2001年11月7日(水)

タイへ留学することを決めたとき、それを機会に日記を書くことにした。いつまで続くかわからないが、後々この日記を読み返してみて「充実した日々だった」と言えるような生活を送るように努力するきっかけになればいいと思う。今回の渡タイに同行する大学時代の先輩にそのことを告げたとき、彼も日記をつけると決めていたそうだ。

初めてタイにきた先輩は、何の違和感もなさそうに普通に振る舞っていた。僕が始めてきたときには「なんて妙なところに来てしまったのだろう」と思ったのだが。この様子だと心配なさそう。と、バンコク到着時は思っていた。

ユナイテッド航空875便はバンコク・ドンムゥアン空港に定刻通り、タイ標準時22:50に到着した。スィーナカリンウィロット大学の学生で日本語を勉強しているサと、彼女の友達のトムとシューが迎えに来てくれていた。現地の友達が空港まで迎えに来てくれるって、けっこういいカンジ!こういう経験は初めてだ。

簡単に挨拶をすませた後、トムはほかの二人よりも先に帰宅した。彼の家は空港の近くにあるらしい。空港からバンコクまではかなりの距離があると思うのだけれども、彼は毎日バンコクの大学へ通っているのだろうか?・・・それとも、スィーナカリンウィロット大はバンコクの中心から離れているのだろうか?おいおい、スィーナカリン大の場所はわかるようになるかも。

僕と先輩は残ったサとシューと共にタクシーに乗り込んだ。彼女らの両親も深夜の外出には否定的な考えを持っているらしく、すぐに帰らなければならないのだとか。たしか、サは18歳だったっけ?

彼女らはBTSアリ駅付近で下車。二人は兄弟なのだろうか。それともご近所さんとか。これも、いつかわかるだろうから、とりあえず保留。

とりあえず、僕たちはラッチャッダーピセーク・ソイ1にあるタナタウィーパレスというアパートに宿泊した。ホテルのように清潔な上に宿泊費が一日あたり750バーツと手頃だ。部屋に戻ってすぐ、タクシーでカオサンに向かった。すでに午前1時を回っていたが、なんとしても先輩にカルチャーショックを起こさせてみたいという興味本位から、飛行機疲れしていたところを強引に連れだした。

まず、先輩が空腹だと嘆いていたので、近所のバミー屋台へ。彼はゴキブリとドブネズミにかなり驚いていたみたい。きれい好きな彼には、屋台は馴染まないのかもしれない。バミーの味は評価していた。あんな、怪しいお湯の中に麺が入っているだけのような麺が美味しいなんて、僕にはわからないけど。

――その後、カオサンに行ったがどの店も閉まっていた。心配になって近くの工事現場で働いていたタイ人に、ディスコはすでに閉店してしまったのかと聞いてみたところ、「ぴぃっとりぇーを(すでに閉店した)」との返事。仕方なく午前3時頃に帰宅。

帰宅後に気づいたのだが、彼は相当げっそりしている様子だった。聞いてみたところ、発展途上国特有の食品衛生についての価値観と、道路整備のお粗末さが受け入れられなかったのだそうだ。それと、カオサンにいた日本人に強烈な抵抗感を持ったのだとか。もしかしたら、価値観が保守的な人には、この街は向いていないのかもしれない。

2001年11月8日(木)

今朝は内容の濃い一日だった。昨晩、夜更かししてしまった僕は午前10時頃に起床。同行の先輩は午前7時頃に目が覚めてしまったらしく、睡眠不足気味だ。僕が眠っている間、彼が音楽を聴こうと、わざわざ日本から持ってきたパソコン用外付けスピーカーをダイレクトにコンセントへつっこんだらしくお釈迦にする。定格100vの機械に220vの電流を流したら、壊れるのも当然だ。・・・たぶん、寝ぼけていたのだろう。

正午過ぎに僕たちはタクシーでマーブンクローンセンター(MBK)に行った。MBKは若者の街「サヤーム」の駅から徒歩で5分程度のところにある巨大なショッピングセンターだ。

タイ人の友達をたくさん作って、毎日のようにタイ語を話す――というのが僕が描いている最良のタイ語学習法だ。大学が始まるまでまだ2ヶ月もある。この時間を利用して、とりあえずタイ語に慣れておきたい。

