2001年11月10日(土)

今日も遅刻した。しかも、1時間クラスの遅刻だ。待ち合わせ場所はサヤーム駅前のマクドナルド。サヤーム駅は僕が住んでいるラーチャテウィー駅の――バス停感覚での――隣の駅だ。ラーチャテウィー駅までは徒歩3分、そこから乗る電車は3分に一度発着するし、隣のサヤーム駅までも2分くら いだ。仮に徒歩でサヤームまで歩いても15分もかからないだろう。どう考えても、俺の寝坊が原因だ。

マクドナルドで朝食を済ませた後、パタヤまでの高速バスが発着するエカマイ駅前の東バスターミナルにむかった。しかし、その途中のサヤーム駅でばったりサに会ってしまった。日本語学校の帰りだったらしい。彼女はシューと一緒にいた。彼らはつきあっているのかもしれない。僕は適当に挨拶をすませてその場を立ち去った。ちょっとバツの悪い雰囲気だったから急いで逃げ出したのだ。その後、バスターミナルで彼女らの友達で同じくタマサート大の学生プゥンと合流。数分後にバスはパタヤに向かって走り出した。

73バーツのバスは3時間くらいでパタヤについた。エーンの友達のリゾートマンションは巨大で、しかも部屋を2部屋も買い取っていたみたいだった。――でも、ベッドがない。ベッドが一つもなかった。今晩は飲みだと言うことになって、パタヤ市民向けの――といっても、日本の首都圏にあるスーパーマーケットの数十倍の売り場面積があり、とても清潔な――ショッピングセンター「テスコ・ロータス」でビールやお菓子、それに翌朝の朝食等を調達した。

帰宅後、みんなでビーチへ散歩に行った。いつの間にか、海へ落とし会う遊び(?)が始まってしまって、頭までびしょ濡れになった。

→ジーパン、選択屋行き=20バーツ

深夜まで酒を飲んだ後、僕に割り当てられた隣の部屋に戻って寝ようとしたところ、プェンが不思議そうに訪ねてきた。

「なんで、そっちの部屋での寝るの?こっちの部屋じゃ駄目なの?」

「僕はタイの常識がわからない。だから、日本では女子と同じ部屋で寝ても問題はないけど、タイでは悪い行いなのかどうかわからず、無難な選択をした」

「それなら、こっちの部屋でも大丈夫ってことだね。そんなに考えすぎることないじゃん!」

というこで、彼女の言葉に甘えてさせてもらい、4人でベッドのない部屋で眠った。

2001年11月11日(日)

プゥンは日本人に似ている。しかも、日本人のような容姿をしている。彼女の実の両親はすでに離婚していて、彼女を引きとっと実母がこのたび日本人の継父と結婚したのだそうだ。写真を見せてもらったけれども、彼女の母親も日本人そっくりの容姿だった――しかも、着物を着ていたのものだから、本当の日本人なのか聞いてしまったのだが、そうではないらしい。

彼女は新しい父親に会うのをとても楽しみにしているみたいで、大量のおみやげと写真付きの色紙を持ってきていた。彼はパタヤがあるチョンブリ県の隣の県に住んでいて、彼女はパタヤからバスに乗ると都合がいいらしく、今晩はそっちに泊まるらしい。

昼頃、パタヤのビーチに出かける。パラソルがある砂浜のスペース、一人あたり20バーツで一日中使い放題らしい。そこに陣取って、大量に海鮮タイ料理を注文した・・・が、僕はタイ料理も海鮮料理も食べられない。もちろん、僕はお金を払わなかったけど、その料理はあまり安いわけでもなかったようだ。タイ人って金持ちなのかも?

水上スキー等を楽しもう・・・と思ったけれども、30分1200バーツを言われ、「いや、やっぱりやめときます」と皆げんなりした表情で水上スキー屋に答えた。

夕方、みんなが飽きてきた頃に部屋に戻った。プゥンはすぐに出かけていった。その後、僕たちは昨日と同じショッピングセンターに行って夕食を食べた。そこは、日本のデパートやスーパーの地下に入っている食堂のようなカンジで、好きな店でそれぞれ買って食べることができる。僕は「すかいらーく」と書いてある店に行ってハンバーグを注文した。米は臭うタイ米だったが、肉は普通だった。これが僕のアパートの近所にあったら毎日通うだろう。値段も35バーツと大変リーズナブルだったから ◎ をあげちゃう!

