2003年1月3日(金)

ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)も残りわずか。

きょう提出の宿題は、1週間後の修了証書授与式で、王族の文学部長と講座主任教官(副学部長)を前にして行う、演説の草稿だった。

演説の草稿

กราบสวัสดีท่านคณบดี ท่านรองคณะบดี และอาจารย์คณะอักษรศาสตร์ที่เคารพทุกท่าน ในวันนี้ ข้าพเจ้านาย เคอิชิ นักเรียนในโครงการอบรมภาษาไทยสำหรับชาวต่างชาติ ได้ศึกษาวิชาภาษาไทยสำหรับชาวต่างชาติจบหลักสูตรเป็นที่เรียบร้อยแล้ว ซึ่งเป็นวันแห่งความสำเร็จวันหนึ่งในชีวิตของข้าพเจ้า ที่มีโอกาสได้จบการศึกษาจากจุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัยอันทรงเกียรติแห่งนี้
敬愛する学部長様、副学部長様、そして文学部の諸先生方に、ひれ伏してご挨拶申し上げます。わたくし、外国人のためのタイ語訓練プログラム学生でありますケイイチは本日、外国人向けのタイ語教育課程を修了いたしました。この名誉あるチュラロンコーン大学においてタイ語を学び修了したことは、私の人生における栄誉でもあります。

นอกจากนี้ วิชาความรู้ทางด้านภาษาไทยที่ข้าพเจ้าได้รับจากคณาจารย์ ยังเป็นประโยชน์ต่อข้าพเจ้า ทั้งในด้านการดำรงชีวิตอยู่ในสังคมไทย ทำให้ข้าพเจ้าเข้าใจวิถีชีวิต วัฒนธรรม ประเพณี และสังคมของคนไทยได้ง่ายขึ้น ซึ่งจะเป็นประโยชน์อย่างมากในการเรียนต่อในประเทศไทยในระดับที่สูงขึ้นไปในอนาคต รวมทั้งช่วยเพิ่มโอกาสในการทำงานมากยิ่งขึ้น
また、わたくしが先生方から習得しましたタイ語の知識は、タイで生活していくうえでタイ人の文化、風習、社会などへの理解の一助となっただけでなく、将来におけるより高度なタイ研究と就業の機会に大いなる利益をもたらすものです。

แต่วันแห่งความภาคภูมิใจนี้ คงไม่สามารถเกิดขึ้นได้ หากไม่มีอาจารย์หลาย ๆ ท่านที่คอยมอบความรู้ให้กับข้าพเจ้าอย่างเต็มที่ตลอด 12 เดือนที่ผ่านมา ผู้ที่คอยปรับปรุงและชี้แนะการใช้ภาษาไทยของข้าพเจ้าอย่างสม่ำเสมอจนสามารถพัฒนาทักษะทางด้านภาษาไทยขึ้นมาจนถึงระดับนี้ได้
しかし、この誇らしい日を迎えましたことは、わたくしにいつも最善を尽くし親切に指導してくださった多くの先生方なしにはあり得なかったことでしょう。12ヶ月間に渡り、懇切丁寧なご指導のおがげをもちまして、ついにこのレベルに到達することができました。

สุดท้ายนี้ ข้าพเจ้าขอขอบพระคุณท่านคณาจารย์ทุกท่านที่เมตตาให้ความรู้ ขอบพระคุณทุก ๆ ท่านที่มีส่วนร่วมในการริเริ่มโครงการภาษาไทยสำหรับชาวต่างชาตินี้ และขอบพระคุณทุก ๆ ท่านที่ช่วยให้โครงการนี้ดำเนินต่อเนื่องมาจนปัจจุบัน ประกาศนียบัตรที่ข้าพเจ้าได้รับในวันนี้ ไม่เพียงแต่บ่งบอกถึงความสามารถของข้าพเจ้าเท่านั้น แต่ยังเป็นสิ่งที่ประกาศถึงความสำเร็จของจุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัยแห่งนี้ ที่สามารถสร้างบุคลากรที่มีความรู้ความสามารถขึ้นมาได้อีกหนึ่งคน ข้าพเจ้าหวังเป็นอย่างยิ่งว่า โครงการนี้จะดำเนินต่อเนื่องตลอดไป เพื่อให้มีคนอีกมากมายได้ขึ้นมายืนอยู่จุดเดียวกันกับที่ข้าพเจ้าได้ยืนอยู่ในวันนี้ ในวันที่น่าภาคภูมิใจเป็นอย่างยิ่ง
最後に、慈悲深く導いてくださいました諸先生方に御礼申し上げますとともに、この外国人向けタイ語プロジェクトを創設されたのに関わった皆様、こんにちまでこのプロジェクトの運営に関わって来られました皆様に御礼申し上げます。本日わたくしがいただきました修了証は、私の能力を証明するだけでなく、ひとりの人間の能力を引き上げたヂュラーロンゴーン大学の成功を広く知らしめるものでもあります。わたくしは、わたくしと目的を等しくするより多くの人々のためにも、このプロジェクトが永遠に継続されますよう強く希望します。今日のこの日を大変栄誉に思っております。

