2005年12月1日(木)

「今晩、何食べる?」

―― 何食べようか? MK に行こう。

午後7時すぎ、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)で友人と帰宅ラッシュにハマっていた。もう2時間も経つのにほとんど前に進んでおらず、さすがに話題も尽きてしまった。こういうときは、天気の話でもして沈黙を避けるのがセオリーだが、あいにくと雨は降っておらず、日が落ちて雲行きも分からないから、やむなく夕食の話題を選んだ。

しかし、この渋滞のせいで、すでに夕食のことなんかどうでも良くなっていた。この渋滞から今すぐ解放してくれるなら、今晩は即席麺「マーマー」(5バーツ)で我慢したって構わない。

ある経営学者によると、 McDonald’s(マクドナルド) のセットメニューは元来、思考力に欠け、メニューを選べない愚かな消費者に、少しでも多くのカネを使わせるための戦略商品で(「ポテトはいかがですか~?」のあとに登場した)なんでもいいから好きなものが食べられて、腹が満たされればいいという消費者心理を巧妙に利用しているという。

タイスキチェーン MK(エムケー) のテレビ CM は、タイにおける大衆宣伝の傑作と言われている。第1弾(2002年)の「トゥングルークトゥングタオ(討論番組トゥングルークトゥングコンのパロディー)では、司会者ソーラユットを演じる子供が「子供の野菜嫌いに効果がある」と謳い、その後タイ人のあいだで広まった健康志向の牽引役となった。特に第3弾の「何食べる?」は、 TACT 最優秀テレビコマーシャル賞(2003-2004年度)や最優秀大衆宣伝賞(食品部門, 2004年度)を受賞しており、特定のフレーズを反復することは、消費者の深層心理にある種のイメージを植え付けるという大衆扇動のセオリーにもかなっている。しかも、映画館での放映を想定して制作されているため映像としての質も高い。

それは、渋滞のせいで思考停止状態に陥っている僕たちにとって、まさに渡りに船だった。そうだ、 MK に行こう!

2005年12月2日(金)

「マイクを8番席から2番席へ」

――くっそー、何もリクエストもしてないのに、なんでマイクが回ってくるんだよ。

午後8時半、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある日本人向けカラオケスナック MOMO の前でタクシーを降り、笑顔で歓迎してくれた MOMO のホステスたちを無視して、道路のちょうど反対側にある大部屋カラオケ屋「アンチャン」前にいる友人の元へと直行した。

大部屋カラオケ屋「アンチャン」の店内は薄暗く、パソコンで選曲操作をする正面の DJ 席の真上に投影スクリーンがある。全9席で、収容人数は約50人。

「8番席」には、ビール2本で粘っている男女2人組がいた。特に女性の歌唱力はすさまじく、まるでコンサートを聞いているかのようだった。どうすれば、あれだけの微妙な音調の変化に対応できるんだろう。

僕たちは、 DJ 席から見て、ちょうど8番席と左右対称の位置にある2番席に陣取った。タイ語ポップスは、日本のものに比べてキーが低い。しかも、レーシックで完璧に矯正された視力で、巨大なスクリーンに投影されているタイ文字を読むめば良いだけだから難しくない。ところが友人によると、中学校以降の音楽芸術では、古典舞踊に重点が置かれ、合唱の授業はほとんどないという(サットリーウィッタヤー中等教育学校)。案の定、友人は小学校6年生のような歌い方をしていた。

それまで、僕たち2番席は比較的新しい曲(2年以内)をリクエストし、8番席は比較的古い曲(3-4年前)をリクエストしていたが、酒が進むにつれ次第に誰もにリクエストを出さなくなった。しかし、 DJ としては、音楽を中断するわけにいかないため、勝手に選曲してつぎつぎと客に歌わせた。リクエストを出す側と受ける側の立場が完全に逆転した。こうして、 DJ 主催のタイ映画「ワイオンラウォン4」(2番席)挿入歌 VS タイ映画「フェーンチャン(僕の恋人)」挿入歌(8番席)の戦いが始まった。曲目はつぎのとおり。

ワイオンラウォン フェーンチャン
1. เธอที่รัก / Paradox
2. รักหนอรัก / บัวชมพู ฟอร์ด
3. น่ารัก / ดา Endorphine
4. สองคนหนึ่งคัน / AB Normal
5. ไม่มีฉันแล้วเธอจะรู้สึก / Mr.Team
6. พรหมลิขิต / ปู Blackhead
7. ระทมรัก / อุ๊ หฤทัย
8. สุขาอยู่หนใด / กบ Taxi
9. กุหลาบน้อย / ชัยรัตน์ เทียบเทียม
10. ความเดิม / นิติพงษ์ ห่อนาค
1. แฟนฉัน / AB Normal
2. รักครั้งแรก / จั๊ก ชวิน
3. ความทรงจำสีขาว / ปาล์มมี่
4. คิดถึง / AB Normal
5. ป้ากะปู่ กู้อีจู้ / Dajim
6. รักบึงเก่า / เพื่อน
7. คอนเสิร์ตคนจน / นกแล
8. น่าอาย / รอยัลส์ไปร์ท
9. ใจเธอใจฉัน / 18กะรัต
10. คนที่รู้ใจ / แหวน ฐิติมา
11. สายเกินไป / โอเวชั่น

ほとんどが1度しか聴いたことのない曲ばかりだったが、友人に耳元で歌ってもらい、そのリズムに合わせて、なんとか全曲歌いきった。こんなスパルタカラオケに通っていたら、1週間もしないうちにボキャブラリーが100くらい簡単に増えてしまいそう。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で旅行中の高校時代の友人と合流し、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body Massage(キングスボディーマッサージ) (330バーツ)へ行き、エーガマイ通り(エカマイ通り)にある焼肉屋「座頭市」で夕食をとった。座頭市では開店1周年記念の焼肉食べ放題(ひとり300バーツ)をやっていたが、この店の焼肉がひと皿70バーツ前後であることを考えると、単品で頼んだ方が安上がりだったかも。午後8時半、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある大部屋カラオケ屋「アンチャン」前で合流し、午前3時まで歌い続けた。

