2002年11月25日(月)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)上級2進級試験の終了後、レンタカー会社 Budget(バジェット) バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)店で、日本人留学生ギィさんとクルマを借りた。料金は、1週間で8,400バーツ(保険料込み)。

[19:20] バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)を出発

[20:00] アユッタヤー(アユタヤ)に到着

アユッタヤー(アユタヤ)に長期駐在していた日本人によると、ここには日系企業(製造業)が多数進出しており、バンコクの日本人向け歓楽街「タニヤ」を小さくしたようなところもあるという。相場はバンコクより若干割高。そこで日本食をとろうと市内をくまなく探したが、道に迷ったあげく、旧市街のワットプラマハータートとワットラーチャブラナにたどり着いた。

大衆食堂で、安ビールを飲んでいたタイ人男性が日本語混じりのタイ語で街の外れにあると教えてくれ、無事、夕食にありつけた。

現在、タイ陸軍7チャンネルで、テレビドラマ「二世界放浪記(ニラートソーングポップ)」が放映されている。現代の資産家の娘が、アユッタヤー王朝(アユタヤ王朝)末期にタイムスリップしてテンパりまくるという話で、公式ウェブサイトによると、今晩はビルマ・コンバウン王朝の侵攻を受けて、アユッタヤー(アユタヤ)が滅亡(1767年)する。ちょうどアユッタヤー(アユタヤ)市民が皆殺しにされている頃かと思って、一般家庭や商店のテレビを覗き込んだが、いずれもほかの番組を映していた。

[21:45] アユッタヤー(アユタヤ)を出発

夕食を食べ過ぎて苦しかったが、タイ国道1号線パホンヨーティン通りへと戻り、サラブリーからタイ国道2号線ミトラパープ通りを北上した。ミトラパープ通りは、街灯なしの片側2車線の幹線道路で、市街地(郡庁舎の所在地)付近では片側4~5車線(側道1車線を含む)に拡幅されオレンジ色の街灯もある。

[翌26日03:25] ウドーンターニー(ウドンタニ)を通過

タイ東北部(イーサーン地方, イサーン地方)では、城壁こそないものの、建物があるところと、何もないところのコントラストがハッキリしており、市街地の領域は素人目にもすぐに分かる。市街地は通常、タイ国道2号線ミトラパープ通りの東西どちらか一方に形成されている。

当初、時速110キロで運転していたが、夜が更けて交通量が減ったことで、次第に時速140キロまで上がっていった。そんな勢いで飛ばしていたところ、突如、目の前にウドーンターニー(ウドンタニ)市中心部の時計台と回転ロータリーが現れ、急いでハンドルを切った。

ウドーンターニー(ウドンタニ)では、タイ国道2号線ミトラパープ通りが市街の大通りも兼ねている。急ブレーキを踏んで、速度を140キロから50キロまで落とした。さらにロータリー2つを通過して、ウドーンターニー(ウドンタニ)の市街地を抜けた。

[翌26日04:18] ノーンカーイ(ノンカイ)に到着

今度は、平均時速160キロで走っていたところ、いきなりタイ国道2号線ミトラパープ通りが行き止まりになった。正面にはノーンカーイ(ノンカイ)県庁舎がある。ようやく目的地に到着した。総走行距離約700キロ。まともに歩けないほどフラフラになっていた。

タイとラオスの国境を隔てているメーコーング川(メコン川)に面したノーンカーイ(ノンカイ)市内で一番良いホテル Mekong Royal Nongkhai(メーコーングロイヤルノーンカーイ) にチェックイン。1泊1,800バーツのところ、900バーツにしてもらった。さらに交渉により、夜も明けそうになっていたことから、27日正午までを1泊と数えることになった。

2002年11月26日(火)

昼前、タイ・ラオス友好橋の手前にある旅行代理店で、ウィアングヂャン(ヴィエンチャン)市内のタイ大使館領事部でビザを取る方法について尋ねたところ、申請は午前中しか受け付けていないと知らされた。仕方なく、きょうはタイ国内の別の都市へ出かけることにした。

