2008年12月27日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227.jpg" width="300" height="169" align="right" />「あー、んもうっ! なんで、北京経由なんかでバンコクへ行くんですか!? バンコクなら、上海経由でも行けたでしょう? それに、もっと早く教えてくれたら、北京を案内してあげられたし、わたしもちょうどバンコクへ行ってみたいと思っていたんですよ!! んもー、ゼッタイに殺す。今度は、ちゃんと出発の2ヶ月前には知らせてくださいね!!! ほんと、ムカつくわー」

12月19日の昼食時、この年末年始に北京経由でバンコクへ出かけることを伝えると、中国人の同僚が興奮してしまった。もし、この同僚が北京経由で帰省するのであれば、1日だけ北京観光に付き合ってもらおうかと思って話を持ちかけたが、どうもおかしなカンジになってしまった。いっしょに昼食をとっていた中国留学組の日本人同僚は、そのときの様子を「突然、ものすごい剣幕で怒り出した」と話している。

今回のタイ旅行は、12月18日の夜になって突然決めたことだった。それまでは学生時代の友人たちと正月気分をまったり楽しむつもりだったが、一年中世界中を飛び回っている高校時代の友人から、中国国際航空の北京経由なら税金や燃油サーチャージ等の付加料金込みでも68,500円と聞いて、中国国際航空のウェブサイトで航空券を半ば衝動的に購入した。もし、中国人同僚が上海出身であることを事前に知っていれば、上海経由にしておいた方が良かったかも。

その後の約1週間、昼休みになるたびに「地球の歩き方 – 北京」を持ち歩き、北京留学経験のある日本人同僚たちや、北京勤務経験のある中国人同僚たちに、ひたすらオススメの旅行計画について訊いてまわった。ちなみに、冒頭の中国人同僚には、その後この件で、少なくとも20回は殺された。

午後6時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」にチェックイン。当初の予定では、午後7時半から朝阳剧场(朝陽劇場)四川遂宁杂类伎团(四川遂寧雑伎団)による雑伎を見ることになっていたが、ホテルの前を走る长安街の渋滞の様子を見ると、どう考えても開演までには間に合いそうもない。同僚たちからオススメの中国料理店を何軒か教えてもらっていたが、ひとりで円卓に料理を並べて中国料理を食べるのは格好悪いことに気付き、ホテル6回の中国料理店「老上海」で夕食をとった。大きなエビ、北京ダック、野菜の3品で480人民元だった。美味しかったけれど、ちょっと予算オーバー気味。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />夜はまだ始まったばかり。2004年に上海駐在の日本総領事館電信官、2006年に海上自衛官が日本人向けのカラオケスナックでセクシャルエントラップメントに引っかかりニュースになったのを思い出し、インターネットでホテル近くにある日本人向けカラオケスナックを検索し、そのなかから説明が一番分かりやすかった「夜星」へ行くことにした。しかし、タクシー運転手が北三环东路(三元桥ちかく)にある「夜星」までたどり着けず、変なところで降ろされてしまった。やむなく付近を散策するが、それっぽい建物がどうしても見つからない。机场高速と並行して走る薄暗い通りで、ひとりの中国人男性に話しかけ、(最初は無視されそうになったが)外国人と分かると親切に近くまで連れて行ってくれた。

午後8時34分、日本人向けカラオケスナック「夜星」に到着。さっそく、南部出身者に限定してからホステスを選び、席に着いた。やはり、現地の言葉を十分に使いこなせないと、ホステスとの会話を十分に楽しむのは難しい。自分も大学時代に中国語を第二外国語として履修していたが、今となっては実用に耐えないありさまになっている。こんな状態(現地語が出来ない状態)で、タイへ足繁く通っている日本人買春夫たちは、タイのカラオケスナックに満足できているのだから、まったく不思議でならない。しかも、ひとりの娼婦に入れ込んでしまうような、とんでもないアホまでいるというのだから開いた口がふさがらない。きっと、よほど豊かな想像力の持ち主か、よほどのご都合主義者かのいずれかだろう。ちなみに、中国人ホステスの莹莹(ユィンユィン)(仮名)によると、この店の主な客層は北京駐在の日本人駐在員と、その駐在員が連れてくる日本人出張者で、中国語が出来る客は約半分。従業員は北部出身者が大半を占め、ほとんどが英語を話せず、日本語も少ししか分からないため、筆談に頼ることも多いという。2時間のセットで、ひとり350人民元だった。

