2002年5月25日(土)

夕方、コーンウェーン通り(コンヴェント通り)にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でタイ語の復習をしていたときに、タイ語を勉強している日本人現地採用者と知り合い、バンコク銀行本店横にある焼き肉屋で飲んでから、高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリー, 戦勝記念塔)駅ちかくにある Saxophone(サクソフォーン) へと連れて行ってもらった。

この店は、欧米色が強いパブだが、観光地から離れているため売春婦がおらず、発展途上国ならではのストレスを感じずに済む。バンドによる生演奏があり、気分転換にも最適。途中、部屋にいたエーンも呼んで、閉店まで楽しんだ。ドイツ製黒ビール(500ml)が200バーツだった。

2003年12月9日(火)

今晩、ペッブリータットマイ(ニューペチャブリー)通りにあるホテル「アマリ・アトリウム」へ日本人の友人と飲みに出かけた。

ここの2階にあるパブ「ミングルス」のカクテルは、サイズが大きめで、味もなかなか良い。1杯180バーツ。生演奏のコンサートもあってオシャレな雰囲気。午後11時から午前1時までの間に注文すると、もう一杯おなじカクテルが出てくる(buy one get one free)。

今後カクテルを飲みたくなったら、午後11時まで待ってミングルスに行こう。500バーツも出せば、きっと歩けなくなるまで酔っぱらえるに違いない!

2003年12月13日(土)

飲酒と喫煙が解禁される年齢は、国(または州)によって異なる。

日本では飲酒・喫煙ともに20歳だが、アメリカ・カリフォルニア州では21歳。しかも必ずといって良いほど身分証の提示が求められる。

ところが、ここタイでの規則は少し変わっている。飲酒が18歳から、喫煙が20歳から。ただし屋外での20歳未満の飲酒は禁じられている。だから、クラブ(タイではディスコやパブと呼ばれる)の入り口には、客の身分証(国民 ID )を確認するための警備員が配置されている(20歳未満の未成年者を店に入れてしまうと、店が罰せられる)。

カノジョのブワは18歳。一緒に酒は飲めてもクラブには行けない。そこで今晩はブワと酒を飲むために、ホテル「アマリ・アトリウム」のパブ「ミングルス」へと出かけた。厳密には違法だが、ホテルに年齢確認の警備員がいることはほとんどない。

それでも一緒にクラブに行けないのは、やっぱり少しだけ残念だ。

2004年1月9日(金)

英会話を学ぶための職場としては、なかなか良さそうだ。

夕方、無性に美味しい料理が食べたくなって、スクンウィット(スクンビット)24にあるトンカツ屋「ベック」へと出かけた。ここでケチったために、帰宅途中にビールが飲みたくなり、突如左手に現れた聞いたことも見たこともないビアバー(バービア)の前にクルマを停めた。

ビアバー(バービア)街「クイーンズパーク・エンターテインメントプラザ」は、スクンウィット(スクンビット)22の高級ホテル「クイーンズパーク」向かいにある。ほかにもカラオケスナックやカクテルバーをはじめ、「午前2時まで営業しているタイマッサージ屋」がある。通常、バンコク都内のマッサージ屋は午前零時に閉店されるため、それ以降でもいけるタイマッサージ屋は貴重だ。

ちなみに、このビアバー(バービア)はアソーク交差点前のビアバー(バービア)よりも話しやすい雰囲気。従業員のひとりがサヤーム(サイアム)にある英語学校 ECC に通っているそうで、日常会話レベルの英会話力も高い。

2004年3月9日(火)

バンコクの夜の街が、もし本当に日本人が考えているほどエキサイティングな場所だったら、きっと毎晩のようにバンコク都内のタイ人1,000万人でごった返していることだろう。

僕が住んでいるコンドミニアム「スクンウィット(スクンビット)スイート」は、夜の風俗街「ナーナー・エンターテイメントプラザ(ナナプラザ)」から徒歩10分のところにある。しかし、深夜にこの一帯を歩いているタイ人はせいぜい屋台の売り子か娼婦(売春婦)くらいのもので、それ以外のタイ人はほとんどいない。

20060305.jpgそれもそのはず。ゴーゴーバーの舞台で水着姿で踊っている娼婦を眺めるのも、カラオケスナックで子持ちの娼婦と密着しながらマイクを持って歌うのも、何回か体験すればすぐに飽きてしまうような娯楽。そんな場所に毎日のように通い続けられるはずもなく、都内の歓楽街は自然と外国人観光客(およびそれと同等の在住外国人)ばかりになる。

数日前、僕のバイト先に新卒の日本人が現地採用待遇で入社した。話を聞いてみると、いままで一度もバンコクに来たことがないという。そこで、僕と友人はこの新入社員を驚かせようとナーナー・エンターテイメントプラザ(ナナプラザ)へと連れて行った。

