2004年3月1日(月)

世の中は意外と狭い。

午前10時、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部第4号館前でクラスメイト8人と合流。各人が分担しているペーパー(小論文)を持ち寄って、その整合性を精査した。その後、昼食をとるためにサヤームスクウェア(サイアムスクエア)へと向かった。

A&W はワッフル専門のチェーン店。しかしワッフルだけでは商売にならないのか、タイ人の好物である鶏料理も一応取りそろえている。昨今の鳥インフルエンザの影響で、客はまばらで空席も目立つ。客単価は45-60バーツ。ほかの店の約70%の予算で手軽に軽食をとれる。

クラスメイトたちと噂話に花を咲かせていたところ、偶然にもサヤーム(サイアム)界隈にいるというブワから電話があった。ゴシップ好きなクラスメイトにせがまれて、僕は渋々ブワを呼んだ。数分後――

「こんにちは、はじめまして。あなたは・・・・・・確かラーチニー学校にいませんでしたか?」

ブワによれば、ラーチニー学校は王宮前のマハーラート通り沿いにある中高一貫教育の名門女子校。生徒の数が少ないため、全学年の生徒の顔を覚えるのも難しくないという。クラスメイトはブワが中等教育学校1年生(日本の中学1年生に相当)の時の6学年上の先輩。

ふたりの会話は多岐に及んだが、この日記では割愛する。

帰宅後、ペーパー(学期末小論文)の校正作業を手伝ってもらい、セントラル百貨店ピングラーオ(ピンクラオ)店のピザ屋 Pizzalia で夕食をとった。この店のピザとラザニアは、タイ国内のチェーン店で一番だと思う。

2004年3月2日(火)

今日も朝早くからアルバイトに出かけ、帰宅後にこの日記の「主要登場人物紹介」イラストを手直しした。

2004年3月3日(水)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の長期休業は、毎年3-5月と10月の合計4ヶ月間。

大学が休みになって僕の生活にも平穏が戻る。そう考えていたが、バイトを入れまくってしまったせいで逆に忙しくなってしまった。コンドミニアムの駐車場からクルマを運転してバイト先へと行き、数時間働いてからタクシーに乗って大学へと移動。カンボジア調査旅行のガイダンスを受けて、今度は BTS 高架電車に乗って再びバイト先へと戻り、深夜まで働き通した。帰宅後、来学期の履修登録についてクラスメイトと電話で深夜まで語り合った。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部でタイ語を勉強していた頃は、会話の相手によって聞き取れないこともしばしばあったが、ここのところ言葉の壁を感じることなく誰とでも気兼ねなくフツウに会話できている。 「語学力=滞在期間×語彙力」 という説は案外正しいのかもしれない。

2004年3月4日(木)

先月、クラスメート8人でターク県ターソーングヤーング郡(ターソンヤン郡)メーラ村にあるカレン族難民キャンプへ行き、分野ごとに担当を決めて調査した。今日はそのペーパー(小論文)の提出期限。

分担作業の手順は、①統計に基づいて、それぞれ個人が分担している分野(僕は保健衛生)に関するペーパー(小論文)を作成し、②アメリカ人クラスメイトがすべてのペーパー(小論文)を再校正して地図やグラフに参照番号を振って参考文献一覧を作成する。

午前11時、高架電車 BTS プルーンヂット(プルンチット)駅前のアメリカ人クラスメイト宅で校正済みのデータが入っている CD-R を受け取った。バイト先のカラーレーザープリンタでデータを出力し、セントラル百貨店チットロム店7階の B2S で製本。全72ページ、合計2冊で110バーツだった。午後2時、これを東南アジア研究科オフィスに提出し、一連の作業は終了した。

その後、深夜までアルバイトを続けた。ひどく多忙な一日だった。

2004年3月5日(金)

ここのところ、とても多忙な日々が続いた。時間の使い方が悪いのかもしれない。そこで今日は久々に休養をとった。

2004年3月6日(土)

バンコクでの生活は、友人次第でいくらでも変わる。

もし、自分の人間関係が職場の友人中心であれば堅苦しいものになるだろうし、娼婦中心であれば不毛なセックス漬けの日々を送ることになる。そして遊び好きな男友達がいれば、当然オンナ遊びにも付き合わされる。

終業後に友人から呼び出され、午後9時頃にサムットプラーガーン県(サムットプラカン県)にある友人が経営するインターネットカフェに到着。平均以上の容姿の23-28歳の男5人が集結した。遊び好きな彼らには金銭的な余裕がないため、あまり金のかからないところへ行くということで一致。インターネットカフェ前の屋台で豚肉チャーハン(カーオパットムー)を食べながら話し合ったところ、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)サムローング郡(サムロン郡)テーパーラック通りにある大型ディスコ Street of Hollywood(ストリートオブハリウッド) が良いという話になった。ひとりあたりの予算300バーツ。