中国語を満足に話せないような自分が書くと、まるでタイ語も分からない日本人男性観光客が書いているような、まったく見当違いも甚だしい妄想だらけの恥ずかしい評論文になってしまうのではないか心配でたまらないが、個人的な印象としては、中国人はタイ人に比べ遊び心が全然足りないため、この種の娯楽は中国ではあまり楽しめないと思う。これで、とりあえず中国出張組の同僚や取引先とカラオケスナックの話ができるようになった。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081227-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後10時20分、松霖保健で全身マッサージと足裏マッサージを受けた。タイのマッサージ屋がリラクゼーションを全面に押し出しているのに対して、この店はどちらかというと医療機関のような雰囲気。腕はタイのマッサージ師よりも良さそう。料金は初回88人民元。午前0時20分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」へと戻った。

2008年12月28日(日)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228.jpg" width="300" height="169" align="right" />「―― それと、ちょっと朝が早くてツラいかもしれませんが、日の出とともに行われる天安门广场の国旗升旗仪式なんか、けっこうオススメですよぉ」

せっかくの北京滞在中、ホテルの客室でただ温々しているだけでは芸がない。そんなことを考えていたところ、3日前、北京留学組の同僚たちとランチをとっていたときに聞いた国旗升旗仪式(国旗掲揚式)イベントのことを思い出し、さっそく客室サービス係にきょうの日の出の時刻を問い合わせた。

午前6時半、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」6階にあるレストランで開店同時に朝食をとる。窓の外はまだ真っ暗だが、航海薄明から4分が経過していることもあって、徐々に薄明るくなっていくのがなんとなく分かる。調理場の方へ目を向けると、それなりに有難味のあるメニューが並んでおり、隅っこには鰻や日本そばもある。朝の平穏な時間を過ごすためにもう少し放っておいてもらいたかったが、ほかの宿泊客がまだ誰も来ていないこともあって、数人の接客係が完璧なタイミングで代わる代わる空いた皿を交換し、マンゴージュースのおかわりを持ってきてくれた。おかげですっかり目が覚めた。

午前7時5分、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」からタクシーに乗車。市民薄明を迎え、道ゆく人々の表情がなんとか分かるようになる。一時代前まで、北京の主要道路といえば無数の自転車が10車線すべてを埋め尽くしているかのようなイメージがあったが、いまではそれもすっかりバスや乗用車に取って代わられている。

午前7時28分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の国旗掲揚台から600メートルほど離れている人民大会堂西路で下車。广场周辺は交通を規制するための柵に覆われているため、ここが最寄りの下車場になる。運賃は22人民元(約308円)だった。

午前7時半現在の北京市は、気温零下5℃、湿度74%、最小視程3.0km。湿度は十分あるにもかかわらず、肌を刺すような強烈な寒風のせいで、いまにも手の甲にヒビが入りそうだ。こういうとき、オトコの一人旅がいかに不便かと、しみじみ実感する。女性と行動していれば、ハンドクリーム塗って自分の手を保護するくらい、きっと簡単に済ませただろう。

午前7時35分、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)にできた大勢の観光客たちの最後尾で、なんとか掲揚台を見渡せるポジションを見つけた。遙か前方には、完璧に統率されているツアー観光客らが、整然と列を作っている。国家の名誉と威信をかけたこの天安门广场の国旗升旗仪式だが、中华人民共和国国歌(中華人民共和国国歌)义勇军进行曲(義勇軍行進曲)」の演奏が始まり、国旗が高く掲げられるにつれ、ある種の意外さを覚えた。なぜか人々はカメラを高く掲げたまま撮影を続けている。国歌演奏中の直立不動が鉄則のタイでは、到底考えられないような光景だ。しかも、前近代的としか形容できないほど音質が悪く、音割れすら起こしている。国家の威信をなによりも大切にし、しかもショービジネスにおいては日本の遙か上を行く中国が、このような大雑把な儀式を演出するとは、本当に意外だ。

