2002年11月27日(水)

前者は自発的に行い、後者は知らず知らずのうちに共犯者にされかけた。

午前8時、タイ・ラオス友好橋の手前にある旅行代理店で、教育ビザの発給には3日かかると知らされた。どんな方法を使ってもいいから即日発行してもらえる方法はないかと尋ねると、「10,000バーツ以下だと思うけど、それでもすごく金がかかる。ウィアングヂャン(ビエンチャン)に2泊すれば済む話じゃん」と言われたが、無理を言って手はずを整えさせた。旅行代理店は、贈賄の便を考えて、現地人を6,000バーツで雇い入れた。

「自動車登録証の名義がパスポートと一致してないと、クルマの出国手続きをしてもらえないのよ。タイで借りたクルマを、ラオスで売り払っちゃう人がいるから」

ラオス入国手続きのを代行を依頼して(ビザ代込みで2,000バーツ)、旅行代理店の女性従業員が運転する110ccバイクの後ろにまたがりタイ・ラオス友好橋を渡った。今回の旅行第2の目的である、ラオスドライブは失敗に終わった。

ラオスは、タイ側のノーンカーイ(ノンカイ)に輪をかけて田舎だった。入国審査場で、タイ側のエージェントからラオス側のエージェントに引き継がれ、右側通行のデコボコ道を23キロ西にあるウィアングヂャン(ビエンチャン)を目指した。

午前9時、市内中心部ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部に到着し、長蛇の列の最後尾に加わった。周囲を見てみると、不思議なタイ文字(=ラオス語)で書かれている看板を見つけた。

タイ農民銀行
  ທະນາຄານກະສິກອນໄທ (ラオス語表記)
  ทะนาคานกะสิกอนไท (タイ語発音表記)
  ธนาคารกสิกรไทย (タイ語表記)

ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在領事に、即日ビザに必要な賄賂は渡してある。そのためには、受付カウンターで一応の手続きをしなければならないが、この行列ではムリかもしれない。やっぱり明日の朝じゃダメか?」

ラオス人の贈賄仲介者には、即日ビザのために必要な費用(6,000バーツ, ビザ発給手数料500バーツを含む)を、すでにタイ側のエージェントを通じて支払っている。みすみす金をドブに捨てるような真似はできない。

すぐうしろにいるラオス人が、特別な事情を察知したのか、いろいろ尋ねてきたが、もしここで変なことを話したら、すべてが台無しになるかもしれない。そこで、逆にラオス人を質問攻めにした。

―― ラオスは5つの国に囲まれている内陸国だが、そのなかで一番好きな国はどこか?

「政治的な理由から、1位がヴェトナム、2位が中国で、タイは3位。ここのところ、中国が急速に追い上げてきているが、ラオス経済は依然としてヴェトナムに依存している」

―― タイ資本の金融機関が多いようだが、

「ラオス国内では外国資本の銀行でも営業できる。ただし、タイと違って ATM はない」

―― ウィアングヂャン(ビエンチャン) の中心部はどこか?

「この領事館のあるモーニングマーケットが中心だ」

突如、ラオス人贈賄仲介者がやってきて、僕の両肩を掴んで領事館の中へと引きずり込み、とにかく1番カウンターへ行って職員と話すようにと指示された。事態を把握しようと周囲を見てみると、この長蛇の列をパスするために贈賄仲介者が500バーツで買収したラオス警察の少佐がいた。タイ領事館の女性職員は気乗りしない様子だったが、ラオス警察少佐の署名が追記されているビザ申請書類を突きつけて、申請手数料500バーツを支払った。この職員は、どうやら今回の不正について何も聞かされていないらしい。

その後、ラオス人贈賄仲介者に400バーツ払ってウィアングヂャン(ビエンチャン)市内を案内させたが、この街には本当に何もなく、あっという間に終わってしまった。

ウィアングヂャン(ビエンチャン)は、タイの地方都市であるノーンカーイ(ノンカイ)以上ウドーンターニー(ウドンタニ)以下の規模。右の写真はラオス農業省庁舎。

昼、日本料理店「古都」でビーフカレーを食べた。バンコクにある劇不味日本料理チェーン店 Fuji に輪をかけて不味かったが、そのくせ料金は2倍の175バーツ。店員によると、この店の主要な日本人客は、ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在の日本大使館員と JICA 国際協力事業団の職員たちという。