友人によれば、 Street of Hollywood(ストリートオブハリウッド) は遊び好きな学生であれば誰でも一度は来るという人気のディスコ。はるばる県外からやってくる(僕のような)客も少なくないという。僕がクルマの中で聞いたこの話が誇張表現でないことは、実際にここに来て見てみれば分かる。バンコク都内のディスコ街よりも大きな駐車場を備え、少なく見積もっても200台以上のクルマ、何百台もの110ccバイクが止まっている。入り口の警備員に国民 ID カードの提示を求められたが、外国人の僕が持っているはずがない。運転免許証を提示して場内に入ると、騒々しさと規模の大きさに仰天した。まさかバンコク中心部から離れたところに、これほど大規模なディスコがあろうとは夢にも思わなかった。都内におけるディスコのメッカ RCA Royal City Avenue を凌ぐ規模で、テーブルの数から計算すると収容人数は5,000-8,000人。万一にも火災が発生したら、焼死や轢死は免れないだろう。

現在、この店ではお得な割引プラン(プロモーション)を実施中で、①ウイスキー Spey Royal 1本、②瓶コーラ2本、③瓶炭酸水3本、④氷1杯、⑤コップ5つ、⑥ポップコーンの6点セットで595バーツ。あまりの安さに驚きながら周囲を眺めていたところ、ナンパに出ていた友人が7人もまとめて呼んできた。

その後、紆余曲折を経てそれぞれ1人ずつゲットして、友人が経営するインターネットカフェで午前4時まで飲み続けた。僕ともうひとりの友人は、そのままクルマでラブホテルへと向かった。

タイのラブホテルは、日本の古いラブホテルと大して変わらず、ソファー、ダブルベッド、テレビ、無料カラオケ、トイレ、シャワー室などを備えており、 Rest (2時間)が220バーツ、 Stay (午後2時まで)が440バーツ。なぜか僕たちは4人で同じ部屋に入ってしまった。結局最後までできなかったが、とりあえず「ディスコでナンパしてみる」という当初の目的は達成した。それにしても、僕がナンパした女性工場労働者は本当にロクでもなかった。デブで、ブスで、ニンニク臭くて、色黒で、しかも生理中。もしこれで酒が入っていなかったら、キスをするどころかまともに顔面を直視することすらできなかったはずだ。

ナンパ上手の友人によれば、「タイのオンナは、たとえディスコに来ているとはいえ、決して自分から男に声をかけるなんていうはしたない真似はしない。だから、俺たちの方が積極的に動かなくてはならない」という。また、友人同士でフツウに遊びに来ている女性グループも多いから、無差別にナンパして全部ゲットするのは不可能という。

なお、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)のこの一帯は工業地域のため、客の大半が工場労働者だった。

2004年3月7日(日)

目を覚ましてみると、一緒にいたはずの男友達はすでに帰宅していた。部屋を見回してみると、昨晩ディスコでゲットしたゲロい女性2人組が何やら話し合っている。こんな悪夢からは一刻も早く目を覚まして自由になりたいと思い、僕は急ぎ身支度を整えた。

女性としては全く魅力のない彼女たちだが、ここまで連れてきてしまった責任の一端は僕にある。朝の直射日光を全身に浴びた彼女たちの容姿は、昨晩にも増してヒドかった。僕はこの現実から目を背けるように彼女たちの顔をできるだけ見ないようにして、渋々サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)のプレーラックサー通りにあるアパートへと送り届けた。

その後、高速道路を駆使してダッシュで自分の部屋へと戻り、急いでシャワーを浴びて昨晩の汚れを洗い流し、ブワに会うためにサヤーム(サイアム)へと向かった。ブワがまるで砂漠の中のオアシスのように見えた。

2004年3月8日(月)

「まったく骨折り損のくたびれもうけ。一昨日、グルングテープ大(バンコク大学)ホーガーンカー(タイ商業会議所大学)に通ってる中等教育学校後期課程(日本の高等学校に相当, マッタヨンマスックサートーンプラーイ)時代の友人たちと一儲けするために、サナームギーラー(国立競技場)前の歩道橋で雑貨を売ってたんだ。警察が来るたびに荷物を畳んでやり過ごすのはスリルあったけど精神的にめっちゃ堪えたし、ま~~~ったく売れなかった。仕方なくスィーロム通り(シーロム通り)に移ったんだけど、こっちもサッパリ。一日中頑張って、売れたのは結局30バーツの雑貨2つだけ。せっかく汗だくになって働いたのに利益がたった1バーツだけなんて、やっぱり落ち込むわ」

毎週月曜日はブワと会う日。ブワは月曜日の授業を履修していないから、大学に行く必要もないし制服を着る必要もないが、そうでもしないと両親に平日に外出する理由を説明できないということで、今学期から僕たちは毎週月曜日にこのようなかたちで会うことにしている。

ここのところ全く足が遠のいていた日本料理店 ZEN へブワと昼食をとり行った。料理が出てくるまでの30分間を、今か今かと待ちながら、こんな話をして潰していた。

フツウの市民が、サナームギーラー(国立競技場)前の歩道橋で物売りをしているということをはじめて知った。ブワによれば、特に縄張り争いのようなものはなく、誰でも好きなところに(警察の目を盗みながら)風呂敷を広げることができるという。

2004年3月9日(火)

バンコクの夜の街が、もし本当に日本人が考えているほどエキサイティングな場所だったら、きっと毎晩のようにバンコク都内のタイ人1,000万人でごった返していることだろう。

僕が住んでいるコンドミニアム「スクンウィット(スクンビット)スイート」は、夜の風俗街「ナーナー・エンターテイメントプラザ(ナナプラザ)」から徒歩10分のところにある。しかし、深夜にこの一帯を歩いているタイ人はせいぜい屋台の売り子か娼婦(売春婦)くらいのもので、それ以外のタイ人はほとんどいない。

