2002年1月1日(火)

今日は、バンコクでの初めての正月だ。バンコク市内の名所にはたくさんの人が集って新年を祝った。初めての正月というのは、タイには他に2つも正月があって、それぞれを盛大に祝うからだ。

ひとつ目の正月は今日のグレゴリオ暦における新年。次にタイ王国総人口の約14%をしめる中華民族の太陰太陽暦における正月。最後に、タイ仏教歴における正月がやってくる。僕にとっては今日がタイで迎える初めての正月だから、他の正月のことはあまりよく知らないけれども、今日の盛り上がり方も異常なほどだったから、タイ正月になったらこの街はどんな騒ぎになってしまうのだろうか?

大晦日の夕方頃からアパート周辺のプルンチット通りやラチャダムリ通りが歩行者天国になったのをはじめ、都内各所の主要幹線道路がことごとく通行止めになってしまった。僕はトンブリーから約20キロ西にある友人宅からの帰宅途中に、乗っていたタクシーが通行止めのあおりを受けた大渋滞にはまってしまい、アパートに戻ってきたのが年明け直前の午後11時53分だった。

これから、サヤームやWTCに行っても新年を祝う騒ぎに加われないと思って、大急ぎでアパートのベランダから花火を眺める準備をした。そういえば、タイに来て以来なにか派手なことがありそうな日になると、条件反射的に花火が上がるだろうと期待するようになっている。いま、タイは冬だけれども、それでも日本の夏くらいの気温があって、どんな夜でも日本の夏祭りを演出できそうな気候だ。

12時ちょうどには期待通りに花火が上がった。サヤームを一望できる僕の部屋からはサヤームスクエアの花火をはじめ、ワールド・トレード・センターや出所不明の花火などおそらくバンコク中の花火全てを眺めることができたのではないか。これはバンコクの住人でもなかなか拝めないであろう贅沢な景色だったかもしれない。

先月30日以来の混乱ですっかり疲れ切ってしまっいた僕は、日中は部屋でぐったりしていた。夜に日本人の友達からお誘いの電話があって、いつものお遊びコースを飲み歩いた。明日から大学のタイ語講座が始まるという理由から、午前1時には切り上げて素直に帰宅した。

2002年1月2日(水)

ついに大学が始まった。僕はこのためにタイに来ているのだが、今日までの日記を読み返してみると、どうしてもタイには遊びに来ているとしか思えないのが不思議だ。今日からはきちんと学生らしく勉強しなくてはならない。

アパートの近くにあるバス停から3.5バーツのバスに乗ってチュラロンコン大学へ。バスは約5分でチュラロンコン大学バス停に到着したが、バス停から文学部校舎までの道のりが長かった。徒歩約10分。外国人向けに文学部が開講しているタイ語集中コースのための事務所に寄って写真とパスポートのコピーを渡して、学生証と教本、ヒヤリング用のカセットテープを受けとった。

授業は10時に始まった。学生は合計で9人。うち6人が日本人で、残りはシンガポール人、ドイツ人、カナダ人だ。日本人が多いせいか、授業中に日本語が飛び交ってしまう場面が頻繁にあるけれども、このときばかりは他の外国人に申し訳なく思ってしまうのは僕だけだろうか。「これが群れ意識の強い日本人の悪いところ」と会社から派遣されてきてタイ語を勉強している人が言っていたけれども、それどころか僕は重大な反則行為だと思っている。そもそも、他の外国人ばかりか、授業を進行させている先生すら理解できないだろうから、授業を進めにくいことこの上ないだろう。さらに、タイ人の先生に日本語で質問する局面もよく見られるけれども、そのときに教室内で飛び交う「???」マークは見ている分にはとても楽しいけれども、その言葉を理解している同じ日本人として、彼らに申し訳なく思うだけでなく、とても恥ずかしい気分に襲われる。みんな、早く外国語を話すことに慣れよう!

このコースは「初級1」という最も基礎的な講座なのだけれども、授業の進度は恐ろしく速い。ある程度仕事を通してタイ語を身につけてきたという人もいるけれども、半数以上がタイ語を全く何も知らずに授業に臨んでいる人たちで、おそらくそのほとんどがこの授業には付いてこられないのではないかと、他人事ながらに心配だ。ちなみに初日の今日は新出単語は41個。こんにちはという意の「サワッディー」から大学生の意の「ナックスクサー」、完了を表す「リェーヲ」までバリエーションに富んでいる。文法の方も「私の名前は~」から「あなたは60歳ですよね?」まで全くの初心者には難解を極めるだろう内容だ。おそらく20時間程度のタイ語の予備知識がないと、この授業に付いてくるのは難しいかもしれない。

このペースで進むと、タイ人となんとか会話ができるという僕程度のレベルでは、数日以内には授業に付いていけなくなっているかもしれない。今日は復習を2時間もしてしまった。

なお、1ヶ月おきにある定期試験で60%の合格ラインに達しない場合は強制退学処分になる。

2002年1月3日(木)

タイにはオカマが多い。それどころが、性転換者だっていくらでもいる。電車の中を眺め回しただけで、もし5人の性転換者&オカマをみつけてしまったとしても、それはこのタイでは「よくある日常的な光景だ」で済まさなければならない。

授業の内容は「お別れの挨拶」。「さようなら」から「あなたの旅の安全をお祈りしています」までよりどりみどり。・・・さらにタイ語の疑問詞全て、さらにさらに曜日の呼び方全部!

