2004年2月1日(日)

夜、友人からもらった最後の無料食事券を使って、ヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川沿いの高級ホテル「ロイヤルオーキッドシェラトン」で夕食をとった。食事を終えたのは、ブワの門限30分前の午後9時半。普段なら一旦スクンウィット(スクンビット)通りまで戻ってからヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川を渡るルートを選ぶところだが、それでは門限に間に合わない。そこで、ヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川沿いを北上して適当な橋を探すことにした。

見知らぬ土地を自分の勘だけを頼りに運転していたところ、突然まるで香港のような雰囲気の大通りに出くわした。通りの左右には巨大な看板がズラリと並んでいる。そのなかの一つをよく見てみると「聯合興和大金行」とある。「金行」とは貴金属屋を意味する中国語。これまで中華街「ヤオワラート(ヤワラ)」といえば、せいぜい3車線くらいの狭い通りとばかり考えていたが、まさかこんなに大きかったとは。

いつか、一日かけてゆっくり散策してみたい。

2004年2月2日(月)

ブワの実家はヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川西岸のバーンゴークノーイ(バンコクノイ)区にあり、そこまで送り届けるルートはふたつある。ひとつはソムデットプラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)を越えるルート、もうひとつはプララームペート橋(ラマ8世橋)を越えるルート。

ところが、ソムデットプラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)は、バンコク都内髄一の渋滞の名所として知られている。橋の両端にはそれぞれ3叉路があり、東岸のカーオサーン(カオサン)通り前、西岸のセントラル百貨店ピングラーオ店(センタン・ピンクラオ)前の渋滞がそれに拍車をかける。午後3時から午後8時までの帰宅ラッシュ時には、とても渡れるような状態にない。

そうは言っても、ブワの家がヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川の西岸にある以上、橋を渡らないことには帰れない。

その北にあるプララームペート橋(ラマ8世橋)は、2年前に新設されたばかりの吊り橋で、ナコーンパトム(ナコンパトム)県へと伸びる高架道路に直結している。若干遠回りになることから、これまで僕はこの橋を敬遠していたが、意外にもソムデットプラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)の渋滞にハマるよりはマシであることに気付いた。ただしこの橋を越えても、ソムデットプラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)方面との合流地点で渋滞にハマるので、どちらのルートが良いか断言することはできない。

さしあたって、ラッシュ時にはプララームペート橋(ラマ8世橋)を、それ以外の時間帯にはソムデットプラピングラーオ橋(ピンクラオ橋)を使おうと考えている。ちなみに、ラッシュ時の所要時間は、往路がおよそ1時間半、復路がおよそ40分。・・・・・・あまりにも遠すぎる。

2004年2月3日(火)

いろいろなことがあって、当初夜の数時間の予定だったバイトが終日になってしまった。その詳しい内容については、アメリカ留学前と同じ理由でここには書かない。

バイト先から帰宅しようとしたところ、夜遅くまで働いていたタイ人女性スタッフを気の毒に思いバーングナー(バンナー)まで送っていった。バーングナー(バンナー)区はバンコク南東部に位置する住宅地で、工業が盛んなサムットプラーガーン県とは目と鼻の先にある。以前、所用で出かけたラートプラーオ(ラップラオ)区はどちらかといえば農業が中心の地域という印象だったが、バンコク中心部から離れているバーングナー(バンナー)区はごく普通の住宅地だった。

2004年2月4日(水)

日本から遊びに来ている友人に会ってから、バイトへと出かけた。

2004年2月5日(木)

午前8時、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)前から、貸切ロットゥー(12人乗りバン)でターク県メーソート郡(メーソット郡またはメソト郡)へと向かった。今回の目的は、ターク県ターソーングヤーング郡(ターソンヤン郡)メーラ村にある難民キャンプの調査。

国家法秩序回復委員会が1988年、軍事革命(クーデター)を起こしてミャンマー(ビルマ)の政権を掌握。当時ミャンマー連邦からの離脱を図っていたカレン族に対して厳しい弾圧を加え、強制移住や強制労働を課した。そのため、これを忌避したカレン族が難民化しタイ側へと大量に流れ込んだ。

午後3時半、僕たちはメーソート郡(メーソット郡またはメソト郡)に到着。国境地帯のムーイ川東岸にあるメームーイ市場で土産物を調達した。

この付近の国境は依然未確定のままになっている。このメームーイ市場では、写真にある①の領域がタイ領、②の領域がミャンマー領、③の地域が帰属未確定地域。国境ゲートは市場の南にある橋の両端にあるが、ミャンマー人は国境ゲートを使わずに川を渡ってやってくる。国境に架かる橋の通行料は10バーツ。

そこで、不法に越境してくるミャンマー人について、メームーイ市場の軽食屋店主に聞いてみた。

「以前は(③で示した)帰属未確定領域にも市が出ていたが、昨年バンコクで催されたAPECを契機にタイ当局によって閉鎖されてしまった。タイ人がこの川を渡ってミャンマー領に入ることはまずないが、ミャンマーの少数民族「カレン」が荷物を抱えて越境してくる。カレン族が持ち込んでくる荷物の大半が中国からミャンマーへと流入したタバコ。しかも、それは品質保持期限が切れたものを中国人が二束三文で売り払ったもので、とてもではないが喫煙に耐えうる品質にない。実際のところ、ミャンマー人が売りに来るものはほとんどがロクでもないものばかり。ロクでもないといえば、その最たるものはミャンマー政府そのものだ。彼らはロクな民生政策がなく、国民に自力救済を強い、軍の兵器も老朽化がひどく使い物にならない。国民も馬鹿ばっかりで、とても話のできる相手ではない」

