2006年3月1日(水)

「休憩なしでチアングマイから戻ってくるってだけでもシンドイのに、その足で飲みに出かけるとは常人のなせる技じゃないわ」

この話の一部始終を聞いた友人は、電話口でそう話した。

午前10時50分、チアングマイ市郊外にあるホテル Sheraton Chiangmai(シェラトン・チェンマイ) をチェックアウトし、国道11号ランパーン・チアングマイ(チェンマイ)線を南下。タックスィン首相(タクシン首相)の地元だけあって、交通量が少ない山道なのに片側3車線に拡張され、高速道路のように快適に走れた。午前11時40分、ランパーン市で国道1号パホンヨーティン通りに合流し、国道脇に並んでいる簡素な土産物屋で買い物をした。午後1時5分にターク市を通過、午後3時3分にナコーンサワン市(ナコンサワン市)を通過。バーングパイン(バンパイン)からウットララッタヤー自動車道でバンコクへと戻った。

午後5時55分、Robinson(ロビンソン) 百貨店スクンウィット店(スクンビット店)前で解散し、午後6時からスクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理屋 L’Opera(オペラ) で別の友人とワインを飲みながら夕食をとった。旅の疲れを癒すには白ワインがイチバン。

チアングマイ(チェンマイ)からバンコクまでの所要時間は6時間15分。走行距離は706kmだった。今回のチアングマイ(チェンマイ)旅行の費用は、ホテル代・ガソリン代込みでひとり約6,000バーツだった。

2006年3月2日(木)

「日本までの国際電話が1分たったの0.9バーツ!? タイ国内の携帯電話にかけるより安いじゃない。じゃ、日本に帰ってからも、これまで以上に長電話できるってことよね? ところで、私も申し込みたいんだけど、クレジットカードとか必要なの?」

午後7時50分、ペットガセーム(ペッカセム)19/1の東南亜細亜大学(エーチアアカネー大学)前にある、下町情緒あふれる屋台街で友人と豚肉のバジル炒めご飯(カーオグラパオムー)を食べた。すぐ後ろには、コンビニ風商店やビデオレンタル店などがあり、小街路(ソーイ)の入口には乗り合いトラック(大型ソングテオ)が客を待っており、奥には市場やアパート(冷房なし2,000バーツ程度)が立ち並んでいる。

Skype(スカイプ) とは、ファイル交換ソフトの技術を応用した無料 IP 電話(インターネットプロトコル) で、これを使えばパソコンから電話がかけられる。ルクセンブルクのスカイプ社がサービスを提供しており、パソコン同士なら世界中どこでも無料通話が楽しめる。オプションの Skype Out(スカイプアウト) を利用すれば一般電話にも発信でき、 Skype In(スカイプイン) を利用すれば 050 から始まる日本国内の電話番号がもらえる。 Skype Out(スカイプアウト) の1分あたりの通話料は、日本国内の固定電話2.6円、日本国内の携帯電話17.5円、タイ国内の固定電話12.9円(バンコク都内は7円)、タイ国内の携帯電話13円。

オプションのサービスを利用するためには、クレジットカードであらかじめ通話料を前払いしておく必要がある。しかし、友人は現金主義者でクレジットカードを持ってない。ちなみに、クレジットカード会社の審査に通るためには、①15,000バーツ以上の月収(大卒職務経験2年程度の月給)、②20歳以上60歳以下、③同一の職場で4ヶ月以上勤務していることが最低条件。利息は年率17.75%で、限度額は月給のおおむね5倍程度。収入規定に関してはタイの国内法で制限されている。

ウッタヤーン通りにあるドイツ風屋外レストラン「バーンナームキアングディン」で夕食を取るつもりだったが、ペットガセーム通り(ペッカセム通り)の帰宅ラッシュに巻き込まれ、空腹に耐えられなくなったため屋台で夕食をとった。ちなみに、この友人とはパソコン同士で長電話を楽しもうと言うことで決着した。

2006年3月3日(金)

「大丈夫ですよ。絶対に間に合いますって。わたし、昔から運だけはいいんです。あ、あの店の店員なら、きっと知ってそう。ちょっと行って聞いてきますね」

午後11時15分、国道304号スウィントゥウォング線のプラーヂーンブリー県(プラチンブリー県)スィーマハーポー郡で、真っ暗な田舎道にひっそりと佇むムーガタ屋(屋外型焼豚屋)へ友人が走っていった。

先日来 Endrophone(エンドロフィン) の美声を帰国前に聴いておきたいと言って回っていたのが功を奏して、昼すぎに「プラーヂーンブリー県(プラチンブリー県)の Factory Pub でコンサートがある」との情報をゲット。地下鉄バーングスー(バンスー)駅前で友人と合流し、地図も持たずにクルマを走らせた。

しかし、このとき僕はとてもネガティブな気分になっていた。アテにしていたプラーヂンブリー市(プラチンブリー市)では Factory Pub を発見できなかった。しかも、パブ(若者向け飲み屋)によっては、コンサートが午後10時から始まるところもある。せっかく、はるばるバンコクから130kmも離れている地方都市までやってきたのに、目的地も分からないままコンサートが終わっていたとあっては、あまりにも虚しすぎる。道路脇の電柱に「3月3日 Endrophone(エンドロフィン) コンサート at Factory Pub 」の看板を見つけられなかったら、いよいよ疑心暗鬼に陥っていたかもしれない。

Endrophone(エンドロフィン) とは 、ダー=タニダー・タンマウィモン(ボーカル)、バート=タナット・アモンラマーナット(ベース)、ギア=アヌチャー・ボートーンカムグン(ギター)、ボーム=タパポン・アモンマーナット(ドラム)の4人からなる G”MM’ GRAMMY(ジーエムエムグラミー) 系の有名バンド。アルバムはプリックとサッガワー49の2枚、代表曲は親友(プアンサニット)大切なもの(スィングサムカン)夜に咲く花(ドークラートリー)など。

