2002年11月27日(水)

前者は自発的に行い、後者は知らず知らずのうちに共犯者にされかけた。

午前8時、タイ・ラオス友好橋の手前にある旅行代理店で、教育ビザの発給には3日かかると知らされた。どんな方法を使ってもいいから即日発行してもらえる方法はないかと尋ねると、「10,000バーツ以下だと思うけど、それでもすごく金がかかる。ウィアングヂャン(ビエンチャン)に2泊すれば済む話じゃん」と言われたが、無理を言って手はずを整えさせた。旅行代理店は、贈賄の便を考えて、現地人を6,000バーツで雇い入れた。

「自動車登録証の名義がパスポートと一致してないと、クルマの出国手続きをしてもらえないのよ。タイで借りたクルマを、ラオスで売り払っちゃう人がいるから」

ラオス入国手続きのを代行を依頼して(ビザ代込みで2,000バーツ)、旅行代理店の女性従業員が運転する110ccバイクの後ろにまたがりタイ・ラオス友好橋を渡った。今回の旅行第2の目的である、ラオスドライブは失敗に終わった。

ラオスは、タイ側のノーンカーイ(ノンカイ)に輪をかけて田舎だった。入国審査場で、タイ側のエージェントからラオス側のエージェントに引き継がれ、右側通行のデコボコ道を23キロ西にあるウィアングヂャン(ビエンチャン)を目指した。

午前9時、市内中心部ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部に到着し、長蛇の列の最後尾に加わった。周囲を見てみると、不思議なタイ文字(=ラオス語)で書かれている看板を見つけた。

タイ農民銀行
  ທະນາຄານກະສິກອນໄທ (ラオス語表記)
  ทะนาคานกะสิกอนไท (タイ語発音表記)
  ธนาคารกสิกรไทย (タイ語表記)

ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在領事に、即日ビザに必要な賄賂は渡してある。そのためには、受付カウンターで一応の手続きをしなければならないが、この行列ではムリかもしれない。やっぱり明日の朝じゃダメか?」

ラオス人の贈賄仲介者には、即日ビザのために必要な費用(6,000バーツ, ビザ発給手数料500バーツを含む)を、すでにタイ側のエージェントを通じて支払っている。みすみす金をドブに捨てるような真似はできない。

すぐうしろにいるラオス人が、特別な事情を察知したのか、いろいろ尋ねてきたが、もしここで変なことを話したら、すべてが台無しになるかもしれない。そこで、逆にラオス人を質問攻めにした。

―― ラオスは5つの国に囲まれている内陸国だが、そのなかで一番好きな国はどこか?

「政治的な理由から、1位がヴェトナム、2位が中国で、タイは3位。ここのところ、中国が急速に追い上げてきているが、ラオス経済は依然としてヴェトナムに依存している」

―― タイ資本の金融機関が多いようだが、

「ラオス国内では外国資本の銀行でも営業できる。ただし、タイと違って ATM はない」

―― ウィアングヂャン(ビエンチャン) の中心部はどこか?

「この領事館のあるモーニングマーケットが中心だ」

突如、ラオス人贈賄仲介者がやってきて、僕の両肩を掴んで領事館の中へと引きずり込み、とにかく1番カウンターへ行って職員と話すようにと指示された。事態を把握しようと周囲を見てみると、この長蛇の列をパスするために贈賄仲介者が500バーツで買収したラオス警察の少佐がいた。タイ領事館の女性職員は気乗りしない様子だったが、ラオス警察少佐の署名が追記されているビザ申請書類を突きつけて、申請手数料500バーツを支払った。この職員は、どうやら今回の不正について何も聞かされていないらしい。

その後、ラオス人贈賄仲介者に400バーツ払ってウィアングヂャン(ビエンチャン)市内を案内させたが、この街には本当に何もなく、あっという間に終わってしまった。

ウィアングヂャン(ビエンチャン)は、タイの地方都市であるノーンカーイ(ノンカイ)以上ウドーンターニー(ウドンタニ)以下の規模。右の写真はラオス農業省庁舎。

昼、日本料理店「古都」でビーフカレーを食べた。バンコクにある劇不味日本料理チェーン店 Fuji に輪をかけて不味かったが、そのくせ料金は2倍の175バーツ。店員によると、この店の主要な日本人客は、ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在の日本大使館員と JICA 国際協力事業団の職員たちという。

午後5時、この何もない都市で時間を潰していたが、ラオス人贈賄仲介者からの悪い知らせが入った。

「大使がいない!! ビザに署名をする大使がいないと、ビザが発給できないんだ! 大使はいま、ウィアングヂャン(ビエンチャン)ワットタイ空港(ワッタイ空港)で、今夕帰国するプラテープ王女を見送っているところだ。運が良ければ大使館に戻ってくるが、空港から大使公邸へ直行してしまうかもしれない」

ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部前で、途方に暮れて周囲を見渡してみると、もう一組の贈賄者であるタイ人モンコン君(仮名)がいた。事情を話すと、すでにギィさんが向かっているコーンゲン県(コンケン県)まで送ってもらえることになった。

