パッタヤー南海岸の外国人向け歓楽街を3年8ヶ月ぶりに訪れてみた

20080813@2x

いっしょに夕食をとる約束をしていた友人から午後5時4分にドタキャンの連絡があって、今晩は長電話以外にすることがなくなってしまった。そこで、お盆の長期休暇を利用してチョンブリー県のパッタヤーに滞在している友人の日本人男性に電話をかけて、外国人観光客ならではのバカンスに参加させてもらうことにした。

チョングノンスィー駅を午後5時36分に発車する高架電車でエーガマイ駅まで行き、東部方面行きの長距離バスターミナルから午後6時10分発の長距離バス(128バーツ)に乗って、バンコクの近郊にあるリゾート地のパッタヤーへ向かった。

“You don’t stay with me, that’s no problem!”

午後6時40分、スクンウィット通りの高架電車オーンヌット駅の付近で渋滞にはまっていたところ、4列前方に座っているタイ人の中年女性が携帯電話を耳に当てながら英語で話している声が聞こえた。会話の内容から、電話の相手が外国人で、しかも性的な関係があるぐらいのことは容易に想像が付いた。見た目も、中年娼婦の特徴そのまんまだった。まだバンコクの都内にいるにもかかわらず、その乗客の破廉恥さから、早くもリゾート地ならではの風情を感じることができた。

チョンブリー県のスィーラーチャーを午後8時1分に通過して、午後8時42分、北パッタヤー通りにある長距離バスターミナルに到着した。乗り合いトラックのソングテオ(20バーツ)に乗って、パッタヤー10街路の入口まで移動して、ゲストハウス Sawasdee Sea View (朝食なし599バーツ)にチェックインした。午後9時、外国人観光客向けの歓楽街 Walking Street にあるシーフード屋へ行って、合流したばかりの友人と夕食をとった。

ビーチリゾートのパッタヤーは、バンコクの南南東136キロの地点にあり、外国人の観光客たちで賑わっている北パッタヤー海岸、中央パッタヤー海岸、南パッタヤー海岸のほかに、タイ人の観光客たちのあいだで人気があるヂョームティアン海岸がある。

パッタヤー旅行では、これまでタイ人とばかり行動をともにしていたため、南パッタヤーにある外国人観光客向けの歓楽街の Walking Street へ行ったことはほとんどなかった。そこで今回は、娼婦はオンナにあらずといったタイ人特有の価値観の影響を最小限に抑え、外国人観光客ならではのバカンスを最大限楽しむために、「天は人の上に人を創らず。職業に賤卑なし」といった思想にもとづいて行動している日本人観光客の友人に判断のすべてを委ねてみた。

20080813-2@2x

「どうします? この娘と一緒にクラブへ行きたいですか?」

―― Up to you. どっちでもいいよ。もし行きたかったら、ついていくし。

午後9時半、外国人向けの歓楽街 Walking Street にある娼婦との語らい酒場 Bar Beer で、友人が娼婦から「クラブへ行こう」と誘われた。友人は、性的なサービスのオファーを直接受けたわけではなかったため、娼婦の真意を計りかねて迷っている様子だったが、けっきょく断っていた。

「それにしても、彼女たちの究極の目的って何なんでしょうねぇ?」

―― 究極の目的? そりゃあ、定期的にカネを送ってくれるカモをゲットすることだよ。

「え? じゃあ、当面の目的は何だと思います?」

―― うーん。性的なサービスを外国人の観光客に提供することで今晩の収入を確保して、あわよくば将来的にカネを送ってくれそうなカモを見つけることなんじゃないかな? 極端な話、性的なサービスによる収入が得られなくても、定期的にカネを送ってくれるカモさえゲットできれば、娼婦としてはそれだけで万々歳なわけだし。もしクラブへ一緒に行っていたら、タダでやらせてもらえていたかもよ?

その後、 Walking Street にある娼婦の裸踊りの店 Go Go Bar を3軒ハシゴした。どの店もリゾート地ならではのノリで、エンターテイメント性は高く、娼婦の容姿さえ気にしなければバンコクにある Go Go Bar よりもはるかに観光資源としての価値があり、タイにおける娼婦の本質さえ知らなければそれなりに楽しむことができる。

午前2時半、中央パッタヤー通り沿いにある薄暗い海岸を、パッタヤー10街路にあるゲストハウス Sawasdee Sea View へ向かって歩いた。十数メートルおきに設置されている街灯の下では、年齢超過や体重超過などが原因で、もともと要求されている水準が低い外国人向けの娼婦の規格からも外れてしまった気の毒な街娼たちが暇そうにしていた。

