2010年5月24日(月)

この記事は、タイの政情について解説するように指示されることが増えてきたため、自分の考えをまとめようと思い書いたものです。私と同じような立場の方々のお役立てればと思い、ブログに掲載いたしました。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2010/20100524.jpg" width="300" height="169" align="right" />“ถ้าพวกคุณยึดอำนาจ พวกผมเผาทั่วประเทศ เผาไปเลยพี่น้อง ผมรับผิดชอบเอง แล้วใครจะจับใครจะอะไรมาเอากับผมนี่ ถ้าคุณยึดอำนาจ เผา”
「もしあなたたちが権力を収奪したら、わたしたちは国中に火をかける。同志たちよ、燃やしてしまえ! 責任は私がとる。逮捕しようしたり危害を加えようとする者がいるなら、このわたしのところまで来るがいい。もし権力を収奪したら燃やす!」

これは2010年1月にヂャンタブリー県カオソーイダーオで行われた反政府市民集会におけるナッタウット・サイグアの発言である。ナッタウットは、クーデターで失脚したタックスィン・チンナワット元首相(2001-2006)の妹の夫で、ソムチャーイ・ウォングサワット内閣(タックスィン派, 2008年)では首相府報道官を務めた。人民力党が選挙違反で非合法化され与野党が逆転すると、反政府派の赤服=国家反独裁民主共同戦線(UDD: National United Front of Democracy Ageinst Dictatorship)の事務局長として反政府集会を組織・主導した。

今回の政情不安に対する私の理解はつぎの通り。

「タイの国王は、大多数の国民からの熱狂的な支持を背景に、立憲君主としては他に類を見ない強力な政治的影響力を持っています。しかし82歳と高齢なうえ、現在入退院を繰り返しており、万一のことがあれば王位継承問題で大混乱に陥り、現在の社会体制が根底から覆るかもしれません。今回の騒動は、それを見越した有力者達による前哨戦の一部なのです。タイの近代史とは有力者同士による権力闘争の歴史であり、今回も王室(サイアムセメントやサイアム商銀)を頂点とする旧財閥と、タックスィン元首相(AISなど電気通信事業会社)を頂点とする新興財閥による権力をめぐる攻防にすぎません。一部メディアがタックスィン元首相をあたかも社会民主主義の代弁者であったかのように褒め称え、今回の政情不安を農村部の貧しい人々による民主化運動と伝えているので錯覚してしまいがちですが、タックスィン政権はむしろ権力の独占と民主主義の抑圧を図った開発独裁の典型でした。その後、タックスィン元首相は旧財閥派による2006年のクーデターで失脚しましたが、主要な支持母体として貧民協会(サマッチャーコンヂョン)を抱え、ヒトラー顔負けの巧みな大衆扇動によって貧困層からの絶大な支持を確立していたため、現在でも国家反独裁民主共同戦線を標榜する市民団体の象徴的地位にあります。はてさて、その市民団体が本当に目指しているものは何でしょう? 言うまでもなく、それは社会民主主義の実現なんかではなく、開発独裁の復活による旧財閥の徹底排除と新興財閥による利権の私物化に他なりません。この争乱はもう、新興財閥が衰退して、財閥と呼べなくなるまで続きそうです」

莫大な経済力を背景に貧農を雇い入れて反政府「市民」集会を組織し、テロを使唆する反社会的な言動を公然と行い、独裁政権を復活させるために都市機能を麻痺させた国家反独裁民主共同戦線を支持する理由がどこにあるだろうか。

5月16日にタックスィン派の個人と企業106の銀行口座が凍結されたことから、今後タイの政情不安は沈静化に向かうかもしれない。

2009年12月31日(木)

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午後6時45分、サムットプラーガーン県 (サムットプラカン県)北サムローング郡の大型ショッピングモール Imperial World Samrong に到着。友人との待ち合わせ時刻まで店内をくまなく見て回ったが、品揃えが庶民的なのはともかく、客層が思いっきり田舎臭くて、これでもかというほど不細工揃いなのには心底驚いた。まるで「逆オーディション」会場のようで、標準レベルの女性を見つけのも難しい(ってゆうかホントにひとりもいない)。