また、この店主は彼らの置かれた事情を次のように説明した。

「だからといって、もし仮に彼らが賢くミャンマー政府の不満を言い出すようになったら大変だ。政治に関する話を一言でもすれば、すぐに政治犯として捕らえられ即刻政治犯収容所行き。彼らは政府から生活に関する支援を何も受けられずにおり、だからといって政治的手段に訴えて生活の向上を図ることもできないから、生きるためにもタバコを売りに来ざるを得ないんだ。気の毒といえば気の毒だが、さしあたって俺たちにできることは何もない」

「あんたのミャンマー嫌いも相当なものだからね」

軽食屋の店主による演説会は学生8人を前に、彼の妻が頻繁に横から突っ込みを入れるといったスタイルで約30分にもわたって繰り広げられた。少し長すぎるような気もしたが、自分が知らない話を個人的な視点で語ってくれたのは興味深かったし参考にもなった。

彼らミャンマー人の窮状については、明日以降の調査で徐々に判明することを期待している。

ところで、今晩ルームメートのカンボジア人から興味深い話を聞いた。これは今日の日記の主題ではないから概要だけにとどめる。

プノンペン大学講師の月給45ドル。NGOなど民間から請け負った調査報酬1日30-50ドル。妻(公務員)の月給350ドル(破格の待遇とか)。使用人の月給45-50ドル。王宮から5キロ離れたところにある土地(5×16メートル)の値段2000ドル。家の建設費4000ドル。ラナリット元第1首相はカンボジア人の誰もが認める無能者で、現首相フンセンに排除されたのも当然。内戦時のプノンペンは大騒ぎだった。プノンペンにいる日本人の大半は調査目的。外国人向けのゲスト街は王宮周辺の数百メートルのところにあり、一方はまとも、もう一方は麻薬利用者向けで酷く不潔。これらの地域は分かれている。プノンペン市内の外国人英語教師の質は低く、その大半は麻薬常用者だと考えて良い。彼らの報酬は時給2-20ドル程度で能力によって異なる。「俺自身の生年月日が今ひとつはっきりしない。原始的生活を強いられたポルポト時代には、カレンダーすらなかったから」。地名のカンボジア語読みは、英語よりもタイ語に近い。(ゴッゴング・ポーイペートなど)。

今晩はターク県メーソート市内のホテル「ポーンテープ」に宿泊した。ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)アジア研究所の研究員によれば、このメーソート(メーソットまたはメソト)市内ではこのホテルが一番まともで、唯一エレベーターを装備しているという。

2004年2月6日(金)

ターク県ターソーングヤーング郡(ターソンヤン郡)メーラ村第9集落にあるカレン族臨時居住区。タイ政府はカレン族越境者を ผู้ลี้ภัย(難民) と認めない立場をとっており、ここを ค่ายพักผู้ลี้ภัย(難民キャンプ) ではなく พื้นที่พักพิงชั่วคราว(臨時居住区) と呼んでいる。

この難民キャンプはタイ内務省が管理しており、各国の NGO が運営している。なお、この難民キャンプの運営に協力しているNGO団体は次の14団体。BBC, ADRA, SMRU, COERR, TOPS, SVA, HI, ICS, MSF, CONSORTIUM, PPAT, ZOA, IRC。

カレン族難民自治組織の幹部によれば、ここにはミャンマー連邦のカレン族やムスリム系民族など5,425世帯、32,904人(成人男子10,839, 成人女子10,569, 未成年男子5,942, 未成年女子5,556)が住んでおり、民族構成比はカレン族85%、ムスリム系15%。住民の55%がキリスト教、35%が仏教、10%がイスラーム教を信仰している。施設内には29の宗教施設(キリスト教会22, 仏教寺院3, モスク4)、46の教育機関(小学校13, 中学校4, 高等学校5, 高等専門学校2, 神学校4)と10の無料医療機関(総合病院2, マラリア療養所4, 婦人科医院1, 身体障害者療養所3)のほか、電力網や上水道網(一部区画は井戸)が整備されている。これだけあれば難民がライフラインに困ることはない。

各種学校では、難民または NGO の職員が、英語をはじめ歴史や理科などを教えている。タイ人講師が不足しているため、タイ語の授業はない。ほとんどの難民がカレン語(ビルマ語と文字がそっくりだが文法から単語まですべて違う)を第一言語としているが、キャンプ内ではビルマ語や英語、タイ語なども使われている。神学カレッジでは、社会学などの教育も受けられる。

次にキリスト教会の支援で運営されているカレッジ「カメソーレイ・カレン族浸礼派神学校 」のシモン校長に話をうかがった。キャンプ生活でのエピソードが話の主題となったが、そのなかに興味深い話がいくつかあった。

このキャンプは、標高778メートルのドーイパールー山(ドイパル山)の麓に建設された。放物線状の軌跡を描いて飛んでくるミャンマー軍からのミサイルを回避するには絶好の立地条件。しかし、1996年にミャンマー軍がドーイパールー山(ドイパル山)を越えて攻め込んできたとき、難民はタイ側の山(名称不明, 標高436メートル)に逃げ込んだという。このときに虐殺された難民たちの墓所は、いまもその山頂付近にあるという。

昼食後、グループごとに分かれての聞き取り調査。僕はカナダ人学生と組んで健康問題について調査するために病院へと向かった。

2004年2月7日(土)

