2002年10月15日(火)

午後9時、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)でラム酒 Bacardi Breezer(バカルディ・ブレーザー) (69バーツ)を飲んでいたところ、興味深いテレビドラマがやっていた。

テレビドラマ「二世界放浪記(ニラートソーングポップ)」は、タイ放送局3チャンネルで毎週月曜日と火曜日の午後8時15分から放映されている(シリーズ全17回)。

■ あらすじ

2000年、アユッタヤー史の研究者ブワブッサヤー(バンゴット・コングマーライ演)は、パリでアユッタヤー時代(アユタヤ時代)のフランス人宣教師が書き残した歴史資料を収集していた。ところが、バンコク・ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)をクルージング中の外国人事業家3人が、ワットアルン寺付近で要塞に向かっている艦艇200隻以上に遭遇し、当時の奴隷が身に付けいていた衣服を持ち帰ったとの新聞記事を見つけて退職を決意。帰国後、外国人事業家トゥティヤから見たままの話を聞いて、毎晩のようにヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)へ行き、当時の遺品を探し続けた。

その3年前(1997年)、ブワブッサヤーの父バンポップは、社長を務めていた投資会社がアジア通貨危機で倒産し、経済警察に追われて国外へ逃亡。ブワブッサヤーと母ヤーヂャイは、残された資産を売却して債務の返済に充てた。富裕層向けのファッションショーで、恋人チェーターがブワブッサヤーに別れを切り出し、その場で政治家の娘ピーチに声をかけた。ブワブッサヤーは、チェーターのクルマの後部座席に潜み、拳銃でピーチを脅して下車させるが、逆にチェーターに銃を奪われ川に飛び込んで逃走を図る。

ブワブッサヤーが水面から顔を上げると、そこは1767年のアユッタヤー(アユタヤ)だった。上半身裸の恐ろしい男ティアン(ラウィット・トゥートウォング演)は、茂みの中でサロンを履いたビルマ兵7人の首を刎ね、ブワブッサヤーに気付くとビルマ軍のスパイと疑いあとを追った。ところが、ブワブッサヤーがビルマ兵にレイプされそうになっているところを見つけて救い出し、アユッタヤーへと連れ帰った。

ブワブッサヤーたちは、絶体絶命の危機にあった。すぐ背後にビルマ軍が迫っているなか、近衛師団長ヂャーオプラヤーセーナー候の部隊が、ビルマ軍部隊の場内侵入阻止を口実にアユッタヤーの城門を閉ざした。ティアンの友人グレットとクワーンが助けに来てビルマ軍部隊を全滅させると、ようやく城内に戻るのを許された。

ヂャーオプラヤーセーナー候の子ルワングチェート男爵は、好きだったレーライがティアンと結婚したため、ティアンが戦死したとの虚報を流し、遺体を回収するために城を出たレーライをビルマ兵に変装してレイプ・殺害した。その後、財産目的でティアンの妹ソムホームにアプローチするが、モムメーティー親王に好意を寄せていたため断られた。ルワングチェート男爵の妹チョンコーは、ティアンを好いていた。ティアンの母ヂャンホームは、華僑商人スワハイと結婚したため周囲から蔑まれた。

ティアンは上流社会から妬まれていたが、父スワハイの死後、莫大な遺産を背景に朝廷内における影響力を着実につけていった。ヂャンホーム付きの奴隷になっていたブワブッサヤーは、アユッタヤー社会の衰退を目の当たりにしており、ディアンがヂャーオプラヤーセーナー候で出陣したときには、その身を案じて迎えにいった。

ルワングチェート男爵がティアン戦死の虚報を流すと、極端に治安が悪化していたアユッタヤーの人々がティアンの屋敷に殺到し、財産を略奪した。ティアンは、ヂャーオプラヤーセーナー候とルワングチェート男爵がビルマ軍と内通して開城を企てているのを事前に知って、モムメーティー親王にふたりを逮捕するよう上申した。ところが、ルワングチェート男爵は逃げ延び、モムメーティー親王もロッブリーへと敗走した。ブワブッサヤーは、ティアンと落ち合うために、男装してロッブリーへと向かう。しかし、モムメーティー親王が即位を宣言して中国系を忌避したため、ティアンは同じ中国系のプラヤーターク伯と挙兵。途中、ルワングチェート男爵の部隊に奇襲され、負傷した。そのとき、レーライ死の真相をはじめて知らされた。

ブワブッサヤーがティアンを看病しているあいだに愛が芽生えた。戦乱が終わると、ブワブッサヤーがティアンに愛しているかと尋ねるが、否定されたため、悲しみのあまり川に飛び込み入水自殺を図る。ティアンは、慌てて川に潜ってブワブッサヤーの姿を探したが、発見できたのは奴隷の服だけだった。

ブワブッサヤーが水面から顔を上げると、ふたたび現代に戻っていた。

※ 文中の爵位は、宮廷内の力関係をわかりやすく説明するために、アユッタヤー期の貴族階級(全7階級)のうち、上位5つを華族令(日本, 1869年)に基づく階級にあてはめています。

■ 第1話の見どころ

1. 王都グルングテープ(クルンテープ)

ブワブッサヤーは、現代の非文明国にいると思い込んでおり、グルンテープ(クルンテープ)(バンコクのタイ語名称)へ帰して欲しいとしきり懇願する。ところが、そこはアユッタヤー王朝(アユタヤ朝)の王都「グルングテープタワーラーワディースィーアユッタヤー」だった。人々は、グルングテープ(クルンテープ)にいながら、グルングテープ(クルンテープ)へ帰りたいと言うブワブッサヤーを異常者扱いした。

2. 百貨店 The Mall(ザ・モール, ド・モール)

