タイ語のリハビリテーションのために友人宅で夜を徹して議論した

午後12時20分、高架電車アヌサーワリーチャイサモーラプーム駅(戦勝記念塔駅)の前にある映画館 Century に入っているイサーン料理屋へ行って、バンコクの現地法人で働いているタイ人従業員10人のほか日本人出向者1人と昼食をとった。日本人の出向者とは電話で頻繁に話しているので、今回はタイ語のみで話し、タイ人の従業員との会話に重点を置いた。

とりあえず、タイ人の従業員たちに喜んでもらえたようで安心した。午後1時15分になって、タイ人の女性課長代理が、僕の目を盗んでひとり150バーツずつの会費を集め始めると、いったいどうしたものかと対応に苦慮した。それまで静観していた日本人の出向者も、「さすがにこれはちょっとマズいんじゃ・・・・・・」と言って、心配そうにしていた。タイの職場では、上役や高給取りが食費を負担するのが常識となっている。日本人が仕事の関係で奢ってもらおうなんて考えてはイケナイ。はてさて、タイ人の従業員から真の仲間として受け入れてもらえたと喜ぶべきなのか、それとも出向後の地位が脅かされる恐れがあると懸念するべきなのか。

午後2時、高架電車サーラーデーング駅の改札前にある美容室へ行って、洗髪とブローをした。100バーツだった。

午後7時、ペッブリー5街路にあるビデオレンタル屋「DVD VCD ハイチャオ」で友人と待ち合わせ、ペッブリー7街路にあるムスリム料理屋へ行って夕食をとった。ふたりで150バーツだった。午後8時半、プララームホック22街路にある、友人が住んでいる家賃4,500バーツのアパートへ行って、北条司原作のテレビアニメ AngelHeart のタイ語吹替版を見ながら、グダグダと話し続けた。

「そこら辺の私立大学を卒業しただけの私の月給が、25,000バーツもあったなんて、きっとオカシイと思うでしょう? でも、ひとりで25人もの営業員を補佐してきたんだもの。家に持ち帰っても終わらないほどの仕事量だったし。さすがに4ヶ月で辞めたけど、きょうの面接でこの話をしたところ、採用担当者に同調してもらえたわ」

この友人は、タイにあるアメリカ資本の製薬会社の現地法人を先月末に退職した。女性管理職による仕事の無茶振りに我慢できなくなったという。

近年、日本企業による海外進出が盛んになり、日本人の仕事はつぎつぎと外国人に奪われている。日本国内にある製造現場はもとより、オフィスの事務職も危うい状況になっている。将来にわたって安全なのは、国内向けのインフラ事業のほか、官公庁、教育、外食産業や一部メーカーの技術職ぐらいかもしれない。

本社と海外現地法人の従業員が互いに円滑なコミュニケーションを取ることさえできれば、わざわざ日本の国内に巨大なオフィスを構え、誰にでもできるような仕事に対して莫大な賃金を支払って、日本人にやらせる必要はない。それに、日本国内でヘボい従業員に対して標準的な賃金を支払えるだけの人件費があるのなら、その資金を発展途上国の現地法人に投資すれば、かなり優秀な人材を確保することができる。

日本国内における労働市場が二分化し、低賃金で働かされているいわゆる派遣社員や契約社員の数が増大していることの背景には、日本企業の海外進出にともない、日本人による労働の付加価値や市場競争力が低下していることなどがあるとされているが、それを新しい雇用慣行のせいにしようとする人があまりにも多いことに、いつも驚かされている。どうして、グローバル化のせいで、このような状況になっていることに気が付かないのか。先進国でグローバル化反対の政権公約がないのも、グローバル化反対のデモが起きていないのも、せいぜい日本ぐらいではないだろうか。

「きのう内定をもらったのは、タイ資本のシステムインテグレータの顧客サポート職なんだけど、月給が年間一時金なしの、たった18,000バーツしかないから、迷っているのよね。それとも、サービス残業がないから、単位時間あたりの報酬は改善されると考えるべきなのかしら」

もう少し突っ込んで話を聞いてみたところ、その内定先がウチのタイ現地法人のすぐ真下のフロアに入っている新興企業であることが判明した。

午前5時半、いよいよ目を開け続けていることが困難になり、部屋にあるシャワーを借りた。日本人の標準的な現地採用者たちが住んでいるのと同じ、家賃4,500バーツクラスのアパートとしては、意外にも清潔だった。でも、温水なしの冷水シャワーと冷房のコンボだけはありえない。室内の冷気がバスルームへ入ってきて、凍えそうになった。

「わたしがまだ中等学校に通っていた頃、村で幼女強姦殺人事件があって、あのときは新聞にも載って全国的に話題になったんだけど・・・・・・(意識飛び中)・・・・・・こんな事件、さすがに日本にはないわよね?」

午前8時頃、そろそろ意識がヤバくなってきた。宮崎勤死刑囚が1988年に起こした連続幼女誘拐殺人事件が頭をよぎった。しかし、事件の顛末を詳細に説明できるだけの気力はすでに残っていない。睡魔に抗いながら長電話を続け、ふと自分の意識が飛んでいることに気付き、あわてて「ああ、そうだね」と相槌を打って、お茶を濁していた高校時代を思い出した。30歳にもなって、それと同じことを電話ではなくリアルでやっているとは、あまりにも進歩がなさすぎる。

テレビアニメの AngelHeart を約10時間かけて、第1話から第18話まで鑑賞してから、ドラえもんの DVD に交換したところまでは覚えているが、それから何話見たのか皆目見当が付かない。とうぜん、物語の内容もほとんど覚えていない。次第に意識が頻繁に途切れるようになり、友人の話も徐々に断片的な情報へ変わっていった。

この時の友人の話は、15年ほど前のある日、村内でもとびっきり可愛いかった当時12歳の少女が突如として姿を消したというものだった。警官が「逮捕しないから犯人はこっそり自首してください」と住民に呼びかけたところ、その日の夕方になって村民たちからの信頼が篤かった副村長が警察署に出頭した。そのときの供述にもとづいて、警察が副村長宅の床下を捜索したところ、地中に埋められていた少女の遺体が発見された。新聞各紙は性的なイタズラはなかったという警察発表をそのまま報じたが、その後の検死によって、遺体の女性器から副村長の精液反応が見つかった。そのことが村人たちに知れ渡ると、副村長は ประชาทันฑ์ (プラチャータン:私刑)に遭って死亡した。警官は、当初の約束通り犯人を逮捕することはなかったが、副村長が人々から暴行を受けている現場を遠巻きに眺めているだけで、まったく制止しようとはしなかったという。でも、私的な制裁によって維持される秩序というのも案外悪くないのかもしれない。私的制裁を乱用する人は、どうせ別の私的制裁によって淘汰され、結果として社会の調和が保たれることになるのだから。それにしても、 ประชาทันฑ์ なんて単語、久しぶりに聞いたよ。

・・・・・・約13時間にも渡るタイ語のロングトークの末、睡魔の誘惑に負けて、とうとう力尽きた。

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ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。