タイ語講師の感想。

「あっはっは、ちょっと大げさなんじゃない? あなた達はもう大人なんだし、しかも外国人なんだから、タイ人高校生みたいにへりくだる必要なんてないわ。 『ひれ伏してご挨拶申し上げます』はオーバーすぎ。あなた達は225,000バーツも払ってきたんだから、ご恩もクソもあったもんじゃないわ」

確かにおっしゃるとおり。

今晩、外国人旅行者向けの夜の歓楽街「パットポング(パッポン)」にある日系ステーキ屋「みずキッチン」で、格安ステーキ(パン・サラダ・ドリンク・お雑煮つきで220バーツ)を食べ、日本人向けの夜の歓楽街「タニヤ」にあるカラオケスナックに行った。

カラオケスナックとは本来、ホステスの女の子たちとイチャつくために存在しているが、僕たちは日本人店主と愉快な仲間たちと語り合うために通っている。料金は、時間無制限・飲み放題で、ひとり750バーツ(友情価格)。

閉店後、スクンウィット(スクンビット)6にあるコンドミニアムで、日本人店主と午前5時まで語り合った。

今月10日から、この日本人店主にタイ語家庭教師として雇われることになった(時給500バーツ)。

2003年1月4日(土)

この年末年始だけで、3度目のタニヤ・カラオケスナックの夜。

自分では、居酒屋の常連入りをしたようなものとしか思っていないが、まるで不良留学生になってしまったかのようだ。もちろん、店内の娼婦たちとイチャつくこともない。

午後6時にカラオケスナック「ゆかり」に入店し、ボトルキープ可能なウイスキー「シーバスリーガル」を購入。午前2時まで居座って15曲歌った。料金は、①ウイスキー代1,500バーツ、②席代750バーツ(時間無制限)、③ソーダ代50バーツ、④カラオケ代300バーツの合計2,600バーツだった。

常連たちで賑わう和気藹々とした雰囲気の店で、けっこう気に入っている。普通なら男性客の隣に密着して座るはずのホステスたちも、まるで常連客の一人のように振る舞っている。

仕送り前で手持ちが心許なかったため、今晩の飲み代はすべて「ツケ」にしてもらった。こんなに安くて、しかもツケまで認めてくれる店が、ほかにこのタニヤであるだろうか。

2003年2月28日(金)

朝、タニヤのカラオケクラブが抱える問題を解決するために、僕はタニヤで20年以上働いてきたというチーママ(フロア責任者)とともに商務省の出先機関へと出かけた。そして、昼食を取っているときに興味深い話を聞いた。

1990年3月、大蔵省銀行局長が「土地関連融資の抑制について」(総量規制)の通達を出したことをきっかけに、日本経済の根幹を支えてきた長期信用全体が崩壊した。これにより日本国内の景気は急速に後退し、1991年10月以降こんにちに至るまで深刻な不況が続いている。時を同じくして、日系企業による接待で均衡を保っていたタニヤのカラオケクラブでは、各社の接待費削減の煽りを受けて急速な価格崩壊が生じ「飲み放題1時間500バーツ」の店が登場。ディスカウントが蔓延る大衆の街へと変容した。

チーママによれば、今から20年前のタニヤは全く異なる様相をした街だったという。タニヤ界隈のカラオケスナックはどこも会員制をとっており、現在ではキープボトルを入れれば誰だって会員になれるが、当時は会員による紹介があって初めて会員資格が得られた。料金も現在の何倍も高く、いわゆるハイソな街を形成していた。もちろんホステスの質も、容姿、サービスともに現在とは比較にならないほど高かった。