午後5時、この何もない都市で時間を潰していたが、ラオス人贈賄仲介者からの悪い知らせが入った。

「大使がいない!! ビザに署名をする大使がいないと、ビザが発給できないんだ! 大使はいま、ウィアングヂャン(ビエンチャン)ワットタイ空港(ワッタイ空港)で、今夕帰国するプラテープ王女を見送っているところだ。運が良ければ大使館に戻ってくるが、空港から大使公邸へ直行してしまうかもしれない」

ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部前で、途方に暮れて周囲を見渡してみると、もう一組の贈賄者であるタイ人モンコン君(仮名)がいた。事情を話すと、すでにギィさんが向かっているコーンゲン県(コンケン県)まで送ってもらえることになった。

そうこうしているうちに、教育ビザを無事ゲットした。

モンコン君(26歳)は、ラオスナンバーの RV 車 SURF を所有しており、ラオス人女性(23歳)のビザを受け取りに来ていた。父親は、バンコクで家具の輸出をしており、自分はラオスで日本車を買い付けてタイ国内で販売する仕事を始めるという。彼らはまだタイ行きの準備が整っておらず、国境付近にあるラオス人女性の家へと向かった。

その家は、ラオスの家屋としては比較的良いほうで、タイ人中流階級並(ひとり暮らしの日本人大学生並み)の家財道具もある。そのカップルと、双方の父親が住んでいるという。夕食をごちそうになり、リビングでタイ7チャンネルを観てモンコン君の父親の帰宅を待ってから、荷物運びを手伝った。幅10センチ、長さ25センチ、厚さ3センチくらいの少し重たい木片を、 SURF の荷台に詰め込んだ。後部窓ガラスには、山形県警察本部発行の登録自動車保管場所証明(車庫証明)が貼られていた。盗難車か?

タイ・ラオス友好橋(ラオス側)で、人間とクルマの出国手続きをした。ラオス人もラオスの出国税を支払わなければならない。モンコン君の父親は、出国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。

タイ・ラオス友好橋(タイ側)で、人間とクルマの入国手続きをした。モンコン君の父親は、入国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。本人確認もせずに入出国審査ができるんだろうか? 車載物検査は、入出国時ともになかった。もちろん警察犬もいない。

ノーンカーイ県(ノンカイ県)からバンコクへと向かう車中で、恐ろしい会話を耳にした。

「短い木片には14錠あります。はい、1錠270バーツです。明日の早朝には、海軍大将閣下にご覧いただきます」

電話の内容は、単純明快だった。木片に隠してある錠剤といえば、工場で精製される向精神薬以外に考えられない。この値段だと、きっとアイス(スピード, ヤーアイス)だろう。

このクルマは、麻薬密輸車だった。

地方の幹線道路には必ず検問があるが、彼らは「警察が積荷を検査するはずがないさ」と鷹をくくっている。しかし、万一にも大量の麻薬を輸送しているところを発見されて逮捕されようものなら、死刑になること疑いない。判決が言い渡されるシーンは、タイのテレビニュースでよく見かける。使用だけでも、1年の懲役または20,000バーツの罰金は堅い。そんな不名誉な刑事犯として、こんな国で処刑されるのだけは絶対にイヤだ。

それだけはヤバいと思って、ギィさんと待ち合わせをしているコーンゲン(コンケン)市内第2位のホテル「ヂャルーンターニー(チャロンタニ)」で降ろしてもらった。

ホテルの客室で、この話を興奮気味でギィさんに話した。エーンにも電話した。しかし、誰も驚いた様子を見せない。タイではよくある話なんだろうか。

ホテルのカラオケバーで飲んで暴れて、旅の疲れを発散した。ラオス語を見すぎたせいで、 ม (モーマー)と ນ (ノーノック)の違いが分からなくなってる。

2003年2月17日(月)

