2008年12月27日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227.jpg" width="300" height="169" align="right" />「あー、んもうっ! なんで、北京経由なんかでバンコクへ行くんですか!? バンコクなら、上海経由でも行けたでしょう? それに、もっと早く教えてくれたら、北京を案内してあげられたし、わたしもちょうどバンコクへ行ってみたいと思っていたんですよ!! んもー、ゼッタイに殺す。今度は、ちゃんと出発の2ヶ月前には知らせてくださいね!!! ほんと、ムカつくわー」

12月19日の昼食時、この年末年始に北京経由でバンコクへ出かけることを伝えると、中国人の同僚が興奮してしまった。もし、この同僚が北京経由で帰省するのであれば、1日だけ北京観光に付き合ってもらおうかと思って話を持ちかけたが、どうもおかしなカンジになってしまった。いっしょに昼食をとっていた中国留学組の日本人同僚は、そのときの様子を「突然、ものすごい剣幕で怒り出した」と話している。

今回のタイ旅行は、12月18日の夜になって突然決めたことだった。それまでは学生時代の友人たちと正月気分をまったり楽しむつもりだったが、一年中世界中を飛び回っている高校時代の友人から、中国国際航空の北京経由なら税金や燃油サーチャージ等の付加料金込みでも68,500円と聞いて、中国国際航空のウェブサイトで航空券を半ば衝動的に購入した。もし、中国人同僚が上海出身であることを事前に知っていれば、上海経由にしておいた方が良かったかも。

その後の約1週間、昼休みになるたびに「地球の歩き方 – 北京」を持ち歩き、北京留学経験のある日本人同僚たちや、北京勤務経験のある中国人同僚たちに、ひたすらオススメの旅行計画について訊いてまわった。ちなみに、冒頭の中国人同僚には、その後この件で、少なくとも20回は殺された。

午後6時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」にチェックイン。当初の予定では、午後7時半から朝阳剧场(朝陽劇場)四川遂宁杂类伎团(四川遂寧雑伎団)による雑伎を見ることになっていたが、ホテルの前を走る长安街の渋滞の様子を見ると、どう考えても開演までには間に合いそうもない。同僚たちからオススメの中国料理店を何軒か教えてもらっていたが、ひとりで円卓に料理を並べて中国料理を食べるのは格好悪いことに気付き、ホテル6回の中国料理店「老上海」で夕食をとった。大きなエビ、北京ダック、野菜の3品で480人民元だった。美味しかったけれど、ちょっと予算オーバー気味。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />夜はまだ始まったばかり。2004年に上海駐在の日本総領事館電信官、2006年に海上自衛官が日本人向けのカラオケスナックでセクシャルエントラップメントに引っかかりニュースになったのを思い出し、インターネットでホテル近くにある日本人向けカラオケスナックを検索し、そのなかから説明が一番分かりやすかった「夜星」へ行くことにした。しかし、タクシー運転手が北三环东路(三元桥ちかく)にある「夜星」までたどり着けず、変なところで降ろされてしまった。やむなく付近を散策するが、それっぽい建物がどうしても見つからない。机场高速と並行して走る薄暗い通りで、ひとりの中国人男性に話しかけ、(最初は無視されそうになったが)外国人と分かると親切に近くまで連れて行ってくれた。

午後8時34分、日本人向けカラオケスナック「夜星」に到着。さっそく、南部出身者に限定してからホステスを選び、席に着いた。やはり、現地の言葉を十分に使いこなせないと、ホステスとの会話を十分に楽しむのは難しい。自分も大学時代に中国語を第二外国語として履修していたが、今となっては実用に耐えないありさまになっている。こんな状態(現地語が出来ない状態)で、タイへ足繁く通っている日本人買春夫たちは、タイのカラオケスナックに満足できているのだから、まったく不思議でならない。しかも、ひとりの娼婦に入れ込んでしまうような、とんでもないアホまでいるというのだから開いた口がふさがらない。きっと、よほど豊かな想像力の持ち主か、よほどのご都合主義者かのいずれかだろう。ちなみに、中国人ホステスの莹莹(ユィンユィン)(仮名)によると、この店の主な客層は北京駐在の日本人駐在員と、その駐在員が連れてくる日本人出張者で、中国語が出来る客は約半分。従業員は北部出身者が大半を占め、ほとんどが英語を話せず、日本語も少ししか分からないため、筆談に頼ることも多いという。2時間のセットで、ひとり350人民元だった。