ホステスとの付き合い方も、現在のイメージとはかなりの隔たりがあるという。現在では店に連れ出し料金を支払うことで誰とでも簡単に寝ることができるが、当時は自分の部屋の電話番号を書いた紙切れを会計前にコッソリとホステスに渡し、もしホステスにその気があれば午前1時頃になって電話がかかってくる。こうして初めて一緒に夜をともにすることができた。

「近頃はまるでゴーゴーバー(娼婦の裸踊りバー)のような下品な街になってしまったわ。まったく、あの頃が懐かしい」

しばしば日本の宮家の方が大規模な車列とともにタニヤへとやってくる。現在のタニヤしか知らない僕には「なぜこんな品のない街にわざわざお出ましになるのだろうか?」という疑問しか残らないが、当時の価値観ではタニヤに来ることもそれなりにサマになっていたのかもしれない。

その後、もう一ヶ所のオフィスに寄ってから、別の友人が経営する会社でバイトをした。

今晩、ある会社の社長から、会社の公的資料をタイ語訳してほしいと依頼された。翻訳料はA4用紙7枚半で10,000バーツ。納期は一週間後。エーンと協力してなんとか期限内に仕上げたい。この請負額が妥当なものかどうかは、まだ僕には分からない。

2003年3月8日(土)

パッタヤー(パタヤ)の上客はアメリカ海軍兵。

今日はアルバイト先の社員旅行に参加した。業務終了後、ワゴン車(ロットゥー)にタイ人を含む全従業員を乗せ、僕はワゴン車(ロットゥー)のアクセルをべた踏みして(でも時速120キロ)、一路ビーチリゾート「パッタヤー(パタヤ)」へと向かった。

午前零時。タイ人従業員たちが寝静まったのを見計らって、僕たちは夜のパッタヤー(パタヤ)へと繰り出した。ホテルの周囲にはピンク色の照明が眩しいビアバー(バービア)が軒を連ねている。

「ニーハオ!」

カラオケスナックが立ち並ぶ薄暗い路地を歩いていたところ、呼び込みをしているホステスの一団に声をかけられた。そのまま「ニーハオ」と返事をしたら、「あーあ、こいつらタイ人だよ」という声が聞こえてきた。

「アッリガトーゴザイマス!」

さらにゴーゴーバー(娼婦の裸踊りバー)の前を通り過ぎたところ、突然感謝の言葉をいただいた。

「三菱!」

でも、さすがに日本語の固有名詞を連発すれば良いというものでもないだろう。

バンコクの娼婦(売春婦)たちは、かなりの確立で日本人を見分けることができる。ところが、ここパッタヤー(パタヤ)娼婦(売春婦)にはそれがないようだ。同行した経営幹部はこう話していた。

パットポング(パッポン)をはじめとするバンコクの夜の街は、半ば日本人観光客をターゲットに営業している。でも、ここはそうじゃないから」

アメリカ海軍の艦船が寄航すると、パッタヤー(パタヤ)の風俗店は店先に星条旗を掲げ、町全体が一気に活気付く。バンコクでは娼婦(売春婦)たちが間抜けな日本人観光客から金をゲットする機会を虎視眈々と狙っているが、ここパッタヤー(パタヤ)にはそういった雰囲気はない。

2003年9月23日(火)

20040817.jpgおよそ半年ぶりに、僕はバンコクの夜のスポットに足を踏み入れた。まず手始めに、スクンウィット(スクンビット)15にある外国人向けの娼婦(売春婦)調達バー「トァーメー(テルメ)」で、タイ語を話せないフリをして娼婦たちをからかってみることにした。

カウンターバーに座って英語ばかりを話していると、次から次へと娼婦たちに声をかけられた。タイ語ばかりを使っていた語学留学時代に比べると明らかに娼婦ウケが良くなっている。そうこうしているうちに、日本人向けの夜の歓楽街「タニヤ」で働いていたという元ホステスが、片言の日本語で僕に話しかけてきた。

