旅行

バンコクとその近郊

パッタヤーのパブで迎えた友人二十歳の誕生日

午後8時10分、地下鉄ヂャトゥヂャック公園駅附属の駐車場で別の友人たちと合流した。ラートプラーオ交差点付近の渋滞で30分ほど時間を無駄にしたが、その後は平均時速140キロで順調に走り続け、午後10時20分、バンコクから南南西に約150キロの地点にあるビーチリゾート「パッタヤー」に到着した。

タイポップス

人気歌手のコンサートを見にチアングマイへ行って朝まで酒を飲んだ

午後5時半、クローングチョンプラターン通りにあるパブ Simm Bar で、日本人の友人2人組が女の子パワーを全開してフロア責任者に掛け合い、ステージ正面の1列目にテーブルを増設させ、午後8時までに来ると約束して一旦ホテルへ戻った。午後7時58分、ふたたび Simm Bar へ行き、その後、チアングマイ在住の日本人大学院生や現地で事業を営んでいる日本人たちが合流した。

タイ北部

長距離バス上級1等冷房車で行くチアングマイの旅

午前11時、ピパット2街路にある仮住まい Silom Convent Garden からスィーロム通りまでパジャマ姿のまま徒歩で移動し、高架電車サーラーデーング駅の前にある食堂で焼き豚ライスを食べて帰宅した。午後2時、スィーロム駅からガンペーングペット駅まで地下鉄で移動し、そこからバイクタクシー(30バーツ)に乗ってモーチットにある長距離バスターミナルへ向かった。

ベトナム

せめてタイよりもイケてる国へ (タイ人とのベトナム旅行4)

ベトナムの首都ハノイは、それなりに整備されているが、お世辞にも近代的な都市とは言えない。市場為替ベースの国民1人あたりの GDP で比較しても、日本(USD34,180)の約37分の1、タイ(USD3,137)の約3分の1と、あまり裕福ではない。ベトナムの大統領府は日本にある公立学校の旧規格の標準校舎そのものだし、ラオスと比べればそれでもかなりマシだが、近代的な建造物も市内には数えられるほどしかない。

ベトナム

まったり寝正月 (タイ人とのベトナム旅行3)

きょう1月1日は、タイ語では国際新年と呼ばれ、春節やタイ正月と区別されている。独自の正月を持っている東南アジア諸国ならどこでも同じことだが、ベトナムには国際新年用のニューイヤーソングが少ないせいか、ハノイ市内の店はどこもこの曲ばかりを繰り返し流しており、長時間コーヒー屋に籠もって聞いていると飽きてくる。

ベトナム

ハノイの道路が渡れれば 世界中の道路を横断できる (タイ人とのベトナム旅行2)

日本人的な感覚からしてみると、タイの交通事情ほど無茶苦茶なものはないように思えるかもしれないが、ノック航空の機内誌にはタイ語で「ハノイの道路が渡れれば、世界中の道路を横断できる」と書いてあった。それを見たときは、旅行情報誌にありがちな誇張表現だろうと高をくくっていたが、いざ実際にハノイの市内にある通りを渡ろうとしたところ、その意味の深さというものをイヤというほど思い知らされることになった。

ベトナム

ベトナム人の方がイケてるけど (タイ人とのベトナム旅行1)

今夜のベトナム行きチケットは、10月1日の予約開始と同時に、友人がクレジットカード決済でオンライン予約しておいてくれた。費用はひとりあたり3,172.67バーツで、その内訳は、航空運賃が6バーツ, 燃油料が1,500バーツ、保険料が400バーツ、事務手数料が300バーツ、空港使用料が1,166.67バーツだった。そして、あらかじめ予約していた午前10時15分発の DD3200 便に乗ろうとバンコク・スワンナプーム空港へ行ったところ、なぜかその便が欠航になっていたため、代わりに午後6時発の DD3208 便に振り替えられ、座席が通常のエコノミークラスから Nok Plus へアップグレードされていた。

カンボジア

タイの長距離バス2等冷房車で行くカンボジア国境カジノ

午前零時、カンボジアのバンテイメンチェイ州ポーイペート郡にあるカジノ街で、砂ぼこりが舞うなかを Golden Crown Casino から Ho Wah Genting Poipet Casino Resorts へ向かって歩いていたところ、3時間10分にもおよんだ2等冷房バスの旅について、友人は次から次へとやってくるバイクタクシーの営業を適当に交わしながら、このように言って振り返っていた。

カンボジア

タイの地方都市でクルマの修理を依頼したら交換部品が模造品だらけだった

午後6時、タイ国道304号のチャチューングサオ・ガビンブリー線を走行中に、ノーングプローング交差点のど真ん中で、1994年に製造された走行距離約24万キロの、友人が所有しているトヨタ・カローラが突然停止した。それ以降、アクセルを連打踏みしてはエンジンを再始動させるのを繰り返してなんとか走り続けていたが、プラーヂンブリー県スィーマハーポー郡タートゥーム町で午後6時10分、とうとうエンジンがかからなくなってしまった。