帰りのクルマで、友人が面白いことを話していた。

「タイ映画『プアンサニット』のヒロイン『ダーガーンダー』(タイ語で愛しき人の意)って、やっぱり黒いわよね。タイ人は、それを『ダーガンダム(黒いと罵り合う)』って呼んでるんだけど、どう思う?」

そのジョーク、ブラックすぎ。ちなみにこの友人、最後の方の記憶がまったくないという。

2005年12月3日(土)

「この長蛇の列に並んでいるのは、この3連休を利用してやってきたカジノ客たちだ。出国審査場は8時には閉鎖されるから、それまでに手続きできければ、街まで引き返さなければならない。これから君がその最後尾に加わったところで、間に合わないんじゃないかな? それに、カンボジアにクルマを持ち出すのは、あまりにも無謀。鍵穴をこじ開けられて盗まれるのが関の山だ。どんなに君を助けたいと思っても、カンボジア領内で発生した盗難事件には手の出しようがない。やめておいた方が良い」

アランヤプラテート国境、午後7時10分。スワンソーン通り(タイ国道33号線)はすでに夕闇に包まれていた。遠くには、ひときわ明るい光を放っているカンボジア側のカジノ街「ポーイペート(ポイペト, ポイペット)」が見えた。道路中央にある「許可車両以外の通行を禁じる」と書かれた看板を無視して(国際車両通行証が許可証であると解釈した)出国審査場へ行き、車両用の国境ゲートで軽装歩兵から担当係官の居場所を教えてもらい、その先にある徒歩用の国境ゲートへと向かった。

壮年の小柄な自動車担当係官は、まだ受付終了時刻にはなっていなかったが、すでに掘っ立て小屋のような仮設オフィスの裏で同僚たちと酒を飲んでいた。別の係官に呼び出されて、ようやく席を立ち、冒頭にあるように話してから、「まあ、また明日来ればいいじゃないか」とアドバイスをくれた。

やむなく出国審査場の職員専用駐車場にクルマを駐め、徒歩用の出国審査場前にできている長蛇の列(400人くらい)の最後尾に並ぼうとしたところ、不潔でボロボロの服を着ているカンボジア人浮浪児(自由に国境を往来できる)が近づいてきた。

「お兄ちゃん、5バーツちょうだい。クスリを買うためにどうしても必要なの」

―― はてさて、どんなクスリのために必要なんだい? と、旅行者気分の軽い調子で受け答えしても良かったが、このような手合い関わるとロクなことがない。ここで根負けして5バーツ渡せば、つぎの5バーツをゲットするために無数の浮浪児たちが殺到してくる。

ところが、今回に限ってはそうではなかった。

「お兄ちゃんはタイ人じゃない。外国人はこの列に並ぶ必要ない。私の後に付いてくる」 カンボジア人女児は、片言のタイ語で貴重な情報を提供してくれた。さっそく女児のあとについて歩き、タイ人約400人と外国人30人の横を足早に通過して、最前列へと躍り出た。

最前列で人々の流れを管理しているカンボジア人青年は、浮浪児が「◎▲※◆□ジャポン」と言うと、タイ人入官職員の了解を取って手招きした。タイ人のオバさん連中が「ルールを守って列に並びなさい!」と叫んでいたが、女児に20バーツ札2枚を掴ませ柵を乗り越えて、冷房でキンキンに冷えている出国審査場に入った(オバさん連中は僕をタイ人と勘違いしていたが、僕が乗り越えたのは誰も並んでいない閉鎖中の外国人用ゲート)。

「兄貴、これからどこに行くんですか? わたしはタイ人の恋人と付き合っていたことがありますから、タイ語も話せますよ。気持ちばかりのお金をいただければ、シアムリアップ(シェムリアップ, アンコールワット)でもプノンペンでも、カンボジア国内ならどこへでもお供しましょう」

出国審査場を出ると、小汚い格好をしたカンボジア人青年が近づいてきた。普段なら無視してやり過ごすところだが、今回の旅行の目的は、いまだ足を踏み入れたことのないポーイペート(ポイペト, ポイペット)市内を探検して、巷に流布する情報の真偽を自分の目で確かめること。そのためには、やはりガイドがいた方がいろいろとやりやすいし、心が通じるレベルのタイ語を話せればそれで十分。人間、心が通う相手をそう易々と殺したりはしない。そう考えて、このカンボジア人青年を雇い入れた。

カジノ街ホテル Holiday Palace(ホリデーパレス) 入口付近でカンボジア到着ビザ(1,000バーツ)を申請し、カンボジア人青年と簡単な自己紹介を済ませて、カンボジアの入国審査場へ向かった。ここから先が、本物のポーイペート(ポイペト, ポイペット)市街。ロータリーの奥に見える Poipet Guesthouse(ポイペットゲストハウス) (400バーツ)にチェックインして、客室にある鍵付きの洋服ダンスのなかに、ノートパソコンと現金36,000バーツが入っているカバンを隠して、さっそくポーイペートの街を案内してもらった。

カンボジア国道6号プノンペン・ポーイペート(ポイペト)線は、アスファルトで舗装されているが手入れが行き届いていないためボコボコで、バイクが通過するたびにものすごい砂ぼこりが上がる。目のなかに大量に侵入してくる砂ぼこりに悩まされながら、国境とは正反対のプノンペン方面に向かって歩いていくと、右手に派手なホテルが見えた。

「まだホテルを決めてないようでしたら、ここを紹介しようと思ってたんですよ。カラオケ以外に、性感マッサージもあります。とはいっても・・・・・・ここの娼婦(売春婦)たちはクスリにハマっていて、そのために身体を売ってカネを稼いでいるような連中ですがね。特にこのホテルでは、ヤーバーやエクスタシーのみならずヘロインも蔓延しています」

東南アジア地域における売春は、主に違法薬物を購入資金を賄うために行われている。そのため、娼婦(売春婦)の麻薬汚染率はすさまじく高い。

タイの首都「グルングテープマハーナコーン(クルンテープマハーナコーン)(バンコク)」は、日本語に直訳すると天使大都。しかし、一部の日本人男性は、バンコクの地を這うる小汚いドブネズミにも等しい、麻薬に汚染されてい娼婦(売春婦)を、「天使」と呼んで天使の名を貶めている。そんな堕落退廃不義虚栄の象徴を崇め奉ってどうするのか?

