2005年10月1日(土)

「地方でクルマを煽るのは絶対にやめなさい。ここバーングセーン(バンセン)には、家の数と同じだけの拳銃があるって言われているのよ。しかもモーブー(ブーラパー大学)では、些細な喧嘩が原因の発砲事件が相次いでいるくらいなんだから」

バーングセーン(バンセン)(チョンブリー市, 人口193,736)の市街地を走行中、自動車道(モーターウェイ)7号線で前方を走るドイツ車を時速140キロで煽り続けたことについて、友人たちが藪から棒に忠告してきた。

そのとき、僕は「殺されるくらいなら、殺して牢獄に入った方がマシだ」と冗談まじりに応じたが、実のところ、そうも悠長に構えてはいられない。大衆社会の日本では、失うもののない社会的な地位が低い人ほど VIP のような傍若無人な振る舞いをしているが、タイでそこそこの相手に生半可なつもりで喧嘩を売ると死闘に発展することもある。安全弁は、日本より相当外れやすいと覚悟しておく必要がある。

法治国家のタイで拳銃をぶっ放せば、とうぜん警察には逮捕されるし、大学からも除籍処分を受ける。数年前まで「どんな事件もカネで解決できる」と言われていたタイの司法事情だが、社会全体の急速な綱紀粛正が進み、現在では賄賂以外にも司法当局の担当者を暗殺できる程度の実力がないと、殺人・麻薬・徴兵逃れなどの重大犯罪から免れることはできない。

昼すぎ、チョンブリー県チョンブリー市のバーングセーン海岸(バンセン海岸)にある海鮮料理店「ワングムック」で、日本では気軽に食べられないような新鮮な海鮮料理を友人たち3人と腹一杯食べた。全6品で860バーツ。ガソリン代(550バーツ)を負担している僕は支払いを免除された(高速道路通行料130バーツは友人たちの負担)。

一部の日本人たちのあいだでは、「タイ人には割り勘という発想がないから、比較的裕福な日本人が奢らなければならない」という説があるが、相手が金儲けで恋愛している娼婦でもない限り、タイ人はすすんで割り勘を提案してくれる(そうしないと自分のメンツとプライドが保てない。ただし自分が直属の上司である場合は奢らなければならない)。夕食時に友人たちが食費を負担するかどうかで、グループ内における自分の立場を窺い知ることができる。

午後8時頃にバンコクへと戻り、タニヤ通りにある「スター21」へ別の友人たちと出かけた。最初に電話口で店の名前を聞いたときにはカラオケスナックではないかと疑ったが、実際に言ってみるとカウンターに配置されているウエイトレスの数が多いだけの普通のカウンターバー。誰かと語り合うときに重宝しそうな店だ(ひとりでも楽しめるかも)。店を出てタニヤ通りをふらついていたところ、屋台で飲んでいた見知らぬカラオケスナックのホステスたちに引き込まれて、午前3時まで飲み会に付き合わされた。タイにおける娼婦(売春婦)たちのおかれている窮状を正しく理解していれば、日本人という立場から娼婦(売春婦)たちが「そうだ、その通り!!」を相づちしたくなるようなクリティカルな話題を連発できる。帰宅して自分の腕を見てみると、なぜか緑色に光る蛍光腕輪がくくりつけられていた。

2005年10月2日(日)

一日中、部屋に籠もってタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。日没後に友人から映画に誘われたが断った。

2005年10月3日(月)

「就職先に証明書を提出するための血液検査ですか? もしそうでしたら、あらかじめおっしゃっていただけると助かるんですが」

昼すぎ、高架電車 BTS スラサック駅前にあるセントルイス病院の診察室で、愛想の良い壮年医師に血液検査をしたいと伝えると、真っ先にこのような質問が返ってきた。就職がかかっている血液検査であれば、何らかの便宜を図ってくれるんだろうか。

ここのところ、喉に妙な違和感がある。先日、日本人の友人が性病を治したら喉の違和感もなくなったと言っていたから、自分も感染症に罹っているのではないかと思い、念のために私立セントルイス病院で血液検査を受けた(日本人通訳がいるような病院では費用がかさみすぎるし、割安な公立病院では一日中待たされる)。ちなみに、この病院にはセントルイス看護短期大学が付属している。

「まあ、エイズでもない限り、クスリを数週間飲み続けるだけで治りますから、安心してくださってけっこうですよ」

そりゃあ他人事なら安心だろう。看護婦のあとについて採血室へと向かった。

「もちろん使い捨てよ。そんなに疑うんだったら、これから新しい注射器を出すところを見せてあげるわ」

看護婦はエイズ性病検査キットから未開封の採血セットを取り出した。採血のあと、1時間ほど病院1階のベーカリーカフェ Au Bon Pain(オーボンパン) で時間をつぶしてから診察室に戻った。