ブワブッサヤーは、グルングテープ(クルンテープ)は近代的な大都市で、 เดะมอลล์(The Mall, ザ・モール, ド・モール) というオシャレな百貨店があると説明した。ところが、敵国ビルマの部族 มอญ(モーン) と聞き間違えられ、ビルマのスパイと疑われた。

3. 仏歴2309年

アユッタヤー王朝(アユタヤ朝)が滅亡する1年前。当時の町並みや文化をかいま見ることができる。

4. 貝銭

アユッタヤー時代(アユタヤ時代)には、鋳造貨幣ではなく、貝殻を加工して作られた貝銭が流通していた。ブワブッサヤーは、ティアンの邸宅から叩き出されるときに、手切れ金としてこれを受け取り仰天した。

役者の質と撮影技術はサイアクだが、ミーハーな現代人が封建時代にタイムスリップするという設定は興味深い。タイ語やタイ文化の変遷について考えるにはもってこいの教材。

2002年10月27日(日)

夜、ペッブリー(ペチャプリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)で、きのうパンティッププラザで買ったタイ映画「スリヨータイ」を観た。

タイ映画「スリヨータイ」は、伝承上の英雄アユッタヤー(アユタヤ)王妃スリヨータイの生涯を描いた歴史映画。舞台は、アユッタヤー王朝(アユタヤ朝)前期の約60年間(1493-1548)。

スリヨータイは、タイ北部ピッサヌローク(ピサヌローク)で、オークヤースィースリンの娘として生まれた。ラーマーティッボディー2世が1529年に崩御すると、跡を継いだプラノープッターングーン王が毒殺された。プラヤーヨンマラートは、5歳児のラッサダーティラートグマーンを王位に就けて専横を振るうが、ミャンマー軍が攻めてきたため、プラチャイラーチャーがラッサダー王を廃して王位に就いた。その後、王妃スィースダーヂャンが、プラチャイラーチャー王、プラヨートファー王を殺害、プラスィースィンラパ王を廃して、愛人クンウォーラウォングサーティラートを王位に就けた。

王が忠臣に誅されると、スリヨータイの夫ヂャッグラパット(チャクラパット)が王位に就くが、スリヨータイの奮戦もむなしく、アユッタヤー(アユタヤ)はミャンマーの属国となった。

この作品の見どころは、女性が勇猛果敢に戦うシーンだけ。しかも、宮廷を舞台に物語が展開するため、高貴なタイ語(王語)ばかりで、ほとんど聞き取れなかった。大嫌いな英語の字幕に目を落とし、なんとか3時間を耐えた。

アメリカ人元クラスメートが昨晩の電話で、「あれは単なる捏造歴史ドキュメンタリーだ。しかも宙に血と生首が・・・・・・」と嫌悪感を露わにしていた。

2004年12月25日(土)

彼女なしのクリスマス。初めての体験はどんなものでも貴重だが、何もせずに自室に引き篭もってふて腐れていては惨めすぎる。仏教国のタイでも、日本と同じように若者たちはスウィートな一日を楽しんでいる。

そこで、エーガマイ(エカマイ)にある映画館 Major Cineplex(メジャーシネプレックス)で、おととい公開されたばかりのコメディー映画「ヂェオ」(M.A.I.D.、GTH配給)を友人と見た。

この作品の監督、スィン=ヨングユット・トーングゴーングトゥン(38歳・ヂュラーロンゴーン大学報道放送学部卒)は、日本でも公開されて話題になったコメディー映画「サトリーレック」(鋼鉄の淑女、2544年)を監督したことで知られている。脚本のソムマーイ・ルーサウラーンは、コメディー映画「パラーングチョンプー」(SAVING PRIVATE TOOTSIE、2545年)で名声を得て、現在放映中のテレビドラマ「メロドラマ」(タイ陸軍放送=チャンネル5)では原作を担当するなど今をときめく有名作家。主演のベーンツ=ポーンラチター・ナ・ソンクラー(24歳、スィーナカリンウィロート大学文学部演劇学科卒、ウェーオ役)は、テレビドラマ「ナーングアーイ」やテレビCM「ウエラ・サニードロップシャンプー」に出演するなど注目を浴びている。

新興工業国として急速に発展してきたタイは、政治的経済的な監督システムの整備が立ち遅れたままになっている。こうした事態を憂慮した首相は、利権によって甘い汁を吸っている高級官僚の不正を暴いて、国家の発展を促進させることを目的に、タイ警察本部犯罪制圧局を定年直前に退官したプラセーリット(ソムチャーイ・サックティグン演)を長とする密偵組織「ヂェオ」を結成した。

主人公のウェーオは、イーサーン地方(タイ東北部)からバンコクに出てきたばかりの出稼ぎ労働者。この日、ウェーオはメイドとして住み込みで働いていた家から追い出されてしまい、姉を頼ろうと地理不案内のバンコクの街を右往左往していた。そこで、任務中の「ヂェオ」を救出しようと現場に向かっていたプラセーリットのバンに接触。応急手当を受けているあいだに逃走に失敗したヂェオの面々が射殺されてしまった。

ウェーオはプラセーリットの家で住み込みのメイドとして働くことになった。ところが、ウェーオのメイドとしての仕事ぶりはまさに目を覆わんばかりだった。ある日、プラセーリットは一念発起してウェーオに工作員としての訓練を施すことを決め、新たに3人を雇い入れて、国家のために働く密偵組織「ヂェオ」を再結成した。

ヂェオの4人組は、毎回のようにドジを踏んでは任務のことごとくを失敗に終わらせた。特にチェンマイのホテルで踏んだドジは致命的だった。

紆余曲折を経て、ついに政府高官が違法カジノから巨額の利益をあげている証拠が記録されているコンピュータデータを入手することに成功した。しかし、同時にプラセーリットの秘密を知ってしまう。