あたらしい目的地は、ノーンカーイ(ノンカイ)から、およそ200キロ離れている田舎町、サゴンナコーン(サコンナコン)だ。

昼すぎ、ウドーンターニー(ウドンタニ)市内唯一のショッピングセンター Robinson department store(ロビンソンデパート) の KFC Kentucky Fried Chicken(ケンタッキーフライドチキン) でハンバーガーを食べた。

日没前、フロントガラスに対向車のトラックが巻き上げた砂利が当たってヒビが入った。ヒビは、どんどん大きくなり、フロントガラスが割れ落ちてしまう可能性もあったため、サゴンナコーン(サコンナコン)の手前およそ10キロの地点にある道路沿い貧しい村の前にクルマを駐め、村の入り口にある商店に駆け込んでセロテープとハサミを貸してほしいと頼み込んだ。

「タイ人同士は助け合い。特にイサーン人(タイ東北部の人々)は親切だ。相手が外国人でも同じことだ」

そういいながら、商店主がフロントガラスをセロテープで補強してくれた。

せっかく補強してもらったが、フロントガラスのヒビ割れはかなり深刻だったため、すぐさまウドーンターニー(ウドンタニ)へと引き返した。

レンタカー会社 Budget(バジェット) ウドーンターニー(ウドンタニ)空港店で、フロントガラスが割れたクルマを返し、代車に乗り換えた。 Robinson department store(ロビンソンデパート) となりのホテル「ヂャルーンシーグランドロイヤル」でうどんを食べ、ノーンカーイ(ノンカイ)へと向かった。

修理代(フロントガラス張り替え)は、およそ8,000バーツだが、保険に入っていたため免責分の5,000バーツだけを支払うことになった。

2002年11月27日(水)

前者は自発的に行い、後者は知らず知らずのうちに共犯者にされかけた。

午前8時、タイ・ラオス友好橋の手前にある旅行代理店で、教育ビザの発給には3日かかると知らされた。どんな方法を使ってもいいから即日発行してもらえる方法はないかと尋ねると、「10,000バーツ以下だと思うけど、それでもすごく金がかかる。ウィアングヂャン(ビエンチャン)に2泊すれば済む話じゃん」と言われたが、無理を言って手はずを整えさせた。旅行代理店は、贈賄の便を考えて、現地人を6,000バーツで雇い入れた。

「自動車登録証の名義がパスポートと一致してないと、クルマの出国手続きをしてもらえないのよ。タイで借りたクルマを、ラオスで売り払っちゃう人がいるから」

ラオス入国手続きのを代行を依頼して(ビザ代込みで2,000バーツ)、旅行代理店の女性従業員が運転する110ccバイクの後ろにまたがりタイ・ラオス友好橋を渡った。今回の旅行第2の目的である、ラオスドライブは失敗に終わった。

ラオスは、タイ側のノーンカーイ(ノンカイ)に輪をかけて田舎だった。入国審査場で、タイ側のエージェントからラオス側のエージェントに引き継がれ、右側通行のデコボコ道を23キロ西にあるウィアングヂャン(ビエンチャン)を目指した。

午前9時、市内中心部ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部に到着し、長蛇の列の最後尾に加わった。周囲を見てみると、不思議なタイ文字(=ラオス語)で書かれている看板を見つけた。

タイ農民銀行
  ທະນາຄານກະສິກອນໄທ (ラオス語表記)
  ทะนาคานกะสิกอนไท (タイ語発音表記)
  ธนาคารกสิกรไทย (タイ語表記)

ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在領事に、即日ビザに必要な賄賂は渡してある。そのためには、受付カウンターで一応の手続きをしなければならないが、この行列ではムリかもしれない。やっぱり明日の朝じゃダメか?」

ラオス人の贈賄仲介者には、即日ビザのために必要な費用(6,000バーツ, ビザ発給手数料500バーツを含む)を、すでにタイ側のエージェントを通じて支払っている。みすみす金をドブに捨てるような真似はできない。

すぐうしろにいるラオス人が、特別な事情を察知したのか、いろいろ尋ねてきたが、もしここで変なことを話したら、すべてが台無しになるかもしれない。そこで、逆にラオス人を質問攻めにした。

―― ラオスは5つの国に囲まれている内陸国だが、そのなかで一番好きな国はどこか?