タイで働くには、いろいろな条件をクリアしなくてはいけない。

今日、友人である会社社長の勧めで、僕は経営コンサルタントからタイの労務関連の法令についての説明を受けた。

日本人がタイで働くためには、①商用ビザ(B-VISA)と②労働許可証(Working Permit)の2つが必要になる。商用ビザがなければ労働許可証を申請できないし、労働許可証がなければいつかは不法労働として摘発されてしまう。友人によれば、①商用ビザの申請は簡単で会社からの招聘状とその会社の登記簿謄本などが整っていれば問題ないが、②労働許可証には「いろいろな条件」があって、それを満たすのがなかなか難しいという。日本人1人を雇い入れるごとに、会社は (A) 資本金200万バーツを積み増し (B) タイ人従業員4人を雇い入れなければならない。この日本人の数には社長も含まれる。つまり、日本人3人の企業であれば、資本金200万バーツ×3人の600万バーツのほかに、タイ人従業員4人×3人の12人が必要となる。

そのなかで、アルバイトの僕にも労働許可証を取っておこうという話になった。

またコンサルタントによれば、今年から所得税と社会福祉税(年金込)の税率がそれぞれ従来の3%から4%に引き上げられたという。この新しい税率では、合計8%の税金が給料から天引きされる。社会福祉税の一部として支払った年金は、帰国時には還付されず、55歳の支払い開始まで待たなければ受給できない。社会福祉税を納めている会社員には納税者身分証(バットプラヂャムトゥワプースィアパースィー)が交付される。ちなみに、所得が月々6,000バーツ(高卒程度平均月給よりやや良い)しかないような場合には、課税が免除される。

いずれにしても、僕のアメリカ行きが決定してしまえば、しばらく自分とは縁遠い話になる。

2004年5月26日(水)

今月末にビザが切れる。それまでにタイを出国して、①再入国するときに有効期限30日間のアライバルビザの発給を受けるか、もしくは②タイ大使館領事部で教育ビザの発給を受けなければならない。

現在、僕は観光客という資格でタイに在留している。持っているのはカンボジアから戻ってきた今月1日にアランヤプラテート入官で発給を受けたアライバルビザ。これは日本を含む世界41カ国からのビザを持たない観光客に対して、国境や国際空港の入国審査場で無料で発行される、有効期限30日のビザ。サートーン(サトーン)3(スワンプルー通り)やカーオサーン通り(カオサン通り)などの入国管理局事務所で2回まで延長できる。1回の申請で7日間延長され、最大で14日間。料金は1,400バーツ。

有効期限が短いビザしか持っていないバンコク在住の日本人(長期旅行者や不法就労をしている現地採用者)のあいだでは、安くて近いカンボジア国境のアランヤプラテート入官が人気。怪しげな日系旅行代理店が無料情報誌(フリーペーパー)にツアー広告を出している。料金は2,200バーツで、ビザ申請費用のほか、交通費や入官への賄賂などすべてが含まれている。

原則として、ビザは在外公館(タイ国外の大使館)が発給するものであるため、任意の三国へ一度出国しなければならない(タイ国内にはタイ大使館はない)。聞くところによると、観光ビザまたは商用ビザの受給が困難な日本人のあいだでは、ペナン(マレーシア)やシンガポールにあるタイ大使館が人気とか。僕は確実に受給できる教育ビザをゲットするだけなので、北の隣国ラオスにある在ウィアングヂャン(ビエンチャン)大使館を好んで使っている。陸続きなため交通費が安く、しかもタイ語が通じるため何不自由なく行動できるのが魅力。

しかし、明日から今月31日まで、高校時代の友人が僕を訪ねてはるばるバンコクまでやってくる予定になっている。僕のアライバルビザの有効期限が今月30日に切れてしまうから、仕方なくブワとサートーン(サトーン)3(スワンプルー通り)にある入国管理局事務所へ出かけた。

僕はビザのための出費をできるだけ抑えたいと考えている。そこで、延長費用1,900バーツを払わずに、意図的にオーバーステイ(期限超過の不法滞在)して反則金400バーツを払うだけで済ませたい。行政処分として科料を支払うわけだからパスポートに記録が残ってしまうが、それでも無駄に1,500バーツも払うのはバカらしい。


