2009年12月26日(土)

今年は台北とグアムへも行きましたが、タイ旅行と連続していないため割愛しております。

机场5号线(空港5 番)に乗りまして、人民广场 (人民広場)に着きましたら電話してください。私もこれから家を出ますので、たぶん同じぐらいの時間に人民广场に着くよ」

正午すぎ、浦东国际机场( 浦東国際空港)に到着。今回は APEC 商用渡航カードを使い、優先窓口(特別通道)で入国審査を受けた。このカードは、年間の貿易額がそれなりにある会社・団体に所属する、犯罪履歴(前科)のない日本国民であれば誰でも入手できる。有効期限は3年間。商用資格でアジア太平洋地域18の国と地域に入国できる。申請手数料は14,100円とやや値が張るが、旅費交通費として経費処理できる。

きょうの上海市の気温は1度。空港到着階出口の真正面に、机场巴士5号线(上海火車駅行, 15分おきに運行, 20元)のりばがある。念のため、バスに乗り込む中国人女性ふたり組に声をかけて行き先を確認。中国人同僚から教わったとおり「这个巴士去人民广场吗?」と訊いてみるが、流暢な日本語で「ええ。このバスは人民広場へ行くと思いますよ」という返事が返ってきて驚いた。

約1時間後、バスの最前列に座っている車掌が「○※△□人民广场◇」と大声を上げた。さっきの中国人女性ふたり組がすぐに「人民広場に着きましたよ」と教えてくれる。車外では、上海市閘北区にある実家へ一足早く帰郷していた中国人の同僚がものすごく大きな声で僕の名前を連呼。さすがにこれだけのアシストがあれば乗り過ごしようがない。

上海の共通交通カードを人民广场方面へと向かうタクシー(初乗12元)の車内で中国人同僚から受け取り、 上海索菲特海仑宾馆(ハイルンビングアン)(ソフィテル・ハイランド上海, 1泊11,000円)にチェックイン。昼食をとるため、ホテル裏手にある上海有数の繁華街「南京路歩行街」へと出た。

午後2時半、昨年開業したばかりの353广场7階で昼食(38元)。美人キャンペーンガールがイベントステージで歌っている猛烈に下手な中国語カラオケを聴きながら、味気ない鶏肉料理(名称不明)を食べた。本場の中国料理は日本人の口に合わないというが、味気ないのではもうどうしようもない。

午後3時50分、地下鉄1号線人民广场站(3元)に到着。プラットホームに列車が進入してくると、ドアの前に電車待ちの乗客たちが一斉に群がり、オフェンスのフォーメーションを完成させ、車両から降りる人々の進路は完全に塞がれた。

「日本にいるような感覚で馬鹿正直に並んで立ったら、いつになっても乗れないよ。ほらっ、ちゃんとついてきて!」

乗車客と乗降客の鬩ぎ合いは、その後約40秒間続いた。「この車両に乗っている人たちの95% が乡下人(シャオニ) ですよ。見れば一発で分かります」とのこと。地方出身者に対する上海人の優越意識は有名で、今回の非文明的乗車スタイルもすべて乡下人(地方出身者)たちのせいとされた。

午後4時、黄陂南路站で下車。戦前の上海共同租界「外灘(ワイタン)」を散策。現在、上海万博(2010年5月~10月)にともなう大規模な修繕工事が行われており、外灘の歴史的建造物の一部が閉鎖。黄浦江沿いの遊歩道にも工事壁が設けられており、浦東側の近代的なビル群は眺められなかった。なかなか便利で良さそうな街だが、中国人同僚によると「観光にはいいけど、生活には向かない」という。

外灘界隈で中国联合通讯のプリペイド SIM Card (60元, 通話料50元込)を購入。しかし、上海にいるあいだは蘇州いる同僚たちと連絡が取れなかった。あとで知ったことだが、上海市外の携帯電話にかけるときには電話番号の前に0を押さなければならないという。通話料は1分あたり0.21元。

