2002年12月1日(日)

タイ政府公認の唯一のタイ語検定、ポーホック。タイ語学校の日本人学生たちは、この試験に合格すること最終目標としているという。

しかし、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)の初級3から中級1程度の難易度で、一応の語彙力と文法力があればカンタンに解答できる。ただし、このテストのためだけに知っておくべき知識もあるので、数時間程度の試験対策は必要か。今年の出題内容は、つぎのとおり。

■ 大問1 タイ語の手紙 (9:00~9:45)

<問題>

友人が地方に住んでいるという前提で、その友人の住所と氏名を仮定し、普通郵便の書式にしたがって、封書を完成させなさい。ただし、本文に下記の内容を含めなさい。

①相手の近況を尋ねる内容、②自分の近況を伝える内容、③その地方を誉める内容、④年末年始の5連休を利用して訪問すると伝える内容、⑤その地方の観光スポットを尋ねる内容、⑥近郊の観光名所への旅行に誘う内容

<解答例>

๑๖๐/๑๗ ซ.เพชรบุรี ๗ ถ.พญาไท
กทม. ๑๐๔๐๐

๑ ธันวาคม ๒๕๔๕

เป็นอย่างไรบ้าง เราไม่ได้พบกันนานแล้ว ทุกคนในครอบครัวแอนสบายดีหรือเปล่า

ตอนนี้ผมกำลังเรียนภาษาไทยอย่างหนัก เพื่อที่จะเตรียมตัวสอบความรู้ภาษาไทยเทียบชั้นประถมศึกษาปที่ ๖ สำหรับชาวต่างประเทศ ของกระทรวงศึกษาธิการ ผมก็เลยต้องเรียนภาษาไทยอีกเดือนนึงวที่โครงกานภาษาไทยสำหลับชาวต่างประเทศของคณะอักษรศาสตร์ของจุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย

ต้นปีหน้า มีวันหยุดติดกัน ๕ วัน ผมก็เลยไปเที่ยวโคราช ถ้าว่างก็ไปเที่ยวอุตยาแห่งชาติเขาใหญกันดีไหม เพราะได้ยินว่าไม่ไกลจากโคราชและเป็นแหล่งท่อนเที่ยวที่มีชื่อเสียงทั่วโลก อีกอย่าง มีสถานที่ท่อนเที่ยวที่อื่นไหนบ้าง

สุดท้ายนี้ผมหวังว่าเธอและครอบครัวคงจะสุขภาพดี ส่วนผมสบายดี จะรอคำตอบจากเธอว่าจะไปเที่ยวกันได้หรือไม่

รักและคิดถึง
เคอิชิ

<解答例日本語訳>

〒10400 バンコク都
パヤータイ通り ペッブリー7小路 160番地17号

2545年12月1日

ひさしぶり。元気ですか? 家族のみんなは元気にしてる?いま、僕は教育省の「外国人のための小学6年生相当タイ語検定試験」の準備のために、タイ語を真剣に勉強しているところだよ。それに、あと1ヶ月間チュラロンコーン大学文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)でタイ語を勉強しなければならないんだ。

来年の初めに5連休があるから、コーラート(コラート)へ遊びに行くことにしたよ。コラートの近くには、世界的にも有名な観光地「カオヤイ国立公園」があると聞いたことがあるんだけど、もし予定がなければ一緒に行かない? ほかにどんな観光地あったっけ?

きみと家族のみんなが健康でいられるよう祈ってるよ。こっちは元気にしてる。行けるかどうか、返事まってるね。

ケイイチ

<解答のポイント>

この問題では、基礎的なタイ語力が問われている。が、ギリギリ合格できる程度の実力では、もちろん自在にタイ語を操ることが困難なため、語学学校が勧めているように、あらかじめ試験問題を予想して、暗記できるところは暗記しておくと良い。

ただし、手紙には、友人宛の手紙、両親・親族宛の手紙、各種法人宛の手紙、公的機関宛の手紙などいろいろあるので、それぞれの内容に合わせて、文体や単語をを偏向する必要がある。今回の「友人宛の手紙」は、口語を使えるため、一番難易度が低い。

今回のポーホック対策(数時間)で、もっとも考えさせられた問題だった。定規等を使って、封筒を正しい寸法で書かなければならず、タイ語力があれば解けるという問題ではないため、対策をしないと大失点につながる恐れもある。

■ 大問2 タイ語のエッセイ (9:50~10:50)

<問題>

所定の原稿用紙に、「私にとっての良い人」(คนดีของฉัน)を表題とするエッセイを、20行ないし25行で書きなさい。

<解答例とその日本語訳

คนดีของฉัน ไม่จำเป็นต้องเป็นคนที่หน้าตา หรือรูปร่างดี ไม่จำเป็นต้องเป็นคนที่มีชื่อเสียงในสังคม ไม่ต้องเป็นคนร่ำรวย แต่พวกเขาเป็นคนที่คอยดูแลเอาใจใส่ฉันอยู่ตลอดเวลา คอยช่วยเหลือเวลาที่ฉันต้องการ เป็นคนที่อยู่ข้าง ๆ ฉันเวลาที่ฉันต้องการใครซักคน และเป็นคนที่ดีใจร่วมกับฉันเวลาที่ฉันประสบความสำเร็จ แม้ว่าความสำเร็จของฉันนั้น จะไม่ได้มีผลประโยชน์อะไรต่อเขาเลยก็ตาม
私にとっての良い人は、容姿が優れてなくても、有名人じゃなくても、金持ちじゃなくてもいい。でも、彼らはいつも私に親切にしてくれる。必要なときには、近くにきて助けてくれる。自分の利益にもならないのに、わたしの成功を一緒にに喜んでくれる。