อยู่เกิน        ปี        เดือน    2   วัน
จาน  1 กก. 2 ดม. 1 ปรับ   400   บาท
คดีที่   54/76   ลงวันที่   1.. 47 

しかし、1,500バーツをケチったことで後日厄介な問題に直面するのもイヤだから、念のためにビザ延長窓口の係官に尋ねてみた。

「何か事件を起こしたりして警察に捕まったりしない限り、特に不利になることはないんじゃないかしら? それに、たかだか2日間のオーバーステイなら、過料を払った方がお金の節約にもなるしオススメよ」

遵法意識を微塵も感じさせない係官の親切な助言に従い、僕はアライバルビザの延長手続きをやめて、後日ノーンカーイ(ノンカイ)入国管理局事務所で過料400バーツを払うことにした。

その後、文学部4号館2階にある「タイ・東南アジア研究所」へ行き、教育ビザ申請に必要な「学長発行による招聘状」の発行を依頼した。

2004年6月1日(火)

日の出前、ノーンカーイ(ノンカイ)県庁舎近くの路上で高速バスを降り、トゥクトゥク(三輪タクシー)でラオス国境へと向かった。オーバーステイ(超過滞在)している僕は出国審査窓口となりの入国管理局へと直行して科料400バーツ(2日分)を支払った。

せっかくの機会だからと、ついでにクルマをラオスに持ち出す方法を入国管理官に尋ねてみた。職員たちの説明はことごとく矛盾していたが、そのなかの一人が戸棚からパンフレットを持ってきて、上長たちの話とは異なる信じるに足る話を聞かせてくれた。

それによると、タイのクルマを国外に持ち出すためには、所管の運輸局(ワッタナー区民はスクンウィット(スクンビット)101のバンコク第3運輸局事務所)で、International Transportation Permit(国際交通許可証) を取得しなければならないという。発行には数日かかるそうで事前の申請が必要。 หนังสือ(国際交通許可証)อนุญาตรถระหว่างประเทศ の申請に必要な書類は、①หนังสือ(車検証)รับรองการตรวจสภาพรถ、②ใบอนุญาต(英訳運転免許証)เป็นผู้ขบรถที่แปลเป็นภาษาอังกฤษ、③สำเนา(自動車登記簿または自動車登録票の複写)หรือภาพถ่ายหนังสือแสดงการจดทะเบียนรถ หรือใบคู่มือจดทะเบียนรถ、④สำเนา(国際免許証の複写(もしあれば))หรือภาพถ่ายใบอนุญาตประกอบการขนส่งระหว่างประเทศ (ถ้ามี)、⑤国民 ID カードまたはそれに代わる身分証の複写、法人の場合は法人登録している自動車登記証明書の複写、⑥หนังสือ(委任状(本人が申請しない場合))มอบอำนาจ (กรณีมิได้มาดำเนินการด้วยตนเอง) の合計6通。タイ運輸省発行の国際運転免許証の申請に必要な書類は、①運転免許証もしくはそれに代わる書類と1インチの写真2枚、②写真付きのパスポートまたはそれに代わる書類と③申請書類。乗用車を持ち出す人物は自動車登記簿にある所有者と同一でなければならなず、それ以外の人物が自動車を持ち出すことはできない(お問い合わせは、ノーンカーイ県(ノンカイ県)運輸局運輸課 +66-4242-1473 まで)。

ラオス入国後、その足で在ウィアングヂャン(ビエンチャン)・タイ大使館領事部で教育ビザ(2,000バーツ, 受付時間午前8時半から11時)を申請し、市内の中級ホテル Day Inn(デイイン) にチェックイン。ホテル近くの外国人向けパブ「ラーンアーハーン・コープヂャイデュー(ありがとう食堂)」で遅めの昼食をとり、そこで働いているラオス人店員とメーコーング川(メコン川)沿いの屋台で夕食をとり、ホテル Novotel(ノボテル) 1階にあるディスコへと繰り出した。そこで知り合ったラオス人客に現地ビール「ビアラオ(ラオ・ビール)」をおごってもらい、みんなで法定閉店時間の午後11時まで踊り続けた。さらに1日200バーツでレンタルしたバイクでホテルに戻る途中、韓国車に乗っているラオス人女性に逆ナンされて、タイのポップミュージックが流れている大部屋カラオケ屋へと向かった。

