2003年10月1日(水)

日本でいうマンション。ここタイでは米語にならって分譲物件ならば「コンドー(コンドミニアム)」、賃貸物件ならば「アパート(アパートメント)」と呼ばれている。また格安賃貸マンションを特に「ホー」(寮・寄宿舎)と呼ぶこともある。

バンコク中心部では、アパートよりもコンドミニアムの家賃のほうが高い。コンドミニアムには立体駐車場やプール・フィットネスなどがあり快適な生活が送れるといわれている。

ここバンコクに住んでいると、経済的に困窮し、精神的にも貧しい日本人を多く見かける。僕は健全な精神状態を維持するためにもコンドミニアムに住むことを選んだ。

ところが、このコンドミニアム探しは難航した。時期が悪いせいか、空いている部屋といえば備え付けの家具がない殺風景な部屋ばかり。しかも家賃はフル装備の部屋とまったく変わらない。本来であれば、オーナーごとに趣向の異なる重厚感のある内装、若者向けのオシャレな内装などから自由に選べるはずなのだが、これではもうどうしようもない。

結局、今回はあきらめて素直に帰宅することにした。バンコクに戻ってきたら、適当なサービスアパートメント(基本的なルームサービスがある短期滞在用の施設)に滞在しながら、一番お得な物件を腰を据えてゆっくりと探したい。

コンドミニアム探しのあと、僕はサヤーム(サイアム)にあるオシャレなパスタとタイ料理の店で、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学文学部の友人たちと夕食をとった。

2003年10月2日(木)

気軽に外出するためにもクルマがほしい。

バンコク都内の日本人が行きそうなところなら、どこでも高架電車 BTS で簡単にアクセスできる(2004年以降、これに地下鉄 MRT が加わった)。路線バス網も整備されており、高速道路を走る路線もあるほどで、60バーツも出せば郊外の辺鄙なところにだって行ける。面倒になってタクシーに乗ったところで600円を超えることはまず考えられない。

しかし、タクシーに乗れば初乗り料金が発生するし、炎天下を駅やバス停まで徒歩またはバイクタクシーで移動しなくてはならない。僕は公共交通機関を使うのが面倒だからと自分の部屋に引きこもるのは絶対にイヤだし、初乗り料金を節約するために自分の部屋に引きこもるのもご免だと思っているから、ここバンコクでも学部生の頃から慣れ親しんでいるクルマを乗ることにした。

タイ国内における新車の販売価格は日本の約1.5倍。中古車の値段も当然高く、6年落ち(1997年式)のホンダ・シビックが55万バーツ前後、ホンダ・アコードや日産セフィーロが45~55万バーツ。仮に50万円(約15万バーツ)の予算を用意したところで、19年落ちのトヨタ・カローラしか買えない。

中古車のあまりの高さにイライラを募らせながら中古車情報誌を眺めていたところ、ふと欧州車の価格表が目に入った。7年落ち(1996年式)のアウディーA4が55万バーツ前後、8年落ち(1995年式)の BMW 318i が60万バーツ前後。ここでは日本で高価で贅沢品とされている欧州車が、日本の大衆車と大差ない価格で取引されている。

タイ人のあいだでは、故障の頻度や修理代を考えれば日本車が一番と言われていが、日本の大衆車にバカ高い金を払うのも癪だったから、思い切って BMW 318i に絞って調べてみることにした。

今日はラッチャダーピセーク(ラチャダー)通りに密集している中古車屋をひとつひとつ見て回り、10店ほどまわったところでボディーが新品同様の BMW 318i を発見した。交渉後の値段は620,000バーツ。僕は手付金20,000バーツを払ってこのクルマを押さえた。今月20日までに全額支払わなくてはならない。

途中に寄ったほかの店では、エンジン回転数が不安定なもの、排気ガスのニオイがひどいものなどが売られていた。ある店の店員が事故車を無事故と偽って売ろうとしていたから、「事故歴があると分かった場合には全額返却してくれますか?」と聞いてみたところ、あっさりと断られた。中古車を買うときには、クルマより前に、まずは信頼できる中古車屋を探すことから始めたい。

この続き(10月3日~10月6日)は、現在中断しているロサンゼルス留学生日記(現バンコク留学生日記 L.A. 編)をご覧ください。

2003年10月3日(金)

睡眠不足で目を腫らしたまま、僕はルームメイトとともに午前7時半発の飛行機でバンコク・ドーンムアング(ドンムアン)国際空港からロサンゼルス国際空港へと向かった。午前10時に到着。腕時計を現地時間に合わせていたところ、バンコク出発から3時間しか経っていないことに気付く。約18時間を窮屈な空の旅に耐えてきたというのに、まったくやりきれない気分になった。さらに就寝時間までの12時間を起きたまま辛抱しなくてはならないと思うと、脱力して気力も失せてしまう。

起床から就寝まで35時間という長い一日だったが、けっきょく朝から夕方まで部屋でダラダラと過ごし、最後の金曜日恒例聖書翻訳会兼夕食会に参加した。

2003年10月4日(土)

一日も早くバンコクに戻りたい。

大学院の授業料納入期限が今月末に控えている。僕はそれまでにロサンゼルスから完全に撤退して、すぐにバンコクでの新たな生活に向けて準備を整えなくてはならない。そこで、ロサンゼルスから引き上げる前に済ませておくことをリストアップして、さっそく手間のかかりそうなものから順に片付けていくことにした。

