2003年10月13日(月)
一週間の日本滞在を経て、僕はバンコクに戻ってきた。
午後11時27分、バンコク・
片側2車線ある
友人はクルマを中央分離帯ギリギリまで寄せて回避を試みたが、バイクはさらに第2車線の中央に寄ってきて社用車の左サイドミラーに接触。転倒したバイクはさらに助手席のドア下部に接触し、運転手は第1車線と第2車線のちょうど真ん中に弾き飛ばされ、さらに後続の日本人女性観光客ふたりを乗せたタクシーに跳ねられて中央分離帯に叩き付けられた。タクシーはフロントバンパーとタイヤホールを破損し、右フロントタイヤが破裂して僕たちの前方で停止。警察に通報しようとしたところ、前方で交通違反を取り締まっていた警官が近づいてきた。
現場に到着した警官は、取り調べを始めることなく、ひたすら交通整理に専念していた。タクシーに乗っていた日本人観光客は、別のタクシーを捕まえて目的地のプレジデントホテルへと向かった。つづいて無線連絡を受けて駆けつけた交通警察に、僕たちは負傷したバイク運転手を乗せて最寄りの

翌12日午前零時10分、僕たちは
午前1時22分、当事者のふたりが飲酒検査のためにウィパーワディー病院へと移送され、僕はこの時間を利用して警察署の待合所で日記を書くことにした。<ここまで、ウィパワディー警察署待合室で書く>
午前1時45分、保険会社からの電話が警察署に入った。事故の経緯を簡単に説明したところ、30分後に来るという。つづいて病院でアルコール検査を受けている友人から携帯に電話があった。バイク運転手の呼気から133のアルコール反応が検出されたそうだ。僕にはこの数値がどのようなものか知らないが、別件の交通事故で取調中の運転手から検出された運転手から検出されたのが80であることを考えると、接触したバイク運転手はほとんど酩酊状態だったのだろう。なお、麻薬反応検査は行われなかったという(保険会社の職員の話によると、タイの道路交通法ではアルコール指数50以上で罰則を科せられ、150以上で保険の適用が受けられなくなるという)。
午前2時15分、病院でアルコール検査を受けていた当事者のふたりが警察署に戻ってきて、いよいよ本格的な事情聴取が始まった。参加者は僕のほか、クルマを運転していた友人、転倒したバイク運転手の3人。
バイク運転者は冒頭から偽証を始めた。彼は僕たちが第1車線からいきなり第2車線へと車線変更したため接触したと主張している。当然、僕たちはこれに猛然と反論したが、バイク運転手は「そんなことはない」の一点張りで最後まで自らの偽証を唱え続けた。
警察署での取り調べはいよいよ収拾がつかなくなり、警察官は僕たちに退出するように命じバイク運転手からの証言だけを一方的に聞いた。さらに現場検証に向かったが、タイ語が使える僕の立ち会いは拒否された。
双方の主張は最後まで折り合うことなく、後日あらためて事情聴取を行うという方向で解散しようとしていた。しかし、バイク運転手に修理代を払えるだけの経済力がない点、どうせリース会社が修理費用を負担してくれる点などを考えると、これ以上の時間を費やしても無意味であるという結論になり、午前4時半に当事者双方が人身事故反則金の最低額400バーツを支払うことで警察官と合意した。
加害者と被害者との責任関係はついに明確になることなく、有耶無耶のうちにこの事故は処理されることになった。なお、反則金の領収書はきちんと発行された。
「彼はあまりにも貧しく、どうせ損害を補償するだけの金もない」
今回の交通事故は、明らかにこちらに補償を要求する権利があった。ところが、警察官が丸く収めるようとしたことで、ついに正義による解決を見ることがなかった。しかも友人は、タイ人バイク運転手の主張のみが一方的に採用された調書に署名させられた。
「
タイに住んでいる日本人のあいだに「自分は常にタイ人よりも優位に立っている」と信じて疑わない者が数多くいるが、彼らは一刻も早くこうした誤った認識を正すべきだ。なにしろ、僕たちはタイ人ではないのだから、タイ人と争いになったときの保護もあまり期待できない。
ちなみに、転倒して軽傷を負ったバイク運転手は、飲酒運転の罪で一晩留置所に拘留されることになった。



金融機関(社内SE職)を退職後、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座を修了。米国語学留学を経て、同大学東南アジア研究科で修士号を取得。現在、日本国内の専門商社で海外営業に従事。
旅の指さし会話帳①タイ
タイ語読解力養成講座
タイ日大辞典
タイを知るための60章
地図がつくったタイ
タイのこころ
ギック―友達以上、でも恋人じゃない
Sexteen Thailand
午後11時半、マヒドン大学サーラーヤー校舎へブワを迎えに行き、それから自動車整備工場で指摘された自賠責保険を支払うために、