คนดีของฉันจึงไม่ได้มีเพียงคนเดียว เพราะในชีวิตของฉันที่ผ่านมา มีหลายคนที่เอาใจใส่ฉัน มีหลายคนที่คอยช่วยเหลือฉัน และมีอีกหลายคนที่ยินดีกับความสำเร็จของฉัน เพื่อนของฉันบางคน ไม่ได้เป็นคนรวย อาจจะเรียกว่าจนด้วยซ้ำ แต่ในยามที่ฉันมีปัญหา เขาก็ยินดีช่วยหาทางแก้ไขอย่างสุดความสามารถ ถึงแม้ว่าเขาจะไม่สามารถช่วยฉันในเรื่องเงินทองได้ก็ตาม บางคน ทั้ง ๆ ที่งานของเขาเองก็มีอยู่แล้วตั้งมากมาย แต่ก็ยอมมาช่วยทำงานของฉัน แม้ว่าจะไม่ได้อะไรเป็นการตอบแทนเลย บางคนทนนั่งรับฟังปัญหาของฉันโดยไม่บ่นซักคำ ทั้ง ๆ ที่ตัวเขาเองก็มีปัญหาของตัวเองอยู่แล้ว แต่เขาก็ไม่เคยปฏิเสธคำขอร้องของฉัน เวลาที่ฉันต้องการใครซักคนมาอยู่ข้าง ๆ และเมื่อฉันผ่านพ้นปัญหาต่าง ๆ ไปได้ ในวันที่ความสำเร็จของฉันมาถึง ก็เป็นพวกเขาเหล่าีนี้เอง ที่ร่วมยินดีกับฉัน แม้ว่าความสำเร็จของฉัน จะไม่ได้ช่วยให้ชีวิตของพวกเขาดีขึ้นก็ตาม
だから、私にとっての良い人は、たったひとりとは限らない。これまでの人生で、親切にしてくれた人は何人もいる。たくさんの人たちが私を助けてくれ、たくさんの人がわたしの成功を共に喜んでくれた。私の友人には、金持ちでないというより、むしろ貧乏人と呼んだ方がいい人もいる。しかし、私が困っているときには、金銭的にはムリかもしれにが、必死で解決の方法を探ってくれる。ある人は、自分の仕事を大量に抱えていても、見返りなしで、私の仕事を手伝ってくれる。ある人は、自分の問題を大量に抱えていても、愚痴を一言もこぼさずに、私の話を辛抱強く聞いてくれる。べつに命の恩人でもないのに、彼らは私の頼みを拒むことなく、誰かにいてほしいときには隣にいてくれ、さまざまな問題を克服して成功したときには、その日のうちに訪ねて来て、一緒になって喜んでくれる。

นี่แหละ เพื่อน ๆ หลาย ๆ คนที่เป็นคนดีของฉัน ซึ่งบางคนก็อยู่ด้วยกันมาตั้งแต่เด็ก ๆ เรียนด้วยกัน เล่นด้วยกันมาตลอด บางคนก็เพิ่งได้เจอกันตอนทำงานด้วยกัน แต่มีเพื่อนที่ดีที่สุดเพียงสองคนเท่านั้น ที่ฉันอยู่ด้วยมาตั้งแต่เกิด และคงจะอยู่ด้วยกันไปอีกนาน สองคนนั้นคือ พ่อกับแม่ของฉันเอง คนที่คอยดูแล คอยช่วยเหลือ คอยปลอบใจ และคอยยินดีกับฉันตลอดเวลา ไม่เคยทิ้งฉันไปไหน ฉันเองก็คงทิ้งเพื่อนที่อยู่ด้วยกันมาตลอดอย่างท่านทั้งสองไปไม่ได้เหมือนกัน
たくさんの友人たちこそ、私にとっての良い人だ。そのなかには、子供の頃から共に学んできた人もいる。職場で知り合い共に働いてきた人もいる。しかし、最良の友人はふたりしかいない。そのふたりとは、私の両親のことだ。私を見放さず、いつも面倒を見てくれ、助けてくれ、なぐさめてくれてた人だ。そして、私自身もいつも一緒にいるふたりを見放せないだろう。

<解答のポイント>

この問題では、そこそこ柔軟なタイ語力が求められている。語学学校に通っていれば、必ず一度は書かされるベーシックな題材で、そのときに推敲してもらった作文をまるまる暗記するだけで対応できる。