友達と連絡を取るためには携帯電話が必要みたいだ。タイ人の大学生も携帯電話を持っているのが一般的だ。マーブンクローンにはそれを買いに来た。ところが、日本でだと1円でも誰も買わなそうな液晶単色・巨大重量級携帯電話が3,500バーツ、同様に液晶単色だがデザイン的にぎりぎり受け入れられるような有名メーカー「NOKIA」製携帯電話が17,000バーツもする。日本円に換算すると、なんと約46,000円だ!!この値段はおかしいと思って、昨晩空港まで迎えに来てくれたサにMBKまで来てもらった。この値段の異常さは「日本人価格」なのではないかと疑ったのだ。

1時間半後にサが到着。噂で聞いていたとおりタイ人は時間にルーズなのだろうか?当初返答より30分の遅刻だ。彼女は何度も謝っていたが、突然呼び出したのは僕の方だから、あっさりと許してしまった。

結局、店側の言い値は相手がタイ人でも変わらなかった。日本で5000円も出せば買えるような低性能・低機能かつ貧弱デザインの携帯電話に多額の投資をするのも馬鹿馬鹿しく感じてしまって、タイ人から馬鹿にされてもかまわないと割り切って3,500バーツ――それでも約10,000円もする――SAGEM製を購入。

次に、アパートを探しに行った。毎日、宿泊費に750バーツも費やしてしまっては、ソッコウで金が消えてしまう。一日も早くアパートを借りたいのだ!

来年1月から通学予定のチュラロンコーン大学からできるだけ近くにあるアパートに住みたいと思って、大学のあるパヤタイ通り沿いに住みたいという希望をサに伝えた。そこで、ヂャーリーと合流。彼女もスィーナカリンウィロット大に通う、日本語を5年間も勉強している、グッドジャパニーズスピーカーだ。とりあえず、パヤタイ駅周辺のアパートを探してみたが、どこも僕が希望する家賃よりも相当安く、質も低かった。また、戦勝記念塔駅周辺はソイ(小街路)が絶望的に貧しい雰囲気を醸し出していたから却下。いろいろあったけれども、ラーチャテウィー駅近くのアパートに落ち着く。

その部屋は15畳くらいの広さのワンルーム。決して豪華とは言えない家具が、さしあたり生活するのに困らない程度はある。シャワー・トイレ一体型でバスタブはない。タイではこのタイプが一般的なようだ。アパートは7階建てで、僕の部屋はその6階にある。エレベーターの正面にある角部屋で、ほかの部屋よりも1.5倍程度広い。そして、その分家賃もほかの部屋よりも高い。さらに、高層階にあるためサヤームが一望できる・・・ための費用(風景料金?)がさらに毎月500バーツ。合計、毎月8,000バーツだ。オペレーターと呼ばれる管理人や警備員も親切そうで、なかなかいい雰囲気なような気がする。

手付け金を払った後、サとヂャーリーと別れ、先輩と食事に行った。鎌倉山という名の日本料理屋で、ワールドトレードセンター(WTC)の6階にある。バンコクでの、僕の一番のお気に入りだ。そこそこの値段で美味しい日本米と日本料理を味わえる。普通、バンコクにある日本料理専門店の料理は日本での相場よりも高めだが、ここは日本の半額程度でちゃんとした日本料理が味わえる。――そういえば、シーロム・ソイ6にある「徳利」という名の半地下にある飲み屋の料理は最悪に不味くて、決して日本料理とは言えないような「日本料理風料理」だったけれども、それでも500バーツも取られて激怒したことがあったっけ。そのときの僕の怒り様を見ていたタイ人の友達が、とばっちりを受けるんじゃないかって、とても怖がっていたとを後日談で知った。

食事を食べながら、今日一日中ムスッとしていた先輩に「僕のタイでの人間関係を破壊するつもりなのか?」と問うてみた。夕方頃、ヂャーリーが「彼はイヤなカンジだ」と言っていたのを例に出して。言語が通じないタイ人とのコミュニケーションには日本人とのコミュニケーションよりも、より慎重な注意が必要だ・・・と僕は思う。

