2002年7月1日(月)

土曜日に日本から発送された携帯情報端末「パーム」が、ようやく届いた。パーム日本語版ではタイ語を使えない、との情報がネット上にあったが、なんとかタイ語も使える。

ところが、タイ語を使うと、日本語が文字化けしてしまうため、その都度ソフトリセットが必要になる(それでもパームを2台購入するよりマシなはず)。ただし、タイ語環境で住所録機能を使うのにはムリがある。

バームでは、日本語版パーム OS にタイ語化パッチ Thai POS がインストールされていれば、ケーケーテクノロジー社(http://www.kktechnologies.com)のタイ語辞書 Apithan を使うことができる。料金は、 Apithan 550バーツ、 ThaiPOS 1,000バーツ。オンライン注文すると、本体製造番号ごとに異なるパスワードが数日以内にメールで通知される。

パーム本体は、 EMS で土曜日に発送し、月曜日に到着した。送料は2,700円。一度開封して、コード類をグチャグチャにし、説明書等を取り除いておいたため、関税は免れた。さしあたって、パーム OS 日本語版で、タイ語の辞書機能が使えることは間違いない。

2002年7月2日(火)

携帯情報端末「パーム」には、英タイ辞書以外にも、さまざまなソフトウェアをインストールできる。そこで、バンコク路線バスマップ(検索機能つき, フリーウェア)をインストールしたが、情報量が圧倒的に不足しており、メジャーな路線が含まれていないこともしばしば。高架電車 BTS の運賃計算システム(フリーウェア)も見つけたが、あまり期待できそうにもないためインストールしなかった。

2002年7月3日(水)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2では、①タイ語文法 ②政治 ③経済 ④歴史 ⑤宗教 の5つをテーマとしている。きょうの授業では、「アジア太平洋経済協力会議において、労働力比較統計情報が発表され、わたしたちタイ人が怠慢ではないことが証明された、タイの労働人口はチリと比較すると・・・・・・」という文章を読解し、タイにおける農業の効率化について学んだ。

「解脱日は、水曜日の逆で、かつ戌年の日、すなわち仏歴紀元前45年6月の月歴15の日(満月)である。苦痛からの脱却日は・・・・・・」

宗教の授業はクソつまらない。宗教分野の語彙、たとえば「苦痛からの脱却日」などは、日本語に翻訳しても意味不明なうえに、自分自身も無関心であるため、それこそ宗教上の苦行以外のなにものでもない。

ところが、仏教はタイ社会において非常に重要な位置づけにあり、タイを学ぶのであればどうしても避けては通れない分野。こんなイヤな授業は日本語で勉強したい。これではタイ語を勉強しているのか、タイの文化を勉強しているのかわからなくなる。ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部の修士課程には「タイ研究科」があるが、もっと難解なことを研究しているかと思うと、想像するだけで気が遠くなる。

現在、集中タイ語講座(インテンシブタイ)のカリキュラム(1年間)の、ちょうど折り返し地点にいる。進級試験に通過して、のこりの半分を無事に終えたら、どれほどの能力が身に付いているか。同時に、それまで付きまとう学習の義務について考えると、恐ろしくてならない。

2002年7月4日(木)

きょうはタイの行政システムに関する語彙を習った。旧制官僚組織の名残である大学庁は、首相府や各省と同格にあるという。あまりの難解さに気が遠くなり、友人たちに声をかけて気晴らしに出かけた。

日本人留学生から、社団法人日・タイ経済協力協会主催のタイ語検定について話を聞いた。とても難易度が高く、1級に合格した日本人は国内に数えるほどしかいないという。タイ語仙人への道は、果てしなく遠い。

久々に日本語をたくさん話せた。

2002年7月5日(金)

昨晩午前3時に帰宅したため、正午に起床した。はじめて正当な理由なく授業をサボった。

昼、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)に、エーンの親友のジョーイがやってきて、サヤームセンター(サイアムセンター)で明日、日本フェスティバルがあり、コスプレ大会も催されると話していた。

まさか、このクソ暑い国で重装備のマンガコスチュームを身に纏うというのか!?

