「お坊さんが来たわよ。そこの花と袋を持って、早くこっちに来て!」
午前6時30分、サムットサーコーン県アンポワー郡にあるバンガロー「水上縁側庭園の家」3号室に敷かれた茣蓙の上で目を覚ました。年末年始のハイシーズンに、しかも直前になって予約を入れたため、人数分の部屋を確保できず、けっきょく昨晩は6人で雑魚寝することになった(ベッドのうえ2人、茣蓙のうえ4人)。
頭頂部にあるガラス製の引き戸の外から、友人たちの声が聞こえる。目を開けて室内を見渡してみると、すでに6人中3人が目を覚まし、プラチャーチョムチューン運河沿いにある縁側でなにやら楽しそうに話している。屋外はまだ薄暗いままだ。日出時刻まで、まだあと10分はある。スースーすると思って足元を見てみると、自分がトランクス一丁になっているのを思い出した。そういえば昨晩、「どうせ下にボクサーをはいてるんでしょ? 脱ぎなさいよ」と言われてジーンズを脱いだんだっけ(実はタイ人がボクサーと呼んでいるのは膝上くらいまで丈のある簡易パンツのことで下着とは別の扱い)。いらんところで変質者的行為に及んだかのような気がして、少しココロが痛む。
さすがに、このままの格好で部屋を出るわけにもいかず、すぐ近くに脱ぎ捨ててあったジーンズをはいてガラス製の引き戸を開けると、ヒンヤリとした空気が室内へと流れ込んできた。午後6時半現在のアンポワー郡の気温は18度。一晩中冷房を付けっぱなしにしていた屋内よりも気温が低い。旅行用トランクを開けてジャケットを探すが、ガラス製の引き戸の外に目をやると、運河沿いにある木製のテーブルでモチ米と豚串の炭火焼(カーオニヤオムーピン)を食べている小柄な友人が羽織っていた。やむなく氷点下の北京にも耐えた厚手のコートを羽織ってサンダルをはく。
バンガロー「水上縁側庭園の家」からプラチャーチョムチューン運河をはさんだ向かい側には、仏教寺院「ワットナーングピム」がある。ちょうど仏教僧たちが運河から小船を引き上げているところだった。どうやら、ひとりめの僧侶が托鉢を終えたところらしい。友人によると、この運河では3人の仏教僧が托鉢をしており、しばらくするとまたやって来るという。
なんて健康的で清々しい朝なんだろう!
午前10時すぎ、バンガロー「水上縁側庭園の家」を出発。午前11時50分、バンコク都バーングスー区にある Big-C Supercenter ウォングサワーング店で友人たちと別れ、タイの日本人社会に詳しい別の友人に電話をかけて昼食のアポイントメントをとった。この友人には、バンコクにおける日本人社会と日本人向けサービス業の現状や課題を知るために、留学時代からいろいろとお世話になってきた。僕や僕の友人たちは通常、この種の分野には比較的疎い(とはいっても、そこらへんのバンコク在住日本人よりは相当くわしい)だけに、けっこう頼りにしている。
午後1時30分、スクンウィット39にあるタイ人経営のラーメン屋「ばんからラーメン」(日本の同店から暖簾分けしてもらったらしい)で友人に昼食をごちそうになる。その後、午後3時45分まで友人宅のパソコンモニターの前で世間話に興じる(内容については特に秘す)。午後4時50分、ウォングサワーング通りにあるバス停で別の友人にピックアップしてもらい、スワンナプーム国際空港まで送り届けてもらった。
スワンナプーム国際空港の搭乗ゲートE1で時間をつぶしているときに、友人宅で聞いた話が気になって、いろいろとインターネットで調べてみた。タイ関連の情報は日頃からタイ語のソースに頼っているためこれまでまったく気にならなかったが、日本語のそれは半数が酷いを通り越して、もう病的としか言いようがないありさまだった。あまりにもキモ間抜けすぎて悶え笑いそうになった(もし友人と一緒にいたら本当に爆笑していたに違いない)。これがタイにおける日本人社会の実態なのか!?
タイ関連の病的なウェブサイトの例として、なにか適当なものを紹介できれば安直で良いのだが、いらん敵を作るのも何だから、きょうのここまでの日記を自分なりに典型的な「病的調」に書き直してみた。日本人社会に詳しい友人とのあいだで、ちょうど「裏バンコク留学生日記」の構想もあったことだし。視点はまるで異なるが、文中の出来事がすべて事実であることをあらかじめお断りしておく。
| 2009年1月3日(土) のむのむできなかったけど・・・・・・
ネットでナンパしたミルクちゃんたちと、
きのうアンパワーへ行った。
でもネーチャンたちと6人で寝たから、
のむのむできなかった・・・・・・orz
あさスヤスヤ眠ってたらうるさくて・・・・・・
薄目開けたらミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん、
短パンの下からパンティー見えてるって♪
っつーか俺の上を寝間着で歩きまわるんじゃねーよ。
奴らはガキだ。
新年早々サオサーオたちのパンティー、新株発行で大セール中!