聞き取り調査のためにキャンプ内を徘徊していると、意外なほどたくさんの発見があった。僕たち日本人が「難民キャンプ」という言葉からイメージするのは、きっと不衛生で過酷な環境ではないだろうか。しかし、ここの「難民」たちは、そのイメージとはかけ離れた豊かな生活を送っている。

僕たち先進国の納税者の夢を壊さないよう配慮しているのか、キャンプ内の建設物には工業製品を使わないためのさまざまな工夫が見られた。住居はすべて木材で作られており、まるで山小屋のよう。本来、費用をかけずに家を建てるのであれば、適当な木材を支柱にして、それをトタンで囲めば十分のはず。そんな僕たちへの些細な配慮が涙を誘う。

キャンプ内で建設資材として用いられる木材はきちんと規格どおりに加工され、茅葺屋根(かやぶきやね)も手作りだが一箇所で集中生産されている。その結果、画一的で美しい町並みに仕上がっている。

キャンプ内には商店街もあり、石鹸やシャンプーなどの生活必需品のほか、テレビやラジオまで売られている。僕たちのグループ調査に同行した研究員によれば、難民がキャンプ外へ農作業に出かけたときに、これらの商品をタイ人商人から預かって、キャンプ内で代行販売しているという。そこで発生する利益は、キャンプ内のカレン族商人とタイ人商人のあいだで分配される。資本のないカレン族難民でも大量に仕入れることができるため、街にはたくさんの商品が溢れている。難民キャンプという場所で通貨を使った商取引が行われているとは意外だった。

難民たちの衣服は、どれも清潔で状態もよい。僕たち日本人が着ている T シャツと比べても遜色ない。キャンプの運営規則では、年に1度だけ難民に衣類が配給されることになっているが、彼らには自分の金で買ってきた服が何着かあるはずだ。

キャンプ内の難民の表情はとても明るい。難民という不遇な立場になると、性格が歪み表情にも表れそうなものだが、彼らは何にも不自由のない生活を送っているためか、精神的にとても安定しているように見える。

「いま一番不満なこと」を10人の難民に尋ねてみたところ、国籍がないなどの政治的地位に関する不満が最も多く、逆に日常生活での不満は一切耳にしなかった。また健康状態について尋ねてみたところ、医者に診てもらったり治療薬を使ったりするような病気に罹ったがないという回答が大半を占めた。なお、このキャンプでは、医療サービスから避妊具まで、すべて無料で提供される。

「このキャンプは、観光客はもちろん、マスコミにすら公表されていない」

事前のガイダンスで研究員が話していた言葉の意味がようやく理解できた。カレン族難民は、農村部のタイ人よりも遥かに豊かな生活を送っている。貧困が社会問題となっているタイで、このような難民の実態が広く知れ渡ってしまったら、何らかの抗議運動が起きること疑いない。このキャンプ自体が「タイ人の不興と反感」を買って、政府は閉鎖を余儀なくされるだろう。しかし、そんなことをしたら「国際社会からの批判」にさらされる。このような厄介な問題から回避するためにも、政府としてはこの情報を絶対に自国民に知られるわけにはいかない。

今晩、メーソート(メーソット)市内のフォークソングバー「クロコダイルの涙」でクラスメートたちと午前1時まで酒を飲み、タイ語で語り合った。

2004年2月8日(日)

外国人による不法就労には、どの国も手を焼いているようだ。特にタイは最貧国(後発発展途上国)であるラオス、カンボジア、ミャンマーの3国と陸続きで隣接しているため、日本より深刻な事態に直面している。こうした不法労働者の多くは、バンコクでは経済的に恵まれている市民の邸宅で使用人として働くか性風俗産業に従事し、地方では小作農として働くケースが多い。

不法労働者は安価な労働力として国家の競争力を高める効果がある反面、国内の非熟練労働者(単純労働者)の失業を招き犯罪件数が増えるという副作用をともなう。そのような理由から、政府は国境地帯に数多くの検問して、陸路による外国人の流入を食い止めようとしている。検問では、国民 ID カードやパスポートなどの身分証の提示が求められる。

「実は・・・・・・パスポートを持ってきてないんだ。でも、大丈夫。俺には天下のヂュラーロンゴーン大学の学生証がある。これがある限り、タイ国内での俺の立場は安泰だ。なにしろ、こいつには魔法の力があるのだから」

カンボジア人学生が財布から学生証を取り出して、こう話していた。しかし、彼のタイ語力ではタイの警察当局が不法滞在者を確認するときに使う「タイ国歌斉唱」には耐えられないだろうし、パスポートがなければ「不法入国したミャンマー人」としてミャンマー当局に引き渡されかねない。

・・・・・・というのは、タイ語が使える学生たちの冗談話。実際には、タイ内務省が発行した「調査目的の難民臨時居住区進入許可証」を見せるだけで通過できた。

鳥インフルエンザによる鶏肉の販売不振は全国に広がっている。ナコーンサワン(ナコンサワン)県内のサービスエリアには、鶏料理が一つもなかった。報道によれば、政府は鶏料理を無料で振舞うキャンペーンが催したり、徴収兵たちの食事に鶏をふんだんに使ったりして国内の鶏の消費量を維持しようと躍起になっている。

2004年2月9日(月)

オシャレな日本に憧れて日本語の勉強を始める。しかし、日本語が理解できるようになって、日本人を知れば知るほど日本が嫌いになっていく。よくある、ごくありふれた話。

今晩、日本語検定2級の日本語力を武器に日系企業で働いているタイ人の友人と長電話した。友人によれば、「日本人労働者はタイ人労働者をあまりにもナメすぎている」とのこと。まあ、あってもおかしくない話。

