2004年11月1日(月)

「タイにおける仏教信仰は、いまや商取引の道具へと成り下がってしまった」

ソンクラーナカリン(プリンスソンクラー)大学ハートヤイ(ハジャイ)校実践科学学部のポーンチャイ・リキッタタンマロート氏らの論文 รายงานวิจัยเรื่องพระเครื่องกับสังคมไทย:(プラクルアング*とタイ社会に関する調査報告) ศึกษาเฉพาะกรณี(タイ人社会への影響に限定したケーススタディー )ผลกระทบที่มีต่อภาวะความเป็นอยู่ทางสังคมของคนไทย によると、現在タイ仏教の商業化が懸念されているという。

* プラクルアング ・・・・・・ 仏教的霊力があると信じられているお守り(留学生日記6月11日付参照)。

これに興味を持った友人とともに、ラートプラーオ(ラップラオ)35にあるプラクルアング情報雑誌「クラングプラクルアング(クランプラクルアン)」編集部へ聞き取り調査に出かけた。今回の目的は、①プラクルアング雑誌の歴史と②プラクルアング(プラクルアン)の価格設定を解き明かすこと(実は友人がもっとクリティカルな質問を多数用意していたものの、編集長が不在ということもあって、結局的を射た回答を得ることができなかった)。

編集部従業員によると、この雑誌の歴史は1年程度。プラクルアングの価格は製造年、製作者の知名度、刻まれている護符、保存状態、希少度などによって決められるという。特に、テレビやプラクルアング(プラクルアン)雑誌で「高僧ルワングポー○○が制作したプラクルアングによって起きた奇跡」などと紹介されると値段が上がるという。こういった事情から、プラクルアング(プラクルアン)は投資対象としても人気がある。

有り体に言ってしまえば、宗教的な護符であるプラクルアング(プラクルアン)は、日本の子供たちのあいだで流行っているトレーディングカードのようなもの。希少であればあるほど人気を集め、効果で取引されるようになる。これではタイの宗教関係者たちが頭を抱えるのも無理はない。

このような商売を、この論文は「商業仏教」 พุทธพาณิชน์(プッタパーニット) と呼んでいる。

今日は学校で友人たちと待ち合わせ、午後の授業をサボってラートプラーオ(ラップラオ)にあるプラクルアング雑誌編集部へ聞き取り調査に行ってから、 CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) 向かいの路地を入ったところにある台湾式足マッサージ店 Mr. Feet で足マッサージ(1時間300バーツ)を受け、サヤーム(サイアム)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で閉店まで本を読み続けた。

2004年11月2日(火)

「タイ人労働者は素直で従順。上司に口答えをせずに働くから気楽でいい。でも、指示の内容を忠実に実行しないのには本当に悩まされている」

タイに住んだことのある日本人であれば、誰でもこうした愚痴を一度や二度は聞いたことがあるはずだ。

――従業員の管理を誤れば、当然このような事態に直面することになります。指示の内容が忠実に実行されないのは、タイ人のせいではなく、あなたのせいです。

今日の講座「タイ労働者論」の授業を担当している講師(ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)経済学部准教授・労働問題担当首相顧問官)によると、生産のモードは経済基盤(労働力・生産社会関係)と思想体系(主義・社会的価値観・宗教的信仰・法律)の相互関係によって成り立っているという。

しかし、タイを含む東南アジアにおける生産社会の体系は、血縁主義的かつ封建主義的かつ資本主義的であるため、僕たち外国人にはなかなか理解できない。タイにおける封建主義的経済は、歴史的に労働力徴用の要となっていたサックディナー制(位階田制)の影響を色濃く残しているタイ固有の労使関係のことで、「管理者と労働者の中間」という概念はなく「管理者」と「労働者」との関係を明確に区別している。

ちなみに、ここでいう「労働者」とは、英語の Worker とは異なる意味合いで用いられているタイ語の กรรมกร(ガンマゴーン) のことで、「位階田制度下の奴隷」 ไพร่(プライ) に由来する職業、すなわち人夫、農民、家政婦、清掃婦、警備員、タクシー運転手、工場労働者など単純労働に従事している人々のことで、管理職やデスクワークに従事しているホワイトカラーは含まれない。

封建時代には全人口の9割が農民だったにもかかわらず、誰もがそんな過去を忘れて「侍スピリッツ」を持つようになった僕たち日本人が、封建時代の価値観を色濃く残しているタイ人の労働観を理解するためには、一度タイの教育省検定教科書「中等教育学校6年生(高等学校3年生)社会科」を紐解いてみると良い。

封建主義的な価値観からも、タイでは上司に対して従属的な姿勢を示すのが当然とされており、実際にタイ人労働者もそのような価値観に則って振る舞っている。しかし、内心では「クソ食らえだ」と思っている可能性もあるため、部下の立ち居振る舞いから本心を探るのは困難だ。

こうした事情を知らない日本人管理者たちは、往々にしてタイ人従業員たちの従順な態度だけを見て「従順で管理しやすい」と勘違いしてしまう。だが管理者に求められているのは、単に部下を従属的に振る舞わせることでなく、同業罷業状態にある従業員の「面従腹背」の感情を正しく理解して、労働意欲をかき立てるようなリーダーシップをとることである。これを理解できていない日本人が、タイ人に指示を出し、その指示通りに仕事をさせられるはずがない。