2002年7月6日(土)

昼、複合商業施設「サヤームセンター(サイアムセンター)」の広場で催された「日本フェスティバル」へ、エーン、ジョーイのふたりと出かけた。広場には怪しさ満点のコスプレガールズが集結し、日本料理店「スモウ」が寿司の早食い競争を主催している。ステージでは長髪の女性が L’Arc-en-Ciel(ラルクアンシエル) の古い曲を歌っていた。

日本フェスティバルというより、むしろ日本マンガフェスティバルといった様相。できるだけ2次元の世界からは距離をおきたいため、ただちに退散した。

2002年7月7日(日)

日中、スクンウィット(スクンビット)3にあるバムルングラート病院(バムルンラート病院, バムルンラッド病院)精神科を受診した。ここのところ頭のモヤモヤや身体の気だるさを感じており、もしうつ病であれば早期に治療する必要があると考え、事前に予約しておいた。精神科の外来は、診察時間が限定されているため、あらかじめ予約しておく必要がある。

3階通訳受付で日本語通訳を依頼して、ひとり診察室へ入ると、精神科医が英語で話しかけてきた。質問を英語で浴びせかけられるくらいなら、まだタイ語の方がマシだ。すぐに話を遮って、英語で日本語通訳を依頼し、日本語通訳が到着するとふたたび診察が再開された。日々の生活について説明すると、精神科医はストレスが原因で落ち込んでいると診断。精神安定剤と睡眠導入剤が処方された。

診察後、日本語通訳の中年女性から、個人的に日本国籍のタイ人大学生(?)を紹介されメールアドレスを手渡された。

バムルングラート病院(バムルンラート病院, バムルンラッド病院)精神科に予約を入れる前、バンコクゼネラル病院(バンコク総合病院)に電話予約を入れたところ、日本語通訳が要領を得ない説明で、まったく関係ないクリニックを紹介してきた。日本語通訳の質で判断するなら、バムルングラート病院(バムルンラート病院, バムルンラッド病院)のほうが格段に良い。これからは、バンコクゼネラル病院(バンコク総合病院)には日本語で電話しない。

2002年7月8日(月)

これまで精神科で処方されるクスリとは無縁な生活を送ってきたが、実際に使ってみるとその効果の大きさに驚く。とくに睡眠導入剤の威力は尋常ではない。

先日、スクンウィット(スクンビット)3にあるバムルングラート病院(バムルンラート病院, バムルングラッド病院)精神科で、抗鬱剤(朝昼1日2回服用)と睡眠導入剤(夜のみ服用)の2種類のクスリを処方された。そして午後6時半、睡眠導入剤を夜用の抗鬱剤と勘違いしてに服用したところ、午後7時には強烈な眠気に襲われ、そのまま寝てしまった。

現在、翌9日午前4時を少しまわったところ。実は、午前3時に目覚めしてしまい、しかも頭がスッキリしすぎているため困っている。

2002年7月9日(火)

夜、アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリー, 戦勝記念塔)ちかくのパブ Saxophone(サクソフォーン) へ、ストレス発散のためにエーンと出かけた。店の奥にある席に腰を下ろすと、エーンを芸能人と勘違いした店員たちが殺到した。日本人的なイメージでは、エーンはタイ北部出身の典型的な容姿をしているが、タイ人は別の美的センスを持っているのかもしれない。料金は、オランダ産黒ビール(500ml)200バーツ、カクテル140バーツ。タイ人の日給に相当する200バーツをエーンに払ってもらい、残りは自分で支払った。

2002年7月10日(水)

夜、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)で、美容と健康のために早寝しようと、精神科医から処方された睡眠導入剤を服用した直後に、アメリカ人クラスメイトから電話がかかってきた。

