2006年2月1日(水)

「そんなこと、ぜんぜん聞いてないわ。マレーシアへ行くってことは、つまり南部国境3県を通過してスンガイゴーロック国境(ナラーティワート県)を越えるってことでしょう? 私は絶対にイヤよ。パスポート持って来てないし、リスクがあまりにも高すぎる」

午前零時半、タイ国道41号チュンポーン(チュンポン)パッタルング(パッタルン)線の始点チュンポーン市(チュンポン市)で、「このままマレーシアの首都クアラルンプールまで運転してっちゃおうか?」と思いつきで提案したら、友人は拒否反応を全開にして言った。現在、南部国境3県(タイ深南部)へ行くことは、自殺行為と同義と考えられている。

南部国境3県(タイ深南部)とは、マレーシア国境に隣接しているパッターニー(パタニー)ヤラー(ヤッラー)ナラーティワート(ナラティワート)の3県。この地域に住んでいる住民の特徴は、①アッラーを崇拝し、②イスラーム教を信仰し、③マレー語でコミュニケーションをとっていること。冷戦時代、タイ政府は同化政策(汎タイ民族主義)を打ち出して、①国王を崇拝し、②仏教を信仰し、③タイ語でコミュニケーションをとるよう全国の国民に強要したが、かえって200年来の分離独立運動を激化させる原因となった。

タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐の首相就任(2001年)以降、タイ政府はこれまでの宥和政策を転換して、汎タイ民族主義的な強硬策を前面に押し出した。陸軍は2004年4月28日、イスラームモスク「マスユィット・グルーセ」を占拠して立てこもった、ナイフやナタで武装したマレー系住民を虐殺。深南部における分離独立運動が一層激化した。これを受けて2005年5月19日、政府は南部国境3県に非常事態宣言を発令した。

一連の分離独立テロにおける死者は、ついに1,000人を超えた。この数字には、軍警察が射殺した過激派、当局の不手際により護送中に死亡した容疑者、テロリストたちの敵である軍警察の関係者、イスラーム文化の壊乱者としてテロの標的となっている教育関係者、そのた多数の一般市民が含まれている。テレビや新聞で関連するニュースが連日のように伝えられており、「南部で誰かがぶっ殺される」ことはいわば日常茶飯事となっている。

ちなみに、昨年2005年に発生した主なテロは次のとおり。

ナラーティワート県スンガイゴーロックで40人が重軽傷を負った自動車爆弾事件(2月17日)、ナラーティワート県スンガイパーディーで列車が脱線し警察官や鉄道職員など22人が負傷した鉄道爆破事件(3月27日)、ソンクラー県で2人が死亡し、70人が重軽傷を負ったハートヤイ国際空港、商店街、ホテル連続爆破事件(4月3日)、ヤラー県ヤハーで鉄塔が爆破され、路上でメモが添えられた男性の遺体が発見された事件(6月5日)、ナラーティワート県ヂャネで1人が死亡しこの年21人目の殉職教師となった学校長襲撃事件(6月24日)、ナラーティワート県ランゲで2人が死亡した海兵隊員拉致殺害事件(9月21日)、中国人2人が武装集団の襲撃を受け死亡、同日ヤラー県で教師護衛中の警官1人が射殺された事件(9月30日)、パッターニー県で3人が死亡した寺院襲撃仏僧殺害事件(10月16日)

これに対して、タイ政府は南部国境3県に対する経済制裁を実施。各村落をそれぞれレッド、イエロー、グリーンのゾーンに分類し、イスラーム過激派が多数潜伏しているレッドゾーン358村向けの地方開発費交付を停止する検討に入った。

深南部における政情不安と治安の悪化は、完全に泥沼化の様相を呈している。タイ政府は、イスラーム過激派の資金源に打撃を与えることを口実としているが、元来、この分離独立運動の背景には南部住民の貧困に対する不満がある。そこに経済制裁を仕掛けたら、いよいよ収拾がつかなくなるのは目に見えている。ただでさえ、イスラーム世界全域で近年、「イスラームのイスラーム化」という右傾化の気運が高まり、異文化に抵抗する原理主義運動が盛んになっている。

ある社会人類学者によると、イスラームのイスラーム化の背景には、『よりイスラーム的』に生きるよう促す教義が聖典クルアーン(コーラン)にあり、近年の急速な西洋化がムスリム(イスラーム教徒)を過激で反動的な原理主義へと駆り立てているという。