未曾有のセリングクライマックス並に大暴落しておりますぞっ!
しかも大企業で働いてる OL たち。
中華系だから、もちろん白いし、ヤバいくらい色っぽい・・・・・・
奴らは坊主に食い物を恵んでやるために早起きしたらしい。
まあ変な警戒心持たれるのもイヤだから、
とりあえず眠ってるフリを続けておいてやったが・・・・・・
で、托鉢ってなにが楽しいんっすか?
そんなことで、俺を起こすな。ざーけんな。
と思ってたら、グラマー系の未成年パッツン女子大生、ジュディーちゃんから電話・・・・・・
บางคน と ส่วนใหญ่ を日本語に訳してください・・・・・・
朝っぱらから、どおでもいいことで目、覚めた。
とりあえず、コート着て外でてみた。
なかなか楽しかった。
すべすべナマ足ミルクちゃんの隣にすわると「は~い、あ~んしてぇ♥」・・・・・・
女の子みんなノリいいし、
やっぱり女の子と食べるご飯は楽しいね。
途中またパッツンから電話あったけど、まあいいや。
どうせ今晩には日本帰るんだしね。
バンコクで在タイブログ仲間だった「某亞」さんと「ばんからラーメン」で昼食。
ロリ系のミルクちゃんに車で空港まで送らせた。 |
うわ、キンモー。
この「病的調日記」を書いている途中で、何度か精神病院送り寸前まで脳味噌がイカれそうになったが、とりあえず気を取り直して、この文章がいかに病的かを考えてみたい。
| ―― 病的ウェブサイト用語集 ――
★ ナンパ(第1段落)
病的ウェブサイト筆者は、この表現が大好き。ナンパに成功することがイケてると勘違いしてる節がある。でも、ナンパが肯定されるのは、せいぜい二十歳くらいまで。筆者の精神的・恋愛的な稚拙さが表れている。日本での恋愛経験が足りなかったのかも。なかには娼婦を買うことをナンパと言っている人もいるため注意。
★ のむのむ(第1段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。女性の胸を吸うことがイケてると勘違いしている節がある。ノムとは、タイ語で女性の胸部または乳の意味。したがって、この場合ののむのむとは、女性の胸を赤ん坊のように吸う行為、またはその先にある性行為を暗示している。でも、女性の胸を赤ん坊のように吸うのが許容されるのは、せいぜい4歳くらいまで。セックス自慢が許容されるのも、せいぜい高校卒業くらいまで。筆者の精神的・性的な稚拙さが表れている。思春期によほど女性の胸に飢えきった生活を送ってきたのかも。なかには娼婦を買うことをのむのむと言っている人もいるため注意が必要。
★ ネーチャン(第1段落)/ミルクちゃんとピアスちゃんとファースちゃん(第2段落)/ジュディーちゃん(第5段落)/女の子(第6段落)
病的ウェブサイト筆者は、この表現が大好き。自分のウェブサイトに女性の存在と、その名前をコレクションするのがイケてると勘違いしている節がある。でも、彼女たちについて言及されることはほとんどない。ただ名前を書いているだけ。しかも女性にだらしのない男性は世間的にあまり信用されないため、本来であればむしろ複数の女性の存在は隠しておきたいところ。そこまでのリスクを冒して、なお自分の悦びや感動を読者に伝えたいのだろうか。あまりにも無邪気すぎる。筆者の女性関係における未熟さと精神的な稚拙さが表れている。これまでに女性と関わった経験がほとんどないのかも。
★ 短パン(第2段落)/パンティー(第2段落)/パッツン(第3段落)/すべすべナマ足(第6段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。エロい場面に遭遇できることがイケてると勘違いしている節がある。「パッツン」とは、タイ国内における評価が低い大学に通っている女子学生あいだで流行っているボディコン的な制服、または女子大生そのもののこと。でも、女性のエロさに新鮮な悦びを感じるのが許容されるのは、せいぜい高校卒業くらいまで。筆者の精神的・性的な稚拙さが表れている。制服時代に同年代の女性とドキドキ体験をしたことがないのかも。ほとんどの場合、とんでもなくショボい大学の徽章が制服の胸元に輝いており、ある程度タイの高等教育に精通している日本人からは失笑を買っている。
★ サオサーオ(第3段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。旅行者レベルのタイ語を駆使することがイケてると勘違いしている節がある。「ナックスックサー(現役大学生)」、「キットゥン(恋しい)」、「アップヤー(違法薬物の使用)」などの表現も同じような用法で、日本語の解説なしに使われている。でも、読者が分からないような単語を並べて優越感に浸ることができるのは、せいぜいタイ語初級レベルまで。筆者の語学力不足と精神的稚拙さが表れている。よほどタイ語力に乏しいのかも。
◆ 大暴落/セリングクライマックス(第3段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。趣味の分野における用語を駆使することで、自らの興奮や悦びを余すことなく伝えられると勘違いしている節がある。「高騰」、「下落」、「指標」、「整理ポスト」などの表現も同じような用法で使われている。ここから、筆者の日常生活における金融取引が占めている重要度の割合が垣間見られる。これは、定職に就いていない日本人男性にしばしば見られる傾向。金融取引に自分の運命がかかっているのかも。