授業の後に、タイに来たばかりの日本人のお部屋を拝見。インターネットの接続を手助けして帰ってきたのだけれども、戦勝記念塔付近の4,500バーツのアパートに、温水シャワーが付いていないのは値段相応の装備なのだろうか。僕が住んでいるのアパートの標準的な広さの部屋は月々の家賃が5,500バーツだけれども温水シャワーがちゃんと付いているし、サヤームも近くて便利なはずなのだけれども。

今晩は、僕が大好きなすき焼きだった。エーンが伊勢丹で買ってきてくれたのだ!そのあと3時間くらい曜日の呼び方を練習しながら20個の必修新出単語を勉強した。必修でないものは無視。

そんなものまで覚えていたら、夜が明けてしまう。

2002年1月4日(金)

今日は午前中に数字の呼び方全てと25個の単語を習った後に、午後に大学内の施設を見学してまわった。内容としては、売店や週末市場、図書館やプールなどを活用してもよいと言うことだった。タイ王国最古の大学だけあって伝統的なタイ建築の校舎もいくつかあった。

コースの最後にはサヤームスクエアへ。映画館などが集中する若者の街サヤームの一部(サヤームスクエア)がチュラロンコン大学の敷地で民間に賃貸しているというのは意外だった。

今晩も3時間、新出単語25個とタイ文字数字の練習に費やした。高校生の時にこれだけ復習していれば、きっと僕も一流大学に入れていたに違いない!今は、授業に付いていけなくなることだけを恐れて気合いで勉強している。

エーンが発音をみっちり教えてくれているから効率よく勉強できているものの、ほかのみんなはどうやってこれだけの勉強量をこなしているのだろうか。週明けに、それとなく聞いてまわってみよう。

2002年1月6日(日)

エーンとプェンの人間関係は、もはや修復が不可能な水準にまで達してしまったようだ。昨日、プェンが同じアパートに住んでいる日本人の友人の部屋を訪ねて、「もう、彼女の何もかもが信じられない」とぼやいていたとか。僕にもメールで「彼女は私のもの全てを奪い去った」という内容を送ってきたし。僕としては、いつか彼女らの関係が修復されるようにと願っている。

いつもより、1時間も早い7時半に起床した僕たちは、9時半に予約してあったバムルングラッド病院内科へ定期検診に行った。先月末に偏頭痛と便秘で入院した、あの件の経過観察だ。当然のことながら何も問題は見つからなかった。そして、あの日以来、就寝前に必ず飲むようにと言われてきた下剤も、今後は飲まなくてもよいとの許可をいただいた。これで、明日以降は朝のゴロゴロに悩まされずに済む。

帰宅後に昼寝をしてしまって、夕方から徒歩でMBK(マーブンクローンセンター)へ。MBK一階のBTS国際競技場駅側にある美容室でストレートパーマとヘアー・トリートメント、それに散髪をした。料金はそれぞれストレートパーマが1,200バーツ、ヘアートリートメント700バーツ、散髪350バーツだった。僕はヘアートリートメントが70バーツだと聞いたから頼んだのに、この値段なのには驚いた。日本のクラブにいそうな雰囲気の美容師が何度も手直しを加えるという、とてもこだわった髪型だったみたいだけども、仕上がりの方はあまり格好良くならなかった。はやり、細かい注文が通じないのは実に困る。でも、髪の毛は誰よりもきちんと整ったかもしれない。

どこか、安くていい薬品を使っている、よい美容室はないだろうか。

2002年1月7日(月)

今日の授業は今までの復習が大部分と、少しだけ新しいこと(お礼の述べ方)を習った。今日の復習がいつもよりは楽だったことはとてもうれしい。それにしても、単語を発音だけで記憶するのと、文字そのものを記憶してしまうののどちらがより簡単なのだろうか。今日の新出単語「penthangkaan (公的に) 」に関していえば、僕は最後のaの数を書き間違えてしまう。素直に「?」と書いていくれればいいものを――と書きたいところだけれども、正確に発音をできないのだから発音をみっちりと勉強した方がいいのだろう。