また、南部国境3県と中央政府とのあいだには、歴史的に根深い対立の構図がある。

15世紀中頃、タイ南部のソンクラー県からマレーシア東部のトレンガヌ州までの領域を支配していたヒンドゥー教国「ランカスカ王国」がイスラーム化。17世紀以降には交易で栄えたイスラーム教国「パッターニー王国(パッタニー王国)」が、宗主国の仏教国「スコータイ朝→アユッタヤー朝」に対して度重なる反乱を起こした。これが今日の分離独立運動スピリッツの起源となっている。18世紀に政権内部の闘争でパッターニー王国(パッタニー王国)が弱体化すると、ラッタナゴースィン朝(サヤーム, シャム, サイアム, 現在のタイ)プラプッタヨートファーヂュラーローク大王(ラーマ1世)(1737-1809)の侵攻を受けて滅亡。1882年、スルタン制が廃止されタイに完全併合された。1909年、タイのパッタニー領有がバンコク条約で国際的に承認され、パッタニー州となった。1933年、モントン(州県制)の解体により、現在の行政区分となった。第二次世界大戦中には、陸軍元帥ピブーン・ソンクラーム政権が、愛国主義政策(ラッタニヨム)に則って、国内のイスラーム教徒に対しても仏教信仰を強要し、それが今日に至るまで禍根となった(戦後、この政策は一部修正され穏健なものとなったが、それでも基本的な概念は現在でも大して変わっていない)。1945年、イギリスと同盟していた独立運動の指導者がパッタニー(パッターニー)独立を宣言。しかし、この同盟はイギリスに反故にされ、パッタニー(パッターニー)は引き続きタイに帰属することになった。その後、政府は1970年代までこの地域におけるゲリラを掃討。1980年代からは融和政策に転換して、積極的に開発予算を交付するようになった。

この問題に対する具体的な解決策はない。いろいろと自分なりのアイデアはあるが、この日記に掲載するのは適切ではないと考え割愛する。

午後5時、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」を出発。午後6時からの40分間、エーガチャイ付近の自動車整備工場でタイヤを交換(2,500バーツ)して車体のバランスを調整(300バーツ)。午後9時、プラーンブリーで夕食をとった。目的地のスラートターニーに到着したのは翌2日午前2時50分。街のはずれにある安ホテル SR (500バーツ)に泊まった。本日の走行距離654kmだった。

1 タイの総人口は6,487万人。そのうちイスラーム教徒は230万人であり、全体の約3.5%を占める。また南部6県におけるイスラーム教徒の人口は183万人(50%)であり、特に深南部でイスラーム教徒の割合が高い。それぞれナラーティワート県で54万人(82%)、パッタニー県で48万人(80%)、ヤラー県で29万人(69%)の順。

2006年2月2日(木)

「スゴイ人混み。まるで外国にいるみたい。タイの春節は先週末で終わってるけど、本場中国人の春節休みって今週末まであるもんね。それにしても、あの部屋・・・・・・本当に出ないかしら。中国人観光客の霊感が強くて、幽霊に気づいて別のホテルに移ったとかだったらどうしよう」

午後8時40分、ソンクラー県ハートヤイ(ハジャイ)のショッピング街で、友人が言った。街中のいたるところに赤い春節の装飾が施され、あちらこちらから中国語が聞こえてくる。黒いナンバープレートの、見たことも聞いたこともないクルマもたくさん走っている。このクルマは、マレーシアが1983年に三菱自動車工業と合弁で設立した国策自動車メーカー「プルトン社」製。なんでもヨーロッパでは知名度が高いという。

ハートヤイ(ハジャイ)は、マレーシア国境「パーダングベーサー(パダンブサール)」の北51キロの地点にあり、マレーシア人に人気の歓楽街として知られている。マレーシア国内のマレー系(65%)は、法律によって生まれながらのイスラーム教徒と定められており、酒を飲んだり豚肉を食べたりすると宗教警察に逮捕されるため、週末になるとハメを外しにクルマで大挙押し寄せるという。タイ南部には中国系タイ人が多く、この時期には各地で大々的な春節の祭典が催されるため、ここハートヤイ(ハジャイ)プーゲット(プーケット)は中国系マレーシア人でいっぱいになる。

市内最高級ホテル Novotel Central Sukhontha Hat Yai(ノボテル・セントラル・スコーター・ハートヤイ) (3,000バーツ)に泊まろうとしたが、電話で問い合わせたところ満室のため断られてしまった。つぎに市内で最高層の Lee Gardens Plaza Hotel(リー・ガーデンズ・プラザ) (1,300バーツ)のフロントで直接かけ合ったが、ここも団体客で満室だった。やむなく、すぐ近くにある The Regency Hotel Hatyai(ザ・リージェンシー・ホテル・ハートヤイ) へと向かった。

The Regency Hotel Hatyai(ザ・リージェンシー・ホテル・ハートヤイ) には1部屋だけ空室があった。客室扉のカードキーが故障しており、入退室のたびに1階フロントの客室係を呼んで開けてもらわなければならない。それに我慢できなくなった中国人がチェックアウトして近所にある別のホテルに移ったため、今さっき空いたばかりという。このような事情を考慮して宿泊料を650バーツにまけてくれたが、この時期、そこそこのホテルに泊まれるだけでもありがたかった。しかし、友人は「絶対に何かあるはず」と勘ぐって、普段は絶対に身に付けないプラクルアングラーング(プラクルアン, 携行仏像, お守り)をクリップで T シャツの襟首にくくりつけていた。