このあたりの事情は、タイのシニアリティー(年長者優越主義)の観点からも説明できるが、それはいろいろなホームページで紹介されているからここでは割愛する。

2004年11月3日(水)

何も書く気も起こらないほどウンザリとすることばかりの一日だった。

<この日の日記は関係者の要請により現在公開を保留中>

2004年11月4日(木)

高架電車 BTS プルーンヂット(プルンチット)駅前にある日本料理屋「日本亭」で、スーツをガッチリと着込んだ日本人店員が席まで案内してくれた。

สวัสดีครับ เชิญทางนี้ครับ(サワッディークラップ・チューンターングニークラップ) 
いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。

無言でうなずき、案内された席に座った。

รับเครื่องดืมอะไรดีครับ (ラップクルアングドゥームアライディークラップ) 
お飲み物は何にいたしましょうか?

―――ขอชาร้อนด้วยครับ(コーチャーローンドゥワイクラップ) 
―――熱いお茶をお願いします。

僕は日本語新聞を読みながら料理が来るのを待った。まあ、店員に何語で接客されようが別に構わないが、言語的無国籍者になってしまったかのような気分になった。

2004年11月5日(金)

学校帰りに友人と日本料理店で夕食を取ってから、アマリアトリウムホテルのパブ Mingles(ミングルス) のハッピーアワー(午後11時半~午前零時半, カクテル Buy One Get One Free)までの時間をタニヤ通りにある日本人向けカラオケスナックで過ごすことにした。

「イラシャイマセー。サンガイヘドーゾー」

タニヤ通りを歩いていると、怪しげな日本語を話すホステスたちに何度も声をかけられた。ここのところ警察の指導により路上での呼び込みはなりを潜めていたが、最近になってようやく復活したようだ。呼び込み係の手には、店の名刺や値段が大きく書かれているチラシが握られている。

ドリンク飲み放題、全料金コミコミ1時間440バーツ。

僕がバンコクにやってきた3年前、日本人向け歓楽街「タニヤ」のカラオケスナックは贅沢の代名詞だった。しかし、いまではフツウのカラオケボックス(タイ・ビッグエコー: 1部屋1時間400バーツ)とたいして変わらなくなってしまった。日本で毎日のようにカラオケスナックへと通い続ければ家計への負担も無視できないものになるが、ここバンコクでの出費はカラオケボックスの2倍程度。関係者によると、平成不況に端を発する日系企業の経費節減の影響をモロに受けて、現在、厳しい価格競争にさらされているという。

娼婦(売春婦)にハマってバンコクに移り住んできた日本人が「好きこそものの上手なれ」で始めた日本人向けの性風俗店は、どこも厳しい経営を強いられている。

「裕福な日本人さえ相手にしていれば、貧しいタイ人全般を相手にするより効率よく利益が得られる」

こうした発想は、バンコクに来たばかりの日本人が陥りやすい勘違いである。日本人移住者が少なかった1990年代前半まではそれでも通用したのだろうが、すでに多くの日本資本の商店がしのぎを削っている現在のバンコクで通用するはずがない。こんな単純なビジネスモデルで成功できるなら、今頃バンコクの日本人社会はゴールドラッシュでウハウハになっているはずだ。

タイ在住日本人の家計に占める娯楽遊興費の割合は高い。しかし、金額としてはたいした額ではないし、事業としてやっていくにはここバンコクにおける日本人市場の規模があまりにも小さすぎる。今回の性風俗店経営の例ひとつをとっても、小さなパイを奪い合っている日本人向けカラオケスナックはどこも無益な低価格競争を強いられており、タイ人向けのカラオケスナックよりも質の悪い安価な労働力を使っても利益を上げられないという悪循環に陥っている(タニヤ界隈に店舗を構えている日本人向けカラオケスナックの相当数は赤字経営を強いられている)。

今晩、タニヤにあるカラオケスナックをひととおり見て回ったところ、低価格戦略(飲み放題1時間444バーツ, 500バーツ, 600バーツなど)をとっている店は、なんとか数組の日本人客を確保しているようだったが、安値戦略をとっていない店は、週末の夜にもかかわらず、どこも閑古鳥が鳴いていた。そんな彼らの足元を見て、僕たちは言い値600バーツのところを一言で500バーツまで負けさせた。

僕は激しい価格競争にさらされて利益もろくに上げられないようなビジネスには興味ないが、店を手放したがっているカラオケスナックの経営者など探せばいくらでもいるだろうから、興味のある向きは買い取って日本人向け勝ち組カラオケスナックを目指して一肌脱いでみるのも良いだろう。

僕たちはまともそうなカラオケスナック数店をハシゴし、タイ語曲を歌いながら午後11時までの時間を過ごし、ホテル「アマリアトリウム」へと向かった。

2004年11月6日(土)

昨晩、ついに一般加入電話とインターネット接続サービスが停止された。9月分の利用料金支払期限から、すでに90日が経過していた。

そこで料金を支払ってサービスを再開してもらうために、タイの商業・金融の中心地スィーロム通り(シーロム通り)にある商業ビル「ユナイテッド」1階の窓口へ友人と出かけた。

その後、地下鉄ルンピニー駅近くの友人が住んでいるサービスアパート(電気代・週2階の清掃込みで家賃6,000バーツ)やカラオケ屋 Big Echo(ビッグエコー)パットポング通り(パッポン通り)にあるパブ(この場合は西洋人観光客向けに酒を出す店)などに寄ってから帰宅した。