娼婦たちは意外にも正直者ばかりで、僕が投げかける意地の悪い質問にも丁寧に受け答えしてくれた。たとえば、ある娼婦が「なんか今晩のイケてる客はあなたしかいなそうね」と話していたから、どんな客がイケてるのかと聞いてみたところ、「この店に来たことがない短期滞在者で日本国内に職を持っている人」という返事が返ってきた。

その娼婦が去ったあと、僕が流暢なタイ語で話しかけたときの別の娼婦たちの驚いた顔といったら、まったく見物だった。

この店は、多くの長期滞在者たちを落胆させるだろう。ほかの風俗関連施設に比べ、娼婦の容姿が圧倒的に劣るし、なかなか相手すらしてもらえない。新手の語学留学生たちが、無料セックスをゲットするために積極的なアプローチをしてるようだったが、手応えがあるようには全く見えなかった。

ただし、それなりに人が集まるバーで、音楽に身を任せながら酒を楽しみたいというのなら、別に悪くもなさそうだ。

2003年11月2日(日)

ここバンコクには、不幸にも娼婦(売春婦)を生涯の伴侶として生活している日本人も少なくない。だからそんな日本人に会ったときの、地雷を踏んでしまうリスクは最小限に抑えたい。

今晩、日本人の友人と夕食をとっていたときに、僕が久しぶりに Go Go Bar(ゴーゴーバー) に行ってみたいと提案したところ、別の友人のカノジョの話題になった。

「知っているか? 日本人が連れているオンナが娼婦かどうかを一発で判別する方法があるんだ」

友人の話を簡単にまとめるとつぎのようなものだった。

「そんなことは、すこし考えれば分かることだ。まず、バンコクに住んでいない女性が日本人と知り合う機会なんて絶対にない。つぎに、まともな教育を受けていない地方出身者が、ここバンコクで独立した生計が立てられるわけがない」

バンコク都内における高卒もしくは中卒以下の家計簿 (最低金額で計算)
月給 ฿5,500      年次昇給なし
    アパート代 ฿2,000  冷房なしの最も安い部屋
    通勤交通費 ฿600  タイでは従業員負担が原則
    食費 ฿2,250  屋台料理1食25バーツ
    光熱費 ฿300  冷房を使わない場合
    水道代 ฿80  
    飲料水代 ฿300  タイで水道水は飲めない
収入計 ฿5,500 支出計 ฿5,530  

この計算に用いた収入は標準的、支出は極めて控えめな数字。

「したがって、両親が地方に住んでいて、親戚の家にも居候してない高卒未満の女性は、娼婦または元娼婦である可能性が高い。①家族構成と②両親の住所、それから③学歴を聞けば大抵のことは推測できる」

友人はそう結論づけた。

今日は、高等教育を受けていないタイ人がどんなに貧しいかということについて、改めて考えされられた。

その後、僕たちはパッポング(パッポン)Go Go Bar(ゴーゴーバー) へと繰り出した。しかし金に飢えた娼婦たちと話しても虚無感しか感じない。

僕は25歳の大学院生。親からの潤沢な仕送りと好待遇のアルバイトで、ここバンコクでも日本人としてそれなりに常識的な生活を送っている。娼婦なんかに頼らなくても、フツウのタイ人と友達になるだけの実力はあるし、現役大学生の友人もまだなんとか作ることができる。なによりも、金の絡まない人間味あふれる付き合いができるという点で、一般の女性は娼婦より遙かに優れていると思う。それに、僕は下半身からの精液の単純放出という作業にもあまり関心がない。そもそも、「女関係の云々」というものは、精神的支配(?)が伴ってこそ初めて痛快に感じられるものなのであって、ただ自分の性器を見ず知らずの人に突っ込めば楽しめるというものではないと思うのだが、そう考えるのは僕が異常だからだろうか?

それにしても、もし僕が35歳だったら、このバンコクという街でどうやって娯楽を見つけていけばよいかと途方に暮れるかもしれない。そういった観点からも、やはりこういった風俗店は、ある種の日本人にとっては必要欠くべからざるものなのかもしれない。

さしあたって、せっかく大学生に相手にしてもらえているのだから、今のうちに彼女たちとは仲良くやっておきたい。娼婦とではなく。

2003年12月9日(火)

今晩、ペッブリータットマイ(ニューペチャブリー)通りにあるホテル「アマリ・アトリウム」へ日本人の友人と飲みに出かけた。

ここの2階にあるパブ「ミングルス」のカクテルは、サイズが大きめで、味もなかなか良い。1杯180バーツ。生演奏のコンサートもあってオシャレな雰囲気。午後11時から午前1時までの間に注文すると、もう一杯おなじカクテルが出てくる(buy one get one free)。

今後カクテルを飲みたくなったら、午後11時まで待ってミングルスに行こう。500バーツも出せば、きっと歩けなくなるまで酔っぱらえるに違いない!