当初、このバンドは中等教育学校後期課程(日本の高等学校に相当)の生徒、ギアやボームらの3人で結成された。進学のため、ベースがにバンドから抜けると、新たにバートを加えてさまざまなオーディションに参加した。サヤームスクウェア(サイアムスクエア)のセンターポイントで催されたオーディションで、ギアらは当時中等教育学校前期課程(日本の中学校に相当)の生徒だったダーと知り合った。バラード系とロック系の双方の曲を見事に歌いこなす歌唱力を見込んでのものだった。ちなみに、エンドロフィンの語源は、モルヒネのような鎮痛・多幸作用があるエンドロフィン(タイ語では「エンドーフィーン」と発音する)で、人々を幸せにするようなバンドになりたいという願いからこの名(タイ語では「エンドローフィーン」と発音する)と命名したという。

午後11時半、半ば諦めながら真っ暗な田舎道を走っていると、道路左側に田舎市場のような施設が見えた。路上駐車の長い列ができており、先頭では警察官が交通整理に当たっていた。奥の方には Factory のネオンが輝いている。

パブ(若者向け飲み屋) Factory は、日系製造業が多数進出しているプラーヂンブリー県(プラチンブリー県)ガビンブリー郡にあった。都心から約165km離れており、経済は農業と工業団地に支えられている。タイ投資奨励委員会 BOI が外国企業の誘致を図っており、もっとも辺鄙なところにあって最高の税制恩典措置(8年間法人税免除など)が与えられるゾーン3に指定している。もちろん、客層や店の雰囲気については言うに及ばず。前座では、田舎特有の下品極まるお笑いコントが演じられていた。市場の一角には、日本人向けの田舎臭いカラオケスナックもある。

午前零時半、ついに Endrophone(エンドロフィン) が始まった。ステージ前には予約客がひしめいていたが、友人がビール瓶片手に猛然と前進してくれたおかげで、かなり良い位置でライブを楽しめた。 Endrophone(エンドロフィン) は、自分たちの持ち歌を織り交ぜながらも、ここ数年で流行ったほかのアーチストの持ち歌を次々とこなしていった。しかも、オリジナルより全然上手かった。もし、 Thai Pops Best 10 by Da Endrophine の CD があったら即買い。歌の神様を見た。

ちなみに、年末から年始にかけて、 Endrophone(エンドロフィン) の「コップいっぱいの水(ナームテムゲーオ)」が各ラジオ局の「今週の第1位」を独占した。

น้ำเต็มแก้ว - เอ็นโดรฟิน
コップいっぱいの水 - エンドロフィン

วัน วันที่เป็นอยู่ เฝ้าทำเพื่อเธอทุกอย่าง แต่ใจเธอไม่เคยลืมรักครั้งเก่า
いつもあなたのために尽くしているのに 今もあなたは過去の恋を引きずったまま
เธอเป็นแก้วใบหนึ่ง ที่เต็มไปด้วยน้ำเปล่า ยิ่งเทเติมลงไป มีแต่ล้นออก
あなたはまるで水でいっぱいに満たされたコップ 注いでも注いだ分だけ溢れ出す
คนเก่า รักเก่า เธอไม่เคยลบเลือน คนใหม่ รักใหม่ เลยท้อ
過去の人 過去の恋 今もあなたは執着してる 新しい人 新しい恋 だから全然ヤル気ない
จริงๆ เข้าใจอยู่ กับความทรงจำครั้งเก่า แต่อย่าเอามันมาปิดกั้นหัวใจ
ホントは何があったか分かってるけど そんなことで心閉ざさないでよ
เปลี่ยนเป็นแก้วเปล่า แก้วใหม่ เปิดใจทีนะเธอ รับหน่อยรู้หน่อย
お願いだから空っぽの新しいコップに取り替えて心開いてよ 受け入れてよ 分かってよ
ความรักจากฉัน
私の愛情を

ฉันยังต้องรออีกนานไหม ต้องรอเธออีกนานไหม
あとどれだけ待てばいいの? あなたをあとどれだけ待てばいいの?
ถึงจะได้เจอะกับรักที่เธอเคยบอกฉัน
あなたが語ってくれたあの「愛」に出会うまで
เมื่อไรรักเก่าระเหย ฉันรอให้เธอได้ลืมเขาซักวัน
いつになったら過去の恋は蒸発するの? 私はあなたがあの人を忘れる日が来るのをずっと待ってる
เพื่อการเริ่มใหม่ ครั้งใหม่ เพื่อเธอกับฉัน และรักเรา
新しく始めるために あなたと私の愛のために

ทุ่มเท เท่าไหร่ มันก็ล้นเท่านั้น ไม่อาจ สัมผัส เข้าถึง สักครั้ง
どんなに注いだって ただ溢れ出すだけ あなたの心に触れることなんて 一度だってできっこない

ฉันยังต้องรออีกนานไหม ต้องรอเธออีกนานไหม
あとどれだけ待てばいいの? あなたをあとどれだけ待てばいいの?
ถึงจะได้เจอะกับรักที่เธอเคยบอกฉัน
あなたが語ってくれたあの「愛」に出会うまで
เมื่อไรรักเก่าระเหย ฉันรอให้เธอได้ลืมเขาซักวัน
いつになったら過去の恋は蒸発するの? 私はあなたがあの人を忘れる日が来るのをずっと待ってる
เพื่อการเริ่มใหม่ ครั้งใหม่
新しく始めるために
บอกหน่อยฉันควรรอต่อไปไหม ต้องรอเธออีกนานไหม
教えてよ 私はこのまま待ち続けるべきなの? あなたをあとどれだけ待てばいいの?
ถึงจะได้เจอะกับรักที่เธอเคยบอกฉัน
あなたが語ってくれたあの「愛」に出会うまで
เมื่อไรรักเก่าระเหย ฉันรอให้เธอได้ลืมเขาซักวัน
いつになったら過去の恋は蒸発するの? 私はあなたがあの人を忘れる日が来るのをずっと待ってる
เพื่อการเริ่มใหม่ ครั้งใหม่ เพื่อเธอกับฉันและรักเรา
新しく始めるために あなたと私の愛のために