「政治的な理由から、1位がヴェトナム、2位が中国で、タイは3位。ここのところ、中国が急速に追い上げてきているが、ラオス経済は依然としてヴェトナムに依存している」

―― タイ資本の金融機関が多いようだが、

「ラオス国内では外国資本の銀行でも営業できる。ただし、タイと違って ATM はない」

―― ウィアングヂャン(ビエンチャン) の中心部はどこか?

「この領事館のあるモーニングマーケットが中心だ」

突如、ラオス人贈賄仲介者がやってきて、僕の両肩を掴んで領事館の中へと引きずり込み、とにかく1番カウンターへ行って職員と話すようにと指示された。事態を把握しようと周囲を見てみると、この長蛇の列をパスするために贈賄仲介者が500バーツで買収したラオス警察の少佐がいた。タイ領事館の女性職員は気乗りしない様子だったが、ラオス警察少佐の署名が追記されているビザ申請書類を突きつけて、申請手数料500バーツを支払った。この職員は、どうやら今回の不正について何も聞かされていないらしい。

その後、ラオス人贈賄仲介者に400バーツ払ってウィアングヂャン(ビエンチャン)市内を案内させたが、この街には本当に何もなく、あっという間に終わってしまった。

ウィアングヂャン(ビエンチャン)は、タイの地方都市であるノーンカーイ(ノンカイ)以上ウドーンターニー(ウドンタニ)以下の規模。右の写真はラオス農業省庁舎。

昼、日本料理店「古都」でビーフカレーを食べた。バンコクにある劇不味日本料理チェーン店 Fuji に輪をかけて不味かったが、そのくせ料金は2倍の175バーツ。店員によると、この店の主要な日本人客は、ウィアングヂャン(ビエンチャン)駐在の日本大使館員と JICA 国際協力事業団の職員たちという。

午後5時、この何もない都市で時間を潰していたが、ラオス人贈賄仲介者からの悪い知らせが入った。

「大使がいない!! ビザに署名をする大使がいないと、ビザが発給できないんだ! 大使はいま、ウィアングヂャン(ビエンチャン)ワットタイ空港(ワッタイ空港)で、今夕帰国するプラテープ王女を見送っているところだ。運が良ければ大使館に戻ってくるが、空港から大使公邸へ直行してしまうかもしれない」

ラーンサーング通り(ランサン通り)にあるタイ大使館領事部前で、途方に暮れて周囲を見渡してみると、もう一組の贈賄者であるタイ人モンコン君(仮名)がいた。事情を話すと、すでにギィさんが向かっているコーンゲン県(コンケン県)まで送ってもらえることになった。

そうこうしているうちに、教育ビザを無事ゲットした。

モンコン君(26歳)は、ラオスナンバーの RV 車 SURF を所有しており、ラオス人女性(23歳)のビザを受け取りに来ていた。父親は、バンコクで家具の輸出をしており、自分はラオスで日本車を買い付けてタイ国内で販売する仕事を始めるという。彼らはまだタイ行きの準備が整っておらず、国境付近にあるラオス人女性の家へと向かった。

その家は、ラオスの家屋としては比較的良いほうで、タイ人中流階級並(ひとり暮らしの日本人大学生並み)の家財道具もある。そのカップルと、双方の父親が住んでいるという。夕食をごちそうになり、リビングでタイ7チャンネルを観てモンコン君の父親の帰宅を待ってから、荷物運びを手伝った。幅10センチ、長さ25センチ、厚さ3センチくらいの少し重たい木片を、 SURF の荷台に詰め込んだ。後部窓ガラスには、山形県警察本部発行の登録自動車保管場所証明(車庫証明)が貼られていた。盗難車か?