僕たち3人組は、ゴーゴーバー Rainbow 2(レインボー2) に入り、店員の指示にしたがってソファー席に陣取って水着姿で踊る娼婦たちを無感動に眺めていた。ところが、新入社員にとっては始めての経験。有料セックスを終えて店に戻ってきた私服の娼婦を指差して、「彼女たちはシロウトなんですか?」と聞いてきた。突拍子もない疑問の数々は、僕たちを大いに楽しませてくれた。新入社員の新鮮な反応を見ているうちに、僕たちも次第にタイに来たばかりの頃を思い出し、悪ふざけをしながら久々に堪能した。非日常の感動。それがゴーゴーバーの醍醐味かもしれない。

ところで、外国人観光客に人気の性風俗といえばゴーゴーバーだが、現地のタイ人たちは幅広い選択肢から一番自分に合った施設に通っている。タイ風俗発祥の地スッティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)に点在しているタイ人向けのゴーゴーバーはあまり流行っていない。一方でカラオケスナックやキャバレーなどが人気で、主に企業間の接待に用いられる。タニヤ通りにある日本人向けの店とは違って料理も出てくるのもウレシイ。郊外に行けば日本人に知られていないようなマッサージパーラー(ソープランド)がたくさんある。新ペッブリー通りにあるホテル「サヤーム(サイアムホテル)」には若くて可愛い娘が多く、タイ人買売春愛好家たちのあいだでも根強い人気があるという。

2004年5月6日(木)

「俺たち、これから高架電車 BTS 戦勝記念塔駅前のクラブ Saxophone(サクソフォン) で飲むから時間があるなら君もおいでよ」

昼過ぎにブワが何の前触れもなく僕の部屋にやってきた。日没後、ブワをピングラーオ(ピンクラオ)にある実家に送り届けた。その帰り道に白人クラスメイトからの SMS(ショートメッセージ) が届いた。カンボジア旅行のときに、僕が酒に酔った勢いで英語で好き放題ぶちまけたのが大ウケしたという。

この店のカクテルは1杯140バーツから。イギリス人クラスメイトの英語が聞き取りにくいとアメリカ人クラスメイトに打ち明けたところ、「わたしのリスニングも7割未満。理解は5割にも満たないんじゃないかしら。聞き取れてないのは君だけじゃない。心配しなくて大丈夫」と励まされた。その後、「インターナショナルとは何か?」という話題から、次第にクラスメイトのゴシップへと移っていった。

それにしても、カンボジアで彼らと一緒に飲みに行くまでは、僕に笑いを取れるほどの英会話ができるとは思ってもみなかった。あるクラスメイトは「来学期から毎回アルコールを大量に摂取してから出席するといいよ。これだけ話せれば、ほかの学生を余裕で圧倒できるはず」と言う。しかし、そんなことをしたら講師からの怒りを買うこと疑いない。

2004年5月22日(土)

午後7時過ぎにバイトを終え、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)沿いのホテル The Oriental(オリエンタル) にクルマを駐めて、船で対岸のホテル The Peninsula Bangkok(ペニンシュラ) へと渡った。

ホテル The Peninsula Bangkok(ペニンシュラ)ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)西岸のトンブリー地区にある。1998年に開業し、現在ではバンコク最高級ホテルのひとつとして数えられる。対岸のプラナコーン地区にあるホテル Shangri-La(シャングリラ)Royal Orchid Sheraton(ロイヤルオーキッドシェラトン) などが放つ光が「水の街バンコク」の夜を見事に演出している。

僕たちは川沿いのレストランで、アメリカサイズのサンドイッチを頬張り、ワインを飲みながら午前零時まで語り合った。ホテルの従業員も、監守のようなオリエンタルホテルとは違って暖かみのある丁寧な対応。おかげて快適な夜の時間を過ごすことができた。

ほろ酔い気分で受けるヂャーオプラヤー川の風が心地よかった。ここの予算は二人で2,500~3,500バーツ程度。

2004年6月8日(火)

大部屋カラオケはハプニングの震源地。

夜、ブワをピングラーオ(ピンクラオ)まで送り届けてから、コンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の自室でビール片手に論文を読んでいたところ、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)に住む友人から電話で飲み会に誘われた。このような誘いは毎晩のようにある。そこで今晩は気分転換を兼ねてクルマを運転して北サムローング(サムロン)通り(スクンウィット(スクンビット)113)へと向かった。所要時間はおよそ35分。

今晩のメンツはタイ人の男友達とその彼女、それから初対面の女性の合計4人。友人が経営しているインターネットカフェで合流し、スクンウィット(スクンビット)107にある下町の大部屋カラオケ屋へと移動した。この店はタイのカラオケ屋にしては珍しく女性接待係(ホステス)のいない Pub and Restaurant(パブ) で、出入口横のスクリーンにはカラオケ画面が投影されている。

