「階級社会? はぁ~~? 馬鹿言ってんじゃないよ。そんなこと、どうだっていいんだ。そもそも関係ないじゃないか」
数日前、永年タイに住んでいる日本人男性から「タイ人とは何か」という議論を持ちかけられたが、タイ社会を語る上での基本である「階級社会」の理論を、開口一番「どうでもいい」の一言で一蹴されてしまった。これでは、100万円の4割が40万円であることを否定しようとしている人と税法について語り合うのと同じくらい不毛だ。
すでに明らかになっている事実を否定することは、日本人の常識から考えると「異常」以外の何物でもないが、何を隠そうこれがバンコク土着型日本人中年男性の典型的な姿だ。彼らについて詳しく調査してみると、タイ階級社会論が要求している「社会的地位」、「経済力」、「教育」のすべてにおいて、①最低ランクとされている元娼婦を配偶者としていたり、②日本人であるにもかかわらず平均的タイ人を圧倒することすらできないという本人の苦境が見え隠れしている。不遇な自分を正当化するためには基礎的な社会学の理論をも否定せざるを得なかった、と考えれば同情してあげたくもなるが、自分を慰め正当化するために構築された謎の独自理論に付き合わされてはかなわないし、そんなダメ日本人に好き勝手言われるタイ人が気の毒でならない。
そもそも、「タイ人とは何か」というテーマについて話したがる日本人のほとんどは、タイという階級社会において「日本人としての階級」をすでに維持できなくなっている。それゆえに、彼らは日本人としての最後のプライドを守るために「日本国はタイ国より優れているから、日本人たる自分もタイ人より優れている」という論法を必ず用いる。しかし、タイ人と心が通うレベルのコミュニケーションをとれない人間が、どうして自分はタイ人より優れていると断言できるのだろうか? 僕はそのような日本人に出会うたびに、「あなたは確かに日本国民なのかもしれませんが、あなた自身が日本国なのではありません」と言ってやりたくなる。どんなに国家が優れていても、すべての国民が絶対的に優れているとは限らない。ってゆうか、自分を慰め正当化しようとしている時点ですでに十分劣っている。
そんなバンコク在住の典型的現実退却派日本人のようにならないためにも、この日記の読者にはタイ社会の根幹をなす「階級社会」をタイ人庶民の視点から見つめ直すことができる映画をオススメしたい。コングデート・ヂャートランラッサミー監督の新作「チュム」(サハモンコンフィルム配給)が、今月12日からタイ全国の映画館で上映されている。タイ語音声だが、平易な英語字幕がついているため、コングデートが映画を通じて人々に伝えようとしていることはタイ語を話さない人にもきっと理解してもらえるはずだ。
映画関係のレビュー記事を書いているタイ人ブロガー Chubby Chocobo は、この映画を กระจกสะท้อนสังคมเมือง ตลกสะท้อนสังคมไทย (都市社会を映す鏡、タイ社会を映す笑い)と評している。この作品に限らず、コングテート監督のお笑い映画の裏には痛烈な社会批判や問題提起が必ず隠されている。
バット=ソンバット・ディープローム(ペットターイ・ウォンカムラオ演)は、廃墟のようなオンボロトゥックテオの一室で暮らしている無口で真面目な中年タクシー運転手。1940~1970年代に流行したようなレトロな歌謡曲をこよなく愛し、タイ人からも忘れ去られようとしている AM ラジオをいまだ聞きながら運転し、ひとり幸せに浸っている。仲間の運転手たちからは「 FM ラジオも聞かず携帯も持たない流行遅れの男」とバカにされるが、それでも決して自分のスタイルを変えようとはしなかった。