現地ラオス人のナマの言葉。

「どこに秘密警察がいるか分からないから大声では言えないないが、俺はラオスの社会主義政権が大キライだ。社会主義の思想そのものは悪くないが、今のラオス社会主義政権は政府高官の利益を図ることだけに興味を示し、人民のことなど考えていない。ラオスは王政を復古させるか、もしくは民主化するべきだろう。こんなことを続けていては永遠に発展できない」

「ラオスの若者世代は、タイ語のライティングはできないが、リスニングくらいならある程度できる。地方の貧しい村でも同じような状況で、テレビ放送を通じてタイ語はラオス全土に浸透している」

「ラオス人はタイポップスをこよなく愛している。でも、誰もがタイ語とタイ人を嫌っている。タイ人はラーンサーング朝(ランサン朝)の版図を奪い、それが今日における貧困の原因になっている」

「極めつけは1年ほど前にテレビ放映されたタイの時代劇ドラマ『ニラートソーングポップ』(留学生日記2545年10月15日参照)だ。テレビドラマを通して、ミャンマー人を敵対視させることで自国民の愛国心を鼓舞しようという明らかな世論操作の意図があった。他の番組でもラオス人を蔑視する言動が多く、そいういった根性がどうしても好きになれない」

「タイ人は常にラオスを見下している。こういった態度をとらない日本人に対しては敬意を払うべきだ」

「ラオス人の平均的月収は2,500バーツ程度といわれているが、地方へ行けば貨幣経済など存在しない。地方のラオス人は自給自足の気ままな生活を送っているし、俺の月給は1,000バーツにすぎない。この国では110ccの原付を運転するだけで『イケてる男』の仲間入りができる」

ちなみに、僕たちに声をかけてきた韓国車に乗っているラオス人女性が開口一番に放った言葉。

「あの男、タイ語もしゃべってるし・・・・・・」

彼女たちには最後まで僕が日本人であることに気づかなかった。片言のタイ語しか話せないラオス人にとっては、僕程度のタイ語でもネイティブタイ語のように聞こえるのだろう。そのせいで、せっかく現地で逆ナンされたというのに何も得られなかった。

2004年8月31日(火)

外国人留学生には、90日に一度の在学証明が義務づけられている。

昼過ぎ、サートーン(サトーン)3にある入国管理局にブワと出頭し、1階の一般窓口で手数料1,900バーツを支払ってから、2階のノンイミグラントビザ(非永住者ビザ)を担当する部署に必要な書類を提出した。

女性担当係官の事務机には「 จ.ส.ต.(ヂャースィップタムルワット) + 氏名」と書かれたネームプレートがあった。通常、タイ語では氏名の前にステータス(Mr. Dr.)などを書くことになっているから、 จ.ส.ต.(ヂャースィップタムルワット) が警察の階級であることは容易に想像できる。しかし、新聞記事にほとんど登場することのない少尉以下の階級についてはまったく見当がつかない。

その帰り道、バンコクにおける渋滞の名所「アソーク交差点」で20分経っても信号が変わる気配がなく、クルマを降りて様子を見に行ったところ、タイ代表のオリンピック選手団が大小37台もの車両を従えて、高架電車 BTS プローンポング(プロンポン)方面から凱旋してきた。クルマに戻ってから聞いたラジオ報道によると、今回のアテネオリンピックで、タイは金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル4個を獲得したという。