20060305.jpgそれもそのはず。ゴーゴーバーの舞台で水着姿で踊っている娼婦を眺めるのも、カラオケスナックで子持ちの娼婦と密着しながらマイクを持って歌うのも、何回か体験すればすぐに飽きてしまうような娯楽。そんな場所に毎日のように通い続けられるはずもなく、都内の歓楽街は自然と外国人観光客(およびそれと同等の在住外国人)ばかりになる。

数日前、僕のバイト先に新卒の日本人が現地採用待遇で入社した。話を聞いてみると、いままで一度もバンコクに来たことがないという。そこで、僕と友人はこの新入社員を驚かせようとナーナー・エンターテイメントプラザ(ナナプラザ)へと連れて行った。

僕たち3人組は、ゴーゴーバー Rainbow 2(レインボー2) に入り、店員の指示にしたがってソファー席に陣取って水着姿で踊る娼婦たちを無感動に眺めていた。ところが、新入社員にとっては始めての経験。有料セックスを終えて店に戻ってきた私服の娼婦を指差して、「彼女たちはシロウトなんですか?」と聞いてきた。突拍子もない疑問の数々は、僕たちを大いに楽しませてくれた。新入社員の新鮮な反応を見ているうちに、僕たちも次第にタイに来たばかりの頃を思い出し、悪ふざけをしながら久々に堪能した。非日常の感動。それがゴーゴーバーの醍醐味かもしれない。

ところで、外国人観光客に人気の性風俗といえばゴーゴーバーだが、現地のタイ人たちは幅広い選択肢から一番自分に合った施設に通っている。タイ風俗発祥の地スッティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)に点在しているタイ人向けのゴーゴーバーはあまり流行っていない。一方でカラオケスナックやキャバレーなどが人気で、主に企業間の接待に用いられる。タニヤ通りにある日本人向けの店とは違って料理も出てくるのもウレシイ。郊外に行けば日本人に知られていないようなマッサージパーラー(ソープランド)がたくさんある。新ペッブリー通りにあるホテル「サヤーム(サイアムホテル)」には若くて可愛い娘が多く、タイ人買売春愛好家たちのあいだでも根強い人気があるという。

2004年3月10日(水)

平凡な一日。バイトに出かけた。

2004年3月11日(木)

いま、僕のバイト先では Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) の抹茶フラペチーノ(125バーツ)が流行っている。バイトがある日には、目覚めの Coffee of the day(今日のコーヒー) (55バーツ)を買って出勤し、午後3時(おやつの時間)には激甘の抹茶フラペチーノを飲んで腹を満たしている。日本国内と同じ味で値段は約7割。

世界15カ国に2,700店舗を展開している Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) 。1998年に大手百貨店を経営する「セントラルパッタナー」との合弁会社「スターバックスパートナーズ」を設立。セントラル百貨店チットロム店に出店した第1号店を皮切りに、現在では91の店舗をタイ全国に展開している。

バンコク都内の一部の店舗では、無線 LAN によるブロードバンドインターネットサービス(512k)を1時間150バーツで使うことができる。相場のおよそ5倍と値は張るが、それでも行きつけの店で気軽にネットができるのはウレシイ。自前のノートパソコンと無線 LAN カード(内臓の場合は不要)が必要。

出勤途中に「携行用マグカップ」が並んでいる商品棚を見ながら、一度だけ無線 LAN インターネットを体験しようとも思ったが、どちらも必要ないという結論になった。でも、600バーツの保温機能付き携帯用マグカップは買ってしまうかも。

2004年3月12日(金)

タイで男友達を作るのは難しい。

日常生活の外で「新しい出会い」を求める人の大半は恋愛が目的。だから、男友達よりも女友達を作るほうがカンタン。気づいたときには女友達だらけになっていて、今のところ僕には男友達が2人しかいない。

バンコクには新しい男との出会いを求めている男も少なくない。同性愛者、俗に言う「ゲイ」だ。

ゲイと話しているとホントウに疲れる。本人は冗談のつもりなんだろうが、「君をベッドに押し倒したりしないから」とか、「ずいぶん会ってないから恋しいよ」なんて言われると、本気で罵声を浴びせたくなる。あまりにもエグすぎる。価値基準があまりにも違いすぎる。

この友人は先日、石油メジャーの内定をゲットしたばかりの24歳。日本語検定2級レベルの日本語力があり月給20,000バーツ。ここまで頑張って日本語を勉強した外国人を無碍にもできないから仕方なく言うに任せているが、それでも頻繁に電話がかかってくるようになると鬱陶しく思うようになる。特にどさくさに紛れて僕の部屋までやって来られると本当に腹立たしく思う。

今晩、同性愛者の友人が「分からない日本語を教えてもらいたい」という口実で僕の部屋にやって来た。ところが、彼は僕の日本語の解説などロクに聞かず、インターネット上の日本人同性愛者たちのコミュニティーについていろいろと解説していた。誰か同性愛者に興味のある日本人がいれば、彼を紹介して差し上げるので是非引き取ってもらいたい。

やはり、タイで男友達を作るときの最低条件は、その男に「彼女がいること」だろう。

2004年3月13日(土)