タイにおける現役の娼婦たちは、屋台の売り子や清掃婦などといった単純労働を除けば、身体を売る以外の職業に就くことはできない。歳をとってしまえば売れるものがなくなり、惨めな街娼生活が待っているため、娼婦であれば誰しも「ゼッタイにあのようにだけはなりたくない」といった強い危機感を持っている。そして、それを回避するために、ほんとうに好きな相手は別途調達することにして、できるだけ多くのカモを集めることで資金力を蓄えて、その中から死ぬまで面倒を見てくれそうな心優しい間抜けな外国人のカモを選んで結婚することで、将来の安定した生活を手に入れようと考えている(さすがにタイ人の男性から結婚相手として見てもらえないぐらいのことは自覚している)。そして、あわよくば、先進国へ移住して、階級社会のタイでは致命的ともいえる自らの絶望的な社会的地位も同時にキャンセルしてしまいたいと考えている。母国のタイで、教養がない貧しい元娼婦として、年老いるまでずっと差別を受け続けていくことを考えれば、さまざまなハンディーキャップを背負いながら不便な外国生活を強いられることになっても、どこか先進国へ移住して、そこで生きていったほうがはるかにマシだ。

つまり、娼婦に定期的にカネを送っている、いわゆるカモさんたちの存在は、現役の娼婦たちをとりまく不安定な労働環境において、いわば年金や社会保険といった引退後の社会保障システムのような重要な役割を担っている。むろん、掛金が無料であるのなら、年金や保険は何種類もあったほうが安心なのは言うまでもない。

タイ性風俗関連のライターをしていた別の友人の日本人女性から数日前に聞いた話によると、外国人向けの性風俗では、日本に住んでいる複数の客から仕送りを受け取っている娼婦たちも決して珍しくはなく、ライターの友人が親しくしていた娼婦は、なんと6人もの客から合計で毎月200,000バーツもの送金を受け取っており、しかも家賃30,000バーツの賃貸コンドミニアムとクルマまで与えられていたという。

娼婦相手に恋愛をするためには、最低でも中級以上の恋愛スキルが必要だと言われている。実際に、恋愛の経験が極端に乏しい日本人の男性が、娼婦に対して一方的な好意を抱き、恋愛とビジネスの違いが分からないまま身を削る思いをして多額の生活費(?)を送り続け、その恋愛が自分の思い描いているようにいかなくなると、娼婦を殺して自らも自殺してしまうという、身勝手きわまりない事件がタイでは毎年のように発生している。殺害には至らないまでも、恋愛とビジネスの違いに気付くことができなかった自らの愚鈍さを棚に上げて、あたかも世間一般のタイ人女性にダマされたかのように言い立てる人も少なくないから本当に呆れかえる。これから娼婦相手の恋愛にチャレンジしてみようと考えている方には、ぜひとも世間一般の女性相手に十分な恋愛経験を積んでから臨むことをオススメしておきたい(でも、それだけのスキルがあれば、普通、すでにもう少しまともな恋愛を楽しんでるはずだ)。

午前3時10分、パッタヤー10街路にあるゲストハウス Sawasdee Sea View の薄暗い客室内を見渡してみると、ありとあらゆるものが著しく老朽化しており、外国人向けのリゾート地であるパッタヤーのイメージにぴったりだった。なんとも形容し難いあの甘酸っぱいニオイ、ベッドの上の裸電球、中身がスカスカの枕、ケバケバになった何が付着しているのか分からない毛布、ベッドの両サイドにある使い古されて薄っぺらくなった花びら形の青いバスタオル、500バーツもしないような古くて安っぽいシャワー室の温水器、黄ばんだシャワーの取手、蓋のない洋式便所、ひび割れた鏡、変なものが固着している洗面台などなど。ここに黒くて超ブサイクなパッタヤーの娼婦がひとりでもいれば、さぞ風情があって良かったのかもしれないが、さしあたってヤバすぎるのは客室だけで十分かな。部屋だけならビョーキにはならないし。

ちなみに、今晩の行動を共にした友人は、バンコクに滞在していたときに世間一般のまともなタイ人と知り合いになったという。もちろん娼婦からの誘惑に対してもやや無関心気味になっている。世間一般の女性相手の恋愛は、娼婦相手の社会保障的なビジネス恋愛とは違って、きっと友人を十分に楽しませてくれることに違いない。

(今回の記事は、タイで娼婦に対して一方的な恋心を抱く日本人男性が必ず陥る典型的な「勘違い」や「思い込み」について、「読者」の皆さんに再度考えていただくことを目的に、核心部分のみをクローズアップしています。そのため、テーマ外の出来事は大幅に割愛しています。またこのテーマにつきましては、バンコク留学生日記の過去ログでさらに詳しく掘り下げて説明しています)

ABOUTこの記事をかいた人

2001年に金融機関の社内SEを辞めてタイへ渡り、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部が開講している外国人のための集中タイ語講座、インテンシブタイ・プログラムを修了しました。その後、アメリカ・ロサンゼルスにおける語学留学を経て、2006年にヂュラーロンゴーン大学大学院の東南アジア研究科修士課程を修了。以来、機械部品商社の海外営業、生産設備商社の海外営業を経験し、現在は機械メーカーの国内営業部門で海外現法向けの部品輸出を担当しています。