表題の「私にとって良い人」について、具体的に誰のことか明示しなければ減点の対象になる。また、論説文の基本である、序文・本文・結論の部分もしっかりしておきたい。いずれにせよ、ここではタイ語力より、むしろエッセイ作成能力の方が問われている。

タイ人は王様好きで知られているが、間違っても「私にとっての良い人は王様です」と書いてはならない。タイの国王は、われわれ庶民が善悪を判断できる存在ではなく、絶対普遍の善、絶対普遍の神として君臨している。

エッセイを書く練習をしたいなら、語学学校の「ポーホック対策コース」を受講する価値もありそう。

■ 大問3 タイ語の書き取り (10:55~11:25)

<課題>

朗読者が読み上げるタイ語文を、所定の原稿用紙に書き取りなさい。朗読者は、1回目と3回目を通読、2回目を数語単位に区切って読み上げる。

<解答のポイント>

中年のタイ人女性が、原稿用紙20行程度の簡単な論説文を、テレビニュースより若干遅い速度で読み上げる。タイ語学校の先生のように、ロールア音(ร)とローリング(ล)の違いを強調してくれることはない。

1回目の通読では、(速記の能力があれば別だが、どうせ書き取れないから)話の内容を掴むとともに、知らない単語をチェックすることに集中。花の名称など、聞き慣れない単語が多数登場するので、書き取るときに動揺しないように覚悟を決める機会としても利用できる。

2回目の朗読では、文節ごとに2回ずつ繰り返し読み上げられるが、それが終わると次の文節の朗読が始まるため、知らない単語にこだわっていると間に合わなくなる。ここで解答用紙の大半は埋めておきたい。

3回目の通読では、書き取った内容の確認と、1回目と2回目で聞き取れなかった語の補充に専念。同時に、綴りミスにも注意を払っておきたい。

■ 大問4 文章読解 (10:55~11:25)

<課題>

つぎの文章を読み、文意を適切に説明している項目を選択しなさい。文章はぜんぶで4本、それぞれ5問ずつ設問がある。

  文章1 川から火が上がる奇跡の「ウソ」を暴くことの是非について
  文章2 思い出し中。しばらくおまちください。
  文章3 海外試合でワイをするタイ人選手に政府が奨励金を与えたという話題
  文章4 公衆衛生省による新タバコ規制条例についての詳細

<解答のポイント>

この問題は、内容正誤の4択なので、単語さえ分かれば解答できる。解答は、本文中に明示されており、悩むことなく解答できる。第1段落のみの新聞記事を、1本あたり3分以内に読んで、設問(文章1本につき5問ある)に2分以内で答えれば間に合う計算になる。スラスラ読めれば問題ないが、不慣れな人にとっては、制限時間との競争になる。

■ 大問5 音読 (13:00~)

<課題>

試験監督者がランダムで選ぶ文章を音読しなさい。

<解答のポイント>

20行程度の論説文を音読すればよい。平易な文章だが、バンコク生活では無縁な固有名詞が多数登場する。自分は面倒になってサッサと読み上げてしまったが、本来はゆっくり丁寧に読むのが正解。受験者の平均時間は6分程度。

受験者の音読は、受験番号順ではなく、先着順に回ってくるため、午前中のテストが終わっても昼食に行かずに、列に並ぶのがオススメ。僕は友人と昼食に出てしまったため、一番最後(午後3時頃)になってしまった。その頃には、やる気もすでに消え失せていた。

夜、プラアーティット通りのタイ料理店で、日本人5人とタイ人4人(大学生2人・高校生2人)の9人でどんちゃん騒ぎ。その後、日本人4人で日本料理店をはしごして力尽きるまで飲み続けた。

2002年12月2日(月)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)も、いよいよ最終ラウンド。

上級2進級試験の結果は、150点中122点で正答率82%。中級2以降、自宅学習を止めているが、だいたい80%強で安定している。

難易度において過去最高だった中級2(放校されると思った)の正答率が80%だったことから、今回も絶対に合格最低点の60%は下回らないと思っていた。しかも休暇中は旅行に出かけおり、電話で問い合わせていなかったため、授業料を支払いに行ったときに初めて知らされた。――エーンに叱られた。

上級3のクラスメイトは、企業派遣の日本人受講生ひとりだけ。上級2には、もうひとり別の日本人がいたが、他大学の学部へ通っているため、前期の授業が始まると同時に来なくなってしまった。

きょうの授業は、物語文の読解。ある日、オタクがネット上で知り合った女の子に恋するが、その「女の子」は心理学部の教授が実験のために起動させていた自動応答プログラムだったという物語。怒りのあまり、その教授を殺してしまうというオチまでついている。見どころは、文中に登場する下品な比喩表現の数々。エーンによると、有名なエッセイ作家の作品集に収録している短編のひとつらしい。マンガばかりを読み耽っているエーンも、昔は文学作品の類を好んで読んでいたという。

2002年12月3日(火)

授業は、昨日の物語文の続き。放課後、東急4階にある日本料理店「田ごと」で、ハンバーグステーキ(日本米・エビクリームコロッケ・目玉焼き・ポテト・サラダ付き140バーツ)を食べた。