ヂェオは国家の発展のために首相が組織した秘密結社ではなかった。プラセーリットが女性関係のいざこざでひとりの高級官僚を逆恨みして、弱みを握って嫌がらせをするために結成した素人探偵団にすぎなかった。正義はむしろ高級官僚の方にこそある。

秘密を知ってしまったヂェオの4人組は、上司のプラセーリットから命を狙われ、敵にも追われる羽目になった。4月に行われるタイ正月を祝う水掛祭り「ソングラーン」の行列に紛れ込んで敵を撒こうとするがこれにも失敗。敵が用意したトラックに追い込まれて監禁されてしまった。

あまりの無能ぶりあきれ果てた愛人は、トラックの荷台のなかでプラセーリットに銃口を向けた。そして、その美しい姿からは想像できない低い声で真実を告げて引き金を引いた。

「実はオレ、男なんだ」

プラセーリットはあまりの理不尽に動揺して唖然としながら息を引き取っていった。

プラセーリットの死でようやく生命の危機を脱したウェーオは、依然トラックに監禁されたままだったが、(タイでは貧困とマヌケの象徴とされている)水牛にまたがってやってきたヂェオのメンバー「ヂムヤイ」に救出された。こうして、自由の身となったヂェオの4人組はそれぞれの道へと歩み始めた。

タイの映画俳優は、一般に学歴や容姿だけで選ばれることが多く、役者としての能力は必ずしも高くない。この作品に登場する役者たちも大半が中学生の「学園祭の出し物」程度の演技力しかなく、切り替えの早いカメラワークと派手な映像効果でそれなんとかカバーしている。

前半のコミカルな雰囲気のなかでシリアスな展開を観客に期待させておきながら、こうした予想を後半でことごとく裏切るという完全反転型のストーリーで、腹を抱えて大笑いできる場面や、社会問題として話題になっている舞台などをふんだんに織り交ぜるなど、観客を飽きさせないための工夫が随所に見られた。また、タイ標準語字幕が必要なほどコテコテの地方方言が頻繁に飛び交い、ターペー門前を舞台としたチェンマイ名物「ソンクラーン祭り」を小道具に使うなど地方出身者の心をガッチリと掴んでいる。

これに対する友人の話。

「タイ映画の主人公は容姿のいい裕福な家の子女と決まっているけど、この作品では金持ちでもなく賢くもない出稼ぎに来たという女の子が主人公っていうところがポイントね。そう上手くもない演技で笑いをとることで、観客に親近感を植え付けることにも成功しているわ。ほら、私たちと同じ『普通の人』ってカンジがしていいじゃない?」

この作品は、多額の制作費用を投じてタイの大衆娯楽を映画館のスクリーンサイズに拡大したものだ。素人のようなおもしろおかしい演技で大衆の笑いをとることには成功しているが、芸術性はかなり損なわれている。役者の演技力を数段階落として、笑いをとる場面を極端に増やした香港映画といったイメージ。

先日20日に課された課題で、明日までにこれと同じくらいの長さの英文映画レビューを4本も書かななければならない。真面目に映画のレビューなどを書いたことがない僕にとっては、辛くしんどい作業になりそうだ。

その後、別の友人からアマリ・アトリウムホテルのクリスマスディナーに誘われた。

2005年5月14日(土)

「階級社会? はぁ~~? 馬鹿言ってんじゃないよ。そんなこと、どうだっていいんだ。そもそも関係ないじゃないか」

数日前、永年タイに住んでいる日本人男性から「タイ人とは何か」という議論を持ちかけられたが、タイ社会を語る上での基本である「階級社会」の理論を、開口一番「どうでもいい」の一言で一蹴されてしまった。これでは、100万円の4割が40万円であることを否定しようとしている人と税法について語り合うのと同じくらい不毛だ。

すでに明らかになっている事実を否定することは、日本人の常識から考えると「異常」以外の何物でもないが、何を隠そうこれがバンコク土着型日本人中年男性の典型的な姿だ。彼らについて詳しく調査してみると、タイ階級社会論が要求している「社会的地位」、「経済力」、「教育」のすべてにおいて、①最低ランクとされている元娼婦(売春婦)を配偶者としていたり、②日本人であるにもかかわらず平均的タイ人を圧倒することすらできないという本人の苦境が見え隠れしている。不遇な自分を正当化するためには基礎的な社会学の理論をも否定せざるを得なかった、と考えれば同情してあげたくもなるが、自分を慰め正当化するために構築された謎の独自理論に付き合わされてはかなわないし、そんなダメ日本人に好き勝手言われるタイ人が気の毒でならない。

そもそも、「タイ人とは何か」というテーマについて話したがる日本人のほとんどは、タイという階級社会において「日本人としての階級」をすでに維持できなくなっている。それゆえに、彼らは日本人としての最後のプライドを守るために「日本国はタイ国より優れているから、日本人たる自分もタイ人より優れている」という論法を必ず用いる。しかし、タイ人と心が通うレベルのコミュニケーションをとれない人間が、どうして自分はタイ人より優れていると断言できるのだろうか? 僕はそのような日本人に出会うたびに、「あなたは確かに日本国民なのかもしれませんが、あなた自身が日本国なのではありません」と言ってやりたくなる。どんなに国家が優れていても、すべての国民が絶対的に優れているとは限らない。ってゆうか、自分を慰め正当化しようとしている時点ですでに十分劣っている。