ところで、今晩、日本人向け夜の歓楽街「タニヤ」で今週の月曜日にできたばかりというカレー屋「辛右衛門(しんえもん)」を見つけた。これまでタイでは味わえなかった激辛カレーに感動した。唐揚げのほか、コロッケ、カツなどからトッピングを選択でき、料金は85-95バーツ。そのすぐ近くにある系列店「たこえもん」のたこ焼きもなかなか美味しく、欲を張ってカレーと一緒に食べたら満腹になって身動きがとれなくなってしまった。

2004年11月7日(日)

今日は興味深いアメリカのテレビドラマを見た。脚本家は「社会を風刺しているだけで問題を提起しているわけではない」と言っているが、作品には社会学者や精神科医などが多数登場し、視聴者に自らの価値観を再点検するよう促す内容になっていた。

特筆すべき点は、それぞれの命題に対して断定的な結論を出すことなく、個性あふれる登場人物たちが自らの価値観に基づいて異なるリアクションをとっていたこと。階級社会論やジェンダー論の分野でそれぞれの正義が争われたのは辛辣で、とても参考になった。

このドラマは、娯楽としても十分楽しめる内容になっているが、その中に隠されている「テーマ」に気づければより楽しめるだろう。

昨晩飲み過ぎたせいで外出する気が起きず、寝室のベッドに寝っ転がりながら一日中 DVD ドラマを見て過ごした。

2004年11月8日(月)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)に初めて足を踏み入れた3年前から今日に至るまで、僕にとって、大学構内で大便を足すのは一大決心を要する大事業であり続けている。便座がひどく汚いのはともかく、トイレットペーパーが常備されていないのには悩まされっぱなしだ。

それでも、文学部新校舎ボーローンマラーチャグンマリー館(ボロムラチャクマリー館)の便所はだいぶマシな方だった。手動ウォッシュレット(手元で水栓の開け閉めができるホース)が装備されているため、トイレットペーパーが手元になくても直接手で触れることなく洗浄ができる。

ところが、今回はそうでなかった。

今日の講義はボーローンマラーチャグンマリー館(ボロムラチャクマリー館)の隣にある旧校舎「文学部第4号館」の2階で行われていた。便意をもよおし、急ぎ教室から抜け出して男子便所の個室へと飛び込んだ。そこで僕はひどく憂鬱な気分なった。トイレットペーパーはおろか手動ウォッシュレットもない。あるのは、底上げした和式便器(厳密には少し違う)とプラスチック製のお椀が浮かんでいる水槽のみ。

・・・・・・用を足したあと、これで俺にどうしろというのか?

それでも急を要していたものだから、とりあえず目前の目的を果たすことにした。

そして決断の時がやってきた。やるかたなく呆然と個室の扉を眺めていると、小学生の頃に聞いた歌が頭の中で流れ始めた。

「みっちゃん道々ウンコ垂れて、紙がないから手で拭いて、もったいないから食べちゃった」

おもむろに水槽に浮かんでいるお椀を手に取って水で満たし流してみた。しかし、それだけでは十分に洗浄できなかったため、「食べることだけは絶対にするまい」と自分に言い聞かせながら素手を利用した。これまでの人生ではじめての非常に強烈な体験だった。洗面台に石けんが用意されていたことが、せめてもの救いだった。

休み時間になってクラスメイトにこの話をしたところ、「なんでそんな当然のことも分からないの?」といった口調で僕流のタイ式便所使用法を正された。

「使う手が逆じゃないの! 水槽が左側にあって左手でお椀を持っていても、右手をそれに使っては絶対にダメ!」

今日の東南アジア映画演劇論の講義では、マレー語の語彙50語ほどを習ってから、島嶼部に伝わるダンスのステップを習った。タイ舞踊やカンボジア舞踊とは異なり、ポルトガルの影響を強く受けているためかなりハードで、体育の授業のように汗ダクになった。この講座は学期末に筆記試験もあるから、それなりにしっかりと暗記しておかなければならない。

来週から、この授業には着替えとトイレットペーパーを用意して臨もう。

2004年11月9日(火)

強者は常に弱者の権利を踏みにじり、それに対して弱者は反論を唱えることもできない。だから、強者たちは貧民たちの問題解決能力の低さにつけ込んで好き勝手やっているし、一方の貧民たちも端から自分の能力では強者に対抗できないと諦めている(実際に貧民たちはひどく愚かであることが多い)。

午後6時、文献を読むために居座っていた Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) を出て、気分転換にビールでも飲もうと、外国人向けの性風俗 Go Go Bar(ゴーゴーバー) が密集する性風俗コンプレックス「ナーナー・エンターテインメントプラザ(ナナ)」へと移動した。ところが、 Go Go Bar(ゴーゴーバー) が開店するのは午後7時半。それまでの時間を屋外にある バービア(ビアバー) でつぶすことにした。

適当に空いている椅子見つけてからカウンター越しにビールを注文すると、隣の椅子に暇そうにしていた別の娼婦(売春婦)が腰を下ろして話しかけてきた。

この娼婦(売春婦)の携帯電話には、10分間隔で姉からの連絡が入っていた。今晩、姉が急用のためローイエット県の実家に帰郷するという。話を詳しく聞いてみると、この娼婦(売春婦)の一家が抱えている問題が徐々に明らかになっていった。その内容はつぎのとおり。