中国語を満足に話せないような自分が書くと、まるでタイ語も分からない日本人男性観光客が書いているような、まったく見当違いも甚だしい妄想だらけの恥ずかしい評論文になってしまうのではないか心配でたまらないが、個人的な印象としては、中国人はタイ人に比べ遊び心が全然足りないため、この種の娯楽は中国ではあまり楽しめないと思う。これで、とりあえず中国出張組の同僚や取引先とカラオケスナックの話ができるようになった。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後10時20分、松霖保健で全身マッサージと足裏マッサージを受けた。タイのマッサージ屋がリラクゼーションを全面に押し出しているのに対して、この店はどちらかというと医療機関のような雰囲気。腕はタイのマッサージ師よりも良さそう。料金は初回88人民元。午前0時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」へと戻った。

2008年12月28日(日)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228.jpg" width="300" height="169" align="right" />「―― それと、ちょっと朝が早くてツラいかもしれませんが、日の出とともに行われる天安门广场の国旗升旗仪式なんか、けっこうオススメですよぉ」

せっかくの北京滞在中、ホテルの客室でただ温々しているだけでは芸がない。そんなことを考えていたところ、3日前、北京留学組の同僚たちとランチをとっていたときに聞いた国旗升旗仪式(国旗掲揚式)イベントのことを思い出し、さっそく客室サービス係にきょうの日の出の時刻を問い合わせた。

午前6時半、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」6階にあるレストランで開店同時に朝食をとる。窓の外はまだ真っ暗だが、航海薄明から4分が経過していることもあって、徐々に薄明るくなっていくのがなんとなく分かる。調理場の方へ目を向けると、それなりに有難味のあるメニューが並んでおり、隅っこには鰻や日本そばもある。朝の平穏な時間を過ごすためにもう少し放っておいてもらいたかったが、ほかの宿泊客がまだ誰も来ていないこともあって、数人の接客係が完璧なタイミングで代わる代わる空いた皿を交換し、マンゴージュースのおかわりを持ってきてくれた。おかげですっかり目が覚めた。

午前7時5分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」からタクシーに乗車。市民薄明を迎え、道ゆく人々の表情がなんとか分かるようになる。一時代前まで、北京の主要道路といえば無数の自転車が10車線すべてを埋め尽くしているかのようなイメージがあったが、いまではそれもすっかりバスや乗用車に取って代わられている。

午前7時28分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の国旗掲揚台から600メートルほど離れている人民大会堂西路で下車。广场周辺は交通を規制するための柵に覆われているため、ここが最寄りの下車場になる。運賃は22人民元(約308円)だった。

午前7時半現在の北京市は、気温零下5℃、湿度74%、最小視程3.0km。湿度は十分あるにもかかわらず、肌を刺すような強烈な寒風のせいで、いまにも手の甲にヒビが入りそうだ。こういうとき、オトコの一人旅がいかに不便かと、しみじみ実感する。女性と行動していれば、ハンドクリーム塗って自分の手を保護するくらい、きっと簡単に済ませただろう。

午前7時35分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)にできた大勢の観光客たちの最後尾で、なんとか掲揚台を見渡せるポジションを見つけた。遙か前方には、完璧に統率されているツアー観光客らが、整然と列を作っている。国家の名誉と威信をかけたこの天安门广场の国旗升旗仪式だが、中华人民共和国国歌(中華人民共和国国歌)义勇军进行曲(義勇軍行進曲)」の演奏が始まり、国旗が高く掲げられるにつれ、ある種の意外さを覚えた。なぜか人々はカメラを高く掲げたまま撮影を続けている。国歌演奏中の直立不動が鉄則のタイでは、到底考えられないような光景だ。しかも、前近代的としか形容できないほど音質が悪く、音割れすら起こしている。国家の威信をなによりも大切にし、しかもショービジネスにおいては日本の遙か上を行く中国が、このような大雑把な儀式を演出するとは、本当に意外だ。

