2002年4月1日(月)

珍しく学校帰りにクラスメートとMBKに寄り道していたら、かねてから探していた「バカ日本語Tシャツ」を発見してしまった。

『旅行やコインランドリーなどに。スーパートップ。世界初の低温パワフル酵素配合。冷たい水でも汚れを心から分解。ワンパック、洗濯機1回分』

と書いてあるそのTシャツの裏には、洗剤パッケージの裏に書いてあるような使用上の注意などがデカデカと書いてあった。ついに見つけた完璧すぎるまでにアホな日本語Tシャツ!!売り場のおばちゃんに「このTシャツいくら?」と聞いたら、「199バーツ」との返事が。生地の素材からして、もう少し安く買えるだろうと思って、一緒にいたクラスメートにいくらが妥当か相談してみたところ、同じシャツの色違いをチャトゥチャック週末市場で3枚450バーツで買ったということだった。そこで、「これ、150バーツで売ってくれない?シーロム通りで150バーツで売ってたってよ!(大うそ)」と言ってみた。すると、「これは、そこら辺のものとは違って、生地の質が違うんだ。だから、その値段では売れない」と言い返されてしまった。もう、これ以上値引きできないだろうからとあきらめて、「それじゃ、ちょっと考え直してから買うか決めます。さようなら」と言ってその場を去ろうとしたときに、「ああ、いいよいいよ。150バーツで売るから買っていくかい?」と言われて、ばっちりゲットした!

しばらくMBKの中をうろついた後に、留学斡旋会社の人に会いにBTSに乗ってサラデーング駅ちかくの世界的なコーヒーチェーン店「スターバックス」へ行った。そこで、彼からタイ人が留学するときに必要となる諸条件を聞いた。先日、エーンの職場を訪ねたときに、同僚のジョーイから聞いておいてくれと頼まれていたのだ。彼の話によれば、2年間の日本語専門学校に通う場合、

1. 親の銀行預金口座に最低でも70万バーツ以上。100万バーツあれば、容易にVISAがとれる。

2. 大学生の方が留学VISA取得が楽だが、高校卒でも大丈夫。ただし、ラームカムヘン大学の学生の場合は、難航する場合がある。

3. 親と別居しているときはVISAの取得が相当難航する。

ということだった。日本政府はタイ人の不法就労の懸念から、そう簡単にVISA(入国査証)を発給しない。その点からも、日本への留学を考えるときは、まずVISAの心配からはじめなくてはならない。どうしてもVISAの発給を受けられないときは留学先の日本語専門学校を変えてみるのだとか。

もちろん、エーンは全ての条件において「VISAを取得できない条件」に合致している。なお、日本で必要となる金額も、VISA取得条件の銀行預金額と同程度らしい。ちなみに、僕の年間総予算は約50万バーツだ。

明日は、バカ日本語Tシャツを着て学校へ行こう☆

2002年4月2日(火)

きょうも、僕がバンコクでぶち切れそうになる唯一かつ最大の原因で不愉快になった。チュラロンコン大学初級3には午前中に自由討論の時間がるのだけれども、これが相当にくせ者なのだ。

テーマは「戦争」。各国の安全保障政策や第2次世界大戦に関する自由討論だったのだけれども、、、、

(相当に書きにくくて、読み手を不愉快にさせること間違いないけれども、書いてしまう!!)

教養が著しく不足している人と討論するのは、あまりにも苦痛だ。おそらく母国語で話し合っても議論が成立するかどうか怪しいというのに、それを超あやふやなタイ語で切り抜けなくてはならないのだ。

「日本人は、毎年終戦記念日に家族で広島の原爆資料館に行きます」

「もし、日本に皇帝(天皇の意)がいなかったら、日本は国家として存続し得ないでしょう」

などとという妙なことばかりを言う学生までいるので、僕は教室内の外国人に誤解を与えないよう、慎重にそれを訂正して伝えなければいけない。限度を超えた異常な発言は、正しい一般論によって正されるべきなのだ。しかし、彼は反論されると不快感をむきだしにする。そこで、やむを得ず

「それぞれ個人により異なるでしょうが、私は日本人の大半が終戦記念日に毎年のように広島に行くという話を聞いたことがありません」

「それぞれ個人により異なるでしょうが、半数程度の日本人は皇帝がいても、いなくても構わないと思っているという見方が一般的なようです」

と、わざわざ「それぞれ個人により異なる」を付け加えて話すよう心がけている。これが、彼に対する精一杯の気遣いというものだ。

いままで、僕はエーンに学校での出来事、特に同胞のクラスメートに関する愚痴を避けてきたけれども、ついにストレスが限界に達してしまったようで洗いざらい全てを話してしまった。