夜、タイ人のメール友達に初めて連絡を取った。明日、家電を買いに行くことを告げると、同行してくれると言ってくれた。本当に助かる。さらに、週末にパタヤに行くから一緒に行かないかと誘ってくれた。まだ会ったことのない人たちと行くことになるけど、二つ返事で一緒に行くと約束してしまった。彼女の友達がリゾートマンションをパタヤに持っているらしく「宿泊費はタダ!あなたが大好きな無料だよ!!」ってゆう言葉にコロリとやられてしまったのだ。

午前0時頃、知り合いの日本人の部屋に遊びに行く。そこに、もう一人の日本人が合流した。そこからは40分程度で引き上げて、帰り道にスクムウィット・ソイ15にある売春婦が集うバーに行ってみた。本来、そこはそのような目的である店ではないらしいのだが、いつの間にかそうなっていたのだそうだ。僕はもっとタイ語を話したいって思って行ってみた。無論、僕にはそこでショッピングを楽しむほどの金はないし、タイ人のエイズ罹患率2%――売春婦に関しては50%前後であるという推計がある――というリスクに立ち向かえるほどの勇気もない。

そこで、日本人の友達がいると言う30歳前後の女性(売春婦)と2時にコーヒーショップが閉店した後、屋台でビールを飲みながら午前4時頃まで話した。周りでは、時間内に買い手がつかなかった売春婦たちが場外戦を繰り広げていた。ビール代とつまみ代は全部彼女が持ってくれた。それにしても、みんな仕事熱心だ。

ラッチャダーのアパートに戻って、買ってきた携帯電話の開通テストをするために公衆電話から携帯に電話をしようと何度も試みたが、なぜかうまくいかない。アパートのロビー奥で大量のビールをを飲んでいた女性に公衆電話と、タイのプリペイド式携帯電話の使い方を習った後、彼女の飲みにつきあった。

「私は母を養うためにカラオケ屋で働いているけれでも、毎晩のようにそれが淡々と続くばかり。もう30歳にもなったが、いまだ彼氏もいなくて、いつも一人ぼっちで悩んでいる。体を売れば簡単に事態を解決できるのだけれども、それは良くないことだからできない。売春ができればどんなに楽なものだろう」

そういって、彼女はうつむいてしまった。そんな話に午前7時までつきあった後就寝。ここでのビール代もタイ人が持ってくれた。今日はタダ酒のみのサバーイ(fine)な日だ。

2001年11月9日(金)

今日はタイ人のメール友達プェンと正午にワールドトレードセンター(WTC)のマクドナルドで会う約束をしていた。――が、昨晩が寝たのが今朝の8時(!?)だったから、もちろん起きられず、思いっきり遅刻してしまった。

起床後、急いで銀行へ行って、家賃と保証金を支払うためのお金をバーツに両替し、ラーチャテウィーにあるアパートに入居した。手続きはあっという間に終わった。その後、――昨日、僕の人間関係を危うくさせた――先輩を新居に残して、WTCへ向かった。すでに、1時間半程度遅刻していたので、大通りでモタサイ(モーターサイクルの略でバイクタクシーのこと)を拾って、「60バーツでもいいから、とにかく急いでWTCに向かってっ!」と言ってバイクの後部に飛び乗った。降りたときに、彼は僕にワイ(両手を顔の前で合わせて、敬意を表する行為)をして最大級の感謝の念を示していたけれども、60バーツってそんなに相場からかけ離れた額だったのだろうか?・・・次回からは節約を心がけよう。

1時間40分遅刻で、名門タマサート大学に通っているプェンとその友人エーンと会うことができた。とりあえず、まだ朝食を食べていないことを告げてから、ビッグマックセットをたいらげた。どうも、プェンは僕の遅刻に腹を立てているらしかったけど、大丈夫だって言ってくれた。普通、1時間40分も遅刻されて怒らない方がおかしい。

まず、WTC内の日系百貨店伊勢丹の5階電気売り場で変圧器を購入した。お気に入りのドライヤーをすぐにでも使いたかったし、日本から別送便で送った機械類も100vでないと使えない。2000ワット・ヒューズなしが1785バーツだった。聞くところによると、この値段は日本で買うよりも相当安いらしい。