深夜にプゥンが帰ってきた。パタヤはバンコクと彼女の父の家の中間にあるらしいが、どうやらパタヤは経由しないらしく、彼女は父の家にたどり着けなかったのだとか。明日、バンコクまで戻って再チャレンジ?

2001年11月12日(月)

今日も昼頃に起きた。昼食は日本にもある高級めのファミリーレストランチェーン「シズラー」。それはこのタイでも高級だった。一人あたり200バーツ程度。でも、サラダバーは日本の方が格段に上だった!

パタヤに戻ってくることになっていたプゥンを待つためにショッピングセンターでウインドウショッピングをして時間をつぶしていたところ、途中でプゥンから「父がバンコクまで車で送ってくれることになったからパタヤには戻らない」という内容の電話があった。僕たちはリゾートマンションに戻ってバンコクへ帰る支度をしているときに、エーンはバンコクには戻らないと聞いた。

帰りのバスの中でエーンがバンコクに戻らない理由をプェンから聞いて、どうやら彼女が家出をしているらしいことを知った。

別れ際に、プェンにパスポートを預けた。少し危険かと思ったけれども、アパートのオペレーターに、パスポートを週明けに持って行く旨を約束してしまっていたのだ。明日、彼女が大学に行く前に大学図書館でパスポートのコピーをとって、僕の部屋に届けてくれるらしい。――ちょっと心配。でも、日本のようにあちこちにコピー機がある訳じゃないし、僕はコピー機がある場所を知らないから、この方法が一番確実なのだ。(でも、よくよく考えてみると、明日彼女と一緒に行くってゆうのが一番安全確実のような気がしてきた)

なお、有効期限10年の日本国旅券(パスポート)の闇での相場は40万バーツだとか。

2001年12月10日(月)

12月8日から10日までの3日間、バンコク郊外にあるビーチリゾート、パッタヤー(パタヤ)へいつもの3人(エーン, プン, シェーン)と遊びに行った。帰宅後、「旅行中、あなたをプンにとられた」とエーンがふて腐れているが、この程度ならまだまだ大丈夫だろう。

2002年6月12日(水)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級1進級試験の出題内容は、長文読解4問、リスニング14行、語彙補充40問、文法50問。150点満点で、満点の6割に相当する90点を下回ると放校される。

これまで長文読解問題は教科書からそのまま出題されていたが、きょうの試験では教科書とは無関係な文章ばかり出題されたため、最初からじっくり読まなければならなかった。さらに、試験対策が不十分だったため、語彙補充問題で時間を浪費した。試験終了後、暗い表情をしているクラスメイトたちに試験の出来を訊いてまわったが、みんな自身がない様子だった。サイアクの場合、今回の試験を限りに、集中タイ語講座(インテンシブタイ)から追放されるかもしれない。

その後、パッポング(パッポン)2にあるバービア(オープンバー)へクラスメイトと出かけた。ハイネケンビールを飲みながらビリヤードに挑戦したが、あまりの暑さに汗が手にこびりつき、キューを上手く押し出せない。

本来、バービア(オープンバー)は、売春婦と語り合いながらビールを飲み、もし気に入れば連れ出し料金(ペイバー)を払ってセックスの相手を確保するための店だが、このときはまだ午後4時前で、まだ売春婦も出勤していなかった。午後6時、トゥックトゥック(トゥクトゥク, 3輪バイク改造タクシー)(50バーツ)で帰宅すると、エーンに叱られた。

「今晩、7時20分発の電車でチアングマイ(チェンマイ)へ行くのは覚えてるわよね? まだ荷物も用意してないでしょう? 電話したのに、なんで出なかったのよ!?」

ハイネケンビール小ビン4本のせいでフラフラしていたが、それでもシャワーを浴びて荷造りを済ませ、午後6時45分には自室を発った。一時は間に合わないかと心配したが、午後7時にはフワランポーン駅(ファランポーン駅)に到着した。

