2003年11月7日(金)

旧暦12月14日。ローイグラトング祭前夜。

今晩はローイグラトング祭り(灯籠流し)を見物しに、ブワが通っているマヒドン大学サーラーヤー校舎へと出かけた。校門付近には数多くの屋台が出ており、グラトング(灯籠)が15バーツ、軽食類が20バーツ前後で売られていた。屋台の大半は学生自治体が組織した模擬店だが、それ以外にも学食のおばちゃんたちによる屋台も出ていたという。

ステージではミス・マヒドンをはじめ、さまざまなイベントが催されていた。しかし今晩はローイグラトング祭りの前夜祭的な雰囲気で、校舎の外周を囲むように流れている運河に灯篭を流す人の姿もほとんど見られなかった。

ところで、今晩はとても興味深い模擬店を見つけた。その名も「女子大生びしょ濡れゲーム」。客が的に向かってボールを投げ、見事命中させると女子学生が座っている板が外れてプールに転落するというゲームだ。

2003年11月8日(土)

旧暦12月15日。ローイグラトング(灯篭流し)の日。

若者文化の発信地サヤーム(サイアム)の南に隣接するヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学は、ヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川に架かるサパーン(ラマ8世)プララームペート橋に次ぐ、バンコク屈指の人気を誇る灯篭流しポイントだ。大勢の若者たちが押し寄せ、正門前の池のまわりに分厚い人垣ができ、灯篭を流すどころか近づくことすらままならない様子。しかも模擬店前の長蛇の列はもう完全に常軌を逸しており、僕たちは飲料水を買うのも諦めた。

ヂュラーロンゴーン大学のローイグラトング祭りは、マヒドン大学のものより学園祭的な色彩が強く、各所でさまざまな出し物が催されていた。遠くから眺めたところ、どうやら中央広場で巨大グラトング(灯篭)を持った人々が練り歩いているようだったが、人垣に阻まれて近づけず、様子を詳しくうかがい知ることはできなかった。それぞれ文学部前ではタイ古典演劇、芸術学部前ではバンドによる演奏会が行われていた。

今晩、僕はバイト後にサヤーム(サイアム)でブワと合流してヂュラーロンゴーン大学のローイグラトング祭りを見物し、彼女の母親が友人宅に到着するのを待って、クルマでそこまで送り届けた。なお、無線タクシー運転手の話によれば、ヂャーオプラヤー川周辺はローイグラトング祭りを見物にきたクルマで交通が麻痺しており、とても川を渡れるような状況ではなかったという。

ちなみに、マヒドン大学でもヂュラーロンゴーン大学でも、酒類は売っていなかった。

2003年12月5日(金)

正午過ぎ、セントラル(セントラン)百貨店ピングラーオ(ピンクラオ)店の駐車場に普通洗車(200バーツ, 室内清掃付)を依頼し、その時間を利用して美容室でストレートパーマ(2,000バーツ)をかけた。

午後9時頃、美容室を出て帰ろうとしたところ、店員からピングラーオ(ピンクラオ)橋が通行止めになっているという話を聞いた。そこで、ピングラーオ(ピンクラオ)橋の北3キロにあるグルングトング(クルントン)橋を渡って帰宅した。

今日は国王誕生日。ピングラーオ(ピンクラオ)橋東岸の王宮前広場サナームルワング(サナームルアン)では祝福のセレモニーが催されている。もしいつもの経路で帰っていたら、きっとひどい渋滞に巻き込まれていたはず。

2004年3月26日(金)

親類縁者による手作りの結婚式。

昨年末に結婚式場で盛大に催された別の友人の結婚式(留学生日記12月28日参照)に参列したが、今回の式の方がよりオーソドックスなスタイルだ。

午前8時、バンコクと南部のヤーンナーワー区(ヤンナワ区)にある庶民的なコンドミニアムの地下駐車場にクルマを止めた。駐車場所を巡って向かいのミニマートの店主と口汚い口論をしてから、新郎の案内で今にも止まりそうなエレベータを上がり、中国的な音楽を大音量で流して場の雰囲気を盛り上げている新婦一家の部屋にあがった。