「異常はまったくありませんでした。診断書が必要でしたら発行しますが・・・・・・」

タイ留学を始めてからの4年間、これまでソープ嬢やゴーゴー嬢などの娼婦(売春婦)と性交渉をしたことは一度もない。だから、エイズや性感染症になっていないのは当然としても、それならこの喉の違和感はいったい何なんだ? もし性病であれば、治療することで喉の違和感も解消されると期待していただけに、かえって有効な対処法を失い途方に暮れた。診察料は700バーツだった(海外旅行傷害保険の適用外)。

「バンコクの空気が悪いからじゃん? 喉が痛いなんて医者に言ったら、100バーツのノド飴を300バーツで売りつけられるのがオチだよ」

友人は電話口でそう話していた。

その後、セントラル百貨店ラートプラーオ店でストレートパーマ(2,500バーツ)をかけた。帰宅時に降った豪雨の影響により、スクンウィット3-19で大規模な停電が発生。排水ポンプも停止し、道路が縁石の高さまで浸水していた。そのなかを低車高のクルマで無理矢理強行突破したため、エンジンルームのなかに雨水が入り、途中何度もエンストしそうになった。コンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンウィットスイート)」の駐車場に戻ってきた頃には、フォグランプのなかに水がたっぷりと詰まっていた。

午後、日本で催された内定式への出席は、遠隔地にいるため免除された。海外交通費をもらっても、こんな時期に帰国してしまったらタームペーパー(学期末小論文)の提出期限に間に合わなくなる。

2005年10月4日(火)

「もしかして、今やってることに確信を持てずにいるんじゃないの?」

Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)、午後9時頃。たれタマゴ(カイヨーイ)の選択に納得し、地下駐車場へと通じる階段を腕を組み無言で下りていると、不審に思った友人がそう尋ねてきた。さすがに「そうだ、誤った判断にもとづいて誤った行動しているんじゃないかと常々疑問に思ってるんだ」と言うわけにもいかず、無難に「そんなことはない」と短く答えた。

タイ映画「プアンサニット(英題: Dear Dakanda)」は、アピチャート・ニティットナピチョンスティンの小説 Dear Dakanda 原作のロマンス・コメディー。タイ全国で大ヒットしたタイ映画「フェーンチャン」(2003年)のコングリット・トリーウィモン監督作品。「プアンサニット」とは親友という意味のタイ語。

この作品は、大学生「たれタマゴ(カイヨーイ)」(サンニー・スワンメーターノン演)が、チアングマイ大学(チェンマイ大学)美術学部と、そこから1,500キロも離れているスラートターニー県(スラタニー県)のパンガン島病院で、時間と場所、相手と立場を変えて体験した出来事を描いている。

チアングマイ大学(チェンマイ大学)時代、たれタマゴ(カイヨーイ)はバンコクの男子校からやってきたシャイな学部生だった。女子学生を前にすると、いつもギコチナイ振る舞いをしてしまう。そんなたれタマゴ(カイヨーイ)の前に現れたのが、変わった名前の天真爛漫な女子学生「ダーガーンダー(ダカンダ)」(ヌン=スィラパン・パッタナヂンダー演)だった。たれタマゴ(カイヨーイ)ダーガーンダー(ダカンダ)に一目惚れしたが告白する勇気がなく、しかもダーガーンダーがいつも他の男性に好意を持っていたこともあって、卒業までの4年間、ふたりの関係は「プアンサニット(親友)」以上にはならなかった。

パンガン島病院時代、たれタマゴ(カイヨーイ)チアングマイ(チェンマイ)からやってきた芸術家患者だった。スラートターニー(スラタニー)市街からパンガン島へと向かう船の上で、ミュージックビデオに登場する主人公の真似をしたら転落して足の骨を折り、パンガン島病院で目鼻立ちのハッキリしている南部系の女性看護師「ヌイ」(エー=マニラット・カムウワン演)による献身的な看護を受けた。ヌイはたれタマゴ(カイヨーイ)に好意を寄せていたが告白する勇気がなく、しかもたれタマゴ(カイヨーイ)が別の女性を気にかけていたこともあって、退院するまでのあいだ、ふたりの関係は「プアンサニット(親友)」以上にはならなかった。

時間と場所、相手と立場を変えて3人の想いが交錯するするラブストーリー。カイヨーイは、はたして山と海どちらの女性を選ぶのか?