夕方、Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(僕の部屋)にいたところ、タイマッサージへ行こうと電話で誘われ、プララームスィー通り(ラマ4世通り)にあるホテル「マレーシア」へ行った。先日のラオス行きドライブで、ラオス語の特徴を学んだ成果か、ラオス国境ノーンカーイ県(ノンカイ県)出身のマッサージ師たちが話しているイーサーン語(タイ東北部方言)が理解できたことに感動した。

イーサーン語(タイ東北部方言)の「のほほ~ん」とした抑揚が面白い。 ห้าคน hâa-khon (「5人」という意味のタイ語)の発音が、 ฮาค่น haa-khôn に変わる。マッサージ師のオバさんたちは可愛くも何ともなかったが、抑揚が可愛らしく思えてならなかった。

2002年12月4日(水)

放課後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部のボーローンマラーチャグンマーリー館(パロムラチャクマリー館)13階にある集中タイ語講座(インテンシブタイ)の教室にいたところ、友人から3階教室にいるという電話が入った。

304教室では、文学部日本語学科の学生たちが、3年に1度の学園祭の準備をしており、トイレットペーパーを使って桜の花びらを作っていた。

それを指さして、「トイレットペーパー?」( กระดาษห้องน้ำ kradàat hɔ̂ɔŋnáam )と聞くと、学生たちは口を揃えて「ティッシュペーパー」と答えた。

タイの屋台においてあるのは、この「トイレットペーパー」だし、みんなこの紙で口を拭っている。しかも、タイ人はトイレで紙を使わないから、この紙をトイレットペーパーと呼ぶとアベコベになる。

そんなことにも、すっかり慣れてしまった。タイに来て1年が経ち、いろいろな価値観が変わりつつある。

夜、MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)へ、ガセートサート大学(カセサート大学, 農業大学)の学生を加えた3で行き、7階の映画館で英語音声・タイ語字幕のハリーポッターを見た。言語にかかわらず、読むよりも聞く方が楽だが、解らない部分はタイ語字幕に目を落とした。これでだいたい理解できる。

2002年12月5日(木)

午後7時頃、プーミポン・アドゥンヤデート国王75歳の誕生日を祝う式典が、地上波テレビ各局で一斉に放映された。国王は式典開始前にヂットラダーマホーターン宮殿(チットラダー宮殿)へと引き揚げていたが、巨大な肖像の前で、タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)首相が祝辞を述べ、サナームルワング王宮前広場前広場に集まった数万人が国王賛歌を斉唱した。テレビの前で、エーンも直立不動の姿勢で国王を賛美する言葉を復唱していた。人々の手にはロウソクが握られていた。

タイ人は、国王の誕生日をロウソクを灯して祝うという。いま、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパートVenezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(僕の部屋)にも、ロウソクが灯っている。さっき、エーンの勧めでネット上にある www.beloveking.com でオンライン点火したところ、日本人で4096人目の点火者となった。

国王をたたえる ทรงพระเจริญ(ソングプラヂャルーン) soŋ-phrá-càrəən という言葉は、国王陛下万歳という意味。この時期、巨大な国王の肖像とこの文字が、タイ全国で掲げられている。先月末、ノーンカーイ(ノンカイ)へ行ったときも、国道2号線沿いにある街という街すべてにあった。

タイ人は、国王を心からホンキで愛している。そんな国王を批判しようものなら、正義の鉄槌が下されるか、友達の縁を切られるかするだろう。

夕食をデリバリーのピザで済まし、 WTC ワールドトレードセンターに入っている伊勢丹スーパーで食料品を買い込んだ。

国王誕生日にともない、外国人向け繁華街「パッポング(パッポン)」を除くタイ全国で、酒類の販売が禁じられた。

2002年12月6日(金)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)学園祭初日のきょう、文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)の授業は通常どおり行われた。

放課後、日本語学科の展示物があるボーローンマラーチャグンマーリー館(バロムラチャクマリー館)303教室に立ち寄ったところ、日本製カップラーメン「グータ」をゲット。このクラスのカップラーメンは、タイでは600円を下らない。

日本語学科の展示では、①日本の武士道について、②日本のサラリーマンについて、③日本のフリーターについて、それぞれを関連させながら詳しく説明した。なんでも、封建時代の武士の忠誠心が、対象を「お家」から会社へと変えて現在でも受け継がれており、フリーターという労働形態は、日本人が豊かになって怠惰になった影響により登場したという。

ほかに、文学部図書館に収蔵されている日本語アニメが放映されていた。つまるところ、日本の代表的な文化は、サムライとサラリーマンとフリーターとアニメってことなんだろうか。

日本語学科の一年生に、きょうの教材「女性と暴力」を見せたところ、「こんなの読んでるの!? これって、もう大学の参考書レベルのタイ語よ。もし、こんなカンジの文章が書けるようになったら、学部の入学試験にも受かるんじゃない?」と話していた。

夜、日本人の友人と日本風居酒屋に出かけた。

2002年12月7日(土)

