タイの公共交通機関を駆使してアユッタヤーへ行ってみた

20090811@2x

タイ人の金持ちたちは、路線バスの乗り方すら知らないという。

2006年までの留学時代、僕は金持ちというほどではなかったが、主に自家用車で移動していたため、いまでもタイの公共交通機関を上手く乗りこなすことができない。やむなく友人からロットゥーと呼ばれている14人乗りの旅客バンの乗り方を教えてもらい、高架電車アヌサーワリーチャイサモーラプーム駅(戦勝記念塔駅)の前にある発着場からアユッタヤーへ向かった。運賃は60バーツだった。

午後1時、プラナコーンスィーアユッタヤーの中心部にあるショッピングセンター「アユッタヤーパーク」に到着して、現地の高等専門学校生と合流した。この街は、人口約14万人、人口密度1,058人と、名前が知れている都市のわりには規模が小さい。西暦の15世紀中頃から18世紀中頃にかけて、アユッタヤー朝の都として栄え、現在でも市内のあちらこちらに歴史的な建造物(の残骸)が残されている。

昼食はアユッタヤーパークにある日本料理店「やよい軒」でとった。日本国内にある同名の外食チェーン「やよい軒」が数年前、タイ外食大手の MK と資本提携をして出店したもので、現在タイの国内に33の店舗ある。大戸屋(タイ食品大手のベーターグローアグローグループとの合弁)のような日本同等の味を期待して入ったが、これが全額返金してもらってもまだ足りないというほど不味く、もう少しのところで胃の中身をぜんぶリバースさせてしまうところだった。よくもまあこんな味に日本側が OK を出したもんだと不思議に思ったが、友人は「これ、普通に美味しいんだけど。味付けをタイ人の好みに変えてあるんじゃないかしら」と話していた。

その後、なんともワンパターンというか何というか、現地の高等専門学校生のあいだで人気があるというカラオケボックス(1時間80バーツ)へ行ってタイ語曲を歌った。個室というよりは、むしろ日本でカラオケが流行りだした頃にあった「ボックス」そのものに似ており、隣の部屋の様子までハッキリと分かった。

「隣の部屋の人たち、わたしんとこと対立している学校の制服を着てる。制服、着てこなくて良かったぁ。でもさ、学校をサボっているのはみんな同じみたいね」

うーん。この歳になってもまだ中学生ちっくな娯楽を楽しんでいるかのようで、何とも微妙なカンジだった。解散後、国道1号線の帰宅ラッシュに巻き込まれるのを避けるため、タイ国鉄のアユッタヤー駅へ行って、午後4時5分発バンコク・フワランポーン行きの3等車の乗車券を20バーツで購入した。

午後4時9分、日本の東急車輛・日立製作所・日本車輌の3社が1983年製造してタイへ輸出した老朽化著しいTHN系軌道車が、定刻より4分の遅れでアユッタヤー駅に到着した。この程度の遅れなら、まだなんとか午後7時の待ち合わせ時刻までにバンコクへ戻ることができる。ドアのない昇降口をよじ登り、冷房のない暑苦しい客車のなかへ入ったところ、ちょうど学校の終業時間と重なっていたため、中学校や高校の生徒たちでごった返していたが、それでも気合いで自分の立ち位置を確保した。ここからバンコクまでは約2時間の道のりだ。

「水~、水はいらんかね? 10バーツだよ~」
「キンキンに冷えた、冷たいおしぼりはいかがですか~?」
「もち米と串焼豚! もうすぐ降りちゃうから、早めに声をかけてね~」

ローカル鉄道特有の風情に浸るのも束の間、東京の通勤列車のように混雑しているの客車内を、飲料水の売り子が4往復、お手拭タオルの売り子が2往復、串焼豚の売り子が3往復もしていた。シャツの背中が汗と串焼豚のタレで汚れ、イライラが最高潮に達した。とうとう腹に据えかねて、高校時代に鉄道で通学をしていたという友人に電話をかけて、1等客車へ移りたいと愚痴ったところ、近郊列車に1等や2等の設定はないと聞かされて途方に暮れた。

午後5時10分、老朽列車が国鉄タールア駅に到着した。そろそろタンマサート大学のラングスィットセンターが見えてきてもおかしくない頃なのに、なぜかまだ田畑と水牛しか見えてこない。・・・・・・おかしい。そう思って隣の席に座っていた中年女性にこの列車の行き先を尋ねてみたところ、案の定、チアングマイ行きの列車に乗っていたことが判明した。列車はすでにタールア駅を出発して走り出していたが、扉のない昇降口からタールア駅のホームへ飛び降りた。怒りに満ちている駅員の視線が僕の背中に突き刺さった。

これ以上バンコクから離れてしまう前に少しでも遅れを取り戻そうと咄嗟に列車から飛び降りたが、その飛び降りた駅がちょっとマズすぎた。こんな辺鄙なところ、長距離バスどころか旅客バンすら通過しない。駅前の線路脇にある小ぢんまりとした露店街へ行って、バンコクまで最短で戻る方法について訊いてまわったところ、バイクタクシーの運転手の案内でなんとか工場労働者向けの送迎用旅客バン(100バーツ)が発着する車庫にたどりついた。

午後7時20分、高架電車サナームパオ駅の前で旅客バンを降りた。こんなことになるのなら、アユッタヤーから旅客バンに乗って帰ってくれば良かった。午後8時10分、ナラーティワートラーチャナカリン通りにある中華料理屋「遼寧餃子館」で前の会社の同僚たち(=全員退職, ひとりは他社の現地法人社長, のこりは上場企業の正社員)と夕食をとった。午後11時40分、別の友人と会った。

ABOUTこの記事をかいた人

2001年に金融機関の社内SEを辞めてタイへ渡り、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部が開講している外国人のための集中タイ語講座、インテンシブタイ・プログラムを修了しました。その後、アメリカ・ロサンゼルスにおける語学留学を経て、2006年にヂュラーロンゴーン大学大学院の東南アジア研究科修士課程を修了。以来、機械部品商社の海外営業、生産設備商社の海外営業を経験し、現在は機械メーカーの国内営業部門で海外現法向けの部品輸出を担当しています。