2003年2月1日(土)
「その写真、もしかしてもうエーンに見せちゃった?」
「さすがに、この写真はタイの新聞に掲載されないでしょうね。不敬罪(タイ刑法112条)とかいう以前の問題として、読者からの抗議の電話で新聞社の電話が鳴りやまなくなるから。そういえば、数ヶ月前にあった『アメリカのタイ料理屋が陛下の肖像を部分的に改変して掲載したニュース』を知ってる? あのときも、何万というタイ人が結束して、その不届きものに大量の抗議のメールを送りつけたのよ」
覚えている。その晩、エーンは国王の肖像が改変されたホームページを見ながら涙を流し、友人たちに抗議行動を起こそうと、パソコンにかじりついてメールを送り続けていた。それを思い起こすと、この写真をエーンに見せることが、どれほど愚かなことか容易に想像できる。
そのとき、シャワー室にいたエーンが部屋に戻ってきた。僕は大急ぎでその画像を閉じ、エーンに気づかれないように頭を小刻みに左右に動かして、ジョーイに「まだだ」ということを伝えた。
いずれにしても、八つ当たりされるのはどうせ僕だ。いいことなんて何もない。
今晩、「タイ人のカンボジア観」について、エーンと2時間も議論した。ひとことで総括するならば、それは「日韓関係」そのもの。そのときの内容を詳細に書きとどめておきたい。
「そもそもカンボジアって鬱陶しいのよねえ。知ってるでしょ? 彼らは国内で十分な工業製品を生産できないものだから、何から何までタイからの輸入に頼っているのよ。牛乳もそうだし、タワシだってそう。カンボジア国内に流通しているのはすべてタイ製品。そんなタイに依存しきっている国の大衆が 『我々はタイ人よりも優れた民族』 だって? 大笑いだわ。カンボジア人は何をもって 『タイ人よりも優れている』 と主張しているのかしら? 何もないじゃない。まったく話にもならないわ」
僕は試みに「歴史的観点から見たカンボジア文化の優越」を唱えてみることにした。論拠は①カンボジアには紀元前一世紀から続く長い歴史があることと②カンボジア人王朝「クメール帝国」が一時この東南アジア大陸部一帯を支配していたこと。ひるがえって、タイの歴史は700年しかなく、しかもそれ以前はどこで何をしていたのかも推測の域を超えない。
多くのタイ人がそうであるように、エーンも普段は歴史的な話題を避けている。しかし、さすがに今晩に限っては積極的に議論に応じてきた。なにしろタイ人の誇りと名誉がかかっている。もう必死になってタイ人の優越を唱えるしかない。
日本人に足りない愛国心が、タイ人にはある。しかも、その思いはとんでもなく強い。そのことだけは絶対に忘れてはいけない。
「えっ? わたしたちタイ人がいつカンボジアに後れをとったというの? タイはアユッタヤー朝末期のほんの短期間ミャンマーの植民地になったことがあったけど、まあそれはなかったのも一緒よね? でも、カンボジアは中世以降ずっと西洋人の植民地のままだったじゃないの!」
ここで、カンボジアの略史を紐解いてみたい。これは、エーンとの論争のあとで、どうしても気になって様々なカンボジア関連のホームページから収集し再構成したもの。
紀元前1世紀に現在のベトナム・ホーチミン市を中心とするクメール(カンボジア)族国家フナン(扶南)が誕生。貿易国家として栄えたが、7世紀中頃に対立するジャワ族の真鑞国に滅ぼされる。 |
僕は高校時代に世界史Bの授業で習った東南アジア史を思い出しながら、さらにエーンに反論を続けた。今晩は珍しくエーンが歴史の話題に乗ってきただけに、僕は話題を紛糾させたいという欲求をここぞとばかりに追求した。
――中世にはタイを含め東南アジア全域がカンボジア人国家の「クメール王国」に支配されたって、高校の教科書に書いてあったけど?