小さな路地を左折すると、カンボジア人青年が言った。

「ここがポーイペート(ポイペト, ポイペット)のバスターミナルです。外国人観光客は、国境前のロータリーをバスターミナルと誤解しているようで、そこから法外な運賃を払ってシアムリアップ(シェムリアップ)やプノンペンへと向いますが、ここから乗れば普通に正規料金で行けるんですよ」

バスターミナルがある薄暗い未舗装路の両脇には、ピンク色の照明が眩しい置屋(簡素なセックス小屋)や謎の飲食店が並んいる。その奥へ入っていくと、屋外映写場兼キックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)試合場があった。木戸賃はひとり50バーツだった。

そこでキックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)を2時間ほど観戦していたが、その間、観客たちのあいだで小規模な乱闘騒ぎが頻発。小銃を肩にかけている兵士が鎮圧にあたり、そのたびに観客はプラスチック製の椅子に総立ちになり大いに盛り上がった。クライマックスの試合では重大な八百長があり、双方の選手が除名処分になった(カンボジア語のアナウンスをタイ語に訳してもらった)。

試合終了後、カンボジア国道6号線へと戻る途中、さっきからずっと気になっていた「全員が道路に向かって座っている」謎の飲食店に立ち寄った。扉のない入口をはいると店の奥へとされた。入口の左右にはテレビが1台ずつあり、左側のテレビには香港映画、右側のテレビには日本の無修正アダルトビデオが映っている。いい歳をした20人からの大人たちが、コーラを飲みながらそれをじっと眺めている。このシチュエーションをどうやって楽しめばいいのか悩みに悩み、20分もしないうちに店を出た。これでは香港映画にもアダルトビデオにも集中できない。

ポーイペート(ポイペト, ポイペット)の街は、国境付近に外国人専用カジノがあり、市街地には置屋と麻薬がある。それ以外に、何もない。まともな商店もなければ飲み屋もない。あるのはせいぜい屋外映写場兼キックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)試合場、アダルトビデオと一緒に見る謎の映画館くらい。

バスターミナル前の未舗装路は、昨晩降った大雨のせいでグチャグチャになっていた。革靴が泥濘のなかに何度もめり込み、右往左往しながら歩いていた。左右に並ぶ風俗店を冷やかして回っているうちに、タイ語を話す娼婦(売春婦)たちと意気投合し、実際に麻薬を使っている現場を見せてもらった。

「警察? あっはっは。そんなのがこの街にいるとは聞いたことないわ」

14歳から25歳くらいまでのベトナム移民の娼婦たちは、「ヤーバー」を気持ちよさそうに吸いながら、そんなメチャクチャなことを言ってのけた。そうか、この甘ったるい香りを放つクスリのために身体を売っているのか。

ヤーバーとは、過去に日本でヒロポンやシャブと呼ばれていたものと同じで、メタンフェタミン系の覚醒剤。現在、東南アジア一帯で猛威をふるっているのは、日本でアイス、スピード、エクスタシーなどの名称で知られている、あぶって吸引したり内服して摂取できるタイプのもので、強い覚醒作用や精神賦活作用がある。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、ヤーバーを吸引すると元気いっぱいになってジッとしていられなくなり、どんなことでもいいからいいからやりたくなるという。クスリの効果が切れると、強い疲労感や虚脱感を感じるため、強い回帰性があり危険。末端価格は1錠100バーツ前後。

つづいて、ガンチャーと呼ばれる大麻を見せてもらった。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、ここではヤーバーが圧倒的な人気を得ており、大麻の利用はあまり一般的ではないという。なるほど、このハッパとハッカを混ぜたの生臭い臭いを放つクスリのために、前途有望なアーチストたちが警察に次々と検挙されていくのか。

大麻はクワ科の一年草。中央アジア原産の植物で、古代から繊維用として栽培されてきた。葉などをあぶってその煙を吸うと、 THC という成分により酩酊感、陶酔感、幻覚作用などをもたらす。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、味覚、嗅覚、聴覚が異常に発達して、料理が美味しくなりクラブが楽しくなるという。一方、免疫力の低下や白血球の減少などに見舞われるほか、「大麻精神病」と呼ばれる独特の妄言や異常行動、思考力低下などを引き起こすし、「フラッシュバック」と呼ばれる後遺症に苦しめられる。末端価格は500mlのペットボトル一杯の大麻で300バーツ程度。

2005年度前期の東南アジア麻薬流通論で、麻薬は脳に修復不能な損傷を与えると教わったため、娼婦(売春婦)たちから勧められても手を出さずに済んだ。それに、カンボジア人娼婦(売春婦)たちが、深夜のスクンウィット通り(スクンビット通り)を徘徊している娼婦(売春婦)に輪をかけて不潔で病的だったため、売春に手を染めずに済んだ。

深夜、ポーイペート(ポイペト)市街とポーイペート(ポイペト)カジノ街のあいだは完全に封鎖されて通行できない。そこで、カジノ街の北にある抜け道からカジノホテル Star Vegas(スターベガス) の裏に出た。カジノホテル Star Vegas(スターベガス) にあるクラブ「ナングレン(ナンレン)」には、強烈な大麻の臭いが充満していた。

大通りの向かいにある、カジノホテル Holiday Poipet(ホリデーポイペト) 脇にある貧しさ炸裂の掘っ立て小屋で夜食の即席麺を食べていたところ、小汚い格好をした男が変なタイ語で「オンナはいらんかね?」と言いながら近寄ってきた。それを断ると、今度はガンチャー(大麻)を勧められた。

カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト, ポイペット)は、まさに堕落と退廃という言葉がピッタリの街。麻薬と性風俗が横行している街。警察と正義が存在しない街。そしてバンコクより物価が安い街。

麻薬や性風俗だけを生き甲斐にしていたり、客が入らない風俗店を営んでいるようなバンコク在住の不良日本人たちは、みんなポーイペート(ポイペト, ポイペット)に移住してしまえばいいんだ。ここには不良貧困日本人たちが必要としているものすべてが揃っている。しかも、都市部の中間層がないから、中間層の現地人を「ハイソ」と呼んで卑屈にならなくても、日本人として振る舞い自由気ままな生活がおくれる。そこで不良日本人たちは格安で買春と麻薬存分に堪能し、それでわれわれまともな日本人が住んでいるバンコクの日本人社会も清潔になるなら、みんなハッピー。誰も何にも損しない。

Poi Pet Guesthouse(ポイペットゲストハウス) へと戻るバイクタクシーで、カンボジア人青年が言った。

「この街では、拳銃が6,000バーツの安値で取引されている。先日、俺の友人も2,000バーツで自分の拳銃を売り払っていたよ。君は俺を信用し、俺も君を信用しているから問題ないが、常識的に考えて、君の行動は自らの命を危険に晒している」

あんな真っ暗で何もないカンボジア国道6号線を、バイクタクシーで40分も深入りするなど、本当にどうかしていた。

午後3時ころ、スクンウィット(スクンビット)5にある Food Land(フードランド) で昼食をとった。午後4時半にナコーンナーヨック市(ナコンナーヨック市)、午後6時にサゲーオ市(サケオ市)を通過して、午後7時10分にアランヤプラテート国境に到着。カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト, ポイペット)の市街地を見物した。

2005年12月4日(日)

「首相、明日に控えた余の誕生日を祝福してくれてありがとう。素晴らしいスピーチでこの会場の内外にいる人々を元気づけてくれてありがとう。つい先日、余は首相のスピーチを讃えると、自分の不利益になると反対する者がおると知らされた。ところが、余が首相を讃えたところで他の者は讃えぬやもしれぬし、もし余が首相を讃えねばなぜ讃えぬのかと言われ、余自身が讃えられなくなってしまう。だが、首相は讃えられるために存在している。もし讃えられねば、首相としてはいささか不満であろうし、首相が不満なようで、この式典をどうして進めることができようか。だから、首相のスピーチは素晴らしかったと讃えねばならぬ。首相様のスピーチは良かった。あなた様は余を賛美するためにここにいらっしゃる。賛美を好み非難を嫌うのは、いたって正常なことである。余が落ち度を非難し続けることを、かの者はさぞ不満に思っているであろう。しかし、仮に余が誰かを非難しているとしても、たとえかの者が新聞社に掛け合って『王様が非難しているのは、自分ではなくあんな人やこんな人のことだ』と書かせても、余自身が特定の誰かを非難していると公言せぬかぎり、結局のところ、誰も非難されなかったことになる」

午後4時半、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」14階のミニマートで、民放各局が放映している国王の演説を聴いて驚いた。

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)は、タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)の首相就任以来、一貫して強い嫌悪感をあらわにしている。そして、今回はなんと自分より格下の首相を「様」付けで呼んで皮肉をお示しになり、首相の「非難嫌い」を論ったうえで、その独善的な政治姿勢について戒めているではないか! (ヂットラダーラホーターン王宮(チットラダー宮殿)ドゥスィッダーライホールで、国王78歳の誕生日を祝うために訪れた21,859名を前に下賜された勅語)。

タイは立憲君主制をとっている。そのため、立憲君主が国政に干渉することは、憲法によって厳しく制限されている。しかし、国王誕生日慶賀式典が催される12月4日は、一年に一度だけ、しかも一時間だけという時間制限付きで、参列者への返礼というかたちをとって、国王が国民に自由に直接語りかけることができる。制度上、タイの国王には政治的強制力はない。しかし、国民からの絶大な支持を集めている国王の演説は、知的かつウイットに富んでおり、かなりの政治的影響力を持っている。

現在、タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐は、日刊紙「プーヂャッガーン(プーチャッカーン, マネージャー)」の社主ソンティ・リムトーングン氏との泥仕合を演じている。タックスィン(タクシン)陣営は、国家権力を総動員して、ソンティ社主を国家反逆罪・王室不敬罪の疑いで投獄しようと試みており、もう一方の、ソンティ陣営も、国家資産私物化を理由にタックスィン(タクシン)首相を退陣へと追い込もうとしている。一部軍官僚などの過激な発言もあって、巷ではクーデターが噂されている。このような状況下でおこなわれた今回の国王演説は、疑いなくソンティ氏に有利に働いたはずであり、翌5日の高級日刊紙マティチョンは「今上、喧嘩もほどほどにとの詔勅」と報じている。

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)は最後に、「ほどほどの成功、ほどほどの経済状態」に言及し、「本当の成功が何のことかなんて分からないさ」と投げやりに言い放ったうえで、成功者の代名詞である首相をふたたびび詰り、式典に参列した人々に礼を言って演説を締めくった。

タイはいろいろな問題を抱えているが、国王が健在であるうちはまだまだ捨てたもんじゃない。政財界で圧倒的な権力を握っている首相に対抗できるのは、いまや国王ただひとりになってしまったがが、その国王が正面切って物申しているうちはこの国も大丈夫。今回の国王演説を聴いた人々の、国王に対する信頼感はより一層高まったはず。

ところで、今朝の目覚めは強烈だった。

「あなたが早起きするかもしれないと思って、真正面の部屋をとっておいたんですよ。宿泊費400バーツかかりました」

朝、ホテル Poi Pet Guesthouse(ポーイペートゲストハウス) 客室の扉を開けると、正面にある部屋の扉が開いていた。しばらく、向かいの部屋の様子を眺めていると、そこに昨晩のカンボジア人青年が現れた。この瞬間、バンコクに帰りたい衝動に見舞われた。常識と文明的が恋しい!! 親切だが物乞いのような雰囲気を放っているこの男につきまとわれるのはもうご免だし、麻薬や売買春と隣り合わせの生活にもウンザリ。こんなところにいたら、本当にどうかしてしまいそうだ。昨晩は、「悪の道」へと足を踏み入れるのを思いとどまったが、次に何かあったら、どうなるか分かったもんじゃない。必要な情報収集が完了した今、こんなヤバい街からは一刻も早くおさらばするに限る。