午前10時、新郎宅に見立てたコンドミニアム管理棟前から、持参金を持った新郎方のウィワーハモンコンの行列が運動会の入場行進のような音楽とともに出発した。しきたりに則って、行列の行く手を子供たちが行く手を遮り、そのたびに新郎が通行料を与えて通過していった。新婦方の部屋で結納金(現金20万バーツと金10バーツ)を納め、仏僧の到着を待った。

午前10時半、仏僧9人が新婦一家の部屋に到着。タイでは9という数字は縁起がよいとされている。約20分間のお経のあと、仏僧の代表が新郎新婦に結婚の心得を諭し、昼食をとって帰って行った。
 
 
 
正午から、参列者が新郎新婦の手に水をかけて祝福する儀式が催された。新婦の祖父によると、この儀式に使った水を入れる容器は希少品のため、入手が困難な上に値段も高いという。
 
 
 
 
その後、新郎新婦の化粧直しのために写真スタジオへと移動し、午後6時に披露宴会場の私立サーラサートピッタヤー学校体育館に到着した。体育館はイベントに貸し出せるよう改装されており、24基もの冷房が設置されている。披露宴は、司会者が新郎新婦や両親にインタビューするというかたちで進行され、終わりのないカラオケ大会が続いた。参列者はおよそ210人。式次第はなく、日本の結婚披露宴のような堅苦しさもなかった。

新郎新婦を新郎宅に送り届け、法定閉店時間の午前2時までトーングロー交差点(トンロー交差点)にあるビアホール「コロシアム」で午前5時までプララームガーウ通り(ラマ9世通り)にあるカラオケ屋で今回の式に参列したタイ人4人と飲み続けた。

2004年11月14日(日)

今年も乾季恒例、ビアガーデンの季節がやってきた。都心部でもっとも大きなビアガーデンは CWP Central World Praza(セントラルワールドプラザ) 前にある。ビールブランド各社が設置したステージではバンドによる生演奏も行われる。

夜、珈琲屋で友人と待ち合わせ、 CWP Central World Praza(セントラルワールドプラザ) 前のビアガーデンに飲みに行った。3リットル入りの生ビール(ハイネケン, 450バーツ)と、鶏の軟骨やつみれ団子(60-100バーツ)を注文した。

2004年11月26日(金)

今日はローイグラトング(ロイカトーン)祭りの日。恋人たちが水辺に「グラトング(カトーン)」と呼ばれる灯篭を流しに行く日で、クラスメイトたちも心なしか浮ついているように見える。

ローイグラトング(ロイカトーン)祭りは、スコータイ朝時代(西暦13-15世紀)からタイに伝わる伝統的な祭りといわれており、その起源はインド民謡にまで遡る。旧暦12月の満月の日に催され、人々は色とりどりの花で装飾したバナナの幹を河川に流し、川の精霊に罪の許しを請い、親戚縁者の幸福を祈る。

ところが、若者たちにとっては両親公認で恋人と夜遅くまでロマンティックなデートを楽しめる特別な日にすぎず、この祭典の本来の意味合いは薄れつつある(恋人がいなくても、各大学で催されるミスコンテストや模擬店などでお祭り気分を満喫できる)。

当初、午後の講座「東南アジア価値観論」の一環として、クラスメイトたちと夕食をとってからヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)に面しているサンティチャイプラーガーン公園で灯篭流しをする予定だった。ところが講師の体調不良により、午後の講義もろとも今回のローイグラトング(ロイカトーン, 灯篭流し)・ツアーも中止されてしまった。

その知らせを聞いたクラスメイトの一部(僕のように恋人がいない人々)は、今晩をなんとか見栄えのするものに取り繕わなければならなくなった。さらに、参加希望者は名簿に名前と電話番号を書いて提出するように言われていたため、恋人がいないことを申告したことが無意味になってしまい、憮然とした。

夜、高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)前の日本料理店「本庄」で夕食をとっていたところ、会社社長の友人に投資会社のタイ人幹部を紹介してもらえることになり、彼らとペッブリー通り(ペチャブリー通り, ペブリ通り)Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 「ギンミック」からセーンセープ運河(センセープ運河)グラトング(灯篭)を流すことになった。午前1時すぎに解散し、高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)前にあるベーンヂャスィリ公園(ベンチャシリ公園)の池で別の友人待ち合わせてグラトング(灯篭)を流そうとしたが、灯篭売りの姿はすでになく、何十組ものカップルが安ビール片手にロマンチックなひとときをすごしていた。