まずは、自動車強制保険の解約。保険代理店に行って書類にサインするだけで済んだ。所要時間約3分。

つぎに、自動車の売却。ところが、昨晩の金曜日恒例聖書翻訳会兼夕食会でアメリカ人の友人に聞いてみたところ、とんでもない問題が浮上した。

「はぁ? ピンクスリップがない? まったく、話にもならないね。それじゃ、クルマ売れないよ。どうせならピンクスリップが届くまでアメリカにいたら?」

ピンクスリップとは、州運輸局が発行する車輌所有権証書のこと。通常、購入後3ヶ月以内に郵送されるが、先日運輸局に問い合わせたところ住所不明で返送されてしまって現在再発行中。これが届くまであと2ヶ月はかかる。

仕方なく、クルマの売却は一緒に住んでいるタイ人の友人に委ねることにした。

今晩はロサンゼルスで親しくしている友人達が新しく契約した部屋で、午前5時まで酒を飲み続けた。

2003年10月5日(日)

突然だが、僕は明日中にロサンゼルスから完全に引き揚げることにした。雑貨の類は必要なものだけを選りすぐり、衣類もすべて洗濯してからトランクに詰め込んだ。いまだクルマの現金化問題は解決していないが、それ以外の引き揚げ準備はほぼ完了した。

今朝、日本にいる友人に急遽ロサンゼルス発成田経由バンコク行きの往復航空券を手配してもらった。半年オープンの全日空便で94,000円。

2003年10月6日(月)

ロサンゼルス留学最終日。

長いようで短い5ヶ月間だったが、僕は最後まで「日本語を話さないアメリカ人」の友人を作れなかった。語学学校に通っているだけでは、いろいろな国から来る語学留学生たちとは知り合えても、現地の人々に関わる機会などほとんどない。英語を使う機会にも思いのほか恵まれず、クラスメイトや語学学校の講師、レストランの店員以外の外国人とはほとんど話さなかった。

台湾人クラスメイトが帰国間近に「わざわざアメリカに来なくても、英会話の練習くらいなら近所の語学学校でもできた」と話していたが、実のところ僕も同じような感想を持っている。留学中に僕の英会話力は飛躍的に向上したが、それでも駅前留学じゃダメだったのかと聞かれると、あまり自信を持って答えることができない。

現地の人々と交流しなければ、語学留学をしたところであまり意味はない。

タイ人共同住宅のルームメイト5人に空港まで見送ってもらい、約30キロの旅行カバンふたつを航空会社のチェックインカウンターに預けてバンコク行きの飛行機に乗り込んだ。

ロサンゼルス留学生日記(現バンコク留学生日記 L.A. 編)をご覧くださり誠にありがとうございました。ロサンゼルス留学生日記は、本日付日記をもって終了いたします。この続きはバンコク留学生日記でご覧ください。

2003年10月13日(月)

一週間の日本滞在を経て、僕はバンコクに戻ってきた。

午後11時27分、バンコク・ドーンムアング(ドンムアン)国際空港まで迎えに来てくれた友人の社用車がバイクに接触した。

片側2車線あるウィパーワディーラングスィット(ウィパワディーランシット)通りの高速入口第2車線を時速80キロで走行中、前方の第1車線を時速40キロでフラフラと走っている110ccバイクに約30メートルまで接近。クルマを運転していた友人がクラクションを鳴らしたところ、あろうことかバイクが第2車線に進入してきてしまった。

友人はクルマを中央分離帯ギリギリまで寄せて回避を試みたが、バイクはさらに第2車線の中央に寄ってきて社用車の左サイドミラーに接触。転倒したバイクはさらに助手席のドア下部に接触し、運転手は第1車線と第2車線のちょうど真ん中に弾き飛ばされ、さらに後続の日本人女性観光客ふたりを乗せたタクシーに跳ねられて中央分離帯に叩き付けられた。タクシーはフロントバンパーとタイヤホールを破損し、右フロントタイヤが破裂して僕たちの前方で停止。警察に通報しようとしたところ、前方で交通違反を取り締まっていた警官が近づいてきた。

現場に到着した警官は、取り調べを始めることなく、ひたすら交通整理に専念していた。タクシーに乗っていた日本人観光客は、別のタクシーを捕まえて目的地のプレジデントホテルへと向かった。つづいて無線連絡を受けて駆けつけた交通警察に、僕たちは負傷したバイク運転手を乗せて最寄りのウィパーワディー(ウィパワディー)警察署に出頭するよう命じられた。

翌12日午前零時10分、僕たちはバンコク警視庁(タムルワットナコーンバーン)ウィパーワディー警察署の取調室に通された。取調室ではもう一組の交通事故事犯の事情聴取が行われている。警察官から運転免許証を提示するよう求められたふたりは、免許を携帯していなかった。同時に社用車のリース会社に連絡し、保険会社の担当者を寄越してもらえるよう依頼した。

午前1時22分、当事者のふたりが飲酒検査のためにウィパーワディー病院へと移送され、僕はこの時間を利用して警察署の待合所で日記を書くことにした。<ここまで、ウィパワディー警察署待合室で書く>

午前1時45分、保険会社からの電話が警察署に入った。事故の経緯を簡単に説明したところ、30分後に来るという。つづいて病院でアルコール検査を受けている友人から携帯に電話があった。バイク運転手の呼気から133のアルコール反応が検出されたそうだ。僕にはこの数値がどのようなものか知らないが、別件の交通事故で取調中の運転手から検出された運転手から検出されたのが80であることを考えると、接触したバイク運転手はほとんど酩酊状態だったのだろう。なお、麻薬反応検査は行われなかったという(保険会社の職員の話によると、タイの道路交通法ではアルコール指数50以上で罰則を科せられ、150以上で保険の適用が受けられなくなるという)。