特急「スプリンター号」(バンコク発チアングマイ(チェンマイ)行, 480バーツ, 全車両2等車)は、寝台列車ではないため普通の座席しかないが、足下のスペースは十分確保されており、足を乗せるための台もある。現代重工(韓国)製の客車で、10年前の日本の特急列車並みで、乗り心地もなかなか良かった。

しかし、飛行機の深夜便もそうだが、普通の座席で寝るのは困難を極め、午前3時ころまで寝付けなかった。

2002年6月13日(木)

特急「スプリンター号」は、タイ航空の国内線との競争を意識しているため、ビーマンバングラデシュ航空などの格安航空会社と比較すると、サービスは良い。

午前5時、電車の外はまだ薄暗かったが、照明が点灯し朝食が配られた。軽食とコーヒーのためだけに起こされて困惑した。まだ寝てから2時間しか経ってない。食後、客室乗務員に許可をもらってデッキでタバコを吸い、吸い殻を捨てようとしたところ、灰皿がどこにもなかったため、やむなくゴミ箱に捨てた。灰皿がない場所で喫煙を許可するとは、どういう安全管理をしているんだ?

午前7時20分、タイ国鉄北線の終着駅、チアングマイ(チェンマイ)駅に到着した。北線は現在、チアングラーイ(チェンライ)まで路線伸張工事をしている。駅前のヂャルーンムアング通りから、ソングテオ(ソンテウ, 乗り合いトラック)で街のはずれまで行き、そこからバイクタクシー(モーターサイ, モタサイ)を3人乗りして、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)へと向かった。山間の村々を通過したが、道路の整備状況は日本並み。

午前8時、山間の村々を通過して、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)に到着。宿泊受付所はまだ始まっておらず、清掃婦以外に誰もいない。リゾート内唯一のレストランで時間をつぶした。

午前9時、ヂュラーロンゴーン大学(チェンマイ)文学部の集中タイ語講座(インテンシブタイ)オフィスに、テスト結果を電話で照会した。得点は114点、正答率は76.5%で、クラス6人中3位だった。順位は低下の一途をたどっている。「1週間に3日、毎週月・水・金は、わたしと勉強すること!」とエーンに言い渡された。

サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)の宿泊施設は、それぞれが独立しているコテージで、約40%のスペースが浴室に充てられている。冷房はないが、天井に扇風機が付いており、宿泊料は500バーツ。夜行列車の疲れを癒すために浴室に直行したが、石けんが用意されていないことに気づいて外へ出た。

リゾート内には、整備が行き届いている花畑があり、チョウチョが飛び交っている。6分ほど歩くと、温泉の吹き出し口に到着した。そこには、温泉卵を作るための池があり、現地の人々がその支流に足を入れていた。健康に良いという。その現地の人々の中に、エーンの祖父がいた。エーンは自分の居場所を家族に知らせていないので、大急ぎで部屋に戻った。

午前11時、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)チアングマイ(チェンマイ)行のソングテオ(30バーツ, 約1時間)に乗り、花卉市場前にある Seven Eleven(セブンイレブン) で温泉グッズを一通り揃えた。

午後2時、ふたたびサンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)へと戻り、ようやく熱い温泉にありつけた。タイ留学開始以来、はじめて湯船に、しかも温泉につかることができた!! (ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) には浴槽がない)。

最高な気分になって、リゾート内唯一のレストランへ、遅めの昼食をとりに出かけた。ここのアメリカ風炒飯(カーオパットアメカン)(50バーツ)は、タイ留学以来もっとも美味しい。こんな店が近所にあったら、タイ料理が好きになれるかもしれない。その後、昼寝して、温泉に浸かって、そしてまた寝た。

2002年6月14日(金)