「バスで居眠りをしていてふと気がついたときに『もしかして乗り過ごしてしまったか!?』と不安になることってよくあると思うけど、車内に美人がいなくなったらサムローングだから、『まだ美人が残っているから大丈夫』とみんな口を揃えて言っているよ」

午後7時半、地階 Chester’s Grill 前で友人と合流して Imperial World Samrong の感想について話すと、そんな興味深い話を聞いた。この一帯が日系製造業も多く進出しているタイ有数の工業地帯で、地方から出稼ぎに来ている工場労働者も多いことを考えれば、それも頷ける話だ。

午後8時、スィーナカリン通りにある屋外カラオケ料理店「バーンスワン食堂 The Garden」で夕食。酒を飲みタイ語曲を歌いながらビーチリゾート「パッタヤー (パタヤ)」で新年を迎えることを計画したが、クルマで迎えに来る予定だった友人の友人がバックレたため、近場のクラブへ移動。

午後10時、テーパーラック通りにあるクラブ Itchy に入店。工場労働者が多いことで知られる Street of Hoolywood を避け、できるだけ都会風の若者たちが多い店を選んだつもりだが、やはりバンコク中心部ほどの気品はないし、オシャレにも金をかけていない様子。

午後11時50分頃になると客席に向かってステージからクラッカーが投げられ、カウントダウンがゼロになると同時にそのクラッカーを一斉に鳴らした。その後、前後左右のグループと乾杯をしながら過ごし、翌1月1日午前4時 20分に店を出た。

2009年12月30日(水)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20091230.jpg" width="300" height="169" align="right" />午前10時10分、セントラル百貨店ピングラーオ店に到着。開店時間の午前11時まで友人に電話して時間をつぶす。11時10分、4 階印刷屋できのう友人から借りた「タイ国王暗殺事件」(レイン・クルーガー, 1974年)の複製を依頼。11時20分、美容室 Hair Now でストレートパーマをかける。

午後4時半、メジャー・ラチャヨーティンで友人と会い、タイ映画「12月32日」を鑑賞。あらすじはつぎのとおり。

■ あらすじ

ノートはサッカーの試合中、頭をゴールポストにぶつけて頭蓋骨を骨折し、「何か重要なこと」を忘れてしまう。脳の後遺症を検査するため、恋人のヌン、義妹のメー、メーの婚約者のヌム(ノートの先輩?)とともに病院へ行き、身近な人が世話をすれば早く思い出せると医者からアドバイスを受ける。

ヂョーは子供のころにウンコを漏らしたトラウマから友人や同僚の前で異常な発作を起こし病院に来ていた。診察待カードの6と9が似ているためノートと同時に診察室に入り、すぐ隣で困り果てているノートを助けようと決意する。その過程で、ノートの携帯電話からたくさんの女性の写真を見つけ、なかでも一際美しい女性アムがノートが思い出そうとしている女性に違いないとあたりをつけ、ノート、ヂョー、メーの3人でチアングマイへ向かった。

メーがヌムとの婚約式を挙げる12月31日、ノートはバンコクでヂョーと酒を飲んでいて、自分メーが好きであること気づき婚約式会場へと向かう。ところが、飲酒運転で警察に逮捕されてしまい思いを伝えられなかった。翌1月1日にはメーがドイツへ留学に行く予定になっていたが・・・・・・

■ 感想

この作品は、波乱のない穏やかな雰囲気の中にふんだんに織り込まれているコントがポイント。バンコク的なお笑いのため、タイ東北部的な下品さにウンザリさせられることもない。セープサニットのような作品が好きなら、きっと気に入ってもらえるだろう。

しかし、サイドストーリが掘り下げられすぎているせいで、少し気を抜いくとすぐにメインのストーリーがどうなっているのか分からなくなる。それに、舞台をわざわざチアングマイへ移す必要があったのかも疑問。旅行中のメーの奇行や喜怒哀楽が強調されすぎており、主人公のノートやアムが完全に脇役の扱いとなってしまっている。

社会的主張がまるでないから、難しいことを考えずに楽しみたい人にはおススメ。でも、まじめにレビュー記事を書く気分にはなれない。

2009年12月29日(火)