本当に何もない一日。

朝食は炊いたご飯にフリカケをかけ、昼食は日本製即席麺「グータ」、夕食はタイ製即席麺「ヤムヤム」(5バーツ)。ベッドで寝っ転がりながら英文法の勉強をしていたら、日付が変わる前に寝入ってしまった。

2002年12月8日(日)

昼食後、スィーロム通り(シーロム通り)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で久々に教科書を開いた。ここのところ、自室で勉強をしていないため、宿題が山のようにたまっている。

店を出て、高架電車 BTS サーラーデーング駅(サラデーン駅)へと向かう途中、歩行者天国で、子供が火のついた棒を振り回しているのを見つけた。すぐ近くにいる警察官は、なぜこの子供を取り締まらないんだろう。

そんな光景にも、すっかり慣れてしまった。危うく見逃してしまうところだったが、またとないシャッターチャンス。日本でこんなことをしたら、パトカー5台分の警察官が殺到するはず。

先日、スクンウィット(スクンビット)59にある日本風居酒屋「いもや」で、会社員風の中年日本人男性2人が「タイは何もかもが自然だから良い。必要とするものは何でも揃っている」と話していた。どうせ性風俗に関する言及だろうが、性風俗に限らず、あらゆる面での規制が緩く、規制で雁字搦めになっていないのは確か。

夜、ラームカムヘーング通り(ラムカムヘン通り)にある美容室 August へエーンと出かけた。トリートメントの料金は、150バーツだった。歩道の90%が屋台に占領されている道をバス停まで歩き、バスで帰宅した。

2002年12月9日(月)

きょうはヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)学園祭(12月6日~9日)の最終日。文学部ボーローンマラーチャグンマーリー館(バロムラチャクマリー館)303教室の日本語学科展示室で茶道実演の話を聞いて、5階の実演会場に向かったが、実演用のお茶がなくなってしまったという。初日から楽しみにしていただけに残念。

夕方、文学部の学生食堂で、日本製即席麺2つを、日本語学科の1年生たち4人で分け合って食べた。そんな食べ方をすると当然テーブルの上はめんつゆだらけになるが、だれもキレイにしようとしないからティッシュで拭っておいた。学生たちには、協力して食堂をキレイに使おうという精神がなく、食堂のテーブルはいつも汚い。一説によると、学生たちが自分で掃除をはじめたら、清掃婦たちが失業してしまうというが、ホントウにそれでいいんだろうか?

文学部4号館で、英語学科の演劇「シェークスピア」を日本語学科の友人たちと鑑賞。まったく意味が分からず、「意味不明でネムイ」と退室を促したところ、友人たちも理解していなかったようで、密かに胸をなでおろした。

日没後、文学部本館前にある旧校舎跡ステージでダンス大会が始まった。ベンチに座って眺めてから帰宅した。

2002年12月10日(火)

海に出かける前に、持ち物チェックをしよう!

 Tシャツ2枚
 水着
 バスタオル

タイ人にとって、ビキニ姿は「まるでヌード」で、トップレスになるくらいあり得ないという。だから、海水浴を楽しむためのTシャツと、快適に家路につくためのTシャツの2着は用意しておきたい。ビキニ姿なのは、せいぜい外国人観光客くらいだ。

午前7時、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部前に集合。カーオサーン通り(カオサン通り)で旅行会社を営んでいる日本人が手配した乗り合いバン(ロットゥー)に乗って、日本人4人とタイ人5人とペッブリー県にあるフワヒン(ホアヒン)海水浴場へ向かった。

午前11時、フワヒン(ホアヒン)海水浴場に到着したが、そこは海水が汚く、海岸も狭かった。友人によると、昔はキレイな海水浴場として知られていたが、今は旅行情報誌の宣伝に踊らされた外国人だけで、タイ人はあまり来ないとか。

昼、シーフード料理を食べた。日本では絶滅危惧I類に指定されているカブトガニまであったが、味の方はサイアクだった。

チャアム海水浴場で、バナナボート(1時間700バーツ)を、パッタヤー(パタヤ)(30分1,200バーツ)の3分の1の値段で借り、2グループに分かれて海へと繰り出した。バナナボートの操舵士が、意図的にボートを転倒させ、前半30分の僕たちは3回、後半30分のグループは7回、海に投げ出された。海に落ちるとボートに戻るのに体力を使うため、後半のグループはクタクタに疲れ果てていた。

スクンウィット(スクンビット)59にある日本風居酒屋「いもや」で夕食をとった。

タイ人大学生は、下位の大学に通う学生ほど日本人大学生に近く、上位の大学に通う学生ほど高校生にような型にはまった学生ばかりになり面白味がなくなる。

日本留学経験のある学生は、タイの大学について「タイの大学は高校そのもの。カリキュラムは高校みたいな詰め込み型だし、自主的な研究課題もない。そんなカリキュラムで卒論を書けるはずもないから、卒論は書かなくても卒業できる仕組みになっている。そんな教育に疑問を感じている。卒業後、ちゃんと働けるのかどうかも疑問」(日本語)と話していた。日本人社会の一部にある「タイの学生はまるで高校生のよう」という疑問に対する解答になりそう。