午後5時半、新天地にある中国料理屋「俏江南(チャオジャンナン)蒸菜餐厅」で夕食。中国勤務経験のある日本人同僚によると、俏江南は接待などで使われる有名店で、この店を知らない上海在住日本人は「社会人的モグリ」という。中国人同僚の兄がこの店の上級社員をしているためタダでご馳走になった。

午後8時、郊外の偽物腕時計店で PANERAI の LUMINOR MARINA を買おうとしたところ、なんと5,500元(現地相場の約11倍)と吹っ掛けられた。なんで原産国まで来て、タイ・パットポング通り(パッポン通り)の屋台で3,000バーツで買えるものに 25,000バーツも払わなければいけないのか。中国人同僚の兄に価格交渉をお願いして、500元まで負けさせた。中国人同僚によると、「相手の言い値は、中国ではまったく参考にならない。完全に無視して、指値で交渉すべき」という。吹っかけてきてもせいぜい2~3倍のバンコクの「詐欺師」たちが可愛らしく思えてくる。

午後9時、マッサージ店「敦煌」で全身マッサージ(60分, 95元)。中国人同僚の兄に全額出してもらったため不満は言えなかったが、正直、あまり上手くない。午後11時、貴州路で下ろしてもらい、南京东路を数百メートル離れたホテル海仑宾馆へ向かって歩いていたところ、売春婦売りの男に3回も声をかけられた。売春婦売りによると「セックス300元」とか。その話を中国人同僚にしたところ、「危険なので絶対に買わないでください」とアドバイスを受けた。上海関連の日本語ウェブサイトも同様の警告を発している。

2009年12月27日(日)

午前10時頃、ホテル「上海索菲特海仑宾馆」前の九江路から中国人同僚とタクシーに乗り、明代の庭園で世界遺産の「豫園 (ユーユアン)」へ移動。ここでも上海万博前の大改修が行われており、せっかくの風情も台無しになっている。雨脚が激しくなってきたため豫園見物を後回しにして小籠包で有名な「南翔饅頭店」へと入ったが、ここも改装中で3階の一部分だけで細々と営業を続けていたため、階段には長蛇の列ができていた。

食後、店を出ると、雨は吹雪へと変わっていた。あまりの寒さのため屋外型の観光をすべてキャンセルして、改革開放(1988年)と同時に造成された浦東側の新市街へ移動。そのときに作られた金茂大厦(ジンマオタワー)と昨年末に完成したばかりの 上海环球金融中心(シャンハイホァンチゥジンロンヂョンシン)の飲食店街を見て回り、中国人同僚の兄が指定した中国料理店で店のマネージャーから金茂大厦展望台の入場券(88元)を無料で譲ってもらった。

ところが金茂大厦88階にある展望台は厚い雲に覆われており、景色を楽しむどころか、东泰路を挟んですぐ反対側にある上海环球金融中心ですらうっすらとしか見えない有様。日没後、ようやく雪が止み、雲も晴れた。

午後6時すぎ、正大広場ビル10階の中国料理店「俏江南」で夕食。昨晩の新天地支店同様、この店の上級社員を務めている中国人同僚の兄の指示で、僕たちの席には伝票が回ってこなかった。

黄浦江沿いの滨江公園で、零下1度の寒空の下、物売りや物乞いを追い払いながから外灘の夜景を眺め、 Starbucks Coffee で「今週の珈琲」を飲んだ。

2009年12月28日(月)

午前10時16分、中国版新幹線「和諧号」(上海発南京行, 2等車, 26元)で、上海出身の中国人同僚と江蘇省蘇州市へ向かった。車内にいる地方出身者の田舎臭さと座席の狭さは気になるが、日本の整備新幹線と比べてもそれほど見劣りしない。最高時速およそ230キロで、上海 – 蘇州間をちょうど40分で結ぶ。