午前8時半、苏州玄妙索菲特大酒店をチェックアウト。上海人同僚は、中国東方航空オフィスで僕の浦東空港行きバスの乗車券(84元)を手配して、別の日本人同僚と中国版新幹線「和諧号」で上海へ戻るために蘇州駅へ向かった。バスが出発する前、ひとりでコンビニへ朝食を買いに行ったところ、弁当をレンジで温める費用を請求されているのが分からず苦労した。午前8時50分発のバスに乗車。午前9時 20分、蘇州工業団地停車。午前11時15分、上海虹桥国际机场停車。正午前に浦東空港に到着し、午後1時50分の便でバンコクへと向かった。

午後5時15分、バンコク・スワンナプーム国際空港に到着。入国審査場へと歩きながら、友人たちに電話をして今晩の予定を確定。中国入国のときと同じ要領で、列に並ぶことなく入国審査を済ませ、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Suite にチェックイン。

午後8時、サヤームパラゴンで友人たちと待ち合わせ MK Gold で夕食をとる。午後10時にスラウォング通りの King’s Body House でマッサージ(330バーツ)。午前零時、マハートレックルワング3にある友人の部屋にお邪魔した。

2009年12月28日(月)

午前10時16分、中国版新幹線「和諧号」(上海発南京行, 2等車, 26元)で、上海出身の中国人同僚と江蘇省蘇州市へ向かった。車内にいる地方出身者の田舎臭さと座席の狭さは気になるが、日本の整備新幹線と比べてもそれほど見劣りしない。最高時速およそ230キロで、上海 – 蘇州間をちょうど40分で結ぶ。

午前11時10分頃、苏州站前の路上でタクシー待ちをしていたところ、テレビ局の記者に声をかけられた。カメラは蘇州駅方面へ逃走していく母子を追っている。インタビューの内容は「子供を使って物乞いをしている母親をどう思うか?」というものだったが、上海人同僚は回答を拒否。結局タクシーは捕まらず、近くに駐まっていた3輪自転車タクシー(20元)で干将东路にある苏州玄妙索菲特大酒店 (ソフィテル蘇州)(500元)へ移動した。

12時すぎ、客室で蘇州出身の中国人同僚たちと合流し、阊胥路まで徒歩で移動。蘇州を代表する高級中国料理店「松鹤楼」で、蘇州の工業団地で現地採用をしていたことのある日本人同僚が「ようこそ蘇州へ!」と歓迎してくれた。なかなか美味しかった(蘇州人同僚が全額出してくれたが、かなりの出費だったはず)。

松鶴楼前から三輪自転車タクシーで世界遺産「拙政园」へ移動。拙政园は、明代の正徳~嘉靖年間(16世紀初頭)に官僚の王献臣によって造られた蘇州四大名園のひとつ。その後、日本人同僚お気に入りの东北街步行街を歩いて世界遺産「耦园」へと向かった。市民の交通は電動の原付がほとんどだが、ガソリンで走る原付と違って音を立てずに接近してくるため危険極まりない。耦园の狭い通路を歩いていると、中国語ツアーガイドが遠くからこちらを指差し、拡声器を使って「あの道を歩くとふたりは将来幸せになるという伝承があります」と解説するものだから、かなり気まずい雰囲気になった。

午後6時半、蘇州工業地区のニュータウンにあるレストランで夕食(4人で400元)をとった。耦园の周辺は絶望的に貧しい町並みだったが、ニュータウンには近代的なマンション群が立ち並び、大規模なショッピングセンターまである。蘇州人同僚によると、それでも「蘇州で高級なマンションの値段は、せいぜい上海の安いマンションと同じぐらい」という。500万円ぐらいだろうか。

2009年12月27日(日)

午前10時頃、ホテル「上海索菲特海仑宾馆」前の九江路から中国人同僚とタクシーに乗り、明代の庭園で世界遺産の「豫園 (ユーユアン)」へ移動。ここでも上海万博前の大改修が行われており、せっかくの風情も台無しになっている。雨脚が激しくなってきたため豫園見物を後回しにして小籠包で有名な「南翔饅頭店」へと入ったが、ここも改装中で3階の一部分だけで細々と営業を続けていたため、階段には長蛇の列ができていた。