タイ・ラオス友好橋(ラオス側)で、人間とクルマの出国手続きをした。ラオス人もラオスの出国税を支払わなければならない。モンコン君の父親は、出国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。

タイ・ラオス友好橋(タイ側)で、人間とクルマの入国手続きをした。モンコン君の父親は、入国手続きが終わるまで、ずっと携帯電話で誰かと話しており、一歩もクルマから降りることはなかった。本人確認もせずに入出国審査ができるんだろうか? 車載物検査は、入出国時ともになかった。もちろん警察犬もいない。

ノーンカーイ県(ノンカイ県)からバンコクへと向かう車中で、恐ろしい会話を耳にした。

「短い木片には14錠あります。はい、1錠270バーツです。明日の早朝には、海軍大将閣下にご覧いただきます」

電話の内容は、単純明快だった。木片に隠してある錠剤といえば、工場で精製される向精神薬以外に考えられない。この値段だと、きっとアイス(スピード, ヤーアイス)だろう。

このクルマは、麻薬密輸車だった。

地方の幹線道路には必ず検問があるが、彼らは「警察が積荷を検査するはずがないさ」と鷹をくくっている。しかし、万一にも大量の麻薬を輸送しているところを発見されて逮捕されようものなら、死刑になること疑いない。判決が言い渡されるシーンは、タイのテレビニュースでよく見かける。使用だけでも、1年の懲役または20,000バーツの罰金は堅い。そんな不名誉な刑事犯として、こんな国で処刑されるのだけは絶対にイヤだ。

それだけはヤバいと思って、ギィさんと待ち合わせをしているコーンゲン(コンケン)市内第2位のホテル「ヂャルーンターニー(チャロンタニ)」で降ろしてもらった。

ホテルの客室で、この話を興奮気味でギィさんに話した。エーンにも電話した。しかし、誰も驚いた様子を見せない。タイではよくある話なんだろうか。

ホテルのカラオケバーで飲んで暴れて、旅の疲れを発散した。ラオス語を見すぎたせいで、 ม (モーマー)と ນ (ノーノック)の違いが分からなくなってる。

2002年11月28日(木)

朝、ギィさんが社会開発組織へと調査に出かけたため、その時間を利用して、美容室で4日ぶりの洗髪とブロー(60バーツ)をした。小さな街で、時間つぶしに苦労したが、コーンゲン(コンケン)市内唯一のショッピングセンター fairy plaza の McDonald’s(マクドナルド) で昼食をとり、向かいのインターネットカフェでお笑い DVD を見て過ごした。

夕方、ギィさんと合流し、コーンゲン(コンケン)市内で一番いいホテル Sofitel Raja Orchid Khon Kaen(ソフィテル・ラーチャー・オーキッド・コーンゲン) のベトナム料理店「サイゴン」で夕食をった。その後、ナコーンラーチャスィーマー県(ナコンラチャシマ県, コラート)へと移動し、ナコーンラーチャスィーマー(ナコンラチャシマ, コラート)市内で一番良いホテル「スィーマーターニー(シマタニ)」(1部屋1,500バーツ)にチェックイン。タイ東北部(イーサーン地方, イサーン地方)では、どんなに良いホテルでも、たいして高くない。

深夜、ナコーンラーチャスィーマー(ナコンラチャシマ, コラート)市内第3位のディスコ Root 2001(ロート2001) で、ド下手の DJ が流す音楽とともに、イケてない客たちと盛り上がった。すべてが評価の対象外。

ディスコで知り合った女性に、ピックアップトラックでホテルまで送ってもらった。

2002年11月29日(金)

カオヤイ国立公園は、タイ初の国立公園で、アジア諸国遺産にも指定されている。総面積は2,168平方キロメートルで、ナコーンナーヨック県(ナコンナヨック県)(ナコンラチャシマ県, コラート)ナコーンラーチャスィーマー県、プラーヂンブリー県(プラチンブリー県)、サラブリー県の4県11郡にまたがっている。標高400-1,000の高地に、植物3,000種、鳥類250種、哺乳類67種(象、虎、テナガザル、鹿、豚など)が生息しており、そこら辺をウロウロしている。サーリガーの滝(高さ80メートル)でも有名。