そんなバンコク在住の典型的現実退却派日本人のようにならないためにも、この日記の読者にはタイ社会の根幹をなす「階級社会」をタイ人庶民の視点から見つめ直すことができる映画をオススメしたい。コングデート・ヂャートランラッサミー監督の新作「チュム」(サハモンコンフィルム配給)が、今月12日からタイ全国の映画館で上映されている。タイ語音声だが、平易な英語字幕がついているため、コングデートが映画を通じて人々に伝えようとしていることはタイ語を話さない人にもきっと理解してもらえるはずだ。

映画関係のレビュー記事を書いているタイ人ブロガー Chubby Chocobo は、この映画を กระจกสะท้อนสังคมเมือง ตลกสะท้อนสังคมไทย (都市社会を映す鏡、タイ社会を映す笑い)と評している。この作品に限らず、コングテート監督のお笑い映画の裏には痛烈な社会批判や問題提起が必ず隠されている。

バット=ソンバット・ディープローム(ペットターイ・ウォンカムラオ演)は、廃墟のようなオンボロトゥックテオ(商用長屋)の一室で暮らしている無口で真面目な中年タクシー運転手。1940~1970年代に流行したようなレトロな歌謡曲をこよなく愛し、タイ人からも忘れ去られようとしている AM ラジオをいまだ聞きながら運転し、ひとり幸せに浸っている。仲間の運転手たちからは「 FM ラジオも聞かず携帯も持たない流行遅れの男」とバカにされるが、それでも決して自分のスタイルを変えようとはしなかった。

ある晩、閉店間際のラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)のソープランドでいつものように客待ちをしていると、仕事を終えて店を出てきた4人組がバットのクルマに乗ってきた。ダンスミュージックをかけるように言われ、バットはさっそく気分が悪くなる。狭い車内ではしゃぎまくっている娼婦(売春婦)たちの様子をバックミラーで見ていると、そのうちのひとりが扉の窓ガラスにもたれ掛かるように静かに座っているのに気づく。

翌日、閉店間際のラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)のソープランドでいつものように客待ちをしていると、昨晩の物静かなソープ嬢ヌワン(ワラヌット・ウォングサワン演)がひとりバットのクルマに乗り込んできた。ヌワンがレトロな歌謡曲を聴きながら「案外、古くさい音楽も風情があっていいじゃないの」と独つぶやくのを聞いて、言葉には出さなかったがうれしさが心の底からこみ上げてきた。携帯電話の会話から、ヌワンは実家にいる妹を学校にやるためにバンコクに出てきて最近この仕事を始めたばかりだと知る。アパートに到着すると、屈託のない笑顔で、ヌワンにこれからも毎晩迎えに来て欲しいと告げられた。

数日後、いつものようにヌワンを乗せて走っていたところ、バットは夜食に誘われる・・・・・・という場面から、ふたりのラブストーリーが始まる。しかし、さまざまな「社会問題」という障害に幾度ともなく阻まれ、なかなか事が上手く運ばない。

この作品は、序盤で現在のタイを代表する風景が次々と紹介され、中盤あたりからコングデート監督お得意の「ドタバタお笑い劇」が始まり、かなり強引なハッピーエンドを迎えて幕が下りるという構成になっている。タイ社会の姿として、タクシー運転手や娼婦(売春婦)などの下流社会が抱える貧困、大衆食堂、ソープランドのネオン、赤いひな壇とソープ嬢の装備品、ソープランド入店から帰宅までの流れ、若者の凶行とタクシー運転手のリスク、売春問題、麻薬問題、会員制投資問題(入会金を払えば何もせずに配当がもらえるという詐欺商法)、上流階級の圧倒的優位、待ち時間表示灯付信号機、不倫問題と子供に対する無関心、同性愛などが紹介されている。物語の要所要所にセピア色の記録映画風のシーンを登場させて、タイにおける社会問題の根源となっている、封建時代以降延々と受け継がれてきた社会の不平等を痛烈に批判し、その理不尽さを訴えている。

この作品には、タイの社会問題について考えさせるだけでなく、この時代のタイを後世の人々に伝えるという目的があるのかもしれない。

夕方、エーガマイ(エカマイ)Major Cineplex(メジャーシネプレックス) で友人と夕食をとり、映画「チュム」を見た。スィリギット・コンベンションセンターで行われていた旅行関連のイベント会場で連休の旅行計画を立てている別の友人に会い、さらに別の友人と世間話をするために深夜のドライブに出かけた。

น่ารักพี่ สองร้อย(ナーラックピー・ソーングローイ)
「お兄さん、可愛いねえ。200バーツだよぉ!」

今月9日に散策したばかりのサナームルワング(王宮前広場)前で渋滞にはまっていたところ、色白の部屋着姿をした未成年の女の子がクルマのなかを覗き込んできて、バカ安い値段で売買春話を持ちかけてきた。さらにクルマを進めると、別の女性が運転席に向かって「お出かけしましょう! 300バーツ(ティアオガンマイピー・サームローイバーツ)」と声を張り上げていた。

この付近の街娼たちはカーオサーン(カオサン)界隈のディスコ/パブが閉店する午前1時頃から増えはじめ、それを目当てにやってくる男たちのクルマで渋滞が発生していた。それにしても、たがだか200バーツでは物価の安いバンコクでもたいしたことはできないから、なぜ売春をしているのか不思議でならない。いずれにせよ、売買春行為は僕たちのポリシーに反するから、街娼たちを相手にせずにスルーした。

サナームルワング(王宮前広場)を周回していたところ、誤って王宮とワットポーのあいだ(マハーラート通りとタイワング通りの交差点付近)に迷い込んでしまった。付近の至る所に男娼が立っていた。あまりの恐ろしさに窓を開けて値段を聞くことはできなかったが、もし同性愛者に観光名所について尋ねられることがあったら、スィーロム(スィーロム)2&6やスラウォング通り(スリウォン通り)沿いにある「ドゥワンタウィープラザ」に代わるものとして紹介してみよう。