午前2時15分、病院でアルコール検査を受けていた当事者のふたりが警察署に戻ってきて、いよいよ本格的な事情聴取が始まった。参加者は僕のほか、クルマを運転していた友人、転倒したバイク運転手の3人。

バイク運転者は冒頭から偽証を始めた。彼は僕たちが第1車線からいきなり第2車線へと車線変更したため接触したと主張している。当然、僕たちはこれに猛然と反論したが、バイク運転手は「そんなことはない」の一点張りで最後まで自らの偽証を唱え続けた。

警察署での取り調べはいよいよ収拾がつかなくなり、警察官は僕たちに退出するように命じバイク運転手からの証言だけを一方的に聞いた。さらに現場検証に向かったが、タイ語が使える僕の立ち会いは拒否された。

双方の主張は最後まで折り合うことなく、後日あらためて事情聴取を行うという方向で解散しようとしていた。しかし、バイク運転手に修理代を払えるだけの経済力がない点、どうせリース会社が修理費用を負担してくれる点などを考えると、これ以上の時間を費やしても無意味であるという結論になり、午前4時半に当事者双方が人身事故反則金の最低額400バーツを支払うことで警察官と合意した。

加害者と被害者との責任関係はついに明確になることなく、有耶無耶のうちにこの事故は処理されることになった。なお、反則金の領収書はきちんと発行された。

「彼はあまりにも貧しく、どうせ損害を補償するだけの金もない」

今回の交通事故は、明らかにこちらに補償を要求する権利があった。ところが、警察官が丸く収めるようとしたことで、ついに正義による解決を見ることがなかった。しかも友人は、タイ人バイク運転手の主張のみが一方的に採用された調書に署名させられた。

タイ人同士は助け合い(コンタイチュワイガン)

タイに住んでいる日本人のあいだに「自分は常にタイ人よりも優位に立っている」と信じて疑わない者が数多くいるが、彼らは一刻も早くこうした誤った認識を正すべきだ。なにしろ、僕たちはタイ人ではないのだから、タイ人と争いになったときの保護もあまり期待できない。

ちなみに、転倒して軽傷を負ったバイク運転手は、飲酒運転の罪で一晩留置所に拘留されることになった。

2003年10月14日(火)

僕はラッチャダーピセーク(ラチャダー)8の中古車屋「ゲーラッチャダー」に600,000バーツを支払い、9年落ち(1994年式)の BMW 318i を引き取った。

自動車の所有権を移転するためには、①国民ID(バットプラチャーチョン)(外国人の場合は非移住者査証(ノンイミグラントビザ)と大使館が発行する在留証明書)と②運転免許証(タイ運輸省発行の運転免許証がない場合は国際運転免許証または日本の運転免許証と大使館による翻訳証明)が必要だ。僕はこれらの書類を「後日提出する」と口約束をしただけでクルマを店から持ち出した。

バンコクで開催される APEC アジア太平洋経済協力会議を来週に控え、ここのところ公的機関の業務が滞っている。書類を提出しても、どうせ処理されるのは数週間後だ。

2003年10月15日(水)

ついにバンコクでの新居が決まった。この部屋なら、これからの2年間を精神的に病むことなく胸を張って生活できるだろう。

僕が見つけた物件は、43階建ての超高層コンドミニアム「スクンウィット(スクンビット)スイート」の17階。高架鉄道 BTS ナーナー(ナナ)駅から徒歩約5分。寝室と居間(兼台所)の2部屋からなり、床面積は56m2。月々21,000バーツ(約58,800円)の2年契約で、保証金(デポジット)42,000バーツ(家賃2ヶ月分)を支払った。

居間、寝室共にそれぞれ10畳ほどの広さがある。内壁の大部分はぬくもりのある木製のビルドイン家具で覆われており、それ以外の部分にも上品な壁紙が貼られている。この部屋の備品は次のとおり。

  • 固定式家具
    • システムキッチン、ダブルベッド、衣服箪笥2組、勉強机(照明付)、化粧机、本棚2台、テレビ台、下駄箱、除湿機能付きエアコン2台、戸棚類15ヶ所、照明23ヶ所。
  • そのた備品
    • ソファー2組、テレビ、ビデオデッキ、ミニコンポ、NHK視聴可能な衛星放送チューナー、居間シャンデリア、食堂テーブル、電熱コンロ、給湯ポット、椅子4脚、食器一式。

さらに寝室からは、高架電車 BTS ナーナー駅やアンバサダーホテルのほか、たくさんのビルが見えるなど眺望にも恵まれている。

日本円にすると月々たったの6万円で、高級ホテルのスイートルーム並みの部屋に住めてしまうのだから驚きだ(ただし、この部屋の内装はあまりにも華美で、ほかにはなかなか見つけられないだろう)。

正直なところ、家賃に6万円を充てるだけで、経済的にも精神的にも貧しいこのバンコク在住日本人社会におけるクダラナイ階級闘争に巻き込まれずに済むと思うと、心の底から嬉しさが込み上げてくる。なお、平均的なタイ人が住んでいるアパートの相場は、冷房付きで3,500~6,000バーツ(約9,800~16,800円)。

留学生という身分で贅沢な暮らしをするのはあまり良いことではないが、どこに住んでいようと平均的な「日本人学生」と同じ家賃の部屋に住むことが悪いとは思わないし、それに僕にはバンコクの下流日本人社会の仲間入りをして彼らのような貧しい暮らしをしなきゃいけないという義務もない。

2003年10月16日(木)