入場料は、乗用車1台と成人タイ人2名で90バーツ。その90バーツを290バーツと聞き間違えたばかりに、外国人料金250バーツを支払わされた。シラを切ろうとしたが、 ID カード(国民身分証)の提出求められてあきらめた。

野生の猿と滝を見物した。

サラブリー市内で一泊する予定だったが、想像以上に小さい街だったため、そのままアユッタヤー(アユタヤ)を経由して、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venetia Residence(ヴェネチアレジデンス) の自室に戻った。

2003年2月19日(水)

環境による強制こそが、すべての挑戦を成功へと導く。

夕方になって、僕たちはバンコク・フワランポーン(ファランポーン)駅で、国鉄東北線寝台特急69号ノーンカーイ(ノンカイ)行きの指定席切符を買った。すでに1階席は満席になっており、手に入れることができたのは563バーツの18号車2等冷房寝台車上部寝台の切符。

今回の旅行目的は、今月24日に有効期限が切れる留学ビザに代わる滞在資格を取得すること。明朝いったんラオスへと出国してから、すぐにタイに引き返して有効期限1ヶ月の到着ビザ(アライバルビザ)を入手する予定。アメリカ留学までにバンコクで済ませておくべきことがいくつかあって、そのためにも半月程度の時間がどうしても欲しい。

衛星放送 UBC の解約、固定電話回線の解約、携帯電話の利用停止申請、アパートへの事前の転出予告、私立学校教員免許の取得、家財道具一式の一時保管先の手配、アメリカの語学学校に入学許可証を申請するための作業、大学院へ出願を半年遅らす旨の申告などなど。

午後6時45分、僕とエーンは一路タイ東北部(イーサーン地方)にある国境の都市「ノーンカーイ(ノンカイ)」へと向かった。

出発直前まで売れ残っていた「上部寝台」に、僕たちは朝まで悩まされ続けた。まず、寝台が上部にあるため窓がなく、外の風景を楽しむことができないこと。たとえ列車が深夜の真っ暗闇の中を走っていても、自分に「外を眺める自由」がないことには落ち着けない。つぎに、車両の上部が丸まっているため、天井が傾斜していること。まったく座ることすらできない。仕方なく、僕はアザラシのように絶えず寝っ転がっていた。極めつけは車両の振動が下部より上部の方が激しく感じること。タイ国鉄には、韓国で使われていたような安普請の中古老朽車両が多く、ただでさえ騒音がひどい。その上、線路の整備状況が悪く上下にも揺れるものだから、寝付けないだけでなく吐き気すら覚える。

シングルベッドの半分しか幅がない閉鎖的な狭い空間では何もできるはずがなく、時間を持てあました僕は18号車から先頭の1号車まで散歩してみることにした。

「もうすぐ各車両の扉が閉鎖されるよ」

16号車2等冷房寝台まで前進したところで、僕は車掌にそう注意されて退却を余儀なくされた。冷房のない3等車でもいいから、エーンが借りてきた少女漫画を椅子に座ってゆっくり読もうと考えていたが、その程度の希望すら叶えられなかった。

仕方なく、今度はふて腐れながら狭い寝台に寝っ転がって少女漫画を読み始めた。少女マンガ特有の「お決まりのパターン」には幾度ともなく呆れながらも、なんとか2時間かけて読破した。内容は完璧に理解できた。それもそのはず。口語すら理解できないようでは、これまで何のために1年間もタイ語を勉強してきたか説明がつかない。

午前零時、車掌が言っていたとおり、寝台スペースの前後にある扉が閉鎖された。昇降口があるスペースに出られなくなった僕は、仕方なく便所でタバコを吸うことにした。便所内には「駅停車中に糞尿を流さないでください」という貼り紙があり、便器の底をのぞいてみると線路が見えた。

翌20日午前1時半、僕は読書を終えて必死に寝ようと努力した。

初めて、漫画本を最初から最後まで読破した。

2004年1月25日(日)

今月上旬にカンボジア国境で取得したばかりのアライバルビザ(有効期限30日)がもうすぐ切れてしまう。そこで今回は大学から招聘状を発行してもらい、ウィアングヂャン(ビエンチャン)のタイ大使館に行くことにした。申請翌日には留学ビザ(ノンイミグラントB)の発給を受けてバンコクへと戻ってくる予定。