そうこうしているうちに、教育ビザを無事ゲットした。

モンコン君(26歳)は、ラオスナンバーの RV 車 SURF を所有しており、ラオス人女性(23歳)のビザを受け取りに来ていた。父親は、バンコクで家具の輸出をしており、自分はラオスで日本車を買い付けてタイ国内で販売する仕事を始めるという。彼らはまだタイ行きの準備が整っておらず、国境付近にあるラオス人女性の家へと向かった。

その家は、ラオスの家屋としては比較的良いほうで、タイ人中流階級並(ひとり暮らしの日本人大学生並み)の家財道具もある。そのカップルと、双方の父親が住んでいるという。夕食をごちそうになり、リビングでタイ7チャンネルを観てモンコン君の父親の帰宅を待ってから、荷物運びを手伝った。幅10センチ、長さ25センチ、厚さ3センチくらいの少し重たい木片を、 SURF の荷台に詰め込んだ。後部窓ガラスには、山形県警察本部発行の登録自動車保管場所証明(車庫証明)が貼られていた。盗難車か?

タイ・ラオス友好橋(ラオス側)で、人間とクルマの出国手続きをした。ラオス人もラオスの出国税を支払わなければならない。モンコン君の父親は、出国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。

タイ・ラオス友好橋(タイ側)で、人間とクルマの入国手続きをした。モンコン君の父親は、入国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。本人確認もせずに入出国審査ができるんだろうか? 車載物検査は、入出国時ともになかった。もちろん警察犬もいない。

ノーンカーイ県(ノンカイ県)からバンコクへと向かう車中で、恐ろしい会話を耳にした。

「短い木片には14錠あります。はい、1錠270バーツです。明日の早朝には、海軍大将閣下にご覧いただきます」

電話の内容は、単純明快だった。木片に隠してある錠剤といえば、工場で精製される向精神薬以外に考えられない。この値段だと、きっとアイス(スピード, ヤーアイス)だろう。

このクルマは、麻薬密輸車だった。

地方の幹線道路には必ず検問があるが、彼らは「警察が積荷を検査するはずがないさ」と鷹をくくっている。しかし、万一にも大量の麻薬を輸送しているところを発見されて逮捕されようものなら、死刑になること疑いない。判決が言い渡されるシーンは、タイのテレビニュースでよく見かける。使用だけでも、1年の懲役または20,000バーツの罰金は堅い。そんな不名誉な刑事犯として、こんな国で処刑されるのだけは絶対にイヤだ。

それだけはヤバいと思って、ギィさんと待ち合わせをしているコーンゲン(コンケン)市内第2位のホテル「ヂャルーンターニー(チャロンタニ)」で降ろしてもらった。

ホテルの客室で、この話を興奮気味でギィさんに話した。エーンにも電話した。しかし、誰も驚いた様子を見せない。タイではよくある話なんだろうか。

ホテルのカラオケバーで飲んで暴れて、旅の疲れを発散した。ラオス語を見すぎたせいで、 ม (モーマー)と ນ (ノーノック)の違いが分からなくなってる。

2004年1月25日(日)

今月上旬にカンボジア国境で取得したばかりのアライバルビザ(有効期限30日)がもうすぐ切れてしまう。そこで今回は大学から招聘状を発行してもらい、ウィアングヂャン(ビエンチャン)のタイ大使館に行くことにした。申請翌日には留学ビザ(ノンイミグラントB)の発給を受けてバンコクへと戻ってくる予定。

午後4時、モーチットの北部方面行き高速バスターミナルに到着。さっそく乗車券を買おうとしたが、どこのカウンターに行くべきかと10秒ほど考え込んだ。モーチットの乗車券売り場はあまりにも広すぎる。これまでタイ人の彼女や友人が買ってくれていたから、僕は「買う方法」について考えることもなかった。しかし今回は一人旅。乗車券も自分で買わなければならない。周囲を見渡してみると四方八方に民間高速バス各社の乗車券販売窓口が並んでいる。その数、少なく見積もっても100を越える。

基本的にどのバス会社の乗車券を買っても同じ運賃だ。ところが、タイの高速バスには少なくとも3つの等級があり、それぞれ値段も異なるため注意しておきたい。①1等冷房 VIP バス(24席)は、ビジネスクラスのようなシートで足を伸ばしながら寝ることができる。②1等冷房バスは、標準的な日本の高速バスより若干大きなシートでくつろげる。③2等冷房バスは、標準的な日本の高速バスと同じ規格で少し窮屈に感じる。ほかにも④地方都市間を結ぶ冷房なしの普通バスがある。

一見すると無秩序に並んでいるかのように見える乗車券販売窓口も、よくよく観察してみると等級別に区分けされている。行き先表示に VIP と書かれているのは1等冷房 VIP バスの乗車券販売窓口、行き先表示が青色のは1等冷房バスの乗車券窓口、行き先表示が赤色のは2等冷房バスの乗車券窓口。それぞれ事前予約もできるので、バスの長旅を少しでも快適にするためにも、満席になる前にあらかじめ予約を入れておきたい。

1等冷房 VIP バスの競争率は高い。出発2時間前には満席になり、座席の割り振りが確定する。ちなみに VIP バスと2等冷房バスの運賃差は約2倍。今回、僕はバンコク(19時25分)発ノーンカーイ(翌朝5時)着のVIPバスの乗車券を購入。運賃は545バーツだった。

2004年1月26日(月)