正午、カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト)を発ち、午後3時には Robinson(ロビンソン) 百貨店スクンウィット店(スクンビット店)McDonald’s(マクドナルド) に到着し胸をなで下ろした。

2005年12月5日(月)

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)78歳の誕生日にともなって地上波各局で放映されている各宗教指導者からのお祝いの言葉を、部屋で調べ物をしながら一日中聴いていた。イスラーム教指導者の「タイ国内のイスラーム教徒はすべて国王陛下に対し忠誠申し上げる」という文言は特に興味深かった。

2005年12月6日(火)

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と談話してから、スィーロム(シーロム)6にある中華料理店「上海小龍包」で別の友人と夕食をとった。

2005年12月7日(水)

「当初予定200に対して、この24という数字はどういうことだ? それで今後3ヶ月間の資金繰りに問題はないのか?」

昼すぎ、スクンウィット(スクンビット)49にあるサミティウェート病院(サミティベート病院)の病室へ見舞いに行ったところ、某財閥系企業のファミリー幹部たちが、ある商品の販売戦略について話し合っていた。この商品は Seven Eleven(セブンイレブン) などで広く市販されている清涼飲料水だが、発売開始以降売り上げが伸び悩んでおり、40分にもわたって堂々めぐりの議論が続いていた。さすがに銀行系の財閥だけあって、金融財務関連の経営知識には明るいようで、関連する英単語が頻繁に飛び交っていた(専門用語はタイ語より英語の方がよく使われる)。

タイのテレビドラマに登場する「ハイソな家庭」を遙かに上回るスーパーハイソな人たちだったが、テレビドラマとは違ってバンコクの中流家庭のように振る舞っていたのは意外だった。まあ、みんなが役者のようにオーバーアクションをしていたら気持ち悪いから、このくらいがちょうどいいかも。上座から3番目のソファーに座るよう勧められたが、あまりに恐縮して2分もしないうちに席を立った。もちろん、こんなところで僕ごときに発言できることは何もない。

昼すぎ、アソークモントリー通り(アソーク通り)にある西洋料理店 Neil’s Tavern で、タイの軍官僚たちと昼食をとった。ある陸軍大将によると、タイの軍階級は国王から個人に下賜されたものだから、勝手に放棄することはできず、退役してもそのまま生涯名乗り続けなければならない。タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐をはじめ、一部の個人が他の地位に就いたあとでも前職の階級を名乗っているのには、そういた事情があるという。また副官から、さまざまな政治的危難から身を守るノウハウについて教えていただいた。その後、スクンウィット(スクンビット)49にあるサミティウェート病院(サミティベート病院)の病室へ見舞いに行き、トーングロー(トンロー)3の日本料理屋 MARU で夕食を、スクンウィット(スクンビット)23にあるイタリア料理店 GIUSTO でワインをご馳走になった。

2005年12月8日(木)

「おやおや、この一年間で修理が2回。合計すると35,000バーツにもなるねえ。これだけの予算があれば、今後エンジン回りの修理など一切考えなくても良くなるのに。エンジンそのものを交換してしまえばいいんだから。それも BMW 5シリーズの良いものにね」

午後9時、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)の細くて深い薄暗い小街路の奥にある自動車整備工場で、友人の親戚にあたる自動車整備工が言った。

この付近は、バンコク郊外の住宅地で、一軒家が軒を連ねているが、人の往来はほとんどなく、ときおり近くの商店に買い物に行く中年男性が上半身裸で通りを歩いている。自動車整備工は、舗装された3メートル道路を隔てて母屋と反対側にある母屋から、上半身裸のまま薄暗い作業場に現れた。故障箇所については以前から詳しく説明していたが、念のため発生条件などについて確認した。それを鳥小屋のインコが復唱していた(何を言っているのか不明だが妙にタイ語っぽかった)。

こんな夜分遅くに図々しく押しかけてしまったから、クルマを預けてすぐに帰るわけにもいかず、自動車整備工の気が済むまで話に付き合った。冒頭の話は、過去の修理明細を手渡したときのもの。

いま BMW 318i に搭載している排気量 1,800cc の標準仕様エンジンを、排気量 2,500cc の5シリーズ用のエンジンに換装できたら、どんなに良いだろうか。日頃から、この貧弱なエンジンにはウンザリしているところだから、近日中に売却するつもりじゃなかったら、ポンと30,000バーツ支払って換装を依頼していたかもしれない(それにしても、これまで無駄な修理が多すぎた)。

ちなみに、今回はエンジンの吸気量を調整する「エアフローメーター」を交換する予定。予算はおおむね7,000バーツ。

昼、部屋でブログ管理プログラム Moveble Type をバージョンアップした(トラックスパムと呼ばれる変なリンクを排除するため)。その後、友人が買ってきてくれたカーオグラパオムーサップ(豚肉のバジル炒めご飯)を食べてから、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場へ出かけた。

そうそう、危うく明日の飛行機に乗れなくなるところだった。いつもはユナイテッド航空を利用しているからリコンファーム不要だが、今回はインド航空で一時帰国することになっているため、出発72時間前までにリコンファーム(予約の再確認)をしなければならない規則になっている。これを日本在住の友人から指摘されて、大急ぎでインド航空オフィスに電話を入れたが、出発33時間前にもかかわらず、すんなりリコンファームできた。

2005年12月9日(金)

「鼻の横に大きなニキビができてるじゃない? このまま放っておくと大変なことになるし見た目にも悪いから、できるだけ早いうちに皮膚科で処置してもらった方がいいわよ。ちょうど、わたしもそろそろ皮膚科に行かなきゃいけない頃だから、途中で待ち合わせて一緒に行きましょうよ」