今日は、4日の日記に書いた「みんなの勉強状況」を観察するために、授業後に校舎前のベンチでの復習の集いに参加した。参加者は日本人6人のうちの4人だったが、復習の度合いは人それぞれのようだった。でも、やはり授業後に集まって勉強しようと思うだけあって、彼らの危機感はしっかりしているようだ。「勉強しなくても、修了できる」と誤解している60歳の日本人もいるようだが、彼はその根拠を「途中から 『いつでもだれでも好きなレベルに』 編入することができる講座なのだから、当然だれでも修了できるに決まっている」としている。――つまり、彼は「途中からは 『編入試験に合格しなければ編入できない』 」という真実を知らずにいるということだ。お気楽なのは大変うらやましい限りだけれども、おそらく彼に1ヶ月後はないだろう。約1ヶ月おきにある定期試験で60%以上の得点を取れなければ強制退学だ。だれも、彼に本当のことを教えてあげないのだろうか。気の毒に。

夕方から、文学部校舎前でカラオケパーティーが始まった。教員たちが生徒の前で美声(?)を披露していたけれども、彼らの大部分を占める男性教員のうちのほとんどがオカマなのだと、途中から僕たちがタイ語を勉強しているのをめざとく見つけてやってきた日本語を勉強中のタイ人が教えてくれた。彼女曰く「学年には22人くらいの男子学生がいるけれども、彼らの中で本当の男だと言えるのはせいぜい6・7人だろう。あとはみんなオカマ。規則によって彼らは男子の制服を着ているけれども、なんと女子便所に入ってくるんだ!!」と話していた。男が女子便所に入ってきても、女子生徒は大丈夫なのだろうか。次の機会にその彼女に聞いてみたいと思う。

今日の新出単語は22個。うち僕が知らない単語は7個だ。頑張って暗記しよう!

2002年1月8日(火)

時計の電池が切れたせいで一時間の遅刻をしてしまった学生は愕然としていた。彼女が来るまでの一時間に、「時刻の言い方」の解説が終わってしまっていたからだ。本当に、この講座は何を学ぶのにもスピードが尋常ではない。曜日の呼び方を習ったときも、数分の解説しかなかったような気がするし。

今日は運良く家で復習すべき単語が少なかった。時間の呼び方関係の単語は2ヶ月間もタイでタイ人と生活していればイヤでも覚えるようになる。これが分からないと、タイ人の友達とその日の計画も立てられないからだ。――しかし、それをわずか1日間で覚えろと言うほうもすごいと思うけれども。

授業が終わった後に、昨日のように校舎前でお茶をしていた僕たちは、日没前に伊勢丹に入っている紀伊國屋書店へ辞書を見に行った後に解散した。クラスメートたちは僕が持っているのと同じ「音で引けるタイ日辞典」を購入して帰っていた。

夜に、クラスメートの部屋に行って、その友人のパソコンの設定を手助けしてから、3人でバスで200バーツのマレーシアホテルのマッサージ屋へ。前回とは違って、今回はとても上手だった。テレビを見ながらでもなかったし。彼女らはとても気に入った様子だった。何しろ、2時間200バーツは激安だ!

2002年1月9日(水)

今日は復習の日!新しい単語なんて出てくるはずがない!と軽い気持ちで学校に行ったら、その期待はすぐに裏切られてしまった。

新出単語64個。さらに軽い確認テストがあった。出来のほうは・・・なかなかだったかも知れないけれど、「あなたの旅が安全でありますように!」が書けなかったのは悔しい。

あまりの単語の多さに驚いて、同じアパートに住んでいる、以前この講座を受けていた日本人の部屋を訪ねて今後のカリキュラムについていろいろと教えてもらったけれども、彼の話のハードさに僕は相当落ち込んだ。放校処分にならなければ4ヶ月先に受講するであろう「中級1」になると、毎日のように新出単語が100~120語近くも出てきて、一日に8時間程度を予習復習に費やさなければならないだろうという話だったのだ。

中級1の配布プリントを見せてもらっているうちに、彼のクラスメートがタイ人を雇って作らせた単語リストが出てきたから、それを借りて部屋に戻った。この単語リストがあれば、中級の予習時間が半減するだろうと言う言葉を聞いて喜んだけれども、一日分の単語リストを眺めるとやはりブルーにならざるを得ない。「ひからびたミーラ」とかいう単語まであったし。

あまりに気分が落ち込んだせいか、復習もそこそこに寝てしまった。これで、週末に覚えなくてはならなくなった新出単語が64個増えた。

2002年1月10日(木)

受験勉強の時に、いつも単語帳を持ち歩いていたのを思い出す。僕はろくに受験勉強をした記憶がないから、あまり悪い思い出でもないけれども、語学を勉強するからには単語帳は必要かも知れない。