もう2年近く住んでいるせいか、日本人にアメージングと言われているタイもすっかり日常の一部になってしまった。そんな僕でもウィアングヂャン(ビエンチャン)のアメージングさには呆気にとられる。前回の旅でも十分に体験できたが、今回のウィアングヂャン(ビエンチャン)も僕の期待を裏切らなかった。

ウィアングヂャン(ビエンチャン)はラオス人民民主共和国の首都で人口約53万人。ラオスの人口はカンボジアより少なく、ラオス人はカンボジア人と同じくらい貧しい。日本:タイ:ラオスのGDP比はそれぞれ3000:88:1、ひとりあたりのGDP比は120:8:1。市内に5階建て以上の建物はなく、見るべき建造物といえば芸術文化省庁舎と日本のODAによって建設されたウィアングヂャン(ビエンチャン)国際空港くらい。それ以外の建物は(歴史的建造物を除けば)タイの地方都市にあるような長屋や掘っ立て小屋ばかり。市内を走る路線バスはなく、市民はバイクで移動している。もちろんショッピングセンターもなく、近代都市というイメージからはおよそかけ離れている。

25日午後7時25分にバンコク・モーチット高速バスターミナル(ボーコーソー)を出発した1等寝台冷房バスは、翌26日午前5時にノーンカーイ・バスターミナルに到着した。バンコクから北に600キロも離れているせいか、あたりはまだ薄暗く肌寒い。僕は高速バスの車内で知り合った私立大学附属高校のイギリス人英語講師ナッシュとともに、ガクガクと震えながらトゥクトゥク(三輪バイクタクシー, ひとり20バーツ)に乗って国境へと向かった。

午前6時、タイ側の国境が開く。ナッシュは6時間の超過滞在に対する違反金(1日200バーツ)を支払うために、僕はタイで運転している自家用車をラオスへ持ち込む方法を聞くために、それぞれ出国検査を済ませてから入国管理局のオフィスに立ち寄った。通常、タイ・ラオス友好橋は片道10バーツの渡橋バスに乗って渡るが、まだ朝が早いせいか運行されておらず、20バーツの一般民間バスでメーコーング(メコン)川を渡った。

ラオスの到着ビザ発行手数料は1,500バーツ。この料金は官公庁の勤務時間内に適用される料金で、週末や早朝夜間の時間帯には1ドル(または50バーツ)の追加料金がかかる。午前6時から開くことになっているラオス側の到着ビザ発給窓口は、午前7時になっても一向に開く気配がない。入国係官に尋ねても、「まあ、ベンチに座って待っていろ。いずれ係員が到着する」という答えしか返ってこない。付近を清掃していた中年女性に「普段はだいたい何時頃に開くのか?」と訊いてみても、「だいたい7時をちょっと回ったくらいかしら?」という曖昧な返事。係官が到着ビザ発給窓口に到着したのは午前7時半。割増料金を請求できるギリギリの時間帯に窓口を開くそのセコさに閉口した。

到着ビザ発給窓口で知り合ったオランダ人を加えた僕たち3人は、ラオス側国境で待機していたトゥクトゥクに乗って、約25キロ離れたラオスの首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)を目指した。運賃は3人で150バーツ(ひとり50バーツ)。

タイ大使館領事部は、活気のある早朝市場(タラートサオ)前から、戦勝記念塔(プラトゥーサイ)と国境とを結ぶ8月23日通り(23 スィングハー)沿道に移転した。これまでは炎天下のなか領事部前にできる長蛇の列を辛抱強く並ばなければならなかったが、これからは整理券を持って屋根のある待合所で待機していればよい。ウィアングヂャン(ビエンチャン)でのタイビザ申請もだいぶ快適になった。ただし、依然タイ領事館係官の数に比してビザ申請者の数が多すぎるのか、午後11時頃には領事館入り口ゲート前に「これより後ろに並んでいる方のビザは受け付けられません。後日改めてお越しください」という表示が掲げられた。

僕たちのビザ申請手続きはすんなりと進み、教育ビザ(ノンイミグラントB)の発給手数料2,000バーツを支払った。この数ヶ月間でタイの東南アジア公館が発行するビザの発給手数料が値上げされたそうで、在ウィアングヂャン(ビエンチャン)・タイ大使館も従来の500バーツから4倍に跳ね上がった。窓口の職員によれば、現在ウィアングヂャン(ビエンチャン)ではマルチプル(期間内なら何度でも再入国可)のビザは発給していないという。次回出国するときには、サートーン(サトーン)またはドーンムアング(ドンムアン)空港の入国管理局で「再入国許可証」を入手しなければならない。

手続きを終えた僕たちは、領事部前にたむろしていたトゥクトゥクに乗って、外国人観光客が多く集まる街の中心にあるゲストハウス街へと向かった。宿泊料金はツインルームで250バーツ。お世辞にも豪華とはいえない部屋だが、一応の清潔は保たれている。

この外国人向けのゲストハウス街は早朝市場から数キロ離れている。しかし、近所にはインターネットカフェ、ビアガーデン、各国料理店(相場:100バーツ程度)などがそろっており、またメコン川へも徒歩数分で行けるため、発展途上国慣れしていない外国人でも快適に滞在できる。公共交通機関が全くないウィアングヂャン市内を移動するためにはトゥクトゥク(3輪バイクタクシー)をチャーターするしかないが、僕を含めてラオス語を話せない外国人は料金を高めに請求されることが多いため、精神衛生上バイクレンタル屋で原付を借りることをお勧めする。110CCカブの相場は24時間200バーツ。希にぼったくりバイク屋があるから注意したい。