この作品は、まさに「人生におけるオトコの選択」を扱ったもの。重要な局面でオトコがどのような選択をするのか興味がある女性や、過去に思い出に浸りたい男性にオススメの一本。作品中に登場する回想シーンでは、過去数年間のヒット曲が次から次へと畳み掛けるように登場するため、年単位でタイに住んでいる人なら一瞬にして思い出の世界へと引き込まれていくはず(まともな恋愛経験のない男性にはあまりオススメできない)。

この作品を観る前に、つぎのポイントを押さえておきたい。

主人公たれタマゴ(カイヨーイ)は、クライマックスでダーガーンダーとヌイのどちらかひとりを選ぶよう迫られる。しかし、タイは極端な階級社会。ふたりのバックグラウンドに開きがありすぎるとストーリー全体が破綻してしまう。そのため、ともに地方の大都市出身(貧しくない)で4年生大学卒と、バランスが図られている。あえてバンコク人的な価値観から優劣を決めれば、南部出身者は容姿的言語的な理由(南部人の発音はかなり聞き取りにくい)により学校などでしばしば差別に遭うことから、北部出身者のダーガーンダーの方が若干有利。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)で友人とタイ映画「プアンサニット(英題: Dear Dakanda)」を観た。

2005年10月5日(水)

ブーラパー大学は、タイ東部沿岸に複数の分校を持つ国立大学で、海洋技術学部や宝飾品カレッジなど特色ある学部を多数設置している。チョンブリー本校の海洋技術学部ビルには水族館が併設されており、地域の人々に親しまれている。

昼すぎ、チョンブリー県アーングスィラーで友人と買い物をしたついでに、バーングセーン(バンセン)にあるブーラパー大学に立ち寄った。帰途、バンコク東部バーングナー交差点(バンナー交差点)一帯で帰宅ラッシュに巻き込まれた。

おととい浸水しているスクンウィット通り(スクンビット通り)を強行突破したせいで、エンジンの能力が大幅に低下した。エンジン回転数毎分2,600でリミッターがかかり、ブーラパーウィティー自動車道(バーングナー(バンナー)・チョンブリー線)を最高速度時速96キロで走り続けた。この調子では、後期に予定している「タイ全国ツアー」に行けない。

なお、ブーラパー大学の詳細はつぎのとおり。

มหาวิทยาลัยบูรพา
(มบู.)
  マハーウィッタヤーライ・ブーラパー (モーブー)
種別 国立大学
設立年 2498 (西暦1955年、前身は
ウィチャーガーンスックサー準大学バーングセーン校→スィーナカリンウィロート大学バーングセーン校)
所在地
チョンブリー県ムアング郡(ロングハートバーングセーン通り・チョンブリー校)、ヂャンタブリー県ターマイ郡(チョンプラターン通り・ヂャンタブリー情報通信校)、サゲーオ県ワッタナーナコーン郡(ワッタナーナコーンラングガオ郡庁舎・サゲーオ情報通信校)
設置学部 看護学部・人文社会学部・理学部・教育学部・工学部・芸術学部・公衆衛生学部・医学部・大学院・経営学カレッジ・商学カレッジ・運輸ロジステックスカレッジ・体育学カレッジ・インターナショナルカレッジ
・文理学部・海洋技術学部・宝飾品カレッジ
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.buu.ac.th/
入試難易度 人文科学 10位 (人文社会学部・正答率57%)
経営学 情報なし  
医学 6位(医学部・正答率66%)
工学 16位(工学部・正答率36%)
キャンパス 建築物 80点 (整然とした校舎群。海洋学部に水族館を併設
学生街 30点 (市内にあるため商店街のサービスを受けることができる。)
オシャレ 20点 (バンコクのファッション文化から完全に隔絶されている
ボディコン 10点 (正しく着用している)
歴史 2498 ウィチャーガーンスックサー準大学バーングセーン校設立
2517 スィーナカリンウィロート大学バーングセーン校となる
2533 ブーラパー大学設置法に基づき、ブーラパー大学として独立

2005年10月6日(木)

昼すぎ、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)9の自動車整備工場にクルマを預け、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋を転々としながら翌7日午前2時までタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。

2005年10月7日(金)

「品のない安っぽい香水のにおいをまき散らしているカラオケのホステスを連れた男性・・・・・・(後略)」

夜、スクンウィット(スクンビット)27にある日本料理店で友人と酒を飲んでいたところ、店にあったバンコク発行のミニコミ誌に、某料理店経営者の苦言として冒頭にある文言が掲載されていた。

旅行オタク

日本国内におけるオタク分析のパイオニア「野村総合研究所」(NRI)の調査報告書「マニア消費者市場」(10月6日発表)によると、オタクとは強くこだわりを持っている分野に趣味や余暇として使える金銭または時間のほとんどすべてを費やし、かつ、特有の心理特性を有する生活者のことで、日本国内に172万人(推定市場規模4,110億円)おり、うち25万人(全体の約15%, 推定市場規模810億円)が「旅行オタク」に分類されるという。