タイに進出する日系企業は、経費節減を目的としてやって来る。若干の品質低下を覚悟の上。さらに、中間層の日本人は、相対的に僅かに低い所得の他人を探して自分の優位を確認する。現地採用の所得でも、タイ人単純労働者の2-5倍はある。日本人がタイ人を見下す条件はそろっている。

僕は「俺がタイ人だったら絶対に日本語を勉強することはないだろうし、日系企業で働くことなんて絶対にあり得ない」と答えた。必死に日本語を勉強してきた外国人が、日本人のせいで日本に失望させられてしまうとはあまりにも気の毒な話。

しかし、良くも悪くもそれが日本人社会というもの。いずれにしても僕一人が頑張ったところで、どうにかできるような話じゃない。

2004年2月10日(火)

バイトの一日。特に変わったことは何もない。

2004年2月11日(水)

飲食店の営業時間規制の話題は、以前からタイのマスコミで頻繁にとりだたされていた。それを今年に入って日本語ミニコミ誌が一斉に報じたことで、バンコクの日本人社会もこの話題で持ちきりになっている。その営業時間規制が、いよいよ現実のものとなりそうだ。

報道によると、タイ政府は社会の風紀を正すことを目的として、一般の飲食店の営業時間を午前零時までに規制し、同時に青少年を対象とした夜間外出禁止令の運用を厳格化する。僕はこの報道を聞いて自分の耳を疑い、すぐにグルングテープトゥラギット紙(クルンテープトゥラキット紙)の発行元であるネーショングループのホームページを開いて確認した。その内容は次のとおり。

นครบาลคุมเข้มสถานบริการ กวดขันเยาวชนมั่วสุม
娯楽施設管理を厳格化し、非行未成年者の引き締めを図る ― 警視庁

2月11日午後2時21分更新

พล.ต.ต.เจตน์ มงคลหัตถี รองผบช.น. รับผิดชอบงานป้องกับปราบปรามอบายมุข เรียกประชุมคณะทำงานชุดเฉพาะกิจปราบปรามอบายมุขและบ่อนพนันของกองบัญชาการตำรวจนครบาล และนายตำรวจระดับ ผบก.น.1-9 เพื่อชี้แจงทำความเข้าใจถึงแนวทางการปฏิบัติเรื่องการควบคุมการเปิด-ปิดสถานบริการทั้งในโซนนิ่งและนอกโซนนิ่ง โดยใช้เวลากว่า 2 ชั่วโมง
警視庁副長官(社会規律退廃撲滅プロジェクト担当)のヂェート・マンコンハッティー警察中将は、警視庁社会規律退廃・賭博撲滅委員会および、第1管区から第9管区までの各警察署長を招集して開いた会議のなかで、指定地域内および指定地域外における娯楽施設の営業時間取締活動に関する行動方針を2時間以上かけて周知徹底した。

พล.ต.ต.เจตน์ กล่าวว่า สำหรับความพร้อมการดำเนินการในเรื่องนี้ตำรวจนครบาลได้รับการประสานจากทางกระทรวงมหาดไทยเป็นที่เรียบร้อยแล้วพร้อมมีการประชุมหารือทำความเข้าใจกันก่อนหน้านี้ว่า สถานบริการที่อยู่ในโซนนิ่งนั้นต้องปิดในเวลา 01.00 น. ส่วนสถานบริการนอกโซนนิ่งปิดเวลา 24.00 น. ซึ่งจุดนี้เจ้าหน้าที่ที่รับผิดชอบในท้องที่ต่างๆนั้นจะเข้าไปดูแลกวดขันสถานบริการที่อยู่นอกโซนนิ่งก่อน จากนั้นยังมีเวลาเหลือพอที่จะกลับมาดูแลสถานบริการในโซนนิ่ง
ヂェート警察中将によれば、今回の規制は内務省との合意に基づき、「指定地域内」にある娯楽施設の営業時間を午前1時まで、「指定地域外」にある風俗店の営業時間を午前零時までとする。各地域の担当者が指定地域外にある娯楽施設を立入検査を行い、余った時間で指定地域内の娯楽施設の取り締まりに充てる。

ฉะนั้นการปฏิบัติของตำรวจตรงจุดนี้ไม่มีปัญหา จะเป็นเวลากี่โมงกี่ยามก็ได้แม้เวลาการเปิดปิดต่างกันก็ไม่เป็นไร เราสามารถจัดการได้เพราะโซนนิ่งของสถานบริการใน กทม.นั้น มีเพียง 3 โซนในพื้นที่ 5 สน.ใน 3 กองบังคับการคือ โซนที่ 1.ถนนสีลม-บางรัก-พัฒน์พงษ์ เป็นพื้นที่รับผิดชอบของ สน.บางรักและ สน.ทุ่งมหาเมฆ บางส่วน โซนที่ 2 อาร์ซีเอ ย่านพระราม 9 พื้นที่รับผิดชอบของ สน.มักกะสัน โซนที่ 3 คือถนนรัชดาภิเษก เริ่มตั้งแต่หน้าห้างเยาฮันถึงบริเวณแยกลาดพร้าว ห่างจากถนนรัชดาฯ ไป 300 เมตรทั้งสองฝั่ง เป็นพื้นที่รับผิดชอบของ สน.ห้วยขวาง และ สน.สุทธิสาร ? พล.ต.ต.เจตน์กล่าวและว่า
したがって、それぞれの閉店時間が異なっても警察活動には支障ない。バンコク都内の娯楽施設は、3管区5警察署の3ヶ所のみで、十分に取り締まることができる。その3ヶ所とは、①バーングラック署とトゥングマハーメーク署が管轄するシーロム - バーングラック - パットポング間、②マッガサン署が管轄するラマ9世通り周辺(RCA)、③フワイクワーング署とスティサーン署(?)が管轄するラッチャダーピセーク通り(ヤオハン百貨店からラッチャダーピセーク通りから300メートルほど離れたラートプラーオ交差点付近まで)。