ゲストハウスに着いてから、ナッシュはナンパを兼ねてインターネットカフェへと出ていった。一方、僕は昼寝することを決め込み、夕方まで部屋に籠もっていた。

午後6時、僕たちはビアガーデンへ夕食を取りに出かけた。ナッシュによれば、この店周辺には外国人をターゲットにした売春婦が集まるそうだが、それらしいラオス人女性は見かけなかった。その代わり(?)に、ナッシュは僕たちの後ろの席に一人で座っていた広末涼子似の白人アメリカ人に声をかけて話し込んでしまった。僕はカウンター席隣に座っていたラオス人男女4人組にタイ語で声をかけた。

「俺たち4人は同じ大学の大学院で経営学を専攻しているんだ。彼女は俺の彼女、その隣は彼女の親友。そして、こいつはあそこに座っているフランス人女性にコクるためにここに来ているんだ。だけど、ちょうど今フラレたばかりで落ち込んでいる。だから、今日はガンガン飲んでこいつを励まそうぜ!」

結局、彼らのグループにいたラオス人のうち、女子大学院生2人はすぐに帰宅してしまい、そこに残った男子大学生2人と3時間にわたってさまざまな話題について語り合った。

「フランス語は以前、ラオスの教育システムにおける第1外国語だったが、徐々に英語にシフトしつつあるようだ。でも、俺たちの世代はまだ英語よりもフランス語の方が全然得意だね」
「ラオス女なんて最低だ。あいつら『金』にしか興味がない。だから俺はフランス人女性の方が好きだね。こいつはラオス人の彼女を選んだが、やはり結構苦労しているみたいだよ」
「昨年末、ノーンカーイにある市場へ買い出しに行ってきたが、商店主は俺がラオス人と気づくや否や、すぐに俺を見下す態度をとった。タイ人はラオス人を見下しているイヤな奴らだ」
「タイ語を理解するのはそう難しいことじゃない。なぜなら、俺たちウィアングヂャン市民はタイ語のテレビ放送を見ているからだ。聞き取りはほぼ100%だが、読みは70%、書きに至っては30%もできるかどうかも怪しい」

そんな話をしていたところ、ウィアングヂャン(ビエンチャン)市内の飲食店やディスコの類が午後11時に閉店するという話を聞いた。そこで、閉店前にディスコの様子を見に行こうと、僕たちはビアガーデン前に止まっていたトゥクトゥクに乗って一番人気のあるディスコへと向かった。

ところが、そのディスコは僕たちの期待に反して、単に長屋の隣接するユニットの1階部分の壁を打ち抜いて2件分の広さにしただけのシンプルなものにすぎなかった。友人たちがビールをおごってくれたため、料金等は一切不明。男性客の大部分は欧州人で、女性客は明らかに売春婦とわかるラオス人ばかりだった。

僕たちはそのシケたディスコで淡々と話を続けていた。ここでナッシュは「たぶん、明日の朝まで帰ることはないから、今晩は一人で思いっきりウィアングヂャンの街を満喫してくれ」と言い残して、ビアガーデンでナンパしたアメリカ人女性とともに夜の街へと消えていった。

その後、数件の食堂をはしごして、午後11時に解散。値段交渉なしでトゥクトゥクに乗ってゲストハウスに戻ったところ、なんと200バーツも請求されてしまった。本来なら30バーツも出せば十分な距離、バンコク市内でも50バーツあれば十分なはずだ。

ところが、なんと財布には1,000バーツ札しかなく、おつりを要求したところ、

「俺たちもちょうど小銭を切らしているところだ。別に1,000バーツ払ってくれてもいいんだが、それがイヤだったら麻薬でも譲ってやろうか? それで、合計1,000バーツということにすれば問題ないだろう?」

僕は麻薬の購入を勧められた。案外それも興味深い提案だという考えが脳裏をよぎったが、慣れない麻薬を吸っているところを、彼らの密告により刑罰が厳しいといわれる社会主義国で現行犯逮捕されてしまったら目も当てられない。日本政府の援助に依存しているラオス政府のことだから、おそらく日本人に死刑を科してくることはないだろうが、それでもこんな「未開発国」の監獄に長期にわたって収監されるなんて真っ平ごめんだ。

ゲストハウス前でそんな話でもめていたところ、原付に乗ったひとりのラオス人女性が現れた。そこで、声をかけて両替を依頼してみた。

「1,000バーツすべてを両替することはできないけど、200バーツをあのトゥクトゥク運転手に払うことくらいならできるわ。あとで近くのホテルまで連れて行くから、そこでその1,000バーツ札を両替して返してくれればそれで構わないわよ」

通りがかりのラオス人女性のおかげでトゥクトゥク代を払い、両替も済ましておつりも無事手に入れることができた。ところが、この女性はそのお礼に一緒に泊まってほしいという。おそらく売春婦だろう。そこで、無料であるのならばと二つ返事してしまったが、その判断その後の事件の呼び水になろうとは全く思いもよらなかった。