食後、店を出ると、雨は吹雪へと変わっていた。あまりの寒さのため屋外型の観光をすべてキャンセルして、改革開放(1988年)と同時に造成された浦東側の新市街へ移動。そのときに作られた金茂大厦(ジンマオタワー)と昨年末に完成したばかりの 上海环球金融中心(シャンハイホァンチゥジンロンヂョンシン)の飲食店街を見て回り、中国人同僚の兄が指定した中国料理店で店のマネージャーから金茂大厦展望台の入場券(88元)を無料で譲ってもらった。

ところが金茂大厦88階にある展望台は厚い雲に覆われており、景色を楽しむどころか、东泰路を挟んですぐ反対側にある上海环球金融中心ですらうっすらとしか見えない有様。日没後、ようやく雪が止み、雲も晴れた。

午後6時すぎ、正大広場ビル10階の中国料理店「俏江南」で夕食。昨晩の新天地支店同様、この店の上級社員を務めている中国人同僚の兄の指示で、僕たちの席には伝票が回ってこなかった。

黄浦江沿いの滨江公園で、零下1度の寒空の下、物売りや物乞いを追い払いながから外灘の夜景を眺め、 Starbucks Coffee で「今週の珈琲」を飲んだ。

2009年12月26日(土)

今年は台北とグアムへも行きましたが、タイ旅行と連続していないため割愛しております。

机场5号线(空港5 番)に乗りまして、人民广场 (人民広場)に着きましたら電話してください。私もこれから家を出ますので、たぶん同じぐらいの時間に人民广场に着くよ」

正午すぎ、浦东国际机场( 浦東国際空港)に到着。今回は APEC 商用渡航カードを使い、優先窓口(特別通道)で入国審査を受けた。このカードは、年間の貿易額がそれなりにある会社・団体に所属する、犯罪履歴(前科)のない日本国民であれば誰でも入手できる。有効期限は3年間。商用資格でアジア太平洋地域18の国と地域に入国できる。申請手数料は14,100円とやや値が張るが、旅費交通費として経費処理できる。

きょうの上海市の気温は1度。空港到着階出口の真正面に、机场巴士5号线(上海火車駅行, 15分おきに運行, 20元)のりばがある。念のため、バスに乗り込む中国人女性ふたり組に声をかけて行き先を確認。中国人同僚から教わったとおり「这个巴士去人民广场吗?」と訊いてみるが、流暢な日本語で「ええ。このバスは人民広場へ行くと思いますよ」という返事が返ってきて驚いた。

約1時間後、バスの最前列に座っている車掌が「○※△□人民广场◇」と大声を上げた。さっきの中国人女性ふたり組がすぐに「人民広場に着きましたよ」と教えてくれる。車外では、上海市閘北区にある実家へ一足早く帰郷していた中国人の同僚がものすごく大きな声で僕の名前を連呼。さすがにこれだけのアシストがあれば乗り過ごしようがない。

上海の共通交通カードを人民广场方面へと向かうタクシー(初乗12元)の車内で中国人同僚から受け取り、 上海索菲特海仑宾馆(ハイルンビングアン)(ソフィテル・ハイランド上海, 1泊11,000円)にチェックイン。昼食をとるため、ホテル裏手にある上海有数の繁華街「南京路歩行街」へと出た。

午後2時半、昨年開業したばかりの353广场7階で昼食(38元)。美人キャンペーンガールがイベントステージで歌っている猛烈に下手な中国語カラオケを聴きながら、味気ない鶏肉料理(名称不明)を食べた。本場の中国料理は日本人の口に合わないというが、味気ないのではもうどうしようもない。

午後3時50分、地下鉄1号線人民广场站(3元)に到着。プラットホームに列車が進入してくると、ドアの前に電車待ちの乗客たちが一斉に群がり、オフェンスのフォーメーションを完成させ、車両から降りる人々の進路は完全に塞がれた。