ブワによると、タイにおける特別公務員(武官)の階級はつぎのとおり。


  警察 陸軍 海軍 空軍
大将 พลตำรวจเอก
(พล.ต.อ.)
พลเอก
(พล.อ.)
พลเรือเอก
(พล.ร.อ.)
พลอากาศเอก
(พล.อ.อ.)
中将 พลตำรวจโท
(พล.ต.ท.)
พลโท
(พล.ท.)
พลเรือโท
(พล.ร.ท.)
พลอากาศโท
(พล.อ.ท.)
少将 พลตำรวจตรี
(พล.ต.ต.)
พลตรี
(พล.ต.)
พลเรือตรี
(พล.ร.ต.)
พลอากาศตรี
(พล.อ.ต.)
大佐 พันตำรวจเอก
(พ.ต.อ.)
พันเอก
(พ.อ.)
นาวาเอก
(น.อ.)
นาวาอากาศเอก
(น.อ.)
中佐 พันตำรวจโท
(พ.ต.ท.)
พันโท
(พ.ท.)
นาวาโท
(น.ท.)
นาวาอากาศโท
(น.ท.)
少佐 พันตำรวจตรี
(พ.ต.ต.)
พันตรี
(พ.ต.)
นาวาตรี
(น.ต.)
นาวาอากาศตรี
(น.ต.)
大尉 ร้อยตำรวจเอก
(ร.ต.อ.)
ร้อยเอก
(ร.อ.)
เรือเอก
(ร.อ.)
เรืออากาศเอก
(ร.อ.)
中尉 ร้อยตำรวจโท
(ร.ต.ท.)
ร้อยโท
(ร.ท.)
เรือโท
(ร.ท.)
เรืออากาศโท
(ร.ท.)
少尉 ร้อยตำรวจตรี
(ร.ต.ต.)
ร้อยตรี
(ร.ต.)
เรือตรี
(ร.ต.)
เรืออากาศตรี
(ร.ต.)
曹長
(一等兵曹)
ดาบตำรวจ
(ด.ต.)
จ่าสิบเอก
(จ.ส.อ.)
พันจ่าเอก
(พ.จ.อ.)
พันจ่าอากาศเอก
(พ.อ.อ.)
軍曹
(二等兵曹)
จ่าสิบตำรวจ
(จ.ส.ต.)
จ่าสิบโท
(จ.ส.ท.)
พันจ่าโท
(พ.จ.ท.)
พันจ่าอากาศโท
(พ.อ.ท)
伍長
(三等兵曹)
- จ่าสิบตรี
(จ.ส.ต.)
พันจ่าตรี
(พ.จ.ต.)
พันจ่าอากาศตรี
(พ.อ.ต.)
兵長 สิบตำรวจเอก
(ส.ต.อ.)
สิบเอก
(ส.อ.)
จ่าเอก
(จ.อ.)
จ่าอากาศเอก
(จ.อ.)
上等兵 สิบตำรวจโท
(ส.ต.ท.)
สิบโท
(ส.ท.)
จ่าโท
(จ.ท)
จ่าอากาศโท
(จ.ท.)
一等兵 สิบตำรวจตรี
(ส.ต.ต.)
สิบตรี
(ส.ต.)
จ่าตรี
(จ.ต.)
จ่าอากาศตรี
(จ.ต.)
二等兵 พลตำรวจ
(พลฯ)
พลทหาร
(พลฯ)
พลทหาร
(พลฯ)
พลทหาร
(พลฯ)

2004年11月29日(月)

タイに住んでいる外国人には「90日毎の居住地申告」が義務づけられている。

パスポートの査証欄にホッチキス止めされている入国管理局からの警告文によると、今日がその「90日毎の居住地申告」の期限だった。そこで、午後の講義を欠席してスワンプルー通り(サートーン3)の入国管理局に出頭した。ところが、ビザの有効期限内に再入国資格を得て出入国した場合には、新たに直近の入国日から90日後が出頭期限になるため、来年1月の下旬に来るように言われてパスポートを突き返されてしまった。

せっかく講義を休んでまで出かけたのに無駄足になってしまった。

いまから講義に出席しても意味がないと思い、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋 Coffee Society(コーヒーソサエティー) で日没まで読書をしてから、スクンウィット(スクンビット)11にある日本料理店「卯月」で友人と飲んだ。

2005年12月13日(火)

11日 夕方まで熟睡した。

12日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを申請。日本人係官によると、出入国制限のない1年間有効の留学ビザは現在発給していないという。ビザの発給に必要な書類のうち、身元保証書と身元保証者のパスポートのコピーが欠けていたが、ビザを受領するときに提出すればよいと言われ、パスポート、申請用紙、大学からの招聘状の3通を提出した。その後、渋谷で働いている大学時代の友人とラーメンを食べた。