朝、友人に指摘されて鏡を見たところ、珍しく大きなニキビができていた。明日からの数日間、日本でいろんな人に会うことになっているから、ここは友人の勧めにしたがって処置してもらったほうが良さそう。夜、セントラル百貨店プララームサーム(ラマ3世通り)店2階にあるラッチャダー(ラチャダー)・プララームサーム皮膚科クリニックへと向かった。

クリニックの内装は、白一色で統一されており、簡素だが清潔感が上手く演出されている。診察室で症状について女医に説明すると、医師の貫禄からは想像できないファンキーな口調で「なにか思い当たる節ある?」と尋ねられた。先月レーシックをして6日間も洗顔できなかったから、やむなくコットンとクレンジングフォームに頼っていたと答えると、医師は卓上灯を顔面に当て、ハンディーカメラで皮膚の状態を記録しはじめた。

「ひどい脂性ね。これだからニキビができるのよ。それと、タバコは皮膚の老化を加速させる原因になるから、すぐにやめなさい。とりあえず、アンチエイジングとニキビ対策をしておきましょう」

①レーザーを使うことで肌の瑞々しさを取り戻しニキビを予防するマッサージ(500バーツ)、②ニキビ処置(150バーツ)、③白い固形物を擦り付けることで肌の若々しさを取り戻すアンチエイジングマッサージ(700バーツ)を受けた。

ニキビ処置は、①金属製の金具でニキビを潰し、②2本の綿棒を使って中にある膿を出し、③そこに注射するという流れ。小さなニキビの場合、②は省かれる。

効果は今ひとつハッキリしないが、巨大なニキビ1ヶ所と小さなニキビ20ヶ所は取り除かれた。

このコース、日本のエステだったら13,400円くらい。バンコクの中間層のあいだでは一般化しており、 OL や女子大学生だけでなく男性も通っているという。

夜、セントラル百貨店プララームサーム(ラマ3世通り)店2階にあるラッチャダー(ラチャダー)・プララームサーム皮膚科クリニックでフェイシャルエステを受けてから、4階にある中華料理店「上海小龍包」で夕食をとった。帰宅後、大急ぎで荷造りをして、タクシーに乗り込み、午後10時40分にバンコク・トーンムアング(ドンムアン)空港に到着。インド航空 AI 306 便で成田空港へと向かった。

2005年12月10日(土)

「シューマツ ก็(ゴー) ・・・・・・ダイジョーブ」

深夜、六本木にある多国籍クラブ Muse(ミューズ) 地下3階で、不細工な日本人男性が、超不細工な南部系タイ人女性に言い寄っていた。女性はダンスフロアがある地下2階へ階段を駆け上りながら、男性の「じゃあ週末は大丈夫?」という問いかけに振り向きもせず、冒頭のように答えた。ちなみに、タイ語の「ゴー」にはいろいろな用法があるが、この場合は「う~~ん」っといったカンジ。

午前0時16分、地下鉄六本木駅3番出口から地上に出た。終電も間近というのに、六本木交差点前は日中のオフィス街のように人々がひっきりなしに行き交い、商業ビルの2階に設置されている大型液晶モニターからはパラパラ全盛時代のダンスミュージック Night of Fire(ナイトオブファイアー) が大音量で流れていた。

そういえば、大学1年生の夏に、せめてこれくらいは踊れるようになろうと、ビデオを見て練習したこともあったっけ。あれから9年が経ったいま、東南アジアでいろんな不思議なものを見てきて、フニャフニャしている謎の文字を何不自由なく読み書きできるようになった自分が、当時と同じ曲を聴いている。

友人によると、六本木には多国籍クラブが多数あり、外国人がいないクラブなどほとんどないという。六本木3丁目にある大型ディスカウントチェーン「激安の殿堂ドンキホーテ六本木店」前でロサンゼルス留学時代の友人と合流した。先日、バンコクのクラブめぐりに付き合ったお礼として、今晩は六本木界隈のクラブ数軒を案内してもらえることになっている。ほかにバンコクで一緒にクラブめぐりをしたイスラエルから帰国したばかりの友人と、外国人男性すべてを吸い寄せるモテモテの友人も加わり、外苑東通りにあるクラブ Hide Out(ハイドアウト) へと向かった。

階段をおり、コートやカバンをロッカールーム(300円)に突っ込んで、さっそくフロアへと向かった。カウンターで注文しようとメニューを眺めていたところ、せいぜい350ml瓶で600円くらいと思っていたハイネケンビールが800円もすることを知って驚いた。しかも友人によると、これはまだ安い方で、他の店に行けば1,000円はするという。バンコクの60-110バーツと比べて2.5-4.6倍、 LA のブロードウエーブルーバード沿いにあるクラブの4ドル+チップ1ドルと比べてもなお1.6倍もする計算になる(しかもカウンターでチップを払わなくてもいいのは意外だった)。

男性客のほとんどは西洋人で、アジア系(日本人を含む)はむしろ少数派。女性客は半数程度が日本人だったが、ほかに中国人、韓国人、フィリピン人、タイ人もいる。希に白人や中南米系の女性の姿も見られた(ほかにヤマンバと呼ばれる黒い肌をした日本人女性客も若干名いたが、あまりにも美しくないからソッコウで視界から外した)。

R&B に始まりトランスへといった流れでフロア全体が盛り上がりはじめてきた午前2時ころ、2つのグループに分かれた。寒空の下、ガクガクと震えながら六本木通りを友人と1キロほど歩き、西麻布交差点を左に曲がったところにあるクラブ Muse(ミューズ) へと移動。オシャレなカウンター席で疲労を回復させながら、ロサンゼルス留学時代の思い出話や友人たちの後日談について話し合った。エントランスフィーは2,000円(2ドリンク付)、カクテル1杯900-1,000バーツだった。

午前4時半、六本木駅前郵便局近くの雑居ビル3階にあるクラブ Quest(クエスト) でふたたび友人たちと合流し、午前7時まで無料シャンパン券などを使って飲み続けた。