午後10時から午前2時10分(閉店時間)の約4時間を、僕たちはほとんど会話を交わすことなく、終始スクリーン画面に食い入って歌い続けていた。先日のウィアングヂャン旅行で慣れたせいか、泥酔状態でも問題なく字幕のスピードについていけた。こういった店にあと何回か通えば、マイク片手にリクエストを連発できるようになるかも。

閉店時間直前、オカマ3人組がダミ声でブワチョンプー・フォードの อย่าทำให้ฉันรักเธอ(あなたを好きにさせないで)留学生日記2004年3月30日参照)を歌いながら、マイクの一つを隣のテーブルにいる男に押しつけて、あろう事かグワーング(AB Normal)のパートを歌わせていた。この曲の男性パートは「マジでお前が好きなんだ!」の連続。新手のナンパだろうか? 不本意にもオカマにラブコールを送り続ける羽目になったこの不幸な男性客に、店内からは大きな拍手が沸いた。

結論。カラオケには女性接待係(ホステス)など必要ない。特に日本人向けのカラオケスナックにいるような話術が低く魅力もないような女性に密着して座られてもただ暑苦しいだけでなにも良いことがない。周囲のカラオケ客と叫んでいるほうがストレスを発散には効果的。

2004年7月16日(金)

20040716.jpg日本で非職業娼婦との売買春行為が「援助交際」と呼ばれるようになったのは1996年。携帯電話の爆発的な普及にともない、通話料を自分の小遣いでは賄いきれなくなった女子高校生の一部が売春に走ったという。

それから8年、タイに特別な感情を抱く一部の日本人男性のあいだでは、「男女交際」や「援助交際」という言葉が誤用されている。

「援助交際」とは、性的な快楽を必要としている男性が、あぶく銭を必要としている非職業娼婦(売春婦)の性サービスを買う行為のことである。交際という言葉からも分かるとおり、当事者双方にとって、新規の交際相手を見つけるよりも既存の交際相手との関係を続けた方が気楽で安心なため、関係が一度きりで終わることはほどんどない。

したがって、路上や性風俗施設で客待ちしている職業娼婦(街娼・ゴーゴー嬢・ソープ嬢・ホステスなど)に金を払って単発的な性的関係を持つ、いわゆる単純買春を「援助交際」と呼ぶのは誤りである。さらに、金銭を定期的に融通することが前提で成り立っている援助交際を、あたかも世間一般で広く行われている「男女交際」のように表現するのも誤りである(継続的な送金や仕送りで娼婦との関係を維持するのもこれにあたる)。

タイに特別な感情を抱く一部の日本人男性は、買春や援助交際などの「いかがわしい行為」を別の言葉に言い換えることで真実から目を背けようと試行錯誤しているが、非常に見苦しいし、もし本当に「言い換えた言葉」が真実であるかのように思い込んでいるとしたらいよいよもってに救いがたい。どんな言葉に言い換えて体裁を取り繕ったところで、どうせ本質は変わらないのだから、そのままの言葉を使って事実を正確に言い表した方が、まだいくらかは行為の醜悪さが和らげられる。

バンコクにおける日本人とタイ人の男女関係は、「単純買春」の域を超えないことがほとんどだが、それでもタイ人のあいだでは実際に本物の「援助交際」がおこなわれている。ただし、非職業娼婦たる不良女子学生たちの目的は、携帯電話料金を目的とする日本人学生とは異なり(もちろん生活費の捻出でもなく)、麻薬調達資金の捻出だ。

トーングロー(トンロー)21にある微妙にハイソな Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋)ソーングサルング(ソンサルン)」、午後10時。薄暗い店内はまるで日本の通勤電車のように混み合っていた。身体を少し動かすとすぐに別の客にぶつかってしまうし、トイレへ行くにもタバコの火を警戒しながら注意深く人々の壁をかき分けて歩かなければならない。そんな雰囲気の店で、某有名私立大学に通う女子学生たちとウイスキーを飲みながらタイポップスを楽しむ予定になっていた。

ある女子大生は、待ち合わせ時刻から大幅に遅れて、ひとりのタイ人中年男性とともに現れた。男の年齢は45-50歳。その女子大生は男を「自分の叔父でバンコク郊外にある工場のオーナー」と僕たちに紹介した。ところが僕たちは、このふたりのスキンシップが「姪と叔父」の関係を明らかに逸脱していたことから、次第に友人が援助交際をしているのではないかという疑いを強めていった。

「ねー、見て見て! これ、ヤーイー(エクスタシー)だよ! とっておきの夜なんかに使うと、本当にもうサイコー!! 見ての通りここには全部で6錠あるわ。もし興味があったら1錠1,000バーツで譲ってあげるけど、どう?」