2003年12月13日(土)

飲酒と喫煙が解禁される年齢は、国(または州)によって異なる。

日本では飲酒・喫煙ともに20歳だが、アメリカ・カリフォルニア州では21歳。しかも必ずといって良いほど身分証の提示が求められる。

ところが、ここタイでの規則は少し変わっている。飲酒が18歳から、喫煙が20歳から。ただし屋外での20歳未満の飲酒は禁じられている。だから、クラブ(タイではディスコやパブと呼ばれる)の入り口には、客の身分証(国民 ID )を確認するための警備員が配置されている(20歳未満の未成年者を店に入れてしまうと、店が罰せられる)。

カノジョのブワは18歳。一緒に酒は飲めてもクラブには行けない。そこで今晩はブワと酒を飲むために、ホテル「アマリ・アトリウム」のパブ「ミングルス」へと出かけた。厳密には違法だが、ホテルに年齢確認の警備員がいることはほとんどない。

それでも一緒にクラブに行けないのは、やっぱり少しだけ残念だ。

2004年2月11日(水)

飲食店の営業時間規制の話題は、以前からタイのマスコミで頻繁にとりだたされていた。それを今年に入って日本語ミニコミ誌が一斉に報じたことで、バンコクの日本人社会もこの話題で持ちきりになっている。その営業時間規制が、いよいよ現実のものとなりそうだ。

報道によると、タイ政府は社会の風紀を正すことを目的として、一般の飲食店の営業時間を午前零時までに規制し、同時に青少年を対象とした夜間外出禁止令の運用を厳格化する。僕はこの報道を聞いて自分の耳を疑い、すぐにグルングテープトゥラギット紙(クルンテープトゥラキット紙)の発行元であるネーショングループのホームページを開いて確認した。その内容は次のとおり。

นครบาลคุมเข้มสถานบริการ กวดขันเยาวชนมั่วสุม
娯楽施設管理を厳格化し、非行未成年者の引き締めを図る ― 警視庁

2月11日午後2時21分更新

พล.ต.ต.เจตน์ มงคลหัตถี รองผบช.น. รับผิดชอบงานป้องกับปราบปรามอบายมุข เรียกประชุมคณะทำงานชุดเฉพาะกิจปราบปรามอบายมุขและบ่อนพนันของกองบัญชาการตำรวจนครบาล และนายตำรวจระดับ ผบก.น.1-9 เพื่อชี้แจงทำความเข้าใจถึงแนวทางการปฏิบัติเรื่องการควบคุมการเปิด-ปิดสถานบริการทั้งในโซนนิ่งและนอกโซนนิ่ง โดยใช้เวลากว่า 2 ชั่วโมง
警視庁副長官(社会規律退廃撲滅プロジェクト担当)のヂェート・マンコンハッティー警察中将は、警視庁社会規律退廃・賭博撲滅委員会および、第1管区から第9管区までの各警察署長を招集して開いた会議のなかで、指定地域内および指定地域外における娯楽施設の営業時間取締活動に関する行動方針を2時間以上かけて周知徹底した。

พล.ต.ต.เจตน์ กล่าวว่า สำหรับความพร้อมการดำเนินการในเรื่องนี้ตำรวจนครบาลได้รับการประสานจากทางกระทรวงมหาดไทยเป็นที่เรียบร้อยแล้วพร้อมมีการประชุมหารือทำความเข้าใจกันก่อนหน้านี้ว่า สถานบริการที่อยู่ในโซนนิ่งนั้นต้องปิดในเวลา 01.00 น. ส่วนสถานบริการนอกโซนนิ่งปิดเวลา 24.00 น. ซึ่งจุดนี้เจ้าหน้าที่ที่รับผิดชอบในท้องที่ต่างๆนั้นจะเข้าไปดูแลกวดขันสถานบริการที่อยู่นอกโซนนิ่งก่อน จากนั้นยังมีเวลาเหลือพอที่จะกลับมาดูแลสถานบริการในโซนนิ่ง
ヂェート警察中将によれば、今回の規制は内務省との合意に基づき、「指定地域内」にある娯楽施設の営業時間を午前1時まで、「指定地域外」にある風俗店の営業時間を午前零時までとする。各地域の担当者が指定地域外にある娯楽施設を立入検査を行い、余った時間で指定地域内の娯楽施設の取り締まりに充てる。