土曜日恒例のアルバイトの一日。

2004年3月14日(日)

「タイで生活したいんですが、一ヶ月にどのくらいあれば良いでしょうか?」

こういう質問をよく受けるが、そのたびに決まって僕は答えに窮している。その人が思い描いているバンコクでの①住環境と②食生活を教えてもらえないことには何とも答えようがない。たとえば、僕のような生活をするんだったら、家賃だけで現地採用者の月給が吹っ飛んでしまうし、夕食だけで現地採用者の日給が吹っ飛んでしまう。もちろん、バンコクでは「それ以上」の生活も「それ以下」の生活も選べるのだから、ひとことで答えられるはずがない。

月々の目安としては、①貧困者として社会問題になっている農民のような生活なら6,500バーツ、②平均的大卒タイ人(25歳)の生活なら23,000バーツ、③平均的日本人現地採用者の生活なら45,000バーツ、④僕のような生活なら83,000バーツ、⑤平均的日本人駐在員のような生活なら130,000バーツ。

家賃相場が低い地域には、多くの屋台が出ており食費を安く抑えることができる。逆に家賃相場が高い地域ではレストランまでの交通費がかかり食費も割高になる。ちなみに僕が住んでいるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の周囲にはタイ料理店が一軒もない。

スーパーマーケットで食材を買ってきて自炊するのも一案だが、ここバンコクではあまり一般的ではない。スーパーで売られている食材の値段が高く、せっかく自分で料理を作っても、最終的に外食するよりも出費がかさんでしまう。経済的に生活したいのであれば、屋台で食事をとるのが一番のはず。ただし、毎朝のように市が立つような地方都市に住んでいれば、食材も格安で入手できるかもしれない。

発展途上国では、庶民向けの商品やサービスが割安に手に入れることができるが、逆に贅沢品の値段は日本などの先進国よりも割高になる。安価な労働力にものを言わせてサービスを提供している外国料理店はまだマシな方で、輸入家電となるとその値札を見て思わず目を疑ってしまうほど高い。

今晩、スクンウィット39にあるお気に入りのイタリア料理店「ロペラ」でブワと夕食をとった。レシートを参考のために。

カクテル・マルガリータ@2 ฿280 / グラスワイン ฿140 / サラダ ฿200 / スパゲティー・カルボナーラ ฿250 / リゾット@half ฿150 / 小計 ฿1,020 / サービス料10% ฿102 / 付加価値税7% ฿78.54 / 合計 ฿1,200.54

2004年3月15日(月)

ここバンコクでは、イタリア料理などの贅沢品が割高である一方で、タイ料理となると一気に安くなる。タイ大手の冷凍食品メーカー S&P は、外食産業など数多くの事業を手広く手がけ、都市部の中間層をターゲットとしたレストラン S&P をショッピングセンターなどに数多く出店している。料理の価格帯は55-65バーツ、飲み物が25バーツくらい。

ホームページには次のような企業紹介が掲載されている。

ในปี 2516 พี่น้องตระกูลไรวา ทายาทของนักธุรกิจมีชื่อซึ่งเป็นที่รู้จักกันดีในอดีตคือ คุณสุริยน ไรวา ได้ร่วมกันเปิดกิจการร้านอาหารและเบเกอรี่ชื่อ “เอส แอนด์ พี” ขึ้นในซอยประสานมิตร (สุขุมวิท 23) ร้านเอส แอนด์ พี ประสบความสำเร็จอย่างสูงด้วยรูปแบบที่แตกต่างจากร้านอาหารทั่วๆ ไปในสมัยนั้น โดยนำเสนอบรรยากาศร้านที่สบายๆ บริการเยี่ยม มีอาหารและผลิตภัณฑ์เบเกอรี่หลากหลายแบบเดียวกับคอฟฟี่ชอพตามโรงแรมชั้นนำ ทำให้ได้รับความนิยมอย่างมาก ในปีถัดมาจึงเปิดโรงงานเบเกอรี่เพื่อตอบสนองความต้องการของผู้บริโภคที่มากขึ้น
2516年(西暦1973年)、当時著名な事業家だったスリヨン・ライワーの遺産を受け継いだライワー家の兄弟は、協力して「エスアンドピー」という名の食堂とベーカリーを開いた。ソイ・プラサーンミット(スクンウィット23)に開かれたエスアンドピーは、ホテルのロビーにあるようなコーヒーショップを模して多種多様な料理と商品を取りそろえることにより、快適な雰囲気と素晴らしいサービスを導入し、当時における他の食堂との差別化を図り、多くの支持を得たことによって大いなる成功を収めた。翌年には消費者の要望に応えるために、ベーカリー工場を開いた。