彼女に紹介されたのは、僕が宿泊しているゲストハウスの隣にある安ホテル。280バーツを支払うと3階にあるという部屋の鍵を渡された。階段を上がった3階の部屋は窓もなく時代の流れを感じる。部屋には鏡が腐食しきって全く何も映らない化粧台と、設置が不安定なダブルベッドしかない。

部屋に入ると、彼女は突然服を脱ぎだした。ラオス人はタイ人ほど仏教を信仰しているわけではないが、それでもバラモン教や精霊信仰程度はあるはずで、僕は彼女の「通常とは異なる羞恥心が著しく欠落した行為」(タイ人売春婦にも一応の羞恥心があるとは聞いたことがある)に一種の疑問を感じた。さらに、彼女は僕のコンドームにグリセリンをたっぷりと塗り始めた。僕は女性と性交する際に、今まで一度としてグリセリンを塗ったことがない。そこで、いよいよ彼女の一連の行動が奇妙に思えてくる。

もしかして彼女に何か秘密があるのかもしれないと不審に思って股間を触ってみたところ、やはり本来女性にあるはずのないものが股間に沿って臀部へと伸びていることがわかった。下着の上から見たときは、全くといってよいほど普通の女性との違いに気づかなかったが、それは単に「視覚的に睾丸がない」ことを確認しただけのことであって、それだけで女性という確証が得られるわけではない。・・・・・・そう、僕はもう少しのところで同姓と性交してしまうところだった。

とてもではないが、僕に同姓と性交するほどの甲斐性はない。さっさと衣服を着て、朝まで雑談することに決め込んだ(寝てしまっては財布の中身を全部抜かれかねない)。こうして、彼女が寝付いた午前4時過ぎに部屋から抜け出し、ナッシュと泊まっているゲストハウスへと徒歩で戻った。もちろんナッシュはまだ帰ってきていない。

2004年1月27日(火)

目が覚めると外が明るくなっていた。昨晩の酒がまだ残っている。しばらくベッドの中でボーっとしていたところにナッシュが帰ってきた。

「昨晩は最高だったね! 俺がどうしても今日中にバンコクに戻らなくてはならないと言ったら、彼女は午前10時のバスでうなだれながらベトナムへ発ったよ。それしても、君は不運だったね。まあ気にすることはないさ。俺はバンコクで何百回も出くわした。まあ『良くあること』だ」

その後、シャワーを浴びてから遅めの朝食をとり、タイ大使館へパスポートを受け取りに行った足でそのままノーンカーイへと戻ることにした。

ラオス側国境で、ふとクルマの持ち込みについての話を思い出した。ラオス入国管理局の女性職員によれば、事前にラオスへの進入許可証を取っておけば問題なく入国できるとか。必要になる費用は、観光ビザ発給手数料や入国料や国境橋利用料など通常求められる料金を除けば、車両進入手数料200バーツと自動車自賠責保険300バーツの合計500バーツだけ。

国境から定期的に出ているシャトルバスに乗って、ノーンカーイ・バスターミナルへと向かった。

高速バスの出発時刻までまだ4時間以上もあり、郊外にある大規模小売店「テスコ・ロータス」で時間をつぶすことになった。ロータス・ノーンカーイ店のすべての掲示物にラオス語が併記されていたのには驚いた。解読には時間がかかるものの、タイ語に似ていて読んでなんとか理解できるところが面白い。後日、時間を見つけてラオス語に挑戦してみたい。昨晩のビアバーのラオス人従業員によれば、「ウィアングヂャン市内に語学学校が少なくとも3カ所はある」らしい。

さらに、市内のメイン通りを市場まで歩いていって、単3電池を購入してからバスターミナルへと戻った。ノーンカーイ発バンコク(モーチット)行きの寝台1等(VIP)都市間高速バスは、午後7時20分にノーンカーイバスターミナルを出発した。

2004年5月31日(月)

未明に空港まで友人を見送りに行き、夕方に高速バスでウィアングヂャン(ビエンチャン)へと向かった。

2004年6月1日(火)

日の出前、ノーンカーイ(ノンカイ)県庁舎近くの路上で高速バスを降り、トゥクトゥク(三輪タクシー)でラオス国境へと向かった。オーバーステイ(超過滞在)している僕は出国審査窓口となりの入国管理局へと直行して科料400バーツ(2日分)を支払った。

せっかくの機会だからと、ついでにクルマをラオスに持ち出す方法を入国管理官に尋ねてみた。職員たちの説明はことごとく矛盾していたが、そのなかの一人が戸棚からパンフレットを持ってきて、上長たちの話とは異なる信じるに足る話を聞かせてくれた。