午前11時10分頃、苏州站前の路上でタクシー待ちをしていたところ、テレビ局の記者に声をかけられた。カメラは蘇州駅方面へ逃走していく母子を追っている。インタビューの内容は「子供を使って物乞いをしている母親をどう思うか?」というものだったが、上海人同僚は回答を拒否。結局タクシーは捕まらず、近くに駐まっていた3輪自転車タクシー(20元)で干将东路にある苏州玄妙索菲特大酒店 (ソフィテル蘇州)(500元)へ移動した。

12時すぎ、客室で蘇州出身の中国人同僚たちと合流し、阊胥路まで徒歩で移動。蘇州を代表する高級中国料理店「松鹤楼」で、蘇州の工業団地で現地採用をしていたことのある日本人同僚が「ようこそ蘇州へ!」と歓迎してくれた。なかなか美味しかった(蘇州人同僚が全額出してくれたが、かなりの出費だったはず)。

松鶴楼前から三輪自転車タクシーで世界遺産「拙政园」へ移動。拙政园は、明代の正徳~嘉靖年間(16世紀初頭)に官僚の王献臣によって造られた蘇州四大名園のひとつ。その後、日本人同僚お気に入りの东北街步行街を歩いて世界遺産「耦园」へと向かった。市民の交通は電動の原付がほとんどだが、ガソリンで走る原付と違って音を立てずに接近してくるため危険極まりない。耦园の狭い通路を歩いていると、中国語ツアーガイドが遠くからこちらを指差し、拡声器を使って「あの道を歩くとふたりは将来幸せになるという伝承があります」と解説するものだから、かなり気まずい雰囲気になった。

午後6時半、蘇州工業地区のニュータウンにあるレストランで夕食(4人で400元)をとった。耦园の周辺は絶望的に貧しい町並みだったが、ニュータウンには近代的なマンション群が立ち並び、大規模なショッピングセンターまである。蘇州人同僚によると、それでも「蘇州で高級なマンションの値段は、せいぜい上海の安いマンションと同じぐらい」という。500万円ぐらいだろうか。

2009年12月29日(火)

午前8時半、苏州玄妙索菲特大酒店をチェックアウト。上海人同僚は、中国東方航空オフィスで僕の浦東空港行きバスの乗車券(84元)を手配して、別の日本人同僚と中国版新幹線「和諧号」で上海へ戻るために蘇州駅へ向かった。バスが出発する前、ひとりでコンビニへ朝食を買いに行ったところ、弁当をレンジで温める費用を請求されているのが分からず苦労した。午前8時50分発のバスに乗車。午前9時 20分、蘇州工業団地停車。午前11時15分、上海虹桥国际机场停車。正午前に浦東空港に到着し、午後1時50分の便でバンコクへと向かった。

午後5時15分、バンコク・スワンナプーム国際空港に到着。入国審査場へと歩きながら、友人たちに電話をして今晩の予定を確定。中国入国のときと同じ要領で、列に並ぶことなく入国審査を済ませ、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Suite にチェックイン。

午後8時、サヤームパラゴンで友人たちと待ち合わせ MK Gold で夕食をとる。午後10時にスラウォング通りの King’s Body House でマッサージ(330バーツ)。午前零時、マハートレックルワング3にある友人の部屋にお邪魔した。

2009年12月30日(水)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2009/20091230.jpg" width="300" height="169" align="right" />午前10時10分、セントラル百貨店ピングラーオ店に到着。開店時間の午前11時まで友人に電話して時間をつぶす。11時10分、4 階印刷屋できのう友人から借りた「タイ国王暗殺事件」(レイン・クルーガー, 1974年)の複製を依頼。11時20分、美容室 Hair Now でストレートパーマをかける。

午後4時半、メジャー・ラチャヨーティンで友人と会い、タイ映画「12月32日」を鑑賞。あらすじはつぎのとおり。

■ あらすじ

ノートはサッカーの試合中、頭をゴールポストにぶつけて頭蓋骨を骨折し、「何か重要なこと」を忘れてしまう。脳の後遺症を検査するため、恋人のヌン、義妹のメー、メーの婚約者のヌム(ノートの先輩?)とともに病院へ行き、身近な人が世話をすれば早く思い出せると医者からアドバイスを受ける。