クラスメートの何人かは自分で単語帳を作っているようだったけれども、僕は多少の余裕があったせいか、単語帳を作らなくてはならないという義務感のようなものは感じていなかった。――昨日までは。ところが、昨日の話を聞いてさすがに危機感を感じだしたのか、単語帳を作るべきだと思い立った。

4時間をかけて、エーンの助けを借りながら今日までの新出単語リストを作り上げた。今度、時間の余裕があるときに、その内容をホームページに掲載したいと思う。多少タイ語の心得がある人でも、きっとこの7日足らずのチュラロンコン大学タイ語集中コースのカリキュラムに先を越されてしまったと思うことだろう。

深夜零時には単語帳が完成して、それから今日の復習「日にちと季節の呼び方」と、その関連単語を覚えはじめた。

今日までの新出単語数は388だった。風邪気味なのか、体調が悪いような気がする。

2002年1月11日(金)

風邪のせいか、授業中ずっと放心状態だった。ところが、他のみんなも放心状態だったという。今日の新出単語がいつもに増して多かったからだ。

学校帰りに、クラスの日本人5人とジムトンプソンの店に寄ったあと、スリウォン通りにある海鮮料理店「ソンブーン」へ食事に行った。1人あたり400バーツ程度だった。海鮮料理嫌いの僕でも美味しいと思えたほどだから、その店はきっと美味しいお店だったのだろう。そこにはタイ人の若い女性を連れた日本人中年がたくさんいた。クラスメートの駐在員の奥様たちは「女の人を買うのはかまわないんだけど、日本人がたくさん来るような店につれてくるのは良くない」と話ていた。時々、彼女らの夫の会社の同僚が日本料理店へタイ人女性を連れていることがあって、その時にとてもとまどうからだそうだ。無視するわけにも行かず、バツの悪い場面での挨拶を余儀なくされるのが苦痛だとか。

それにしても、本当に体調が悪い。エーンに頼んで買ってきてもらった風邪薬を飲んで、午後8時半には寝てしまった。

体温は37.9℃。トムヤムクンを食べる前はもう少し体温が高かったかも知れない。そして、明日起きてから覚えなければならない単語は95個もある。

2002年1月12日(土)

昼過ぎまで起きたり寝たりを繰り返していた。それにしても、風邪薬の導眠効果が日本のものに比べて相当強いようだ。昼過ぎにプェンとシェーンが遊びに来たが、すぐに帰っていった。プェンとエーンの間に交わされた会話はほとんど無い。何となくイヤな空気が部屋中に充満していた。

夕方から、昨日の分の単語帳を作って、単語の暗記をはじめた。その間に、エーンがプェンとチャット中にトイレに駆け込んで、服を着たままシャワーを浴び続けるというアクシデントがあったけれども、それでも僕はただ淡々と単語を覚え続けた。

みんな相当にまいっているのかもしれない。僕の風邪はエーンが買ってきてくれた大量のヨーグルト共に消えていった。

2002年1月13日(日)

僕が住んでいるアパートから徒歩15分のところにあるBIG-Cというディスカウント大型スーパーでプラスチック製の戸棚やちゃぶ台、それに教科書付属のカセットテープを聴くためのラジカセを購入。2,700バーツ前後の大型のショッピングになってしまった。出発する前は600バーツのラジカセだけで終わらすつもりだったのに。

最近、日記がとても雑になっているように思える。さっき、簡単に読み返してみたけれども、接続詞の使い方がおかしいのをはじめ、日本語として意味不明な文がいくつもあった。――これでは、日本語を勉強しているタイ人には見せられそうもない。とにかく、時間がないのだ。

明日から、エーンのアルバイトが始まる。サヤームディスカウェリーセンタで週6日労働、月給は約6,000バーツだ。彼女は依然、自分の分は自分で払っている。・・・この部屋の家賃以外は。

人に甘えすぎないタイ人って珍しいかも?

2002年1月14日(月)

どうやら、定年後にタイに来て、僕たちと共に勉強していた60歳の日本人男性が学校を辞めてしまったようだ。家で全く復習をせず、さらには単語を全く覚えていないのにも関わらず、「まいぺんらーい(大丈夫)だ!」と豪語していたけれども、さすがに今後授業について行けそうにないということを自覚したのだろうか。共通語が英語の教室で遠慮もなく日本語を使いまくっていたばかりか、先生が説明しているときにも彼は僕に話しかけてきていたから、彼の会話に対応しつつも本心では彼を相当煙たい存在だと思っている。だから、僕としては彼の今回の事態を歓迎している。彼は先週木曜日から無断欠席を続けていて、今日で欠席3日目だ。あと2日間欠席すると彼は放校処分になる。

しかし、それが明日の我が身だと思うとぞっとしなくもない。彼が僕たちにこれ以上の迷惑を重ねることの無いよう願っている。

エーンの働いている店はサヤーム・ディスカウェリーセンターというバンコクではとても有名なショッピングセンターだけれども、その店舗への今日の来店者数はたったの8人だけだったとか。疲れなくていいだろうけれども、お店がつぶれないかと心配だ。