การขยายธุรกิจของเอส แอนด์ พี เป็นไปอย่างรวดเร็วและต่อเนื่อง บริษัทฯ ได้เข้าจดทะเบียนเป็นบริษัท รับอนุญาตในตลาดหลักทรัพย์แห่งประเทศไทยในปี 2532 เปิดร้านอาหารไทยภายใต้ชื่อ Patara Fine Thai Cuisine สาขาแรกในประเทศอังกฤษ คิดค้นและพัฒนาผลิตภัณฑ์เบเกอรี่กว่า 100 ชนิด นำเสนอผลิตภัณฑ์ใหม่ ๆ เช่น อาหารสำเร็จรูปแช่แข็ง “ควิกมีล” และ “อีโคโนมีล” ผลิตภัณฑ์ไส้กรอกนานาชนิด เค้กและขนมอบแช่แข็ง บริการจัดเลี้ยงนอกสถานที่ บริการจัดส่งอาหารถึงบ้าน และอื่นๆ อีกนับไม่ถ้วน ซึ่งล้วนแล้วแต่ได้รับการตอบรับที่ดียิ่งจากผู้บริโภคทั้งในประเทศและต่างประเทศ
エスアンドピーの事業は急速に拡大していった。2532年にはタイ株式市場への上場許可を得た企業として登録した。また、イギリスにおける初の支店 Patara Fine Thai Cuisine ブランドのタイ料理店を開設し、100種類もの創作ベーカリーと、さまざまなケーキや冷凍ケーキのほか、冷凍食品「クイックミール」や「エコノミール」などの新製品を世に紹介した。また、出張パーティや宅配など数え切れないほどのサービスで、国内外を問わず、広く消費者からの好反応を得た。

นอกเหนือจากการพัฒนาธุรกิจใหม่ๆ แล้ว บริษัทฯ ยังให้ความสำคัญกับการพัฒนาคุณภาพการผลิตด้วย บริษัทฯ ได้รับการรับรองมาตรฐาน HACCP (Hazard Analysis Critical Control Point) จากคณะกรรมการอาหารและยา สำหรับผลิตภัณฑ์อาหารแช่แข็งประเทศขนมหวานและผลิตภัณฑ์ไส้กรอก ซึ่งทำให้บริษัทฯ สามารถส่งออกผลิตภัณฑ์ทั้ง 2 ประเภทนี้ไปจำหน่ายได้ในเกือบทุกประเทศทั่วโลก ได้รับใบรับรองความสามารถห้องปฏิบัติการทดสอบ ISO/IEC 17025 จากสำนักงานมาตรฐานผลิตภัณฑ์อุตสาหกรรม และได้รับรางวัล Disclosure Award ด้านการเปิดเผยข้อมูลจากตลาดหลักทรัพย์แห่งประเทศไทย
エスアンドピー社は新事業の開発のほかにも製造品質の向上にも重点を置き、食品医薬品委員会から冷凍食品の HACCP 規格 (Hazard Analysis Critical Control Point) を取得した。 また、冷凍菓子と冷凍食品の2品目については、工業製品基準事務所から研究所能力保証書 ISO/IEC 17025 を取得して、世界中のほとんど全ての国で営業活動が可能となった。さらに、タイ株式市場から情報公開部門の Disclosure Award を受賞した。

ปัจจุบัน บริษัทฯ มีสาขาร้านอาหารภายใต้ชื่อ “เอส แอนด์ พี” ทั่วประเทศจำนวน 51 แห่ง เบเกอรี่ชอพ 133 แห่ง ร้านอาหารร่วมสมัย “Patio” 3 แห่ง ร้านอาหารซึ่งเกือบทั้งหมดเปิดดำเนินการอยู่ในต่างประเทศ ภายใต้ชื่อ “Patara Fine Thai Cuisine” “Siam Kitchen” และ “Thai” รวมกัน 16 แห่ง ร้านกาแฟ “Blue Cup” 4 แห่ง โรงงานเบเกอรี่ 2 แห่ง และโรงงานผลิตไส้กรอกและอาหารแช่แข็งอีก 1 แห่ง นับได้ว่าตลอด 30 ปีที่ผ่านมา บริษัทฯ ไม่เคยหยุดนิ่งและพร้อมที่จะก้าวเดินอย่างมั่นคงต่อไปโดยไม่หยุดยั้ง
現在、エスアンドピー社は国内にエスアンドピーブランドの食堂51店舗、ベーカリーショップ133店舗、各種料理店「Patio」3店舗、また国外では 「Patara Fine Thai Cuisine」、「Siam Kitchen」 および 「Thai」ブランドの営業店舗16店舗、コーヒー屋「Blue Cup」4店舗、ペーカリー工場2ヶ所、さらにソーセージ・冷凍食品加工工場を1ヶ所保有している。エスアンドピー社は過去30年間、現状に甘んじることなく、絶え間なく安定した発展を続けている。

午前11時、マヒドン大学サーラーヤー校舎にブワを迎えに行ってから、サヤームセンター1階のタイ料理レストランチェーン店 S&P で昼食をとった。

2004年3月16日(火)

タイにおける鶏肉への信頼が回復しつつある。

昨年10月、タイ発生した鳥インフルエンザが報告された。ところが、政府は主力輸出商品である畜産物の世界的信用と畜産農家の利益を守るためにこれを隠蔽。事実を認めたのは周辺国で鳥インフルエンザが猛威をふるっていることが発表された今年1月に入ってからだった。その後、鶏肉の消費が全国的に大幅に落ち込んだ。

昼休み、文学部4号館隣の学生食堂でクラスメイトの数人が、つい先日まで敬遠されていた鶏肉を食べていた。どんな心境の変化があったのかと聞いてみたところ、「ああ、もう大丈夫よ」と話していた。もしかして、隠蔽体質のある政府発表をそのまま信じているのだろうか。昨日ブワも同じようなことを話していた。