国旗升旗仪式(国旗掲揚式)が終わり天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)を見渡すと、そこが巨大な建造物に囲まれている、広大な広場であることが分かる。正面にあるのは毛泽东の肖像が掲げられている故宮天安门(故宮(紫禁城)天安門)、左側は中国の国会議事堂に相当する人民大会堂、右側は中国历史博物馆(中国歴史博物館)中国革命博物馆(中国革命博物館)天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)には最大で50万人を収容できると言われており、周囲に中央政庁が密集しているこの広場で、もし敵意をむき出しにしている民衆がシュプレヒコールをあげていたら、どんな為政者も恐れおののくに違いない。あまりにも圧倒的すぎる迫力だ。決して褒められたことではないが、六四事件(いわゆる天安门事件(天安門事件), 1989年)当時の中国政府が天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の周辺で市民を虐殺した理由も、なんとなく分かるような気がする。現在も人民行動黨(人民行動党)による一党独裁政治が続いているシンガポールの国父、李光耀(リー・クアンユー)も個人的に「自分も同じことをしただろう」も述べていた。

午前8時、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)周辺の歩道にある喫煙所で一服してからバス停へと向かうが、どのバスに乗って良いのか分からずに断念。途中、地下道で长安街を渡って故宮(紫禁城)を見物することも考えたが、高校の修学旅行のときに散々歩いて回ったので、そのまま北京地铁1号线(北京地下鉄1号線)天安门东站(天安門東駅)へと向かった。自動券売機で市政交通一卡通(ICカード式乗車券,2バーツ)を購入し、宿泊中のホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」がある大望路站(ターワングル駅)までの6.4kmを13分で移動した。

「中国の女の子って、みんな本当に冴えない格好をしてるんだよ。たとえるなら、ワイシャツの上にトレーナーを着ているようなダッサイ感じ。色彩のセンスもどこかオカシイし。あれじゃ、せっかくの容姿が台無しだし、色気もまったく感じられない。オトコにとっては、まさに夢も希望もない街さ。もし俺が中国への転勤を命じられたら、迷うことなくその日のうちに退職願を提出するね」

ある友人が以前、こんなことを話していた(実際に中国転勤を命じられて退職した)が、午前8時20分に大望路站(ターワングル駅)を下車し、北京における商業の中心地である中央商务区(中央商務区)を歩く女性たちを見ていると、その気持ちがなんとなく分かるような気がしてきた。ビニール素材で安っぽく、ぺーシックなデザインのダウンコートで画一化されており、色彩もなんだか派手すぎるような気がする。唯一の差別化といえば、画一化されたデザインのダウンコートに、特にキレイでもない刺繍が施されているくらいか。せっかくの冬物ファッションがモッタイナイ。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />王府井(ワンフーチン)もけっこう変わりましたよ。13年前と比べたら、たぶんぜんぜん別物になっていると思います」

一旦、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」2213号室に戻ってくつろぐ。このまま中国を去るのも芸がないと思い、一昨日、中国出身の中国人同僚たちとランチをとっていたときに聞いた、北京における小売業の中心地「王府井」へ行ってみることにした。ついでに、中国語留学をしていた友人が小籠包を勧めていたので、それも食べてみたい。

午前10時50分、北京地铁1号线の王府井(ワンフーチン)站で下車。东长安街から眺める王府井大街には近代的な商業ビルが建ち並び、それなりに開発が進んでいるように見える。13年前、高校の修学旅行で来たときには、公立小学校クラスの安普請な建物が「王府井」を代表するショッピングセンターと紹介されて驚いたが、少なくとも目の前に見えるのは、それなりにまともな商業施設だ。ところが、しっかりしているのは建造物だけで、入居している店舗はどれもヘボい。その路地にあるレストラン街で、さっそく小籠包(ひとつ1人民元)を10個、白米(3人民元, 大盛り)、可口可乐(コカ・コーラ)(7人民元)を注文。扇風機型の電熱器で暖まりながら、本場の中国料理を堪能した。死ぬほど不味かった。段ボールで作られた、偽装小籠包ではないかと疑いたくなるほど不味かった。