「一つだけ確かだと言えることは、ケイイチが彼を心の底から思いっきり見下しているってことね」

と彼女の弁。そう、その通りなのだ。そのような相手と議論することほど苦痛なことはないはずだ。

なお、

「チュラロンコン大学文学部のタイ語集中コース(インテンシブタイ)は進度が速すぎるだけでなく、扱う内容も高度すぎるから、授業についていくのが大変だ」

というのがもっぱらの噂だけれども、少なくとも僕の知る限りでは

「タイに住んでいれば、さほど無理なくついていける。学生の大半は大学を出ていないし、語学が得意な人なんてほとんどいない。十分な一般教養すら備えていないものもいる」

といったところだ。そんなことを言っていられるのは初級3までなのかもしれないけれども。

学生の中には、自らを「国立チュラロンコン大学学部生たるエリート」と自称しだしたり、持ち物の至る所にチュラ大グッズを身につけるという始末だ。解釈次第ではタイ国内法に抵触することになるのだとか。

過去の集中タイ語コース受講生の名誉のために、付け加えておく。

「それは・・・、今回のコースの学生の質の低さが異常なだけなんじゃない?きっと、先生達も教員詰め所で愚痴り合っているに違いない」

という話もあるということを。

2002年4月3日(水)

まいった。――とはいっても、容易に想定できる事態ではあったけれども。

きょうの自由討論は「インターネット」についてだった。目覚まし時計の設定を間違えて、いつもより1時間遅く起きてしまい、タクシーの中で教科書を予習しているときからイヤな予感はあった。そして、ついにそのときが来た。自由討論を終えて昼休みに入ろうとしていたときに、

「ケイイチさんは、インターネットに詳しいようですが、このチュラロンコン大学タイ語集中コースについて書いているホームページを持っていますよね?」

と言う話題に。

(そうよ、書いているとも!書いていて何が悪いっ!?)

そう思いつつも、知らんぷりを通そうと決め込んだ途端、さらにホームーページアドレスを突きつけられて、いよいよ逃げ切れなくなった。仕方なく、白状して、

「ありますけれども、タイに関心がある日本人向けに書いているものです。あなた達のプライバシーを犯すような性質のものではありません」

と反論した。しかし、果たしてこのページに書いている内容は個人のプライバシーという観点から許容される範囲内に収まっているだろうか。常識の範囲内で配慮しているつもりだけれども、正直なところ自分でもあまり自信がない。

僕は日本人が大好きな「自主規制」というものを「クソ食らえだ!」と思っている。過剰な自主規制は情報密度を低下させ、ホームページ閲覧者に時間の浪費を強いるものだというのが僕の見解だ。

家に帰り、詳細すぎるまでのアクセス報告プログラムを起動して確認してみたところ、チュラロンコン大学内からのアクセスだけで4件、外国語に翻訳しての閲覧が9件あった。きっと、きのうの日記に書かれている人たちも読んでいるにも関わらず、知らぬ存ぜぬで通すつもりなのだろう。

僕がこのホームページを使って悪いことをしているならば改善する用意はあるけれども、閲覧者にもこのホームページを見ないという権利があるということを、ここに改めて明記しておく。

2002年4月4日(木)

先日、留学斡旋会社の方からいただいた留学関係書籍をジョーイに渡した。彼女の妹はニュージーランドで、弟は日本で留学中だ。彼女自身も日本へ来た経験があって、毎日「あさりちゃん」を読んで日本語読解力を鍛えている。

エーンがひどくふてくされていたので理由を聞いてみたところ、

「ケイイチは私が日本に行けないことを知っているんでしょ?だから、私の前で日本の話をするのはやめてっ!」

ということだった。貧富の差、境遇の差というものがものを言うタイ王国。実際にはそれが真実を正しく捉えているものかは甚だ疑問だが、「国民皆平等」を信じているお目出度い日本人の境遇とは大きく異なる。ここでは貧富と境遇の差だけは実感させられる機会に恵まれていて、どんな勘違いをしていようとも、この点だけは容易に理解できる環境なのだ。

授業が終わった直後にゴーゴーバーのネーチャンから電話があって呼び出されたけれども、

「宿題が山のようにある」

と言って断った。実はホームページのデザインを変更しようと、新デザインを考案中なのだ!

2002年4月5日(金)

きのう電話をかけてきたネーチャンが働いているソイ・カウボーイのゴーゴーバーへ、友人達と出かけた。裸踊りショーが日常化してくると、面白くも何ともなくなる。友人のひとりは、全く踊り子を見ていなかったのではないだろうか。さほど可愛いわけでもなく、面白い踊りをしているわけでもないから、友達同士で話し合っていた方がよほどマシなのだ。

閉店後、サヤームホテルでまずいピザを食べながら、自分だけストレスを発散させまくっていたような気がする。帰宅は午前5時半だった。

なお、サヤームホテルで売春婦から聞いた話では

「警察に捕まっても500バーツも払えば解放される」

ということだった。運良く売春できれば1,500バーツ。売春婦達に恐怖を与える懲罰金としてはあまりにも安すぎるという印象だ。

2002年4月7日(日)

日記が抜けている昨日と、きょうはホームページのデザイン変更作業に追われていた。まだ完成していないけれども、来週末のソンクラーン祭り(タイ正月の水掛け祭り)の4連休には完成させたい。