鳥インフルエンザ発生当初から政府がおこなっていた「正しく調理した鶏は安全」という宣伝が、今になってようやく功を奏している。一方で鳥インフルエンザの感染例は依然連日のようにマスコミを賑わせている。

2004年3月17日(水)

カンボジア研究旅行の事前集中講座を受けるために、久々に大学へと足を運んだ。講師によれば、カンボジア芸術にはさまざまな様式があるそうだが、ろくにカンボジア史すら知らない僕には皆目見当が付かなかった。出発まで約1ヶ月。それまでに考古学の基礎とカンボジア史を学んでおきたい。

2004年3月18日(木)

タイ研究科主催のクメール遺跡ツアーに参加した。

今回のゲスト講師はスィンラパーゴーン大学(シラパコン大学)の考古学部長。僕たちは茹だるような暑さで倒れそうになりながら、現地で考古学講座を受けた。

パノムルング遺跡宮殿(パノムルン遺跡)は、仏教歴15世紀から18世紀まで仏教の中心地として栄えた。タイ国内で唯一山の斜面に建立された宗教的建造物で、仏教歴2531年に史跡に指定された。一方、ムアングダム遺跡宮殿(ムアンダム遺跡)はそこから8キロほど離れており、仏教歴1550年頃から1625年頃まで栄えたが、史料不足から詳細は依然謎に包まれている。

ホテルに戻ってから、参加者およそ30人のうち、元気のある若者10人で酒を飲みながら深夜までトランプゲームを楽しんだ。午前零時に自室に戻り、カンボジア人ルームメイトとカンボジアの国防問題や外交問題などについて夜を徹して話し合った。

僕は考古学に全く興味がない。今日の出来事にも解説を付け加えるような感想もないから、とりあえず「旅行のしおり」にある日程表を載せておく。

วันแรกของการเดินทาง วันพฤหัสสบดีที่ 18 มีนาคม 2547 (กรุงเทพฯ - บุรีรัมย์ - ปราสาทหินพนมรุ้ง - โคราช)
旅程第1日目 2547年3月18日 (バンコク - ブリーラム - パノムルゥング遺跡宮殿 - コラート)

06.30 น. คณะเดินทางพร้อมกัน ณ จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย คณะอักษรศาสตร์ (ถนนอังรีดูนังต์ ตรงข้ามสปอร์ตคลับ)
ヂュラーロンゴーン大学文学部(スポーツクラブ向かいのアングリードゥーナング通り)に集合

07.00 น. นำท่านเดินทางสู่จังหวัดบุรีรัมย์ โดยรถโค้ชปรับอากาศชั้นหนึ่ง พร้อมบริการอาหารว่าง และเรื่องดื่มบนรถ
1等冷房バスでブリーラム県へ向かって出発。(飲食サービス付き)

12.00 น. รับประทานอาหารกลางวัน ณ ห้องอาหารลักษณา ขาหมูนางรอง จังหวัดบุรีรัมย์
ブリーラム県にある「名物・ナーングローング焼き豚」のラクサナー食堂で昼食

13.30 น. นำท่านเดินทางสู่ปราสาทพนมรุ้ง โดยผ่านขึ้นสู่เขาพนมรุ้งทางสะพานนาคราชอันยิ่งใหญ่ ศาสนบรรพตที่งดงามที่สุดในประเทศไทยให้ท่านได้ชมปฎิมากรรมอันลำค่าที่บรรจงสร้างในสมัยพระเจ้าชัยวรมันที่ 7 สมัยขอมเรืองอำนาจ และนำท่านเดินทางต่อสู่ อ. ประโคนชัย
ナーカラート大橋側からパノムルゥング高地を通って、パノムルゥング遺跡宮殿へ。クメール覇権時代にチャヤオラマン7世によって建立された、タイで最も荘厳な宗教的建築物をご覧いただいてから、プラコーンチャイ郡へ皆さんをお連れします。

16.00 น. นำท่านชมปราสาทเมืองต่ำ ศาสมสถานขนาดเล็ก ที่งดงามด้วยลวดลายจำหลัก ศิลปะแบบบาปวนที่สร้างเป็นปราสาทอิฐ 5 หลัง อยู่บนฐานเดียวกันก่อด้วยศิลาแลง ได้เวลาอันสมควรนำท่านเดินทางต่อสู่จังหวัดนครราชสีมา
ムアングタム遺跡宮殿へ。紅土で作られた土台の上にそびえる、パープワング(?)様式の石造りの5棟の宮殿からなる荘厳な小規模宗教施設をご覧いただいて、折を見てナコーンラーチャシーマーへ皆さんをお連れします。

19.00 น. รับประทานอาหารค่ำที่ภัตตาคารเสียวเสี้ยว โดราช นำเข้าสู่ที่พัก โรงแรมสีมาธานี ถนนมิตรภาพ จังหวัดนครราชสีมา 30000 044-2133100
レストラン「シアオシアオ」で夕食後、宿泊地「シーマーターニー」ホテルへ。(郵便番号30000 ナコーンラーチャシーマー県ミトラパープ通り 044-2133100)

2004年3月19日(金)

昨晩、午前3時までルームメイトのカンボジア人と語り合っていたせいでひどい睡眠不足。猛暑の影響をモロに受けてフラフラになりながら、ピマーイ遺跡と附属博物館で聞いても分かるはずのない専門的な話を聞いた。予定より1時間半遅れの午後7時半に大学前に到着。季節外れに雨のなか、直ちに解散してタクシーで帰宅した。 