การปฏิบัติที่ผ่านมาก็ไม่เคยมีปัญหาเลยเพราะสถานบริการบางแห่งปิดในเวลาไม่ตรงกันอยู่แล้ว ไม่ใช่ว่า สถานบริการเปิดปิดตรงกันตลอด เขามีกำหนดเปิดปิดเหลื่อมล้ำเวลากันอยู่แล้ว จากเดิมการปฏิบัติก็ชัดเจนอยู่แล้วหากมาดำเนินการแบบใหม่ที่กำหนดก็ทำให้ตำรวจมีเวลาในการปฏิบัติมากขึ้น ทั้งในและนอกโซนนิ่งเราสามารถเข้าไปดูแลได้ทั่วถึงและง่ายกว่าเดิม
娯楽施設は常に時間通りに閉店し、しかも閉店時間がそれぞれ異なるため、これまでの取り締まりでも上手くいっていた。過去の実績からも明らかなように、今回の通達により、指定地域内外における警察活動がより手際よく遂行できるようになる。

ส่วนจำพวกร้านขายอาหารตามสั่งและร้านข้ามต้มที่เปิด 24 ชั่วโมงนั้น ตามประกาศคณะปฏิวัติฉบับที่ 252 ลงวันที่ 16 พ.ย.2515 ห้ามไม่ให้เจ้าของขายอาหารและเครื่องดื่มตั้งแต่เวลา 01.00 -05.00 น. ซึ่งปัจจุบัน กม.ฉบับนี้ก็ยังมีผลบังคับใช้อยู่และยังไม่ได้มีการแก้ไข แต่ไม่ทราบว่า ร้านดังกล่าวดำเนินการกันได้อย่างไร เพราะเขาห้ามทั้งการขายและการดื่มของคนที่เข้าไปในสถานที่นั้นๆด้วย ในเวลาที่ห้ามเช่นเดียวกัน ถือว่ามีความผิดทั้งคนขายและคนกินในสถานที่ที่ห้ามจำหน่าย ซึ่งตนจะกำชับตำรวจทุกท้องที่ให้กวดขันตามประกาศคณะปฏิวัติดังกล่าวอย่างเคร่งครัด
24時間営業をしている食堂や粥屋はについては、革命団通達第252号(2515年11月16日施行, 現在もなお運用されており、施行以来改訂されていない)に基づいて、商店主に対して午前1時から午前5時までの販売を禁じる。しかし、これらの店をどのように取り締まるのかは分からない。この通達は、施設内で酒類の販売することと飲むことの両方を禁じている。販売禁止時間内は、販売禁止場所にいる販売者と消費者の双方の責任とみなし、この革命団布告を厳格に適用して取り締まりにあたる。

พล.ต.ต.เจตน์ ยังกล่าวถึง กม.บังคับใช้ห้ามเด็กและเยาวชนอายุต่ำกว่า 18 ปีออกนอกบ้านเกิน 22.00 น.ว่า ตรงนี้คงไม่ได้ห้ามขาดทุกกรณีไปต้องดูที่เหตุผลด้วย เพราะหากมีใบอนุญาติของผู้ปกครองในกรณีที่มีเหตุจำเป็นก็คงสามารถทำได้ เพราะไม่ใช่ใครจะออกไปไหนแล้วคงต้องติดคุกติดตะราง แต่เป็นเรื่องที่ตำรวจจะต้องดูแลและประสานกับผู้ปกครองซึ่งไม่ได้มีโทษใหญ่โตอะไรถึงขนาดต้องติดคุกติดตะรางกัน
ヂェート警察中将はさらに、午後10時以降の18歳未満の未成年者に対する外出禁止令にも言及した。夜間の外出禁止は、例外なく禁じるものではなく、相応の必要性が認められ親権者の許可がある場合には十分に考慮される。しかし、逮捕に該当する罪を犯したかどうかにかかわらず、警察としては補導して親権者に引き合わせる方針だ。

พล.ต.ต.เจตน์ กล่าวถึงสถานบริการใน กทม. ที่มีการขออนุญาตอย่างถูกต้องตามกฎหมายว่า แบ่งเป็น 4 ประเภทด้วยกันคือ 1.ประเภทเต้นรำ มีการขออนุญาตรวม 66 แห่งทั่ว กทม. ประเภท 2 .โรงน้ำชา มีจำนวน 36 แห่งที่ถูกกฎหมาย ประเภท 3. อาบอบนวด มีการขออณุญาตถูกต้อง 103 แห่งแต่เปิดให้บริการจริงเพียง 80 แห่ง และประเภท 4.พวกร้านอาหารและผับ บาร์ มีขออนุญาต 1,700 -1,800 แห่ง เท่านั้น ส่วนที่เหลือไม่ได้มีการขออนุญาตอย่างถูกต้องโดยเฉพาะร้านคาราโอเกะส่วนใหญ่เป็นร้านเถื่อนไม่มีใบอนุญาตทั้งสิ้น ซึ่งร้านประเภทนี้ไดก้สั่งการให้ตำรวจนครบาลเข้มงวดกวดขันจับกุมอย่างต่อเนื่องแล้ว
ヂェート警察中将は法律に基づき、正式な許可を得ているバンコク都内の風俗店を4種類に分類すると語った。①舞踊型(66店舗がバンコク都内で許可を得て営業している)、②喫茶店(36ヶ所が法律に準じて営業している)、③マッサージパーラー(ソープランド, 103ヶ所が営業許可を得ているが、実際に営業しているのは80ヶ所にすぎない)、④食堂、バー、カラオケ(ほとんどが、特にカラオケ店に関しては、正式な許可を得ていない無許可営業で、正式な許可を得て営業しているのは1,700ないし1,800店舗)。これらの種類の店舗については、警視庁に命じて従来より厳格に取り締まる。