ฉะนั้นการปฏิบัติของตำรวจตรงจุดนี้ไม่มีปัญหา จะเป็นเวลากี่โมงกี่ยามก็ได้แม้เวลาการเปิดปิดต่างกันก็ไม่เป็นไร เราสามารถจัดการได้เพราะโซนนิ่งของสถานบริการใน กทม.นั้น มีเพียง 3 โซนในพื้นที่ 5 สน.ใน 3 กองบังคับการคือ โซนที่ 1.ถนนสีลม-บางรัก-พัฒน์พงษ์ เป็นพื้นที่รับผิดชอบของ สน.บางรักและ สน.ทุ่งมหาเมฆ บางส่วน โซนที่ 2 อาร์ซีเอ ย่านพระราม 9 พื้นที่รับผิดชอบของ สน.มักกะสัน โซนที่ 3 คือถนนรัชดาภิเษก เริ่มตั้งแต่หน้าห้างเยาฮันถึงบริเวณแยกลาดพร้าว ห่างจากถนนรัชดาฯ ไป 300 เมตรทั้งสองฝั่ง เป็นพื้นที่รับผิดชอบของ สน.ห้วยขวาง และ สน.สุทธิสาร ? พล.ต.ต.เจตน์กล่าวและว่า
したがって、それぞれの閉店時間が異なっても警察活動には支障ない。バンコク都内の娯楽施設は、3管区5警察署の3ヶ所のみで、十分に取り締まることができる。その3ヶ所とは、①バーングラック署とトゥングマハーメーク署が管轄するシーロム – バーングラック – パットポング間、②マッガサン署が管轄するラマ9世通り周辺(RCA)、③フワイクワーング署とスティサーン署(?)が管轄するラッチャダーピセーク通り(ヤオハン百貨店からラッチャダーピセーク通りから300メートルほど離れたラートプラーオ交差点付近まで)。

การปฏิบัติที่ผ่านมาก็ไม่เคยมีปัญหาเลยเพราะสถานบริการบางแห่งปิดในเวลาไม่ตรงกันอยู่แล้ว ไม่ใช่ว่า สถานบริการเปิดปิดตรงกันตลอด เขามีกำหนดเปิดปิดเหลื่อมล้ำเวลากันอยู่แล้ว จากเดิมการปฏิบัติก็ชัดเจนอยู่แล้วหากมาดำเนินการแบบใหม่ที่กำหนดก็ทำให้ตำรวจมีเวลาในการปฏิบัติมากขึ้น ทั้งในและนอกโซนนิ่งเราสามารถเข้าไปดูแลได้ทั่วถึงและง่ายกว่าเดิม
娯楽施設は常に時間通りに閉店し、しかも閉店時間がそれぞれ異なるため、これまでの取り締まりでも上手くいっていた。過去の実績からも明らかなように、今回の通達により、指定地域内外における警察活動がより手際よく遂行できるようになる。