13日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを受給。領事部査証課のプレハブ製オフィス内には液晶モニターが設置されており、今年11月1日にサービスが始まったばかりのタイ3チャンネル(タイ公共放送, 外国語衛星放送専門放送局 Access TV 配給, 月額2,840円)が放映されている。待合室の内外には頭の悪そうなタイ語を話すタイ人女性がたくさんいた。ああ、おそらく・・・・・・と思って、彼女らは自分とは無関係のタイ人として視界から外した。このとき、タイ人男性の姿をほとんど見かけなかった。彼女らと一緒にいる日本人男性と、タイ赴任を控えてビザ申請に来ている日本人サラリーマンのコントラストが印象的だった。日本国内におけるタイ人社会のレベルの低さについてを考えさせられた。頼むから娼婦(売春婦)を日本に連れてくるな。タイ人社会とは本来、もう少しまともなはずだし、日本国内のタイ人社会もそうであって欲しい。その後、4月から働く会社の内定者懇談会に参加し、有楽町駅前にある家電量販店「ビッグカメラ」に寄った。

2005年12月29日(木)

「あのさ・・・・・・絶対に怒らないでね。実はさっきノーイナー(仮名)から電話があって、これからモーチットのバスターミナルで長距離バスの乗車券を買うところなんだって。わたしが言ってることの意味、分かってる? 今晩出発するみたいなのよ」

午後5時20分、サートーン通り(サトーン通り)にある高級ホテル「スコータイ」のロビーで友人とアフタヌーンティーを楽しんでいたところ、別の友人が電話口でそう言った。

数週間前、この友人から「30日に長距離バスでラオス方面へ行く」と聞いていた。目的地はノーンカーイ県(ノンカイ県)チョングメック郡(チョンメック郡)メーコーング川(メコン川)のタイ側で、ビールを飲みながら新年を迎えるという話だった。

ところが、突如、出発日と目的地が変更され、ノーンカーイ(ノンカイ)の南東380キロの地点にあるウボンラーチャターニー県(ウボンラチャタニ県)ムアング郡へ行き、そこから現地に住んでいる後輩のクルマで同県スィリントーン郡(シリトーン郡)チョングメック村(チョンメック村)にあるキャンプまで移動して新年を迎えることになった。

「おまえ、それでも本当にタイ人か? なぜ母国語でコミュニケーションをとっているのに行き違いが起こるんだ? チョングメック村(チョンメック村)の場所が分からないとは・・・・・・それでも社会科の勉強してきたのか?」 思わずイヤミを連発してしまった。

もうサイアクだ。計画立案時における曖昧さと説明不足が原因で、統率能力に欠けるタイ人が5人以上で行動するときに起こるミスコミュニケーション。この悪循環に陥ると、事態が悪化することはあっても好転することなどほとんど期待できない。

「参加を取りやめて、わたしたちだけで別のところへ行くという選択肢もあるわ。まだ今なら間に合うはず」

今回の急な予定変更には友人もウンザリしている様子で、今後の見通しについても似たような予測を立てている。無謀な集団行動をするより、個別で行動したほうが楽だしムダもない。

しかし、今年のクリスマスがあまりにも平凡すぎたから、せめて新年くらいは充実した日々を送りたい。そう考えて友人のアドバイスを退け、地下鉄パホンヨーティン駅前のモーチット・バスターミナルへと向かった。

午後10時15分、モーチット・バスターミナルの乗車券売り場は、帰省客でごった返しており、人々の汗の臭いが周囲に充満していた。難民キャンプさながらの様相で、バス乗車場53番前の階段には人が鈴なりになっていた。そこに、ウボン(ウボンラーチャターニー)行きのプラカードを持っている T シャツ姿の男が現れた。

「ウボン行き増発便のチケットを持っている人は、わたしの後に付いてきてください」

連れてこられた場所は、バスターミナルの隣にある広大な操車場。30~40人規模の人々の列が縦横無尽に行き交い、映画に登場する兵営さながらの光景だった。

午後11時、すぐ近くで群れをなしていた集団が、スリン行きのバス(発車時刻午後6時)のバスに乗り込んだ。この様子では、ウボンラーチャターニー(ウボンラチャタニ)行き(発車時刻午後10時半)が、いつ出発するか分かったもんじゃない。