「されてないもん。タイが植民地に陥ったのはミャンマーにアユッタヤー朝を滅ぼされた時の1度だけだもん」
――この一帯もクメール王国に支配されてたよ?
「そのころ、タイ人はここにはいなくて、もっとずっと北の方にいたのよ。この地がカンボジア人のものだったのは確かかもしれないけど、わたしたちタイ民族がカンボジア人に支配されたなんてことは一度としてないわ」
なるほど。そういう論法があったとは。ちなみに、そのクメール王朝が栄華を極めていた頃にタイ人が何をしていたかというと、北方の誰にも支配されない小さな村で細々と生活していたという。
「実際、カンボジア人はケイイチが言うように 『わたしたちは歴史的に優れている。タイ人はカンボジアの英知を盗んだ!』 と主張しているんだけど、過去における繁栄と未来における繁栄をどうやって比較しろというの? それ自体、かなり無意味なことだけど、強いて言うのなら私は未来の方が重要だと思うわ。そもそも、植民地に陥って以来、同じ民族同士で醜い争いを続けてきたせいで発展できなかった間抜けなカンボジア人に、わたしたちをとやかく言う資格なんてないはずよ。でも、わたしたちタイ人が単に恵まれていただけかもね。国王陛下がいらしたおかげで、幾度もの内戦の危機を乗り越えてこられたんだから。本当に感謝しなくっちゃ」
そして、エーンはこうまとめた。
「タイは国民総生産でカンボジアの380倍、ひとりあたりの所得でも7倍あるの。まったくライバルにもならないわ。べつにカンボジア人が勝手にタイをライバル視するのは構わないけど、よくよく考えてみると、それってタイ人にとってはけっこう迷惑な話よね?」
どこの国にも似たような問題があるようだ。ちなみに、日韓の国民総生産格差は約12倍、ひとりあたりの所得格差は約4倍。さらに付け加えるならば、日タイ間の国民総生産格差は約34倍、ひとりあたりの所得格差は約16倍。
国家間の民族差別問題って、根っこはけっこう深いところにあるのかもしれない。


金融機関(社内SE職)を退職後、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座を修了。米国語学留学を経て、同大学東南アジア研究科で修士号を取得。現在、日本国内の専門商社で海外営業に従事。
旅の指さし会話帳①タイ
タイ語読解力養成講座
タイ日大辞典
タイを知るための60章
地図がつくったタイ
タイのこころ
ギック―友達以上、でも恋人じゃない
Sexteen Thailand
「今からちょうど1時間前、父がこの部屋に来たのよ。こんな時間だから、わたしはてっきりケイイチだと思って扉を開けたんだけど、そこにたっていたのは父だったの。ケイイチの帰宅がいつもより遅くて本当に良かったわ。もしケイイチと父が対面していたら、いよいよ収拾がつかなくなってたはず」
環境による強制こそが、すべての挑戦を成功へと導く。
午後6時45分、僕とエーンは一路タイ
シングルベッドの半分しか幅がない閉鎖的な狭い空間では何もできるはずがなく、時間を持てあました僕は18号車から先頭の1号車まで散歩してみることにした。
せっかく遠くまで来たというのに、危うく目的を達しないままバンコクへと戻る羽目になるところだった。
寝台特急69号は定刻よりも約1時間遅れて終点
2等バスの車内は戦前の網走刑務所を思い起こさせるような極寒の世界だった。冷房があまりにも強烈だったせいか、鉄製の手摺がキンキンに冷えている。僕は膝の関節に強烈な痛みを感じて今にもキレそうになっていたが、「2等バスの乗客は人権も2等か!?」と言い放つなど、長距離バスのオーナーと口汚い言葉の応酬をするにとどめて、それ以降はジッと我慢し続けた。極寒の長距離バスは、定刻より2時間半遅い午前零時45分にバンコク・モーチットバスターミナルに到着した。
このゴミ箱部屋がキレイになる日も近い。
エーンは僕に王宮方面と偽って、フワイクワーング区の
アメリカ留学まであとわずか。面倒なことは、さっさと片付けてしまいたい。