ある晩、閉店間際のラッチャダーピセーク通りのソープランドでいつものように客待ちをしていると、仕事を終えて店を出てきた4人組がバットのクルマに乗ってきた。ダンスミュージックをかけるように言われ、バットはさっそく気分が悪くなる。狭い車内ではしゃぎまくっている娼婦たちの様子をバックミラーで見ていると、そのうちのひとりが扉の窓ガラスにもたれ掛かるように静かに座っているのに気づく。
翌日、閉店間際のラッチャダーピセーク通りのソープランドでいつものように客待ちをしていると、昨晩の物静かなソープ嬢ヌワン(ワラヌット・ウォングサワン演)がひとりバットのクルマに乗り込んできた。ヌワンがレトロな歌謡曲を聴きながら「案外、古くさい音楽も風情があっていいじゃないの」と独つぶやくのを聞いて、言葉には出さなかったがうれしさが心の底からこみ上げてきた。携帯電話の会話から、ヌワンは実家にいる妹を学校にやるためにバンコクに出てきて最近この仕事を始めたばかりだと知る。アパートに到着すると、屈託のない笑顔で、ヌワンにこれからも毎晩迎えに来て欲しいと告げられた。
数日後、いつものようにヌワンを乗せて走っていたところ、バットは夜食に誘われる・・・・・・という場面から、ふたりのラブストーリーが始まる。しかし、さまざまな「社会問題」という障害に幾度ともなく阻まれ、なかなか事が上手く運ばない。
この作品は、序盤で現在のタイを代表する風景が次々と紹介され、中盤あたりからコングデート監督お得意の「ドタバタお笑い劇」が始まり、かなり強引なハッピーエンドを迎えて幕が下りるという構成になっている。タイ社会の姿として、タクシー運転手や娼婦などの下流社会が抱える貧困、大衆食堂、ソープランドのネオン、赤いひな壇とソープ嬢の装備品、ソープランド入店から帰宅までの流れ、若者の凶行とタクシー運転手のリスク、売春問題、麻薬問題、会員制投資問題(入会金を払えば何もせずに配当がもらえるという詐欺商法)、上流階級の圧倒的優位、待ち時間表示灯付信号機、不倫問題と子供に対する無関心、同性愛などが紹介されている。物語の要所要所にセピア色の記録映画風のシーンを登場させて、タイにおける社会問題の根源となっている、封建時代以降延々と受け継がれてきた社会の不平等を痛烈に批判し、その理不尽さを訴えている。
この作品には、タイの社会問題について考えさせるだけでなく、この時代のタイを後世の人々に伝えるという目的があるのかもしれない。
夕方、エーガマイの Major Cineplex で友人と夕食をとり、映画「チュム」を見た。スィリギット・コンベンションセンターで行われていた旅行関連のイベント会場で連休の旅行計画を立てている別の友人に会い、さらに別の友人と世間話をするために深夜のドライブに出かけた。
“น่ารักพี่ สองร้อย”
「お兄さん、可愛いねえ。200バーツだよぉ!」
今月9日に散策したばかりのサナームルワング前で渋滞にはまっていたところ、色白の部屋着姿をした未成年の女の子がクルマのなかを覗き込んできて、バカ安い値段で売買春話を持ちかけてきた。さらにクルマを進めると、別の女性が運転席に向かって「お出かけしましょう! 300バーツ」と声を張り上げていた。
この付近の街娼たちはカーオサーン界隈のディスコ/パブが閉店する午前1時頃から増えはじめ、それを目当てにやってくる男たちのクルマで渋滞が発生していた。それにしても、たがだか200バーツでは物価の安いバンコクでもたいしたことはできないから、なぜ売春をしているのか不思議でならない。いずれにせよ、売買春行為は僕たちのポリシーに反するから、街娼たちを相手にせずにスルーした。
サナームルワングを周回していたところ、誤って王宮とワットポーのあいだ(マハーラート通りとタイワング通りの交差点付近)に迷い込んでしまった。付近の至る所に男娼が立っていた。あまりの恐ろしさに窓を開けて値段を聞くことはできなかったが、もし同性愛者に観光名所について尋ねられることがあったら、スィーロム2&6やスラウォング通り沿いにある「ドゥワンタウィープラザ」に代わるものとして紹介してみよう。