先週末は、「単語太りをするぞっ!」と意気込んでいたけれども、そんなこんなでこの3連休も明日の1日だけを残すのみとなった。

2002年4月8日(月)

午後から、タイ語の暗記をはじめた。途中、伊勢丹へ食料品の買い出しに出てしまい、けっきょく単語太り計画は頓挫することになった。さらに、帰宅後も勉強を続けたけれども、きょうもエーンが海軍将校と軍のパーティーに出かけてしまい、急にそれが腹立たしくなって夜の街に繰り出してしまった。

まず、スクンウィット15のコーヒーショップで古い友人に遭遇したから、つい先日エーンと話していた「ヤーバーは吸うだけではなく、飲むことも可能か?」という話の答えを聞いてみた。

「飲むって、それはあまりにも危険すぎだよ!」

というのが、売春婦のお答え。彼女らはこれのために売春しているのだから、彼女らに聞いてみるのが一番話が早いのだ。

先日、エーンと

「ラッチャダーピセーク通りにあるスパークというディスコの便所前でヤーバーを売っているらしいけど、アレってどうやってトイレで使うの?」

ということを話し合っていたのだ。彼女は麻薬の経験がないらしくあまり良く分からないと言っていたけれども、ヤーバーは飲めるだろうと言っていたから、とても興味深く思っていたのだ。

僕は、一年くらい前にタイでヤーバーの煙が立ちこめる部屋に通っていたことがあって、吸い方は数種類知っているけれども、飲めるという話は聞いたことがなかった。なお、麻薬密売で日本から強制送還されたイラン人の忠告に従い、麻薬を試すことすらしないと僕は決めている。

2002年4月9日(火)

クラスメートが、集中タイ語コース卒業生による卒業までに必要となる全単語を網羅した単語帳完全版を持ってきてくれた。これを文学部校舎地下にある売店で両面コピーし製本した。250バーツだった。

2002年4月10日(水)

きょうは新学習計画を実践した。家で単語を一通り眺めてから授業を受けるという勉強法だ。成果の方はあまり上がらなかった。単語数の不足が深刻化してきて、この10日間でクラスの中でも平均以下に転落しつつある模様。一刻も早く効果的な学習方法を見つけなければならない。

2002年4月11日(木)

体調の不調を訴えてエーンが仕事を早退して夕方ころに帰ってきていたが、深夜にかけて体調がさらに悪化したから、エーンの友人の助言に従い彼女を病院へ連れて行くことにした。

僕がバンコクで愛用している私立バムルングラート病院(12月下旬の日記参照)はまるで5つ星ホテルのような豪華な建築物でサービスもそれ以上にすごいのだが、一般的な所得のタイ人が支払えるような医療費ではない。さらに、タイには国民皆保険制度がないらしく、各自で保険会社と契約を結ばなくてはならないのだとか。当然、決して金持ちでもない一般タイ人であるエーンがそのような保険に加入しているはずもなく、彼女は医療費が割安な公立病院を選択せざるを得ない。

日にちが変わろうとしている午前零時頃に、バンコク中心部よりもやや北西にある国立マヒドン大学医学部付属ラーマーティッバディー病院にタクシーで乗り付けた。深夜の急患であったにもかかわらず、患者は50人以上もいた。

集中タイ語コースの講師の話によると、「国立病院は医療費が安いが長時間待たされる。一方、市立病院はほとんど待たされることがないけれども、医療費がとても高い」ということだった。医療サービスについては双方に大きな差はないらしいが、国立病院だけあって過剰な装飾はなかった。

予想していたよりも国立病院がまともだったとことに驚き、同行したエーンの友人に、「思っていたよりもしっかりした病院ですね?地方の国立病院もここまでちゃんとしているのですか?」と聞いたところ、「この病院は王様の治療も担当している、国立病院の中でも特殊な病院なのだよ」と教えてくれた。

なお、治療費は急患手数料100バーツに加え、鎮痛剤の注射・薬品代・診察費の小計が107バーツで、合計が207バーツだった。200バーツという額は彼女の日給に相当する。エーンの話によると、タイの医療制度の枠外に位置づけられる一般外国人はこの2倍程度の額を支払わなくてはならないのだとか。

ちなみに、先に述べた医療サービスの質についてだが、バムルングラッド病院の「過剰すぎる医療」とは正反対で「医療費節約型医療」だった。高額な機材を使う精密検査を行う前に、何日にも渡ってそれに変わる医療費負担の少ないあらゆる手段を模索した上で、精密検査を行うようだ。

2002年4月12日(金)

新学習計画その2。授業が始まる前に教科書を一通り読み内容を理解して、新出単語に遭遇するたびに記憶するまで紙に書き殴り、単語や文法事項の重要度を確認してから授業に臨む。

昨晩以来、不調を訴えていたエーンの体調がいっこうに回復する気配がないどころか悪化の一途をたどっていたので、きょうは学校を休んでラーマティップディー病院についていった。集中タイ語コース開講以来、初めて授業を欠席した。なお、一日あたりの授業料は1,000バーツ、約3,000円だ。