タイ人が異常なまでに幽霊を恐れるのは、一部の日本人たちのあいだで①タイ人が精神的に幼いから、②教養がなく科学的思考ができないからと説明されている。しかし、アホな娼婦(売春婦)ならそうかもしれないが、世間一般のタイ人はもう少しまともな理由で幽霊を怖がっている。

タイ人の95%は「タイ仏教」を信仰している。これは「小乗仏教」もしくは「南方上座部仏教」と呼ばれているもので、日本国内で信仰されている「大乗仏教」とはまったくの別物。日本人的な解釈で「仏教の一派」と考えると思わぬ誤解や錯覚の原因となる。

タイ仏教は、上座部仏教40%に、土着の精霊信仰(サイヤサート)60%をかけ合わせたようなもので、日本人にとっては謎の宗教に変質している。その原因は、①難解な仏教の教義を分かりやすく説明するために奇跡の話が用いられたこと、②僧侶が寺院の建設費用を調達するために「寄進して功徳を積めば『お守り』の仏パワーで願いが叶います」と宣伝したこと、③王権の正統性を主張するために国家が仏教、バラモン教(プラーム)、精霊信仰の良いとこ取りをしことなど。だから、一般市民にとっての仏教とは、単に両親の幸福や恋愛の成就を願ったり、金運 UP の願掛けをするためのツールとされており、教義を正確に理解している人は少ない。仏教徒究極の目標は、誤った執着心おから起こる業の束縛を解放させ、迷いの世界の苦悩から脱することだが、タイ仏教は皮肉にも際限のない人々のエゴによって支えられている。

タイ人の子供は、仏教寺院密着型の地域社会で成長していく。仏教寺院で催されるお祭り(ンガーンワット)へ行き、仏教寺院の隣にある旧仏教寺院立の公立学校へと通い、一時的に出家して親孝行する(親の功徳を高め)ことで成長していく。また、1970年代の愛国主義政策(ラッタニヨム)の名残で、現在でもテレビやラジオなどのマスコミを通じて国王とセットで仏教の偉大さが宣伝されており、価値観のベースとなる精神世界に大きな影響を与えている。

言い換えれば、タイ人は日本人が想像しているような仏教ではなく、いわば宗派横断的な魔術を信仰しているため、幽霊や呪いは日本人以上にリアルな存在と受け止められている。同じホラー映画でも、日本映画「呪怨」が流行り、ハリウッド発のものがウケない理由もそのあたりにある。

午後1時45分、大型スーパー Tesco Lotus(テスコロータス) スラートターニー(スラタニー, スラーターニー)店を出発。午後5時45分にソンクラー県ハートヤイ(ハジャイ)を通過して、マレーシア国境がある「パーダングベーサー(パダンブサール)」入国管理局へと向かった。ところが出国審査係官によると、クルマをマレーシアに乗り入れるためには、国際通行許可証のほかに、マレーシア専用の英語ナンバープレートステッカーが必要で、しかも国境通行許可証(タイ人専用)では出入国できないという。パスポートを持ってきていない友人をここに置いていくわけにもいかないから、ハートヤイ(ハジャイ)へと引き返して今晩のホテルを探した。本日の走行距離は349キロだった。

2006年2月3日(金)

小型ソングテオ(ソンテウ, 貨物車両改造タクシー)を400メートル乗っただけで100バーツ。割高感もあるけど、それがこの島の物価なのよ。イヤなら辛抱強く自分の足で歩くことね。あ、でもこの程度のことで驚いてもらっては困るわ。物価全体が高いから、地価、人件費、家賃、食費の相場もかなり押し上げられている。ホテルもバンコクとは比較にならないほど高いはずよ」

プーゲット県(プーケット県)ガトゥー郡のパートーング(パトン)海岸にある、白人男性が経営している旅行代理店の女性従業員がこう説明してくれた。バンコクの物価も比較的高いが、30バーツのタイ料理「グワイヂャップ」が40バーツで売られている。バンコクなら行列ができる有名店しかつけられない超強気な値段。

パートーング(パトン)海岸は2006年12月26日、スマトラ沖大地震とインド洋大津波で壊滅的な被害を受けた。県内のホテルはどこも赤字必至のバカ安料金で観光客を呼び戻すためのプロモーション活動を行っていたが、復興作業が急ピッチで進められ、いまでは以前の賑わいを完全に取り戻している。宿泊料金の相場も被災前より高い。