それによると、タイのクルマを国外に持ち出すためには、所管の運輸局(ワッタナー区民はスクンウィット(スクンビット)101のバンコク第3運輸局事務所)で、International Transportation Permit(国際交通許可証) を取得しなければならないという。発行には数日かかるそうで事前の申請が必要。 หนังสือ(国際交通許可証)อนุญาตรถระหว่างประเทศ の申請に必要な書類は、①หนังสือ(車検証)รับรองการตรวจสภาพรถ、②ใบอนุญาต(英訳運転免許証)เป็นผู้ขบรถที่แปลเป็นภาษาอังกฤษ、③สำเนา(自動車登記簿または自動車登録票の複写)หรือภาพถ่ายหนังสือแสดงการจดทะเบียนรถ หรือใบคู่มือจดทะเบียนรถ、④สำเนา(国際免許証の複写(もしあれば))หรือภาพถ่ายใบอนุญาตประกอบการขนส่งระหว่างประเทศ (ถ้ามี)、⑤国民 ID カードまたはそれに代わる身分証の複写、法人の場合は法人登録している自動車登記証明書の複写、⑥หนังสือ(委任状(本人が申請しない場合))มอบอำนาจ (กรณีมิได้มาดำเนินการด้วยตนเอง) の合計6通。タイ運輸省発行の国際運転免許証の申請に必要な書類は、①運転免許証もしくはそれに代わる書類と1インチの写真2枚、②写真付きのパスポートまたはそれに代わる書類と③申請書類。乗用車を持ち出す人物は自動車登記簿にある所有者と同一でなければならなず、それ以外の人物が自動車を持ち出すことはできない(お問い合わせは、ノーンカーイ県(ノンカイ県)運輸局運輸課 +66-4242-1473 まで)。

ラオス入国後、その足で在ウィアングヂャン(ビエンチャン)・タイ大使館領事部で教育ビザ(2,000バーツ, 受付時間午前8時半から11時)を申請し、市内の中級ホテル Day Inn(デイイン) にチェックイン。ホテル近くの外国人向けパブ「ラーンアーハーン・コープヂャイデュー(ありがとう食堂)」で遅めの昼食をとり、そこで働いているラオス人店員とメーコーング川(メコン川)沿いの屋台で夕食をとり、ホテル Novotel(ノボテル) 1階にあるディスコへと繰り出した。そこで知り合ったラオス人客に現地ビール「ビアラオ(ラオ・ビール)」をおごってもらい、みんなで法定閉店時間の午後11時まで踊り続けた。さらに1日200バーツでレンタルしたバイクでホテルに戻る途中、韓国車に乗っているラオス人女性に逆ナンされて、タイのポップミュージックが流れている大部屋カラオケ屋へと向かった。

現地ラオス人のナマの言葉。

「どこに秘密警察がいるか分からないから大声では言えないないが、俺はラオスの社会主義政権が大キライだ。社会主義の思想そのものは悪くないが、今のラオス社会主義政権は政府高官の利益を図ることだけに興味を示し、人民のことなど考えていない。ラオスは王政を復古させるか、もしくは民主化するべきだろう。こんなことを続けていては永遠に発展できない」

「ラオスの若者世代は、タイ語のライティングはできないが、リスニングくらいならある程度できる。地方の貧しい村でも同じような状況で、テレビ放送を通じてタイ語はラオス全土に浸透している」

「ラオス人はタイポップスをこよなく愛している。でも、誰もがタイ語とタイ人を嫌っている。タイ人はラーンサーング朝(ランサン朝)の版図を奪い、それが今日における貧困の原因になっている」

「極めつけは1年ほど前にテレビ放映されたタイの時代劇ドラマ『ニラートソーングポップ』(留学生日記2545年10月15日参照)だ。テレビドラマを通して、ミャンマー人を敵対視させることで自国民の愛国心を鼓舞しようという明らかな世論操作の意図があった。他の番組でもラオス人を蔑視する言動が多く、そいういった根性がどうしても好きになれない」

「タイ人は常にラオスを見下している。こういった態度をとらない日本人に対しては敬意を払うべきだ」

「ラオス人の平均的月収は2,500バーツ程度といわれているが、地方へ行けば貨幣経済など存在しない。地方のラオス人は自給自足の気ままな生活を送っているし、俺の月給は1,000バーツにすぎない。この国では110ccの原付を運転するだけで『イケてる男』の仲間入りができる」

ちなみに、僕たちに声をかけてきた韓国車に乗っているラオス人女性が開口一番に放った言葉。

「あの男、タイ語もしゃべってるし・・・・・・」

彼女たちには最後まで僕が日本人であることに気づかなかった。片言のタイ語しか話せないラオス人にとっては、僕程度のタイ語でもネイティブタイ語のように聞こえるのだろう。そのせいで、せっかく現地で逆ナンされたというのに何も得られなかった。

2004年6月2日(水)

「なんで、そんな高いホテルに泊まったんだ!? 俺に言ってくれれば、安くて良いホテルなんていくらでも紹介してあげられたのに!」

昨晩一緒に夜の街に繰り出したラオス人の友人は、僕が泊まっている高級ホテル「セートター・パレス(セーター・パレス)」のフロントでそう言った。このホテルは昨日のホテル Day Inn(デイ・イン) の東約100メートルのところにあり、宿泊費は一泊85ドルから。地理不案内のウィアングヂャン(ビエンチャン)の街を独力で徘徊して迷子になってもいけないと思い、近場のホテルで良さそうなものを適当に選んだ。

このホテルは、大通りから少し離れた静かなところにある全27室の山荘風高級ホテルで、その外観や内装は清潔感と高級感を見事に演出している。日本政府や外郭団体の職員も月極契約で宿泊している。高級ホテルにつきもののプールもあり、誰に紹介しても絶対に満足してもらえるはずだ(Setta Palace Hotel +856-21-217-583)

