タイの日本人社会について久々に考えてみる(日本帰国 その14)

「お坊さんが来たわ。ちょっと、そこにある花と袋を持って、早くこっちに来てよ!」

サムットサーコーン県アンパワーにあるコテージ「水上縁側庭園の家」の3号室で午前6時30分、タイル張りの床に敷かれている茣蓙の上で目を覚ました。この年末年始のハイシーズンに、しかも宿泊する直前になって急きょ予約を入れたため、けっきょく人数分の部屋を確保することができず、昨晩は一部屋に6人というすし詰めの状態で寝ることを余儀なくされた。

薄目を開けて、窓の外の様子を見てみたところ、空はまだ薄暗く、プラチャーチョムチューン運河に面しているバルコニーで、友人たちがなにやら楽しそうに話をしていた。日の出まであと10分はある。足元がやけにスースーすると思って見てみると、トランクス一丁の状態になっていた。

ハーフパンツは、タイでは「ボクサー」と呼ばれていて、トランクスも、下着ではなく、ボクサーの一種と考えられている。昨晩、「どうせ下にボクサーを履いているんでしょ? そのままでは寝苦しいでしょうから脱ぎなさいよ」と勧められてジーンズを脱いだのだが、自分が寝ていたときの姿を第三者的な視点から想像してみると、なんだかいらんところで変質者的な行為を働いてしまったかのような気がして、少しココロが痛んだ。

そのままの格好で部屋から出て行くわけにもいかないので、すぐ近くに脱ぎ捨ててあったジーンズを履いてから、掃き出し窓を開けたところ、部屋のなかにヒンヤリとした空気が流れ込んできた。アンパワー郡の午前6時半時点の気温は18度。エアコンを一晩中付けっぱなしにしていた室内と比べてもはるかに涼しい。何かを羽織ろうと、旅行カバンを開けてジャケットを探してみたが見つからなかった。窓の外へ目をやってみると、運河沿いのバルコニーにあるキャンプテーブルでカーオニアオムーピン(モチ米と豚串の炭火焼)を食べている小柄な友人が僕のジャケットを羽織っていた。やむなく、氷点下8度の北京の寒さにも耐えた厚手のコートを羽織ってから、ふたたび掃き出し窓を開けて、サンダルを履いた。

コテージ「水上縁側庭園の家」からプラチャーチョムチューン運河を挟んだ向かい側には、仏教寺院のワットナーングピムがあって、ちょうど仏教僧たちが運河から小船を引き上げているところだった。どうやら一人目の僧侶が托鉢を終えて戻ってきたところのようだ。友人によると、この運河では3人の仏教僧たちが托鉢をしていて、しばらくするとまたやって来るという。

なんて健康的で清々しい朝なんだろう!

コテージ「水上縁側庭園の家」を午前10時すぎに出発し、午前11時50分にバンコク都バーングスーにある Big-C Supercenter のウォングサワーング店で友人たちと別れ、タイの日本人社会に詳しい別の友人に電話をかけて昼食のアポイントメントをとった。バンコクで留学をしていたときに、バンコクにおける日本人社会や日本人向けのサービス業の実態について理解を深めるうえで、この友人には本当にお世話になった。そこらへんのバンコク在住の日本人よりは詳しいつもりだが、このあたりの事情について僕や僕の友人たちは比較的疎かっただけに、けっこう頼りにしていた。

午後1時30分、スクンウィット39街路にあるタイ人が経営しているラーメン屋「ばんからラーメン」へ行って友人に昼食をごちそうになった。その後、午後3時45分まで友人宅にお邪魔してパソコンの前で世間話に興じた(内容については特に秘す)。午後4時50分にウォングサワーング通りにあるバス停まで行って別の友人にピックアップしてもらい、バンコク・スワンナプーム国際空港までクルマで送り届けてもらった。

空港の搭乗ゲートE1で搭乗手続がはじまるまでの時間をつぶしていたところ、さきほど友人宅で聞いた話が気にかかってインターネットで検索してみた。タイ関連の情報については、日頃からタイ語のソースに頼っているため気にとめたこともなかったが、日本語で書かれているタイに関連する情報の約半数は、ヒドいを通り越して、もう病的としか言いようがないありさまだった。あまりにもキモ間抜けすぎて悶絶しそうになった。これがタイにおける日本人社会の実態なのか!?