午前10時半にソンクラー県ハートヤイ(ハジャイ)を出発し、昼食をとるためにパッタルング(パッタルン)市内を30分かけてくまなく探したがバンコク人に耐えられるような食堂が一件もなく、市街地の西約5キロにある食堂で昼食をとった。午後4時10分、きょうの目的地だったグラビー県にあるビーチリゾート「アーオナング」に到着したが、想像以上に寂れていたため、プーゲット島(プーケット島)へと向かった。パートーング(パトン)海岸のホテル「ディーワーナー」(3,300バーツ)に宿泊。本日の走行距離は453キロだった。

2006年2月4日(土)

タックスィン(タクシン)のサービスをバカンス先のリゾートホテルでも使わなきゃいけないなんて、なかなか皮肉でイイんじゃない? アイツは、国民に『国益のためにタイ製品をつかいましょう』と呼びかけておきながら、権益を私物化して親族や在外中国人たちに分配してるだけの売国奴。商法を犯して、タイの巨大企業をシンガポール企業に売却して、しかも納税の義務を無視して、それで得た巨額の資金を一切国庫に納めない。この国の首相には、国家の富を独占して、納税の義務を免れ、国を売る権利まであるというの!? で、わたしたちはタックスィン(タクシン)が中国人を接待するために建てた新築リゾートホテルに泊まっていると。なかなかオシャレよね」

午後4時半、プーゲット(プーケット)パートーング海岸(パトンビーチ)のホテル「プーゲットクレースランド」から、窓の外に広がる青い海を眺めながら友人が言った。首相の友人たちが喜びそうな中国語で溢れかえっている宮殿のようなホテルで聞くと、亡国の行く末を案じながらも手の講じようもない一般市民の歯痒さを感じる。

友人は、この部屋の豪華な内装を気に入っていたが、嫌悪感を露骨に表していた。テレビの電源を入れると、そこには日刊紙「プーヂャッガーン」の社主ソンティ・リムトーングンを指導者とする、首相退陣要求(救国運動)デモの様子が生中継されていた。

今朝、タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐に愛想を尽かせた都市部の住民およそ50,000人が旧国会議事堂前のサナームマー広場に集結。1992年2月17日に当時の軍事政権(国家治安維持評議会→サマッキータム党=団結行動党)に対して行われたデモ(大量虐殺事件「プルッサパータミン(5月の流血事件)」)以来約13年ぶりの規模となった。人々は額に「グーチャート」(救国)と書かれた黄色いはちまきを巻いて、国王への忠誠の象徴である巨大なタイ国旗と黄色のソングプラヂャルーン旗(国王旗)を大きく左右に振り、「タックスィン(タクシン)は退陣せよ」とシュプレヒコールを上げている。テレビに出演したバンコク都知事アピラック・ゴーサヨーティン(プラチャーティパット党(民主党))は、「この集会は平和裏におこなわれる」と話した。

タックスィン政権(タクシン政権)は、「ばらまき政治」によって地方の貧困層から絶大な支持を受けている。支持率は比較的貧しい北部と東北部(イーサーン地方)で高く、比較的裕福なバンコクから南部で極端に低い。2001年の首相就任以降、貧困農民に医療の道を開いた30バーツ医療(ただし薬品代は含まれない)をはじめ、貧困農村地帯に特産品を作らせる「一村一品運動」(でも在庫がだぶついている)など、貧困農民に夢を与える政策を次々と実行に移してきた。また、地方出身の出稼ぎ者に対しては、タクシープレゼントやバイクプレゼントなど、特定の職種に就いている人々の支持を得るために多額の予算と時間とを費やしている。さらに、選挙区がある人口25万人の小都市チアングマイ(チェンマイ)に、地下鉄網を敷設することを計画しているという。これらの集票政策は、露骨な政治ショーとして、都市部の比較的教育レベルの高い住民から、とことん嫌われている。市民をバカにした政治にも限度がある。

午後、タックスィン首相(タクシン首相)が事実上所有している財閥の新築ホテル「プーゲットグレースランド」(8,800バーツのところ3,300バーツ)に移り、セントラル百貨店プーゲット店へ3度も行くなど、比較的ゆったりと過ごした。

2006年2月5日(日)

ピーピー島(ピピ島)の復興再開発はほとんど進んでないようね。それだけ海岸もキレイでいいけど」

午後12時半、マレー半島とプーゲット島(プーケット島)の中間地点に浮かぶピーピードン島(ピピドン島)に再建されたリゾートホテル Holiday Inn Resort Laem Tong Beach(ホリデーインリゾートレームトーングビーチ) で友人が言った。友人にとって今回はおよそ1年ぶりの訪問。一昨年末のインド洋大津波では、島の両岸から高さ10メートルの津波に襲われ壊滅状態になったという。