2005年2月14日(月)

今日はバレンタインデー。恋を成就させるための絶好の機会とあって、街中どこも浮き足立っている。通学途中のタクシーでラジオ番組を聴いていたところ、パーソナリティーの女性が今日を「国家的処女喪失の日(ワンスィアトゥワヘングチャート)」と呼んで、僕や友人を仰天させた。

日本では女性が男性にチョコレートをプレゼントする日だが、伝統的に女性が男性に交際を要求するのが破廉恥であると考えられているタイでは、男性が女性にバラの花束をプレゼントする日として定着している。

昼休み、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部前にはバラの即売店が設置され、妙に古くさくて情欲的な音楽が4号館の安っぽい拡声器から流されていた。ベンチには女子学生たちが鈴なりになっており、男子学生が女子学生にバラを渡すたびに周囲の野次馬たちから悲鳴や歓声が沸き起こった。

タイ政府は性の若年化を憂慮している。マスコミは朝から「愛の日だからといってセックスの要求に応じる必要はありません」と盛んに呼びかけているが、それでも今日一日で何十万もの若者が初体験を済ませるという。

「せいぜい初体験の日を数ヶ月間先送りする程度の効果しかないでしょう。若者たちはダメっていわれてもヤルことはヤルんだから、バレンタインデーに初体験を済ませるのも青春時代の想い出づくりとしては悪くないわ」

午後の授業に出席してから、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」で友人と合流した。修理のために預けていたパソコンを引き取りに行ったが、不具合が直っていなかったため再修理を依頼した。スクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理屋 L’opera(オペラ) で友人と夕食をとったが、味がひどく落ちていた。

帰宅後、午前2時までペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年7月24日(日)

「水曜日からずっとまともな料理を食べてないの!! タイ料理屋ならどこでもいい。味は分からないけど、この辺りの店なら雰囲気だけは OK なはずだから適当に入っちゃって。もう空腹で我慢できない」

午後9時ころ、友人が住んでいるバンコク北部にあるラームイントラー通りのアパートで合流し、ガセートナワミン通り(カセートナワミン通り)一帯に点在しているオシャレなレストランのひとつ「ナーイグレ」で友人たち4人と夕食をとった。

今日は、仏教の祝日ワンアーサーハブーチャー(三宝節)ワンカオパンサー(入安居)が連続した4連休の最終日。香港へ旅行に行っていた友人たちが続々とタイに帰国した。

中華人民共和国香港特別行政区は、タイ人でもビザなしで入国できるため、都市部の中間層のあいだで人気の海外旅行先になっている。友人たちは、日本人観光客と同じように、本国より安いブランド品を大量に買い込んできたそうで、香港でブランド品を買うのがどれだけオトクかと話していた。友人によるとこの週末、香港特別行政区のショッピングセンターはどこもタイ人観光客たちでごった返していたという。

このグループの夕食の予算は、ひとりあたり200-300バーツ。これだけあれば、郊外のオシャレな店で、ビールとともにタイ料理を思いっきり満喫できる。

昼過ぎ、ノンタブリー県パーグレット郡にある美容室でストレートパーマをかけ、ガセートナワミン通り(カセートナワミン通り)のレストランで友人たちと夕食をとった。

2005年8月12日(金)

「あまり話題にしないから他人がどう思ってるか知らないけど、わたしは国王陛下を尊敬しているわよ。王室プロジェクトはわたしたちタイ国民に夢と希望を与えてくださっているし、ラッタナゴースィン朝(チャクリ朝, バンコク朝)の歴代国王もそれなりの功績を挙げているから、君主制への不満もないわ。でも、それは君主制に対する盲目的な信仰じゃなくて、あくまでも功績ある個人に対する尊敬よ」

夕方、ノンタブリー県にある粥屋「カーオトムウワンポーム」へ友人と向かう途中、プーミポンアドゥンヤデート国王の居城「ヂットラダー宮殿(チットラダ宮殿)」脇に差し掛かり、君主に対する忠誠の話題になった。

