2008年1月5日(土)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2008/20080105-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />「よかったじゃない。映画も見れたことだし、これでもう満足でしょう?」

午後9時、 Major Cineplex ラッチャヨーティン(ラチャヨーティン)前で、ため息をつきながら友人が言った。時期的に、ほかに一般公開されている映画がなかったとはいえ、この映画はちょっとヒドすぎた。友人の投げやりな言葉にもうなずける。

■ あらすじ (ネタバレなし)

ティーポー(オーフ=スパナット・チャルームチャイヂャルーンギット演)、ローチャー(ヌイ・チューンユィム=チューギアット・イアムスック演)、マーヂュー(ヂャッガブム・チューンユィム=ソムチャート・ソングロット演)の3馬鹿トリオは、人々から愛されながら、国境付近にある霧に囲まれた山間の集落で暮らしていた。

3馬鹿トリオの運命は、山にやってきた女神に振り回される。ティーポーは、バンコクからやってきたエーンニー(アレクサンダー・スティッバート演)を見て「お花はま、うすくしい(お花様、美しい)」と言って感動し、村人たちは、そんなティーポーを見て「めっちゃお似合い」とウワサした。すべてはティーポーの片想いだったが、そんな人々の勝手な思い込みがさまざまな事件を引き起こす。

ほどなくして、お花様=エーンニーがバンコクへと戻り、ティーポーは悲嘆に暮れる。そして何を勘違いしたのか、ティーポーたち3馬鹿トリオも「オラが心、お花様プロジェクト」と称して山を下り、お花様=エーンニーを追ってバンコクへと向かう。

バンコクは、3馬鹿トリオにとって、あまりにも大きすぎた。粗野で大柄なオカマや、変な料理ばかりを注文する強欲な男たちなど、変人揃いの町内の面々を巻き込んで、とんでもないドタバタ劇を繰り返す。挙げ句の果てには、高所配電線作業車(高架電車と同じタイ語名称のクルマ)を乗っ取って町中でカーチェイスをはじめる始末。

お花様=エーンニーと感動の再会をするや、すでに婚約者がいることを知らされ、ティーポーはいきなり失恋する。その裏で、婚約相手のパキン(トラガーン・パンロゥムルートルヂー演)が、お花様=エーンニーを亡き者にしようと、さまざまな陰謀を巡らせていた・・・・・・

■ 感想

この作品は、著名なお笑い芸人を多数起用することで観客のウケを狙っているが、これまでに使い古されてきたような古典的なギャグをテンコ盛りにしているだけで、まったく新鮮味に欠ける。唯一、目を見張るのは、山間の村落で中世のような生活を送ってきた3馬鹿トリオが、近代都市バンコクに出てきてテンパりまくるというタイムスリップ的な設定くらいか。

その後も、コメディー映画のくせにリズムが悪く、観客をイライラとさせる展開が続く。特に残念なのは、ペット・チューンユィムの演技が浮きまくっている点と、ほかに多数登場する優秀なお笑い芸人たちが単なる笑い袋に成り下がっている点。シモネタも露骨すぎ、オカマの立ちんぼ(街娼)はまだ許せるにしても、女性乗客たちがバス強盗に服を剥ぎ取られて強姦目的で連れ去られ、逆に老女が自発的に脱ごうとするシーンは、笑いどころか吐き気をも誘う。

笑いのツボを完全にハズしているのみならず、年々深刻になっている強姦事犯(人口比認知件数で日本の約3倍)も笑いのネタに使ってしまう、製作者の社会性とセンスの欠如には本当に呆れかえる。社会を痛烈に風刺するのもコメディー映画の役割だが、(もし次回があれば)製作者には映画が持つ社会的な影響力とそれに付随する責任をしっかりと認識し、観客(特に犯罪被害者)の気分を害さないような映画作りを心がけてもらいたい。

■ え?

「政府は、非バンコク人によって樹立され、バンコク人によって打倒される」

これは、タンマサート大学(タマサート大学)政治学部の元学部長アネーク・ラオタンマタット准教授が提唱している「タイ民主主義物語の解離性理論」で、その根拠をバンコク人と非バンコク人の経済的、社会的要請の違いに求めている。今回は政治的な話題を取り上げるつもりはないので社会学的な部分だけを簡単に要約するが、それによると、両者が描いている民主主義像には大きな隔たりがあり、バンコク人が政権担当者の主義・思想や能力を優先するのに対し、非バンコク人は自己の利益を第一に考えるという。

バンコク人と非バンコク人の解離性は、単に政治的な傾向だけでなく、「与えられるもの」全般に関する受け止め方の違いについても言える。今日の主題であるタイ映画「ゴーンバーイ映画版」だって、けっしてその例外ではない。僕はバンコク人的な視点から今回のレビュー記事を書いてみたが、非バンコク人的な視点で考えれば「いろんなギャグが満載されていて気晴らしに最適な映画」と書くことだってできる。

「タイ」というものを説明するのは難しい。一部に共通している部分もあるが、そもそもバンコク人と非バンコク人には共通していない部分の方が多い。政治的要請から、娯楽や恋愛の趣向まで、何をとってもまったくの別物。タイ映画「ゴーンバーイ映画版」も、バンコク人にはまったくウケないが、非バンコク人にはバカウケする内容になっている。そんなチグハグな要素をまとめて、どうして「タイ」を説明することができようか。

近年のタイブームにともない、いろんな日本人が「タイとは・・・・・・」と説明しているが、それはどっちのタイのことを言ってるんだろうか。非バンコク人向けのポップミュージックを「タイポップス」、非バンコク人向けのナイトクラブを「タイのクラブシーン」、非バンコク人との恋愛を「タイ人との(典型的な)恋愛」と紹介する日本人が多いのには、本当にびっくりする。バンコクをメインに活動している日本人たちが、どうして次々と非バンコク人化してしまうんだろう? それに、非バンコク人化することを、「タイ化」と表現するのも、ちょっとオカシイような気がする。

日頃から、タイに関わっている特定の日本人に対する評価を求められることも多いが、僕の回答はたいてい決まっている。

―― それは、この人が田舎系だからです。表面上はそれっぽく取り繕っていますが、この人の言ってることを「タイ系(タイ・スタイル)」だなんて、絶対に思わないでくださいよ。これは日本人についても言えることなんですが、タイでは趣向や主張からすぐにお里が知れるんです。で、この人、どんなタイ人たちと連んでるか知ってます? (非バンコク人程度の話で済めば、まだ全然良い方だ)。

昼、友人の得意先回りと集金に同行(といっても車中待機)。午後5時半から、ラーングナーム通り(ランナム通り)にある複合施設 Century The Movie Plaza で友人のバースデーパーティー。その後、 Major Cineplex ラッチャヨーティン(メジャー・ラチャヨーティン) でタイ映画「ゴーンバーイ映画版」を見た。ラートプラーオ通り(ラップラオ通り)にある Pub and Restaurant グロムグリアオ前で友人の車を降り、タクシーでバンコク・スワンナプーム空港へと向かった。午後11時55分、全日本空輸 916 便成田行に搭乗した。

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