アンダーマン海(アンダマン海)のエメラルドグリーンとマリンブルーが織りなすグラデーションはとてもキレイ。シュノーケリングをすると、ゴーグルに付いている手垢が気になるほど。透明度がこれだけ高ければ、海水のベタベタを忘れて思いっきり楽しめる。黄色、白、黒の縞模様をしている熱帯魚と一緒に泳ぐのはロマンがあっていいが、その群れが自分から離れてくれないと少しだけ怖くなる。パッタヤー海岸(パタヤ海岸)バーングセーン海岸(バンセン海岸)のように、海水に浸かると汚れるようなイメージがないのはウレシイ。

朝、旅行代理店が用意したツアー(ひとり1,400バーツ)で、カイ島、ヒングラーング島、ピーピードン島、ピーピーレ島(ヴァイキング洞窟)を見物した。波が高く、スピードボートでは船酔いに苦しんだ。フラフラになってホテルに戻り、夕食もとらないまま午後8時には就寝した。

2006年2月6日(月)

「はじめて来たけど、想像以上に栄えててイイカンジじゃない? 観光産業だけに依存してる街って言ったらそれまでだけど、ちゃんと Lotus(Tesco Lotus, テスコロータス) もあるし、田舎の県庁所在都市なんかに比べたらよほどまともよ」

午後7時10分、タイで3番目に大きい島、サムイ島のチャウェーング海岸(チャウェンビーチ)沿いの通りには、メータータクシー(スラートターニー県(スラタニー県)ナンバー, 黄色と赤茶色のツートンカラー)が頻繁に行き交っていた。西洋料理店の白人オーナーが、道行く観光客に手当たり次第「まあ、これを食べてみてくれ」と声を掛けている。メイン通りが狭いため、タイ国内のほかのリゾート地より寂れているイメージだが、いちおう観光地らしい陽気さはある。

今回は予定を立てずに自由気ままな旅を楽しんでいる。もちろん今晩のホテルも決めておらず、旅行代理店でホテルを選ぶつもりだった。しかし、偶然見つけた旅行代理店の女性従業員は、ホテルの空室状況をまったく知らず、ホテルの位置さえまともに説明できなかった。もしや、白人経営のこの女性従業員、娼婦(売春婦)あがりの阿呆ではないか・・・・・・と思い、ちょうど同じ不安を感じていた友人と目を合わせた。

旅行代理店の従業員に「ここしか空いてない」と言われて向かったホテル Sea Cape Beach Resort(シーケープビーチリゾート) (3,500バーツ)は、予想以上にひどかった。今月1日にスラートターニー県(スラタニー県)で泊まった安ホテル SR (500バーツ)にも劣る。唯一の救いは幅40mのプライベートビーチがあることくらい。

午後10時半、リゾートホテル「プーゲットグレースランド」をチェックアウト。セントラル百貨店プーゲット店(プーケット店)の薬局で液体状の胃薬を買った。きのうの船酔いを治すために運転しながら胃薬を飲んでいると、次第に視界がハッキリしなくなった。クルマを田舎道の路肩に駐めてクスリの成分に目を通すと、なんと「アルコール9.5%」と書いてあった。すでに750ccのうち半分飲んでいたが、こんなところで休憩するわけにもいかず、そのまま目的地のスラートターニー(スラタニー)へとクルマを走らせた。途中で気が変わり、スラートターニー(スラタニー)の東およそ74キロにある船着場「ドーンサック」から、フェリー(乗用車325バーツ、同乗者110バーツ)でサムイ島へと向かった。本日の走行距離268キロ。

2006年2月7日(火)

「所詮、タイ湾の海なんてこんなもんよ。去年、プーゲット(プーケット)へ友達6人と行ったあとに、チャーング島(チャン島)に行ったときも、『アンダーマン海最強』って思ったし。こんな汚い海、興味ないから、さっさとバンコクに帰りましょう」

午前9時半、サムイ島チャウェーング海岸(チャウェンビーチ)にあるホテル Sea Cape Beach Resort(シーケープビーチリゾート) の食堂で、目前に広がるビーチの「美しくなさ」にすっかり意気消沈していた。それでも日本の海に比べれば十分キレイだが、なによりも朝食ビュッフェの不味さに心底ウンザリしていた。今日はサムイ島の北にあるパンガー島で一泊する予定だったが、そんなことなんかどうでも良くなっていた。しかも、友人が会社の同僚を買収して肩代わりさせていた仕事も限界に達していたため、早々にバンコクへ引き揚げることにした。

午後1時、サムイ島からフェリーでマレー半島へと向かった。午後2時40分、スラートターニー県(スラタニー県)東部にあるドーンサック港(ドンサック港)に到着。休憩なしで運転を続け、午後10時40分にチャルームマハーナコーン自動車道タールア出口(クローングトゥーイ港出口)を出た。スクンウィット(スクンビット)19にあるグワイッティアオ(クイッティオ)屋台で夜食を買って帰宅した。本日の走行距離728km。

2006年2月8日(水)