① 政府系商業銀行 O の営業担当行員の薦めで、母(当時52歳)が生命保険に加入した。月々の掛金は625バーツ、死亡時の受取額は200,000バーツ。このとき、母は死亡保険金を7人の兄弟姉妹に均等に分配するよう銀行側に伝えた。加入時に健康診断書の提出は求められなかった。
  ↓
② 契約後約4年で母が56歳が病死した。
  ↓
③ さっそく O 銀行のローイエット支店に保険金の支払いを求めたところ、バンコク都内の O 銀行パッタナーガーン(パタナカン)支店へ行くよう指示された。
  ↓
パッタナーガーン(パタナカン)支店の保険担当者は、契約時の健康診断書がないことを理由に、保険金の支払いを拒否。遺族側が裁判所に訴える旨を通告したところ、これまで支払済掛金の全額約3万バーツの返却を持ちかけてきた。この際、遺族側は保険証書等の契約書類を銀行に返却してしまった。同時に保険契約も無効化されてしまった。

この話が事実なら、政府系 O 銀行は保険金の支払いに応じずに掛金までガメてしまうという魂胆なのかもしれない。

故人である加入者の女性は、タイ東北部(イーサーン地方)における典型的な貧農で、小学校4年生までの教育しか受けておらず、今回の保険外交員の言葉も何一つ疑うことなく信じていた。この娼婦(売春婦)によると、似たような話は近隣の村々で何十件も起きているが、騒ぎ立てることで逆に地方の有力者に睨まれ殺されるのではないかと恐れ、誰も公の場で訴えられないでいるという。

保険加入時の故人の判断もまずかったが、死亡後の遺族の対応はもっとまずかった。それでも、貧農の無知に付け込んで無意味な保険契約を締結し、掛金すらガメてしまおうという O 銀行の営業戦略は悪辣極まりない。

強者は弱者からの搾取によって成り立っている。

この件に関するタイ北部出身のクラスメートの話。

「タイ国民の権利は非常に限定的だ」

2004年11月10日(水)

正午過ぎ、雲に覆われた薄暗い屋外の景色は、不気味なほどコントラストがハッキリとしていた。豪雨直前の、あの独特の雰囲気だ。

スクンウィット(スクンビット)13のコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」前からタクシーに乗り込み、若者の街「サヤーム(サイアム)」にさしかかったところで、突如大粒の雨が降り出した。

滝のような雨のなか、タクシーは文学部4号館前に到着した。メーターには55バーツと表示されている。目的地に到着したタクシーの中で、いつまでもこうして雨が止むのを待ち続けるわけにはいかない。タクシーが進入できる構内道路から4号館の入口までは約25メートル。サンダル型の革靴で水たまりの中を走っても、全力を出せば10秒もあれば十分だ。ここは意を決して強行突破を敢行するしかない。

よーいどん。

扉を開けて教室の中に入ると、一斉にこちらを振り返ったクラスメイトたちの目が「不運だったね」と僕に語りかけてきた。Tシャツはビショビショ、髪の毛はペッタンペッタンになるまで濡れてしまっていた。

バンコク人には傘を持ち歩くという習慣がない。どうせ傘をさしたところで滝のような大雨には対処できないし、20分も雨宿りをしていれば止んでしまうことがほとんどだから、誰もが「雨が降ったら適当に雨宿りをしてやり過ごそう」と考えている。

不運はさらに続いた。午前と午後の講義が入れ替わったそうで、僕は冷房がキーンと効いた教室でガクガクと震えながら、出席する必要もない「東南アジア学における調査方法論」の講義を聴く羽目になった。

雨は、その10分後に止んだ。

2004年11月11日(木)

午前2時36分、プラトゥーナーム(プラトゥナム)交差点ちかくのインターネット屋にいる友人に呼び出された。友人によると、トイレに置き忘れたカバンを盗まれてしまったという。そこで、僕はスクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィット(スイート)スイート」前でタクシーを拾って現場へと向かった。

そのインターネット屋では、部屋着姿の15歳から20歳までの男児17人が、インターネット対戦ゲームやテレビゲームに興じていた。料金はインターネット1時間20バーツ、テレビゲーム3時間50バーツ。

今回、友人が盗まれたのは、ブランド物のハンドバッグ、携帯電話(時価15,000バーツ相当)、自動車の鍵、財布、現金約4,500バーツ、国民IDカード、終身自家用車運転免許証、社員証、クレジットカード3枚、キャッシュカード1枚。窃盗犯は、足がつきにくい携帯電話や現金だけを手に入れ、国民IDカードやクレジットカードはすぐに財布とともに捨ててしまうことが多いという。

僕たちがまず最初にしたのは、店内に設置されている監視カメラの映像を検証して、盗難発生の時刻と犯人を特定することだった。幸い、19歳くらいの色黒の少年がトイレから友人のカバンを持って出ていく姿が鮮明に記録されていた。

ところが、インターネット屋の店員は犯人逮捕にとことん非協力的だった。犯人はこの店に毎日やって来る常連客。この件について、以前、別の場所でインターネット屋を営んでいる友人が興味深い話をしていた。