クラスに「有名な超一流世界的企業」を辞めてタイに来たという学生がいるのだが、僕は彼の言動・行動等が彼が主張するような知的エリート的なものと正反対であることが以前からひどく気になっていた。そこで、彼の経歴に疑問を抱き調べてみたところ、彼が退職したという企業はすでに5年前に社名変更しており、現在ではさらに有名な超巨大企業へと変貌を遂げていることが2分とかからずに判明した。もし、彼が事実その企業を退職したのなら、それは5年以上昔のこととなるが、彼は「昨年その会社を退職した」と主張している。実際に存在しない企業から退職することが可能になる方法というものがあれば、ぜひ教えてもらいたいものだ。

以前から、クラスの何人かが彼の経歴について疑惑の念をこぼしていたけれども、まさかそれが本当だったとは心底驚いた。

考えてみれば、経歴を証明せよと要求するのは礼儀・信義に反する行為だから容易にはできない。それにつけ込んで経歴を詐称されたら気づくのはなかなか難しくなる。彼の場合は嘘をつくのに際して、あまりにも間抜けな選択をしてしまったがためにすぐに嘘が判明するに至ったけれども、しっかりと調査した上で嘘をつかれたら、嘘がいよいよ見抜きにくくなる。かのアドルフ・ヒトラー(ドイツ第3帝国総統)が自らの著書に嘘の効用について書いていたのを思い出す。文末にその引用を掲載する。

3日後には僕は24歳になる。この年になると、周囲の誰もが教育課程を終えて社会に進出している。人にはそれぞれの過去あり、経歴について紹介される場面も増えてくるだろう。そのときに、それぞれが主張する経歴について、どう考えるべきなのだろう。おそらく、最良の選択は「安易に人を経歴で判断しないこと」といったところだろうか。

そういえば、講師のひとりが彼に①退職した会社名②退職した年をそれとなく聞いていたっけ。思い返せば、そのときの彼の反応の曖昧さも印象的だ。集中タイ語コースの講師、なかなか侮れない。

みんな、つま先で背伸びするのに一生懸命だ。これは、タイに住む先進国の国民性なのかもしれない。

<嘘の効用>—–

彼らはこれに際して、嘘が大きければ、その中に信用される一定の要因がつねに生じるという、まったく理にかなった原則から出発した。なぜなら群集は心の深層において、意識的かつ故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落させられる傾向があり、したがって、かれらの心情の原子的な単純さを考慮すると、彼らは小さなうそよりも大きなうその犠牲となりやすいからである。というのは、かれら自身小さなものごとについて嘘をつきはするのだが、あまりにも大きなうそをつくのは気恥ずかしく感じられるからである。そのような欺瞞はかれらの頭には到底入り込めないであろうし、他人の中のかくなる怪物のような厚かましさや不名誉な歪曲の可能性を信じることが彼らにはできないだろう。それどころか、このことについて説明を受けてさえなお、彼らは長く疑い動揺するであろうし、そしてこれらの根拠のうちの少なくとも一は真実として受けとめつづけるだろう。したがって、きわめて傲慢な嘘からさえも、つねに何かあるものが残って動かないだろう。――以上は、この世界のあらゆる大法螺吹きや嘘つき団体が知りつくしており、そして卑劣にも利用している事実である。

—–『我が闘争』第1巻第10章から引用

2002年4月14日(日)

留学斡旋会社の方から、彼が帰国中に行う彼の会社が主催するイベントに協力して欲しいと頼まれて、留学斡旋会社主催のソンクラーン祭りに参加することになった。この会社は日本人のタイ留学斡旋以外にも、タイ人の日本留学の斡旋も行っており、今回のイベントは日本人とタイ人の交流促進を図ったものだったらしい。

集合時間よりも約1時間早い正午頃にその会社の事務所に到着したのだが、すでにタイ人学生の参加者で事務所はごった返していた。集合時間ちょうどにその事務所が入っているビルの駐車場に移動して集合写真を撮ったあと、2台あるピックアップトラックに分乗して王宮方面へと出発した。

ピックアップトラックの後部荷台に乗るという行為は、日本的な価値観から見ると明らかに異常だがタイでは日常的な光景だ。タイに来て以来、僕はそんな危険な場所に乗るのを避けていたが、きょうは後部荷台に乗った人々が水鉄砲やバケツで見ず知らずの他人に水をぶっかける日である。ここに乗らなければ、戦い自体に参加できない。

最初のうちは、水鉄砲で他人に水をぶっかけるという常識外の行為に快感を覚えてはしゃいでいたが、夕方になっていくにつれて道行く人全てがすでに水をかぶっており、水をかけるという行為が常識そのものに感じてきて、次第に新たな快感を探すようになった。