ダーの歌声と、ひとりでも多くの聴衆と握手を交わそうという姿勢に、すっかり魅了された。

昼すぎ、ンガームウォングワーン通りの家具屋を友人と見て回り、プラーヂンブリー県(プラチンブリー県)へ別の友人と Endrophone(エンドロフィン) のコンサートを見に行った。ライブ終了後、友人とボートのツーショット写真を撮り、急ぎエンドロフィンを面々を乗せたライトバンを追跡したが、途中で見失ってしまった。友人をアパートまで送り届けて帰宅。

2006年3月4日(土)

「ちょっと海岸から離れてるけど、いちおうパートーング海岸(パトンビーチ)にあるし、空港までの送迎つき3泊4日で2,490バーツ。1泊3,000バーツも使うのはモッタイナイ! どうする? いますぐ申し込んじゃう?」

スィリギット国立会議場(シリキットコンベンションセンター)では今月2日から5日までの3日間、タイ国政府観光庁主催の「タイ全国旅行博」が催されており、今日も多くの人出で賑わっている。午後3時、来週のプーゲット(プーケット)旅行で泊まるホテルを友人たちと探しに行った。

友人が見つけてきたホテル C&N Spa and Resort(シーアンドエヌ・スパ・アンド・リゾート) は、新築だが奥まった丘の斜面にあり、海岸から1キロ以上も離れている。1泊あたりの宿泊料金は830バーツで、通常料金より55%安い。物価水準が先進国並みのプーゲット(プーケット)で、この値段はオイシイ。ボロボロのゲストハウスに泊まるのだけは絶対にイヤだから、すぐに予約金として1,000バーツ払って部屋を押さえた。今回のプーゲット(プーケット)旅行は、スクーバダイビングの免許を取ることを目的としており、受講料だけでも相当の出費がかさむ、宿泊費はできるだけ抑えたい。

その後、プロームスィー2(プロンシー通り, スクンウィット49/11)にあるオシャレなカフェ Spring Dining Room(スプリング・ダイニング・ルーム)で午後のお茶を堪能し、スクンウィット(スクンビット)21ソーイ(ソイ)1にある外国人に人気のステーキハウス「チョークディーステーキ」で夕食をとった。ひとりあたり350バーツだった。店内の雰囲気や従業員の立ち居振る舞いは、ちょっとした高級料理店のようだったが、肝心の味は最低最悪。牛肉の品質が想像を絶するほどヒドい。こんなステーキを食べさせられるくらいなら、いっそのこと屋台で40バーツステーキを食べたほうがまだマシなくらい。そうすれば、無駄な出費は抑えられるし、もう少しだけまともなステーキにありつける。

ところで、もし本帰国前にスクーバの免許を取る予定を組んでいなければ、きっとチアングマイ(チェンマイ)旅行へ行っていたはず。ホテル Sheraton Chiangmai(シェラトンチアングマイ) の朝食付1泊800バーツは、あまりにもお得すぎる!

2006年3月5日(日)

「ちょっと分かりにくい場所にあるが、たぶんキミが興味を持ちそうなものだから、見せておきたいんだ」

午後10時半、スクンウィット(スクンビット)4にあり娼婦の水着踊りバー Go Go Bar(ゴーゴーバー) が密集している Nana Entertainment Plaza(ナーナーエンターテインメントプラザ) で、バンコク在住日本人特有の習性やタイ人との関係について、長年バンコクに住んでいる日本人の友人と意見を交わした。

近年、ここバンコクに引っ越してくる日本人が急増している。それは、日本国内のテレビ媒体で紀行番組を協賛したり広告を打つなどして、タイの観光開発当局が日本人のあいだにあるタイのイメージを向上させたことの成果だが、一方で、失われた10年と呼ばれる平成不況期に形成された「下流層」が起死回生を図るために大挙してタイへと押し寄せてきているという、もうひとつの背景も無視できない。

第一次世界大戦以降の日本史を紐解いてみれば、不況期における日本人の海外流出は決して珍しくない。歴史的にも、日本政府は不況期に失業者対策として海外移民を強く推奨してきた。現在では、国家が国民を海外投棄するにも等しい「棄民政策」だったことが判り社会問題になっているが、その教訓から何も学んでいない日本人は少なくない。今日のタイ移住ブームは国家手動ではなく、民間主導の棄民政策で進められてきたという違いこそあるものの、移住希望者の「海外で起死回生を図る」という基本的な発想は、いつの時代でも大して違いはないようだ。

日本社会(日本国株式会社)は、戦後長らく終身雇用・年功序列を前提とする雇用形態によって支えられてきた。ところが、バブル崩壊と人員整理、労働力の流動化と成果主義の導入により、これまでの雇用形態が崩壊し、日本社会そのものも一変した。従業員はキャリア開発の機会を減らされ、その成果も補償されなくなった。

このような時代の要求もあって、私たち日本人会社員は、自らのキャリアを自らの責任で描くことを余儀なくされている。さもなくば、被雇用者の3分の1を占めるとも言われる「非正社員」となり、低賃金労働に従事する以外の道が完全に閉ざされてしまう。キャリアプランナーたちは、<1>絶えず自らの適正を探求し、<2>自己への投資を惜しまず、<3>自分の看板で勝負できるような<4>プロフェッショナルへと成長を遂げるべし。また、<5>魅力ある人格の形成を心がけ、<6>社内外のネットワーク作りに精を出すことで、さまざまな変化に対応できるキャリアプランを立てるべきだと勧めている。そして、私たちには自分が描くキャリアプランを実践できるような会社を取捨選択することが求められている。

いわゆる海外留学であるとか現地採用であるとかいうものは、前述したようなキャリア開発の下積み段階だ。極論してしまえば、上記の6項目に沿ったものが「有意義なもの」であり、それ以外は「無意義なもの」として切り捨ててしまっても、たいした支障にはならない。

ところが、自発的に日本から飛び出してきてバンコクに住み着いている日本人のなかには、目的と手段が逆転してしまっている者が少なくない。また、何らの目的意識をも持たずにダラダラと貴重な日々を浪費してしまっているというケースも見られる。娼婦と生活するためだけに、タイで貧しい生活を送るというのは、もう最悪なケースだ。