日本人たちは、対等な人間関係を構築する意志のないタイ人大学生たちに苦戦しているようだった。それなら、バンコク在住の若者だけに認められている権利を行使すれば良いだけのこと――と思いながら、彼らのやりとりを眺めていた。

帰宅後、その話をエーンにしたところ、「だから言っているでしょ? 私がチュラの学生を嫌いだと言うのはそういう理由からなの。自分が一番賢いとホンキで信じていてムカツクわ」と話していた。

たしかに、唯一まともだったのは、前出の日本留学経験のある学生ひとりだけだった。

2002年12月11日(水)

(この記事では、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)で教鞭とっている先生から依頼され、部外者向けの特別講座のご案内をしておりましたが、掲載から5年が経過したため削除いたしました)

2002年12月12日(木)

「わたしたちのタイ王国は、もし国王陛下が崩御されたら、深い悲しみに覆われてしまうでしょう。外国の企業が、この汚職が蔓延っているタイに投資を続けているのも、国王陛下による統治のおかけで、近隣諸国よりも政情が安定しているからなの。国王陛下の崩御を目の当たりにするくらいなら、その前に死んでおきたい」

昨晩、エーンの国王観を3時間も聞かされ、寝ることが許されたのは午前5時すぎだった。

きょう、集中タイ語講座(インテンシブタイ)の先生に、宿題を忘れた理由を説明したところ、「そうねえ、わたしが死ぬことで国王陛下が死を免れるのなら、迷わず死ねるわ」と話していた。

タイ人の国王崇拝は、ナショナリズムではなく、日本人の想像を絶するほど強烈な忠誠心の高さにあるんだろう。

ちなみに、忘れた宿題とは「授業中に鑑賞したテレビドラマ『最初の雨』のストーリーを要約して感想を述べよ」というもの。国王の温情のおかげで、何年も雨が降っていない枯れた大地に雨が降った、という7チャンネルのテレビドラマ。

2002年12月13日(金)

放課後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館で英語を勉強した。

この図書館は、部外者でも利用できる。料金は、1日券が20バーツ、1年券が500バーツ。集中タイ語講座(インテンシブタイ)の学生に交付されている学生証は、文学部内でしか通用しないため、新たに「構内施設利用申請書」を発行してもらった。入り口は、自動改札になっており、学生証をかざすと扉が開く仕組みになっている。

自習室で、先週末にチャアム海水浴場へ一緒に出かけた文学部と理学部の学生たちと遭遇。その机で勉強してから、カーオサーン通り(カオサン通り)で、日本人の友人や、ラングスィット大学(ランシット大学)の学生たちと合流した。

実は――授業中、「タイ国営企業の効率化」の解説が、いつの間にか「性転換者は社会的に容認されるか?」に変わってしまった理由について書こうと思っていたが、事情により取りやめた。

2002年12月14日(土)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館で約4時間、理学部の1年生たちと英語を勉強した。

夕食後、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)で、日本人の友人歩いていたところ、タンマサート大学(タマサート大学)の社会人類学部4年生に話しかけられた。

エーガマイ(エカマイ)にある Major Cineplex(メジャーシネプレックス) で、日本人の友人や、ガセートサート大学(カセサート大学)人文学部の学生たちと、映画 007 Die Another Day を鑑賞(ひとり120バーツ)した。

タイ人向け飲み屋で知り合った男によると、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)4階にある携帯電話売場の月々の賃借料が、陳列棚1つ25,000から50,000バーツに値上げされたという。

2002年12月15日(日)

大学図書館は、日曜日のため閉館している。やむなく自室で英語を勉強していたが、椅子が大破。ベッドに寝そべって勉強を続けた。

大破した椅子は、パソコン机の椅子も兼ねているため、日記もろくに書けない。

2002年12月16日(月)

バンコクでは、いくつもの日本人向け無料情報誌(フリーペーパー)が発行されているが、そのほとんどが生活密着型の情報を掲載している。まれに、広告記事だけで構成されているものもある。

11月10日、フリーペーパー newsclip が創刊された。政治経済、社会文化、日系企業の動向など、幅広い話題を扱っており、毎月10日と25日に日本人向け書店や飲食店等で入手できる。12月10日発行の創刊第3号の一面記事は、次のとおり。

大手2社純増半減 携帯電話市場にブレーキ / 国営2社合併 新携帯電話「タイモバイル」始動 / 個人所得税減税 不動産支援も追加 / ブリヂストン ラジアルタイヤ生産170億円投資 / 電発の合弁会社 発電所を2ヶ所買収 / 国王誕生日 麻薬問題にご懸念 叱責なしで首相「ホッ」 / 都心で激突!MBK・モール連合 VS セントラル

バンコクで発行されている日本語誌には、多かれ少なかれ奇妙な日本語が文中に紛れ込んでいるが、 newsclip の日本語は、日本国内の大手新聞程度の質を維持している。