女子高校生が興味津々に語り合うような内容ばかりだったが、それでも大学の専攻、家族のこと、起業の方法など多岐にわたった。まさか、アメリカ人と、しかもタイ語で1時間40分も長電話することになろうとは、タイ留学前にはとても想像できなかった。

睡眠導入剤の効果は服用後約30分で現れ始める。睡魔に抗うのに苦労した。

2002年7月11日(木)

夜、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)で、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部日本語学科の学生と、日本語で長電話をした。

比較的格式張った日本語の推敲を依頼されたが、日本語をタイ語で表記すると、ザ行の濁点がすべてキャンセルされてサ行になるため、ツとスの発音も不明瞭になり、電話越しだと聞き取りに苦労する。「○○サイダン」と言うのを「○○財団」のことと推測しながら聞き取っていかなければならない。

きょう、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)では学位授与式が行われた。

2002年7月12日(金)

夜、スクンウィット(スクンビット)12にある、今年新設されたばかりのディスコ MOS Ministry of Sound(ミニストリーオブサウンド) へ、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2のクラスメイト2人や初級1の学生1人と出かけた。

部屋を出る前、エーンに「タイでもっともハイソなディスコに行ってくる」と言うと、「それって MOS のことでしょう?」と訊かれたことからも、 MOS がどれだけ有名かわかる。

一般には駐車場なしとアナウンスされているが、すぐ近くのオフィスビル駐車場が客向けに解放されている。駐車券は入店時にゲットしなければならない。その後、ペッブリー通り(ペッブリータットマイ通り)にあるサヤームホテル(サイアムホテル)のコーヒーショップで、ちかくを徘徊している売春婦に目もくれず、責任の取り方や日本人の島国根性についてクラスメイトたちと語り合った。

2002年7月15日(月)

放課後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)構内の並木道をパヤータイ通り(パヤタイ通り)へ向かって歩いていたところ、すぐ横にアメリカ人クラスメイトのベンツが停まり、乗っていかないかと声をかけられた。このクラスメイトは、熱心なカトリック信者で、ハードなカリキュラムに押し潰されそうになっている僕の精神状態を気にかけてくれている。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)では本来、学生のクルマは敷地内に駐められない規則になっているが、なぜかこのアメリカ人クラスメイトのベンツだけは駐車を許可されている。さらに、自動車の正面には政府高官の官職章、フロントガラスには王家の紋章が貼られている。

「これは官公庁のエンブレム。政府高官が自分の官職を表示するために自家用車に取り付けることもあるみたいだけど、ほとんどが官職に応じて貸与される公用車よ。ほら、ここに内務省統治局って書かれているでしょう?」と以前、エーンが説明してくれた。

「金を出せば買えるけど、警察の検問では呼び止められるし、交通違反を犯せば違反切符も切られる」と、アメリカ人クラスメイトは話している。どうやら見た目ほどの恩恵には与れないようだ。

アメリカ人クラスメイトのベンツは、アパートがあるペッブリー通り(ペチャブリー通り)ではなく、ラーチャダムリ通り(ラチャダムリ通り)方面へと向かい、ホテル The Regent Bangkok(リージェントホテル) への駐車場へと入っていた。

「バイオリン曲は好きかい?」と訊かれて Yes と答えたが、まさか高級ホテルでお茶をすることになろうとは思いもよらなかった。大金持ちが考えることは分からない。

地下駐車場から吹き抜けのロビー階へとあがると、どこのホテルにもあるようなカフェラウンジがあり、ピアノとバイオリンの生演奏が聞こえてくる。中庭には、質素だが金がかかっていそうなアジア情緒あふれる庭園がある。

アメリカ人クラスメイトは、ハードなカリキュラムに押し潰されて精神科へ通うことになった原因について、カトリックを信仰していないからと断定し、カトリックに入信するよう強く勧めてきた。