きょうは曇だったとはいえ、熱帯の真夏。水をかぶっても寒くも何ともなく、これでは他人に衝撃を与えるようなことはできない。そこで、僕たちは車が渋滞にはまるやいなや、コンビニエンスストアへ走り大量の氷を購入しては水に混ぜた。

ソンクラーン祭りは物量戦である。水が尽きたら、あとはやられる一方になる。道路を徘徊する「人に泥を塗って歩く男達」に対する撃退機能も完全に麻痺する。さらに、水の性質も重要で、冷たい水であればあるほど攻撃力が増す。

数度にわたって途中で水道水の補給を行ったにも関わらず、戦い半ばで水が底をついてしまった。あとはただ泥を塗られるのみ。気づいたら髪の毛のてっぺんから足下までどろどろになっていた。

中心部から少し離れたところでは、水鉄砲隊を搭載した戦車同士が遭遇するたびに奇声を上げては撃ち合いを始め、主戦場では同士討ちあり何でもありの混線模様だった。いちばんの餌食は三輪荷台付きバイク「トゥクトゥク」に乗った無抵抗な西洋人達だったかもしれない。

渋滞による経済効果を重視する日本ではまず考えられない、タイならではのイベントだ。

帰宅後、ふろに入ってから友人達と、大バンコク都の南にあるサムットプラカーン県のディスコへ行って酒を飲んで泥水を浴びたあと、タイ人の友人宅で朝までハイネケンを飲み続けた。酔いが回っていくにつれて、文法を無視したひどいタイ語を話すようになっていったが、案外難しいことを話し合っていたような気がする。

2002年4月15日(月)

このタイ正月休みを利用して、ホームページのデザインを更新した。複雑すぎるデザインを改め、見やすさを重視することに努めた。また、自動更新情報に東京都大手町の気象情報を追加した。タイ王国についての紹介ページに詳細なデータを掲載した。勉強は全くしなかった。

2002年4月16日(火)

タイ正月休み(合計4日間)も、きょうが最終日。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)初級3では、小学校1年生から6先生までのタイ語教科書を25日間でマスターすることを目的としている。「集中タイ語講座」というだけあって、毎日のようにスコールのような単語の雨あられが続いている。

せめて1日くらい勉強しておこうと教科書を眺めたが、本来であれば毎日4時間は復習に充てたいところ。

2002年4月17日(水)

夕方、日中4時間のタイ語学習を終えて、ペッブリー(ペチャブリー, ペブリ)18にあるアパート Venezia Residence 664 号室に戻ると、部屋の電話が鳴った。タイ人の友人からの内線電話で、すでにアパートの入口まで来ているという。

「今夜、バーベキューするけど来る?」

ひとりで郊外へ行くのは心細いからと、日本人の友人たちにも声をかけてみたが、みんな予定が入っているらしく、なかなか応じてもらえなかった。回答が来るまでの1時間40分で、きょうの復習と宿題を一気に済ませ、同じアパートに住んでいる友人の部屋へ行き、無理を言って付いてきてもらった。

高速道路を走るエアコンバスで、一路、バンコクの南東に隣接しているサムットプラーガーン県(サムットプラカン県)へと向かった。

バーベキュー会場は、スクンウィット(スクンビット)113にある友人のインターネットカフェだった。店の前を、バンコク都内では決して見ることができないサームロー(サムロー(自転車牽引客車))が行き交っている。友人がエビや豚肉を焼くのに使ったのは、友人が正月に貯金したとき銀行からもらった電熱器。火力はオーブンスター並みで、火が通るまでに何時間もかかった。

「日本人のオンナってイージーだよね?」

これまで24年間日本人をしてきて、これまで日本人女性がイージーだという印象はなかったが、タイ人男性に限らず、どこの国の男性も似たようなことを話している。ちなみに、友人によると、タイ人女性をナンパするなら、ディスコ街 RCA Royal City Avenue(アールシーエー, ロイヤルシティーアヴェニュー) が一番簡単という。

タイには、街中インターネットカフェで溢れかえっている。まるでコンビニエンスストアのように身近な存在だ。その背景には、タイにおけるパソコン普及率が低いこともあるが、客の大半は店内の LAN (ローカルエリアネットワーク)接続による通信対戦が目的のようだ。タイ人パートタイマーの時給が二十数バーツと安いため、利用料が1時間につき20バーツと手頃な料金でサービスが提供されている。日本ではコストがかかりすぎて非現実的だが、ガンガン打ち合うゲームは面白そう。

面白そうなゲームをいくつか分けてもらった。

2002年4月18日(木)

二日酔いが与える、授業への影響は計り知れない。

朝一番のタイ語書き取りテストでは、新出単語の綴り以前の問題として、文章そのものが記憶できない。しかも、自分の酒のニオイが、教室中に充満していないかと心配になる。

授業がある日の昼食は、これまで文学部食堂でタイ料理(飲み物代込み30バーツ)をとっていたが、今月から工学部食堂で西洋風ファストフード(インスタント麺「マーマー」+ベーコン入り目玉焼き, 51バーツ)をとるようになった。どちらもオープンエアーで冷房はないが、ようやくタイ料理から解放された(写真は文学部食堂)。