2005年8月6日(土)

「タイ映画って、くだらないお笑いシーンが多すぎて、いつも本題がぼやけてしまうのよね」

夕方、高架電車 BTS エーガマイ駅(エカマイ駅)前の複合ショッピングモール Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット(スクンビット)エーガマイ(エカマイ)店で友人たちと合流し、タイ映画「ワイオンラウォング4」とハリウッド映画 The Island(アイランド) を見るグループとに分かれた。

就職活動中に出会った日本人学生によると、一度インディーズ映画の良さを知ってしまうと、ハリウッド映画の安っぽいストーリーには耐えられなくなるという。映画マニアではない僕にはいまひとつ良く分からないが、たしかにタイ映画には日本のインディーズ映画のような味がある。

タイ映画では、コメディータッチのストーリーのなかに作者の主張が隠されている。要所要所にお笑いシーンが多数挿入されている(これがないとタイ人は飽きる)ため、単なるコメディー映画と錯覚しがちだが、観客が映画館から出たあとに「なぜ○○は○○だったんだろう」と考えていく過程で作者の意図を自発的に理解させていく手法がとられている。ところがハリウッド映画では、心理学的に計算されつくした脚本にのっとって物語が展開し、無意識のうちに作者の主張を深層心理のなかへと刷り込んでいく手法がとられている。

タイ人ブロガー Chubby Chocobo 氏は、タイ映画「ワイオンラウォン4(Tum-Oh Return)」(ルタイワン・ウォングスィラサワット監督)を「ジェネレーションギャップを巡るドタバタ劇」と言い表している。

ストーリーはつぎのとおり。

若かれし日の『タム』(パイロート・サングワリブット演)と『オオ』(ロンラナー・スラーワン演)は、美男美女のカップルとして名を馳せていた。今年50歳になり、現在では年頃の2人の子供を育てている。長女の『バイトーング』(カヌングニット・ヂャッグラサニッターノン演)はチアングマイ県(チェンマイ県)内の大学に通う4年生、弟の『ナームトゥーイ』(ワスィット・スィラナーノン演)はバンコク都内の学校に通う中等教育学校6年生(高校3年生)の男の子。ある休日、タム(父)、オオ(母)、ナームトゥーイ(弟)、オーおばさん(オオの姉, ヂラワディー・イッサラーングーン・ナ・アユッタヤー演)の4人は、誕生日にバイトーング(姉)を驚かせるため、密かにチアングマイ(チェンマイ)へと向かった。タムとオーのふたりは、そこでのハプニングを通じて自分たちの青春時代に思いを馳せるが、若者文化の変化について行けずジェネレーションギャップを前にして当惑する。

この作品では、タイ人の家庭観や子育て観が巧みに表現されている。テーマは、①娘の同棲問題、②息子の同性愛問題、③両親にとっての青春、④家庭内コミュニケーションなど(これから家庭を持とうとしている人や高校生~大学生を持っている両親にオススメ。同性愛者や性転換者はやめておいた方がいい)。日本と共通する部分もあるが、タイ文化に関する貴重な情報で盛りだくさんの内容になっている。

その後、スクンウィット(スクンビット)107にある大部屋カラオケ屋で、別の友人たちと午前1時までタイカラオケを楽しんだ。

2005年8月18日(木)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20050818.jpg" width="300" height="169" align="right" />「だって、タイでは国会議員や政府高官がマフィアだからねぇ」

映画館 Major(メジャー) セントラルプララームサーム(ラマ3世通り)店で、タイ映画「トムヤムグング(トムヤムクン)」を見た。上映終了後、友人がゲッソリとした表情で、作品中に登場するマフィアが中国マフィアである理由を説明してくれた。たしかに、公権力を手中に収めているタイマフィアを敵に回すような映画を作るのは危険すぎる。友人のなかには、「タイの国家機構そのものが制度化されたマフィアだ」との意見もあった。

タイ映画「トムヤムグング(トムヤムクン, Tom Yum Goong)」(サハモンコンフィルム配給)の製作には、かの大作「スリヨータイ」に次ぐタイ映画史上第2位となる約3億バーツもの巨費が投じられ、世界的な大作になると公開前から期待されていた。

ストーリーはつぎのとおり。

グローバル化の流れは、農民の子「カーム」(パノム・ユィーラム演)の人生をも変えた。カームは「象の飼育は国王陛下から信託された責務」と信じて、象の親子「ポーヤイ」(父象)と「コーン」(子象)を自分の命より大切にしていた。ところが、タイ政界の有力者にさらわれ、オーストラリアへと売り飛ばされてしまった。カームは象の親子の救出を決意して海を渡る。

オーストラリア・シドニーの街で、コーンは現地のタイ人警官「マーク巡査部長」(マム・ヂョックモック演)とタイ人娼婦「プラー」(バンゴット・コングマーライ演)の支援を受けて象の救出を試みるが、その前に「マダム・ロス」(ヂン・スィング演)率いる中国マフィアと無数の格闘家たちが立ちはだかった。

カームの大陸を越えた戦いがここに始まる。(続きは映画館でご覧ください)

この作品は、香港映画と比べ、社会的なメッセージが希薄で技の種類にも多様性を欠く。

2005年10月4日(火)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20051004.jpg" width="300" height="169" align="right" />「もしかして、今やってることに確信を持てずにいるんじゃないの?」

Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)、午後9時頃。たれタマゴ(カイヨーイ)の選択に納得し、地下駐車場へと通じる階段を腕を組み無言で下りていると、不審に思った友人がそう尋ねてきた。さすがに「そうだ、誤った判断にもとづいて誤った行動しているんじゃないかと常々疑問に思ってるんだ」と言うわけにもいかず、無難に「そんなことはない」と短く答えた。