この友人は以前、ここ「セートター・パレス(セーター・パレス)」や、昨晩出かけたディスコが入っているホテル Novotel(ノボテル) で働いたことがあるという。その証拠として、僕たち外国人が行きそうなところで働いている友人たちをを紹介された。

日没前、友人が働いている外国人向けパブ「ラーンアーハーン・コープヂャイデュー(ありがとう食堂)」でビールを飲み、友人が仕事を終えた午後5時から川沿いのバーベキュー屋で夕食をとり(ふたりで185バーツ)、外国人向けパブ On the Rock(オンザロック ) でビールを飲み、午後8時から法定閉店時間の午後11時半まで地元民向けの大衆カラオケ屋でビールを飲みながらタイポップスを歌い続けた。

「だから、ラオス人の若い世代はタイ語が話せるんだ。こうやって頻繁にタイ語曲を歌っていれば誰だってすぐに習得できるさ」

しかし、友人もタイ語を柔軟に扱えるほど達者ではなく、タイポップスに疎い僕でも大声で自信満々に歌えるような曲ばかりを選んでいた。この店では発音を間違えたり読む速度が間に合わなくても OK という雰囲気があって、「ほとんど初心者」の僕でも気軽にタイ語カラオケを楽しめた。料金はふたりで135バーツ。

2004年6月3日(木)

ラオス人の友人は外国人向けの Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) で働いている。その仕事が休みの今日、歴史資料館をはじめとするウィアングヂャン(ビエンチャン)市内の観光名所を案内してもらえることになった。この友人とのコミュニケーションはもっぱらタイ語に頼っているが、今日は少しだけラオス語にも挑戦してみたい(タイ語が読める人ならギリギリ読めるかも)。

ວຽງຈັນ(ウィアングヂャン) は、 ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ (ラオス人民民主共和国) の首都で、推定人口73万人。タイ国内の地方都市程度の小規模な街で、バイクをレンタルすれば1時間足らずですべての観光地を見て回ることができる。

午前10時、ホテル「セートターパレス」にラオス人の友人が迎えに来た。最初に向かったのはຫໍຜິຜິດທະພັນແຫ່ງຂາດລາວ (ラオス国立博物館)。ここに展示されている史料と友人の話を簡単に要約すると、ラオスの歴史はつぎのとおり。

当時、この地域で強大な勢力を誇っていたクメール帝国で教育を受けた王子が1353年、全国に点在していた集落を統合して、現在のルワングパバーン(ルワンパバン)を都に定め、現在のラオスの原型となるラーンサーング王国(ラーンサーン王国)の版図を確立。アユッタヤー(アユタヤ)サヤーム(シャム)の侵攻を受けて、セーターティラート王がウィアングヂャン(ビエンチャン)へと都を移した。17世紀後半に国内で王位継承を巡る内乱が起こり、ラーンサーング王国(ラーンサーン王国)はそれぞれ北のルワングパバーン(ルワンパバン)、都のウィアングヂャン(ビエンチャン)、南のヂャンパーサック(チャンパサック)に分裂した。1779年にトンブリー朝サヤーム(シャム)の侵攻を受けるとそれぞれ保護領(植民地)になる。旧ラーンサーング3王国の領土は、ウィアングヂャン王アヌウォングによる独立戦争の失敗や少数民族ホーによる反乱などで政情が悪化し、ラッタナゴーシン朝(チャクリ朝) サヤーム(シャム)によりフランスに割譲されフランス領インドシナに編入された。第二次世界大戦中にはシーサウォングを国王とするラオス王国が日本の保護領として独立。戦後の混乱の中で王政は廃止され、ヴェトナムの影響を強く受けた共産主義政権が現在のラオス人民民民主共和国を設立した。

共産主義国における歴史教育は、国民の愛国心を鼓舞して共産主義政権を正当化するためにある。この博物館でもそういった傾向は強く見られ、資料室の大半が戦後史の資料展示に充てられている。

「この写真を見てくれ。これはラオス王の第一王子が王位継承権を放棄する文書に署名させられている場面だ。なんとも気の毒な話だが、のちに彼は一市民として生活をしたという。俺は王政時代のラオスのほうが好きだ」

タイ語の地上波・衛星放送は、ラオス全土で広く視聴されているという。ラオス語とタイ語は似ているため、タイの立憲君主制の影響が人々に浸透している。社会主義革命の要は厳格な報道管制と大衆煽動だが、こんなことでは革命が起きて現在の社会主義政権が転覆してしまいかねない。

その後、タイ大使館領事部ちかくのラオス料理屋で昼食をとり、ウィアングヂャン(ビエンチャン)の観光名所をひととおり紹介してもらった。今回、僕たちが向かったのは①ປະຕູໄຊ(凱旋門)、②ວັດທາດຫລວງ(ワットタートルワング)、③ວັດສີສະເກດ(ワットスィーサゲート) 、④ວັດຫໍຜະແກ້ວ (ワットホーパゲオ) 、⑤ວັດສີເມືອງ(ワットスィームアング)など。僕は長時間に渡って直射日光を浴びて心身ともに疲れ果ててしまい、ຕຫຼາດເຊົັາ(タラートサオ)まで送ってもらってから、ラオス-タイ国境横断バス(35バーツ)に乗ってノーンカーイ(ノンカイ)高速バス乗り場へと向かった。