2002年4月19日(金)

バンコクにおける日本人人なら知らない人はいない、かの有名なタニヤへ初めて出かけた。そして、さっそく失敗した。

タニヤとは、バンコクにおける商業の中心地であるスィーロム通り(シーロム通り)から伸びる、全幅8メートル、全長200メートルの街路で、いくつか商業ビルもあるが、日本人のあいだではもっぱら日本人向けのカラオケスナックがひしめき合っていることで知られている。

カラオケスナック VIP 鶴の細い階段を上ると、さっそく奥へと案内され、ボックス席に腰を下ろすと、周囲の照明が明るくなってホステスが整列した。そのなかからひとりを選んで、一緒にカラオケを楽しむのが、この店の酒肴らしいが・・・・・・

「きょう、お店の人たちとパッタヤー(パタヤ)へ行ってきたのよぉ。超ツカレた~」

こんなカンジで、僕が選んだホステスはヤル気ゼロだった。これでは、無言で密着して座っているだけの役立たず以外の何者ではない。タイに来てから初めての日本語カラオケで自分を満足させて、逃げるように帰宅した。料金(2人分)は、ウイスキー(キープ可能)とホステス2人30分で2,830バーツ。大半は友人が奢ってくれた。日本と比べれば激安だが、サービスの内容にはまったく納得がいかない。

「これは、誰もが経験する登竜門みたいなモンだよ」

友人は、そう言って苦笑していた。こんなことなら、ふつうのタイ人大学生とふつうの会話をしていた方がよほど楽しい。タニヤ通りの日本人向けカラオケスナックは、タイ語が話せない孤独な単身赴任者が癒しを求めに行くためにあるのかもしれない。

ホステスによると、この店のオーナーはタイ人で、20代後半から30代前半の客がもっとも多いという。

2002年4月20日(土)

午前3時ころ、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室で、ふらつきながらシャワーを浴び、冷房が効いている部屋に戻って涼もうとシャワー室のドアを開けた瞬間、停電した。

冷房と温水器を同時に使ったせいだ。電気の使いすぎによる配線用遮断機(ブレーカー)ショートに違いない。そう思って、酔っ払いながらも復旧を試みた。しかし、ベランダにある冷房の室外機からガス放出音(プシュー音)が聞こえるのはなぜだろう? アパートの警備員にブレーカーが壊れて電力を使えなくなったと伝えると、懐中電灯と扇風機(廊下から電源をとる)を用意してくれた。

朝、アパート1階のオペレーター(複数人からなる管理グループ)にブレーカー故障を伝えると、電力技術者を午後2時半に手配してくれた。その間、やむなく別の階にある友人の部屋で涼ませてもらった。

午後2時半、644号室の電力が復旧した。電力技術者によると、昨晩の一件で、電力メーターのヒューズが飛んだせいで停電したという。ところが、使えるようになったはずの冷房を入れても、まったく涼しくならない。昨晩ガス放出音が聞こえたときに冷房用のガスがなくなったのではないか? オペレーターに冷房の故障を報告した。

数時間後、紆余曲折を経て、冷房復旧の目処が月曜日まで立たないことが明らかになった。そのため、日貸し用の標準サイズの部屋を無料で貸し与えられた。しかし、たった数日間のためにデスクトップパソコンを移動するのも煩わしいから、やむなく644号室の玄関とベランダのドアを開け放ち(この部屋の窓は開閉不可)、身体中から吹き出してくる汗に悩まされながら日記を書いている。

こんなに暑いと、すべての作業が大雑把になる。タイ人は怠慢と言われているが、その理由がわかるような気がする。本当に頭がクラクラする。

2002年4月21日(日)

友人に誘われ、アサンプション大学(アッサムチャン大学, ABAC)文学部日本語学科の授業「ツアーガイド演習」に参加した。

アサンプション大学(アッサムチャン大学, ABAC)の学費(年間約100,000バーツ)は、国立大学(同12,000バーツ)の約8倍。そのせいか、先日参加した(キングモンクット大学ラックラバン校)プラヂョームグラーオヂャーオグンタハーンラートグラバング工科大学産業教育学部日本語学科の授業より、全体的にかなりおとなしい印象。

プラチェートポンウィモンマンカラーラームラーチャオォーンマハーウィハーン寺院(ワットポー)を見学し、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)沿いのレストランで昼食(タイ料理)後、渡河船(2バーツ)でトンブリー地区へと移動。

アルンラーチャウォーラーラームチャーチャウォーンマハーウィハーン寺院(ワットアルン)は、旅行ガイドブックで酷評されている。「地球の歩き方」によると、入口付近にある書き割りで記念写真を撮ると料金を請求されるとある。タイの伝統衣装が描かれている、まさにその書き割りから顔を出して写真を撮ろうとしている学生がいるから、注意を促した。