「日本にいるような感覚で馬鹿正直に並んで立ったら、いつになっても乗れないよ。ほらっ、ちゃんとついてきて!」

乗車客と乗降客の鬩ぎ合いは、その後約40秒間続いた。「この車両に乗っている人たちの95% が乡下人(シャオニ) ですよ。見れば一発で分かります」とのこと。地方出身者に対する上海人の優越意識は有名で、今回の非文明的乗車スタイルもすべて乡下人(地方出身者)たちのせいとされた。

午後4時、黄陂南路站で下車。戦前の上海共同租界「外灘(ワイタン)」を散策。現在、上海万博(2010年5月~10月)にともなう大規模な修繕工事が行われており、外灘の歴史的建造物の一部が閉鎖。黄浦江沿いの遊歩道にも工事壁が設けられており、浦東側の近代的なビル群は眺められなかった。なかなか便利で良さそうな街だが、中国人同僚によると「観光にはいいけど、生活には向かない」という。

外灘界隈で中国联合通讯のプリペイド SIM Card (60元, 通話料50元込)を購入。しかし、上海にいるあいだは蘇州いる同僚たちと連絡が取れなかった。あとで知ったことだが、上海市外の携帯電話にかけるときには電話番号の前に0を押さなければならないという。通話料は1分あたり0.21元。

午後5時半、新天地にある中国料理屋「俏江南(チャオジャンナン)蒸菜餐厅」で夕食。中国勤務経験のある日本人同僚によると、俏江南は接待などで使われる有名店で、この店を知らない上海在住日本人は「社会人的モグリ」という。中国人同僚の兄がこの店の上級社員をしているためタダでご馳走になった。

午後8時、郊外の偽物腕時計店で PANERAI の LUMINOR MARINA を買おうとしたところ、なんと5,500元(現地相場の約11倍)と吹っ掛けられた。なんで原産国まで来て、タイ・パットポング通り(パッポン通り)の屋台で3,000バーツで買えるものに 25,000バーツも払わなければいけないのか。中国人同僚の兄に価格交渉をお願いして、500元まで負けさせた。中国人同僚によると、「相手の言い値は、中国ではまったく参考にならない。完全に無視して、指値で交渉すべき」という。吹っかけてきてもせいぜい2~3倍のバンコクの「詐欺師」たちが可愛らしく思えてくる。

午後9時、マッサージ店「敦煌」で全身マッサージ(60分, 95元)。中国人同僚の兄に全額出してもらったため不満は言えなかったが、正直、あまり上手くない。午後11時、貴州路で下ろしてもらい、南京东路を数百メートル離れたホテル海仑宾馆へ向かって歩いていたところ、売春婦売りの男に3回も声をかけられた。売春婦売りによると「セックス300元」とか。その話を中国人同僚にしたところ、「危険なので絶対に買わないでください」とアドバイスを受けた。上海関連の日本語ウェブサイトも同様の警告を発している。

2009年8月15日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20090815.jpg" width="300" height="125" align="right" />午後4時半、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)で、タイ屈指の公開会社(現地法人の得意先)幹部の子息たちと待ち合わせ、日本料理店「大戸屋」サヤームスクウェア店(タイ料理店「スィーファー」跡地)で夕食。午後6時20分、高級百貨店サヤームパラゴン6階の映画館で「ヂーヂャーのコワ可愛いドゥー」 จีจ้า ดื้อสวยดุ(ヂーヂャー・ドゥースワイドゥ) を鑑賞した。あらすじはつぎのとおり。

ドゥー(ヂーヂャー=ヤーニン・ウィサミッタナン)は、これまで愛と無縁な人生を歩んできた。父に死なれ、母に捨てられ、カレシはいま目の前で浮気の真っ最中。演奏が終わるや否やドラムのスティックを放り投げて殴りかかるが、騒動の責任を問われてパブ(クラブ)バンドから解雇される。

翌日、自棄酒を飲みながら街中をフラついていたところ、突然ローンコーン(ルングタワン, アジア太平洋女子ボディービルダー選手権優勝)の刺客たちに拐われそうになる。特別なフェロモンを持つ美女たちを拐って監禁し、その涙から特別な効果がある香水を精製している一味だ。ぎりぎりのところで、拐われた恋人パーイを取り戻すべくチャンスを窺っていたサニム(カズ=パトリック・タン, WKA チャンピオン)に助け出される。