ひとことで「タイが好き」といっても、いくつかのタイプに分かれている。僕はタイ人とタイ語でコミュニケーションをとることで新しい価値観に触れるのが好きなタイプだが、なかには割安な古式マッサージやホテルの高級ビュッフェへ足繁く通うのが好きな人もいる。

そして、娼婦(売春婦)が好きなことを「タイが好き」と言い換えている日本人も少なくない。

タイ娼婦(売春婦)オタク文化と虚構空間

日本における引き籠もり研究の第一人者で精神科医の斎藤環博士は、著書「戦闘美少女の精神分析」(2000年)のなかで、おたくの本質的特徴のひとつは、虚構コンテクストへの高度な親和性(妄想の世界にハマりやすいこと)であり(p.49)、おたく文化には、ヒステリーの症状が虚構空間、すなわち視覚的に媒介された空間に鏡像的に反転する(妄想を表現する)特性があるという(p.272)。国際大学グローバルコミュニケーションセンターの東浩紀教授は、おたく文化について、象徴界の欠如をイメージの操作によって何とか補おうとしたもの(現実世界で得られないものを無理矢理補うために作られたもの)と説明している。※ 表現が難しすぎるため、括弧内に註釈を加えた。

このような傾向は、娼婦(売春婦)が好きなことを「タイが好き」と言い換えている一部の日本人にもみられる。しかも、年単位の長期間にわたって、ずっと虚構空間(妄想の世界)のなかに引きこもり続けている日本人も少なくない。彼らのあいだに見られる現象を、オタク分析の文脈にのっとって再定義すると、つぎのようになる。

【象徴界の欠如】 まともな女性に相手にしてもらえないこと。

【ヒステリー化】 女性への魅了という不可視的な本質(リアリティー)を、娼婦(売春婦)という「可視的な表層」(セクシュアリティー)によって代替すること。バンコク人が女性としてみなしていない娼婦(売春婦)に女性相当の価値を与えること、またそうすることで自らが理想としている虚構空間(妄想の世界)を建設すること。

【視覚的に媒介された空間に鏡像的に反転したもの】 言語的コミュニケーションがとれないこと(日本人のタイ語力とタイ人の日本語力の欠如)を利用して、トラウマのない(=自分を無視したり否定しない)女性に仕立て上げた娼婦(売春婦)、またそのような娼婦(売春婦)たちに囲まれて生活できる虚構空間(妄想の世界)。

娼婦(売春婦)オタク】 女性相当の価値を与えた娼婦(売春婦)の「所有者」として振る舞い、娼婦(売春婦)を取り巻く環境にさまざまな幻想を抱いて自らが作り上げた虚構空間(妄想の世界)に浸っている人々のこと。実態から著しく乖離している独自の娼婦(売春婦)のバックグラウンドや社会的な位置づけを創造し、実態を無視して特定の娼婦(売春婦)について熱心に語り合う人々のこと(症状が重くなると、彼らは自分と無関係なタイ人女性の写真をあたかも自分の所有物であるかのように無許可で自分のウェブサイトにベタベタと貼りはじめる)。

娼婦(売春婦)オタクにとって、彼女たちの本質としてみなしうるものは、単純にその虚構性のみであり、それゆえに形態的な多様性が可能になる(娼婦(売春婦)を理想の女性と思い込むことができる)。また、彼女たちがたまたま娼婦(売春婦)であっても、現実の社会属性(娼婦(売春婦)であること)とは無関係なものとしてみなしている(タイ人が女性とみなしていない女性でも、女性相当の価値を与えることができる)。

つまり、娼婦(売春婦)が好きなことを「タイが好き」と言い換えている一部の日本人は、突き詰めて考えてみれば、セクシュアリティーを利用して現実を確認しながら(性的欲求を満たすことで現実と思い込みながら)、現実以上にリアルな「虚構としての現実界(現実と思い込んでいる妄想の世界)」のなかで生活しているにすぎない。

「現実」にリアリティーが感じられないのはポストモダンの象徴だが、このような特定の日本人たちあいだで、虚構と現実とのあいだにある穴を埋めるために特異に発達した文化が、タイ人娼婦(売春婦)を大多数のタイ人女性と同一のものとみなし、それを標準化しようとする日本人独自の「タイ娼婦(売春婦)オタク文化」である(コイツら、マジでタイ人に失礼だ。土下座して謝れ)。

タイ娼婦(売春婦)オタクが発信している情報

前出の学者は、「ところが、逆説的なことに、そこに浮かびあがっているのは、新人類とオタクとの等価性である。現実を<物語>として生きる「対人関係記号派」を新人類とすると、現実ではなく<物語>に生きる「対人関係退却派」がオタクという対照性は、たしかに見出される。しかし、この両者は、<物語>=フィクション形成の母体として、<物語>が流通する場としての「メディア」と、<物語>の分化を許容する場としての「高度消費社会」を、ともに不可欠としている」(p.188)と述べている。

タイ娼婦(売春婦)オタクは、価値観の多様性を口実に、ウェブサイトや書籍などのメディアで<物語>(フィクション)を作り上げている。とうぜんフィクション情報には、現実世界から乖離している情報が氾濫している。そのような傾向がタイ関係の書籍やウェブサイトに多く見られるのは、なぜだろうか?