途中、歩道橋を横断した。余裕で手が届く位置に電線が走っていた。

「この電線って、すっごく危険じゃない?大丈夫なの?」

「えっ?これって普通だよ。どこもこんなカンジだと思うけど・・・」

「そういえば、政府は路上にたくさんいるの犬を処分しないの?日本なら、見つけ次第、直ちに処分しているのだけど」

「タイでも政府が処分しているのだけど、予算が足りなくて、十分に処分できていないみたいね」

――タイって、基本的な部分で日本とすっごく差があると思う。特に安全基準や衛生基準に関しては、数十年の開きがあるような気がする。でも、手が届く位置にある電線も気をつければいいだけなのだし、食品衛生も・・・気をつければきっと大丈夫だと思う。そう思うと、日本の基準はあまりにも過保護だという気がしてきた。

つぎに、ラマ3世通りにあるテスコ・ロータスで生活消費財を購入。合計で5,120バーツだった。全部で24品目もあるそれらを持って、今度は郊外にあるタイ人向けショッピングセンター「Macro」でPhilips製21インチ型フラットテレビを12,290バーツ、三菱製ワンドア冷凍庫内蔵冷蔵庫を4,880バーツ、大宇製洗濯機を9,990バーツ、勉強机を1,790バーツ、椅子を1,429バーツでそれぞれ購入した。いま住んでいる部屋にも椅子は標準装備されているのだけれども、それはプラスチック製のベンチみたいな椅子なのだ。――これではとても勉強ができない。

店員がずっと「これ、全部で30,000バーツなんだよなぁ・・・」とボソボソつぶやいていた。聞いた話だと、名門大学出の大卒初任給が9,000~13,000バーツだという。おそらく、売り場で働いている彼の所得はそれ以下だろうから・・・たしかに恐ろしい額なのかもしれない。

買い物が終わって、発送手続きをしてもらおうと思ったら「搬送サービスはない」とのこと。困り果てて、店の前に止まっていたトゥックトゥック(三輪荷台ベンチ付きバイクタクシー)を3台も捕まえた。交渉の結果、3台で500バーツということで決着した。とにかく、選択肢がなかったからそれで手を打ったが、普通トゥックトゥック一台に166バーツも払う客なんているのだろうか?でも、もしかしたら正規の価格だったのかもしれない。荷物が大量にあったし。

帰宅後、プェンがテレビや冷蔵庫の設置を手伝ってくれた――その結果、彼女が家に帰るための終バスがなくなってしまった。友達にお金を渡すのは良くないと思って、午前0時頃にタクシーで彼女を家まで送った。ラーチャテウィーからバンコク郊外33キロのところにある彼女の家を往復してタクシー代330バーツを支払った。日本でこの距離をタクシーに乗ったら25,000円くらいはするだろう。タイでのタクシーは日本の公共交通機関程度の値段だ。とにかく、深夜まで引っ越しのお手伝いをしてくれた友人に感謝。なお、同じ部屋に寝泊まりしている大学時代の先輩は終始眠っていて何一つ手伝ってくれなかった。彼への不満は募るばかりだ。

2001年11月13日(火)

今日、アメリカでまた飛行機事故があったらしい。プェンが持ってきたタイ語新聞で知ったのだ。もちろん、その詳細はよくわからなかった。この事件に関心を持った先輩が、日本語新聞が欲しいと言ったので、近所のWTCにある紀伊國屋書店で日本経済新聞を購入!85バーツだった。

帰り道あるバンコクの秋葉原「パンティッププラザ」に寄って先輩の買い物に付き合う。マイクロソフトが怒り出しそうなCDを山ほど買って帰宅。その後、プェンとMBKに行って、これもローレックスが怒り出しそうな時計に「メルセデスベンツ」って書いてある腕時計を交渉の結果、600バーツで購入!これで、時計泥棒なんて怖くない!

2001年11月15日(木)

明日の未明、先輩は日が昇る前に日本に帰国する予定だ。当初予定では、彼は僕と共に21日に帰国する予定だったけれども、彼にとってのバンコク滞在は苦痛そのものだったようで、週末にある高校演劇を見に行くために予定を早めたそうだ。僕としても、毎日不機嫌な人と共に行動するのが精神的に限界に近くなってきていたので、彼の早期帰国を歓迎している。

彼の土産を買うために先輩とプェンと3人でMBKに行ってロレックスの腕時計を購入。1200バーツだった。ちょっと、作りが雑なような気がする、ベルトの部分が思いっきり安っぽかったけれども、その時計にはちゃんと「ROLEX」と書いてある「ロレックスの腕時計」だ。

明日は午前3時に空港に出かける予定。深夜はBTS(高架鉄道)が走っていなくて移動できないという理由から、エーンは僕の部屋に泊まった。

2001年11月16日(金)

午前4時、僕・先輩・それにエーンの3人はドンムゥアン国際空港にいた。プェンは空港で働いている母親と共に登場!すかさず逃げだすエーン!!