タイ映画「プアンサニット(英題: Dear Dakanda)」は、アピチャート・ニティットナピチョンスティンの小説 Dear Dakanda 原作のロマンス・コメディー。タイ全国で大ヒットしたタイ映画「フェーンチャン」(2003年)のコングリット・トリーウィモン監督作品。「プアンサニット」とは親友という意味のタイ語。

この作品は、大学生「たれタマゴ(カイヨーイ)」(サンニー・スワンメーターノン演)が、チアングマイ大学(チェンマイ大学)美術学部と、そこから1,500キロも離れているスラートターニー県(スラタニー県)のパンガン島病院で、時間と場所、相手と立場を変えて体験した出来事を描いている。

チアングマイ大学(チェンマイ大学)時代、たれタマゴ(カイヨーイ)はバンコクの男子校からやってきたシャイな学部生だった。女子学生を前にすると、いつもギコチナイ振る舞いをしてしまう。そんなたれタマゴ(カイヨーイ)の前に現れたのが、変わった名前の天真爛漫な女子学生「ダーガーンダー(ダカンダ)」(ヌン=スィラパン・パッタナヂンダー演)だった。たれタマゴ(カイヨーイ)ダーガーンダー(ダカンダ)に一目惚れしたが告白する勇気がなく、しかもダーガーンダーがいつも他の男性に好意を持っていたこともあって、卒業までの4年間、ふたりの関係は「プアンサニット(親友)」以上にはならなかった。

パンガン島病院時代、たれタマゴ(カイヨーイ)チアングマイ(チェンマイ)からやってきた芸術家患者だった。スラートターニー(スラタニー)市街からパンガン島へと向かう船の上で、ミュージックビデオに登場する主人公の真似をしたら転落して足の骨を折り、パンガン島病院で目鼻立ちのハッキリしている南部系の女性看護師「ヌイ」(エー=マニラット・カムウワン演)による献身的な看護を受けた。ヌイはたれタマゴ(カイヨーイ)に好意を寄せていたが告白する勇気がなく、しかもたれタマゴ(カイヨーイ)が別の女性を気にかけていたこともあって、退院するまでのあいだ、ふたりの関係は「プアンサニット(親友)」以上にはならなかった。

時間と場所、相手と立場を変えて3人の想いが交錯するするラブストーリー。カイヨーイは、はたして山と海どちらの女性を選ぶのか?

この作品は、まさに「人生におけるオトコの選択」を扱ったもの。重要な局面でオトコがどのような選択をするのか興味がある女性や、過去に思い出に浸りたい男性にオススメの一本。作品中に登場する回想シーンでは、過去数年間のヒット曲が次から次へと畳み掛けるように登場するため、年単位でタイに住んでいる人なら一瞬にして思い出の世界へと引き込まれていくはず(まともな恋愛経験のない男性にはあまりオススメできない)。

この作品を観る前に、つぎのポイントを押さえておきたい。

主人公たれタマゴ(カイヨーイ)は、クライマックスでダーガーンダーとヌイのどちらかひとりを選ぶよう迫られる。しかし、タイは極端な階級社会。ふたりのバックグラウンドに開きがありすぎるとストーリー全体が破綻してしまう。そのため、ともに地方の大都市出身(貧しくない)で4年生大学卒と、バランスが図られている。あえてバンコク人的な価値観から優劣を決めれば、南部出身者は容姿的言語的な理由(南部人の発音はかなり聞き取りにくい)により学校などでしばしば差別に遭うことから、北部出身者のダーガーンダーの方が若干有利。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)で友人とタイ映画「プアンサニット(英題: Dear Dakanda)」を観た。

2005年10月27日(木)

「スリヨータイを見たことがあるでしょう? 今日の『内官スィースダーヂャンの反逆(ガボットターオスィースダーヂャン, กบฏท้าวศรีสุดาจัน, The King Maker)』は、実話のスリヨータイをパロったフィクション戯曲。アクション映画だから退屈しないですむし、まあいいんじゃない?」

午後8時すぎ、 Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)で友人と合流し、エスカレーターをダッシュで駆け上ってチケット(120バーツ)を購入した。第2映写室で本編開始前の予告編を眺めながら、今日の映画について友人が簡単に説明してくれた。

タイ映画「内官スィースダーヂャンの反逆」は、古都グルングスィーアユッタヤー(アユタヤ)を舞台にした歴史物アクション映画。 West Side Story(ウエストサイドストーリー) のデーヴィス・ウインターズが監督を務め、デーヴィスと20年以上もの親交があるタイ人映画監督レック=ギディプラーポーン(代表作:ヘークカーイナロックディアンディアンフー)が構成を担当している。外国の冒険小説「ピントー」に登場する内官スィースダーヂャンの項を参考に、2億8,000万バーツもの巨額な制作費が投じられた。

ポルトガル人傭兵フェルナンド・ド・ガンマ(ゲーリー・ストレッチ演)は、8歳のときに父親を殺された。その殺人者を追って、世界中から集まった仲間たちと東南アジアへやってきた。ところが1547年、フェルナンドの船は広大なインド洋を航行中に高波を受けて沈没してしまった。ただひとりの生存者として陸地に流れ着くが、そこでアラブ人奴隷商に捕まりアユッタヤー(アユタヤ)へと連れてこられた。

当時、アユッタヤー(アユタヤ)では、東西さまざまな国から連れてこられた奴隷が盛んに売買されていた。フェルナンドは、城壁建設に従事しているポルトガル人フィリップ(ジョーン・リース・テービス演)の娘マリア(シンディー・バーブリッジ演)に買い取られ、ようやく自由を回復することができた。