ส่วนจำพวกร้านขายอาหารตามสั่งและร้านข้ามต้มที่เปิด 24 ชั่วโมงนั้น ตามประกาศคณะปฏิวัติฉบับที่ 252 ลงวันที่ 16 พ.ย.2515 ห้ามไม่ให้เจ้าของขายอาหารและเครื่องดื่มตั้งแต่เวลา 01.00 -05.00 น. ซึ่งปัจจุบัน กม.ฉบับนี้ก็ยังมีผลบังคับใช้อยู่และยังไม่ได้มีการแก้ไข แต่ไม่ทราบว่า ร้านดังกล่าวดำเนินการกันได้อย่างไร เพราะเขาห้ามทั้งการขายและการดื่มของคนที่เข้าไปในสถานที่นั้นๆด้วย ในเวลาที่ห้ามเช่นเดียวกัน ถือว่ามีความผิดทั้งคนขายและคนกินในสถานที่ที่ห้ามจำหน่าย ซึ่งตนจะกำชับตำรวจทุกท้องที่ให้กวดขันตามประกาศคณะปฏิวัติดังกล่าวอย่างเคร่งครัด
24時間営業をしている食堂や粥屋はについては、革命団通達第252号(2515年11月16日施行, 現在もなお運用されており、施行以来改訂されていない)に基づいて、商店主に対して午前1時から午前5時までの販売を禁じる。しかし、これらの店をどのように取り締まるのかは分からない。この通達は、施設内で酒類の販売することと飲むことの両方を禁じている。販売禁止時間内は、販売禁止場所にいる販売者と消費者の双方の責任とみなし、この革命団布告を厳格に適用して取り締まりにあたる。

พล.ต.ต.เจตน์ ยังกล่าวถึง กม.บังคับใช้ห้ามเด็กและเยาวชนอายุต่ำกว่า 18 ปีออกนอกบ้านเกิน 22.00 น.ว่า ตรงนี้คงไม่ได้ห้ามขาดทุกกรณีไปต้องดูที่เหตุผลด้วย เพราะหากมีใบอนุญาติของผู้ปกครองในกรณีที่มีเหตุจำเป็นก็คงสามารถทำได้ เพราะไม่ใช่ใครจะออกไปไหนแล้วคงต้องติดคุกติดตะราง แต่เป็นเรื่องที่ตำรวจจะต้องดูแลและประสานกับผู้ปกครองซึ่งไม่ได้มีโทษใหญ่โตอะไรถึงขนาดต้องติดคุกติดตะรางกัน
ヂェート警察中将はさらに、午後10時以降の18歳未満の未成年者に対する外出禁止令にも言及した。夜間の外出禁止は、例外なく禁じるものではなく、相応の必要性が認められ親権者の許可がある場合には十分に考慮される。しかし、逮捕に該当する罪を犯したかどうかにかかわらず、警察としては補導して親権者に引き合わせる方針だ。

พล.ต.ต.เจตน์ กล่าวถึงสถานบริการใน กทม. ที่มีการขออนุญาตอย่างถูกต้องตามกฎหมายว่า แบ่งเป็น 4 ประเภทด้วยกันคือ 1.ประเภทเต้นรำ มีการขออนุญาตรวม 66 แห่งทั่ว กทม. ประเภท 2 .โรงน้ำชา มีจำนวน 36 แห่งที่ถูกกฎหมาย ประเภท 3. อาบอบนวด มีการขออณุญาตถูกต้อง 103 แห่งแต่เปิดให้บริการจริงเพียง 80 แห่ง และประเภท 4.พวกร้านอาหารและผับ บาร์ มีขออนุญาต 1,700 -1,800 แห่ง เท่านั้น ส่วนที่เหลือไม่ได้มีการขออนุญาตอย่างถูกต้องโดยเฉพาะร้านคาราโอเกะส่วนใหญ่เป็นร้านเถื่อนไม่มีใบอนุญาตทั้งสิ้น ซึ่งร้านประเภทนี้ไดก้สั่งการให้ตำรวจนครบาลเข้มงวดกวดขันจับกุมอย่างต่อเนื่องแล้ว
ヂェート警察中将は法律に基づき、正式な許可を得ているバンコク都内の風俗店を4種類に分類すると語った。①舞踊型(66店舗がバンコク都内で許可を得て営業している)、②喫茶店(36ヶ所が法律に準じて営業している)、③マッサージパーラー(ソープランド, 103ヶ所が営業許可を得ているが、実際に営業しているのは80ヶ所にすぎない)、④食堂、バー、カラオケ(ほとんどが、特にカラオケ店に関しては、正式な許可を得ていない無許可営業で、正式な許可を得て営業しているのは1,700ないし1,800店舗)。これらの種類の店舗については、警視庁に命じて従来より厳格に取り締まる。