午後4時、モーチットの北部方面行き高速バスターミナルに到着。さっそく乗車券を買おうとしたが、どこのカウンターに行くべきかと10秒ほど考え込んだ。モーチットの乗車券売り場はあまりにも広すぎる。これまでタイ人の彼女や友人が買ってくれていたから、僕は「買う方法」について考えることもなかった。しかし今回は一人旅。乗車券も自分で買わなければならない。周囲を見渡してみると四方八方に民間高速バス各社の乗車券販売窓口が並んでいる。その数、少なく見積もっても100を越える。

基本的にどのバス会社の乗車券を買っても同じ運賃だ。ところが、タイの高速バスには少なくとも3つの等級があり、それぞれ値段も異なるため注意しておきたい。①1等冷房 VIP バス(24席)は、ビジネスクラスのようなシートで足を伸ばしながら寝ることができる。②1等冷房バスは、標準的な日本の高速バスより若干大きなシートでくつろげる。③2等冷房バスは、標準的な日本の高速バスと同じ規格で少し窮屈に感じる。ほかにも④地方都市間を結ぶ冷房なしの普通バスがある。

一見すると無秩序に並んでいるかのように見える乗車券販売窓口も、よくよく観察してみると等級別に区分けされている。行き先表示に VIP と書かれているのは1等冷房 VIP バスの乗車券販売窓口、行き先表示が青色のは1等冷房バスの乗車券窓口、行き先表示が赤色のは2等冷房バスの乗車券窓口。それぞれ事前予約もできるので、バスの長旅を少しでも快適にするためにも、満席になる前にあらかじめ予約を入れておきたい。

1等冷房 VIP バスの競争率は高い。出発2時間前には満席になり、座席の割り振りが確定する。ちなみに VIP バスと2等冷房バスの運賃差は約2倍。今回、僕はバンコク(19時25分)発ノーンカーイ(翌朝5時)着のVIPバスの乗車券を購入。運賃は545バーツだった。

2004年1月27日(火)

目が覚めると外が明るくなっていた。昨晩の酒がまだ残っている。しばらくベッドの中でボーっとしていたところにナッシュが帰ってきた。

「昨晩は最高だったね! 俺がどうしても今日中にバンコクに戻らなくてはならないと言ったら、彼女は午前10時のバスでうなだれながらベトナムへ発ったよ。それしても、君は不運だったね。まあ気にすることはないさ。俺はバンコクで何百回も出くわした。まあ『良くあること』だ」

その後、シャワーを浴びてから遅めの朝食をとり、タイ大使館へパスポートを受け取りに行った足でそのままノーンカーイへと戻ることにした。

ラオス側国境で、ふとクルマの持ち込みについての話を思い出した。ラオス入国管理局の女性職員によれば、事前にラオスへの進入許可証を取っておけば問題なく入国できるとか。必要になる費用は、観光ビザ発給手数料や入国料や国境橋利用料など通常求められる料金を除けば、車両進入手数料200バーツと自動車自賠責保険300バーツの合計500バーツだけ。

国境から定期的に出ているシャトルバスに乗って、ノーンカーイ・バスターミナルへと向かった。

高速バスの出発時刻までまだ4時間以上もあり、郊外にある大規模小売店「テスコ・ロータス」で時間をつぶすことになった。ロータス・ノーンカーイ店のすべての掲示物にラオス語が併記されていたのには驚いた。解読には時間がかかるものの、タイ語に似ていて読んでなんとか理解できるところが面白い。後日、時間を見つけてラオス語に挑戦してみたい。昨晩のビアバーのラオス人従業員によれば、「ウィアングヂャン市内に語学学校が少なくとも3カ所はある」らしい。

さらに、市内のメイン通りを市場まで歩いていって、単3電池を購入してからバスターミナルへと戻った。ノーンカーイ発バンコク(モーチット)行きの寝台1等(VIP)都市間高速バスは、午後7時20分にノーンカーイバスターミナルを出発した。