タイ娼婦(売春婦)オタクは、べつに「タイが好き」なわけではない。自分次第でいくらでも都合良く解釈できる、言葉の通じない娼婦(売春婦)(ビジネスで恋愛してくれる相手)との、虚構空間(妄想の世界)を愛しているにすぎない。だから、言語的なコミュニケーションが可能で、しかも現実の恋愛を要求してくる世間一般のタイ人女性たちの存在は、タイ娼婦(売春婦)オタクにとって、自分が引き籠もっている「虚構空間(妄想の世界)としてのタイランド」を崩壊させかねない脅威であり、なにがなんでも無視または否定しなければならない(彼らにとって、世間一般のタイ人にスポットを当て、娼婦(売春婦)の現実にメスを入れている「バンコク留学生日記」ほどイヤなウェブサイトはほかにないだろう)。

オタクとは、世間一般から好奇な存在として認識されている。価値観が常軌を逸しているため、常に忌避され嫌悪されている。1995年(アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」)以降、オタクと新人類の境界はあいまいになったが、それでも「カネで買った娼婦(売春婦)」を「恋人としての女性」と同一視しているタイ娼婦(売春婦)オタク独自の価値基準は、セル画に描かれた戦闘美少女に本気で恋しているオタクの価値観と同じくらい受け入れがたい。

ところが、オタクには自分の価値基準が世間一般には受け入れられないという自覚がない(仮に自覚していても著しく逸脱しているとは認識していない)。当然、オタクに向かって「おまえはオタクだ。現実を直視せよ! Open your eyes!! 」などとがなり立てたところであまり効果はない。

これからタイに関する情報を収集しようと考えている方には、タイ娼婦(売春婦)オタクが発信している情報が、常に虚構空間(妄想の世界)のうえに成り立っていることを知り、どんなに血迷っても絶対に真に受けないよう、自己防衛を心がけるようオススメしたい(かくいう僕自身も留学初期においてタイ娼婦(売春婦)オタク独自の情報にはかなり翻弄された)。

僕たちは現実の世界に生きている。しかし、もし自己防衛の努力を怠り、タイ娼婦(売春婦)オタクたちが作り上げた虚構空間(妄想の世界)へと吸い込まれてしまったら、もう二度と現実界へ戻ってくることができなくなる。標準的な日本人としての生涯賃金、社会保険、年金等を放棄してしまったらもうサイアクだ。

バンコクにある日本料理屋の扉を開けたときに、店内が等身大戦闘美少女のフィギュアと向かい合って夕食をとっている客で溢れかえっていたら、どう思うだろうか? 普通の感覚を持っていれば、奇異なものとして激しい嫌悪感を抱くはず。それと同じで、娼婦(売春婦)と一緒に夕食をとりに来ている日本人が周囲にどのように映っているか想像するのは難しくない。娼婦(売春婦)は、等身大戦闘美少女フィギュア同様に、きわめて不自然な存在であり場の雰囲気を悪くする。店がそんな客だらけになったら、まともな客からも見放されてしまう。そりゃあ、店主が愚痴を言いたくなるのもムリはない。

スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でタームペーパー(学期末小論文)を夕方まで書き、スクンウィット通り(スクンビット通り)にある日本料理屋で友人と夕食をとった。

バンコク在住日本人にとっての最大の悩みのタネとは、すなわち「虚構空間のなかで生きているトライブ(部族)」との共存問題なのかもしれない。

2005年10月8日(土)

「この時間帯は完全に売り手市場ですよ。乗車拒否をしても、客はいくらでもいるんですから」

タイの娯楽施設は、サービス施設法(1966年)と革命評議会布告294号(1972年)により、午前2時の閉店が義務付けられている。 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) 界隈にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) の閉店と同時に、若者たちがプララームガーオ通り(ラーマ9世通り)の歩道に溢れかえり、片側3車線のうち2車線を占領しているタクシーに次々と乗り込んでいく。

タクシーの助手席の扉を開けて行き先を告げたが、どの運転手もなかなか首を縦に振らなかった。僕が住んでいるスクンウィット(スクンビット)13は、 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) から近く運賃も安い。5台目のタクシーが正規料金で行くと答えてくれ、ようやく後部座席に腰を下ろして一息つくことができた。