タイ関連の病的なウェブサイトの例として、なにか適当なブログから引用して紹介できれば安直だし分かりやすくて良いのだが、他人のブログを勝手に転載して無用な敵を作るのは憚られるし、ちょうど友人たちのあいだで「裏バンコク留学生日記」の構想も持ち上がっていたところなので、今回はここまでの日記の内容をすべて典型的な「病的調」に書き直すカタチで紹介してみようと思う。視点はまるで異なるが、文中にある出来事がすべて事実であることは、あらかじめお断りしておきたい。

のむのむできなかったけど・・・・・・

20040624-2ここにインターネットから見つけてきたカワイイ女子大生の画像を貼り付けます

ネットでナンパしたミルクちゃんたちと、
きのうアンパワーに行った。
でもネーチャンたちと6人で寝たから、
のむのむできなかった・・・・・・orz

あさスヤスヤ眠ってたらうるさくて・・・・・・
薄目開けたらミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん・・・・・・
短パンの下からパンティーがモロ見えてるって!!!
つーか、俺の上を寝間着で歩きまわるんじゃねーよ。
ヤツらはガキだ。

新年早々サオサーオたちのパンティー祭り新株発行で大セール中!
パンティーの希少価値が未曾有のセリングクライマックス並に大暴落しておりますぞっ!
しかも大企業で働いてるOLたち。
中華系だから、もちろん白いし、ヤバいぐらい色っぽい・・・・・・

ヤツらは坊主に食い物を恵んでやるために早起きしたとか言っていた。
まあ変な警戒心持たれるのもイヤだから、
とりあえず眠ってるフリを続けておいてやったが・・・・・・
で、托鉢ってなにが楽しいんっすか?
そんなことで、俺を起こすな。ざーけんな。

と思ってたら、グラマー系の未成年パッツン女子大生ジュディーちゃんから電話・・・・・・
บางคน と ส่วนใหญ่ を日本語に訳してください・・・・・・
朝っぱらから、どうでもいいことで目、覚めた。

寒かったんでコート着て外に出てみた。
なかなか楽しかった。
すべすべナマ足ミルクちゃんの隣にすわると「は~い、あ~んしてぇ♥」・・・・・・
女の子みんなノリいいし、
やっぱり女の子と食べるご飯は楽しいね。

途中でまたパッツンから電話あったけど、まあいいや。
どうせ今晩には日本帰るんだしね。
バンコクでタイブロ仲間だった「某亞」さんと「ばんからラーメン」で昼食。
ロリ系ミルクちゃんを呼び出して車で空港まで送らせた。

うわー、何コレ!? キンモー。

この「病的調日記」を書いている途中で、脳味噌が何度か精神病院送り寸前までイカれそうになったけど、とりあえず気を取り直して、この文章がどのように病的だったかについて考えてみたい。

ナンパ(第1段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。ナンパに成功することがイケてると勘違いしてる節がある。しかし、ナンパという行為が肯定的に受け止められるのは、せいぜい二十歳ぐらいまでだろう。いい歳をしてそんなことを書いていること自体が、筆者の精神的・恋愛的な稚拙さを物語っている。若いときに、日本で人並みの恋愛を経験できなかったのではないだろうか。なかには娼婦を買うことをナンパと言っている人もいるため注意が必要だ。

のむのむ(第1段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。ノムとは、女性の胸部もしくは乳という意味のタイ語だが、赤ん坊のように女性の乳房を吸う行為はあまりイケてないため、おそらくその先にある性行為を暗示しているものと考えられる。しかし、赤ん坊のように女性の乳房を吸うことが許容されているのはせいぜい4歳ぐらいまでだし、セックス自慢が許容されるのもせいぜい高校卒業ぐらいまでだろう。いい歳をしてそんなことを書いていること自体が、筆者の精神的・恋愛的な稚拙さを物語っている。思春期に、どれだけ女性の胸に飢えきった生活を送ってきたのだろうか。なかには娼婦を買うことをのむのむと言っている人もいるため注意が必要だ。