2004年3月18日(木)

タイ研究科主催のクメール遺跡ツアーに参加した。

今回のゲスト講師はスィンラパーゴーン大学(シラパコン大学)の考古学部長。僕たちは茹だるような暑さで倒れそうになりながら、現地で考古学講座を受けた。

パノムルング遺跡宮殿(パノムルン遺跡)は、仏教歴15世紀から18世紀まで仏教の中心地として栄えた。タイ国内で唯一山の斜面に建立された宗教的建造物で、仏教歴2531年に史跡に指定された。一方、ムアングダム遺跡宮殿(ムアンダム遺跡)はそこから8キロほど離れており、仏教歴1550年頃から1625年頃まで栄えたが、史料不足から詳細は依然謎に包まれている。

ホテルに戻ってから、参加者およそ30人のうち、元気のある若者10人で酒を飲みながら深夜までトランプゲームを楽しんだ。午前零時に自室に戻り、カンボジア人ルームメイトとカンボジアの国防問題や外交問題などについて夜を徹して話し合った。

僕は考古学に全く興味がない。今日の出来事にも解説を付け加えるような感想もないから、とりあえず「旅行のしおり」にある日程表を載せておく。

วันแรกของการเดินทาง วันพฤหัสสบดีที่ 18 มีนาคม 2547 (กรุงเทพฯ – บุรีรัมย์ – ปราสาทหินพนมรุ้ง – โคราช)
旅程第1日目 2547年3月18日 (バンコク – ブリーラム – パノムルゥング遺跡宮殿 – コラート)

06.30 น. คณะเดินทางพร้อมกัน ณ จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย คณะอักษรศาสตร์ (ถนนอังรีดูนังต์ ตรงข้ามสปอร์ตคลับ)
ヂュラーロンゴーン大学文学部(スポーツクラブ向かいのアングリードゥーナング通り)に集合

07.00 น. นำท่านเดินทางสู่จังหวัดบุรีรัมย์ โดยรถโค้ชปรับอากาศชั้นหนึ่ง พร้อมบริการอาหารว่าง และเรื่องดื่มบนรถ
1等冷房バスでブリーラム県へ向かって出発。(飲食サービス付き)

12.00 น. รับประทานอาหารกลางวัน ณ ห้องอาหารลักษณา ขาหมูนางรอง จังหวัดบุรีรัมย์
ブリーラム県にある「名物・ナーングローング焼き豚」のラクサナー食堂で昼食

13.30 น. นำท่านเดินทางสู่ปราสาทพนมรุ้ง โดยผ่านขึ้นสู่เขาพนมรุ้งทางสะพานนาคราชอันยิ่งใหญ่ ศาสนบรรพตที่งดงามที่สุดในประเทศไทยให้ท่านได้ชมปฎิมากรรมอันลำค่าที่บรรจงสร้างในสมัยพระเจ้าชัยวรมันที่ 7 สมัยขอมเรืองอำนาจ และนำท่านเดินทางต่อสู่ อ. ประโคนชัย
ナーカラート大橋側からパノムルゥング高地を通って、パノムルゥング遺跡宮殿へ。クメール覇権時代にチャヤオラマン7世によって建立された、タイで最も荘厳な宗教的建築物をご覧いただいてから、プラコーンチャイ郡へ皆さんをお連れします。

16.00 น. นำท่านชมปราสาทเมืองต่ำ ศาสมสถานขนาดเล็ก ที่งดงามด้วยลวดลายจำหลัก ศิลปะแบบบาปวนที่สร้างเป็นปราสาทอิฐ 5 หลัง อยู่บนฐานเดียวกันก่อด้วยศิลาแลง ได้เวลาอันสมควรนำท่านเดินทางต่อสู่จังหวัดนครราชสีมา
ムアングタム遺跡宮殿へ。紅土で作られた土台の上にそびえる、パープワング(?)様式の石造りの5棟の宮殿からなる荘厳な小規模宗教施設をご覧いただいて、折を見てナコーンラーチャシーマーへ皆さんをお連れします。