その後、午前11時35分にホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」をチェックアウトし、午後12時15分に北京首都国际机场(北京首都国際空港)に到着。欧州人ばかりの中国国际航空(中国国際航空)CA959號航で、身体の大きい欧州人の男女に左右を挟まれながら、泰国新曼谷國際機場(スワンナプーム・新バンコク国際空港)へと向かった。

午後6時35分、スワンナプーム国際空港に到着。目の前の27Cに座っていた中国人女性観光客が、27Aと27Bの西洋人男性から熱烈なアタックを受ける。西洋人男性に親切にされて困惑している様子だったが、税関を通過するときには自分の手荷物を取り返し、大きな機内預け手荷物(あれは100kg以上あったと思う)を乗せたカートをひとりで押していた。午後7時3分、4階出国ロビー2番出口前に到着した友人のクルマに乗り込んだ。

午後7時53分、ヂャン通りでさらに友人たち3人と合流。ヂャルーンナコーン通り61にあるレストラン D River で、ヂャーオプラヤー川とプララームサーム橋を眺めながら夕食をとった。

2009年12月26日(土)

今年は台北とグアムへも行きましたが、タイ旅行と連続していないため割愛しております。

机场5号线(空港5 番)に乗りまして、人民广场 (人民広場)に着きましたら電話してください。私もこれから家を出ますので、たぶん同じぐらいの時間に人民广场に着くよ」

正午すぎ、浦东国际机场( 浦東国際空港)に到着。今回は APEC 商用渡航カードを使い、優先窓口(特別通道)で入国審査を受けた。このカードは、年間の貿易額がそれなりにある会社・団体に所属する、犯罪履歴(前科)のない日本国民であれば誰でも入手できる。有効期限は3年間。商用資格でアジア太平洋地域18の国と地域に入国できる。申請手数料は14,100円とやや値が張るが、旅費交通費として経費処理できる。

きょうの上海市の気温は1度。空港到着階出口の真正面に、机场巴士5号线(上海火車駅行, 15分おきに運行, 20元)のりばがある。念のため、バスに乗り込む中国人女性ふたり組に声をかけて行き先を確認。中国人同僚から教わったとおり「这个巴士去人民广场吗?」と訊いてみるが、流暢な日本語で「ええ。このバスは人民広場へ行くと思いますよ」という返事が返ってきて驚いた。

約1時間後、バスの最前列に座っている車掌が「○※△□人民广场◇」と大声を上げた。さっきの中国人女性ふたり組がすぐに「人民広場に着きましたよ」と教えてくれる。車外では、上海市閘北区にある実家へ一足早く帰郷していた中国人の同僚がものすごく大きな声で僕の名前を連呼。さすがにこれだけのアシストがあれば乗り過ごしようがない。

上海の共通交通カードを人民广场方面へと向かうタクシー(初乗12元)の車内で中国人同僚から受け取り、 上海索菲特海仑宾馆(ハイルンビングアン)(ソフィテル・ハイランド上海, 1泊11,000円)にチェックイン。昼食をとるため、ホテル裏手にある上海有数の繁華街「南京路歩行街」へと出た。

午後2時半、昨年開業したばかりの353广场7階で昼食(38元)。美人キャンペーンガールがイベントステージで歌っている猛烈に下手な中国語カラオケを聴きながら、味気ない鶏肉料理(名称不明)を食べた。本場の中国料理は日本人の口に合わないというが、味気ないのではもうどうしようもない。

午後3時50分、地下鉄1号線人民广场站(3元)に到着。プラットホームに列車が進入してくると、ドアの前に電車待ちの乗客たちが一斉に群がり、オフェンスのフォーメーションを完成させ、車両から降りる人々の進路は完全に塞がれた。