ネーチャン(第1段落)/ミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん(第2段落)/ジュディーちゃん(第5段落)/女の子(第6段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。自分のブログに女性の名前をコレクションすることがイケてると勘違いしている節がある。単に名前が書いてあるだけで、不思議なことに性的な話題以外に言及されていることはほとんどない。しかし、女性にだらしがない男性は、世間的にはあまり信用されないため、本来であれば複数いる女性の存在はむしろ隠しておくべきだ。そこまでのリスクを冒して、自分の悦びや感動を開けっぴろげに読者に伝える必要が本当にあるのだろうか。その無邪気すぎる思慮の浅さが、筆者の女性関係における未熟さと精神的な稚拙さを物語っている。これまでに日本で女性と関わった経験がないんじゃないかと疑わざるを得ない。

短パン(第2段落)/パンティー(第2段落)/パッツン(第3段落)/すべすべナマ足(第6段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。エロい場面に遭遇できることがイケてることだと勘違いしている節がある。「パッツン」とは、レベルが低い大学に通っているタイ人の女子学生たちのあいだで流行っているボディースーツのようなパッツンパッツンの制服、もしくは女子大生そのものを指しているようだが、女性のエロさに新鮮な悦びを感じることが許容されているのは、せいぜい高校卒業ぐらいまでだろう。筆者の精神的・性的な稚拙さを物語っている。筆者自身が制服を着ていた頃に、同年代の女子とドキドキな体験をしたことがないんじゃないかと疑わざるを得ない。ほとんどの場合、パッツンパッツンの制服を着ている女子学生の胸元にはとんでもなくショッボい大学の徽章が輝いており、ある程度タイの高等教育に精通している日本人から失笑を買っている。

サオサーオ(第3段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。旅行者レベルのタイ語を駆使することがイケてると勘違いしている節がある。「サオサーオ」とはタイ語で若い女性たちという意味だが、ほかにも、ナックスックサー(大学生)、キットゥン(恋しい)、アップヤー(違法薬物の使用)などの表現も同じような用法で使われており、ふつうの日本語文のなかに何の説明もなく唐突に現れる。しかし、読者が分からない単語を並べて優越感に浸っていることが許容されているのは、小学生か、せいぜいタイ語の初級レベルまでだろう。筆者の精神的な稚拙さ、あるいはタイ語能力の欠如を物語っている。ふつうにタイ語ができる日本人にコレをやらせたら、名詞と動詞と形容詞がすべてタイ語になって、それこそ誰も読めない意味不明な日本語の文章になってしまう。

大暴落セリングクライマックス(第3段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きのなようだ。趣味の分野における専門用語を駆使してみせることで、自らの興奮や悦びを読者に余すことなく伝えられると勘違いしている節がある。「高騰」、「下落」、「指標」、「整理ポスト」などの表現も同じような用法で使われており、筆者にとって金融取引が日常の生活でどれだけ重要な位置を占めているのか、如実に表れている。定職に就いていない日本人男性にしばしば見られる傾向で、本人の運命がすべて金融取引にかかっているのかもしれない。

OL (第3段落)/女子大生(第4段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。ブランド力がある職業をイケてると勘違いしている節があり、スッチー(客室乗務員)などの表現も同じような用法で使われている。しかし、その呼称にふさわしい洗練された女性かどうかについて言及されることはまずない。なかにはコヨーテ(高級風俗店の踊り子)がイケてると勘違いしている病的なウェブサイトの筆者もいるため注意が必要だ。コヨーテは、タイの階級社会において Go Go Bar の売春ダンサーやカラオケスナックの売春ホステスたちよりも若干マシな程度で、バンコクの男性たちが決して恋愛の対象にしないような社会的な地位がとても低い女性であるため、ある程度タイの社会に精通している日本人からは失笑の的になっている。

中華系(第3段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。中国から来た移民の子孫たちが特別に(裕福で)イケてると勘違いしている節がある。タイには実際、裕福な中国系のタイ人たちが多数存在しているが、だからといって中国系のタイ人だから裕福というわけではない。中国系タイ人と非中国系タイ人の全体的な平均所得を比較したところで、有意の差異はない。タイにおいて、肌の色が白い人たちが持て囃されていることは間違いないが、それは太陽光に晒されることがない生活を送ることができる人々(オフィスで働き自家用車で移動している人々)が持て囃されているのであって、中国系タイ人そのものが持て囃されているわけではない。ちなみに、中国系移民とその子孫たちは、タイにおける人口の14%、約800万人を占めている。タイの社会に対する筆者の理解の乏しさが表れている。

