タイ人のカンボジア観

「その写真、もしかしてエーンにもう見せちゃった?」

ペッブリー18街路にあるアパートできょうはめずらしく大学の制服姿のままやってきたヂョーイがパソコンの画面をのぞき込んで尋ねてきた。画面に映っているのはカンボジア人の暴徒がタイ国王の肖像を踏みつけている写真だった。日本人の友人がメールに添付して送ってきてくれた。

「さすがにこの写真はタイの新聞に載せられないでしょうね。不敬罪(タイ刑法112条)かどうかという以前に、新聞社の電話が読者からの抗議で鳴り止まなくなるから。数ヶ月前にあった『アメリカのタイ料理屋が陛下の肖像を部分的に改変してウェブに掲載したというニュース』知ってる? あのときも何万というタイ人が結束して、その不届き者へ大量に抗議のメールを送りつけたのよ」

覚えている。その晩エーンは国王の肖像が改変されたホームページを見て涙を流しながら抗議行動をするよう友人たちへ呼びかけるためにひたすらメールを送り続けていた。それを思い起こせばこの写真をエーンに見せるのがいかに愚かなことか容易に想像がつく。

シャワー室にいたエーンが戻ってきた。その画像を大急ぎで閉じて、エーンに気づかれないように頭を小刻みに左右に動かして、ジョーイに「まだ見せてない」と伝えた。

どうせ八つ当たりされるのは僕だ。見られていいことなんて何もない。

今晩は「タイ人のカンボジア観」についてエーンと2時間も議論した。ひとことで総括するなら、それは「日韓関係」そのものだった。そのときの内容を詳しく書きとどめておきたい。

「そもそもカンボジアって鬱陶しいのよ。知ってるでしょ? 十分な工業製品を国内で生産できないからタイからの輸入に頼っているのよ。牛乳もそうだしタワシだってそう。カンボジアの国内で流通しているのはすべてタイの工業製品なの。そんなタイに依存しきっているような国の大衆が 『我々はタイ人より優れている民族』 だって? 大笑いだわ。カンボジア人は何をもって 『タイ人より優れている』 と主張しているのかしら? 何もないじゃない。まったく話にもならないわ」

ためしに歴史的にはカンボジア文化のほうが優越しているという説を唱えてみた。論拠として挙げたのは、①カンボジアには紀元前一世紀から続く長い歴史があること、②カンボジア人王朝の「クメール帝国」が一時期この東南アジア大陸部の一帯を支配下に置いていたこと、③タイには700年以上前の記録が一切なくタイ人がどこで何をしていたのかも推測の域を超えないことだった。

多くのタイ人がそうであるように、エーンも普段から歴史的な話題は極力避けるようにしている。しかし今晩に限ってはさすがに積極的な議論に応じてきた。なにしろタイ人の誇りと名誉がかかっている。こうなったらもう死に物狂いでタイ人の優越を唱えるしかない。

日本人に足りない愛国心がタイ人にはある。その思いはとんでもなく強い。そのことだけは絶対に忘れてはいけない。

「えっ? わたしたちタイ人がいつカンボジアに遅れをとったというの? タイはアユッタヤー朝末期のほんの短期間だけミャンマーの植民地になったことがあるけれど、まあそんなのはなかったのも同然よね? でもカンボジアは中世以降ずっと西洋の植民地だったじゃない!」

ここでカンボジアの歴史を紐解いてみたい

カンボジア略史
紀元前1世紀に現在のベトナム・ホーチミン市を中心とするクメール(カンボジア)族国家フナン(扶南)が誕生した。貿易国家として栄えるが、7世紀中頃に対立するジャワ族の真鑞国に滅ぼされた。
西暦802年、ジャヤバルマン2世がカンボジア一の帯をジャワ系王朝から解放してクメール王国(別名:プレ・アンコール朝)を建国し、ハリハラーラヤに都を建設した。
12世紀に入ると、スールヤヴァルマン2世がアンコール(現在のシアムリアップ)に遷都した。アンコールワットをはじめ数々の歴的建造物を建設した。この時期から東の隣国「チャンパ」(ベトナム族)、西の隣国「アユッタヤー」(タイ族)、北西のミャンマー族から侵略を受けるようになる。
1201年、ジャヤバルマン7世の死で国力が急速に衰え、それまで王権によって手厚く保護されてきた小乗仏教に代わってヒンズー教が台頭。アンコール遺跡の仏像などが取り壊された。
1432年、アユッタヤー朝(タイ族)に首都を脅かされたため、現在のカンボジア王国の首都「プノンペン」に遷都。
1863年、フランスの植民地となる。
1953年、国王シアヌークが独立を宣言。国号をカンボジア王国と定めるが、1970年にロン・ノルによってクメール共和国と改められた。1975年にはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が政権を収奪。国号をカンプチア民主国に改めて厳格な社会主義政策を実施した。その中で様々な文化的活動が抑圧され国内のほとんどの知識人が虐殺された。
1979年、ベトナムによるカンボジア侵攻を受けて国号をカンプチア人民共和国に改称。国連の介入でカンボジア王国が成立する1989年まで激しい内戦状態に陥った。

 

高校時代に世界史Bの授業で習った東南アジア史を思い出しながらエーンに反論を試みた。今晩は珍しくエーンが歴史の話題に乗ってきたためここぞとばかりに議論を紛糾させた。

――高校の教科書にはタイを含めた東南アジア全域がカンボジア人の「クメール王国」に支配されたって書いてあるけど?

「されてないもん。タイが植民地になったのはミャンマーにアユッタヤー朝を滅ぼされた時の一時期だけだもん」

――この一帯もクメール王国に支配されたんだよ?

「そのころタイ人はここではなくてもっとずっと北の方にいたの。この地がカンボジア人のものだったのはその通りかもしれないけど、わたしたちタイ人がカンボジア人に支配されたことなんて一度もないんだから」

なるほど。そういう論法があったとは。そのクメール王朝が栄華を極めていた頃にタイ人が何をしていたかというと、北方の誰にも支配されないような小さな村で細々と生活していたという。

「実際にカンボジア人は 『カンボジアは歴史的に優れている。タイ人はカンボジアの英知を盗んだ!』 って主張しているんだけど、過去における繁栄と現代における繁栄のどちらに重きを置いて比較しろっていうの? それ自体かなり無意味なことだけど強いて言うなら私は現代の方が重要だと思うわ。そもそも植民地になってからずっと同じ民族同士で醜い争いを続けてきたせいで発展できなかったような間抜けなカンボジア人たちが歴史的な問題でタイ人にとやかく言う資格なんかないはずよ。でも、わたしたちタイ人が単に恵まれていただけなのかもね。国王陛下がいらしたおかげで幾度も戦乱の危機をこうして乗り越えてこられたんだから。本当に感謝しなくっちゃ」

最後にエーンはこう締めくくった。

「タイは国民総生産でカンボジアの380倍、ひとりあたりの所得でも7倍の格差があるの。タイのライバルとしては役者不足もいいところよ。べつにカンボジア人が勝手にタイ人をライバル視するのは構わないけど、それってタイ人にとっては迷惑なだけの話よね?」

どこの国にも似たような外交問題がある。ちなみに日韓間での国民総生産格差は約12倍、ひとりあたりの所得格差は約4倍。さらに付け加えれば日タイ間での国民総生産格差は約34倍、ひとりあたりの所得格差は約16倍にもなる。

けっこう国家間の民族差別問題って根深いのかもしれない。