今日はヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学文学部第4号館で、東南アジア研究科修士課程のオリエンテーションが行われ、カリキュラムや規則についての説明があった。

主任教官の話では、8科目24単位を取得した上で修士論文(12単位)を提出するか、12科目36単位を取得することで修士号を取得できるという。また出席率が80%を下回るとその教科の受験(学期末小論文提出)資格が剥奪され、平均評定が B (80点)を下回ると除籍させられる。これは文学部主催の恐怖のタイ語講座「インテンシブタイ」の60%よりも遥かに厳しい。最長在籍期間は4年間。在校生からは、課題が尋常でないほど多く、いい加減な心構えでは単位を取得できないと忠告された。

新入生たちの英語力はいずれも僕よりも上で、しかもほとんどがタイの難関国立大学を卒業しているようだ。僕なんかの英語力で彼らに太刀打ちできるのか、いまから不安になってきた。なんとか聞き取りができても、どうやって英語でプレゼンテーションすればよいのか。どうやって英文論述問題に解答すればよいのか。

さしあたって、標準科目数の半分、2教科6教科を履修して様子を見ることにした。

今日までの睡眠不足がたたって、帰宅後にベッドに倒れ込むようにして寝た。

2003年10月17日(金)

バンコクの日本人社会には有象無象のウワサが流布している。原因は主に情報収集(力)不足や勝手な思い込み、それからウワサの発信源がおかれている特殊な環境など。

これまでバンコクの私立大学に通う学生はハイソだと言われてきた。そりゃあ、一部の日本人が大好きな娼婦よりは遙かに豊かだし、平均的なバンコク人の世帯所得も日本人現地採用世帯ともさほどかわらないが、それを「ハイソ」と表現するのはあまりにも乱暴すぎる。

今晩、僕はアサンプション(エーベック)大学を卒業したばかりの友人とスクンウィット(スクンビット)53にある格安居酒屋「いもや」で酒を飲んでいた。いろいろな話をしているうちに、友人が卒業した大学の話になった。そして、さっそくバンコクの日本人社会に流布するウワサの真相を聞いてみることにした。

質問: 私立の名門といわれるアサンプション(エーベック)大学とグルングテープ(バンコク)大学、ホントはどっちが上?

「どっちも同じくらい簡単に入学できるし、どっちも同じくらい簡単に卒業できるよ。でも、就職力で比べればアサンプション大学の方が圧倒的に有利。だって、卒業後に優良企業に就職できるのは、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学、タンマサート(タマサート)大学、そしてアサンプション大学の3学だけだから」

質問: アサンプション大学の学生って超金持ちだと言われているけど?

「そんなことないよ。年間の授業料はだいたい10万バーツくらいで国立大の2倍くらい。日本やアメリカ並みの授業料っていうのはウソだね」

質問: 期末試験の成績で悪い点数をとっても、講師を買収すれば単位がもらえるっていうのは?

「そのウワサは聞いたことあるけど、そんなに有名な話なの? それに実際に買収して単位をもらった学生っていうのに会ったことないから、あまりよく分からないよ」

母校を悪くいう人はいないという前提で聞いても、どうやら日本人社会でウワサされているような話とは相当の隔たりがあるようだ。

また、彼の話ではアサンプション大学卒の平均的な賃金は20,000バーツ前後という。

2003年10月18日(土)

今日は大型スーパー「テスコ・ロータス」プララームスィー(ラマ4世通り)店でコンタクトレンズを購入。いままで僕は日本で3年半も前に大量に買い込んだ使い捨てコンタクトレンズをずっと使い続けていた。

スーパーの一角にある眼鏡屋で、日本にもあるような機器で視力を測り、つぎに壁に貼ってある表を見て再確認し、最後に試験用のメガネをかけて目の負担を体感した。日本のような眼科医による診察はない。 2 Week ACUVUE 3セット計6枚で730バーツだった。

大量のワインを飲んで、久々に午前零時前に寝た。

2003年10月19日(日)

2年前の語学留学の時は、初日から友人たちに「毎日密着して他のオンナを寄せ付けない作戦」を展開されたせいで思うように行動できなかったが、今回はそういった制約もなく、ほかの留学生たちと同じように交友関係を順調に拡充させている。もとより僕の容姿に重大な問題があるわけでもないから人並み以上は楽しめるだろうし、コミュニケーションもタイ語でフツウに話せる(自分が日本人であるということを無視しても)から、それなりに十分有利に展開できると考えている。

いずれにしても、こんなに面白いチャンスを自ら勝手に放棄しておいて、あとになって言い訳をばかりを並べ立てたところで虚しくなるだけだろうから、今できることは今のうちに一通りやっておきたい。

今日はサヤーム(サイアム)でマヒドン大学に通う友人と昼食をとり、友人の大学に寄ってからナコーンパトム(ナコンパトム)県へとドライブに出かけた。

マヒドン大学からさらに30キロほど北上すると、ナコーンパトム県の中心地「ナコーンパトム市(アンプームアング)」に到着する。このあたりはバンコク郊外というより、むしろ地方都市といったカンジで快適なドライブが楽しめる。

市街地の中心部にはいくつかの観光名所がある。ひとつはパトム卒塔婆(パトムヂャーディー)があるパトムヂェーディー寺(ワットパトムヂェーディー)。もう一つはサナームヂャン(サナームチャン)宮殿。ついでにその隣にあるスィンラパーゴーン(シラパコン)大学ナコーンパトム校舎まで足を伸ばしてみるのもお勧めだ。

パトムヂェーディー寺の入口付近にある仏殿には御神籤(おみくじ)がある。さっそく御神籤の筒を振ってみると「10番の紙」が出てきた。近くの商店にいた老婦人にお布施を渡して受け取った紙には、つぎのように書かれていた。