今日は国母生誕日(王妃誕生日, 母の日)。バンコク都内のビルというビルには巨大なスィリギット王妃(シリキット王妃)の肖像が掲げられ、陸橋にはタイ国旗とともに水色の王妃旗が立てられている。国母たる王妃の誕生日は、タイでは国家的な「母の日」との位置づけにあり、地方出身者は母親に会うためにこの3連休を利用して帰省するという。また自家用車を所有しているバンコクの中間層は、パッタヤー(パタヤ)フワヒン(ホアヒン)、チャアムなどのビーチリゾートへと出かけている。そのため、いつもは渋滞が深刻な社会問題になっているバンコクの主要道路が驚くほど空いていた。

プーミポンアドゥンヤデート国王の功績について、生活苦を訴えている気の毒な人に支援金を下賜されたという美談のほかに、友人はプルッサパータミン事件のときに政治に介入して事態を収拾したことを挙げていた。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, 5月の流血, Black May)とは、軍事政権「国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)」とバンコク都民のあいだに生じた対立と、1992年2月17日から20日にかけての一連の流血革命のこと。

事件の発端は1991年2月13日、国軍最高司令官スントーン・コングソンポング陸軍大将率いる国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が政治の腐敗と軍隊の弱体化を口実に起こした軍事革命(クーデター)にさかのぼる。チャートチャーイ・チュンハワン陸軍大将は首相の地位を追われ、新憲法の下、アナン・パンヤーラチュン陸軍大将が新首相に就任した(新憲法は国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が任命した20名からなる憲法改正評議会が作成し、代議士以外にも首相になれる条項を加えた)。

新憲法施行後の1992年3月22日に実施された総選挙で、国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)系の正義団結党(サーマッキータム党, サマッキータム党)が79議席を獲得して第一党になった。ところが、アメリカ国務省スポークスマンのマーガレット・テットワイラーは、正義団結党(サーマッキータム党)が首相に選出したナロング・ウォングワン党首へのビザ発給を、麻薬関与を理由に拒否すると発表。新たに首相を選出し直すことになった。

その後、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)が首相に就任。ところが、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は以前、空軍総司令官ガセート・ロートヂョンニット空軍大将(カセート・ローチョンニット空軍大将)に対して「いかなる政治的地位にも就かない」と確約していたため、当初の約束をたがえ、タイにおける議会制民主主義と議院内閣制の精神を貶めたとして、バンコク都民のあいだで激しい抗議行動が起こった。そして5月4日、元バンコク都知事で正義力党(パラングタム党, パランタム党)党首(当時)のヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)と元下院議員のチャラート・ワラチャット陸軍少尉がハンガーストライキを始めたことで、プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)の幕が上がった。

2月17日、サナームルワング(王宮前広場)で、スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)の首相就任に反対する20万人規模の集会が開かれた。翌18日午前4時頃、ラーチャダムヌーンナイ通り(ラチャダムヌンナイ通り)でバンコク都民によるデモ隊約4万人が軍と衝突。タイ軍制式突撃銃 M16 (20連発)の掃射により多数の死者・行方不明者を出した。同日午後、政府は非常事態宣言を発令し、デモ隊の指導者ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)ほかを逮捕拘束した。19日、逮捕を免れたデモ隊約5,000人がラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に活動の拠点を移した。20日、それまでテレビ局は報道管制により虚偽の報道を続けてきたが、突如、プーミポンアドゥンヤデート国王の前で跪いているスヂンダー・クラープラユーン首相(スチンダ・クラプラユン首相)ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)の映像が映し出された。そのなかで、国王が「双方の代表であるふたりが直接話し合い、協力し合って問題の解決にあたるように」と述べられたことで一件落着。スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は24日、首相職を辞してテレコムホールディング社(旧 Telecom Asia(テレコムエイジア) = True(トゥルー) の親会社)の代表取締役に就任した。

一説によると、このタイミングで国王の政治介入がなかった場合、①陸軍内部における内乱の発生、②ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に集結していたデモ隊約10万人の虐殺がありえたという。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)における人的被害について、公式には死亡52名、負傷660名とされているが、タイ人のあいだでは「見当もつかないほどたくさんの市民が虐殺され、陸軍によって地方の山中に遺棄された」とウワサされている。犠牲者の数では「1976年の10月虐殺」を上回るとする説もある(リンク参照, 1枚の写真の中に500前後の遺体が映っているものもある)。