「日本にいるような感覚で馬鹿正直に並んで立ったら、いつになっても乗れないよ。ほらっ、ちゃんとついてきて!」

乗車客と乗降客の鬩ぎ合いは、その後約40秒間続いた。「この車両に乗っている人たちの95% が乡下人(シャオニ) ですよ。見れば一発で分かります」とのこと。地方出身者に対する上海人の優越意識は有名で、今回の非文明的乗車スタイルもすべて乡下人(地方出身者)たちのせいとされた。

午後4時、黄陂南路站で下車。戦前の上海共同租界「外灘(ワイタン)」を散策。現在、上海万博(2010年5月~10月)にともなう大規模な修繕工事が行われており、外灘の歴史的建造物の一部が閉鎖。黄浦江沿いの遊歩道にも工事壁が設けられており、浦東側の近代的なビル群は眺められなかった。なかなか便利で良さそうな街だが、中国人同僚によると「観光にはいいけど、生活には向かない」という。

外灘界隈で中国联合通讯のプリペイド SIM Card (60元, 通話料50元込)を購入。しかし、上海にいるあいだは蘇州いる同僚たちと連絡が取れなかった。あとで知ったことだが、上海市外の携帯電話にかけるときには電話番号の前に0を押さなければならないという。通話料は1分あたり0.21元。

午後5時半、新天地にある中国料理屋「俏江南(チャオジャンナン)蒸菜餐厅」で夕食。中国勤務経験のある日本人同僚によると、俏江南は接待などで使われる有名店で、この店を知らない上海在住日本人は「社会人的モグリ」という。中国人同僚の兄がこの店の上級社員をしているためタダでご馳走になった。

午後8時、郊外の偽物腕時計店で PANERAI の LUMINOR MARINA を買おうとしたところ、なんと5,500元(現地相場の約11倍)と吹っ掛けられた。なんで原産国まで来て、タイ・パットポング通り(パッポン通り)の屋台で3,000バーツで買えるものに 25,000バーツも払わなければいけないのか。中国人同僚の兄に価格交渉をお願いして、500元まで負けさせた。中国人同僚によると、「相手の言い値は、中国ではまったく参考にならない。完全に無視して、指値で交渉すべき」という。吹っかけてきてもせいぜい2~3倍のバンコクの「詐欺師」たちが可愛らしく思えてくる。

午後9時、マッサージ店「敦煌」で全身マッサージ(60分, 95元)。中国人同僚の兄に全額出してもらったため不満は言えなかったが、正直、あまり上手くない。午後11時、貴州路で下ろしてもらい、南京东路を数百メートル離れたホテル海仑宾馆へ向かって歩いていたところ、売春婦売りの男に3回も声をかけられた。売春婦売りによると「セックス300元」とか。その話を中国人同僚にしたところ、「危険なので絶対に買わないでください」とアドバイスを受けた。上海関連の日本語ウェブサイトも同様の警告を発している。

2009年12月27日(日)

午前10時頃、ホテル「上海索菲特海仑宾馆」前の九江路から中国人同僚とタクシーに乗り、明代の庭園で世界遺産の「豫園 (ユーユアン)」へ移動。ここでも上海万博前の大改修が行われており、せっかくの風情も台無しになっている。雨脚が激しくなってきたため豫園見物を後回しにして小籠包で有名な「南翔饅頭店」へと入ったが、ここも改装中で3階の一部分だけで細々と営業を続けていたため、階段には長蛇の列ができていた。

食後、店を出ると、雨は吹雪へと変わっていた。あまりの寒さのため屋外型の観光をすべてキャンセルして、改革開放(1988年)と同時に造成された浦東側の新市街へ移動。そのときに作られた金茂大厦(ジンマオタワー)と昨年末に完成したばかりの 上海环球金融中心(シャンハイホァンチゥジンロンヂョンシン)の飲食店街を見て回り、中国人同僚の兄が指定した中国料理店で店のマネージャーから金茂大厦展望台の入場券(88元)を無料で譲ってもらった。

ところが金茂大厦88階にある展望台は厚い雲に覆われており、景色を楽しむどころか、东泰路を挟んですぐ反対側にある上海环球金融中心ですらうっすらとしか見えない有様。日没後、ようやく雪が止み、雲も晴れた。