「子供だちの両親はインターネット屋を信用している。子供たちが両親にインターネット屋に行くと言えば、家庭にもよるが昼夜を問わず外出が許されるという。ところが先日、少年たちが店の外でタバコをふかしているのを近所の人に目撃されて、両親たちから『インターネット屋は非行の温床』との手ひどい非難を受けた。そこで、『店ではタバコを吸うべからず』という規則を作ったところ、今度は子供たちの足がすっかり遠のいてしまった。住宅街にあるインターネット屋の商圏はとても狭いから、近所の子供たちに嫌われてしまったら商売にならない。そこで、今度は店の裏手にあるトイレの中であればタバコを吸っても構わないということにしたら、ようやく客足が戻った。ただ、少し考えれば分かると思うが、インターネット屋に朝まで籠もってゲームばかりしているようなヤツがまともであるはずがない。インターネット屋では自分の荷物にはくれぐれも気をつけてくれよ」

このような事情から、この店の店員も犯人逮捕には手を貸せないのだろう。

つぎに、インターネット屋の電話を借りて、友人が契約している携帯電話会社に利用停止を依頼し、クレジットカード会社にカードの紛失を申し出た。通常、あらかじめ決められた時間内に申し出れば、万一カード不正利用されても免責を受けられる決まりになっている(ただしキャッシング利用は除く)。

その後、通報を受けてバイクで駆けつけた警察官と友人がクルマを駐めている駐車場の警備員に、それぞれ200バーツと100バーツを手渡して、クルマを移動しようする人がいたら阻止するように依頼して、3メートルもの高い壁に囲まれている巨大な友人の実家にクルマの合い鍵を取りに行き、インターネット屋に戻って店舗名と住所を控え、友人のクルマで警視庁パヤータイ警察署へと移動して被害届を出した。被害届は、国民IDカード、運転免許証、同一電話番号のSIMカード(携帯電話利用者識別カード)の再発行を受けるときに必要となる。

最後にバンコク都内の他の警察署に勤めている警察士官の友人に連絡を取って、通常なら警察官が捜査に乗り出すことのない防犯カメラの再検証と犯人の逮捕を依頼して、窃盗を働いた勇敢な少年に対して正義を思い知らせてやることにした。

これらの作業に約3時間を要し、結局僕が部屋に戻ってこられたのは午前5時半のことだった。

2004年11月12日(金)

「日本人の元カレは善良な市民そのものだったけど、倫理的にどうしても許せなかった。彼の仕事は、娼婦(売春婦)と偽装結婚をして日本行きのビザを申請し、日本の性風俗で働かせることだった。わたしの見たところ、彼はこの仕事だけで3年間は飯を食ってきたみたいよ。ところがある日、自分が関わったタイ人娼婦(売春婦)が日本で検挙されると足を洗って日本に帰ってしまった。それまで彼は『この婚姻は文書上だけで、それ以上の関係はない』って言ってたけど、ちゃっかり全員と関係を持っていたって後になって友人から聞いたわ。ああいう手合いはもうマジで勘弁してほしいってカンジ」

バンコク都内のビジネスホテルで働いている友人は、私立大学在学当時に同棲していた日本人エージェントについてこう振り返った。タイ人娼婦(売春婦)と偽装結婚をして日本へ送り出すビジネスについては噂に聞いていたが、まさかこんな身近に当事者がいたとは驚きだ。

この友人によると、日本へと送り出される娼婦(売春婦)は、外国人向けの性風俗施設が立ち並ぶナーナー(ナナ)からアソークにかけてのスクンウィット通り(スクンビット通り)やソープランドが立ち並ぶラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)フワイクワーング(ホイクアン)界隈で日本人エージェントの元締めにスカウトされ、別の日本人男性(友人の元カレなど)と結婚することで日本の配偶者ビザを手に入れるという。偽装結婚のために名義を貸した日本人が得られる報酬は、娼婦(売春婦)ひとりにつき6-10万バーツ。

以前、タイ人向けの旅行会社に勤めている友人がこう話していた。近年、日本大使館領事部はタイ人女性に対するビザの発給審査を強化しており、超優良企業の社員や上位国立大学の学生でもない限り、日本行きのビザはなかなか入手できないという。以前は日本人の配偶者というだけで簡単に発給を受けられたそうだが、偽装結婚エージェントが急増したことで、現在ではたとえ日本人の配偶者でも山のような書類を提出するように求められる。

今晩、およそ3ヶ月ぶりにタイ商業会議所大学(ホーガーンカー, タイ商工会議所大学)の学生街にある Pub and Restaurant(パブ, または飲み屋) へと繰り出した。この店は、制服のまま入れる数少ない飲み屋だったが、タイ人のあいだでも知れ渡ってしまったせいか男性会社員だらけで、学生街のパブならではの魅力は完全に失われてしまった。警察に目をつけられたせいで、制服の上にカーデガンを羽織らないと店に入れなくなってしまったし、入口の年齢チェックも厳しくなってしまった。

「久しぶりねー。どう? 店の雰囲気、変わったとは思わない?」

あまりにも変わりすぎだ。もう二度と来ない。

僕たちはこの店を早々に後にして、カーオサーン(カオサン)にあるディスコへと向かった。店内では予想通りラッチャダー(ラチャダー)ディスコ系の曲ばかりが流れており、客層から踊り方まですべてが好きになれなかった。はっきり言って、ダサすぎる。

2004年11月13日(土)