どうしても、その店のコンセプトがタイ人にウケるとは思えないのだ。

2002年1月15日(火)

良いタイ語辞典というものがなかなか見つからない。お手軽サイズの辞書は掲載されている単語数に問題があるし、かといって単語がたくさん掲載されている辞書は思いっきり大きくて重い。そこで、電子辞書を買おうと決めたのだ。

しかし、タイ語電子辞書は英語をはじめドイツ語、中国語などに対応しているのだけれども、日本語対応版は発売されていないようだった。そこで、やむをえずタイ英辞典を購入。英語は日本から持ってきた電子英日辞典でひきなおさなくてはならない。相当に効率が落ちそうだけれども、毎日学校へ6キロ以上もありそうなA4版厚さ13センチの辞書を持って行くわけにもいかないから、これで我慢するしかない。価格は7,800バーツだった。これは専門用語もカバーしているが、専門用語辞典を搭載していない小型バージョンは2,500バーツ程度でお買い得かもしれない。

しかし、液晶の背景色である緑色が濃すぎて、黒色の文字が読みにくいのが難点だ。

8,500バーツの格好いい方を買えば良かった。

2002年1月16日(水)

毎日、新出単語を暗記するのに追われていて、よけいなことに時間を使うことに強い抵抗を感じるようになってきている。くだらないことをするくらいなら、寝ていた方がよほどマシだと思えるほどだ。

そんななか、突然パソコンでDVDが見られなくなってしまった。僕が日本から持ってきた唯一の日本語ドラマ「アリー・マイラブ」のDVDが見られないなんて、あまりにも悲しすぎる。自分が住んでいるアパートでTVの日本語放送が見られない以上、日本語ドラマをいつでも見られるようにしておきたい。そこで、帰宅後すぐにOSを再インストール。午後4時から始めたインストール作業は深夜2時になって完了した。今日覚えた単語は片手で数えられる程度しかない。また、週末に暗記しなくてはならなくなった単語が数十個増えたのだろう。

マイペンラ――――――イ! (「大丈夫、気にしなくてもいい」の意)

授業中に先生が「 เข้าใจไหม? จำไม่ได้ แต่ไม่เป็นไร (わかった?でも、覚えてなくてもダイジョーブ!)」と口癖のように言っているけれども、テストで合格点に満たなかったときに放校処分の憂き目にあうのは、先生ではなくて僕たちなのだ。マイペンライでは済ませない。

さあ、がんばろう!

2002年1月17日(木)

「日本人の島国根性」

初めてこの言葉を聞いてから、もう何年が経ったのだろうか?そして、今日はその言葉を意味が分かりすぎるというほど分かりすぎてしまって、授業終了時にはゲンナリしてしまった。そのときには、どうしてもクラスメートの日本人と言葉を交わす気にはなれなくなっていた。

開講当初から授業中に教室内で日本人によって使われまくられてきた日本語に、この11日間で誰も抵抗を感じなくなってしまったのか、いよいよ先生にまで日本語で質問する始末にまでなっている。教室にいるシンガポール人やドイツ人が日本語を理解できないのは当然だし、もちろん先生だって日本語を全く知らない。

「え、アージャーン(先生)、これって○○って意味ぃ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

いったい、彼らは何を考えているのだろうか?試しに、今晩バンコク市内所狭しと散在する犬に中国語で話しかけてみることにしよう!もしかしたら、彼らの心情を少しでも理解できるかもしれない。

2002年1月18日(金)

先週末に続き、今日も授業後の会食会があった。でも、今回はいつもと違って日本人だけでなく、外国人もひとり参加している。やっと、僕たちもインターナショナルになれたのだろうか?

英語が極端に苦手な僕は、彼にタイ語での会話を強要していたけれども、もう一人の日本人は堪能な英語で彼と会話していた。日本料理店だったけれども、彼は楽しんでくれただろうか?

もちろん、彼とほとんど言葉を交わさなかった日本人もいる。

なお、料金は一人1,000バーツ!!超リッチだぜ!でも、使った金がリッチに高額でもあまりうれしくない☆ タイに来て以来の初めての「日本風飲み会」で、たっぷり日本を感じてきた。

明日は、どこかの大学で日本語を勉強している学生20人前後とカンチャナブリーへの卒業旅行に同行する予定だ!