特に何もない一日。夕方頃、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ンガームウォングワーン店で友人と夕食をとり、本屋で地図2冊と警察官採用試験の問題集を買った。

2006年2月9日(木)

これまで撮りためてきた写真を CD-R に焼こうとしたら、 C ドライブの空き容量が500Mしかないことに気づいた。 D ドライブを C ドライブに編入して、 C ドライブの容量を増やそうと VAIO のリカバリプログラムを起動したが、「 C ドライブに空き容量のすべてを割り当てる」というオプションがなく、やむなく Windows 98 のタイ語版 CD-ROM を引っ張り出した。その後、 Windows XP を再セットアップした。

2006年2月10日(金)

Windows 再セットアップ後、 LAN 接続の外付ハードディスクに接続できず、データの復元に思いのほか時間がかかった。単に Windows を再セットアップするだけでは芸がないから、画面を MAC 風に改造した。なかなか格好良くなった。

2006年2月11日(土)

「わたしも2ちゃんねるでいろいろな誹謗中傷を受けましたが、仕事上の不利益は意外にも全くないんですよ。実際、誹謗中傷の内容は飛躍しすぎていますし、仕事をしている人はみんな2ちゃんねるなんか見ないので、とうぜん取引先の担当者は知りませんし、わたし自身どんな悪口が書かれているかあまり知らないんです。ところで、あなたの悪口を書いてる人、いったいどこの誰か分かってるんですか?」

午後10時15分、スクンウィット(スクンビット)33にある居酒屋「田舎っぺ」で、匿名掲示板群「2ちゃんねる」の麻薬売買春関連掲示板「危ない海外」で誹謗中傷を受けている性風俗雑誌の発行人を友人に紹介してもらった。この日本人によると、掲示板に書き込んでいるのは娼婦(売春婦)と同棲しているバンコク在住の日本人男性(失業中)で、投稿者は7人の同志が書き込んでいると書き込んでいるが、実際は1~2人とみられるという。そもそも、投稿者のメールアドレスすら分からないのに、どうやって協力者を募って連携するんだろうか?

その後、スティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)で、現在では廃墟になっている性風俗発祥の地や、辺鄙なホテルの一室で娼婦(売春婦)に強く当たった日本人が殺された話とともに、バンコクにおける性風俗の歴史について教えてもらった。タイ人労働者向けのヘボいカラオケスナックで、田舎音楽「ルークトゥン」を聞きながらビール数本を飲み、スクンウィット(スクンビット)15にある娼婦(売春婦)が集まる屋台街とエーガマイ通り(エカマイ通り)の屋台で空が明るくなるまで飲んだ。

その雑誌編集者は「私の写真を日記に掲載してもらっても構わない」と言っていたが、何らかの不利益が生じたときに責任がとれないので、人物の入っていない写真を掲載した。なお、彼は2ちゃんねるで言われているようなロクデナシではなく、常識をわきまえた親切で誠実な人物だった。

2006年2月12日(日)

「想像してたより怖くなかったけど、今になって疲れがどっと出てきた。これが自粛ヴァージョンじゃなかったら、わたし本当に耐えられなかったかも」

午後11時40分、スラウォング通り(スリウォン通り)にある Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) 街「ドゥワンタウィープラザ」前は店の呼び込みたちで溢れかえっていた。友人は、 The Boys のショーの「サディスト」と呼ばれる暴力シーンが続くパートがいちばん堪えたと話していた。

The Boys のショーは、 午後10時半と午前零時の2回公演で、ダンス → 観客参加型ショー → ゲイ → ダンス の4部構成。

一連のショーは、まともなインド式の古典舞踊から始まる。大学のダンスサークル並みに訓練されており、なかなかに見応えがある。タイ舞踊を知らないと、王室に保護されているタイの古典舞踊「ラーマギアン物語(ラマキエン物語)」との区別がつかないかもしれないが、友人によると「そんなのを Go Go Boys なんかで演じてしまったら、市民団体からタイの伝統文化を貶めたと抗議されて閉鎖を余儀なくされる」という。

しかし、身体に蛍光塗料の絵が描かれているオトコたちが上半身裸ダンスを始めると、徐々に幻想的(?)な非日常の世界へと誘われる。つづいて、観客参加型のショーの数々によって、ゲイワールドへの抵抗感が徐々に麻痺していく。ハードゲイ系の衣装をまとったフレンドリーな大男が火のついた棒を振り回して、身体にアルコールを塗って火をつけたり、口から火を吐くなどの芸を見せてくれる。そして、自分の股間に火をつけて客にタバコの火をつけさせるところから、ようやく性風俗施設らしい一面があらわれる。もちろん、このとき指名された男性客は、自分の顔を男の股間数センチのところまで接近させなければならない。点火に失敗させられると、今度はケツに点けた火でタバコを点けるように要求される。こんな臭そうなことをやらされては堪らないから、目が合わないように視線を宙に泳がせ続けた。ハードゲイ系の男が退場すると、究極に不細工なオカマ婦人が登場する。幼稚園児のようなお馬鹿な衣装を着た男たちが不細工オカマ婦人にちょっかいを出しているのを見ていると、次第に常識的な観念が破壊されていく。このとき、友人は「まだあまり怖くない」と話していた。肝試し気分で見ているんだろうか。