“ณ วันนี้อะไรที่ตั้งโดยถูกต้องอยู่แล้วก็คงมีอยู่ต่อไปได้ แต่จะมาขอเปิดใหม่นั้นขอไม่ได้แล้ว แต่หากจะย้ายที่ก็ต้องย้ายเข้าโซนอย่างเดียวจะขออนุญาตอยู่นอกโซนคงไม่ได้แล้ว เราต้องยึดถือตามกฎหมายใหม่เป็นสำคัญ” ผช.ผบช.น.กล่าวในที่สุด
警視庁副指令は、「もし、今日中に法律にしたがって是正すれば、そのまま営業を継続できる。しかし、新規の営業許可を申請しても認めない。また、店舗の移転は同一地域内でのみ認め、指定外地域への移転は認めない。なによりも重要なのは、この新法を我々が遵守することだ」と話した。

タイ政府はいったい何様のつもりなのか。戒厳令が布告されているわけでもないのに、未成年とはいえ国民の外出を制限するとは、どう考えてもおかしい。しかし、この方針を掲げる与党タイ愛国党(タイラックタイ)は、民主主義の原理原則である多数決によって国民からの信託を受けて施政を行っている。内閣支持率が低下しているわけでもないから、国民の権利を制限するこうした政策は正しいのかもしれない。

2004年2月12日(木)

タイの物価は決して安くない。

所得水準が低い発展途上国の消費者物価は日本より低い。しかし、「発展途上国では日本並みの生活をタダ同然で送れる」と思い込むのは間違いだ。そうしたことは、スーパーでワインとチーズを買ってみれば、身をもって知ることができる。

夜、近所の百貨店「ロビンソン」アソーク店でワインとチーズを買った。一番安いもので、ワイン1本350バーツ、スライスチーズ6枚110バーツ。

ここのところ、酒量が急激に増えている。今回ビールではなくワインを購入したのも、少ない量でで酔えるから。アメリカ留学以来続いている肥満化の傾向に歯止めをかけたい。

2004年2月13日(金)

東南アジア研究科は、まさに人種の坩堝。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)は、タイの首都バンコクにある。クラスの約半数を占めるタイ人のあいだでは、入学年度別、出身大学別の派閥化が進んでいる。もちろん外国人学生のあいだにも、母国語別、奨学金支給団体別の派閥がある。

僕は、タイ国内の大学を卒業したわけでもなく、英語を母国語としているわけでもなく、奨学金を受けているわけでもない。だから、どの派閥とも深いかかわりを持っていない。それでも、比較的オープンな、同期入学のガセートサート(カセサート)大閥や奨学生閥の学生たちとは仲良くやっている。どちらも比較的英語を苦手とする学生たちで、僕としてはコミュニケーションがとりやすい。

これまで、僕はクラスメイトのプライバシーに無関心だった。だから、クラスメイトのことはあまり知らないし、クラス内部に派閥があるとは夢にも思わなかった。

クラスメイトの行動パターンも十人十色。放課後に足繁く主任教官のもとへ通って自分の評価を上げることに必死な学生、先輩が別の講座で提出した小論文(ペーパー)をコピーして提出する学生、教授からの推薦図書を昼夜読みふけっている学生、毎晩のようにハイソな若者向けのパブに通う学生。それぞれの個性はバラエティーに富んでいる。

クラスメイトから、対立しあう派閥の両方と仲良くやるのは賢明じゃないというアドバイスを受けた。どちらの側につくのか態度を明らかにしなければいけない。これまで、僕は「広く浅く愛想良く」という方針だったが、これからは教授陣からの評判が悪い某大学閥とは距離を置くつもりだ。

昼過ぎ、高架電車 BTS チットロム駅前のセントラル百貨店でタイ人クラスメイトと待ち合わせ、ペーパー(小論文)の書き方についてのアドバイスをもらった。その後、クラスメイトたちのゴシップなどを聞いていたところ、一見仲良くやっているように見えるタイ人学生たちのあいだに、反目と対立があるということを知った。

僕は今日の日記の表題を「学生の派閥化と反目の顕在化」としたが、実は以前からあって僕が今日知っただけのこと。

2004年2月14日(土)

バレンタインデーの今日、僕たちはヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)の遊覧船に乗ってロマンチックなディナーを楽しむつもりだった。しかし、オンライン予約に問題があったようで、結局、船着場で引き返すことになった。

そこで、スクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理店「ロペラ・ワイン館」へと向かった。入り口の扉には「20再未満の立ち入りを禁じる」という表示があったが、18歳のブワは身分証明書の提示を求められなかった。料理が美味く、タバコも吸えるロペラのワイン館はお勧め。

2004年2月15日(日)