ところで、六本木界隈では、タイ産の栄養ドリンク「グラディングデーング(クラティンデン)(Red Bull)」が流行っている。どのクラブにも看板が掲げられており、外国人客がカクテルなどに混ぜて飲んでいた。また、トイレ前でベトナム人男性とこの栄養ドリンクについて話し合っていたところ、タイ人と間違えられて、

「新宿のホストクラブとかで働いているんですか?」

と尋ねられた。(僕にホストとしての適性があるかどうかはともかく)六本木界隈のクラブには外国人が多く、人々の意識が自然と多国籍前提になっているような印象を受けた。アジア系の外国人女性が日本国内でホステスとして働いている話はよく聞くが、アジア系の外国人男性もホストとして働いているんだろうか。

先日、バンコクに住んでいる日本人の友人が興味深いことを話していた。曰く、

「あるブログによると、六本木のクラブに通っている一部の日本人は、バンコクに来て立場を逆転させることに喜びを見出しているそうだ。目の前でイイオンナたちが次々と外国人客にかっさらわれて行くことに彼らは日頃から強烈な不満を募らせており、タイで立場を逆転させることによりストレスを発散させようと考えているらしい。タイにハマるのはモテない男ばかりと言われているが、このような男も相当数いるんじゃないか?」

六本木界隈のクラブについては他人に語れるほど精通していないが、今晩見て回った印象では、六本木界隈のクラブはバンコクよりもイージーそうな雰囲気だった。実際にイージーかどうかはともかく、比較的「オープン」であることは間違いない。さすがにバンコクのクラブ(現地ではパブと呼ばれている)であそこまで露骨に抱きついて歩き回ったら、必ずや露骨に嫌な顔をされること疑いない(たぶん肘打ちを食らう)。さらに、空間的なユニティーを形成している日本のクラブシーンとは違い、バンコクでは仲間内での強固なユニティーが形成されているから、知らない人から話しかけたところでどれだけまともに受け答えしてもらえるか分からない(それ以前に音量がうるさすぎて会話すらおぼつかない)。

また、バンコクのクラブでは、「オープン」になっている女性の比率があまりにも低すぎるのに加え、そのまま連れて帰って楽しんでしまうといった発想もあまりポピュラーではなく、携帯電話番号を交換して、後日デートを楽しむといったステップを踏むことが多い。このような煩わしいルールがないのは、カラオケスナックのホステスやソープランドで働く娼婦らでごった返しているラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある Hollywood(ハリウッド)ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6にある Dance Fever(ダンスフィーバー) 、北トーングロー(トンロー)Bossy(ボッシー) 程度のもの。そう考えれば、バンコクに来れば立場を逆転できるという発想は正しくない(もちろん娼婦(売春婦)を女性とみなすのであれば一理ある)。より厳密に言えば、仮にタイ人娼婦(売春婦)に対しては有効であっても、世間一般のタイ人女性客には適用できない。

それで、六本木のクラブにいる女性客がどうだったかというと・・・・・・実のところあまりよく分からない。もしかしたらバンコク都内にある外国人客の多いクラブに見られるような傾向があるかもしれないし、そうでもないかもしれない。この辺についてはあまりリサーチしなかったから最後まで分からず仕舞い。

午前2時にクラブの閉店が義務づけられているバンコクに住んでいると、外が明るくなるまで遊び倒すことに妙な違和感や罪悪感がある。一晩の予算は7,000円程度。飲み屋に行くと思えば決して高くない「六本木クラブめぐり」。ちょっとハマってしまいそうだ。

それにしても、六本木界隈のクラブもなかなかいいじゃないか。ちょっとしたデートに出かけるなら、絶対に居酒屋ではなくクラブを選択するべきだ。椅子に座ってカクテルを飲み、気が向いたときにフロアへ行って楽しく踊ればいい。

午前9時40分、インド航空 AI 306 便は定刻より1時間40分遅れて成田空港に到着した。久々の深夜便だったがろくに眠ることができなかったため、実家に戻ると、歯も磨かないままベッドに潜り込んだ。約7時間の睡眠ののち、日本料理店で両親と会席料理を食べて、地下鉄で六本木へと向かった。複数のクラブをまわり、午前7時に店を出た。京都に本店があるという中華料理チェーン「天下一品」でバンコクにはない「味の素の味がしない味噌ラーメン」を食べて感動し、電車に揺られて帰宅した。

2005年12月13日(火)

11日 夕方まで熟睡した。

12日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを申請。日本人係官によると、出入国制限のない1年間有効の留学ビザは現在発給していないという。ビザの発給に必要な書類のうち、身元保証書と身元保証者のパスポートのコピーが欠けていたが、ビザを受領するときに提出すればよいと言われ、パスポート、申請用紙、大学からの招聘状の3通を提出した。その後、渋谷で働いている大学時代の友人とラーメンを食べた。

13日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを受給。領事部査証課のプレハブ製オフィス内には液晶モニターが設置されており、今年11月1日にサービスが始まったばかりのタイ3チャンネル(タイ公共放送, 外国語衛星放送専門放送局 Access TV 配給, 月額2,840円)が放映されている。待合室の内外には頭の悪そうなタイ語を話すタイ人女性がたくさんいた。ああ、おそらく・・・・・・と思って、彼女らは自分とは無関係のタイ人として視界から外した。このとき、タイ人男性の姿をほとんど見かけなかった。彼女らと一緒にいる日本人男性と、タイ赴任を控えてビザ申請に来ている日本人サラリーマンのコントラストが印象的だった。日本国内におけるタイ人社会のレベルの低さについてを考えさせられた。頼むから娼婦(売春婦)を日本に連れてくるな。タイ人社会とは本来、もう少しまともなはずだし、日本国内のタイ人社会もそうであって欲しい。その後、4月から働く会社の内定者懇談会に参加し、有楽町駅前にある家電量販店「ビッグカメラ」に寄った。

2005年12月14日(水)