19.00 น. รับประทานอาหารค่ำที่ภัตตาคารเสียวเสี้ยว โดราช นำเข้าสู่ที่พัก โรงแรมสีมาธานี ถนนมิตรภาพ จังหวัดนครราชสีมา 30000 044-2133100
レストラン「シアオシアオ」で夕食後、宿泊地「シーマーターニー」ホテルへ。(郵便番号30000 ナコーンラーチャシーマー県ミトラパープ通り 044-2133100)

2004年3月19日(金)

昨晩、午前3時までルームメイトのカンボジア人と語り合っていたせいでひどい睡眠不足。猛暑の影響をモロに受けてフラフラになりながら、ピマーイ遺跡と附属博物館で聞いても分かるはずのない専門的な話を聞いた。予定より1時間半遅れの午後7時半に大学前に到着。季節外れに雨のなか、直ちに解散してタクシーで帰宅した。 

วันที่สองของการเดินทาง วันพฤหัสสบดีที่ 19 มีนาคม 2547 (ปราสาทหินพิมาย – กรุงเทพฯ)
旅程第2日目 2547年3月19日 (ピマーイ石造遺跡宮殿 – バンコク)

07.00 น. รับประทานอาหารเช้าในโรงแรม
ホテルで朝食

09.00 น. นำท่านเดินทางสู่ อ.พิมาย นำชมแหล่งโบราณคดีที่ทรงคุณค่าทางประวัติศาสตร์ “ปราสาทหินพิมาย” ปราสาทหินที่ใหญ่ที่สุดในประเทศไทย สัมผัสกับความงดงามอันเป็นแม่แบบให้ดับนครวัดในเขมร และลวดลายที่สลักบนทับลังและหน้าบันของปราสาท
ピマーイ石造宮殿へ。タイ国内最大の石造宮殿で歴史的貴重とされている古典の舞台であり、またカンボジア国内の寺院都市の原型となった。宮殿の紅土壁面の表裏には精細な細工が施されている。

11.00 น. แล้วนำท่านเข้าชม พิพิธภัณฑ์สถานแห่งชาติพิมาย ชมศิลปะโบราณวัตถุประเภทต่าง ๆ ที่จังแสดงเรื่องราวเกี่ยวกับความเจริญรุ่งเรื่องของวัฒนธรรมอีสานในอดีต โบราณวัตถุสมัยก่อนประวัติศาสตร์ที่นำมาจัดแสดงได้แก่ เครื่องปั้นดินเผาโบราณโครงกระดูก เรื่องมือ เครื่องประดับที่ทำจากสำริดและหิน โดยเฉพาะที่ค้นที่พบปราสาทหินพิมาย เช่น ทับหลังหน้าบัน เสาประดับหรอบประตู ทวารบาล และประติมากรรมรูปเคารพ อาทิ พระพุทธรูป เทวรูป รูปพระโพธิสัตว์ แบะรูปสลักศิลาพระเจ้าชัยวรมันที่ 7 เป็นต้น
その後、ピマーイ国立史跡資料館へ。古代イサーン地方における文化的繁栄を示す多種多様な古典芸術のほか、ピマーイ遺跡宮殿で見つかったリンテルやその後ろに置く装飾品、門神像、造形芸術(仏像、女神像、動物神像、ジャヤバルマン7世石像など)に代表されるような、古典的火葬釜、道具、青銅や石で作られた装飾品をご覧いただけます。

12.30 น. รับประทานอาหารกลางวัน ณ ร้านอาหารใบเตย (หน้าปราสาทหินพิมาย) หลังอาหารนำท่านเดินทางกลับสู่กรุงเทพฯ ระหว่างทางแวะช้อปปิ้งเลือกชื้อสินด้าได้ตามอัธยาศัย
昼食後、ピマーイ遺跡宮殿前の食堂「バイトーイ」での昼食後、バンコクへ。帰途、ショッピングのために停車し、自由行動でお土産を選べます。
18.00 น. ถึงกรุงเทพฯ โดยสวัสดิภาพ
無事にバンコクに到着

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