結局、翌30日午前零時半にモーチットを発った。

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とダラダラしてから、サートーン通り(サトーン通り)にあるホテル「スコータイ」でアフタヌーンティーを楽しんだ。その後、部屋に戻って別の友人と荷造りし、地下鉄パホンヨーティン駅からバイクタクシー(モーターサイ)でモーチット・バスターミナルへと向かった。

2006年2月28日(火)

「チェンセーンの係官が君に説明したように、入国管理局は旅券(パスポート)の入国スタンプを訂正できる。だが、その権限はスタンプを押した入国管理局のみに与えられており、我々にはない。入国スタンプの訂正がお望みなら、ここメーサーイ入国管理局ではなく、ピブーンマングサーハーン入国管理局で申請をするべきだ。しかし・・・・・・それにしてもチェンセーン入管のヤツめ、こうも面倒くさい仕事ばかりを次から次へと押しつけてきやがって。まったくたまったもんじゃない。自分の管轄で生じた仕事くらい、自分たちの責任で処理してもらいたいもんだ。まったく気に食わん。だから私はやりたくない」

午前11時50分、ミャンマー国境にあるメーサーイ入国管理局(メーサイ入国管理局)の係官は、一向に僕からの申請に応じる気配を見せなかった。昼休み10分前という、タイミングの悪さのせいかもしれないが、この職員は窓口業務で飯を食っている。それがイヤなら、窓口業務がない警察中尉以上で任官するために学士相当の学位を取るなり転職するなりしてもらいたい。いずれにせよ、僕の知ったことじゃない。八つ当たりで申請を却下されてはかなわない。

1月1日にラオス国境「チョングメック(チョンメック)」から入国したときに、再入国許可証(リエントリーパーミット)の失効日である3月13日までの滞在許可が出るはずだったのに、係官の不手際によりノンビザ扱いになり1月30日までの許可しか出ていなかった。それに気づかなかったため、僕はいつの間にか不法滞在者になっていた。サイアクの場合、検問でパスポートを検められたときに逮捕拘束され、ミャンマー人不法滞在者のように犬小屋のような留置所に収監されてしまいかねない。昨日、そのことについてチアングセーング(チェンセン)入国管理局ゴールデントライアングル駐在所の係官に相談し、「再入国許可証の期限が残っていれば問題ない。メーサーイの担当者に話をつけておいてやる」と言われたが、上手くいかなかったんだろうか。

冒頭にある入国係官の言葉を聞いて、さすがに腹が立った。前半部分は拒否の理由として十分まともだが、本音は後半部分の「面倒くさい」だ。そんな理由で、不法滞在者にさせられてはかなわない。

できるだけ声のトーンを抑えて丁寧に、それでも自分の主張はしっかりとぶつけた。

「今すぐミャンマーに出国したい。しかし、入国スタンプが訂正してもらわないと、出国することすらできない。 しかも、すべては入国管理局の不手際のせいであり、私に非があったわけではありません。それとも、 タイに足を踏み入れたら最後、われわれ外国人は出国の権利までが剥奪されてしまうんですか? それなら、タイは国際的に承認され、制度化された外国人収容所ということになりますね」

これには、公務員上位主義的なタイ文化を信奉している中年係官もムッとした。

「留学ビザでの滞在資格ということだが、どこで勉強しているのか?」

僕はその質問に対して短く2秒以内で答えた。係官は「ふん」と鼻で笑ったあと、「入国スタンプが押されたときに、君には自ら入念な確認作業をおこなう義務があった。その義務を怠った君にこそ問題があるんだ」と愚痴りながら、無言でパスポートを取り上げ、入国記録台帳を開き、だらだらと入国スタンプを訂正をはじめた。

午後12時5分、当初入国係官に主張していたミャンマー国境ではなく、メーサーイから、国道118号チアングマイ(チェンマイ)チアングラーイ(チェンライ)線で南下した。午後2時頃、チアングマイ市郊外に到着。チアングマイ動物園で、2003年に中国から10年間の期限付きで貸し出されているパンダを見物し、ホテル Sheraton Chiangmai にチェックインした。