「これだけ待ったんですから、やはり長距離の客がほしいですね。それと、身なりの悪い客は危険ですし、泥酔している客は車内で吐くこともあるのでお断りしています。外国人が来たらめっけもんですよ! メーターを使わずに交渉次第で自由に運賃を決められますから」

もっともな話と思い興味深く耳を傾けていたが、次第に運転手が僕と友人の関係について首を突っ込んできたため話を切り上げ、今晩の DJ について友人と話し込んだ。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちとペーパー(小論文)を書き、午後9時に RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー)Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Slim(スリム) へ別の友人たちと繰り出した。今晩は DJ の世界大会で優勝した白人が名人芸を披露していた。

2005年10月9日(日)

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちとペーパー(小論文)を書いていた。

2005年10月10日(月)

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でペーパー(小論文)を書き、帰りに日本料理屋で酒を飲んだ。

このたびは、読者の皆様から多数のメールやメッセージをいただきました。ご協力くださったみなさまには心から御礼申し上げます。なお、10月10日付けの日記は削除しました。コメントを投稿してくださったみなさまにお詫び申し上げます。今後ともバンコク留学生日記をよろしくお願いします。

2005年10月11日(火)

「正規ディーラー店は、ここに取り付けられているエアフローメーター、インジェクターに使用される吸入空気量センサーなんですが、別の車種のものが装着されていると言ってます。エンジンの回転数を正しく制御できないのはこれのせいでしょう。それと、加速が悪いのは点火時期制御装置のせいですね。サスペンションなどの足回りも、あまり良くありません。全部直すとものすごい出費になりますが、どうしますか?」

昼前、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)9にある自動車整備工場で、整備工がクルマの状態を日本語で説明してくれた。発音は JEES 日本語能力試験1級相当の大学生より遥かにキレイだし、不自然な文法もまったくない。しかも、普通の日本人には分からないような自動車専門用語を立て続けに繰り出してきたのには、正直、面食らった。

つい先日も、このすぐ近くにあるプワングチョンプー寮(プアンチョンプー寮)1階の食堂で、錦糸町のタイ料理店で14年間働いていたという店主が話しかけてきたばかり。

朝、東南アジア研究室で、ミャンマー研究に関する参考文献をクラスメイトから貸してもらい、パヤータイ通り(パヤタイ通り)の西側にある大学院事務局で構内駐車許可証(ステッカー)を受け取った。その後、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)9にある自動車整備工場で修理の進捗状況を確認し、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと向かった。

2005年10月12日(水)

「どこかで悪い風邪でももらってきたんでしょう。おクスリを何種類か出しておきますから、症状が良くなっても中断せずに、かならず最後まで服用してくださいね。明日の夕方ころには抗生物質が効いて、かなり楽になってると思いますよ。もし症状が良くならないようでしたら、またいらしてください。午後5時以降でしたら、私は明日もここにいますから」

今週は摩訶不思議なことが続く。どこへ行っても、気味が悪いほど流暢な日本語を操るタイ人専門家に遭遇する。母国語で話を進められると喜ぶべきなのか、それとも外国語を学ぶ必要性を否定されたと憤慨すべきなのか。まったく肩透かしを食らっているようで釈然としない。

それにしても、この異国の地で「どこかで悪い風邪を・・・・・・」というフレーズを聞こうとは夢にも思わなかった。さまざまな不安を抱えながら生活している日本人にとって、病気になったときにこれほど心強い医者はほかにいないだろう。高級病院の日本語通訳程度(JEES 日本語能力試験2級相当)に、これほど気の利いたボキャブラリーはない。

「診察1分あたり、おおむね600バーツかしら? 病院もなかなかぼろい商売してるわね。でも、私たちに病院を選択する権利があるように、病院には患者を選択する権利があるでしょうし、医師にも雇用者を選択する権利くらいはあるでしょうから、これも正当な報酬なのかしら」

知らせを聞いて急遽病院まで駆けつけてくれた友人は、領収書の「診察料1,200バーツ」という項目を眺めながら、そうつぶやいた。朦朧とした意識のなか、たしかにその通りかもしれない、と思った。

朝、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋を転々としながら、明後日提出のタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。日没後、急に体調が悪くなり、滝のような汗が止まらなくなった。そこで、スクンウィット(スクンビット)3にあるバムルングラート病院(バムルングラット病院, バムルンラート病院)へと出かけた。

相手を安心させ信頼を勝ち取るために、どれほど相手の母国語を話せることが役立つか、今日は身をもって実感した。もし内科医の日本語がカタコトだったら、きっと正反対の印象をもったはず。

2005年10月13日(木)

きのう病院でもらったクスリを飲んでいるが、熱はいっこうに39度を下らず、滝のような汗が止まる気配もない。おかげで今年最小の体重を記録した。タイに住んでいると10キロは太るといわれているが、この風邪のせいで「4年で5キロ増」の水準まで回復した。