「この10番の棒を引いた者は、無数の苦難に見舞われる。産まれる子は女子。見合いは失敗。何の前触れもなく、まるで夢を見て眠っているかのような死が訪れる。探し物は見つからず。探すべからず。日々の健康に注意すべし」

まったく、なんということだ! 一緒におみくじを引いた友人も僕と同じ10番の棒を引いていた。そして、僕たちは顔を合わせて一言で簡単にまとめることにした。

「あんま、いいこと書いてないね」

おみくじにはとんでもなく恐ろしい予言が並んでいたが、とりあえずそういうことにしておいた。それとも、僕がバンコクに戻ってくるやいなや毎日のように電話をかけてくるエーンと寄りを戻せという仏のお告げなのか?

セントラル百貨店ピングラーオ(ピンクラオ)店で日本料理を食べて解散。

2003年10月20日(月)

語学留学時代から、一度はやってみたいと思っていたことがある。それは校舎の正面までクルマで乗り付けて女の子を乗せて走り去ること。タイ人学生なら誰にでもある願望のはず。

昨晩、友人から正午に校舎まで迎えに来て欲しいと頼まれ、僕は約束の時間の1時間半前に部屋を出た。本来なら1時間もあれば十分な道のりだが、渋滞を考慮して少し早めに出発することにした。

バンコクでは現在、 APEC アジア太平洋経済協力会議が開かれており、プラナコーン区(カーオサーン(カオサン)周辺)一帯が交通規制されている。ところが交通渋滞は僕が考えていた以上に深刻で、スクンウィット(スクンビット)通りと交差する幹線道路はどこもクルマが対向車線に溢れ出し、まるで一方通行のようになっていた。そこで一旦バンコク旧市街とは逆のパトゥムターニー方面に迂回し、別のルートでヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川を出発1時間後に渡った。目的地到着は約束の時刻の13分後。

友人をクルマに乗せてから、ふたたびバンコク中心部に戻り、日本大使館に寄って手続きを済ませてから、いくつかのショッピングセンターで買い物をしてピングラーオ(ピンクラオ)橋方面へと向かったところ、日中よりも交通規制の箇所が増えていた。路線バスは本来のルートから著しく逸脱した経路を走り、バス同士を横付けしては運転手同士で迂回路について相談しあっていた。

いまだ交通が規制されていないヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川に架かる橋を誰も知らない様子だった。もちろん迂回案内表示はどこにもない。

交通規制は午後8時すぎに解除され、僕はたった20分でアパートまで戻ってきた。タイ政府は今回の APEC 開催をとても誇りにしているようだが、僕たち一般市民にとっては迷惑なことこの上ない。

2003年10月21日(火)

予定のない休日は部屋でゆっくり過ごしたい。食事のためだけに外出するのは絶対にイヤだ。

語学留学時代の食環境はとても過酷だった。手軽に部屋で食べられるような料理がなかったからだ。アパート附属の食堂が出すタイ料理は不味いし、 Oishi(オイシ) の日本料理はまるで罰ゲームのよう。 The Pizza Company(ザ ピザカンパニー)Pizza Hut(ピザハット) のピザは大きすぎるし、マクドナルドのマックポテトも届いた頃にはフニャフニャになっている。だから日本料理を食べるために、僕は高架電車 BTS に乗ってわざわざ日本料理屋まで出かけていた。

ところが、購買力が大きい日本人が多く住んでいるスクンウィット(スクンビット)通り沿いに引っ越してきてからは、さまざまな日本人向けサービスの恩恵にあずかれるようになった。

そのひとつが日本料理の宅配サービス。似たようなサービスはいくつもの日本料理店が提供しているが、日本料理店「雑談室」(スクンウィット(スクンビット)31, 02-260-3161)は手頃な値段でそこそこまともな日本料理を届けてくれる。メニューはオムライス、ハヤシライス、カレーライス、焼きそばが100バーツ、日替わり弁当、さば煮付け、さば塩焼きなどが120バーツ、ハンバーグ弁当、トンカツ弁当、メンチカツ弁当、チキンカツ弁当、とり唐揚げ弁当、焼き肉弁当などが140バーツ(その後、値上げされている)。100バーツ以上の注文でデリバリー料金が無料になる。配達時間は午前10時から午後10時まで。

自分で店に行くのと同じ値段で、同じ料理が自室で食べられる。せっかくこんな便利なサービスがあるのなら利用しない手はない。なによりも楽だし交通費を節約できる。

2003年10月22日(水)

日本の電圧は100ボルト、タイの電圧は220ボルト。

日本市場向けの電気製品をタイのコンセントに接続すれば当然壊れる。ところが、この半年間アメリカ(110ボルト)で日本市場向けの電気製品を変圧器を通さずに使っていたものだから、僕はこの電圧の差にすっかり無頓着になっていた。

昨晩、眠い目をこすりながらパソコンの外付けハードディスクを勉強机のコンセントに突っ込んだところ、大きな音がして火花が散った。すぐにコンセントを引き抜いて、変圧器を通して電源を入れなおしたが時すでに遅し。電源部のブレーカーがショートし、通電しなくなっていた。

こんな間違いを犯すような間抜けな日本人がきっと僕のほかにもいるに違いないと思って、無料情報誌(フリーペーパー) DACO の広告欄を開いてみた。

「220Vの差込間違い即修理」

ユーズ&サービスという店が3センチ四方の小さな広告を出していた。スクンウィット(スクンビット)49にあるという。そこで、さっそくこの店へと足を運んでみることにした。