有料紙「バンコク週報」の今後が気になる。

きょうの授業では、1997年度タイ映画大賞に選ばれた、仏教の神秘を娯楽感覚で説く作品を鑑賞。放課後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館でタイ語の宿題を済ませ、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)で日本語学科1年生の日本語作文を推敲した。高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)付近にある日本料理店「新潟」で夕食をとり、最高級百貨店「エンポリアム」でフリーペーパー newsclip を入手。突然の停電に見舞われ、エンポリアムをあとにした。

2002年12月17日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館は、学部の前期中間試験を来週に控え、異様なほど混み合っている。個人用の机はもとより、グループ用のテーブルも完全に埋まっている。

風邪を押して図書館に行って、空席がなかったら目も当てられないと思い、授業終了後、まっすぐ自室へと戻った。

きょうの授業は、映画鑑賞の続きと、 DNA 鑑定に関する討論番組のリスニングだった。

2002年12月18日(水)

バンコク在住の日本人が行く病院は、バンコク総合病院、バムルングラート病院(バムルンラット病院)サミティウェート病院(サミティベート病院, サミティウェート病院)の3ヶ所がほとんど。いずれも市立病院で、日本語通訳が24時間体制で常駐している。診察料は、平均的タイ人が通っている病院に比べると遙かに割高だが、それでも日本の病院と同程度(でも自己負担100%)で、保険会社のキャッシュレス診療も受けられる。日本の総合病院顔負けの豪華な施設と、過剰な医療によって、バンコクの日本人社会からはそれなりの評価を得ている。

しかし、タイ人からの評判は驚くほど悪い。

「手術をしたら、おまけに盲腸まで切ってくれちゃった」

「風邪をひいて病院に行った患者が、不必要な点滴を打たれ、その点滴が原因で死亡した」

「宣伝費が診察料に転嫁されている。診察料が高いだけで、診療の質はさほど高くない」

タイ人医師は、一昔前の日本人医師のように「黙ってオレに任せとけ」というスタンスで医療に当たっているため、丁寧な説明はあまり期待できない。なにか大きな病気や怪我をしたときには、ほかの病院の診断も参考にした方がよさそう。

自分は、一般的な医療はバムルングラート病院(バムルンラット病院)、手術が必要になったらバンコク総合病院と決めている。サミティウェート病院(サミティベート病院, サミティウェート病院)には行かないだろう。

先月、バンコク駐在の日本人会社員の方が、細菌病のため亡くなられた。バムルングラート病院(バムルンラット病院)の医師が、一般的な風邪と誤診したため、適切な治療ができなかったという。

タイ人の友人たちは、金があるなら複数の病院で診察を受けるべき、と勧めている。

風邪のため、授業を午前中だけ受けて早退した。

2002年12月19日(木)

朝、目覚めたら、声が出ないほど風邪が悪化していたため、午前の授業を休んで、高架電車 BTS チットロム駅前にある日本料理店「日本亭」で体に良さそうな料理を食べた。

この店のランチメニューは、夜でも提供しているという。

2002年12月20日(金)

銀行預金の残高が、わずか2,500バーツ(約7,500円)しかない。しかも、クレジットカードの有効期限が、今月いっぱいで切れてしまう。

バンコクの物価は、同じ発展途上国の首都であるラオスの首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)や、カンボジアの首都プノンペンに比べれば、べらぼうに高い。両親にはそれが分からないらしく、追加の仕送りをお願いしたところ、麻薬でもやっているのかと疑われしまった。

自分も、実際に住んでみるまでは、バンコクの物価がこんなに高いとは知らなかった。

大破した椅子を買い替えるための予算も承認された。

2002年12月21日(土)

これまで、バンコクで何人もの日本人起業家志望者に会ってきたが、そのたびに、ずさんな事業計画には驚かされる。どうも、発展途上国に来れば、先進国の起業家は必ず成功する、とでも勘違いしているようだ。頼むから、もう少し現実を直視してくれ、と言いたくなる。

さて、問題です。先進国のアホと、発展途上国の事業家、どちらの方が賢いでしょう?

タイの法制度は、想像以上にややこしい。タイ語で書かれている法律や通達文が分からなければ何も申請できない。しかも、タイのお役所仕事は、グローバルスタンダードから著しくかけ離れているため、日本人的な価値観では容易に理解できないことばかり。言葉の壁以前に、賄賂を払わなければ理由なく申請が却下されることだってある。バンコク在住の日本人に頼って何とかしようとして、逆につけ込まれて金をだまし取られるケースも少なくない。そんなハンディーキャップを山のように抱えている土地で、どうして日本より簡単に起業できるというのか。

バンコク日本人社会の市場規模や、タイ人の消費動向を完全に無視して、自分の妄想シミュレーションだけを頼りに事業計画を立ててしまうのだから、本当にビックリする。それでよく不安にならないのかと、不思議でならない。

タイで事業を興すのが、タイのソープランドで女の子を買うのと同じくらい簡単と信じている日本人起業家志望者の多さは尋常ではない。

学部生の頃、大学の公開講座「ベンチャー企業経営論」で、50歳くらいの男性が熱心に「自殺幇助ビジネス」を始めるにあたっての抱負語っていた。思いつきだけで事業を興すのは、経営学的には下策のうちの下策だが、それ以前の問題として、なぜ法律による制約に無関心でいられるのか不思議でならなかった。