「あ、ごめん。すごく体調が悪くて電話に出られなかったの。きょうは一日中、ずっと実家で寝てた。本当に迎えに行きたいんだけど、これじゃダメっぽい。そうだ、ウチに寄っていかない? そうすれば、すべてバッチリになるはずよ」

午後11時40分、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)の駐機場から旅客ターミナル行きのシャトルバスに乗り込んだ。携帯電話の電源を入れて帰国の報告をすると、友人が冒頭のように話していた。今回はパーフェクトな空の旅を目指していたが、あともう少しのところで失敗した。でも、体調不良とあれば仕方ない。約7時間にもおよぶ空の旅で疲労困憊していたため、誘いを断って帰宅した。

4日前、いつものようにユナイテッド航空エコノミークラスの航空券(1年オープン, 52,040円)の手配を友人に依頼したが、ハイシーズンのため予約が取れなかった。そこで別の方法について尋ねると、ユナイテッド航空のウェブサイトで利用可能マイル数を調べるように勧められた。なんと49,873マイルも貯まっていた。

きょうで留学開始から1,499日が経過した。その間、いろんな都市へと飛んだが、これまでマイルにまったく無関心だったため、こんなにたくさん貯まっているとは意外だった。

ユナイテッド航空では、飛行機に乗ることでポイントが貯まる Mileage Plus Program(マイレージプラスプログラム) を実施している。 Mileage Plus(マイレージプラス) と呼ばれる無料アカウントを開くことでポイントを加算できるようになり、蓄積されたポイントは「マイル」という単位で計算される。一般会員資格でエコノミークラスに搭乗すると、成田バンコク間の片道で2,868マイル、成田ロサンゼルス間の片道で5,451マイル加算される。

蓄積されたマイレージは、特典旅行券(無料航空券)の入手やアップグレードなどに使うことができる。アジア圏内フライトの場合、それぞれエコノミークラスで20,000マイル、ビジネスクラスで30,000マイル、ファーストクラスで40,000マイルが必要になる。

12月16日に友人の結婚式があるため、どうしても前日の15日までにバンコクに戻ってこなければならなかった。まだ空席があるユナイテッドファーストをマイレージと交換するか、エコノミークラスを割高な正規運賃を払って購入するよう友人に勧められ、ユナイテッドファーストに乗ることにした。ユナイテッド航空のウェブサイトから予約できる。

搭乗手続終了時刻ぎりぎりに成田空港に到着し、日本にしか売ってないお菓子を大量に買ってからチェックインを済ませ、長蛇の列ができているイミグレーションで出国審査を受けて、ユナイテッド航空のファーストクラスラウンジでへと向かった。駐機場を一望できるソファー席に腰を下ろし、ワインを飲みながら友人と電話をしてから飛行機に乗り込んだ。

かねてから一度は座ってみたいと思っていた 1A のシートで、ファーストクラスのコース料理を満喫した。味はそこそこ、普通の料理店ならもう二度と行かないというレベル。

2005年12月15日(木)

「ろくに食堂もない不便なスクンウィット通り(スクンビット通り)に住んでるくらいなら、いっそのこと完璧な生活環境が整ってるここに引っ越してくればいいのに。この辺なら、美味しい食堂からコンビニまで何でもあるわ。手頃な家賃の新築アパートもたくさんあるし、古いアパートも改装されてどんどんキレイになってるし。それに、ウチの大学の女の子とたちがカワイイことで定評あるのは知ってるでしょう? チュラに通ってる日本人なら、モテること間違いなし。さあ、クルマの修理が終わったら、つぎは引っ越しの準備よ」

午前1時50分、プラチャーソンクロ23にあるホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)前の学生寮街で、友人は言った。こんな夜更けでも、通りは大学生の男女で賑わい、コンビニ、商店、屋台なども繁盛している。すこし歩けば、法令によって午前零時以降の販売が禁じられている酒類も簡単に買える。

大学敷地面積の何倍もある広大なエリアに、学生向けの民間アパート(このレベルのアパートは「(ホーパック)」と呼ばれている)が密集している。近代的な設計を取り入れている新築アパートが多く、家賃は月々3,000-5,500バーツで冷房完備。家計にある程度の余裕がある私立大学の現役学生(学費:年間50,000バーツ前後)が多いため、街全体にヤングでポップな活気がある。一部の困窮日本人が集住しているラーングナーム通り(ランナム通り)(高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(戦勝記念塔, ビクトリーモニュメント)徒歩5分)界隈(家賃4,500-6,500バーツ)のように貧民窟で絶望的な雰囲気を放っていないのがウレシイ。

このような学生寮街は、どの大学の近くにもある。アパートのグレードは各大学の授業料によって大きく左右される。

それにしても、友人が言うような薔薇色の学生街生活なんか送ったら、近所の大学に通っている学生たちに無料宿泊施設として使われ、私服、制服、歯ブラシ、教科書 etc の所有者が分からなくなってしまう。派手すぎる生活は度を超えると苦痛になる。昨年の今頃、話のネタのために4,500バーツくらいの別宅を借りることも検討したが、ただでさえハードな生活がもっと慌ただしくなるのはイヤだし、私物が2部屋に分散すると生活しにくくなるから取りやめた。

薔薇色の学生街生活を送ることを目的に部屋を選ぶなら、都内の各大学へと向かうバスの起点となっている高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(戦勝記念塔駅, ビクトリーモニュメント駅)周辺の、雑然としている界隈にアパートを借りるのも悪くない。ここなら▽マヒドン大学の医療系学部▽ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)ラーチャパットスワンドゥスィット大学(ラチャパットスワンドゥシット大学)トゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンッディット大学)ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)ラーチャモンコン(ラチャモンコン, ラチャマンカラ)大学ヂャッグラポングプワナート校(チャックラポンフアナート校)▽セントジョーン大学▽ラーチャパットスワンスナンター大学(ラチャパットスワンスナンター大学)を射程距離内に納め、さらに▽グルングテープ大学(バンコク大学)グルワイナームタイ校▽ガセートサート大学(カセサート大学)スィー