“ไม่เป็นไร คนไทยไม่โดนหรอก”(マイペンライ コンタイマイドーンローク) 
「タイ人なら大丈夫よ」

ところが撮影後、しっかり20バーツ徴収されていた。目の前で、西洋人観光客が市価13バーツのコカコーラに、なんと60バーツも払わされていた。ウワサに違わず、本当にロクでもない寺だ。

バンコク生活5ヶ月目にして、初めて寺院巡りを体験した。

2002年4月22日(月)

タイ語の学習を終える前に予算が底をつくことを恐れて、これまで節約生活を続けてきたが、意外にも黒字になっていることが判明したため、従来の日本食生活を復活させた。

以前、通学路の中間地点にある東急デパート4階の日本料理店「田ごと」で毎日のように特大カツカレーを食べていたが、そのカツに飽きて通わなくなった。そこで、きょうは和風ハンバーグステーキ(120バーツ)を注文したところ、日本にある普通の定食屋くらいの味だった。これなら毎日通えるかも!!

ところで、バンコクの日本料理屋は、まるで高級ホテルのように、付加価値税(7%)にサービス料(10%)を加えた金額を請求してくる。呼んでも来ないようなウエイトレスたちのサービスに、どうしてサービス料が発生するのか納得いかない。

夕方、先週末に壊れた冷房が無事復旧した。これで Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 7階にある無料別荘ともお別れになる。

2002年4月23日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)は、タイ語論文を書くことを目指している外国人向けのタイ語講座。授業では英語とタイ語の2ヶ国語が使われるため、学生たちは英語が話せて当然、という雰囲気がある。

“Do you speak in English?”
「英語は話せるか?」

放課後、文学部ボーローンマラーチャグンマーリー館7階にある教室前で、初級3から加わったアメリカ人学生に英語で声をかけられた。タイ語の発音は、初級1のころエーンに徹底的に矯正してもらったから問題ないが、英会話を実践したことがないため、恥ずかしい発音しかできず抵抗感がある。それに、ある参考書によると、外国語を勉強しているとき、別の言語を同時に勉強してはならないという。これまで作り上げてきた「タイ語脳」が、英語を使うことで破壊されてはかなわない。

“I can speak in English, but I don’t wanna do it.” 
「英語は話せるけど、そうしたくない」

まあ、苦手な英語は使いたくないというのが本音。変に取り繕ったところで仕方ない。集中タイ語講座(インテンシブタイ)を修了したら、つぎはイギリスで英語を勉強しようかな。

それにしても、ここはタイ語のクラスなのに、なんでタイ語ではなく英語を使おうとするんだろうか。

2002年4月24日(水)

「みなさん、怒るべきところでは怒らなければなりません。罵倒されているのに気付かないようでは、タイ語を使いこなせているとは言えませんから」

昼すぎ、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部ボーローンマラーチャグンマリー館7階にある教室で、正規のカリキュラムには含まれていない若者言葉から罵倒語までの日常タイ語を学んだ。

タイ語は、ノリがよく下品という点で、日本語の大阪弁に似ている。エーンも友人と話すときは下品なタイ語を使っているが、僕と話すときだけは上品なタイ語を使っている。言語的子供(外国人)に、汚い言葉を使わせたくないと願う言語的母親のような責任を感じているという。

先生は躊躇しながら教えていたが、お下劣タイ語は日常生活でごく普通に使われている。

それにしても、タイ語は大阪弁に似ている。

2002年4月25日(木)

タイ人は日常生活の中で「タイ人であるからにはゼッタイに勝たなければならない」というフレーズを普通に使っているが、タイ人であることと、勝たなければならないことの関連性について語られることはない。通常、タイ人が優れていると証明できる指標も示されることはない。

サムライコボリ氏作のウェブサイト Thai Articles 2001 (タイ語)は、タイ王国がいかに異常であるかについて、日本人的な視点から痛烈に皮肉っている。ソングラーン祭(ソンクラン祭り)をタイ人中年男性が無邪気に楽しんでいるのはバカそのものという記事もあった。

タイに住んでいるとタイ人社会の異常さに対して無感覚になるが、たしかにサムライコボリ氏の主張は日本人的感覚では正論に違いない。タイ語が読める方は、ぜひお試しあれ。

1週間だけでもいいから、まともな社会に戻りたい。

2002年4月26日(金)

放課後、コンウェーン通り(コンヴェント通り)にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でクラスメイトとタイ語の復習。韓国料理屋で夕食をとり、ふたたび Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でタイ語の復習をした。

午前零時ころ、スクンウィット(スクンビット)15にある売春婦調達 Bar 「トァーメー(テルメ, テーメー)」で、タイ語会話を練習した。ひどい容姿の売春婦とタイ語で話していたところ、比較的マシな容姿の売春婦が近づき、真面目な表情で声をかけてきた。

คนไทยไม่ให้เข้า(コンタイマイハイカオ)
「タイ人立ち入り禁止」

タイ国内で購入した服を着てきたのがいけなかったと後悔するべきなのか、それだけタイ語力が向上したと喜ぶべきなのか。でも、とにかく腹が立った。

トァーメー(テルメ, テーメー)は、タイ風俗情報ウェブサイトでしばしば話題になっており、きょうからの大型連休を利用してタイを訪れる日本人中年男性観光客たちが殺到することも予想される。が、それほどの魅力があるとは、とても思えない。この店にいる売春婦は、ほかの性風俗店に雇ってもらえないような年寄りやブサイクばかりだし、ほとんどが麻薬中毒者でエイズ感染率も高い。唯一の魅力は、女性に囲まれながら安く酒が飲めることくらいか?