人材紹介会社職員の話では、タイへの移住(タイ現地採用への転職)者の多くが20代半ばから30代前半の男性で、求人の大半は月給5-6万バーツ(ボーナス0-3ヶ月)だという。職務経験3年の大卒バンコク人でも月々5万バーツ前後の世帯所得があるところをみると、タイで金満な生活を送ることの難しさは誰にでも理解できる(10年ほど前の国勢調査によると、全バンコク人世帯の平均世帯所得は約26,000バーツとされている)。

これではまったく本末転倒としか言いようがない。このあたりが「バンコク沈没」の「沈没」たる所以なのだが、娼婦などと関わっても得られるものなど何もないということは端から分かり切っている(シリーズ:微笑の国タイと厳しい現実)。こんなことでは起死回生を図るどころではなってしまう。まったく彼らはいったい何を考えているのだろうか。

このような事情から、ここバンコクには娼婦を伴って生活している日本人が驚くほど多い。同時に、集合住宅における日本人住民の増加は、すなわち娼婦系住民の増加を意味している。

彼の話によると、沈没系日本人が多数住んでいることで知られる格安賃貸マンション**「ラーチャプラーロップタワーマンション」(都内ラーチャテーウィー区、家賃4,900バーツ)には、僕が想像していたよりも遙かに多い700人からの日本人が生活しており、全住民に占める日本人の割合は実に約9割にものぼるという。有り体に言ってしまえば、(全員がそうだというわけではないだろうが)「娼婦とともに暮らす」ためだけに滞在しているような典型的なタイ沈没日本人や娼婦達が、それこそウヨウヨとしているということだ。一方でバンコク在住日本人のあいだで常にそれと対比されるのは、プララームスィー(ラマ4)通りにある「ロンポーマンション」(都内クローングトゥーイ区、家賃9,400バーツ)。こちらの方にも500人から日本人が住んでいると言われているが、住民の層は前者に比べると上品であるとの風評がある。これらの情報には現地で発行されている無料日本語情報誌(フリーペーパー)から容易にアクセスすることができる。

ちなみに僕が住んでいる分譲マンション***「スクンウィットスイート」(都内ワッタナー区、家賃14,000バーツ)にも、ここのところ数多くの日本人が流入し、住民の質が悪化の一途をたどっている。僕自身は家賃21,000バーツの比較的良い部屋に住んでいるのだが、これらをふまえて考えてみると、おそらく「一番安い部屋の家賃が21,000バーツ以上の集合住宅」に住んだ方が良かったのだろう。そうすることで、より「沈没日本人+娼婦」の少ない健全な空間で快適な生活を送れたはずだ。本帰国を目前に控えた今の段階でこんなことを言っても無意味なことこの上ないのだろうが、実のところアパートの選定を誤ってしまったことを心の底から悔やんでいる。こんなことなら、僕が以前住んでいて、事実上ヂュラーロンゴーン大学の学生寮と化していた高架鉄道 BTS ラーチャテーウィー駅付近の賃貸マンション「ヴェネチアレジデンス」(都内ラーチャテーウィー区、家賃6,000バーツ)にいた方が、環境的にはまだマシだったのではないかと思えるほどだ。

さすがに「家賃でその人のすべてが決まる」とまでは言うつもりはないが、快適で健全なバンコク生活を送りたいということであれば、さしあたって「沈没日本人+娼婦」を完全にシャットアウトできるような家賃の集合住宅に住むことをお勧めしたい。

「ところで、これって何だと思う?」

話は冒頭の友人の言葉に戻るが、彼が僕に見せたがっていたものは、ナーナープラザの3階から4階へとつながる階段から見える冷房の室外機の上に置かれていた。さすがの僕も唖然とした。線香や哺乳瓶などのお供え物が意味するものは、おそらく娼婦達の「子供」に関するなにかなのだろう。堕胎させてしまった子供への供養なのか、それとも出産後に亡くしてしまった子供への供養なのか。ゴーゴーバーに限らず外国人向け性風俗で働く娼婦のほとんどが出産経験者だが、これを見て娼婦の暗部に直に触れてしまったかような気がしてひどく憂鬱な気分になった。

20060305.jpgその後、僕は友人が適当に選んだゴーゴーバー(娼婦の水着踊りバー)へと入ることになった。そこでビアスィング(シンハビール)を飲み、腹部や二の腕に贅肉がたっぷりと付いた年増の娼婦たちの水着踊りを眺めながら、「彼女らを有意義に活用するためにはいったいどうしたら良いのだろうか」などと思案に暮れることになった。初等教育すらまともに受けていないような彼女らにタイ関係の知識を求めるなど所詮無理な話だし、教養のない彼女らが話す田舎方言を学んだところで全く何の役にも立たないどころか赤っ恥をかくだけだ。さらに、バンコクの中産階級からもバカにされるような相手と恋愛したところでただ卑屈になるだけだろうし。

「さしあたって、彼女らが役立つのはせいぜい覚醒剤の調達くらいかな?」

道から外れた無法者(アウトロー)であればあるほど、それだけ世の中の悪事や裏の事情にも通じている。いろいろと考えてはみたものの、やはり娼婦に求められることなど麻薬・覚醒剤の調達以外に思いつかない。麻薬や覚醒剤をやらない僕のような人間にとっては、娼婦はまさに使い道のない無用な長物。無駄に金ばかり払わされて、得られるものなど何もない。

初めてタイを訪れる一部の男性観光客にとっての最初の「異文化交流」とは、おそらくの外国人向けの性風俗で働いている娼婦達との享楽的な体験ではないだろうか。無論、オンリーワンな人生を送りたいというのであれば僕などが口を挟むようなことではないが、もし彼女ら娼婦との生活に謎の夢想や妄想を抱いてタイに移住するというのであれば、それはリスクを無視した無謀な暴挙以外の何物でもない。今一度じっくりと考え直すべきだ。商売で恋愛しているような娼婦など、財布の紐を少し硬くするだけですぐにどこかへ行ってしまうし、日本での社会復帰のハードルも一気に高くなる。娼婦なんかのために、会社を辞めてタイに沈没なんかしては絶対にイケナイ!! 絶対にダメだ!