午後6時すぎ、正大広場ビル10階の中国料理店「俏江南」で夕食。昨晩の新天地支店同様、この店の上級社員を務めている中国人同僚の兄の指示で、僕たちの席には伝票が回ってこなかった。

黄浦江沿いの滨江公園で、零下1度の寒空の下、物売りや物乞いを追い払いながから外灘の夜景を眺め、 Starbucks Coffee で「今週の珈琲」を飲んだ。

2009年12月28日(月)

午前10時16分、中国版新幹線「和諧号」(上海発南京行, 2等車, 26元)で、上海出身の中国人同僚と江蘇省蘇州市へ向かった。車内にいる地方出身者の田舎臭さと座席の狭さは気になるが、日本の整備新幹線と比べてもそれほど見劣りしない。最高時速およそ230キロで、上海 – 蘇州間をちょうど40分で結ぶ。

午前11時10分頃、苏州站前の路上でタクシー待ちをしていたところ、テレビ局の記者に声をかけられた。カメラは蘇州駅方面へ逃走していく母子を追っている。インタビューの内容は「子供を使って物乞いをしている母親をどう思うか?」というものだったが、上海人同僚は回答を拒否。結局タクシーは捕まらず、近くに駐まっていた3輪自転車タクシー(20元)で干将东路にある苏州玄妙索菲特大酒店 (ソフィテル蘇州)(500元)へ移動した。

12時すぎ、客室で蘇州出身の中国人同僚たちと合流し、阊胥路まで徒歩で移動。蘇州を代表する高級中国料理店「松鹤楼」で、蘇州の工業団地で現地採用をしていたことのある日本人同僚が「ようこそ蘇州へ!」と歓迎してくれた。なかなか美味しかった(蘇州人同僚が全額出してくれたが、かなりの出費だったはず)。

松鶴楼前から三輪自転車タクシーで世界遺産「拙政园」へ移動。拙政园は、明代の正徳~嘉靖年間(16世紀初頭)に官僚の王献臣によって造られた蘇州四大名園のひとつ。その後、日本人同僚お気に入りの东北街步行街を歩いて世界遺産「耦园」へと向かった。市民の交通は電動の原付がほとんどだが、ガソリンで走る原付と違って音を立てずに接近してくるため危険極まりない。耦园の狭い通路を歩いていると、中国語ツアーガイドが遠くからこちらを指差し、拡声器を使って「あの道を歩くとふたりは将来幸せになるという伝承があります」と解説するものだから、かなり気まずい雰囲気になった。

午後6時半、蘇州工業地区のニュータウンにあるレストランで夕食(4人で400元)をとった。耦园の周辺は絶望的に貧しい町並みだったが、ニュータウンには近代的なマンション群が立ち並び、大規模なショッピングセンターまである。蘇州人同僚によると、それでも「蘇州で高級なマンションの値段は、せいぜい上海の安いマンションと同じぐらい」という。500万円ぐらいだろうか。

2009年12月29日(火)

午前8時半、苏州玄妙索菲特大酒店をチェックアウト。上海人同僚は、中国東方航空オフィスで僕の浦東空港行きバスの乗車券(84元)を手配して、別の日本人同僚と中国版新幹線「和諧号」で上海へ戻るために蘇州駅へ向かった。バスが出発する前、ひとりでコンビニへ朝食を買いに行ったところ、弁当をレンジで温める費用を請求されているのが分からず苦労した。午前8時50分発のバスに乗車。午前9時 20分、蘇州工業団地停車。午前11時15分、上海虹桥国际机场停車。正午前に浦東空港に到着し、午後1時50分の便でバンコクへと向かった。

午後5時15分、バンコク・スワンナプーム国際空港に到着。入国審査場へと歩きながら、友人たちに電話をして今晩の予定を確定。中国入国のときと同じ要領で、列に並ぶことなく入国審査を済ませ、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Suite にチェックイン。

午後8時、サヤームパラゴンで友人たちと待ち合わせ MK Gold で夕食をとる。午後10時にスラウォング通りの King’s Body House でマッサージ(330バーツ)。午前零時、マハートレックルワング3にある友人の部屋にお邪魔した。