2002年1月20日(日)

キング・モンクット工科大学(http://www.kmitnb.ac.th/)。その起源は2503年に日本政府の技術援助により設立されたノンタブリー・テレコミュニケーション訓練センターである。2514年にトンブリー技術専門学校と合併。つづく翌2515年には北バンコク技術専門学校と合併して、技術王ラーマ4世(モンクット王)の名を冠した今日のキング・モンクット大学が形成された。大学(研究所と自称)には7つの理工系学部があり、ラッドカバン地区とラムプラテオ地区の2ヶ所に広大なキャンパスを有している。

過日、日本人の友人からキング・モンクット工科大学芸術学部日本語学科4年生の野外授業「ツアーガイド演習」に参加して、タイ東部にあるカンチャナブリー県に遊びに行かないかと誘われた。そこで、昨日の晩に僕たち日本人はアヌッサワリーチャイ戦勝記念塔近くの高速道路入り口から、ワゴン型小型バスに乗って大学へと向かった。日本人は合計5人で、そのうち2人が初対面だった。僕以外の4人はタイ語を少なくとも半年以上は勉強している強者たちだ!

当初、僕たちは大学寮に宿泊する予定だったけれども、室内に蚊が何十匹もいる上にベッド数が足りないという悪環境を理由に、タイ人大学生が2人で借りている民間のアパートの一室に泊めさせてもらった。

この大学周辺は、もう相当に田舎で日本人とは無縁なところなだけに、アパートの質もバンコク中心部のものよりはかなり劣っていた。家賃は2,500バーツ。冷房・温水シャワーなし。便所はタイ式で、その8畳程度の広さの部屋の床に7人で雑魚寝した。どうやら、この大学の近くは湿地帯らしく蚊が大量発生している!僕たちは一晩中、その蚊の退治に追われてほとんど眠れなかった。――それでも、僕はちゃんと3時間も眠ったけど!

今朝は午前6時起床。予定よりも1時間も寝坊してしまった僕たちは、出発までの約30分間で交替に洗面所を使って、なんとか遅刻をせずに学部所有のエアコンなしバスに乗り込んだ。学生21人と教員2名、それに観光客1人を含む日本人6人を乗せたバスは一路カンチャナブリー県へと向かった。

カンチャナブリー県についての予備知識が全くなかったせいで、僕は到着直後にさっそく仰天する羽目になった。なんと、そこは第二次世界大戦中に日本軍が大量のアジア人労働者と連合軍捕虜の犠牲のもとに完成させた、かの「泰緬鉄道」建設の中心地だったのだ!!

観光ツアーガイドの課外授業というだけあって、彼らは名所ごとに日本語でガイドをしてくれた。ところが、それが睡眠不足でフラフラになっていた僕の脳みそにさらなる追い打ちをかけてきた。ぎこちない間違えだらけの日本語で、過去の日本国の戦争責任を追求する解説を現地の学生から受けて、心穏やかでいられるだろうか?僕は名所を回ってバスに戻るたびに、うるさくてクソ暑いバスの中にも関わらず、ぐっすりと寝入ってしまった。それでも、日本の歴史教科書が教えてくれない、多くの歴史的遺産を観光して回る機会を得られたのは、それなりに貴重な経験だった。

なお、観光の内容は次の通り。

チュンカイ連合国軍兵士共同墓地 / 日本軍鉄道隊による泰緬鉄道建設時に死亡したアジア人労働者および連合国軍捕虜慰霊碑 / クウェー川鉄橋 / 旧泰緬鉄道の旅 / 象に乗る / イカダの川下り

彼らは左右を岸壁に囲まれた渓谷を下るイカダの上でも拡声器を使ってカラオケを楽しむような陽気な学生たちだった。・・・そして、帰りのバスの中も、拡声器あり太鼓ありの即席ディスコで大騒ぎ!!僕はいくつかの下品なタイ語をばっちり覚えて帰ってきた。

来週末は、課外授業「チョンブリーの旅。ツアーガイド演習」。タイ語の暗記に余裕があったら参加したい。

2002年1月22日(火)

チュラロンコン大学文学部集中タイ語コースが開講してから、今日で15日目を迎えた。1日4時間の授業が15日分。合計で56時間分の授業が終了したのだ。

今日までの新出単語数は843個、平均すると一日あたり約60個の計算になる。どの先生も、すべての単語を今の段階で覚える必要はないと言っているけれども、一回出てきた単語はそれ以降の授業で当然知っていなければならないものと言わんばかりに使われる。

僕は他の人に比べて、家での勉強時間が長い上に、タイ人と共に住んでいて日常的にタイ語を使っているという有利性もあって、他の学生よりも格段にタイ語会話の上達が早い。彼らは僕に「日本で少しでも勉強していたのなら、私たちよりも上手で当然だ」と言ってくるけれども、僕が日本で身につけた語彙は開始6日目の時点ですでに授業に追い抜かれてしまっていて、さらにタイに来てから覚えた単語や文法事項も開始8日目には完全に先を越されてしまっている。彼らが言うほど、僕はこの授業が余裕だと言える状況にはない。ちゃんと、がんばっているのです。