タイ移住を決意して会社を辞めた数ヵ月後のある日、日本で働いていた頃から親密に連絡を取り合っていた「自分だけの娼婦」に突如としてと棄てられる。ここのところ金の無心が続いていたものだから逆に清清したと自分に言い聞かせる。発展途上国の貧困者層向けのアパートの一室。座敷牢のようなひどく貧しい部屋にひとり虚しく取り残される。タイの女なんてどうせこんなもんだと結論付ける。茫然自失となり、世の中の理不尽さに涙があふれてくる。急にすさまじい空腹感に襲われ、とりあえずアパートの向かいにあるタイ風ラーメン屋台へ行こうと身支度を整える。念のために財布の中身を確認してみると、なんと数千円しか入っていない。背中を冷や汗が伝う。今度は大急ぎで箪笥の中から虎の子の預金通帳を引っ張り出す。そこにもわずか数万円しか残されていないことに気付く。ひとり途方に暮れる。今までタイに来れば日本人は誰でも金持ちとしてチヤホヤしてもらえると信じてきてたのに、年頃の女の子はおろか、屋台のおばちゃんにまでぞんざいに扱われる始末。しかも、このままでは帰国するための航空券すら買えない。仮になんとか帰国できたところで働き口もない。こうして、不定期な仕事を請け負うことで日銭を稼ぎ、そうすることでタイの貧困層向けのアパートの家賃をなんとか捻出し、ギリギリのところで食いつないでいくという日々が始まる。

これが典型的なタイ沈没の第一歩。ここまで来たら、もう二度と後戻りすることはできない。

今日は友人とともにスクンウィット11にある居酒屋「卯月」で夕食をとり、スクンウィット4にある性的娯楽施設「ナーナーエンターテインメントプラザ」でビールを飲んでから帰宅した。

* タイ語名は「スーンバントゥーングナーナープラーサー」 ศูนย์บันเทิงนานาพลาซ่า
** 賃貸マンションは、タイでは「アパートメント/アパートメーン」 อพาร์ทเมนต์ と総称される
*** 分譲マンションは、タイでは「コンドミニアム/コーンドー(ミニアム)」 คอนโดมิเนียม と総称される

<関連記事>
2004年5月9日 「現地採用
2004年6月24日 「タイ沈没の悲劇を目の当たりにする
2004年7月31日 「タイラット紙 今日のトップニュース
2006年1月4日 「学生寮街 その2

2006年3月6日(月)

「それはそうよ! 私たち人間は誰しも自分自身でどこの国に生まれるかなんて選べるはずがないし、裕福な家庭に生まれるか貧しい家庭に生まれるかを選ぶこともできないわよ!! でもね、だからといって『自分は何をしたって構わない』って考えるのは絶対にオカシイと思うわ! あの人達、もうホントウに異常よ。金のためなら、どんなに卑劣なことをしても許されるって本気で信じてるもの! ってゆうか、信じてるだけじゃなくて、それを堂々と口に出して言ってる始末。もうホントウに人間として最低限のプライドとかそういうのってないのかしら!? 日本のタイ人社会? ああ、もうまったくヒドイなんてもんじゃないわよ! この前、横浜のタイ料理食材店に行ったときに見たあの張り紙、あなたも覚えてるでしょう? (隣から 『うん、覚えてるよ』 の声) 食材店に 『格安でソング ซ่อง お貸しします』 なんて張り紙を平気でしちゃうあの神経って絶対にどうかしちゃってる!! あ・・・ソングっていう言葉の意味分かるかしら? あなたならたぶん分かるとは思うけど、あれはタイ語で 『ソングソーペーニー ซ่องโสเภณี 』 って意味、つまり『隠れて売春をするための狭くて汚い部屋(売春窟)』 のことよ!? あの時、私は吐き気すら感じたわ。私はすぐに店を出て、外で『もうこの店には二度と来たくない』って言ったんだけど覚えてる? (隣から 『うん、今でもしっかりと覚えてる』 の声) それ以降、私は仕方なくタイに一時帰国するたびに食材を買い込んで、毎回のように大きな荷物を抱えて日本へ行くことになったわ。でも、どんなに大変でも、あんな腐った店に行くよりは全然マシ。日本でのタイ人のひどい話なんていくらだってあるわよ。さあ、何から聞きたい? あ、この話なんてケイイチ君が聞きたそうな話よね? ほら、あのアパートにオトコがいるって話。 (隣から 『ああ、おもしろいと思うよ』 の声) ある日本人と結婚して日本に来たタイ人―たぶん売春婦かなんかだと思うけど―なんて、夫に頼み込んで 『ちょうど日本に出稼ぎに来ている弟』 のための部屋を借りさせて、夜は日本人の夫と一緒に暮らし、夫が仕事に出かけているときはすぐ真下にある 『弟』 の部屋に入り浸りっているそうよ。もちろん、その 『弟』 はホントウの弟なんかじゃない。れっきとした『彼氏』、それ以外の何物でもないわ! 日本人の夫もどうしようもなければ、タイ人妻の方もどうしようもないわね。まったく同じタイ人というだけでも恥ずかしくなってくる。 日本にいるタイ人でまともなのなんて、せいぜい留学生や政府関係者くらいのものよ。全体の1割にも満たないわ!! 残りはみんなどこの馬の骨かも分からないようなのばっかり!! 日本でタイ人の友達を作るのにはホントウに苦労したもの。だって、少し話せば相手の程度なんてすぐに分かっちゃうから、・・・あまりにもかけ離れているとお互い気まずい雰囲気になってどうしても続かないのよね。私にはブログがあったから、そこにコメントを書き込んでくれる読者からマトモなのを選べたから良かったけど、ほかの人たちなんてホントウに一体どうしているのかしら。あ、そうだ、ケイイチ君はもうすぐ日本に帰っちゃうんだし、せっかくだから日本でマトモなタイ人と知り合う方法を教えおいてあげるわ。それはね・・・」(全部日本語)

トーングロー15の日本食コンプレックス J-Avenue 2階にある日本料理店「大戸屋」、午後4時50分。日本人の夫ともに日本で数年間を過ごし、帰国後にタイで日本関連書籍を出版したというあるタイ人執筆者は、まるで今日までため込んできた日本におけるタイ人社会への鬱憤を晴らすかのように一気に捲し立てた。あの興奮の度合いからして、彼女自身も自分が話した内容の何割程度を覚えているか微妙なところだ。