国旗升旗仪式(国旗掲揚式)が終わり天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)を見渡すと、そこが巨大な建造物に囲まれている、広大な広場であることが分かる。正面にあるのは毛泽东の肖像が掲げられている故宮天安门(故宮(紫禁城)天安門)、左側は中国の国会議事堂に相当する人民大会堂、右側は中国历史博物馆(中国歴史博物館)中国革命博物馆(中国革命博物館)天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)には最大で50万人を収容できると言われており、周囲に中央政庁が密集しているこの広場で、もし敵意をむき出しにしている民衆がシュプレヒコールをあげていたら、どんな為政者も恐れおののくに違いない。あまりにも圧倒的すぎる迫力だ。決して褒められたことではないが、六四事件(いわゆる天安门事件(天安門事件), 1989年)当時の中国政府が天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)の周辺で市民を虐殺した理由も、なんとなく分かるような気がする。現在も人民行動黨(人民行動党)による一党独裁政治が続いているシンガポールの国父、李光耀(リー・クアンユー)も個人的に「自分も同じことをしただろう」も述べていた。

午前8時、天安门广场(天安門広場, ティアンメン グアンチャン)周辺の歩道にある喫煙所で一服してからバス停へと向かうが、どのバスに乗って良いのか分からずに断念。途中、地下道で长安街を渡って故宮(紫禁城)を見物することも考えたが、高校の修学旅行のときに散々歩いて回ったので、そのまま北京地铁1号线(北京地下鉄1号線)天安门东站(天安門東駅)へと向かった。自動券売機で市政交通一卡通(ICカード式乗車券,2バーツ)を購入し、宿泊中のホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」がある大望路站(ターワングル駅)までの6.4kmを13分で移動した。

「中国の女の子って、みんな本当に冴えない格好をしてるんだよ。たとえるなら、ワイシャツの上にトレーナーを着ているようなダッサイ感じ。色彩のセンスもどこかオカシイし。あれじゃ、せっかくの容姿が台無しだし、色気もまったく感じられない。オトコにとっては、まさに夢も希望もない街さ。もし俺が中国への転勤を命じられたら、迷うことなくその日のうちに退職願を提出するね」

ある友人が以前、こんなことを話していた(実際に中国転勤を命じられて退職した)が、午前8時20分に大望路站(ターワングル駅)を下車し、北京における商業の中心地である中央商务区(中央商務区)を歩く女性たちを見ていると、その気持ちがなんとなく分かるような気がしてきた。ビニール素材で安っぽく、ぺーシックなデザインのダウンコートで画一化されており、色彩もなんだか派手すぎるような気がする。唯一の差別化といえば、画一化されたデザインのダウンコートに、特にキレイでもない刺繍が施されているくらいか。せっかくの冬物ファッションがモッタイナイ。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081228-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />王府井(ワンフーチン)もけっこう変わりましたよ。13年前と比べたら、たぶんぜんぜん別物になっていると思います」

一旦、ホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」2213号室に戻ってくつろぐ。このまま中国を去るのも芸がないと思い、一昨日、中国出身の中国人同僚たちとランチをとっていたときに聞いた、北京における小売業の中心地「王府井」へ行ってみることにした。ついでに、中国語留学をしていた友人が小籠包を勧めていたので、それも食べてみたい。

午前10時50分、北京地铁1号线の王府井(ワンフーチン)站で下車。东长安街から眺める王府井大街には近代的な商業ビルが建ち並び、それなりに開発が進んでいるように見える。13年前、高校の修学旅行で来たときには、公立小学校クラスの安普請な建物が「王府井」を代表するショッピングセンターと紹介されて驚いたが、少なくとも目の前に見えるのは、それなりにまともな商業施設だ。ところが、しっかりしているのは建造物だけで、入居している店舗はどれもヘボい。その路地にあるレストラン街で、さっそく小籠包(ひとつ1人民元)を10個、白米(3人民元, 大盛り)、可口可乐(コカ・コーラ)(7人民元)を注文。扇風機型の電熱器で暖まりながら、本場の中国料理を堪能した。死ぬほど不味かった。段ボールで作られた、偽装小籠包ではないかと疑いたくなるほど不味かった。

その後、午前11時35分にホテル「北京万达索菲特大饭店(ソフィテル・ワンダ北京)」をチェックアウトし、午後12時15分に北京首都国际机场(北京首都国際空港)に到着。欧州人ばかりの中国国际航空(中国国際航空)CA959號航で、身体の大きい欧州人の男女に左右を挟まれながら、泰国新曼谷國際機場(スワンナプーム・新バンコク国際空港)へと向かった。