ヂョーは子供のころにウンコを漏らしたトラウマから友人や同僚の前で異常な発作を起こし病院に来ていた。診察待カードの6と9が似ているためノートと同時に診察室に入り、すぐ隣で困り果てているノートを助けようと決意する。その過程で、ノートの携帯電話からたくさんの女性の写真を見つけ、なかでも一際美しい女性アムがノートが思い出そうとしている女性に違いないとあたりをつけ、ノート、ヂョー、メーの3人でチアングマイへ向かった。

メーがヌムとの婚約式を挙げる12月31日、ノートはバンコクでヂョーと酒を飲んでいて、自分メーが好きであること気づき婚約式会場へと向かう。ところが、飲酒運転で警察に逮捕されてしまい思いを伝えられなかった。翌1月1日にはメーがドイツへ留学に行く予定になっていたが・・・・・・

■ 感想

この作品は、波乱のない穏やかな雰囲気の中にふんだんに織り込まれているコントがポイント。バンコク的なお笑いのため、タイ東北部的な下品さにウンザリさせられることもない。セープサニットのような作品が好きなら、きっと気に入ってもらえるだろう。

しかし、サイドストーリが掘り下げられすぎているせいで、少し気を抜いくとすぐにメインのストーリーがどうなっているのか分からなくなる。それに、舞台をわざわざチアングマイへ移す必要があったのかも疑問。旅行中のメーの奇行や喜怒哀楽が強調されすぎており、主人公のノートやアムが完全に脇役の扱いとなってしまっている。

社会的主張がまるでないから、難しいことを考えずに楽しみたい人にはおススメ。でも、まじめにレビュー記事を書く気分にはなれない。

2009年12月31日(木)

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午後6時45分、サムットプラーガーン県 (サムットプラカン県)北サムローング郡の大型ショッピングモール Imperial World Samrong に到着。友人との待ち合わせ時刻まで店内をくまなく見て回ったが、品揃えが庶民的なのはともかく、客層が思いっきり田舎臭くて、これでもかというほど不細工揃いなのには心底驚いた。まるで「逆オーディション」会場のようで、標準レベルの女性を見つけのも難しい(ってゆうかホントにひとりもいない)。

「バスで居眠りをしていてふと気がついたときに『もしかして乗り過ごしてしまったか!?』と不安になることってよくあると思うけど、車内に美人がいなくなったらサムローングだから、『まだ美人が残っているから大丈夫』とみんな口を揃えて言っているよ」

午後7時半、地階 Chester’s Grill 前で友人と合流して Imperial World Samrong の感想について話すと、そんな興味深い話を聞いた。この一帯が日系製造業も多く進出しているタイ有数の工業地帯で、地方から出稼ぎに来ている工場労働者も多いことを考えれば、それも頷ける話だ。

午後8時、スィーナカリン通りにある屋外カラオケ料理店「バーンスワン食堂 The Garden」で夕食。酒を飲みタイ語曲を歌いながらビーチリゾート「パッタヤー (パタヤ)」で新年を迎えることを計画したが、クルマで迎えに来る予定だった友人の友人がバックレたため、近場のクラブへ移動。

午後10時、テーパーラック通りにあるクラブ Itchy に入店。工場労働者が多いことで知られる Street of Hoolywood を避け、できるだけ都会風の若者たちが多い店を選んだつもりだが、やはりバンコク中心部ほどの気品はないし、オシャレにも金をかけていない様子。

午後11時50分頃になると客席に向かってステージからクラッカーが投げられ、カウントダウンがゼロになると同時にそのクラッカーを一斉に鳴らした。その後、前後左右のグループと乾杯をしながら過ごし、翌1月1日午前4時 20分に店を出た。