サニムのアジトで、ローンコーンへの復讐心に燃えるキームー(ムイ=セーンデーング, Battle of the Year 2004 銅メダル)、キーマー(ヘース=ソンポング・ルートウィモンガセーム, 北部 B-Boy 3期連続優勝・全国 B-Boy 4期連続5位入賞)の兄弟から「酔拳の奥義」を伝授され、自分の身を守る戦いのなかで「真の愛」を知る。

タイのアクション映画としては、パノム・イーラム主演のオングバーク(マッハ!!!!!!!!)(2003年)、トムヤムグング(トム・ヤム・クン!)(2005年)、オングバーク2(2008年)などが有名だが、ここで本作品をそれらと比較して云々するのはやめておきたい。

タイ映画は映画館に行かずともキャストを眺めるだけでおおよそのストーリーが想像できる。ヂーヂャー=ヤーニン・ウィサミッタナンは、日本のヤクザとタイのマフィアの闘争を描いたアクション映画「チョコレート」(2008年)の主人公、セン。その仲間たちも現役の格闘家たちとくれば・・・・・・セリフがほとんどない格闘ゲームのようなストーリーと相場は決まっている。

ただ、恋愛映画「夢・恋・恥・吻(ファン・ワーン・アーイ・ヂュープ)」(2008年)のラーセーン・リムトラグーンがこの作品の監督を務めているのは意外。アクション映画に恋愛の要素を入れることの必要性にようやく配給元が気づいたのか。でも、なぜ誘拐された美女たちを警察に任せず自分たちで救い出さなければならないのか、なぜ日本の時代劇のように敵がただヤられるためだけに接近してくるのか、なぜドゥーがあんなに歳の離れているサニムに靡くのか、など設定に違和感が残りいまいち感情移入できない。

ヂーヂャー=ヤーニン・ウィサミッタナン主演の映画はいずれもビミョーな評価を受けているが、タイ・アクション映画の発展とともに能力を発揮する機会に恵まれることを期待したい。

2009年8月14日(金)

ランパーング郡。人口23万人、人口密度295人(過疎)。タイ北部ランパーング県(ランパーン県)の県庁があり、馬車の街として知られている。アユッタヤー時代(アユタヤ時代)(1351-1767)にはケーラーングナコーンと呼ばれ、ラーンナー王国(ランナー王国)チアングマイ(チェンマイ))に帰属していた。ラーンナーが約200年間にわたってタウングー朝(ミャンマー(ビルマ))の支配を受けたことから、郡内の歴史的建築物にはミャンマー文化の影響が色濃く残っている。

タイ北部全域は、タイ政府投資奨励委員会事務局(BOI)が第三種投資奨励地域(ゾーン3)(外資系企業の機械輸入関税や法人税等を減免)に指定しているほどの未開発地帯で農業以外にろくな産業がない。近代的な生活に憧れる「今どき」の少年少女たちはバンコクを目指すが、住民の教育水準も低いため、出自や学歴が偏重されるタイの階級社会では近代的な生活どころか生きていくために必要な収入すら得られない。ところが、この地方の出身者はタイ人男性が好む「色白で中国人的」な容姿をしているため売春婦としての需要は大きく、生きていくため、そして都会で近代的な暮らしを手に入れる夢を叶えるために売春婦へと身を落とす少女たちも少なくない。

そして今ここに、その典型となりそうな少女がいる。

「今夜のバスで上京(ขึ้นกรุงเทพฯ(クングルングテープ))するから、午前4時にモーチットのバスターミナルまで迎えに来てね! 満席だったけど、泣きわめいてゴネてみたら乗せてもらえることになったから」

―― で、バンコクに来て、それからどうすんのさ? 仕事は? 住まいは?