「日本では、公立学校の教師に共産主義者が多いため、宗教を軽視または否定する内容の教育が行われている。だから、たとえ特定の宗教を信仰していようとも、宗教については友人と語り合わないことになっている」と言って宗教談義に終止符を打とうと試みた。

「ロシアはまともな国ではないし、ロシア人もまともな人ではない。信仰心のない共産主義者が幸福な人生を送れるはずはないし、まともな社会を建設できるはずがない」と、アメリカ人クラスメイトは続けた。僕たちの早口タイ語議論を眺めながら、日本人出張者がタバコをくわえながら目を白黒させていた。確かに、日本人と白人がタイ語で議論をしているのは普通じゃない。

「あの日本人は、僕たちが英語を使わずに話し合っているのを不思議に思っている」と、アメリカ人クラスメイトは鏡越しに日本人出張者を眺めながら面白そうに言った。

ホテル The Regent Bangkok(リージェントホテル) のアフタヌーンティーは、午後3時~午後6時。ティー(おかわり自由・選択自由)とケーキ2人分(食べきれないほどの量)で560バーツだった。その後、高架電車 BTS 10分の道のりを、クルマで1時間かけて送ってもらい、アメリカ人クラスメイトはさらに2時間半かけて帰宅した。

バンコク都内の主要道路は、雨が降るとすぐに交通が麻痺してしまう。高架電車と高級車、どちらが快適なのか微妙なところ(僕はもし金があれば高級車を選ぶつもり)。

2002年7月16日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2進級試験を明日に控え、およそ1,000語の新出単語が並んでいる単語帳を目の前にして愕然としている。重要単語を250語に絞っても、なお100語くらいを今晩中に覚えなければならない。覚えられなければ、あす語彙補充問題30点をまるまる失うことになる。何とかしなければ!!

2002年7月17日(水)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2進級試験は、これまでの進級試験よりも精神的に楽だった。どう考えても、落ちたような気がしない。150点満点で、90点未満だと放校される。配点はつぎの通り。

授業点  50点
文法問題 20点
長文読解 30点
語彙補充 30点
長文作文 10点
聞き取り 10点

新出単語対策が不十分だったため、語彙補充問題で試験時間の大半を費やしてしまい、ほかの問題を超ダッシュで解く羽目になった。極めつけは、10行の作文を5分以内で完成させなければならなかったこと(それでも、3分で完成させたクラスメイトもいた)。

試験終了後、文学部ボーローンマラーチャグンマーリー館(ホロムラチャクマリー館)前で、アメリカ人クラスメイトと初級1のヨーロッパ人が愚痴っていた。会話に参加しようとしたが、発言前に英文法をチェックしているうちに混乱状態に陥ったため、アメリカ人クラスメイトにタイ語で自分の主張を伝え、それを英語に訳してもらった。自分の英作文能力のなさにはウンザリする。

試験結果は、月曜日までにメールで通知される。

2002年7月19日(金)

ようやく、一時帰国の日がやってきた!! この発展途上国で勉強ばかりの日々を半年間も送ってきたせいで不安定になっている精神状態が、これでいくらか改善されるかもしれない。当初、一時帰国は10月に予定していたが、気分転換のために7月下旬に前倒しした。

ユナイテッド航空876便で、日本へと発った。空港まで、エーンが徹夜で見送りに来てくれた。

2002年7月28日(日)

7泊8日の日本滞在では、1日も休むことなく友人たちに会った。力尽きて、やむなく一部の予定をキャンセルした。連日の飲みで、たぶん4キロくらい太ったが、それなりに有意義だった。避暑と療養を兼ねての一時帰国だったが、面会マラソンになってしまったのは想定外だった。

午後11時10分、ノースウエスト航空1便は、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)に到着した。入国審査場で3ヶ月間の滞在許可をもらい、ターンテーブルへと向かった。日本に帰ったおかげで、在学証明書を発行してもらい、入国管理局で滞在許可を延長してもらう手間が省けた。