正午にサヤーム(サイアム)でブワと待ち合わせた。

今日、大規模なファッションショーが催された。街中をパレードが練り歩くため、高架電車 BTS サヤーム(サイアム)駅前のプララームヌング(ラマ1世)通りから、プローンポング(プロンポン)駅前のスクンウィット39までが通行止めになった。

ここバンコクの幹線道路はイベントがあるとすぐに通行止めになってしまう。それに伴う経済的な損失に対して、行政はどのような考え方をしているのだろう。

2004年2月16日(月)

taemae.jpgスクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室。僕は窓の外に広がる高架電車 BTS ナーナー駅周辺の眺望を眺めながら、ひとりワインを飲んでいた。

唐突に誰かと飲みたくなって携帯電話へと手を伸ばした。ところが実家暮らしのブワは深夜外出禁止。親しい友人のほとんどが酒を飲まず、数少ない酒好きの友人たちも仕事中で、結局誰も捕まえることができなかった。そこで、この近辺がバンコクのナイトライフの中心地であることを思い出し、徒歩5分のところにある娼婦(売春婦)が集まるパブ「トァーメーコーヒーショップ(テルメコーヒーショップ)」へ久々に足を運んだ。

手軽に娼婦(売春婦)を調達できることで有名だったトァーメーコーヒーショップ(テルメコーヒーショップ)は、ここ数年の政府による風紀引き締め政策の影響で、今ではすっかり寂れている。聞くところによれば、店側が警察の指示で始めた年齢チェックにより、この店に出入りする18歳未満の娼婦(売春婦)が完全に排除されたことで深刻な質的低下が起きているという。

僕は夜の歓楽街でタイ語を話さないようにしている。娼婦たちのあいだでは「バンコクに住んでいる日本人はケチで貧しい」という説が定着しており、流暢なタイ語をしゃべろうものなら誰にも相手にしてもらえない。退屈しのぎに来ているというのに、誰にも相手にしてもらえないのでは本末転倒だ。そこで、僕は「ラオスに住んでいた日本人」という設定で店内を徘徊した。僕は全くラオス語を使えないが、タイ東北部(イーサーン地方)訛りのタイ語を使い、気が向いたときにラオス語にしかない語彙を適当に使っておけば相手を十分に混乱させられる。以前、「英語しか使えない日本人観光客」を装ったときは、娼婦(売春婦)たちの英会話力不足のせいで、まともにコミュニケーションがとれなかった。

店内を徘徊していたところ、ひとりの娼婦(売春婦)に声をかけられた。自称ラーチャパット・スワンドゥスィット大学(ラチャパット・スワンドゥシット大学)卒の25歳。彼女もまったく英語を話せず、隣に座っていた中年女性に通訳を依頼していた。これでは埒が明かないと思い、僕は仕方なく例のエセ・ラオス語で話し始め、お勧めの観光スポットを紹介してもらうことにした。

僕たちはトァーメーコーヒーショップ(テルメコーヒーショップ)を出て、タクシーで高架鉄道 BTS トーングロー駅前にあるビアホール「コロシアム」へと向かった。僕たちが到着した頃には、オカマ3人が「バレンタインデー」のコントを演じていた。なかなか笑えるコントだったが、タイ語が分からないと退屈すること疑いない。両親が遊びに来たときに連れて行こうと考えていたが、考え直すことにした。

次に、タイで最も高いビル「バイヨックサガーイ(バイヨークスカイ)」83階のバーでバンコクの夜景を眺めながらカクテルを飲んだ。なんとも味気なかった。

そもそも、娼婦(売春婦)と行動することで「楽しいこと」を期待すること自体が間違いだった。ワクワクしないし、ドキドキもしない。娼婦と行動して得することといえばアクロバティックなセックスと麻薬の調達くらい。そういったものにあまり興味のない僕にとっては、ひとりで酒を飲むという寂しさは紛らわせても、女性と酒を飲む楽しさを得ることはできない。

日本人向け歓楽街「タニヤ」にあるカラオケクラブで、特に可愛いわけでもない娼婦とくっつきながら座って、聞いたこともないオヤジ演歌を聴きながら、好きでもないウイスキーばかりを飲んでいるよりは幾分マシだった。でも、大して変わらないような気もする。

バンコクに住んで2年になるが、いまだ娼婦(売春婦)遊びの面白さを理解できない。ホテル「バイヨックサガーイ(バイヨークスカイ)」のロビーで今晩の同伴料1,000バーツを支払い、僕はタクシーに乗ってひとりでコンドミニアムに戻った。

2004年2月17日(火)

日本製即席麺は贅沢品。

夜、中学時代の友人がバンコクに到着。手土産に大量の日本製即席麺を持ってきてくれた。ここバンコクではとても高価な贅沢品だからありがたい。バンコクにおける日本製即席麺の相場はだいたい110-140バーツ。日本の約2~3倍の値段で売られている。

一度に40個もの即席麺を持ってくるのは大変そうだが、一時帰国したときにやってみてもよいかも。

2004年2月18日(水)

バイトのあと、友人とホテル「アマリアトリウム」で飲んだ。

2004年2月19日(木)

どこにあるどんな人たちの集団でも、恋愛とイジメはつきもの。

もちろん、タイにある修士課程のクラスもその例外ではない。しかし大人の社会では、恋愛をするにしてもイジメをするにしても、それ相応の責任をとらなければならない。決して若気の至りでは済まされない。