วันที่สองของการเดินทาง วันพฤหัสสบดีที่ 19 มีนาคม 2547 (ปราสาทหินพิมาย - กรุงเทพฯ)
旅程第2日目 2547年3月19日 (ピマーイ石造遺跡宮殿 - バンコク)

07.00 น. รับประทานอาหารเช้าในโรงแรม
ホテルで朝食

09.00 น. นำท่านเดินทางสู่ อ.พิมาย นำชมแหล่งโบราณคดีที่ทรงคุณค่าทางประวัติศาสตร์ “ปราสาทหินพิมาย” ปราสาทหินที่ใหญ่ที่สุดในประเทศไทย สัมผัสกับความงดงามอันเป็นแม่แบบให้ดับนครวัดในเขมร และลวดลายที่สลักบนทับลังและหน้าบันของปราสาท
ピマーイ石造宮殿へ。タイ国内最大の石造宮殿で歴史的貴重とされている古典の舞台であり、またカンボジア国内の寺院都市の原型となった。宮殿の紅土壁面の表裏には精細な細工が施されている。

11.00 น. แล้วนำท่านเข้าชม พิพิธภัณฑ์สถานแห่งชาติพิมาย ชมศิลปะโบราณวัตถุประเภทต่าง ๆ ที่จังแสดงเรื่องราวเกี่ยวกับความเจริญรุ่งเรื่องของวัฒนธรรมอีสานในอดีต โบราณวัตถุสมัยก่อนประวัติศาสตร์ที่นำมาจัดแสดงได้แก่ เครื่องปั้นดินเผาโบราณโครงกระดูก เรื่องมือ เครื่องประดับที่ทำจากสำริดและหิน โดยเฉพาะที่ค้นที่พบปราสาทหินพิมาย เช่น ทับหลังหน้าบัน เสาประดับหรอบประตู ทวารบาล และประติมากรรมรูปเคารพ อาทิ พระพุทธรูป เทวรูป รูปพระโพธิสัตว์ แบะรูปสลักศิลาพระเจ้าชัยวรมันที่ 7 เป็นต้น
その後、ピマーイ国立史跡資料館へ。古代イサーン地方における文化的繁栄を示す多種多様な古典芸術のほか、ピマーイ遺跡宮殿で見つかったリンテルやその後ろに置く装飾品、門神像、造形芸術(仏像、女神像、動物神像、ジャヤバルマン7世石像など)に代表されるような、古典的火葬釜、道具、青銅や石で作られた装飾品をご覧いただけます。

12.30 น. รับประทานอาหารกลางวัน ณ ร้านอาหารใบเตย (หน้าปราสาทหินพิมาย) หลังอาหารนำท่านเดินทางกลับสู่กรุงเทพฯ ระหว่างทางแวะช้อปปิ้งเลือกชื้อสินด้าได้ตามอัธยาศัย
昼食後、ピマーイ遺跡宮殿前の食堂「バイトーイ」での昼食後、バンコクへ。帰途、ショッピングのために停車し、自由行動でお土産を選べます。
18.00 น. ถึงกรุงเทพฯ โดยสวัสดิภาพ
無事にバンコクに到着

2004年3月20日(土)

セントラルは、全国に13の店舗を展開している都市部の中間層以上をターゲットとしている百貨店。バンコク都内の百貨店格式では、ゲーソーンプラザ(ゲーソンプラザ)、エンポリアム、サヤームディスカバリーセンター(サイアムディスカバリーセンター)に次ぐ第4位にランキングされている。そのなかでも、特にチットロム店は高級志向で数多くの嗜好品を取りそろえている。

一般にフードコートというと、スーパーマーケットや百貨店の地下に入っている食堂のこと。もちろんタイ料理がほとんどで、値段は25-55バーツ。食券売り場でクーポン券(食券)を購入し、それで飲食代を支払い、残りを食券売り場で換金する仕組み。スーパーマーケットの売り場の雰囲気で、落ち着いた雰囲気とは無縁の空間だ。

しかし、セントラル百貨店チットロム店7階のフードコート FoodLoft(フードロフト) には、タイ料理をはじめ、イタリア料理、インド料理、日本料理、中華料理、ベトナム料理などの嗜好品が一通りそろっている。入り口で食券タグを受け取り、料理を受け取るときにそれを渡して利用額をサーバーに登録し、出口で精算する仕組み。近代的な工業建材をふんだんに用いており、店内は明るく清潔感が印象的。

予算は、一般のフードコートが35-50バーツであるのに対し、こちらは85-150バーツ。特に日本料理のはべらぼうに高く、日本産寿司セットが約1,000バーツなのはまだ許容できるとしても、マグロ2つが330バーツ(約1,000円)というのは常軌を逸している。

ちなみに、僕が好んで食べているのはタイ料理コーナーのグリーンカレー焼き飯と、飲料水。それに1品程度を加えて、だいたい140バーツくらい。

午後12時半、マヒドン大学サーラーヤー校舎へブワを迎えに行き、セントラル・チットロム店の FoodLoft で昼食をとった。

2004年3月21日(日)