そんななか、部屋に籠もって、翌14日午前7時までペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年10月14日(金)

正午前に起床。シャワーを浴びてから、ペーパー(小論文)を提出するために研究室へ行った。豪雨のなかスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で時間をつぶしてから、スクンウィット(スクンビット)39にある洋食屋 Brown Eyes(ブラウンアイズ) でクラスメイトたちと学期末の打ち上げをした。

2005年10月15日(土)

「毎晩、午前1時頃から客が増え始め、午前3時すぎに閉店しています。気に入ったホストがおりましたら、この者に遠慮なくお申し付けくださいと、お友達(日本人女性)にお伝えください」

アソークディンデーング通り(アソークディンデン通り)ソーイソングプラーング(ソンプラン)のアパート「ミーチャイマンション」1階にあるホストクラブ、午後10時半ころ。店内の照明は暗く、時代遅れの古臭いディスコミュージックが流れていた。耳打ちしてきた水色タキシードの男に促されて振り向くと、強烈なスポットライトを浴びている20人前後のホストが赤いソファーに座っていた。全体的に「顔はビミョーだけど、オシャレだし体格も良い」といった印象で好みは分かれるところ。

容姿だけでホストのレベルを語るのは乱暴すぎるかもしれないが、友人は一言でバッサリと切り捨てた。

「失敗した。あのなかで一番イケてそうなのを選んだつもりだったのに、近くで見ると全然イケてない」

ちなみに、ホストをひとり指名すると2ドリンク扱いになる(1ドリンク300バーツ)。料金は、 Johnnie Walker Red Label(ジョニーウォーカーレッドラベル) (1,300バーツ)とホスト指名料(600バーツ×1人)の合計2,000バーツだった。

ところで、午前1時という時間帯は、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)界隈をホームにしているソープ嬢やカラオケスナックのホステスたちの帰宅時間と符合する。ホストクラブの得意客は、娼婦(売春婦)たちであるに違いない。

「タイの売春婦は、地方に住んでいる兄弟姉妹を学校に通わせ、両親に良い生活をさせるために、やむなく身体を売っている」

タイ娼婦オタク(娼婦が好きなだけなのに「タイが好き」と言い換える悪いクセがある日本人たち)のあいだでは、このような論調が根強い支持を得ている。しかし、それが虚構であり欺瞞であることは、各種の調査によってすでに証明されている。そもそも、この説は、道路清掃や屋台の売り子などで生計を立てる道を完全に無視している(月収4,500バーツ程度だが500バーツくらいの仕送りはできる)。ってゆうか、20年前ならともかく、このご時勢にそんな世迷言を言ったところで鼻で笑われるがオチ。まったく時代錯誤も甚だしい。

アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)世論調査研究所の調査(2002年3月10日~3月25日)によると、売春のきっかけは▽娯楽施設での支出(7.6%)▽携帯電話費用(5.6%)▽学費(5.2%)▽旅行費(5.2%)▽住居費(4.9%)▽衣服装飾品代(4.5%)▽ローン返済(3.2%)の順だった。この結果からも分かるとおり、娼婦(売春婦)が両親や親族のために売春しているという説は誤りである。

スィーロム(シーロム)6の日本料理屋「伯楽」で友人たちと焼酎の水割りを浴びるように飲んでから、アパート「ミーチャイマンション」1階にあるホストクラブへと出かけた。途中、原因不明の強烈な腹痛に見舞われ、午前零時前には抜け出して家路についた。

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2005年10月16日(日)

特に何もない平凡な一日。友人によると、「友人の訴追通告書」シリーズ(今年8月)に登場した A が今日、バンコク民事裁判所に B を訴えた。これで、今日まで B が採ってきた A に対する温情措置はすべてフイになった。今後、 B は弁護士を立て、名誉毀損で応訴する。

2005年10月17日(月)

チアングマイ(チェンマイ)へ行くなんて、あまりにも唐突すぎるんじゃない? 北部の山間部では、ここのところ地滑りが多発してるうえに死者も出ているのよ。斜面には近づかないよう気をつけてね。で、なにで行くかもう決めてるの?」

朝、チアングマイ(チェンマイ)へ出かけると伝えると、友人が電話口でこう話していた。チアングマイ(チェンマイ)へ行く方法は、①航空機、②列車、③長距離バスの3通りあるが、一昨年は列車を、昨年は航空機を利用している。そこで、友人が以前「自家用車で行くのは無謀。あの山道を運転するだけで全旅程の体力をすべて使い切ってしまう」と言っていたのを思い出し、今回はそれがどれだけ強烈なものか実際に長距離バスの座席から見物してみるつもりだった。