ここでブサイクな売春婦を買うのは、ほかより費用対効果が低く、逆に盗難遭ったりエイズに感染するリスクが高すぎる。買春ツアーには、それなりのリスクがともなう。

2002年4月27日(土)

夜、エーンとタクシーで帰宅したところ、運転手がスピーカーの音量を耳障りなほど大きくしたり、何を言っているのかわからないくらい小さくしたりを繰り返していた。

これがウワサの!?・・・・・・と思い、メーターを注意深く観察してみると、メーターに表示されている走行距離が30~50メートルごとに100メートルとしてカウントされ、料金もみるみるうちに上がっていった。

約4.2キロの道のりが5.7キロになっていたが、たかだか16バーツ(約50円)のために死闘を演じるのもバカらしいと思い、無言でタクシーをあとにした。

ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) の入口へと向かう途中、タイにおける100メートルの長さについてエーンに訊くと、「うーん、たぶん50メートルくらいじゃないかしら」との答えが返ってきた。

「アメージング(タイランド)とは、あって然るべきものが欠落しているという意味じゃないか?」と、約1時間にわたってエーンに当たり散らした。

2002年4月29日(月)

放課後、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)6階にある軽食屋 Black Canyon Coffee(ブラックキャニオンコーヒー) でビールを飲みながらタバコをふかしていたところ、友人たちと「つぎ、どこ行こうか?」という話題になった。

この時期、日本ではちょうどゴールデンウイークの真っ只中とあって、日本から友人たちが遊びに来ている。今晩のメンバーは、日本人4+タイ人1。外国人向けの Go Go Bar(ゴーゴーバー)Coffee Shop(コーヒーショップ) では、タイ人立ち入り禁止としている店が多いため、スティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)にある歓楽街へと向かった。

スティサーンウィニッヂャイ(スティサン)6でタクシーから降りると仰天した。ここには、外国人向けの歓楽街があるパッポング通り(パッポン通り)スクンウィット通り(スクンビット通り)とは似ても似つかない怪しさがある。郊外にあるタイ式多層長屋(トゥックテオ)のようなところようなところで、カラオケスナックや Go Go Bar(ゴーゴーバー) が営業している。こんな下町情緒あふれるイケてない民家で、どうやってオンナを楽しめと言うのか!?

興味本位でドアを開けて足を踏み入れると、奥行き7メートルの店内は薄気味悪かった。注意深く観察してみると、店内の老朽化がいかに深刻かわかる。ほかに客は誰もいなかった。ホステスたちの年齢は27~35歳で、これでは「廃屋の中でオバさんと酒を飲む」以外のなにものでもない。

タイ人男子学生は、「ここのオンナたち、ゼッタイにエイズだぜ? 気をつけた方が良いぞ」と忠告した。

一刻も早く店を出たいと学生に同意を求めると、「いま店を出たら、何が不満なのかと追求されて面倒になる。せめてあと1時間半は我慢してくれ」と言われ却下された。とうとう耐えられなくなり、ひとり店を出て、スティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)を散策した。ほかの店は、どこも華やかだった。

約30分後、酔いが醒めてきたところ、「あと、ほんの少しで店を出られるから待っててくれ」という電話が男子学生からあった。さらに30分後、ほかのメンバーたちと合流し、分担金を徴収された。ひとり500バーツで、内訳はホステス指名料200バーツと酒代300バーツ。最初の話では、ホステス30分あたり60バーツと言っていたのに、しかもホステスなんて選んでいないのに、指名料を200バーツもとるとは何事か?

みんな、ひどくグッタリしていた。誰もが「金返せ」と思っていたはず。

その後、スクンウィット(スクンビット)4のナーナーエンターテインメントプラザ(ナナプラザ)へ日本人2+タイ人1で出かけたが、さっきの店で受けたダメージが大きすぎ、午前2時の閉店前には帰宅した。

げに恐ろしきは、スティサンの妖怪。

2002年4月30日(火)

毎度のことながら、進級試験直前になると自分の勉強不足を後悔する。

これまで勉強漬けの日々を送ってきたが、初級3ではかなり手を抜いたため、誤答が急増し、語彙力の不足が深刻なレベルに達している。進級試験対策に万全を期すため、棚からプリントを取り出した・・・・・・が、けっきょく並び替えるだけで終わった。自分の優位性は、もはや発音の正確さしか残されていない。

さあ、あすは試験だ。