午後、電脳街「パンティッププラザ」で修理に出していたパソコンを受け取り、ンガームウォングワーン通りの粥屋で夕食をとり、スクンウィット(スクンビット)33/1にある日系スーパー「富士スーパー」で酒を買った。

これまでタイ人は盲目的に国王を崇拝していると考えてきたが、意外にもそれなりの根拠があることを知った。同時に、国王の偉業に感銘し、虐殺された市民の数すら特定できないタイ国民の基本的人権の脆弱さに改めて驚かされた。

仮に次回のクーデターがあるとすれば、どのような決着が図られるのだろうか。

<参考リンク>
プルッサパータミン 2535 (タイ語・写真付き)
惨劇と化した5月の3日間 (日本語)

2005年11月16日(水)

「右からニンちゃん 38:25:36インチ、ベンツちゃん 36:23:33インチ、プローイちゃん 39:22:35インチ、ナットちゃん 40:26:38インチ、ミンちゃん 37:23:35インチでした! ペントハウスのモデルのみなさん、ありがとうございました!」

午後11時、バンコク東部のスィーナカリン通りにあるパブ Return(リターン) に、 AV 女優5人組がやってきた。きょうローイグラトングの日(ロイグラトン, ロイカトーン)は、バレンタインデーに次ぐ『第2の国家的処女喪失日』。バンコク都内の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) では、このような方法で集客を図り、オトコたちの「ヤル気」を煽っている。

「でも彼女たち、ちょっと太すぎるんじゃない? それにスリーサイズだって、どれだけ信用できるか分かったもんじゃないわ」

タイにおいて、国産アダルトビデオは非常にニッチな市場といわれている。製作はもとより販売も禁じられているため、人材に乏しく AV 女優の質も低い。海賊版 CD 屋で100バーツ前後、40ほどのラインナップがある。昨年の7月には、ウッカリ実名で出演してしまった AV 女優のネットちゃん(当時19歳)が逮捕され、連日のようにマスコミを賑わせた(2004年7月29日付留学生日記)。

AV 女優Penthouse(ペントハウス) 5人組の退場後、テーブルに乗っているグラトング(灯篭)に火をつけたら、パチパチと火花が散った。線香の代わりに花火を刺すとは、なかなかやってくれるじゃないか。

いまではすっかりミーハーなお祭りと化しているローイグラトングの日(灯篭流し, ロイグラトン, ロイカトーン)だが、一応のフォローを入れておかないと、とんでもない誤解を招きかねないから念のため・・・・・・

ローイグラトングの日(灯篭流し, ロイグラトン, ロイカトーン)とは、水の守護神「プラメーコングカー」に感謝をあらわす日。蓮の葉に似せて作られたグラトング(灯篭)に、ろうそくや線香を立て、自分の爪や頭髪、硬貨などを入れて川や海へと流す。毎年タイ旧暦12月の満月の日に行われ、現在の暦では11月の満月の日がそれにあたる。

これまで、スコータイ朝ラームカムヘーング大王(ラムカムヘン王)時代のナーング・ノッパマートによるグラトング(灯籠)が起源と信じられていたが、今ではラッタナゴースィン朝初期以降に始まったとする説が有力(確認できる最古の資料はラーマ3世時代に書かれたもの)。

また、タイ北部では布製の「コーム(バルーン)」を空に上げる「ローイコーム」、ターク県では「グラトングサーイ」、イーサーン地方では「ライルアファイ」が行われる。

午後、アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット21)にあるラッタニン眼科病院で視力矯正手術レーシックの予約を入れ、大型スーパー Tesco Lotus(テスコロータス) へ友人と買い物に出かけた。ンガームウォングワーン通りにある粥屋「カーオトムウワンポーム」で夕食をとり、ヂャランサニットウォング(チャランサニットウォン)98にあるウィムッタヤーラーム小学校にクルマを駐め、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)に灯篭を流した。スィーナカリン通り(シーナカリン通り)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Return(リターン) で別の友人たちと合流して酒を飲んだ。

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