“ณ วันนี้อะไรที่ตั้งโดยถูกต้องอยู่แล้วก็คงมีอยู่ต่อไปได้ แต่จะมาขอเปิดใหม่นั้นขอไม่ได้แล้ว แต่หากจะย้ายที่ก็ต้องย้ายเข้าโซนอย่างเดียวจะขออนุญาตอยู่นอกโซนคงไม่ได้แล้ว เราต้องยึดถือตามกฎหมายใหม่เป็นสำคัญ” ผช.ผบช.น.กล่าวในที่สุด
警視庁副指令は、「もし、今日中に法律にしたがって是正すれば、そのまま営業を継続できる。しかし、新規の営業許可を申請しても認めない。また、店舗の移転は同一地域内でのみ認め、指定外地域への移転は認めない。なによりも重要なのは、この新法を我々が遵守することだ」と話した。

タイ政府はいったい何様のつもりなのか。戒厳令が布告されているわけでもないのに、未成年とはいえ国民の外出を制限するとは、どう考えてもおかしい。しかし、この方針を掲げる与党タイ愛国党(タイラックタイ)は、民主主義の原理原則である多数決によって国民からの信託を受けて施政を行っている。内閣支持率が低下しているわけでもないから、国民の権利を制限するこうした政策は正しいのかもしれない。

2004年2月27日(金)

先日、スクンウィット(スクンビット)59にある日本風居酒屋「いもや」へ友人と飲みに行ったときに、店員から僕の所在を探しているタイ人がいるという話を聞いた。アメリカ留学後に新たに SIM カードを買って電話番号を変えたため、その友人とは1年以上も連絡が取れない状態が続いている。そこで、友人の電話番号が書かれているメモを店員から受け取って SMS (ショートメール)を送ったところ、今朝になって返信があって会うことになった。

この友人はグルングテープ大学(バンコク大学)経営情報学部を半年ほど前に卒業した。卒業後に始めた就職活動でまともな給料の仕事にありつけず、現在でもバンコク大学に在学中の彼女とともに、在学中から続けているインターネットカフェを営んでいる。

午後8時、僕たちはスクンウィット(スクンビット)50にある大型スーパー「テスコ・ロータス」オンヌット店で合流し、スクンウィット(スクンビット)113にある友人のインターネットカフェに移動した。店内では、近所の子供たち10人がインターネット対戦ゲームで盛り上がっていた。上半身裸の部屋着を着ている小学生から中学生にかけての子供たちが、タバコをふかすなどやりたい放題。料金は1時間20バーツで、午前9時から翌日午前3時頃まで営業している。

パソコンの周りで騒いでいる子供たちの横で、僕たちは冷蔵庫にあったエビと豚肉をつまみながらビールを飲み、近況を語り合った。友人によれば、匿名掲示板「パンティップ・ドットコム」にヂュラー大生(チュラ大生)を自称するタイ人が「ヂュラー(チュラ)以外の大学は大学ではない」という内容の投稿をしたことがきっかけで、ここのところ関係のないヂュラー大生(チュラ大生)まで他大学の学生を敵に回しているという。

いつの間にか酒のつまみをすべて食べ尽くしてしまい、インターネットカフェの向かいにある屋台に移動して飲み続けていたところ、屋台の店主がカラオケ(この場合は娼婦(売春婦)が隣につくタイプのカラオケスナック)に行こうと声をかけてきた。タイ人向けのカラオケスナックは僕もまだ一度も行ったことがないから、興味本位ですぐに賛成した。

そのカラオケスナックは、バンコク都の南東部に隣接するサムットプラーガーン県(サムットプラカン県)サムローング(サムロン)にあり、一般的なトゥックテオ(4階建ての長屋)1件分の大きさの店。1階に何組ものオヤジたちが娼婦と抱き合いながら交代で歌うスペース、2階にオヤジたち用の個室が1部屋、3階にオヤジたち用の小さな個室が2部屋ある。

僕たち3人組は、3階にあるオヤジたち用の小さな個室に入り、店員が適当に選んできた娼婦を部屋に招き入れた。6畳ほどの広さのこの部屋には、冷房、扇風機、テレビ、カラオケ受信機、リモコン等のほか、10人くらい座れるソファーが置いてある。料金は、個室使用料1回400バーツ(時間無制限)、ホステス料1人1時間40バーツ。食べきれないほどのタイ料理と大量のビールを注文して、合計2,380バーツだった。

この店は、タックスィン(タクシン)政権の社会風紀更正政策に屈することなく日の出まで営業している。しかし入り口の電灯は午前2時に消された。

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