◆ OL (第3段落)/女子大生(第4段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。ブランド力のある職業そのものがイケてると勘違いしている節がある。「スッチー(客室乗務員)」などの表現も同じような用法で使われている。でも、その呼称にふさわしいだけの洗練された女性かどうかについて言及されることはまずない。なかには「コヨーテ(高級風俗店の踊り子)」がイケてると勘違いしている病的ウェブサイトの筆者もいるため注意。コヨーテは、 Go Go Bar の売春ダンサーやカラオケスナックの売春ホステスよりも若干マシな程度で、バンコク人男性が決して恋愛対象にしないような社会的地位の低い女性のため、ある程度タイの社会に精通している日本人からは失笑を買っている。
◆ 中華系(第3段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。中国移民の子孫が特別に(裕福で)イケてると勘違いしている節がある。タイには実際、裕福な中国系タイ人が存在しているが、だからといって中国系タイ人だから裕福なわけではない。中国系タイ人と非中国系タイ人の平均所得も、そう大して変わらない。タイにおいて肌の色が薄い人々が持て囃されているのは事実だが、それは太陽光に晒されない生活を送っている人々(自家用車やタクシーで移動し、オフィスで働いている人々)が持て囃されているのであって、中国系タイ人だからではない。ちなみに、タイにおける中国系移民とその子孫は人口の14%、約800万人を占める。タイ社会に対する筆者の理解の乏しさが表れている。
★ 色っぽい(第3段落)/グラマー系(第5段落)/ロリ系(第7段落)
病的ウェブサイトの筆者は、この表現が大好き。すぐに女性を性的魅力によって分類したがる節がある。でも、女性の評価を性的魅力だけで判断するのが許されるのは、せいぜい大学生くらいまで。女性と十分なコミュニケーションをとるための話力や語学力が足りないのかも。
■ 楽しかった(第6段落)
文章を読めば「楽しかった」のは理解できるけど、「きょうは学校へ行って、みんなで給食を食べて、ブランコで遊んで楽しかったです」じゃないんだから(以下略)。
―― 病的ウェブサイトのレシピ ――
1. 性的な画像を掲載する
2. 女友達について言及する
3. 女友達の人格を否定するような短絡的かつ感情的な罵詈雑言を並べる
4. 女友達と一緒にいることで、自分がいかに満足しているかを力説する
5. 世間における常識を否定して、自分がいかに反社会的なアウトローであるかを力説する
6. 女友達に自分がいかに厚遇されているかを力説する
7. すべての記事に上記の1~6を適用する |
ってゆうか、いちいち分析するまでもなくアタマ悪すぎる。この文章には、ほぼすべての段落に性的ワードが散りばめられており、しかも女性に関すること以外の言及がほとんどない。これを書いているのが16歳の高校1年生ならまだ微笑ましくもあるが、二十歳を過ぎた成人男性が書いているというのだから本当にキモチ悪い。精神的な幼さも目立つ。
バンコクには、オンナにハマった結果として移住してきた日本人男性も少なくない。その性的な欲求を満たすだけのために、彼らは社会的自殺(日本人としての社会的地位・社会的信用の永久的放棄)や経済的自殺(日本人としての標準的またはそれ以上の経済力・経済的信用の永久的放棄)を何ら躊躇もなく行った。それだけに、女性に対する執念は異様なまでに強烈で、しかも女性の存在そのものが彼らにとってのアイデンティティーとなっている。そんな彼らから「オンナ」を取ったら何が残るというのか。すべてを投げ出してスッテンテンになってしまったあとの惨めな自分の姿に気づいたとき、彼らはいったいどのような行動に出るのだろうか。
そもそも、彼らにとっての「オンナ」とは、バンコク在住のタイ人すら恋愛対象としてみなしていないような娼婦ばかり。これはタイ階級社会的自殺行為(タイにおける社会的地位・社会的信用の放棄)にあたる。つまり、物事の本質的な面において、彼らは最初から「何もなかった」のに等しい。日本人としてこの世に生を受けたときに等しく与えられた社会的・経済的なセーフティーネットすべてを自らの意志で解除して、そして最後に「何もない」を手に入れたのだ。
「何もない」ことにすら気付かず、「何もない」ことを自慢する行為。第三者にとって、それは喜劇以外のなにものでもない。ここで笑わずして、いったいどこで笑えというのか。
タイにおける日本人社会には、「在タイ」という言葉がある。「タイ在住の日本人」という意味で用いられているが、バンコクに住んでいる多数のまともな日本人が、このようなドウシヨウモナイ日本語話者と一緒くたに「在タイ」と総称されてしまうのはいかがなものか。ドウシヨウモナイ日本人に対して「在タイ」を自称することを禁止するか、もしくはそれぞれを明確に区別するための新たな呼称を考えるかすべきではないかと、わたしは常々思っている。
(さすがに、病的調日記に登場する固有名詞は、すべて仮名にさせてもらいました)