そのクスリは大学病院の名前が書かれている処方薬袋に入っていた。違法薬物を病院の処方薬袋に入れて持ち運ぶのは、薬物常用者なら誰でもやっている初歩的なカモフラージュだ。とりあえずテーブルから身を乗り出して錠剤を目視したが、僕たちには端からその真偽を確かめる術などない。でも、おそらく本物のヤーイー(エクスタシー)なんだろう。

タックスィン(タクシン)政権(2001-2006)の「麻薬撲滅戦争(ソンクラームプラッププラームヤーセープティット)」政策が実施される2年ほど前に行われた日本人教授の調査によると、ここバンコク都内におけるヤーイー(エクスタシー)末端価格は300-500バーツ。またこの女子大生によると、最近では麻薬撲滅戦争の影響で入手が難しく、安定した調達ルートもなければ、必要なときに買えるという状態にもないという。

肌の白い、若くて可愛らしい有名私立大学の現役女子学生。幾ばくかの金銭を渡すことで、彼女を自由にする権利を得るという背徳的恍惚感は想像に難くないが、それは本来、心身両面を支配できた時に初めて得られるという種の快感であり、精神的な面を支配できなくては片手落ちにすぎない。

そんな皮肉っぽいことを考えながら、僕は3階にある薄暗いソファー席に身を預け、ウイスキーグラス片手にタイポップスの生演奏を聴きながら、周囲の混沌とした光景を午前2時まで楽しんだ。

その女子大学生だが、現在彼氏募集中とのこと。好みは肌が白くて性格の良い、背が高くて年齢の近い男性。顔立ちや経済力、国籍は問わないという。

これまでタイの若者文化にはまったく無関心だったが、それなりに探求してみると不思議なシチュエーションをいろいろと目の当たりにできて面白い。

20040716-2.jpg今日は午前10時から文学部大講堂で催された仮面舞踊学会に出席し、聞いてもその意義を理解できるはずもない「未発見のラーマギアン(タイ仮面舞踊)とアプサラ(クメール仮面舞踊)の相違点を新たに1つ見つけた」という話を聞いてから、友人とトーングロー(トンロー)21にある Pub and Restaurant へ繰り出した。
 

2004年7月26日(月)

企業の栄枯盛衰と同じように、若者たちの流行も世情や嗜好の変化とともに絶えず移り変わってゆく。ここバンコクでも、数年前には毎晩のように賑わっていたディスコが人知れず閉店に追い込まれ、一方でこれまで誰も見向きもしなかったような沼地に出現した巨大な Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に若者たちが殺到している。

友人によると、近年、タイ語曲を中心に流すパブ街(トーングロー通り(トンロー通り)エーガマイ通り(エカマイ通り)ラッチャダーピセーク(ラチャダー)4)に人気が集まりつつあり、逆にそれまで流行っていた洋楽を中心に流すディスコ(スクンウィット通り(スクンウィット通り)一帯、 RCA ロイヤルシティーアベニュー、ソーイスィー(ソイ4)を除くラッチャダーピセーク(ラチャダー)一帯)には閑古鳥が鳴いているという。

流行に敏感な10代の現役大学生ブワによると、「 RCA なんて完全に時代遅れ」という。僕は比較的バンコクの流行には疎い方だが、最近になっていろいろなところへ友人に連れて行ってもらっているせいか、徐々に勝手が分かるようになってきている。

夜、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) にいる大学生たちから聞いたラッチャダーピセーク(ラチャダー・ソイ)4の Snop へ、試しに行ってみた。

この店で演奏されるタイ語曲は巧みに編曲されており、リズムに乗りながら心地よく酒を飲める。ただ、価格設定が立地の割にはやや高く、家計へのダメージも少なくない。

「こうも知らない曲を連続して流されるとテンションが下がる一方だ」

というのが、大学院の夏休みを利用して遊びに来ている友人の感想だったが、僕と別の友人は最高に盛り上がっていた。

このままでは日本語ポップスのリズムについていけなくなってしまいそうだが、それは日本に帰国してからの課題ということにして、今はタイポップスを満喫しておくことにしたい。

20040726-2.jpg今日は、午前の「ASEAN 地域論」と午後の「東南アジア文明論」に出席した。放課後、バンコク郊外のコンサートホール「インパクトアリーナ・ムアングトーンターニー(ムアントンタニ)」で催された The Offspring のコンサートをブワと見に行った。今回のチケットは、ブワが衛星放送 UBC の音楽専門チャンネル V 主催のインタビュー会でアカペラを一曲披露した謝礼としてもらってきたもので、1枚1,000バーツ相当。その後、友人達がラッチャダーピセーク(ラチャダー・ソイ)4のパブ Snop で午前2時まで飲み続けた。

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