朝、サンガンペーング(サンカンペーン)にある温泉リゾートをチェックアウトして、チアングマイ(チェンマイ)市中心部へと戻り、昨晩予約したばかりのホテル「スリトーキョー」(1泊450バーツ)にチェックイン。ちかくのレンタカー屋でクルマ( Toyota Corolla(トヨタカローラ) クラス, 冷房カーステ付 MT 車, 1日1,100バーツ)を借りた。チアングマイ(チェンマイ)市街は、走っているクルマこそ違うが、無秩序な交通はバンコクそっくり。高層ビルがないことを無視すれば、まるでバンコクにいるのと変わらない。

そのままドーイステープ山(ドイステープ山)の頂上にあるワットドーイステープ寺(ドイステープ寺)へと向かった。途中、山道のビューポイントから見下したチアングマイ(チェンマイ)は絶景だった。

チアングマイ(チェンマイ)からチアングラーイ(チェンライ)へと向かうルートを、地形図ではなく簡素な道路地図だけで決めたため、本来、タイ国道118号チアングマイ(チェンマイ)-チアングラーイ(チェンライ)線を使うところを、谷間を縫うようにして走るタイ国道107号チアングマイ(チェンマイ)-ファーング線で北上してしまった。ワットマハータートパンコーング交差点付近にあるガソリンスタンドで、このルートが棘の道であることにようやく気が付いて右折。山脈を横断するタイ国道1150号線ピンコーング-チアングダーオ-プラーオ線を東へと向かった。

ところが、タイ国道1150号線こそが真の棘の道で、果てしなく続くヘアピンカーブには本当に悩まされた。それでも途中、キレイな2重の虹を発見。山岳少数民族(メオ族, タイの最貧困層)がカラフルな民族衣装姿で道路を歩いているに遭遇するなど、それなりに良いこともあった。

午後9時、約350キロの峠道を約4時間半かけて走破し、ようやくチアングラーイ(チェンライ)市街に到着。こぢんまりとした市街地は、時計塔から西に延びている商店街を中心に形成されている。

繁華街中心部の道路脇にある無料駐車場にクルマを駐めて、ピザチェーン店 The Pizza Company(ザ・ピザカンパニー) でハワイアンピザを食べ、 Seven Eleven(セブンイレブン) でタイポップスのカセットテープ、お菓子、栄養ドリンクを購入。約2時間半かけて、チアングマイ(チェンマイ)市中心部にあるホテル「スリトーキョー」に到着した。

冷蔵庫にあったビアスィング(シンハビール)を飲んで疲れを癒し、シャワーを浴びてからベッドへと直行した。

2002年6月15日(土)

チアングマイ(チェンマイ)市内にあるメーサー滝へ行ったが、雨季のせいで濁っていたため、滝泳ぎをあきらめてパヤオへとクルマを走らせた。

タイの幹線道路は、とても良く整備されており、日本と比較しても遜色ない。少数山岳民族(メーオ族)の集落を通りかかったときには、集落より道路のほうが豪華に見えた。タイ国道1号線のパヤオ市付近も、とても広い。

グワーンパヤオ湖の畔を散策してから、観光客向けのタイ料理店でアメリカ風炒飯(カーオパットアメリガン)(タイ料理しかないときにイヤイヤ注文するメニュー)を注文し、チアングマイ(チェンマイ)へと引き返した。

ところが、気づいたときには、タイ国道1号線を約100キロも余計に南下していた。そのまま峠道を南下を続けて右折すると、見知らぬ市街地へと迷い込んだ。道路の脇には、花馬車が駐まっていた。

「花馬車は、ランパーング(ランパン, ラムパーン)の名物で、ここにしかないんだよ」と、エーンが話していた。怪我の功名。これも道に迷ったおかげ。その後、国道1号線パホンヨーティン通りをさらに南下し、国道120号北宮殿パヤオ線を北上してチアングマイ(チェンマイ)へとたどり着いた。

国道1号線では途中、数十キロにも渡って舗装工事が行われていたため、砂利道をゆっくりと走らざるを得なかった。

2002年6月16日(日)

朝、チアングマイ(チェンマイ)市内にあるホテル「スリトーキョー」をチェックアウトし、ちかくのレンタカー屋にクルマを返却。オーナーにタイ国鉄チアングマイ(チェンマイ)駅まで送ってもらった。