――逃亡者エーンは彼女の母親から相談を持ちかけられているプェンの母親から無事逃げ切ることができるのか!?

エーンはプェンの母親が仕事に行った後に戻ってきた。そして、先輩が出国のゲートをくぐるのを見届けた後、僕たちはタクシー乗り場に直行して朝の渋滞に巻き込まれながら車内ぐっすりと眠った。

帰宅後、さらに睡眠は続いた。

午前10時頃、ヤマト運輸に発注していた別送手荷物が到着する。内容は、パソコンとその関連機器、炊飯器、ビデオデッキ、書籍等だ。しかし、パソコンが動かない!!半ば腹を立てながら、冷静な風を装ってヤマト運輸に問い合わせた。原因はおそらくハードディスクの破損だろうということになり、睡眠不足の僕たちはパンティーププラザでハードディスクを購入した。なお、修理に必要な費用はヤマト運輸がかけていた保険によってカバーされるらしい。「自分で修理屋に頼んで修復させてもかまわない」とのこと。決して、修理の面倒までみてくれるわけではないということに、僕は相当腹を立てた。

買ってきた新しいハードディスクを設置するためにパソコンを開いたら、中には部品が散乱していた。特にCPUクーラーのファンを固定する突起部が破損していて修復ができない。僕は勝手に、誰かが輸送中にパソコンを投げたか、飛行機が墜落寸前の勢いで着陸したかのどちらかだろうと決めつけることにした。

今日タイ人から習ったタイ語 :

บริษัทยามาโทไปตายซะ 【ボォリサット・ヤーマートォー・ハイターイサッ】

その後の対応が良かったら、この暴言を撤回することにする☆

2001年11月17日(土)

今日も一日中、パソコンの復旧に追われる羽目になった。昨晩の時点で、故障の原因がハードディスクではなくマザーボードとCPUであることは判明していたのだけれども、それに気づいたのが閉店時間後で買いに行けなかった。今日はそれらを買いに行ったのだ。

しかし、僕はパソコンの故障の原因がマザーボードとCPUだと断定できるほどパソコンには詳しくなかったから、それらを直接パソコンショップに持ち込んだ。――実は、ハードディスクが故障の原因ではないような気がしてきて、昨日買ったハードディスクが完全に無駄な買い物であったような気がしていたのだ。

駄目もとで、僕たちはパソコンショップに持ち込んだマザーボードとCPUが本当に故障の原因なのか調べてもらえないかと依頼したところ、あっさりと引き受けてもらえた!タイのパソコンショップって、けっこう親切!今は、手元に資料がないから書けないけれども、後で探してここにショップの名前を書きたいと思う。

やはり、故障の原因はマザーボードとCPUだった。マザーボードとCPUを購入して、さらにその部品を取り付けてもらった!――本当に親切だ!!なお、パソコン部品の相場は日本と同じくらいだった。

家に戻り、僕はパソコンの修理に取りかかった。まだ、マザーボードとほかの部品が合体していないのだ。エーンは彼女の友達の家に泊まると言って帰宅した。彼女はパタヤ旅行以来、依然家出中。当初、簡単に終わると思っていたパソコンの修理は深夜になっても終わらなかった。マザーボードと電源制御やパソコンケースについているRED(発光ダイオード)とを接続する部分がどこなのかわからなかったのだ。

結局、英語に強いプェンに英文の説明書を読んでもらって解決!・・・でも、すでに彼女の終バスはなくなってしまっていたから、今日も彼女の家までタクシーでお見送り。それにしても、ここまでの労力を費やさせる原因になったヤマト運輸の海外別送サービスには本当に幻滅した。相当むかついている!そもそも、この発展途上国の英語が通じない国で、パソコンの部品を自分で買ってきて購入しろと言う時点で、かなりめちゃくちゃ負担を強いているのではないかと思う。