着替え、洗面道具、それにペーパー(小論文)を書くために必要な参考文献7冊を旅行カバンに詰め込んでから、 Chester’s Grill(チェスターズグリル) サヤームスクウェア(サイアムスクエア)店でクラスメイトと昼食をとり、貸していたカメラを返してもらった。そこで、ふたたび友人からの電話があった。

「オリエントタイ航空がいいわ。チアングマイ(チェンマイ)まで片道1,349バーツ。寝台特急でも1,000バーツはかかるから、このくらい出しても十分割に合うはずよ」

今回のチェンマイ(チアングマイ)旅行は、あくまでもペーパー(小論文)を仕上げるためのもの。だからもっとも負担の少ない移動手段を使うのが一番良いにきまってる。長距離バスも捨てがたいが、ここはおとなしく友人のアドバイスに従って、いよいよ鬱陶しくなってきたペーパー(小論文)をさっさと片付けてしまいたい。

その後、東南アジア研究所で来学期分の授業料を納め、その足でバンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)へと向かった。国内線ターミナルにあるオリエントタイ航空(One-Two-Go)の窓口でチアングマイ(チェンマイ)行きの片道チケット(税込1,349バーツ)を購入し、チェックインカウンターに並んだ。

オリエントタイ航空120便は、機材トラブルにより出発時刻が大幅に遅れ、西日が眩しい午後5時ころチェンマイ空港(チアングマイ空港)に到着。このまま目的地のサンガンペーング温泉(サンカンペン温泉)へ行っても、受付担当者がすでに帰宅していたら目も当てられないから、今晩はチアングマイ(チェンマイ)市内の中級ホテル「ターペープレイス」(650バーツ)に泊まることにした。部屋に入ってすぐにペーパー(小論文)作業に取りかかった。

2005年10月18日(火)

朝、ベッドから出て遮光カーテンを開けると、朝日を浴びて黄金色に輝いているワットマハーワン寺の仏塔(ヂェーディー, パゴダ)が視界に飛び込んできた。まるで絵に描いた旅行先の風景のよう。ホテル「ターペープレイス」1階の食堂で安っぽい米国式朝食をたいらげ、すぐにペーパー(小論文)作業に取りかかった。

正午、ホテルをチェックアウトし、トゥクトゥク(三輪バイクタクシー)で県北部にある温泉地へと向かった。今学期は金銭的な余裕がある(予算が月25,000バーツ増額された)ため、お気に入りのサンガンペーング温泉(サンカンペン温泉)(個室温泉付700バーツ)ではなく、多少割高なルングアルン温泉(ルンアルン温泉)(個室温泉付1,200バーツ)に泊まった。

ルングアルン温泉(ルンアルン温泉)は、ペーパー(小論文)作業にはもってこいの環境。周囲には何もなくとても静かで、バンガローも広くて明るい。このキレイなスズムシの音色を日記として残せないのが残念なくらい。――でも、泉温が38度くらいしかないため、日本人には物足りないかも(サンガンペーング温泉(サンカンペン温泉)ではアツアツの温泉が楽しめる)。午前零時までひたすらペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年10月19日(水)

「それ、本気で言ってんの!? チアングマイ(チェンマイ)から長距離バスで戻ってくるなんて、無謀もいいところよ。去年、長距離バスでパンガー(タイ南部)へ行ったときなんて、もう疲れたなんてもんじゃない。まるで拷問のようにシンドかった。あなたはそれに耐えられるかしら?」

いつもより早く起きて、ルングアルン温泉(ルンアルン温泉)に併設されている簡易食堂で米国式朝食をとり、すぐにチェックアウトした。温泉前からソングテオ(ソンテウ, 乗合軽トラック)(30バーツ)でチアングマイ(チェンマイ)の中心部へと向かった。途中、見習い僧が乗り降りするたびに、僧が女性と隣り合わせにならないように乗客が席替えを繰り返していた。

旅行先のチアングマイ(チェンマイ)に滞在中、急にどこか遠くへ行きたい衝動に駆られ、花卉市場前の発着所で別のソングテオ(ソンテウ, 乗合軽トラック)に乗り換えて、バスターミナル(ボーコーソー, ボリガーンコンソング)へ移動。午後1時発の2等冷房バス(374バーツ)で696キロ南にあるバンコクへと向かった。

途中、午後3時にランパーング市、午後5時にターク市、午後6時半にガンペーングペット市内のボーコーソーに停車し、午後7時にガソリンスタンドの簡易食堂で夕食をとった(20分間)。その後、午後8時半にナコーンサワン市、午後10時にアーングトーング市、午後11時にプラナコーンスィーアユッタヤー市を通って、翌20日午前零時ちょうどにバンコクのバスターミナル「モーチット」に到着した