昨晩、この日記を通じて知り合った日本人青年起業家と寿司屋に行った。そこで説明を受けた事業計画には、珍しく成功の見込みがあった。大きな需要がある市場で、創業当初から比較優位を確立するという戦略は魅力的だ。

その事業の今後に興味を持ち、しかも資金面で困っていることもあって、あしたから試験的に時給400バーツで雇ってもらうことにした。

夜、その起業家のオフィスを見せてもらい、その友人たちとの忘年会に参加した。

2002年12月22日(日)

エーンは、大学のダンスサークルから紹介してもらったアルバイトをしている。いまのバイトは、ビアガーデンの特設ステージで英語の司会をして、ダンスも踊り、コロナビールを売り歩くという仕事。午後7時から午前1時までの6時間勤務で、日給1,000バーツ。

夜、スクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理店 L’OPERA(オペラ) で、2日早いクリスマスディナーを楽しんだ。クリスマス当日は、エーンのアルバイトが入っている。

この店には、西洋系の従業員が多く、英語さえ話せれば快適なディナーを楽しめるため、バンコク在住の日本人に人気がある。料金は、スパゲティー各種が230バーツ程度、グラスワインが一杯130バーツ、ボトルワインは880バーツから。ドレスコードがあり、半袖、短パンでの入店は断られる。

料金は、ふたりで1,610バーツ。家計が破綻寸前の状況にあるため、クレジットカードで支払った。

午前9時、昨日の仕事を3時間して1,400バーツもらった。このペースで仕事をしていけば、毎日イタリア料理店に通えるかも。

2002年12月23日(月)

ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(僕の部屋)に、エーンが生活の拠点を移してから1年が経つが、きょう初めて自分の耐久消費財を買ってきた。

中古のビデオデッキで、大学の先輩から2,000バーツで譲ってもらったという。しかし、どんな電気製品にもついているはずの液晶画面がなく、タイマー録画機能もない。しかし、映像形式は、タイの PAL 方式のほかに日本の NTSC 方式にも対応しており、電圧も100ボルトから240ボルトまで対応しているため、いろいろと使い勝手が良い。

カラオケ機能もついているが、ビデオデッキという名にふさわしく、妙に古くさい。

2002年12月24日(火)

「真の自由を謳歌するためには、独り身でいなければならないのよ。恋人なんていたら、気がかりでほかのことができなっちゃうじゃないの!」

アメリカのホームドラマに登場したら、きっと存在感たっぷりの役者として活躍してくれそうな、集中タイ語講座(インテンシブタイ)の先生の提案で、これまでの日本人クラスメイトたちを集めて、日本風居酒屋でクリスマスパーティーをすることになった。

午後7時、高架電車 BTS プロームポング駅(プロンポン駅)前にある最高級百貨店 Emporium Department Store(エンポリアム) で待ち合わせた。正面入口では、ドアマンが凄まじい発音で เมรี่ คริสต์มัส(メリークリスマス) と買い物客を出迎え、1階ロビーでは、少年少女聖歌隊によるクリスマス・ミニコンサートが催されていた。

バンコクのクリスマスは、日本ほど盛大ではないが、それなりの存在感はある。3チャンネルの番組紹介では、殺風景な背景がホワイトクリスマスのイラストに、มีคุณค่าทุกนาที ดูทีวีสีช่อง 3(カラー放送3チャンネルを見る毎分には価値がある) というダサい BGM がクリスマスソングに代わっていた。

クリスマスパーティーの参加者は、講師1名のほか、元受講生を含む生徒4名だった。

帰り道、 WTC ワールドトレードセンターのイルミネーション前をタクシーで通過したが、その派手さには驚いた。

帰宅後、クリスマスらしいテレビ番組をエーンと探したが、それっぽいのは衛星放送UBCのアニメチャンネルで放映されていた「トムとジェリー」だけだった。

2002年12月25日(水)

クリスマスの夜、スクンウィット(スクンビット)15にある売春婦調達バー「トァーメー(テルメ, テーメー)コーヒーショップ」へ、日本人の友人と出かけた。平日は閑散としているが、今晩は客と売春婦でごった返していた。

夜、日本人の友人と、スクンウィット(スクンビット)10にあるオープンバーでビリアードを勝負し、グランドプレジデントホテルの日本人向けカラオケスナックで飲んだ。その後、現金盗難事件の通訳をしてから、トァーメー(テルメ, テーメー)コーヒーショップに行った。

2002年12月26日(木)

「あの野郎をイテコマセ!」

夜、タニヤ通りにあるカラオケスナック「ゆかり」では、自分の生活圏ではまず聞けない凄まじいタイ語が飛び交っていた。

日本人客の大半がタイ語を理解できない(単語はいくつか知ってても聞き取れない)のを良いことに、ホステスたちは言いたい放題。店主に十分なタイ語力があれば、即刻クビにしていること疑いない。

タイ人の教育格差は深刻で、想像を絶するほどのアホもたくさんいる。どうも脳味噌の構造が少し違うようで