さて、今日の先生は先日の日記にもでてきたオカマの先生。彼はチュラロンコン大文学部を主席で卒業した秀才だけれども、男よりも、そしてふつうの女よりも気が弱い。生徒の一人が、「今日の授業はあまりにも早すぎて理解できなかった。何とかならないのか?」と抗議したところ、先生はとても申し訳なさそうに小さくなってしまった。確かに、生徒に分かるように説明できななかった責任は講師にある。・・・でも、きちんと毎日3時間の復習をしていれば理解できたかもしれない。僕は先生に意見を求められて、「今日の授業は理解できたけれども、この膨大な新出単語すべてを覚えきれる自信はありません。今日で授業は15回目になりますが、今日までにでてきた新出単語は何語だと思いますか?およそ840個です」と回答した。先生はすべての単語を覚える必要はないと言っていた。

授業終了後も、日本人同士で校舎の前でどうしたらよいのかと話し合っていた。僕たちのクラスメートの西洋人のひとりは、自宅でもしっかりと復習しているようだったけれども、発音は壊滅的にひどく、おそらく彼のタイ語はタイ人には通じないだろうし、知っているべき単語を覚えていなかったりと苦労が耐えなそうだ。彼は、他に補習のために語学学校に通う必要があるだろうと先生に相談していた。日本人の学生の一部は早くも転校を考えているらしい。

・・・とこで、僕は前出の西洋人には敬意を払っている。もともとユーモアが上手なうえに、とても楽しいキャラクターで好感度◎(二重丸)なだけじゃなく、授業中も先生に頻繁に質問していて、授業全体を分かりやすいものにしてくれている。先生の解説が不十分なときに彼が授業を止めてくれるおかげで、僕にも理解のために必要な時間を作ってくれているのだ。それに、やはり志の高い人を見ていると気持ちがいい!彼は必死に修了を目指してがんばっているのだ。

それに対して、(教室にいる)日本人は文句を言うばかりで努力が足りない。さらに、彼らは早くも開講15回目で、すでに不満があれば辞めてしまえばいいという選択をしてしまっているようで、彼らの話を聞いていると僕のやる気までそがれてしまう。。

さて、1ヶ月後には何人残っているだろうか?すでに、生徒数は開講当時の9人から7人にまで減少している。来月には編入試験に合格した白人が1人編入してくるらしい。僕はニューキャラクターが教室に蔓延する日本語占有率(?)を少しでも減らしてくれるのではないかと期待している。

帰りに、大学からワールドトレードセンター(WTC)まで歩いていって、100バーツのトンカツ定食を食べて帰ってきた。やはり、トンカツ定食は鎌倉山がおいしい。極旨小皿も2皿ついててとってもお得だ!

2002年1月23日(水)

今日はインターネットで知り合った日本人の誘いで、バンコク郊外の町へコンサートを見に行った!同行者の希望により特に名を伏すそのバンドはタイ人なら誰もが知っている有名人だ。

完全にタイ人向けといったカンジの店に午後9時に入店。郊外にある、タイではごく平凡なタイプのBAR風レストランだ。コンサート開始は日にちが変わる直前。バスを乗り継いで午前3時に帰宅した。

それにしても、タイのウイスキーは品質が悪い。サンチップという銘柄のウイスキーらしいが、飲んでいる途中も、酔いが回ってくるというよりはアルコールが頭に打撃を与えるといった感じで、飲み始めた直後から二日ような頭痛に襲われる。そして、たいていその翌朝には頭痛がさらに悪化しているのだ。

タイ語で「品質」は「クンナパァープ」。「品質が悪い」は「クンナパァープマイディー」。語彙数が840もあれば、意外といろいろなことを表現できるぜ!

2002年1月24日(木)

鎌倉山。WTC(ワールド・トレード・センター)6階にある日本料理店だ。今、トンカツ定食が100バーツ!とても安い!と喜んでいたら、以前あった他の安いメニューと寿司が廃止されていた。残念。  でも、絶対にトンカツなら向かいにあるZENよりも絶対においしいし安い。この店の店主は元気な日本人のマダムだ。タイで食べる日本料理は、日本料理からかけ離れていることが多いけれども、この店は○(まる)。僕のお薦め。

百数十バーツの牛丼、まだ生き残っているかなあ?