バーングランプー(バンランプー)地区のみなさんが幸せになりますように。政治家同士の争いがなくなりますように。ガソリン代が以前の水準まで戻りますように。社会悪の根源「ギック」(8月26日付日記参照)が一刻も早くこの世から消えなくなりますように」

今日から21日までの週末、プラアーティット通り(プラアティット通り)周辺の公園、文化施設、 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) などで「バンコク舞台演劇祭2547」が催される。スローガンは「芸術はココロを満たす」 ศิลปกรรม นำใจ ให้สร่างโศก(スィンラパガム・ナムヂャイ・ハイサーングソーク)

夜、東南アジア映画演劇論を履修しているクラスメイトたちと、このイベントの中央舞台があるサンティチャイプラーガーン公園に行った。ミャンマーの伝統舞踊、地域劇団によるショートドラマなどを見物してから、友人たちと日本料理店へ行き、珈琲屋に寄って深夜までインターネットをした。

2004年11月14日(日)

今年も乾季恒例、ビアガーデンの季節がやってきた。都心部でもっとも大きなビアガーデンは CWP Central World Praza(セントラルワールドプラザ) 前にある。ビールブランド各社が設置したステージではバンドによる生演奏も行われる。

夜、珈琲屋で友人と待ち合わせ、 CWP Central World Praza(セントラルワールドプラザ) 前のビアガーデンに飲みに行った。3リットル入りの生ビール(ハイネケン, 450バーツ)と、鶏の軟骨やつみれ団子(60-100バーツ)を注文した。

2004年11月15日(月)

特に変わったことのない一日。タニヤにあるカレー屋「辛右衛門」で昼食をとり、大学へ行って東南アジア舞台演劇論の講義に出席した。

2004年11月16日(火)

「教養のない娼婦(売春婦)が論外なら、現役大学生の娼婦(売春婦)はどうなんだ?」

まともなタイ人であれば絶対に相手にしない娼婦(売春婦)のなかでも特にレベルの低い娼婦(売春婦)と結婚してしまう日本人男性が後を絶たないなか、この命題は興味深い。

夜、日本人の友人の紹介で、トーングロー通り(トンロー通り)にある日本人向けカラオケスナック「鳳凰」へと出かけた。タニヤ通りにある日本人向けのカラオケスナックのほとんどが教養のない娼婦(売春婦)を武器に低価格戦略をとっているなか、この店は現役大学生や OL などを集めることで差別化を図っている。

こうして、僕はさまざまな要素が複雑に絡み合う、きわめて難解な命題に直面することになった。

1990年以降、バンコクにおける日本人向けカラオケスナックは、社会の情勢と顧客の要求に合わせて姿を変えてきた。最初に流行したのは高級戦略で、酒を飲みながら意気投合したホステスと電話番号を交換し、帰宅後にホステスが電話をかけてきて部屋までやってくるという流れだった。ところが1990年中頃になると簡素化が図られ、店に追加料金を支払って気に入ったホステスを時間制限付で連れ帰るというスタイルが大ブレイクした。現在でもこのスタイルが主流だが、2000年になると結婚相手をゲットするために形式上持ち帰りできないとされるホステスをハントしに行く客のために新しいサービスも始まった(しかし、いろいろとホステスに探りを入れてみると「すでに彼氏がいる」という回答が大半を占める)。

本来、冒頭にある命題に決着をつけるために、僕はまっさきにホステス在学の真偽を確認すべきだった。大学の食堂や周辺にある学生街の様子を尋ねれば、ウソを見抜くのは難しくない。ところが、この店に来る前に日本料理店「まる」で大量のウイスキーを飲んでしまったせいで、正常な判断能力が働かなかった。これではもうどうしようもない。

いずれにせよ、もし娼婦(売春婦)と結婚してしまったら、「昔、お父さんはお母さんの客だったんだよ。金を払ってセックスしてもらってたんだ」と自分の子供に説明しなければならない(それだけは絶対にイヤだ)。

夜の女性と結婚することの是非。それは個人の「将来生まれるであろう子供に対する責任感」次第かもしれない。

この件については継続調査として、結論を先送りしたい。まずはホステス在学の真偽を確認し、学校にどのような友達が周りにいて、どのような家庭で育てられ、どうしてこの仕事を始めようと思ったのか尋ねることから調べたい。

今日は午後の東南アジア労働論が休校になり、夕方までスィーロム(シーロム)の珈琲屋で時間をつぶしてから、トーングロー通り(トンロー通り)にある日本料理屋「まる」で夕食をとり、現役学生が多数在籍しているとの噂がある日本人向けカラオケスナック「鳳凰」に行った。

2004年11月17日(水)

「わたしには彼氏がいるのに、別のオトコと出会ったその日に寝てしまった。あまりにも世間体が悪すぎる。因果応報(タムディーダイディー・タムチュワダイチュワ)っていう言葉があるけど、今日のわたしはまさにそれ。浮気は彼氏にバレかけてるし、浮気相手のオトコはわたしにまったく興味ないみたいだし。でも、一番サイアクなのはわたし。絶対ムリって分かってるのに、まだ頑張ろうとしてる。もう自分が何を考え、何を望んでるのかも分からなくなった。普段は全然こんなことにはならないのよ。今回はちょっとどうかしてるだけ。でもさ、誰が見たって、わたしって世界一はしたない、どうしようもないオンナよね?」