「そのための兄貴じゃない? わたし、家事も料理もできるから任せてよね。ホントはヂェーングワッタナ通り(チェンワタナ通り)(バンコク北部サーイマイ区)の親戚を頼ることにしてて、でもやっぱり迷惑かけんのもヤだなぁー思ってたとこだったけど、これにて一件落着、一生安泰。もう思い煩うことなんて何もないわ!」

マミアオちゃん(仮名)は今春ケーラーングナコーン中等学校(ランパーング郡ボーエーオ)を卒業したばかりの18歳。農地と水牛だらけの山間部から上京し、グローバル化著しいバンコクでの自立した生活を夢見ている。ところがバンコクで「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためには毎月最低でも5,500バーツは必要とされており、正規労働者でも6,500バーツ(首相府統計局, 2002年)しかもらえないようなタイ人高卒労働者が近代的な生活を送ろうなんて夢のまた夢。最悪、線路脇の掘っ立て小屋(家賃900バーツ)で玉子焼き丼(15バーツ)ばかりの生活を強いられる可能性だってある。

―― ムリだって。そもそも僕がバンコクにいつ戻って来られるかも分からないんだよ? それまでは自分の力で生きていかなきゃ。それに、カネ、カネっていうのはイヤだけど、でもやっぱり最低限のお金はないと人間、死んじゃうんだよ?

「大丈夫だって。そのときは適当なサポーター(อุปการะ(ウッパガーラ))見つけて何とかしてもらうから。近所のゴップ姉さんなんて、白人からオカネたくさんもらっておっきい家まで建てたんだよ?」

日本は1960年以降、所得倍増計画(1960年)、中期経済計画(1965年)、経済社会発展計画(1967年)を相次いで達成し、毎年9%前後の驚異的な経済成長を遂げた。東南アジア諸国との経済格差が拡大し、1983年頃になると東南アジア出身の女性たちが日本に殺到し「ジャパゆきさん」(死語)という言葉も生まれた。一方、タイの農村部では貧困家庭がつぎつぎと豪邸を建設し、「日本で半年も働けば国へ帰って家が建てられる」といった噂が一気に広がった。しかし敬虔な仏教徒が大半を占めるタイで両親を地獄に落とすともいわれる親不孝「売春」という背教行為を告白できるわけもなく、そのカネの出所について語られることはついになかった。地方の農村部では今でもこのような伝承を信じている人がいる。

―― サポーターって、つまり援交オヤジのことでしょ? そのオヤジたち、何の見返りもなしにカネくれるって思ってる? それにさ、初体験が援交なんて死ぬまで一生後悔するよ?

「そのために今晩こんなに急いでバンコクへ行くんじゃないの? でもやっぱり初めてって痛いのかなあ?」

―― そういう問題じゃないだろう!? ここまで浮気に神経質なのに、売春とかできんの?

「だって売春なんかしないもん。一緒にお話ししたりしてオカネもらうだけだもん」

―― ふぅん、じゃあきっとそのゴップ姉さんも西洋人とお話ししてただけで家まで建ててもらえたんだね? 世の中のオッサンたちは、そんなことのために人ひとりが一ヶ月生活していけるだけのオカネを恵んでくれるんだぁ。

「もしヤバそうだったら、お酒にクスリ入れて『酔っぱらってたときに一発やったの忘れたの?』って言うから大丈夫よ。それがムリなら、最初から寝ている隙をみてオカネだけ頂戴してくればいいんだし」

―― それ、睡眠薬強盗ってゆう犯罪だよ? 売春婦に堕ちるのも、犯罪者に堕ちるのも、あまり明るい未来のようには思えないけど。もうちょっとマシな選択肢はないの?

「そんなの買春しようなんて考えるキモいオッサンの自業自得だよぉ。あとは・・・・・・ヂェーングワッタナ通りにある親戚のマッサージ屋のお手伝いかなあ?」

―― お給料は?

「お手伝いだから4,000バーツもらえるかどうかも微妙」

―― 客層は?