ゲイの皆さんにとっては、ここからが最大の見どころ。不細工オカマ婦人とその仲間たちが舞台を去ると、それまでホノボノとしていた音楽が突如戦闘シーンのような音楽に変わり、客席の後方から叫び声があがる。これが「サディスト」と呼ばれるパートで、スーツ姿の男が鞭を振り回しているハードゲイ系の男ふたりに引きずられながら舞台へと上がる。あらかじめ仕掛けが施されているスーツが引きちぎられ、下に着ているハードゲイ系の衣装が露出。そこからは、もう互いに責めては入れる(真似)の繰り返し。友人は目の前約3メートルで延々と繰り広げられる暴力シーンにひどく怖がっている様子だったが、こんなところでホラー映画を見に来た典型的な女の子よろしく腕をグッとつかまれてしまったら、この店の本来の客であるゲイの男たちが困ってしまう。

その後、シャワーを浴びながら男性ふたりが絡み合うシーンが続き、古典舞踊でクールダウンさせてショーの幕が降りる。

昨年12月17日の晩に Go Go Bar(ゴーゴーバー) へ日本人の友人たちと行って以来、連れて行って欲しいとずっと友人から言われ続けてきた。でも、さすがに男女ふたりで「ゲイの楽園」に足を踏み入れるのも躊躇われる。そこで、今晩、 Go Go Bar(ゴーゴーバー) へ日本人男女5人で繰り出すとの知らせを受けて友人を連れて行った。

「もし下半身丸出しの本番を見せつけられたら精神的に堪えすぎる。あの晩、あなたがグッタリしてた理由が分かったような気がする」

年明け以降の政情不安の煽りを受けて警察の取締が強化され、現在、下半身丸出しの本番は自粛されている。つぎは Go Go Bar(ゴーゴーバー) へ連れて行って欲しいと言っていたが、さすがに世間一般の女性と入るのもなんだろうと思って断った。

世間一般のバンコク人女性は、自分たちが住んでいる街の暗部にあまりにも無知で無頓着。仕事関係の書類を受け取るために午後11時半、 Westin Grande Sukhumvit (ウエスティングランデスクンウィット) 前で待ち合わせをしてしまうような友人にとって、今回の体験は非常に新鮮で興味深いものだったはず。その後、友人がそこを待ち合わせ場所として使うことはなくなった。

2006年2月13日(月)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2006/20060213.jpg" width="300" height="169" align="right" />「これまでテレビドラマにハマることはあまりなかったけど、せっかく15話まで見たんだからクライマックスも見ないと損よね?」

午後8時半、スクンウィットスイート(スクンビットスイート)199号室の自室で友人がそう言った。ここのところ、3チャンネルのテレビドラマ「ナーングバープ」(悪行婦人, 全17話)が友人たちのあいだで流行っている。

この物語の発端は、テレビドラマ制作会社のウィッサヌが「悪行婦人」の伝承を取り上げたことに始まる。伝承によると、プラワナーテープとクンガムライの夫妻が19世紀、奴隷を引き連れてここへやってきた。ところが、その美貌をもって主人プラワナーテープの愛人にまで上り詰めた奴隷のナーングヤートが、本妻になることを企てて本妻のクンガムライとその子を毒殺してしまったという(その後、絞首刑になった)。ウィッサヌは、主人公にタナット、ヒロインにパーピモンを起用して、パックトラーが悪女役、パーンが脇役と決まった。

ドラマ「ナーングバープ」の発表日、ウィッサヌは自分の片腕であるルアングリンを役者たちに紹介した。ルアングリンは役者たちとの協力関係を築いたが、パーピモンは男性俳優の関心がルアングリンひとりに向けられていることに腹を立てていた。ルアングリンは、撮影準備のために撮影クルーたちと「悪行婦人の村」に行ったときに、誰かに見られているような不思議な視線を感じた。そこで、その家に宿っているナーングヤートとナーンヨットの二姉妹の亡霊から、過去にこの家で起こった出来事の裏の事情を知らされた。