一方の日本人の友人は、彼女を日本に呼ぶにあたって、近所の住民に「妻はどの子馬の骨かも分からないような者ではなく、○○という国家資格を持っており・・・」と説明して回るなど、それはそれは大変な努力をしたという。せっかくまともなタイ人と結婚したというのに、日本に娼婦を連れ込んだ多くの日本人達のせいで、彼がいかに面倒な作業を強いられることになったことか。

僕はタイ人とフツウにコミニュケーションがとれるし、まともなタイ人と結婚すれば幸せな生活を送れることも知っているが、自分と娼婦との生活体験から「これがタイランドだ!」と主張する書籍が日本国内で多数発売され、自分と元娼婦の妻との生活を「これぞタイ人妻との生活!」などと紹介するブログが後を絶たないという現状を鑑みると、どうしてもタイ人との結婚にはおよび腰になってしまう。きっと、彼らには「自分が大好きなタイを自らの手で貶めている」という自覚すらないのだろう。

実のところ、このブログでは大学進学率36%という高学歴社会の住人である「まともなタイ人達」との生活を中心に取り上げるとともに、タイ全国に130,000人いるとされる娼婦達がいかに少数派でタイ人社会でもいかに鼻つまみ者とされているのかを世間に訴えることで、日本国内に住む日本人に「ホントウのタイ人」というものを知ってもらい、タイ人の評価そのものを向上させようとも考えていたわけだが、結果として僕が成し得たことと言えば少数の賛同者と多数の敵を得るだけに終わったと総括できるのかもしれない。まあ、それだけ自分と娼婦との関係を自らのアイデンティティーとしている日本人が多いということだろうし、またこういった傾向が今後とも続くということなのだろう。

タイという料理店に入ったら、僕だったら、わざわざ厨房の裏にある残飯集積所なんかに向かうことなく、フツウに席についてフツウに料理を注文し、美味しい食事にありつこうとなど考えるようなものだが、どうやら残飯の方が好きだという日本人というのが思いのほか多かったようだ。まったく不思議なことだが、これも現実ということで受け入れるしかない。

もう何もかもがどうでも良く思えてきたが、最後に日本国民のひとりとして一言だけ言わせてほしい。

日本国は廃棄物集積場ではない。私たちの美しいニッポンに汚い娼婦を持ち込むな。自分では良いと思っていても、ほかの者がひどく迷惑する。

今日は午後2時頃に大学のヂャームヂュリー4号館で留学ビザ延長に必要な書類を受け取ってから、ウォングウィアングヤイにある自動車整備工場でタイヤのホイールを修理し(700バーツ)、午後4時半にトーングロー15にある日本料理店「大戸屋」で友人達と夕食をとった。自室戻ってクラシック音楽を聴きながら優雅に日記を書き、午後10時半から文学部タイ語集中特訓講座(インテンシブタイ)の試験後の打ち上げに合流した。

2006年3月7日(火)

「ご存じの通り、ここバンコクで僕たちのような現地の大学へと通っているわけでもないフツウの日本人がタイ人と知り合えるきっかけということになりますと、どうしても夜の歓楽街に限られてしまいます。つまりケイイチさんが日頃から『娼婦』と呼ん憚らないような人たち以外に、僕たちが知り合うことのできるタイ人などまったくいないというのが現状なのです。もしかしたら良いタイ人を見つけて交際するというのも選択肢のひとつとなり得るのかもしれませんし、また当然異論のあることとも思いますが、こうした状況をふまえて考えますと、やはりタイ人ではなく日本人と付き合うことこそが最も賢明な道であると信じる次第です!」

スクンウィット22にある格安居酒屋「あさみ」2階の宴会場、午前零時半。かなり酒が進んでいたバトー君は、中ジョッキ片手にタイにおける恋愛についての自説を雄弁に披露してみせた。

だからこそ、ここバンコクには娼婦を彼女としてしまうような日本人がウジャウジャいるのだし、バンコク在住の日本人によって「タイ人=娼婦」のような視点でタイ人全体が語られてしまいがちになるのだが、何はともあれ、彼は与えられた環境の中で最良の選択のをしたのかもしれない。タイ留学におけるパフォーマンスという点を考慮すれば若干の問題は残るが、それでも「恋愛をする」という観点から見ればむしろ王道を歩んだとも言える。少なくとも、経済活動の一環として機能しているようなビジネス恋愛に付き合わされるよりはよほど良いに違いない。

実のところ、ここバンコクでまともなタイ人と知り合う方法なんていくらでもあるのだが、とかく無謀な行動に走りがちな一部の日本人にこれを知られてしまうと、タイにおける日本人の評判を下げるだけといった結果にもなりかねないものだから、このブログでそのノウハウを公表することは差し控えることとする。

今日は午後2時に運送会社が引っ越しの見積もりに来るというので、それまで部屋で待機していたところ、研究室の職員から「マズいぞ! 必修教科3科目のうち、『東南アジア植民地論』で不合格となった。一ヶ月間、たっぷり時間をやるから、みっちりと勉強して再試験に臨んでくれ」という内容の電話がかかってきた。ところが、僕は今月末に新入社員研修会が控えており、どうしても20日までに本帰国しなくてはならなかったものだから、職員に無理を言って再試験日を16日にしてもらうことにした。なお、この再試験で不合格になると、規則により即時除籍処分が決定する。午後3時にスワンプルー通り(北サートーン3)へ今月13日に有効期限が切れるビザを延長しに出かけたが、大学から発行された書類と明日からのホテル予約証書を間違えてカバンに入れてしまったため、渋滞にはまりながらも手ぶらで自室へと戻った。午後8時半にプララームハー(ラマ5)通りにあるオシャレな中華料理屋で夕食を取っていたところ、ブログ「バンコク遊学生日記」の作者ユウスケさんから電話がかかってきたため、急遽大学院のクラスメートと合流して居酒屋「あさみ」へと出かけることになった。