アユッタヤー王プラチャイラーチャー(ニルット・スィリヂャンヤー演)は、ラーンナー(タイ北部の従属国)王が使者を斬首して送り返してきたことに激怒し、王兄プラマハーヂャッグラパット(オリヴァー・ルパート演)のほか、ポルトガル人や日本人からなる義勇兵を率いて出兵。フェルナンドも経験豊富な傭兵として参戦した。その勇敢な戦いぶりは王の目にも留まり、タイ人の戦友トーング(ドーム・ヘートラグーン演)とともに近衛兵に任じられた。

美しいが冷酷なマヘースィースダーヂャン(ヨッサワディー・ハッサディーウィヂット演)は、愛人スィーテープ(アッタラー・アマータヤグン演)を王位につけるために、プラチャイラーチャー王との子であるプラヨートファー王子(チャーリー・トライラット演)を外国人暗殺者(忍者)に暗殺させようと画策していた。近衛兵となったトーングとフェルナンドは、マリアの父フィリップが謀反の黒幕であるとつきとめた。

ところが、その背後にいる内官スィースダーヂャンの存在に気付かなかったため、ついに王は殺されてしまった。フェルナンドとトーングは、国王弑逆に成功して権力を握ったスィースダーヂャンによって黒幕の一味との濡れ衣を着せられ、マリアやトーングの家族とともに捕らえられた。

この作品は、ありがちな勧善懲悪ストーリー。「王権=正義」の構図を人々に植え付け、国王に対する忠誠心を高めることをねらったもの。クライマックスでは、王族が奸臣を打倒して、正義を高らかに宣言するシーンが登場する。現在、タイ南部でテロが相次いでおり、タイ政府は①国王、②宗教、③タイ語の3要素によって国民統合の強化を図っている。

ところで、タイの歴史は1886年の教育改革のときに、教育相ダムロングラーチャーヌパープ(ダムロン親王)が創作したものとする説がある。だから、映画「スリヨータイ」(2001年)だって、どれだけ史実に基づいているかまったく分かったもんじゃない。その点にさえ気をつけておけば、この作品は十分に楽しめる。

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちとペーパー(小論文)を書いてから、 Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット店(スクンビット店)で別の友人と映画を観た。

2005年12月24日(土)

「やっぱり、タイではこのあたりが限界かも」

午後10時50分、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室で、テレビのチャンネルを替えていたところ、スピーカーからベッドがギシギシ鳴る音と、ものすごくセクシーな女性の声が聞こえてきた。何事かと思ってチャンネルをとめて画面を眺めていると、コードレス電話を持っている女性がベッドの上で飛び跳ねていた。それを見た友人が冒頭のように話していた。

タイ映画「テレフォンセックス(Sexphone, The Girl Next Door)孤独放送局と隣家の女性(คลื่นเหงา สาวข้างบ้าน)」 (2003年)は、恐怖鬼(ปอบ หวีด สยอง)のヘーマン・チェートミーとチャルームポン・ブンナーク監督のロマンスコメディー。 Yoho Film (RS Promotion(アールエスプロモーション)系)配給。

主人公のドゥー(ビーム=ガウィー・タンヂラーラック演)は、高齢の祖父と二人で具らしている温和で自然を愛する青年で、家事全般を一手に引き受けており、その腕前は女性をも上回る。

隣家のジェー(ポーラー・テーラー演)は、北部のチアングマイ県(チェンマイ県)で両親と暮らしていたが、ひとりバンコクに引っ越してきたオーストラリア人とのハーフ。西洋的な環境で育てられてきたため、人一倍自立心が強くプライドも高い。

ジェーには、ドゥーが理想としている女性らしさが欠けている。住宅地のマナーに無関心で、近所迷惑を顧みず深夜にカラオケ装置で思いっきりシャウトする。本物の愛に出会うために、ひとりでも多くの男友達と交際しているがゲイばかり。それを知らないドゥーは、夜明け前に男友達を連れ込んでばかりいるジェーに強い嫌悪感を抱き、次第にジェーのなにもかもが嫌いになった。二人の対立は日を追うごとに深刻になり、後日、大きな問題を引き起こす。

ある日、ゲイのエンマーが、失恋して悲嘆に暮れているジェーに腹を立て、腹いせに DJ メーン(アナン・ブンナーク)がパーソナリティーを務める深夜の人気ラジオ番組「孤独放送局」にジェーの家の電話番号を投稿した。

運命の日。ジェーの家に、オドオドしてまったく要領を得ない不思議な電話がかかってきた。それを聞いて、変人がいたずら電話をかけてきたと思い込んで、撃退しようとテレフォンセックスの声を真似た。ところが、それは私用で休んでいる DJ メーンの代わりに、スタッフのドゥーがパーソナリティーを努めているラジオ番組のリスナーへの電話だった。・・・・・・ジェーの恥ずかしい声は、生放送でオンエアーされ街中で話題になった。

こうして急展開を迎えた隣人ふたりの関係は、その後どうなるのか。

夜、ナラーティワートラーチャナカリン通り(ナラティワートラチャナカリン通り)にある Connection Bar(コネクションバー) で友人3人と夕食をとった。うちふたりはカノジョの浮気が原因で破綻寸前のカップルで、オトコは取り乱して「浮気がちな女性と付き合うくらいなら、話の分かるオトコと付き合ったほうがマシだ」と言い放った。ディナーは暗い雰囲気のままお開きになり、部屋に戻ってタイ映画「テレフォンセックス(Sexphone, The Girl Next Door)孤独放送局と隣家の女性(คลื่นเหงา สาวข้างบ้าน)」を友人と見て地味にすごした。

クリスマスの夜を、こんな地味に過ごしてよかったんだろうか?