この友人は、精神的に困ったことがあると、決まって僕に電話をかけてくる。そんな自己嫌悪に陥っている友人の話を、今日も眠い目をこすりながら45分も聞き続けた。

――それなら、一か八かで、その浮気相手のオトコに付き合ってほしいと頼み込めば、一気に片がつくじゃないか。

もし日本人の友人から同じような相談を受けたら僕はそう答えるが、タイには恋愛における暗黙の制約があるため、この方法はかえって逆効果にもなりかねない。

日本人女性の価値観が人それぞれ違うように、タイ人女性の価値観も人それぞれ。一概に「タイ人女性とは・・・・・・」とまとめることはできない。しかし、大多数のタイ人女性に共通した恋愛観はある。

「自分から付き合ってほしいとは死んでも言えない」

タイ人女性のあいだでは、自分から告白することは破廉恥で屈辱的な行為であると信じられている。このような事情から、西洋の文化であるバレンタインデーはタイ人の価値観にあわせて変更され、男性が女性に花をプレゼントする日に変わってしまった。タイ人女性は男性から「愛されたい」と願っており、日本人ほど自発的な恋愛を成就させることにはこだわっていない。

したがって、タイ人女性の「彼氏候補のゲート」は、「論外」(留学生日記10月6日付け参照)であるとみなされない限り、常に開け放たれている。このゲートが開いてさえいれば、あとは自分が持っている素養と努力次第でなんとでもなる。 L.A.(ロサンゼルス) 留学時代のタイ人ルームメイトは、こうしたタイ人独自の恋愛観に基づいて日本人女性にアプローチをかけたところ、逆にストーカー呼ばわりされてしまった(ロサンゼルス留学生日記2003年9月10日付参照)。

それでも、タイ人の西洋化の機運は日増しに高まっており、一部には自由恋愛を志向する女性も現れ始めている。こうした黎明期の自由恋愛社会で、さすがに「いきなり寝てしまう」というのは性急過ぎるにしても、女性たちは「いつも一緒に行動する」とか「毎日のように用件不明な電話をかける」など、頻繁にコミュニケーションをとることでメッセージを積極的に発信するようになった。このような戦術で、彼女たちはオトコを「自分から告白せざるを得ない環境」へと追い込でいく。

タイ人女性をするというのも、いろいろと大変そうだ。そんなことを考えながら、受話器を枕元の電話機に戻し、部屋の電気を落とした。

2004年11月18日(木)

結論。現役大学生でも娼婦(売春婦)娼婦(売春婦)

夜、先日の疑問点(11月16日付留学生日記参照)を解決させるために、トーングロー(トンロー)15にある現役学生や OL が多数在籍していると噂されている日本人向けカラオケスナック「鳳凰」へ友人に連れて行ってもらった。

雑居ビル The Duchness Plaza(ダッチネスプラザ) の6階でエレベーターを降りると、目の前の照明が明るくなってホステスたちが整列した。さっそく、おととい「ラオス語しゃべれる人ぉ~~」と声をかけて手を上げたのと同じホステスを指名して、酒がまわる前に例の件の追求に取りかかった。

このホステスはタイ深南部ナラーティワート県(ナラティワート県)出身の23歳。4年ほど前に商業高等専門学校から昇格したばかりの超マイナーな新設大学の4年生で、国民 ID カード、学生証、通勤時に着てきた学生服、落書きだらけのノート、配布プリント、教授のプロフィールや校風などから、事実を確認した。日本料理店でウエイトレスのアルバイトをしていたときに友人に勧めらたのがきっかけで、先月からこの店で働いているという。

「麻薬撲滅戦争? あんまり意味なかったみたいね。みんな今でもフツウに使ってるし、仕事中に麻薬の名前を聞くのも日常茶飯事。でも、みんな隠語を使って呼び合っているから、麻薬に詳しくない人は分からないかも。わたしだって、麻薬の話しをしていることぐらいは分かるけど、何の麻薬かまでは分からないわ。でも、きっとあの隠語はヘロインのことね」

帰宅後、このホステスと同じくらいマイナーな私立大学を卒業したばかりの友人にこの話をしたところ、ホステスに関する自らの体験談を聞かせてくれた。

「わたしには理解できない。せっかく大学生とか大学卒という社会的地位を築いたのに、どうして社会の底辺がするようなホステスなんかしているのかしら。大学時代にもそういうクラスメイトはいたけど、そのときも本当に理解に苦しんだもの。どうも『金持ちの子弟が通う私立大学の学生がホステスなんかするはずない』って思われているみたいだけど、わたしに言わせればそんなの単なる思い込みね。ある日、ホステスのアルバイトをしているクラスメイトたちに誘われてパブに行ったら、ちょうど特別なパーティーの日だったみたいで、トイレに入ったらみんなでヘロインを打ってた。わたしは『今回は気分が乗らないからまたね』と言ってダッシュで逃げ出したけど、いまでも思い出すたびに寒気がする」

今回のサンプルになってくれたホステスは、授業中に書いた「恋愛の詩」や「失恋の詩」などを読み聞かせてくれた。容姿だけではなく正確で自分を判断してもらいたいという熱意は感じたが、さすがに「僕の彼女はタイ人が社会の底辺とみなしている娼婦(売春婦)です」というのではあまりにも格好が悪すぎる。