2006年3月8日(水)

「ちょっと料理頼みすぎなんじゃないの? ただでさえ明日から黒くなるというのに、これでデブになったらオシマイよ。子供なら 『ウワンダム』 อ้วนดำ (黒デブ)ってみんなに可愛がってもらえるところだけど、あなたはもうそういう歳でもないんだし。それと・・・もう遅いから、私はこの皿のスパゲッティー・カルボナーラを食べないからね。注文した料理は、注文者が責任をもって食べてちょうだい ♡ 」

プーゲット島パートーング海岸沿いにある海鮮料理店「パパヤ・タイレストラン」、午前零時42分。テーブル一杯に並んだ料理を前に、僕は思わず大きなため息をついてしまった。本帰国前の留学予算消化の一環とはいえ、これを全部食べ切らなくてはならないと思うとさすがに憂鬱な気分になる。

僕はずっと前からタイでスクーバダイビングのライセンスを取ることを計画してきた。レーシック(視力矯正手術)をする前などは、「手術後数ヶ月はダイビングができないかもしれないから、今のうちに済ませておいた方がよいのではないか」と真剣に検討してみたほどだ。しかし、僕が本帰国を目前に控えた今日まで実行に移すことなく見送り続けてきたことには、それなりの理由があった。

「タイにおける自分の社会的地位を自らの手で低下させてしまうような真似は是が非でも避けたい」

タイ人のあいだでは、「中国系タイ人には教養もあれば金もある」という一種の固定観念がある。タイにおける実力者の大半が華人で占められていることを考えると、こうした言説は真実の一端を明確に捉えているようにも思えるが、一方でその他大勢の凡庸な華人の存在を完全に無視した暴論ともいえる。ところが、こうした思い込みが社会全般に広く根付いているここタイにおいて、「肌の色が白い=中国系っぽい=教養と金がありそう=イケてる」と考える風潮があるのはもはや疑いようのない事実であり、好むと好まざるとに関わらず受け入れざるを得ないだろう。

同時に、こうした考え方は色黒の人々が学校などで差別を受ける原因として社会問題のひとつにもなっている(通常、この種の差別には「方言がダサい」とか、「何言ってんのかワケワカンナイ」などの要因も加わる)。貧富の差が激しいタイでは、肌の色が黒い人は、屋外にいる時間の長い「ガンマゴーン」(単純労働者)や「チャーオナー」(農民)であるに決まっている、というような思い込みが社会全体を支配しており、彼らのあいだで「肌の色が黒い=教養のない単純労働者=所得が低い=ヘボい」という構図ができあがってしまっているのだ。むろん、こうした考え方は単なる偏見に過ぎないのだが、テレビのコメディー番組における配役からも分かるように、日常生活の中で人々の価値観の中に無意識のうちに刷り込まれている。

「ビーチに寝っ転がって日焼けをしている西洋人っていうのも不思議だけど、彼らが考えていることも分からなくはないわ。でもね、金を出してまで日焼け施設(日焼けサロン)に通うっていうのは全く理解できないんだけど」

それもそうだろう。日サロへ通うことなど、タイ人の発想からするとヘボくなるために金を費やす愚行以外の何物でもないのだから、どう考えたって「合理的である」という結論を導き出せるはずがない。これこそがタイ人のあいだでマリンスポーツが流行っていない理由なのであり、だから現地のビーチでみかける海水浴客も西洋系外国人ばかりなのだ(決して金がなくてできないわけではない)。

今日は、昼過ぎにスワンプルー通り(北サートーン3)の入国管理局で学生査証(留学生用のビザ)を10月まで延長してもらった。現在、タイ国内の官公庁で進められている「ワンストップサービス化」(ひとつの窓口で公的手続きを終えることのできる仕組み)に伴い、ここ入国管理局でも特別査証を扱う1番窓口が拡張されて、2階の203号室にあった特別査証課がそのまま移転して来ていた。なお、窓口には超過滞在者への科料が値上げされる旨の告知があった。従来1日あたり200バーツだったものが、500バーツへと値上げされるようだ。午後4時には自室に戻り、友人とともに大急ぎでタクシーに乗り込み、ドーンムアング空港国内線ターミナルへと向かった。午後6時過ぎのオリエントタイ航空263便(片道税込1,650バーツ)でプーゲットへと旅立った。

友人は、両手一杯の書類ケースを抱えてプーゲットへとやって来た。なんでも、前回の南部ドライブの際に自分の仕事を同僚に任せっきりにしていたところ、その後の事後処理にひどく骨を折ることになったそうで、その反省から今回は僕がスクーバダイビングの講習を受けているあいだの時間を利用して、ホテルに籠もって通常通りの業務をこなすことにしたという。ちなみに、これが実現したのはすべて AIS (Advanced Info Service 社) の時間帯指定の定額通話サービスのおかげらしい。

2006年3月9日(木)

「あ――! 朝食を取る時間なんてもうないじゃないの。まあいいわ。私はもう一眠りしてから食堂に行くから気にしないで。とにかく、忘れ物がないように今一度確認しておいた方がいいわよ。それと、日焼け止めクリーム、まだ塗ってないでしょう?」

ホテル C&N Spa and Resort 2214号室、午前6時28分。僕たちは慌ただしい朝の時間を過ごしていた。わざわざリゾートにまでやって来たというのに、それでいつもよりも早起きしているのだから、まったくその勤勉さには自分でも感心してしまうほどだ。

5分後。僕はホテルまで迎えに来た日本人とタイ人のインストラクターふたりとともに、ソングテオ(人員輸送用トラック)の後部座席に乗ってダイビングショップへと向かった。

今日からの3日間、僕はプーゲット島パートーング海岸にある日系ダイビングショップで、世界最大のダイバー教育機関 PADI (Professional Association of Diving Instructors) の初心者向けトレーニングプログラム「 PADI オープン・ウォーター・ダイバー・コース」の講習を受ける。料金は12,900バーツ(ダイビング4本・教科書代込み)。このコースを修了することで次のことができるようになるそうだ。