午後の講座「東南アジアの近代化、民主化、民族主義」。僕は准教授の指示通り、上から3番目にサインをして隣へと回した。ところが、一巡して僕の手元に戻ってきた出席票を見ると、上から2番目の学生の名前に取り消し線が引かれている。隣に座っている取り消し線を引かれた学生に「妙なことになってるぞ」と言って出席票を見せると、呆れたような顔をしていた。

休憩時間に出席票を提出すると、准教授もすぐに事態を理解したようだった。出席者の誰かが嫌がらせのために学生の名前を削除したに違いない。隣で怒りに震えている学生を尻目に、僕は自分が思ったことを口に出しながら爆笑した。

――これは嫌がらせというより、むしろ笑い話にちかい。加害者は自らの評価を自らの手で貶めている。加害者に益なく、被害者に損ない、無意味な行為だ。まったく話にもならない。

しかし、被害の当事者は、どうやら他人の悪意を笑い飛ばす気にはならなかったようだ。

「まあ、こういうことをする人間をキチガイと言うのよ」

担当講師はそう言い残して教室から去っていった。被害者の学生の話によれば、本人も講師も加害者を特定しているとか。ちなみに、准教授に近い学生によれば、先月返却された中間ペーパー(小論文)で、加害者の学生が盗作したことが発覚しており、(当の本人には知らされていないが)すでに退学処分が決定している。だから何の手も打たなくても来月には解決されるから気にすることはないという。これでタンマサート大卒閥の勢力はかなりの痛手を被ることになる。

クラスメイトの稚拙な暴挙に呆れながら、僕が後半の授業を上の空で聞いていたところ、さっきの被害者の女性が身体を寄せて話しかけてきた。

「ところで、A ちゃんって可愛いと思わない? 気だてが良くて容姿端麗。父親は大手銀行の経営幹部で一人娘なんだって」

あまりの唐突さに、①僕に彼女がいること、② A ちゃんが僕に興味を持っているとは限らないことを理由にさっさと話を切り上げようとしたところ、この学生はそうでもないと力説した。

「とにかく、こんな完璧なコはもう二度と現れないわよ。貴重なチャンスをみすみす逃すべからず!」

何の根拠もなくこういったことを勧める人もいない。あまりにも強く勧められたものだから、僕も返答に窮してしまった。とりあえず「様子を見ながら臨機応変に対応する」と返事しておいた。なんとも歯切れの悪い返事。僕はタイ人と結婚しないというポリシーがあるから、完璧すぎるタイ人女性と付き合ってしまうと初志貫徹できなくなる恐れがある。

今日は「学校」とか「教室」とかいった、懐かしい単語を妙に意識させられた一日になった。

放課後、ホテル「ロイヤルオーキッドシェラトン」で中学時代の友人と夕食をとり、ホテル「マレーシア」で古式マッサージを受けた。マッサージの料金が従来の200バーツから250バーツに値上げされていた。

2004年2月20日(金)

僕が住んでいるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」に入っている食堂の料理は、市価の3倍くらい高いのに、食うに耐えないほど不味い。だから、同じくらいの値段の日本食の出前を頼んでいる。

数ある宅配日本料理屋のうち、僕はスクンウィット(スクンビット)31にある「雑談室」が最もコストに見合った料理を出してくれると考えている。何でもニンニク味がキツいのは玉に瑕だが、それでも苦痛を感じずに日本料理を食べられるという点で優れている。それに、出前料金を取られないのは魅力的だ。

そんな僕の生活に欠くことのできない雑談室の料金が2月15日、それぞれ10バーツずつ値上げされる。弁当袋に入っていたチラシによると、今回の値上げは「材料の値上がりのため」ということだが、それでも他店と比べれば依然2割くらい安く、十分な競争力をを維持できるだろう。

日頃、生鮮食料品を買う習慣がない僕にとって、珍しくインフレを身近に感じた出来事だった。

2004年2月21日(土)

毎週土曜日恒例の終日アルバイトの日。夜、バイト先の友人から夕食に誘われ、スクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理店「ロペラ」へと向かった。ここはバンコク都内で僕が一番気に入っている店で、なにかイイことがあるたびに足を運ぶ。

今回はバイト先の上司でもある友人のおごりだった。食べきれないほどのサラダとリゾット、これでもかというほど大量のワインとビールを頼んで合計約4,000バーツ。ここの料理は何を食べてもご馳走だ。

2004年2月22日(日)

毎週日曜日はブワに会う日、もしくは放課後の足として使われる日。

今学期、ブワは体育の授業を履修している。僕はスクンウィット(スクンビット)49にあるヨガ教室まで迎えに行き、途中で夕食を食べて、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)西岸にある彼女の実家まで送り届けている。

それにしても、ブワはなぜ大学から何十キロも離れたトーングロー(トンロー)で開講されるこの授業を履修したのだろうか?

2004年2月23日(月)

「レポートを提出するときには、あなたもここに来ると良いわよ。カラー印刷のきれいな表紙と完璧な装丁で高得点間違いなし!」

聞くところによれば、修士課程の定期考査は減点式のテストではなく、ペーパー(小論文)が課され、その内容次第で評価が決まるという(一部の修士課程を除く)。僕が在籍している東南アジア研究科では、1教科につき20-25枚という枚数指定がある。

てっきり白黒プリンタで出力した紙をホッチキス止めして提出すればよいとばかり思っていたが、成績優秀者の大半は丁寧に製本してから提出しているという。僕は友人の話を聞いて、ペーパー(小論文)が内容よりも見た目で評価されるなんてありえないと思ったが、先輩たちの成功事例は真似しておきたい。

今日はセント