小街路(ソーイ)の入り口から50メートルくらい入ると、商用長屋(トゥックテオ)1階のガラス戸に日本語が書かれている小さな店があった。書体が妙に中国語っぽくて、うっかりしていると見逃してしまいそうだ。

従業員はすべてタイ人。彼らが接客し、難しい話をするときにはオーナーに電話をかけて対応するという。僕は面倒な手続きを踏むのが面倒だったから、すべてタイ語で済ませた。

เสียบสายไฟของ HDD สำหรับตลาดญี่ปุ่นเข้าไปปลั๊กแล้วมันเสีย(スィアップサーイファイコーングヘッスディーディーサムラップタラートユィープンカオパイプラックレーオマンスィア)
「日本市場向けのハードディスクをコンセントに入れたら壊れた」

そう説明して故障したハードディスクを渡し、預り証を受け取った。店員の話では、700バーツもあれば修理できるという。高卒レベルのタイ人労働力は性別年齢を問わず月給6,000バーツ程度。そんな彼らを使って誰にでもできそうな内部電源ブレーカーを交換するというだけという作業だ。そのために大卒タイ人公務員の初任給(約6,000バーツ)の12%にも相当する費用がかかるのは異常だと思って、とりあえず僕は店員に抗議してみた。

เอาอุปกรณ์เพียง 10 บาทมาซ่อมเท่านั้น ทำไมเก็บตังค์เยอะขนาดนี้(ウッパゴーンピアングスィップバートマーソムタオナン タンマイゲップタングユカナートニー)
「たった10バーツの部品を使って直すだけなのに、どうしてそんなにも高いんだ?」

ところが、逆に店員からは非常に簡潔で明瞭な説明が返ってきた。

「だって、この手の故障の修理を請け負っているのはウチだけですよ」

ほかに選択肢がないのなら仕方がない。たしかにタイの家電修理屋が100ボルト用の内蔵電源ブレーカーなんて持ってるはずがない。

ついでにアメリカ留学中に故障したデジカメの修理も依頼した。自分でも直せそうな故障だったが、結局失敗して今は使っていない。

ところで、先日バンコクで開催された APEC アジア太平洋経済協力会議。今朝のタイ放送協会(オーソーモート)の報道特集番組「世界を観る、タイを観る」によれば、バンコク都民の96%が「よかったと思う」と答え、「良くなかったと思う」は4%にすぎなかったという。愛国心の強いタイ人にとっては民族の誇りを実感できる良い機会だったのかもしれない。しかし、僕は否定的な4%に属している。この会議のせいで通関手続きが滞っており、2週間前に日本から送った海外別送品約50キロがまだ手元に届いていないからだ。

2003年10月23日(木)

やっぱり贅沢もしたい。

今回の予算は語学留学時代の約1.5倍、月々140,000円(授業料を除く, 2004年10月に196,000円に増額された)。これだけあれば、わざわざ働きに出なくても十分快適な暮らしができるが、バイトをすれば生活に緊張感が生まれ、ちょっとした贅沢も気軽に楽しめるようになる。こうして僕は友人の会社で時間給の仕事をさせてもらうことにした。

時給650バーツ。平均的な現地採用およそ3倍の待遇だ。今晩は4時間働いて1,950バーツ(約5,460円)をゲットした。これだけあればカノジョとイタリア料理店に行ってワインをボトルで注文し、食べきれないほどのご馳走が楽しめる。

好待遇なバイトを紹介してくれた友人に感謝!

今晩はバイト先の同僚たちと午前4時までビールを飲み続けた。酒を全く口にしなかった別の友人の証言によれば、どうやらひとり4リットルは飲んでいたという。

2003年10月24日(金)

講義もバイトもない一日。午後9時頃、友人に誘われて、スクンウィット(スクンビット)11のトンカツ屋「勝一」で夕食をとった。さすがに二晩続けてビールを飲む気にもなれず、ただひたすらトンカツを食べ続けた。

2003年10月25日(土)

タイの学部生には制服の着用が義務づけられている。

国立大学の女子学生は、一般に①(正装)統一デザインの白ブラウス+スケバンのような丈の長いヒラヒラとしたロングスカートまたは、②(準正装)統一デザインの白ブラウス+タイトなミニスカートを着ている。オシャレ好きな私立大学の女子学生たちは、これをアレンジして「小さい・キツい・短い」 เล็ก-รัด-สั้น(レック・ラット・サン) を特徴とする着こなしをしている。

今日はサヤーム(サイアム)で友人と待ち合わせ、友人の制服を買うために旧市街のバーングランプー(バンランプー)市場へと出かけた。これまで僕は MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)向かいの小規模モール「ボーナンサー」に密集する商店街以外に制服を売っている店を知らなかったが、バーングランプー(バンランプー)のほうが規模が大きく品揃えも充実している。それに値段も格安で、それぞれブラウスが65バーツ、タイトなミニスカートが85バーツ、妙にヒ~ラヒラしているスカートが125バーツ、正装スカートが130バーツだった。

制服のデザインは全大学共通の白ブラウスに黒スカート(高専生は明るい紺や灰色のスカート)。だから大学章さえ交換してしまえば、その大学の学生になりきって自由気ままに校舎内を歩き回れる。でも、大学によっては制服の着こなし(流行)がかなり違うから、きちんと下調べをしておかないと思いっきり浮いてしまう。