ここが日本だったら、電話越しに怒鳴りつけても許されるレベルではないだろうか。

昨日の日記にあるタイ語だが、社名の後に「死んじまえ!」という意味のタイ語が続く。

2001年11月18日(日)

バンコクにも遊園地がある。経営学的見地からは、これだけの人口を抱える都市に遊園地がないはずがないという。遊園地の存立は後背人口の大小に左右されるのだそうだ。バブル崩壊後の日本において、3大都市圏からはずれた立地にある遊園地が次々と閉鎖に追い込まれたのもこの理論から説明できるだろうと、大学時代に教授から教わった。

睡眠が足りない。とても眠い。今日は、いつもの友人プェンとエーン、そして日本文化――特にポップミュージック――マニアのシェーンと一緒に、バンコク郊外のドリームランドという遊園地に行って来た。そこは日本にある遊園地と比較しても、特に遜色がない程度の規模と設備を有しているバンコク最大の遊園地だ。・・・ディズニーランドは例外だけれども、日本にあるほかの遊園地なんて、たかがしれている。

シェーンは車で僕のアパートまで来た。ドリームランドはバンコクの中心地――すなわち、僕のアパートがあるところ――からだいぶ離れたところにあって、バスで行くにはかなり骨が折れる。そこまで車で移動できると知ったときは、メチャメチャはしゃいでみた!マジでうれしかった。

バンコク・ドンムゥアン空港の先にその遊園地はあった。このあたりはもうだいぶ田舎だが大型ショッピングセンターがいくつかある。車を駐車場に停めて、チケット売り場へ。園内の掲示には英語ばかりでなく、必ず中国語が併記してある。駐車場にも、いかにも中国人向けだというカンジの観光バスが何台も停まっていたけれども、中国人は遊園地が好きなのだろうか。そういえば、以前香港に行ったときに見た旅行代理店には、壁いっぱいに東京ディズニーランドのポスターが貼ってあったっけ。

しかし、この表記がなかなかのくせ者だ。あまりにビックリして、写真まで撮ってきてしまった!これが世に言う二重価格というものである。英語では入園料(それぞれの乗り物に一度ずつ乗れるチケット付き)が450バーツと書かれているのに、タイ語表記の方では290バーツと書かれている。友人に説明を求めたところ「あれは『外国人価格』だ」と言っていた。僕は、きちんとタイ人向け正規価格で入園した。

日本の遊園地の印象というのは、待ち時間が長くて、アトラクションに乗っている時間は短いというものだろう。そして、乗り終わった後は「もう終わっちゃったの?」ってカンジだけど、さすがは「アメージング・タイランド(タイ政府官公庁が提唱するタイ旅行推進キャンペーンのスローガン)」。遊園地も、もちろんアメージングだった!乗り物に乗っても、なかなか終わらない。気持ちが悪くなってきたからそろそろ終わって欲しいという、日本だったらとっくに終わってそうな時から、さらに時間が2倍も3倍も経過してからやっと終了する。そして、待ち時間なしで次のアトラクションへ。さらに、あらゆる公的基準が緩やかなタイらしく、安全面での懸念が大きいアトラクションばかりで超ハードだ。たとえば、上の写真の「バンバン・カー」というアトラクションでは、この密度の中で、普通にゴーカートが走る速度で車同士をぶつけ合う!!日本だったら、アトラクション終了後に殴り合いのけんかが起こりかねないコンセプトである上に、ちょっと油断したら衝突の衝撃でむち打ちになりそうだ。さらに、カート後部から伸びているパンタグラフは――アトラクション待ちの列から容易に手が届く位置にある――電流が流れている天井から電源を供給している。・・・唖然とした。

アトラクションを13個程度乗り終えた2時間後には、もうぐったり。アトラクション施設の壁により掛かりながら30分も座って寝むり込んでしまった。もう、なりふり構っていられないくらい眠かったのだ。

サービス満点!メチャメチャ楽しい!!そして、マラソンのようにキツい遊園地だった。

そして、夕方の地獄の帰宅ラッシュにはまりながら帰宅。

そうそう、帰りにドリームランド近くのシェーンが両親から買い与えられた家に寄った。日本の一般的な家屋よりも豪華な建物にビックリ。みんな、僕より金持ちかもしれない。

今晩、エーンは僕の部屋に泊まった。いま、彼女は僕のベッドの隣にあるシングルベッドでぐっすりと寝ている。もちろん、彼女とは正しい友達関係を続けている。

2001年11月19日(月)