2004年6月4日(金)

午前4時すぎ、モーチット高速バスターミナルに到着。タクシーで帰宅して、昼過ぎまで睡眠を貪った。夜、マレーシアのエスニシティーについて書かれた論文を読んで過ごした。

2005年6月14日(火)

「なんでそんなところにいるの? 何しに行ってるのよ?」

翌15日午前9時半、僕は午後の講義「タイ文化論」をさぼって、タイ東北部(イーサーン地方, イサーン地方)国境の小都市ノーンカーイ(ノンカイ)にあるショッピングセンター Tesco Lotus(テスコロータス) で、当面の生活物資を調達していた。そこにバンコクにいる別の友人からの電話があった。

翌15日午前1時半、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋から、スクンウィット通り(スクンビット通り)の自室へと戻り、クルマの運転を友人と交代しながら、北の隣国ラオスの首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)へと向かった。

午前2時半頃、ガソリンがほとんど残っていないことが発覚。燃料メーターの針はすでに Empty の文字の真上まで来ていた。しかし、貿易黒字拡大政策の一環として、午前零時から午前5時までのガソリン販売が禁止されているため、朝まで給油することはできない。しかも、つぎの地方都市「サラブリー」まで、あと20キロ以上もあり、このままではたどり着けずに野宿を余儀なくされるかもしれない。

「7キロ先だ。電動式の給油ポンプでは、給油してあげたくても技術的できないんだ。しかし、ここからサラブリー方面へ約7キロほどのところに、手動ポンプを使って細々とガソリンを売っているスタンドがある。そこへ行けば、きっと売ってもらえるだろう」

明かりの付いているガソリンスタンドを見つけるたびに、ダメ元でクルマを給油ポンプの隣に駐めて、粘り強く給油の交渉を続け、情報の収集にも全力を傾けた。こうして、ようやく5件目のガソリンスタンドで有益な情報を入手して、オクタン価95のハイオクガソリンを40リットル給油した。値段は市場価格よりも約2バーツ(約7%)高い1リットル25バーツだった。

途中、ナコーンラーチャスィーマー(ナコンラチャシマ, コーラート, コラート)コーンゲン(コンケン)ウドーンターニー(ウドンタニ)ノーンカーイ(ノンカイ)の各都市で、ドライブを中断してホテルに泊まることを検討したが、結局、目的地のウィアングヂャン(ビエンチャン)まで一気に移動することにした。どうせ休むなら、気が済むまで休んだほうがいい。

午後11時、生活資材の調達を終えてノーンカーイ(ノンカイ)国境に到着。4番ゲートで自家用車の出国に必要な書類を代筆屋に書いてもらい(100バーツ)、5番ゲートで自家用車の出国許可をもらい、6番窓口で出国審査を受けた。タイ出国時に自動車の積載物は調べられなかった(自家用車については、2004年6月1日付日記「タイ籍自家用車のラオスへの持ち出し要件」2005年1月28日付日記「国際交通許可証と郊外の電脳街」参照)。

コーング川(メコン川)に架かるタイ・ラオス友好橋を渡ってラオス領内に入ると、入国係官がクルマのタイヤにいきなりホースの水をかけてきた。友人によると、これは都市の清浄を保つために中国の大都市で導入された制度らしいが・・・・・・どう考えてもラオスの道路の方が舗装状態が悪く、タイヤも汚れやすい。まったく質の悪い冗談、自虐的な国家的皮肉だ。しかも、タイヤ洗車料金として10バーツも請求された。

ラオス側サイソンペーング国境での入国手続きにかかった費用はつぎのとおり。①到着ビザ発給手数料10アメリカドル(または1,500バーツ)、②パスポート保持者の入国費用10バーツ(または2,500ギープ)、③自動車保険177バーツ、④ラオス国内の4人乗り自動車走行許可証発行手数料200バーツ(または8,000ギープ)⑤謎の費用10バーツ。入国係官によると、このとき発行された自動車走行許可証ではウィアングヂャン(ビエンチャン)と近隣県にしか行けないという話しだったが、許可証のラオス文字を気合いで解読したところ、 “ກຳນົດເສັ້ນທາງເຖິງແຂວງ: ທັ່ວປະເທດລາວ(ガムノットセンターングトゥングカウェーング: トゥワパテートラーオ)” の部分がタイ語の “กำหนดเส้นทางถึงแขวง: ทั่วประเทศลาว(ガムノットセンターングトゥングカウェーング: トゥワプラテートラーオ)” (ラオス全土: 県までの指定経路)と同じであるのが分かった。ラオス入国時、自動車の積載物を簡単に調べられた。

ラオス入国後、国境から約20キロ離れているラオスの首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)まで、途中何度も道に迷いながらも、案内標識(方面および方向)がない悪路のなかを自分の感だけを頼りに運転し続けた。

正午すぎ、市街地の西のはずれにあるホテル Novotel(ノボテル) に到着。チェックインを終えて客室に案内されると、すぐにベッドへと倒れ込んだ。徹夜でバンコクからウィアングヂャン(ビエンチャン)まで運転し続けるのは、想像以上に体力と精神力を消耗した。宿泊費は旅行業者特価の1泊50ドル(通常75ドル)、無線 LAN インターネットは1日18ドルだった。

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