午後6時35分、スワンナプーム国際空港に到着。目の前の27Cに座っていた中国人女性観光客が、27Aと27Bの西洋人男性から熱烈なアタックを受ける。西洋人男性に親切にされて困惑している様子だったが、税関を通過するときには自分の手荷物を取り返し、大きな機内預け手荷物(あれは100kg以上あったと思う)を乗せたカートをひとりで押していた。午後7時3分、4階出国ロビー2番出口前に到着した友人のクルマに乗り込んだ。

午後7時53分、ヂャン通りでさらに友人たち3人と合流。ヂャルーンナコーン通り61にあるレストラン D River で、ヂャーオプラヤー川とプララームサーム橋を眺めながら夕食をとった。

2008年12月29日(月)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081229.jpg" width="300" height="169" align="right" />きょうとあすの2日間、バンコク都内で英語検定 TOEIC(トーイック) (Test of English for International Communication)を高校時代の友人と受験するつもりだったが、けさ試験実施機関の Center for Professional Assessment (Thailand) のウェブサイトを確認したところ、例年より2営業日早い27日から年末年始休暇に入っていることが判明し、やむなく諦めた。

バンコク都内では、 TOEIC が平日(週5日)1日につき2回ずつ実施されており、日本の3分の1程度の費用で受験できる。そのうえ、試験前日までに電話をかけるだけで受験できるため、何ヶ月も先の予定を考慮に入れて出願する煩わしさがない。しかも、試験翌日には結果が通知されるため、気に入らなければ翌々日に再受験するという荒技も使える(日本国内で開催される TOEIC は、3ヶ月に2回程度しか実施されず、しかも試験日1ヶ月前までに出願しなければならず、結果も受験1ヶ月後にようやくが通知される)。

午前9時、起床。午前11時40分に友人と合流し、ヤオワラート通り(ヤワラ通り, ヤワラート通り)にある中国料理店「和成豊魚翅」で昼食をとる。メインのフカヒレスープは、留学時代と変わらず土鍋ひとつにつき300バーツ。その他、蟹炒飯(100バーツ)等を注文。友人によると、スープは多いものの、フカヒレは標準的な中国のものよりやや少なめな印象。午後2時30分、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)にある電気店街 Fortune で買い物をし、午後4時40分に友人と別れる。その後、ラッチャダー3にある美容室で洗髪とプロー(70バーツ)をした。

「まだ小売業には影響ないみたい。 IT 関連の求人も今まで通りかな。ところで、タイ人と日本人、どっちの方が大酒飲み?」

午後6時12分、ラーチャダムリ通り(ラチャダムリ通り)のショッピングセンター Central World Plaza 前にあるビアガーデンで別の友人たちに合流する。平日の夕方にもかかわらず、シンハビールのブースには開店前から長蛇の列ができていた。気温はまだ30℃ほどあるが、湿度が30%前後と乾燥しており、バンコクの夜としては1年を通じて最も過ごしやすい季節と言われている。また、国王誕生日(12月5日)の少し前あたりからショッピングセンター各所で始まるコンサート付きのビアガーデンが、この季節のタイの風物詩になっている。

午後10時半頃になると、ラーチャダムリ通りを挟んで向かい側にあるショッピングセンター Big-C Super Center 本店勤務のシステムエンジニアが酩酊状態に陥り、とうとうアルミ製のテーブルに突っ伏してしまう。閉店時間の午前零時を少し過ぎたあたりに店を出て、酩酊状態の友人をラーチャダムリ通りでタクシーの後部座席に押し込んだ。通常、東京勤務の日本人は90~120分で切り上げるが、タイ人は気が済むまで飲み続けることがよくある。午後6時半からの約5時間半で4リットル入りのタワーサーバーを3本空けた。ひとり平均3リットルは飲んだ計算になる(タイ国鉄財務局の職員は閉店間際に合流したから、酩酊したシステムエンジニアは撃沈するまでに4リットルくらい飲んでいた可能性がある)。

その後、ペッブリー10にあるカラオケ屋 OK. Karaoke The Music Room へと移動し、大部屋のテーブルの上に大量の LEO BEER を並べた。ちなみにこのビール、タイ語では「ビア・リオー」と発音する。日本語的な感覚で「ビア・レオ」と発音してしまうと、「ビア・レーオ」に通じて「酷いビール」という意味になってしまう。しかし皮肉なことに、このビールの味そのものが最低最悪で、発泡酒すらダメな自分にはとても受け付けられない。バンコク人的には「質より酔うことを優先するときのビール」との位置づけにあり、酔いが回るのもなかなか早い。なんとか LEO BEER をほとんど飲まずにタイポップスを歌い続けたが、さすがにまともな酒なしに歌い続けるのがバカらしくなって、翌30日午前3時頃に席を辞した。