(続きを読む…)

2002年1月25日(金)

週末恒例のチュラロンコン大学構内市場をふらついた後、午後7時からのタイ語新聞を読む会を見学しに行くために時間をつぶしていたら胃痛になってしまった。昼食に当たったのか、この暑さで消化器系がおかしくなってしまったのかは分からないけど、座っているのも苦痛に思えてきたほどだ。

渡された「スクムウィット通り・ソイ○○にある○○亭」とゆうカンジの紙を見ながら、その食堂へ。大通りからソイをずいぶん入ってきているのにも関わらず、なかなかその店が見つからないから引き返そうとした瞬間にその店を見つけた。あと10秒発見が遅れていたら家に帰ってしまっていたところだ。

早速渡された翻訳課題「一連のロータスデパート・バイクタクシー発着場の利権を巡る争いでロケット砲撃手が自爆した件について、背後で指示していた者の手がかりを探す」に目を通した。僕のタイ語力では、内容はさっぱり分からなかった。文章の構造や一部の単語や接続詞が分かっても、肝心な名詞が分からないのでは文章を理解できない。

とりあえず、ほんのちょい役として参加させていただいてから、彼らがタイ語を日本語に訳していく課程を見学した。最初に、参加者が翻訳したあとに、皆で簡単にその解釈について話し合って、最後にプロの翻訳家が正しい日本語訳を言うという形式だった。皆がどのように訳していくのかという課程を見学できただけでも十分に有意義だった。

タイ語を勉強しているというだけで、交際範囲が飛躍的に広がるというのは歓迎すべきことだ!

2002年1月27日(日)

先週に続き、キング・モンクット工科大学産業教育学部日本語学科のみなさんの観光ガイド演習の授業にお供して、今回はチョンブリー県を訪れた。

チョンブリー県( จังหวัดชลบุรี )は大バンコク都の南東に位置し、その領域にはリゾート地で有名なパタヤ市が含まれている。人口約101万人、県民の平均所得は全国の平均所得とほぼ等しい。(大バンコク都の7割程度)

にぎやかな学部所有のバスに乗って、シーラチャー・タイガース動物園、ナーンヌアン、パタヤパークタワーなどをまわった。パタヤパークビルの約170メートルの高さにある76階からひもに吊されて降りるアトラクションは美しい景色を眺めるというよりは、肝試しの要素の方が強かったかもしれない。アトラクション自体はさほど怖くないのだけれども、列に並んでいるときは心臓に悪かった。

彼らのにぎやかさは本当に尋常ではないのだ。年齢が1歳しか違わないのに、彼らのノリについていけないとは・・・。そうそう、SPEED4人組のようなノリなのだ!

2002年1月28日(月)

チュラロンコン大学文学部集中タイ語講座初級1のクラスは3人の講師によって運営されている。一人の講師が一週間のうちの3日間を担当し、残る二人がそれぞれ一日ずつを担当する。そして、今日は週1回だけ僕たちのクラスを担当する講師の担当日だった。この講師の授業が最も分かりにくくて、家に帰ってから復習する時の僕たちをひどく悩ませている。

一方、この3人の講師のうち、最も分かりやすくて楽しいのは一週間のうちの3日間を担当している講師なのだが、彼女が初級2は担当しないかもしれないと言い出した。理由は、中級のコースを教えるのに挑戦してみたいというものだが、実際のところは別の理由があるのかもしれない。

クラスの西洋人のひとりはこの事態をひどく恐れている。なぜなら、彼のあまり上手でないタイ語に辛抱強くつきあってくれている先生がいなくなってしまうのは、彼の成績不良による退学という事態を招きかねないからだ。先週末、彼は授業を3日間担当している講師に言った。

「先生、このクラスはあなたのクラスです!初級2も私たちを教えてください」

「しかし、この件は確定事項ではありません。したがって、私にもどうなるか分からないのです」

本当に彼は切羽詰まっている様子だ。

――と、まるで対岸の火事のことのように書いているけれども、実のところ僕にとっても重大な問題だ。なにしろ、今日の先生の授業を聞いていると、僕まで混乱して授業についていけなくなるからだ。もし、3日間を担当している講師の穴を今日の先生が埋めることになって、この授業が毎日のように続くようになったら、僕は何も理解できることなく期末試験に臨むことになるかもしれない。つまり、僕の強制退学までも視野に入れなくてはならないのだ。はぁ。。

来月上旬に発表される時間割がとても気になる。そういえば、今日エーンの店に来た客はたったの2人だったとか。彼女によれば3月下旬頃に店がつぶれて、失業するかもしれないとのことだ。

2002年1月29日(火)

エーンの幼なじみが、昨日からエーンと同じ店で働き始めた。給料が大学卒の公務員並に良いうえにろくに客が来ないとあっては、こんなにおいしい仕事はない。

今日は学校帰りにエーンの店に寄って時間をつぶしてから、エーンの幼なじみたちと食事を食べに行った。今日は給料日とあって、エーンは僕たちに夕食をごちそうしてくれた。600バーツ。今日支給された半月分の彼女の給料の約20パーセントに相当する額だ。

お金は大切に使おう。

2002年1月31日(木)

バムルングラッド病院。超ラブリー!海外旅行傷害保険も愛してるゼ。ベイベー!ホテル並みに綺麗で、超サービスがいいのにタダ!

性病検査のために、局部が痛いと嘘をついて検査してもらったけれども異常はなかった。