらいはか友人からぶん取ろうと鼻息荒くなっている。解決の目処が立たないまま、交渉は平行線をたどった。このままでは帰国の飛行機に間に合うかどうか。さしあたって、助手席の日除けに貼ってある「事故マニュアル」の指示どおり保険会社に連絡して、職員の到着を待った。 約20分後、110ccバイクに乗った保険会社の職員2人組が到着した。ひとりが書類に必要事項を記入しているあいだ、もうひとりが警察に現場検証を要請。さらに30分後、ノンタブリー警察の真新しい Toyota Hiace が到着。モンコン警察中尉は、感情的に話す事故当事者の話を適当に聞き流ながら、保険会社職員に対して詳細な状況説明を求め、そして「判決」を下した。 「この交差点では事故が頻繁に起きている。で、そのたびに私は同じ結論を下しているんだが・・・・・・今回もまったく同じだ。双方の過失責任は同等である。理由は2つ。ひとつは、交差点進入前に双方が一時停止して左右を確認していれば防げたはずの事故だから。もうひとつは、交差点手前に設置されている標識は郡が独自に設置したものであり、警察や交通法規とは一切無関係なため、どちらの道路が優先か甲乙つけがたいから。道路の幅はこの際、過失割合とは無関係だ。したがって、双方の過失割合は同等、すなわち五分五分である。それぞれ400バーツずつのの罰金を払って警察署で調書を作るのもいいが、結論はどうせ変わらないんだし、すでに現段階でかなりの出費が確定してるんだから、ここは示談にして互いの時間と費用を節約したほうがいいんじゃないか?」 友人は最後まで自分の責任を認めようとしなかったが、それでもなんとか説得して、それぞれ自分のクルマの修理費用は自分で負担する、ということで決着した。こんなつまらないことにこれ以上の時間を取られたら、今晩のお楽しみがなくなってしまう。 ――寺に行ったって事故は起こるんだから、行くだけ無意味なんじゃない? 午後5時すぎ、ホテル「バンヤントリー」へと向かうクルマのなかでそう言ったところ、友人は憮然としながら冒頭のようにコメントした。午後10時35分発タイ国際航空640便で成田空港へと向かった。 | |
| 2007年9月 1日 | |
「ラオスよりカンボジアのほうがラオス」 |
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「う~ん、カンボジアのほうがラオス」 夕方、パホンヨーティン30にある屋外型料理店「烏熱(オーユワ)」へと向かう車中、「カンボジアとラオスのどちらがよりラオスか?」と聞いたところ、友人はこう答えた。スラングの意味を知らなければ文意はまるで伝わらない。しかし、そのアベコベなところが可笑しくてならなかった。 タイ語の「ラオス」(ラーオと発音する)には2つの意味がある。① [固有名詞] タイの北方に隣接するラオス人民民主共和国の通称。② [形容詞・俗語] ラオスのように田舎くさくてイケてないありさま。昨日午前10時すぎ、カンボジアにあるポーイペート・カジノ街で朝食をとろうとしたところ、バンコク人が入れそうなレストランはどこも準備中で店を閉めていた。そのとき、空腹で苛立っていた友人が 日本国内のタイ人社会でタイ語の形容詞「ラーオ」を使うときには、慎重の上にも慎重を期さなければならない。元娼婦たちのコミュニティーについてはいざ知らず、日本国内のまともなタイ人のコミュニティーはとても規模が小さいため、民族的・言語的に近いラオス人をコミュニティーに加えていることも珍しくない。パッと見では、タイ人とラオス人の違いは判別できないため、「タイ語話者はすべてタイ人」という前提で話してしまうと、潜在的な民族対立の火種が漫然と燻っているところに油を注いでしまいかねない。 タイ国内の日本人社会には、タイ人すら「いらない」と言っている娼婦をゲットしただけで得意げに自慢している間抜けな自称プレイボーイや、平均的タイ人程度の知識すらなくタイ語の情報にもアクセスできない間抜けな自称タイ専門家がたぁくさんいる。しかも、タイ在住年数に比例して勘違いの度がますます激しくなるからマジでキモい。まともな青春時代を送っていれば、普通あそこまで女性に拘泥することはないはず。まともな情報収集力があれば、情報の質くらいは自分自身で判断できるはず。僕にとって、一部の勘違い日本人たちは平均的タイ人の水準にも劣るという意味で「ラーオ」そのものだが、彼らがその変態的な嗜好と経済的な理由から将来的にカンボジアへの移住を余儀なくされることを考えれば、今のうちから新語「カメーン」(クメール)を提唱して周知徹底を図るために使いまくっておくべきかも(なぁ~んちって)。詳しくは、シリーズ「微笑みの国タイと厳しい現実」(全31回)をご覧ください。 午後11時15分、ホテル Bangkok City Suite をチェックアウト。 MBK マーブンクローングセンター前で友人と分かれ、1階の美容室 Hair Great で髪の毛を切った(400バーツ)。この界隈にある美容室は、どこも技術力が値段に見合っておらず、どうも好きになれない。その後、スラウォング通りにあるマッサージ屋 King's Body Massage (2時間330バーツ)へ行き、高架電車 BTS ラーチャテーウィー駅前で友人と合流。パホンヨーティン30の屋外型料理店「烏熱(オーユワ)」で友人たち5人と夕食をとり、「スッコーサモーソーン」で別の友人3人と午前零時まで飲み続けた。ホテル The Twin Towers の Executive-Room 3510号室(タイ人向け割引料金2,500バーツ)に泊まった。 | |












私は会社を辞めてタイの首都バンコクへと渡り、ヂュラーロンゴーン大学文学部で全課程1年間の「外国人のためのタイ語集中特訓講座」(インテンシブタイ)を修了しました。その後、米国での半年間の語学留学を経て、ヂュラーロンゴーン大学大学院東南アジア研究科の修士課程を修了し、現在は日本国内の民間企業で働いています。