バンコクでは売春が盛んだ。田舎の農家出身から、大学在学中の売春婦まで1,500バーツで選り取りみどり。また、普通に酒を飲む値段だけで見物できる裸踊りのバーや、売春目的の者が集うバーやディスコが各所にある。

昼間、遊びに来たプェンにさんざん体中をくすぐられた後――タイ語では「チャカチィイ」というらしい――、知り合いの日本人と共に飲みに行った。今回の飲みは僕の歓迎会だっていうことになっている。ありがたい。タイ語が話せて、女の子と飲めるペッブリー通り沿いにある売春婦が集うバーへ行くということに決定!どうせ、どこで飲んでも費用はおなじだ!

さんざんくすぐられた後だった僕は疲れていたせいか、バーでぐっすり寝てしまった。その間に、何ヶ月もタイ語を勉強している友人たちが、いつの間にか30歳前後の売春婦と意気投合。僕が起きた頃には、すでに彼女の家にプレイステーションをしに行くということで話を付けていたらしい。

その後、彼女のおごりで彼女の部屋でビールを飲んだけれども、味に違和感を感じて誰も飲まなかった・・・けど、もともと、ハイネケンビールってああゆう味だったのかもしれない。僕の部屋で友達が待っているからと言って、僕だけ午前4時頃にタクシーで帰宅。

そうそう、家出人は居候人になりつつある。

2001年11月20日(火)

バンコクに来て、後1日で2週間が経つけれども、いまだ自分の時間を持てずにいる。友達に恵まれて退屈しないのはいいことだが、自分の時間が全くないというのも困りものだ。

アパートからでもインターネットはできる。しかし、電話回線がアパートの所有物で、外線電話をかけるときにはアパートが定めた電話料金を払わなくてはならない。この電話は内線通話もできるため、オペレーターやアパート付属の食堂、クリーニング店に電話ができて便利だが、外線通話料がとても割高なのは不満だ。通常、タイの市内電話は1通話あたり3バーツで時間無制限だ。しかし、アパートの電話を使うと1通話あたり5バーツもかかるうえ、35分おきに強制的に切断される。さらに、相手が話し中でも課金されてしまう。インターネット整備が遅れているタイでは、いまだプロバイダがビジー(お話中)であることがほとんどで、特に夕方などは5回かけてもつながる確率は五分五分だろう。

そこで、電話会社と直接契約して、この部屋に電話線を新たに引き込むことにした。それが可能であることは、すでに同じアパートに1年近く住んでいる日本人から情報をゲットしてある。――しかし、彼はまだ電話会社と契約しておらず、オペレーターに可能かどうかを問い合わせただけだそうだ。僕ほうの様子を見てから、電話線を引くかどうか決めるのだとか。

夕方頃、エーンとMBK内にある「テレコム・エイジア」の営業店舗に行って、住所を記入した申込書とパスポートを提出。電話番号を適当に選んで、料金2,918バーツを支払った。今月の27日の開通予定だ。21日に、日本に留学ビザを取得するために帰らなくてはならないから、アパートのオペレーターに工事の管理を依頼しよう。2,918バーツのほか、管理の依頼とは無関係に、アパートには保証金1,000バーツを支払わなくてはならない。

帰りに、MBK内にある「Fuji ~Japanese Restaurant」で食事を注文しようとしたときに、カレーに使う米がタイ米であることを知った。日本米は寿司にしか出さないのだとか。仕方なくそばを食べて店を出た後、エーンに「タイ米で日本料理が作れるものかっ!あの店には日本料理なんてない。あれは高額なタイ料理。ジャパニーズレストランなんて大嘘だ!」と、ぼやいてしまった。タイに来て以来、あまり日本食を食べる機会がなかったから、とても楽しみにしていただけに、大人げないことで怒ってしまった。反省。

さらに、腹いせにMBKに併設されている東急デパートのスーパーマーケットで2kg40バーツの日本米と1個36バーツの納豆を購入!明日の朝の日本食が楽しみだ!ふっふっふ。

――みそ汁を買い忘れたっ!!

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ...77