留学時代は際限なく飲み続けるのに至福の喜びを感じていたが、歳のせいか、それとも日本の習慣に慣れきってしまったせいか、最近では2時間程度で切り上げるスタイルが自分に合っているような気がする。

2008年12月30日(火)

午前9時50分、起床。午後2時50分に McDonald’s(マクドナルド) スィーロム(シーロム)店でメガマックセットを食べる。午後3時半、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body Massage で2時間の全身マッサージ(330バーツ)を受ける。午後5時40分、世界的な不況の影響でまともな現地採用の求人がないと嘆いていた日本人の友人に電話をかけ、本帰国前にバンコク都内で TOEIC を受験しておくように勧める。一旦、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn (一泊900バーツ)へと戻り、午後7時50分に仕事帰りの友人と合流。スクンウィット39にあるイタリア料理店 Bacco で夕食(ふたりで870バーツ)をとった。午後10時、ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn まで友人に送り届けてもらった。

午後3時頃から、強烈な頭痛にずっと悩まされていたため、有意義なことが何もできなかった。日記を書く気力すらない。イタリア料理の味も、ろくに覚えていない。メガマックのせいか、風邪のひきはじめのせいなのか、最後まで分からないままだ。

2008年12月31日(水)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231.jpg" width="300" height="169" align="right" />「もう、ピヂット(ピチット)をバカにしないでよね! ワットチャイモンコン、ワットタールワング、ワットワングロム。ほぉら、プラクルアングで有名なお寺だって、たくさんあるじゃないの。それにね、ちょっといまメロディー思い出せないけど、誰かの曲に『美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう』ってゆうフレーズがあるじゃないの。一度見ておいても損はないわ」

午後7時50分、起床。ペッブリー1にあるホテル Bangkok City Inn で朝食をとる。午後1時15分、タイタナカーン銀行(バンクタイ銀行)で中小企業向け有担保融資営業をしている友人が迎えに来る。一路ピッサヌローク県(ピサヌローク県)を目指して北上し、チャイナート県付近にさしかかったあたりで、友人がしきりにピヂットにも立ち寄ろうと駄々をこね始めた。この友人は、新入生歓迎式(ラップノーング)だけ参加して転出したナレースワン大学(ナレースアン大学)(ピッサヌローク県)へと通っていた一時期、母方の実家があるピヂット市街中心部に住んでいたことがある。

ピヂット県の県都ピヂット市は、人口107,687人、人口密度161人/km²(参考:チアングマイの人口密度は1,446人/km²)。ナーン川の畔にあるとてもこぢんまりとした街で、市街地の領域は約2km²しかない。タイ北部のナコーンサワン県とピッサヌローク県のほぼ中間地点に位置しており、バンコクからの距離は約347km。主要産業は、農業、畜産業、漁業の順。

このまま友人に押されっぱなしだと、本当に何もない、地方都市と呼べるかどうかも怪しい街で2009年のカウントダウンを迎える羽目になる。

「なんでカウントダウンなんかにコダワってんのよ? まったく外国人の考えていることは理解に苦しむわ」

なんとかピヂット滞在を回避しようと努めたが、一方で友人のいらだちは次第に募っていくばかり。このままでは本当にピヂットなんか新年を迎えることになりかねない。議論が大詰めにさしかかり、「ピッサヌロークの観光名所『ワットプラスィーマハータートウォーラマハーウィハーン』でカウントダウンをしたいんだ!」と苦し紛れの理由を捻り出したところであえなくノックアウト。仏教寺院でカウントダウンなんて、説得力がなさすぎた。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後6時10分、ピヂット市に到着。友人の祖父母と親族が集住している街路は、確かに友人が言っていたとおり市街地の中心部にある。住居のレベルも、バンコク郊外の一般的な住宅のレベルを維持している。街路の入口にはインターネットカフェ、その向かいには銀行の支店もある。しかし、やはり都市型商業インフラの不備はいかんともし難い。午後6時半に親族宅の二輪車で買い出しに行った Tesco Lotus(テスコ・ロータス) ピヂット店も、ミャンマー国境の高地にある Tesco Lotus の小型店舗(チアングラーイ県(チェンライ県)メーサーイ郡)に映画館を併設した程度であまり変わらない。いよいよ今晩のカウントダウンに暗雲が立ちこめてきた。これはマズい。しかも、ピヂットの女性は、とてもではないが「美しい」という言葉では形容することができないありさま。友人は、「クラブに行けば分かる」と言っているが、そもそもバイク移動が基本の地方都市で生活していれば、熱帯の肌を焼くような日差しを浴びて、すぐに全身真っ黒になってしまうのが分かりきっている。タイでは、肌の色がくすんでいる女性は美しくないということになっており、たとえ日本人女性といえども、彼らのような生活を続けていれば、どこの黒人か分からなくなるほど真っ黒になるに違いない(ただしチアングマイ(チェンマイ)などの山岳部ではそうでもない)。