たとえば上位国立大では、丈の長いブラウスを着て、スカートを腰ではき、ベルトを緩めに締めてダランと垂らすのが流行っている。一部の上位私立大では、身体を締め付けるようなキツキツのブラウス&スカートが大ブレイク。いまでは SSSSS (5S)サイズも珍しくない。地方出身者が多い大学では流行が誤ったかたちで先鋭化しており、制服のサイズが身体にあっていない不格好な学生たちでいっぱいだ。ほかにも、ブラウスの正面にフリーツを2本入れて胸を強調するファッション、チャイナドレスのようなスリットをヒップラインぎりぎりまで入れるファッション、挙句の果てにはスカートの裾を斜めに切るファッションも。

ところで、大学生の制服は学則で細かく定められている。特に乱れやすい女子の制服には、男子よりも多くの制約が設けられている。ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学の制服に関する学則はつぎのとおり。

ประกาศ จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย
เรื่อง ชุดเครื่องแบบปกติของนิสิต
ヂュラーロンゴーン大学
常用制服規則

จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย ได้กำหนดเครื่องแบบปกติสำหรับนิสิตชายและหญิง ไว้ดังนี้
ヂュラーロンゴーン大学は男女学生の常用制服をつぎのように定める。

ชุดเครื่องแบบปกติของนิสิตชาย ประกอบด้วย
男子学生の常用制服

  1. เสื้อเชิ้ตทำด้วยผ้าสีขาว ไม่มีลวดลาย ให้ใส่ชายเสื้อไว้ในกางเกง
    白地で無地のワイシャツ。スラックスのなかに入れて着用する。
  2. กางเกงขายาวแบบสากล ทำด้วยผ้าสีกรมท่าหรือสีดำ
    紺または黒のスラックス。
  3. ถุงเท้าสีดำ
    黒の靴下。
  4. รองเท้าหนังสีดำ หุ้มส้น
    黒の革靴(ブーツ禁止)。
  5. เข็มขัดหนังสีดำ ขนาดกว้าง 3 เซนติเมตร หัวเข็มขัดทำด้วยโลหะสีเงินเป็นรูปสี่เหลี่ยมผืนผ้า ดุนเป็นรูปพระเกี้ยว ตามแบบของมหาวิทยาลัย
    黒の革ベルト(幅3センチ)。大学章プラギアオが入っている銀色のバックル(正方形)。
  6. เนคไทมีตราพระเกี้ยว ตามแบบของมหาวิทยาลัย
    大学章プラギアオ模様のネクタイ

ชุดเครื่องแบบปกติของนิสิตหญิง ประกอบด้วย
女子学生の常用制服

  1. เสื้อทำด้วยผ้าสีขาว ไม่มีลวดลาย มีความหนาพอสมควร ตัวเสื้อขนาดพองาม คอเสื้อแบบคอเชิ้ตปลายแหลม ปกยาวพอสมควร เดินตะเข็บตามขอบปกให้ปรากฏตะเข็บข้างนอกด้วย ความยาวของเสื้อให้เลยสะเอวเล็กน้อย เพื่อให้กระโปรงทับให้มิดชิด สาบบ่าเป็นสาบขนาดพองาม ด้านหลังของตัวเสื้อที่กึ่งกลางตัวใต้สาบทำจีบชนิดครีบกว้าง 3 เซนติเมตร 1 จีบ ด้านหน้าผ่าอกตรงโดยตลอด มีสาบกว้างขนาด 3 เซนติเมตร ติดดุมโลหะสีเงินขนาดเล็กดุนเป็นรูปพระเกี้ยว 5 ดุม แขนเสื้อเป็นแขนสั้น เหนือข้อศอก 6 เซนติเมตร ปลายแขนมีผ้าอีกอีกชิ้นหนึ่งตลบขึ้น ส่วนที่ตลบกลับตรงท้องแขนกว้าง 3 เซนติเมตร ตรงหลังแขนกว้าง 6 เซนติเมตร การเดินตะเข็บตัวเสื้อทุกตะเข็บให้เดินตะเข็บคู่
    白地で無地の服。適度なサイズで厚みのある生地。適度な大きさの衿と剣先。腰よりもほんの少しだけ長い前身頃をスカートのなかに入れる。適度の高さの衿台。背中に肩ヨークとフリーツ1本(幅3センチ)。正面はフリーツなし。幅3センチの前立てにプラギアオ章の銀ボタン(5つ)。半袖(長さ6センチ)。カフス(外側幅6センチ、内側3センチ)。左右対称。
  2. ตราพระเกี้ยว ตามแบบของมหาวิทยาลัย ทำด้ายโลหะสีเงินสูง 3 เซนติเมตร ประทับที่อกเสื้อเบื้องขวา
    右胸に銀色の大学章プラギアオ(高さ3センチ)。
  3. เข็มขัดทำด้วยสักหลาดหรือหนังกลับสีน้ำตาลเข้ม กว้าง 3.5 เซนติเมตร เป็นเข็มขัดรูดปลายแหลม หัวเข็มขัดทำด้วยโลหะสีเงินเป็นรูปสี่เหลี่ยมจัตุรัส ขนาด 4 เซนติเมตร ดุนเป็นรูปพระเกี้ยว คาดทับรอยต่อที่กระโปรงทับเสื้อ ห้ามใช้เข็มขัดแบบอื่นนอกจากระบุไว้นี้
    先の尖った茶色のベルト(フランネル地または革, 幅3.5センチ)。大学章プラギアオが入っている銀色のバックル(一辺4センチの正方形)。プラギアオ模様の留め金。前身頃とスカート縁に装着する。上記以外のベルト使用を禁ずる。
  4. กระโปรงทำด้วยผ้าสีกรมท่าหรือสีดำ ไม่มันแวววาว ไม่มีลวดลาย ความยาวคลุมเข่า แบบเรียบร้อยรัดกุม ห้ามใช้ผ้ายีน ผ้าสักหลาด ผ้าลูกฟูก ผ้าลูกไม้
    紺または黒のスカート。無地のつや消し。膝下で着用。デニム生地、羊毛、新素材の生地を禁ずる。
  5. รองเท้าหุ้มส้นหรือมีสายรัดส้น แบบสุภาพ สีดำ ขาว น้ำตาล กรมท่า หรือเทา
    靴または足首が紐で固定されているサンダル。上品な黒、白、茶、紺または灰色。