ターンテーブルで、さっそく手際の悪さに戸惑った。機内預け荷物の第1弾が流れ始めてから第2弾が来るまで30分以上も待たされた。その間、なにか違法なことが行われていたのか、それとも単に手際が悪かっただけなのか興味深い。

翌29日午前零時ころ、到着ロビーでエーンと再会した。バンコクにいたころには何とも思っていなかったが、日本から戻ってきたばかりのせいか、タイ人の容姿に強烈な違和感がある。旅客ターミナルを出て、そんなことを考えながら、機内で我慢していたタバコを7時間ぶりに吸い、国道まで歩いて行った。空港へ向かっている王族の安全を確保するために立っていた警官が、流しのタクシーを捕まえるのに協力してくれた。

「ふつうなら一般のタクシーが観光客を乗せようとすると規制するのに、あの警官たちは、なぜ君たちがタクシーを止めるのに協力したんだろう・・・・・・」と、運転手が訝っていた。

ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)へと、久々に戻ってきた。照明が思っていたより暗く、家具のボロさにも改めて驚いた。バンコクをたった8日間離れていただけで、ここまでいろんなものが新鮮に映るとは。

2002年7月29日(月)

タイ語の語彙をダッシュで覚えるマラソンタイ語講座、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)が、きょうから再開される。学生数は、2人減少の4人になった。中級3編入試験を受験した西洋人は、文章読解力は優れていたが、語彙力が不足していたため不合格になったという。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級3から、新聞記事の読解がはじまる。薄い教科書のほかに、マティチョン新聞の週刊版が配布された。この80ページ近くもある週刊誌を読破しろと言うのか!?

きょうの授業では、複合文段落と説明文段落の違いと、タイ語の文体について学習した。宿題は、複数段落からなる記事を高級紙から引用、要約すること。文章がタイ語の文法から逸脱しており、報道内容も信頼できないタイラット紙は除外された。

大粒の雨の中、カバンの中身が濡れないように注意を払いながら、ダッシュで帰宅した。宿題をするために、外へ新聞を買いに行こうとしたが、雨が止む気配がなかったので、マティチョン紙のウェブサイトから「米売りが輸出者に化けた! 農産品中央市場公団が関与した50万トンの米売却騒動」という記事をダウンロードした。A4用紙1ページ半分の記事を3時間かけて読み、30分で要約した。

2002年7月30日(火)

きょうの授業では、新聞記事「メーオの休暇、誕生祝いに香港へ飛ぶ」ほか3つを読破した。メーオとは、タイ語で猫の意味だが、平声ではなく高声で発生すると、タイの首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐のことになる。新聞で首相をニックネームで呼ぶのはどうなんだろう? それに、みんなタックスィン首相(タクシン首相)と呼んでいるが、それがファミリーネームではなくファーストネームであることをはじめて知った。本来、タイ語に受動態はないが、新聞記事には頻出する。

タイでは、軍や警察の階級は、違法行為などで剥奪されない限り、生涯名乗り続けることができるという。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2進級試験結果が発表された。総合109.86点(正答率73.24%)で、内訳はテスト71.01点、授業38.85点だった。正答率が毎回のように下がっているが、上級3を終えるまでに一度でも60%を下回ることがあれば、その時点で放校され、発展途上国在住日本人失業者の身分が確定する。

2002年7月31日(水)

きょうの授業は、ニュースを聞き取って、講師の質問に答えるというもの。新出単語は、議会査問委員会、抵抗運動など。

休み時間、講師が別のクラスの講師に英語で書かれているプリントを見せながら「宿題を教えて欲しいんだけど・・・・・・」と訊いていた。ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)で5年間もタイ語を教えているが、同時に大学院生もしているようだ。給料、いくらなんだろう?