このコースで学んだ知識とスキルを応用して、受けたトレーニングと経験の範囲の中で、監督者なしでダイビングすることができる。スクーバ・タンクへの空気を充填してもらったり、機材の購入をしたり、その他のサービスを受けることができる。受けたトレーニングと経験の範囲内のコンディションで、適切な装備を整えて、バディと一緒にダイビングするという条件で、減圧不要のダイビングを計画、実施して、ログに記録することができる。スペシャリティ・ダイブ、 PADI アドベンチャー・イン・ダイビング・プログラム、 PADI スペシャルティ・コースなどに参加してダイバー・トレーニングを継続することができる。

なお、 PADI のダイバー認定証の格付けは、下から 「①スクーバ・ダイバー(省略可能) → ②オープン・ウォーター・ダイバー → ③アドベンチャー・ダイバー(省略可能) → ④アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー → ⑤レスキュー・ダイバー → ⑥マスター・スクーバ・ダイバー」 の順。

午前中に学科講習を受けて、機材の説明を受け、ダイビングに必要な知識を習得した。なんでも、水深10mでの気圧は2気圧で、空気の体積も水上の2分の1。水深20mではそれぞれ3気圧、3分の1になるという。つまり、水深20メートルで空気を思いっきり吸って、そのまま一気に水上まで浮上すると肺の大きさが3倍になる・・・のではなく、この場合、肺が破裂して致命傷を負うことを意味する。

午後は欧米人経営のダイビングショップへと行って、水深3mのプールで適性試験(200mの水泳)を受け、基礎的なスキル(たとえば吸い込む空気の量を調節して水中で浮き沈みする技術や曇ったマスクをクリアする方法など)を習得した。

2006年3月10日(金)

青い海、白い砂浜。そして、チャローング海岸の桟橋に係留されているクルーザーの数々。

午前7時20分にホテルまで迎えに来たソングテオ(乗り合いトラック)に乗って、朝の潮風を受けながらパートーング海岸から南に15キロほど行ったところにあるチャローング湾へと向かった。現在のチャローング湾桟橋は、スマトラ島沖地震以降に再建されたものだそうだ。

僕にとっての記念すべき第1本目のダイビングポイントは、ラーチャーヤイ(ラチャヤイ)島の East Coast Bay ということになった。午前10時51分に潜水を開始し、午前11時34分に浮上した。当初、「水中で不測の事態が起きてパニックに陥ってしまったらどうしよう」などと心配していたものの、それも杞憂に終わった。冷静さを保ちつつ教科書通りにこなしていれば、別に難しいというほどのものでもない。最大深度12.2m、潜水時間43分。水温は摂氏30度で、透明度は20mだった。

船上で軽食を取ってからラーチャーヤイ島 Maritta’s Rock へと移動して、午後1時12分に2本目のダイビングを開始。最大深度12.6m、潜水時間43分。水温は摂氏31度で、透明度は15mだった。

今日学んだことは、潜行前のプレダイブ・セーフティー・チェック、適正ウエイトチェック、疲労ダイバー救助、足がつった時の治し方、マスククリア、レギュレーター・リカバリー、5 step 潜行・浮上、バックアップ空気源を使用した浮上など。

なお、潜水中には体内に窒素が溜まりやすく減圧症を引き起こす原因となるため、長時間に及ぶダイビングは厳しく制限されているそうだ。

今日は本当の熱帯魚の群れを見てリゾート気分を満喫することができた。それと、体力の消耗が少なかったのは意外だった。

午後9時までダイビングショップで学科の勉強をしてから、ホテルへと戻った。

2006年3月11日(土)

講習3日目。 PADI オープン・ウォーター・ダイバー・コース最終日。

午前7時半にホテルまで迎えに来たソングテオ(乗り合いトラック)に乗って、朝の潮風を受けながら、パートーング海岸を南に15キロほど行ったところにあるチャローング湾桟橋へと向かった。桟橋の袂にいるのは、大半が西洋系外国人で、日本人や韓国人、中国人などはむしろ少数派だった。また、タイ人ダイバー客の姿はまったくなかった。日焼けを嫌うタイ人には、やはりマリンスポーツはあまりウケないのだろう。

講習3本目のダイビングポイントは、ラーチャーヤイ島 Bangalow Bay だった。潜行開始時刻午前9時58分。浮上時刻午前10時41分。潜水時間43分。最大深度は16.2mで、水温は30度だった。

講習4本目のダイビングポイントは、ラーチャーヤイ島 Bangalow Bay だった。潜行開始時刻12時58分。浮上時刻午後1時35分。潜水時間48分。最大深度は14.1mで、水温は30度だった。

今日は、水面水中でコンパス移動、緊急スイミング・アセント、水中マスク脱着、ホバリング、水面機材脱着などのスキルを学んだ。その後、ダイビングショップへと戻り、午後9時まで学科講習と試験を受けて、オープンウォーターダイバーの仮証明書を受けた。なお、正式なライセンスカードは、僕が本帰国した同月20日にオーストラリアの PADI オフィスから実家へと届けられた。

2006年3月12日(日)

講習4日目。今日から2日間、僕は PADI アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー・コースを受講することにした。当初、オープン・ウォーター・ダイバー・コースに耐えられないようであれば、残りの3日間をプーゲットでダラダラと過ごそうかとも考えていたが、ダイビングそのものが思っていたよりも楽だったことに加え、どこへ行っても通用するダイバー資格が欲しいと考え、結局継続受講することに決めた。料金は12,000バーツ(ダイビング5本)。

この資格は、昨日取得した PADI オープン・ウォーター・ダイバー・コースのカリキュラムに加え、その上位資格であるアドベンチャー・ダイバー・コース5つを履修することで取得できる。また、このカリキュラムでは最大深度30mまで潜ることができる。なお、減圧不要ダイビングの最大深度は40mとされているそうだ。

講習5本目「ディープ・ダイビング」のダイビングポイントは、ラーチャーヤイ島 No.3 Bay だった。潜行開始時刻午前10時7分、浮上時刻同39分。最大深度30.7m、潜水時間32分。水温は摂氏28度で、透明度は15メートルだった。教本によれば、深く潜れば潜るほど、潜水可能時間は短くなるという。また、水には暖色を吸収する性