この時期、バンコクの男たちは、みんな古い友人や知り合ったばかりの友人たちからの声がかかる。新年のカウントダウン、バレンタインデー、タイ正月(ソングラーン)直前もそう。その電話に対応するだけで、精も魂も尽き果てて、クリスマスを楽しむどころではなくなってしまった。

2006年2月13日(月)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2006/20060213.jpg" width="300" height="169" align="right" />「これまでテレビドラマにハマることはあまりなかったけど、せっかく15話まで見たんだからクライマックスも見ないと損よね?」

午後8時半、スクンウィットスイート(スクンビットスイート)199号室の自室で友人がそう言った。ここのところ、3チャンネルのテレビドラマ「ナーングバープ」(悪行婦人, 全17話)が友人たちのあいだで流行っている。

この物語の発端は、テレビドラマ制作会社のウィッサヌが「悪行婦人」の伝承を取り上げたことに始まる。伝承によると、プラワナーテープとクンガムライの夫妻が19世紀、奴隷を引き連れてここへやってきた。ところが、その美貌をもって主人プラワナーテープの愛人にまで上り詰めた奴隷のナーングヤートが、本妻になることを企てて本妻のクンガムライとその子を毒殺してしまったという(その後、絞首刑になった)。ウィッサヌは、主人公にタナット、ヒロインにパーピモンを起用して、パックトラーが悪女役、パーンが脇役と決まった。

ドラマ「ナーングバープ」の発表日、ウィッサヌは自分の片腕であるルアングリンを役者たちに紹介した。ルアングリンは役者たちとの協力関係を築いたが、パーピモンは男性俳優の関心がルアングリンひとりに向けられていることに腹を立てていた。ルアングリンは、撮影準備のために撮影クルーたちと「悪行婦人の村」に行ったときに、誰かに見られているような不思議な視線を感じた。そこで、その家に宿っているナーングヤートとナーンヨットの二姉妹の亡霊から、過去にこの家で起こった出来事の裏の事情を知らされた。

悪行婦人の村での撮影が始まると、大雨や洪水の影響でしばしば中断を余儀なくされた。パーピモンは広報担当のウィサーを誘って、暇潰しのために、家の守護霊を召還せずに「幽霊のコップすくい」をしていた。そのときコップが突如粉々に砕けて、アングリンの身にナーングヨットの霊が、パックトラーの身にナーングヤートの霊が取り憑いてしまった。ルアングリンに取り憑いたナーングヨットは現世の人々に強い興味を抱き、パックトラーに取り憑いたナーングヤートはクンガムライがパーピモンを恐れていることを知ってパーピモンに許しを請うた。そのころ、パーンはパックトラーが撮影用の奴隷の衣装を着たまま水浴びをしている姿を見て、それをウィッサヌに知らせた。ウィッサヌは、ナーングヤートからナーングヨットに気をつけるようにと忠告を受け、ルアングリンにプラクルアング(携帯仏像, お守り)を付けさせたが、ウィッサヌに好意を抱いているウィサーによって毎回のように取り上げられた。そのことで、ウィッサヌとウィサーは激しく言い合った。

ウィサーは激高してクルマを運転したが、道から外れて水没し、自らも溺れてしまった。ウィサー救出に向かったウィッサヌは、水位が下がったところで大僧正に会い、ナーングヤートを成仏させるためには精神を統一する必要があると言われ、そこで自分の前世が多くの妻を囲っていた浮気者のプラワナーテープであること、パーピモンの前世がナーングヨットとナーングヤートによって苦しめられたクンガムライであること、ナーングヨットのクンガムライとその子供達を毒殺するという企てに純朴だったナーングヤートがハメられて殺されたこと、すべての事情を知った母親ユアンによってナーングヨットが刺し殺されたこと、ナーングヨットが呪われてこの家に封印されたことを知った。

ウィサーに取り憑いていたナーングヨットは、撮影クルーのあいだに争いごとを起こそうと企てた。タナットがルアングリンに好意を抱いていることを知ると、ルアングリンに不満を抱いているパーピモンを扇動した。ところが、ルアングリンはいつもパーンに助けられていたため、パーンに全幅の信頼を寄せるようになり、その後の企てすべてが無意味になってしまった。ナーングヨットは、ルアングリンを深夜の水辺に誘い出して水中にたたき落としたが、そのとき首につけていたプラクルアング(携帯仏像, お守り)が外れてしまった。

ウィッサヌは、ナーングヤートを救い出すために、ルアングリンに取り憑いているナーングヤートを召還し、パーピモン、パーン、ルアングリンと「幽霊のコップすくい」を行った。ところが、成仏させられることを恐れたウィサーに取り憑いているナーングヨットは、タナットを激高させようと企てたが、叩かれて意識を失い病院へと運ばれた。見舞いに来た母親のユッパディーは、ナーングヨットの母親ユアンの生まれ変わりだった。ユッパディーはウィサーを見て涙を流し、その涙がこぼれ落ちると同時にナーングヨットは呪われて再びこの家に封印されてしまった。そして、パーンとルアングリンが交際を始めると、とうとうこの伝承を修正できなくなってしまった。

この作品は、タイ人が信仰している「タイ仏教」の呪いや憑依という概念に、愛国心をかき立てる歴史的文化観や、ミーハーな若者向けに恋愛という要素を織り交ぜたものとして興味深い。非常にゴチャゴチャしていて上手く説明できないが、まあだいたいこんなカンジのストーリー。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ友人と出かけ、帰宅後に別の友人とテレビドラマを観た。ちなみに、現在放映中のドラマでは、「レディーマハーチョン」(大衆女性, 金土日20:30)や、「ペントー」(優位, 木22:30)なども人気。

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