「西洋人もいるけど、台湾人や韓国人も多いみたい」

マミアオちゃんには現在、3つの選択肢がある。そのなかで最もオススメするのは工場労働者になるという選択。ここでは便宜的に選択肢1と呼ぶ。都会的かつ近代的な生活を送るのには心許ないが、それでも雇用はそこそこ安定しているし一応の福利厚生だってある。タイ人全体の学歴が底上げされ、デパートの店員でも高専卒程度の学歴が求められているなか、これが彼女にとってのベスト進路となる。選択肢2は若さとその美貌を最大限に生かして、優柔不断でカネを持っているオトコをゲットするという選択。自立した生活とは言えないが、とりあえず近代的な生活は担保できる。でも選択肢2はかなりの確率で失敗するから、第3の選択肢も視野に入れておく必要がある。すなわち、売春婦として日銭を稼ぎオトコのストックを増やしながら、選択肢2への復帰を目指すという選択肢である。しかし、売春婦としてオトコのストックを増やしても、ストックの質がヒドすぎてまったく使い物にならないうえ、いろいろな意味で再起不能に陥るのが常である。

僕は無力だ。マミアオちゃんを救ってあげられるだけの力もない。そもそも日本人の体をなしていないにも関わらず図々しくもエスノセントリズム(日本民族優越主義)を撒き散らして日本人全体の利益を甚だしく棄損しているバンコク在住の日本語話者たちを5年間かけてもまだ改心させられていない。せいぜい見せしめとすることで道を踏み外してしまう日本人(フルスペック日本人)のこれ以上の増加に歯止めをかけるのが精一杯だ。

午後1時半、シネコン The Esplanade(エスプラネード) の珈琲屋 Starbucks(スターバックス) で友人と会う。差し出された名刺を見て、まともなオフィスで働いていることに驚く。部屋に戻り、ランパーング県の友人と長話をする。

2009年8月13日(木)

正午、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Suite(バンコクシティースイート) をチェックアウト。スクンウィット15(スクンビット15)にあるホテル Royal President(ロイヤルプレジデント) へと移り、近くの美容室で洗髪。午後2時半、サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)1階の Häagen-Dazs(ハーゲンダッツ) で手土産のアイスを買い現地法人へ。懸案となっていた商材について話し合う。午後4時半、バンコクバザール通り(Big-C ラーチャダムリ本店(ラチャダムリ本店)裏)の徐富診療所(Dr. Feet)で友人と足裏マッサージを受ける。午後6時、スクンウィット13(スクンビット13)のホテル Grand President(グランドプレジデント) で仕入先の出張者たちを出迎え、 ラングスワン通り(ランスアン通り)の中華料理屋「養生堂 ー 科挙主席合格者のレシピ」でタイ法人出向中の上役たちと合流、夕食をとる。

午後9時半、タニヤ通りのカラオケスナックとナーナー(ナナ)Go Go Bar(ゴーゴーバー) で仕入先の営業担当者に奢ってもらう。先日来、書類上の重大な誤謬を相次いで見つけ、困難を未然に防いできた貸しを返してもらうためだ。薄暗いソファー席で売春婦に抱きつかれご満悦な仕入先の技師を眺めていると、留学時代にタイ人クラスメイトが話していた言葉を思い出す。曰く、タイ人女性が相手にしないビーチボーイは日本人女性、タイ人男性が相手にしない売春婦は日本人男性が引き取ってくれ、おかげで街中のゴミがキレイになって助かっている、とのこと。まあ、出張者がタイ人社会について詳しく知っている必要もないからむしろ火を煽って楽しんでいたが、それでももし売春婦にハマってしまう兆候が少しでも見られたら止めに入るつもりだった。さすがに取引先の技師を精神病院送りにさせてしまうわけにはいかない。

タイでは、標準的な日本人スペックを満たしていない日本語話者たちが、タイ人の階級社会において「人」として待遇されているのかどうかも怪しい売春婦たちを血眼になって収集し、それを日本語で自慢し合っている。

それにしても、赤痢やチフスはとっくの昔に根絶されたというのに、有料恋愛サービスに勝手な妄想を抱いて自分のサービス利用状況を自慢し合う間抜けたちが未だ根絶されないのはなぜなんだろう? しかも、そんな間抜けにかぎってエスノセントリズム(排他的日本民族優越主義)を振りかざして自己の正当化を図ろうとするから不思議でならない。標準仕様日本人(フルスペック日本人)の要件を満たしていない場合、逆に自己否定にしかならないことにも気付いていないのか。民族主義で自己否定して自己正当化を図り、それでなんとかプライドを保っているような人たちばかりの社会って、どう考えてもちょっとヤバすぎでしょう? このような現象をタイ語では อุปาทานหมู่(ウッパーターンムー) という。

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