MK Restaurant(MK レストラン) は、ショッピングセンターなど全国に57の店舗を展開しているタイ式鍋料理(タイスキ)のチェーン店。日本国内(いずれも北九州)にも9店舗ある。中流以上の所得層をターゲットとしており、大学生から家族連れまでの幅広い支持を得ている。

この店ではタイ式鍋料理(タイスキ)(肉類, 加工魚, 野菜など約50品目)のほか、午後3時までは「ティムサム」と呼ばれる飲茶23品目も提供している(一部店舗を除く)。予算はひとり200バーツ前後。

アメリカ留学前、僕はタイスキを「ゴミ食材を細切れにして鍋に突っ込んで食べるようなもの」と毛嫌いしていたが、タイ料理(特にタイ料理)が食べられるようになってからは、あのピリ辛味の MK のタレにはまっている。 Coca のタレはいまいちキレがない。

鍋料理といえば、往々にして「食べ過ぎ」になりがちだが、この店は「健康志向」を前面に打ち出して女性客からの支持を得ている。会計時に渡される「摂取栄養明細」は興味深い。

また、タイの外食産業としては珍しく、この店のサービスはなかなか良い。従業員を店内にくまなく配置して、手元の水が空になる前に必ず足しに来る。

昼過ぎに部屋を訪ねてきたブワとMKで夕食をとった。

2004年3月22日(月)

クルマを買ってから、バンコクの地理に詳しくなった。

僕がブワと付き合い始めた4ヶ月前、僕がマヒドン大学サーラーヤー校舎へ行くのに1時間以上もかかっていた。ところが、バンコク都内の交通事情に詳しくなるにしたがって徐々に短縮され、今では高速道路や迂回路などを駆使して約35分で行けるようになった。経路はスクンウィット通り(スクンビット通り)南プルーンヂット高速入口(南プルンチット高速入口)ヨンマラート高速出口(ヨムラート高速出口)ピッサヌローク通り(ピサヌローク通り)プララームペート橋(ラマ8世橋)ボーローンマラーチャチョンナニー通り(ボロムラチャチョナニー通り)。一部経路については後日の日記に掲載したい。

2004年3月23日(火)

午前中にバイトをしてから、セントラル百貨店ピングラーオ店(ピンクラオ店)の美容室 Hair Now へと出かけた。ストレートパーマ、トリートメント、散髪で合計2,000バーツ。所要時間は約4時間だった。午後5時半、店内のレストラン「バーンゴーク」で夕食をとった。

2004年3月24日(水)


上の地図は、スクンウィット(スクンビット)13にある僕のコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスウィート)」から、ブワをバーンゴークノーイ区(バンコクノイ区)の実家まで送り届けるルート。今晩は夕食をとるためにセントラル百貨店ピングラーオ店(ピンクラオ店)に寄った。

[18:14] スクンウィット通り(スクンビット通り)の高架電車 BTS ナーナー駅前。この付近には数多くの私立学校があり、郊外から子供を迎えに来るクルマでごった返す。さらに、定時で帰宅する会社員のクルマが信号機のない交差点で無茶な右左折をするため、周辺の道路は完全に麻痺状態に陥る。

[18:28] 南プルーンヂット(南プルンチット)高速入口。チャルームマハーナコーン自動車道の通行料は40バーツ。タイの高速道路は全8路線あり、それぞれ異なる通行料が設定されている。職員による通行料の横領が横行しているため、料金所には警備員が配置されていることがある。当初、僕は社会正義のために領収書の発行を要求していたが、最近はあまり気にしないことにしている。何事も自分一人でできることなんて、どうせたかがしれている。

[18:31] スィーラット都市自動車道(シーラット自動車道) ラーチャプラーロップ(ラチャプラロップ)JCT付近。チャルームマハーナコーン自動車道とスィーラット郊外自動車道(シーラット・サバーバン自動車道)の合流地点があるため、ラッシュ時には速度を落とさざるを得ない。写真の奥に見えるのはガーゼートサート(カセサート)方面にある商業ビル群。

[18:35] (シーラット自動車道)ィーラット都市自動車道(戦勝記念塔)ヌサーワリーチャイサモンラプーム出口付近。郊外からやってくるバスの乗客が BTS 高架電車へと乗り換える大量輸送交通の要衝であるため、出口には路線バスが列を作っている。写真奥に見えるのはタイで最も高いビル「バイヨックサガーイ(バイヨークスカイ)」とプラトゥーナーム市場。

[18:40] (シーラット自動車道)ィーラット都市自動車道ヨンマラート(ヨムラート)出口付近。この出口のすぐ先には踏切があり、すぐに渋滞が発生する。しかも、急カーブのうえ遮音壁があるため見通しが悪く、スピードを落とさないと追突事故を起こす可能性がある。片側6車線の3叉路で、ウインカーを出さずに何車線も一気に車線変更するクルマもしばしば。日本から来たばかりに観光客が、この無秩序な交通を見たら絶対に仰天するだろう。

[18:55] プララームペート橋(ラマ8世橋)。仏教歴2545年7月20日に開通したばかりのプラナコーン地区(王宮地区)とトンブリー地区を結ぶ全長475メートル全幅100メートルの吊り橋で、橋を支える支柱の高さは300メートル。プラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)の渋滞緩和を目的に建設された。この橋を使うと、ここからマヒドン大学サーラーヤー校舎がある