午後9時、ピヂット市街の中心部にある親族宅で酒を飲みながら夕食をとっていたところ、少し離れた場所で飲んでいたオジサンがやってきて皆に絡み始める。僕がとことん煩わしそうに対応していたところ、年末年始を利用してバンコクから遊びに来ている友人の従姉妹たちが「カラオケへ行こう」と助け船を出してくれた。よく見ると、みんな余所行きの格好に着替え、いつの間にか化粧までしている。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />しかし、友人の従姉妹たちが途中で Jonnie Walker Red Label を調達してまで乗り込んだ先は、屋外に簡素なステージが設置されているピヂット市タールワング町の町長宅だった。この光景は、タイの田舎を舞台にした映画にたびたび登場する宴会のイメージそのままだ。ステージの上では、拳銃を腰に下げたままの中年警察官がウイスキーグラス片手に歌っており、ちょっとだけ偉そうにしている町長が MJ の真似事をしているが、よく聞いてみると町内における来年の雇用見通しについて話している。もう少し空気を読んでくれよと思いながら、どこかのオジサンが注いでくれたウイスキーを飲み、特に上手くもないカラオケを聴き続けた。まあ、有力者なら何をしても大抵のことは許されるんだろう。ステージの前では数人の若者が踊っており、その後方では30人くらいの地元民が酒を囲んでいる。ようやく歩けるようになったばかりの女児がバラの花片手にステージへと駆けだしていくが、途中で気が変わったのか、バラを振り回しながら支離滅裂な踊りを始めてしまう。警察官が歌い終えると、つぎに税務署の職員が指名され、夫婦でステージへと上がっていった。

午後10時20分、これまで一度は見てみたいと思っていたが、同時に5分も見れば十分とも思っていた田舎パーティーにウンザリし始めてきた頃、友人の従姉妹たちが場所を変えようと声をかけてきた。このままでは、せっかくのオシャレが台無しだし、なにより足下を縦横無尽に飛び交っている蚊にも耐えられないという。そもそも、この種の宴会は都会派のバンコク人女性が好むようなノリでもない。

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20081231-4.jpg" width="300" height="169" align="right" />午後10時半、市内唯一のクラブ PLAZA PINK MUSIC に到着。エントランスフィーひとり80バーツ(こんなショボいエントランスフィーはバンコクにはない)を支払って入店。どんなカウントダウンがあるのかと楽しみにしていたが、2009年1月1日午前零時は、バンドが入れ替わるあいだに流されるヒップホップミュージックとともに平然と過ぎ去っていった。同時に、タイ=スナーウットの演歌「ピヂットの街の娘」にある「美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう」というフレーズが、実はとんでもない皮肉だったと確認した。クラブ行きの化粧をしてもまだ目を当てられないようでは、もはや救いようがない。明らかに、自分たちのグループがいちばんまともだった。

翌1日午前零時40分、市内にふたつしかないホテルが両方とも満室であることが判明。急遽、友人の親族宅で僕の寝所が用意されたが、他人の家に泊まるのも落ち着かないと思い、バンコクへと引き返すことを提案。途中、チャイナート付近を140kmで走行中に意識が遠のいたため、アユッタヤー(アユタヤ)の市街地に入り、午前4時40分、ホテル「ウートーンイン」(1,400バーツ)にチェックインした。

まったく、とんでもない目に遭った。つくづく、タイにおける人間関係インフラの質的低下を痛感している。バンコクに戻ってきたら、ほかの何よりも優先して、まず真っ先にこの問題に取り組まなければならない。