特急「スプリンター号」(チアングマイ(チェンマイ)発バンコク行)では、往路と同じ昼食が振る舞われた。午後のおやつを断り、眠っているあいだにバンコクに到着した。タイ国鉄ドーンムアング駅(ドンムアン駅)停車時に見た、空港のオレンジ色の照明が、条件反射的にココロを Go Go Bar(ゴーゴーバー) へと駆り立てる。

そんな欲求を抑えて、タイ国鉄マッガサン駅(マッカサン駅)からタクシーでペッブリー通り(ペチャブリー通り)にあるアパート Venezia Residance(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)へと戻った。

「わざわざチアングラーイ(チェンライ)まで行って、何をしてきたと思う? The Pizza Company(ピザカンパニー) でピザを食べて、そのすぐ近くにある Seven Eleven(セブンイレブン) でお菓子を買っただけよ」と、エーンはハンズフリーの携帯電話に向かって話していた。

「ねぇ、ケイイチぃ、ちょっと聞こえてる? どうしてチアングラーイ(チェンライ)まで行って、ピザ食べなきゃいけないのよ? 普通、旅行先では名物を食べるもんじゃないの?」携帯電話から、エーンの親友、ジョーイの声が聞こえてきた。・・・・・・たしかに、仰るとおり。

友人の日記を久々にチェックしてみると、エーンという名のカノジョができたと書かれていた。

「ああ、これからややこしくなるわね。わたしをエーン1号、もうひとりをエーン2号と呼びましょうよ」とエーンは言うが、友人が付き合っているエーンのほうが先に生まれている。

「でも、2号と呼ばれるのだけはイヤ。じゃあ、あっちをエーンオーと呼ぼうよ?」

タイ人のニックネームは短いため、どうしても他人のニックネームとダブってしまう。エーンが提案していた「エーンオー」は、オーのエーンという意味。オーは友人の名の一部。

どうも、小エーンと大エーンに落ち着きそう。

2002年6月22日(土)

本当に迷惑な話だ。

「選挙実施区域内において、選挙前日の午後6時から選挙当日の午後6時までに、アルコール飲料を販売・領布・提供した者は、6ヶ月未満の懲役または1万バーツの罰金またはその両方を科す」(タイ選挙法155条)

タイでは、選挙前日の飲酒が禁じられている。そのため、選挙前日になると、飲み屋の大半が休業し、一部営業している店も酒を出さなくなる。コンビニでも販売が中止されるため、アルコール飲料の調達が一切できなくなる。

昼、パッタヤー(パタヤ)へ、羽を伸ばすためにグルングテープ大学(バンコク大学)の男子学生と出かけた。エーンはペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) で留守番をしている。ところが、パッタヤー(パタヤ)市長選を翌日に控え、お楽しみのナイトスポットはことごとく閉店していた。バービア(オープンバー)では、西洋人がコーラ片手に売春婦を膝の上に乗せて恍惚の表情を浮かべている。まったく滑稽だった。

アルコール飲料を求めて、パッタヤー(パタヤ)市内を縦横断し、ようやく通常の営業をしている飲み屋を発見。ところが、そこはカラオケスナックと呼ばれている、ホステスとカラオケを楽しみ、ホテルへと連れ帰るための売春斡旋施設だった。

当初、タイ人男子学生は、ホステスを付けずにビールを飲んでいたが、次第に泥酔していき、気づいたときには相談なしに、勝手に「僕のための売春婦」を購入していた。その売春婦の容姿があまりにヒドかったため、とても金を払う気にはなれなかったが、口論を続けていても埒があかない。そこで、①料金は折半する、②一方が「サービス」を利用しているときは、もう一方が屋外で時間をつぶすことで合意。

男子学生は、最初に売春婦のサービスを利用した。どこまでヤッたか知らないが、売春婦によると「ひたすら男子学生のビジネスの話を聞かされ続けた」という。その後、部屋に入って売春婦と対面したが、最後まで体に触れることなく、自分の持ち時間を無事にやり過ごした。

ただでさえ売春婦には興味ないのに、強烈なブサイクに金を払わせられるとは。

本当に迷惑な話だ。

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ...17