ให้ใช้ประกาศนี้ตั้งแต่วันถัดจากวันประกาศเป็นต้นไป
ประกาศ ณ วันที่ 1 พฤษภาคม 2533
2533(西暦1990)年5月1日発効

友人は標準的なブラウス2着と「妙にヒ~ラヒラしているスカート」を購入した。本当に、説明のしようのない不思議なかたちをしたスカートだった。

なお、公開大学であるラームカムヘーング(ラムカムヘン)大学とスコータイタンマティラート(スコータイタマティラート)大学、元公開大学のタンマサート(タマサート)大学の一部学部では、試験日以外なら私服でも登校できる。

友人を家まで送り届けてからバイトに行った。

2003年10月26日(日)

日本で賃貸物件に入居するのと同じで、タイでもアパート(賃貸マンション)に住むときには家財道具一式すべてを自前でそろえなくてはならない。僕は語学留学時代、ペッブリー18(高架電車 BTS ラーチャテーウィー駅徒歩3分)にあるアパート「ヴェネチアレジデンス」に住んでいた。もちろんテレビなどの家財道具もすべて自分で買いそろえた。

しかし、賃貸コンドミニアム(分譲マンション)には最初からフル装備されており、手ぶらで入居したその日からすぐに生活を始められる。アメリカ留学中、友人の会社に預けていた家財道具一式が再び僕の手に戻ることになったが、いま住んでいるコンドミニアムには「2つめ」の家財道具一式を置くスペースがない。

そこで、冷蔵庫がない環境で生活しているバイト先の同僚に、冷蔵庫を1,000バーツで売ることにした。

バイトのあと、知人からピックアップトラックを借りて、同僚が住んでいるラーングナーム(ランナム)通りにあるアパート「グルングテープアパートメント(クルンテープアパート)」まで冷蔵庫を送り届けた。その後、友人のお好み焼きやで夕食をとった。

交通戦争状態のバンコクでパワーステアリングなしのクルマを運転するのは想像以上に骨の折れる作業だった。まるでトレーニングジムで一汗かいたかのような気分だ。あんな車はもう二度と運転したくない。

2003年10月27日(月)

ここバンコクでも平日日中のカラオケボックスは閑古鳥が鳴いている。

ウィッタユ(ワイアレス)通りにある日系カラオケボックス「ビッグエコー」では、 LD 配給の日本語カラオケだけでなく VCD 配給のタイ語カラオケも楽しめる。

僕たちが店に入った午後2時頃は、ほとんどの部屋が空いており、希にある客が入っている部屋から聞こえるのもタイ語の歌声ばかり。

日中の一番小さな個室の利用料は1時間400バーツ。僕たちは学生証を提示して50%の学生割引を受けた。1時間あたり200バーツ。1人あたり100バーツ。

今日は友人とカラオケを歌ってから家の前まで送り届け、バイトに出かけた。

2003年10月28日(火)

先日バンコクで開催されたAPEC アジア太平洋経済協力会議のしわ寄せは、ありとあらゆるセクションに及んでいる。

今月13日、ふたたびバンコクでの留学生活を始めるにあたって、僕は日本から海外別送品(ダンボール2箱, 約50キロ)をバンコク空輸した。これがまだ届かず困っている。もう着る服がない。

今回の空輸を依頼したヤマト運輸の担当者から、事前に「 APEC アジア太平洋経済協力会議が閉会する22日まではタイの政府機関のことごとくが休業状態になるため、早くても24日以降でないと通関手続きができない」という説明を受けていた。発送日が13日だから、通常5日で済むものが今回は11日以上かかるという計算になる。

ところが、ヤマト運輸のタイ現地法人から連絡が来たのは24日。海外別送品の通関手続きに必要なパスポートを27日以降に取りに来るという話だった。そして今日28日の午後2時にタイ人職員が僕のパスポートを取りに来た。ここからさらに税関職員が通関賄賂の額を見積もるのと通関手続きのために数日かかり、荷物が到着するのはおそらく来週になるだろう。

物流業界の人々は、おそらく僕以上に APEC アジア太平洋経済協力会議がもたらした後遺症に苦しめられているはずだ。自国が APEC の議長国になるために払われる経済的な損失について、タイ政府はまったく考えなかったのだろうか。

今日はヤマト運輸のタイ人職員にパスポートを預けたというほかは、一日中部屋でだらだらしていた。

2003年10月29日(水)

この大学のアドミニストレーションはいったいどうなっているのか。

今日はヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学東南アジア研究科の授業料納入日。学生証発行に必要な書類(証明写真や1,000バーツの札束)を携えて東南アジア研究科オフィスに行ったところ、文学部ボーロンマラーチャグンマリー(ボロムラチャクマリー)館で開講中の「東南アジアの風土と文化」という講座に出席するよう指示をされた。

しかし僕はこの講座を受講するつもりがなかったから1時間半後に脱出して、ふたたびオフィスに戻り、授業料を納めて学生証を受