今日はサーラーデーング通り(サラデーン通り)の BNH 病院向かいにあるイタリア料理店 (シックスディグリー) で夕食をとってから、友人たちのおごりでタニヤ通りにあるカラオケスナック Noa(ノア)トーングロー通り(トンロー通り)にあるスナックラウンジ「鳳凰」をハシゴした。

2004年11月19日(金)

午後の授業のあと、文学部前でラオス人5人に、僕がいま売ろうとしているパソコンの使い方などを説明してから、高架電車 BTS プローンポング(プロンポン)駅前にある日本料理店「本庄」で友人たちと夕食をとった。

2004年11月20日(土)

先週に引き続き、今日もバンコク舞台演劇祭を見に行くように東南アジア映画演劇論の講師から指示された。

サヤーム(サイアム)ディスカバリーセンター前でクラスメイトと待ち合わせ、演劇のプログラムを片手にタクシーに乗り込んだ。ところが、中央舞台があるサンティチャイプラーガーン公園に着いてみると、入口に掲示されている「ステージ別演目予定時刻」を前に唖然とした。ほとんどの演目が予定より1時間程度遅れていたが、なかには1時間前倒しされたものやキャンセルされたものもある。

「わたしは全部で5本担当してるんだけど、そのうち2本はタクシーが道を間違えたせいで間に合わず、ほかの2本は公演時間が2時間も前倒しされたせいで間に合わず、結局まともに見られたのはたったの1本だけ。これで、わたしにどうやってレポートを書けというの?」

クラスメイトと会場内を徘徊していると、偶然、午後3時から来ている別のクラスメイトに遭遇した。結局、僕たちも割り振られていた2本のうち、それぞれ1本ずつしか見られなかった。

この催しは、ちかくのカーオサーン(カオサン)でも大々的に宣伝していただけに、多くの外国人観光客が見物に来ている。政府が主張している「タイは世界水準に達した」のを外国人に知らしめる絶好の機会だったのに、こんなマネージメントをしていては信用を失うだけだ。

その後、カーオサーン(カオサン)のクラブで別の友人と合流したが、今回の音楽も自分の趣味とは違いすぎて気持ちよく踊る気分にはなれなかった。

2004年11月21日(日)

「株式の一部を従業員に譲渡してしまうとは言語道断。使用者は使用者、従業員は従業員。使用者と従業員のあいだには決して超えることが許されない一線がある。だから、従業員が使用者になることは絶対にあってはならない。たとえ優秀な従業員でも、ひとたび株式を手に入れて『株主』という立場になれば、とたんに豹変して横柄になり労働の質は低下する」

昼過ぎ、会社社長の友人に誘われてチョンブリー県バーングセーン郡(バンセン郡)の漁港にある海鮮料理店「ムック宮殿(ワングムック)」で新規ビジネスの話をしていたところ、一緒にいた現地警察の幹部がこう語った。今月2日の日記にある使用者と労働者との関係について、はじめて現場の声を聞いた。店の後背にはサーンムック(サームムック)という岩山があり、エサを目当てに山から下りてきたサルを身近に見ることができる。

夜、バンコク都内のホテルで働いている友人に誘われて、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)4の Pub and Restaurant(パブ, または飲み屋) の開店一周年パーティーに参加した。そこで、昼の話に関連する話題を友人がしていた。

「今日チェックインしたファラン(西洋系外国人)の客は本当にたちが悪かった。話があるというから客室に行ってみると、シーツにしわが寄っているからって、このわたしにベッドメイキングさせようとしたのよ! なんでマネージャーのわたしが、そんなメーバーン(清掃婦)みたいな仕事をしなきゃいけないのよ!? しょうがないから、客室から清掃部門に電話を入れて、すぐにベッドメイキングをやり直すように指示を出しておいたんだけど・・・・・・ほんと、ファラン(西洋系外国人)って無茶ばかり言ってきて困るわ」

従業員一丸となって協力し合うという日本企業にいると理解しにくいかもしれないが、タイには従業員のあいだにも歴然とした「格の差」がある。ストックオプション制度は、アメリカでは従業員の意識を高めるインセンティブとして効果が実証されているが、階級社会型の人事体系をとっているタイでは時期尚早にすぎる。もしかしたら、タイ人社会そのものがストックオプション制度に不向きなのかもしれない。

タイにおける「使用者」と「従業員」の関係を考えるうえで、非常に有意義な一日になった。

2004年11月22日(月)

今日の講座「東南アジア舞台演劇論」が休講になったため、友人とスィーロム通り(シーロム通り)Starbuck Coffee(スターバックスコーヒー) で読書をしてから、高架電車 BTS チットロム駅前の日本料理店「日本亭」で夕食をとった。高架電車 BTS ナーナー(ナナ)駅前の Starbuck Coffee(スターバックスコーヒー) で読書の続きをしてから帰宅。

2004年11月23日(火)

「ちょっとぉ、酒を飲みすぎちゃって運転できないっぽい。悪いんだけどぉ、ほかに頼める人がいないから迎えに来てくれないかしら。おねがい」

午後11時半、寝しなのシャワーを浴びて出てくると、泥酔している友人から電話がかかってきた。何度も断ろうとしたが、電話口で再三にわたって懇願されて、仕方なくスクンウィット(スクンビット)13のコンドミニアム「スクンウィット(スク