色っぽい(第3段落)/グラマー系(第5段落)/ロリ系(第7段落)

病的なウェブサイトの筆者は、この表現が大好きなようだ。すぐに女性を性的魅力によって分類したがる節がある。でも、女性を性的な魅力だけで判断することが許されるのは、せいぜい大学生ぐらいまでだろう。女性とコミュニケーションをとるために必要な話術や語学力、もしくは経験や能力が足りていないのかもしれない。

楽しかった(第6段落)

文章を読めば本人が「楽しかった」ことは理解できるが、「きょうは学校へ行って、みんなで給食を食べて、ブランコで遊んで楽しかったです」じゃないんだから(以下略)。

病的ウェブサイトのレシピ

  1. 性的な画像を掲載する
  2. 女友達について言及する
  3. 女友達の人格を否定するような短絡的かつ感情的な罵詈雑言を並べる
  4. 女友達と一緒にいることで、自分がいかに満足しているかを力説する
  5. 世間における常識を否定して、自分がいかに反社会的なアウトローであるかを力説する
  6. 女友達に自分がいかに厚遇されているかを力説する
  7. すべての記事に上記の1~6を適用する

……ってゆうか、いちいち分析するまでもなくアタマが悪すぎる。この文章には、ほぼすべての段落に性的なワードが散りばめられていて、しかも女性に関すること以外の言及がほとんどない。これを書いているのが16歳の高校1年生ならまだ微笑ましくもあるが、二十歳を過ぎた成人男性が書いているというのだから本当にキモチが悪い。

バンコクには、オンナにハマった結果、タイへ移住してきた日本人男性も少なくない。彼らは、その性的な欲求を満たすだけのために、日本人としての社会的な地位や社会的な信用を永久に放棄することを意味する「社会的自殺」や、日本人としての経済力や経済的な信用を永久に放棄することを意味する「経済的自殺」を躊躇なく実行している。それだけに、女性に対する執念は異様なまでに強烈で、しかも女性の存在そのものが彼らにとってのアイデンティティーとなってしまっている。そんな彼らから「オンナ」を取ったら、いったい何が残るというのか。スッテンテンになってしまったあとの惨めな自分の姿に気づいたとき、彼らはいったいどのような行動に出るのだろうか。

そもそも、彼らにとっての「オンナ」とは、バンコク在住のタイ人ですら恋愛の対象としてみなしていないような娼婦ばかりではないか。これはタイにおける社会的地位や社会的信用の放棄を意味する「タイ的な自殺行為」とも言える。つまり、物事の本質的な点において、彼らは最初から何も持っておらず、そして何も手に入れることができなかったということに等しい。すべての日本人に等しく与えられている社会的・経済的なセーフティーネットをすべて自分の意志で取り払って、そして最後に「何もない」を手に入れたのだ。

「何もない」ことにすら気付かず、「何もない」ことを自慢する行為。第三者にとって、それは滑稽な喜劇以外のなにものでもない。ここで笑わずして、いったいどこで笑えというのか。

タイにおける日本人社会には、「在タイ」という言葉がある。タイ在住の日本人といった意味で用いられている言葉だが、バンコクに住んでいる大多数のまともな日本人たちが、このようなドウシヨウモナイ日本語話者たちと一緒くたに「在タイ」と総称されてしまうのはいかがなものか。ドウシヨウモナイ日本人に対して「在タイ」を自称することを禁止するか、もしくはそれぞれを明確に区別するための新しい呼称を考えるかするべき時期が来ているのではないかと、わたしは常々思っている。

(さすがに、病的調の日記に登場する固有名詞は、すべて仮名にさせてもらいました。画像も病的ブログを見習って適当なエロサイトからパクってきています)

タイにおける日本人社会については、シリーズ「微笑みの国タイと厳しい現実」でより詳しく説明しています。