悪行婦人の村での撮影が始まると、大雨や洪水の影響でしばしば中断を余儀なくされた。パーピモンは広報担当のウィサーを誘って、暇潰しのために、家の守護霊を召還せずに「幽霊のコップすくい」をしていた。そのときコップが突如粉々に砕けて、アングリンの身にナーングヨットの霊が、パックトラーの身にナーングヤートの霊が取り憑いてしまった。ルアングリンに取り憑いたナーングヨットは現世の人々に強い興味を抱き、パックトラーに取り憑いたナーングヤートはクンガムライがパーピモンを恐れていることを知ってパーピモンに許しを請うた。そのころ、パーンはパックトラーが撮影用の奴隷の衣装を着たまま水浴びをしている姿を見て、それをウィッサヌに知らせた。ウィッサヌは、ナーングヤートからナーングヨットに気をつけるようにと忠告を受け、ルアングリンにプラクルアング(携帯仏像, お守り)を付けさせたが、ウィッサヌに好意を抱いているウィサーによって毎回のように取り上げられた。そのことで、ウィッサヌとウィサーは激しく言い合った。

ウィサーは激高してクルマを運転したが、道から外れて水没し、自らも溺れてしまった。ウィサー救出に向かったウィッサヌは、水位が下がったところで大僧正に会い、ナーングヤートを成仏させるためには精神を統一する必要があると言われ、そこで自分の前世が多くの妻を囲っていた浮気者のプラワナーテープであること、パーピモンの前世がナーングヨットとナーングヤートによって苦しめられたクンガムライであること、ナーングヨットのクンガムライとその子供達を毒殺するという企てに純朴だったナーングヤートがハメられて殺されたこと、すべての事情を知った母親ユアンによってナーングヨットが刺し殺されたこと、ナーングヨットが呪われてこの家に封印されたことを知った。

ウィサーに取り憑いていたナーングヨットは、撮影クルーのあいだに争いごとを起こそうと企てた。タナットがルアングリンに好意を抱いていることを知ると、ルアングリンに不満を抱いているパーピモンを扇動した。ところが、ルアングリンはいつもパーンに助けられていたため、パーンに全幅の信頼を寄せるようになり、その後の企てすべてが無意味になってしまった。ナーングヨットは、ルアングリンを深夜の水辺に誘い出して水中にたたき落としたが、そのとき首につけていたプラクルアング(携帯仏像, お守り)が外れてしまった。

ウィッサヌは、ナーングヤートを救い出すために、ルアングリンに取り憑いているナーングヤートを召還し、パーピモン、パーン、ルアングリンと「幽霊のコップすくい」を行った。ところが、成仏させられることを恐れたウィサーに取り憑いているナーングヨットは、タナットを激高させようと企てたが、叩かれて意識を失い病院へと運ばれた。見舞いに来た母親のユッパディーは、ナーングヨットの母親ユアンの生まれ変わりだった。ユッパディーはウィサーを見て涙を流し、その涙がこぼれ落ちると同時にナーングヨットは呪われて再びこの家に封印されてしまった。そして、パーンとルアングリンが交際を始めると、とうとうこの伝承を修正できなくなってしまった。

この作品は、タイ人が信仰している「タイ仏教」の呪いや憑依という概念に、愛国心をかき立てる歴史的文化観や、ミーハーな若者向けに恋愛という要素を織り交ぜたものとして興味深い。非常にゴチャゴチャしていて上手く説明できないが、まあだいたいこんなカンジのストーリー。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ友人と出かけ、帰宅後に別の友人とテレビドラマを観た。ちなみに、現在放映中のドラマでは、「レディーマハーチョン」(大衆女性, 金土日20:30)や、「ペントー」(優位, 木22:30)なども人気。

2006年2月14日(火)

今日バレンタインデーは、タイでは女性が男性にコクるのは(建前上)はしたない行為とされているため、男性が女性にバラの花を渡して愛を告白する。

昼頃、サヤーム駅(サイアム駅)前にあるサヤームパラゴン(サイアムパラゴン)で友人と昼食をとってから花屋へ行くと、タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐の長男が1本399バーツの「義理バラ」を大量に買い込んでいた。399バーツのバラは子供用と友人に言われ、自分も適当にバラの花束を荷作ろうとしたが、当日の注文は受けてないと店員に断られた。伊勢丹1階の花屋でバレンタイン用のバラの花束を買った。1,300バーツだった。

報道によると、バンコク都が都内のホテルに「18歳未満の男女を宿泊させてはならない」との異例の通達を出したという。その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で作業をしてから、スクンウィット(スクンビット)39にある日本料理ベースの多国籍料理屋で別の友人と夕食を取った。バラを手にした友人はホクホク顔だった。

2006年2月15日(水)

「オレは鉄道技師としてパーダーングベーサー国境(パダンブサール国境)(マレーシア国境)に2年間赴任していたが、当時の仕事ぶりを振り返ると、まさに『酒を飲むのを生業としている』といったカンジだった。飲み会のメンツは、俺たち鉄道局の同僚、タイ入国係官、マレーシア入国係官。マレーシアではイスラーム教徒の飲酒は刑事罰の対象になると言われているが、案外ヤツらだってメチャメチャ飲みまくってたぜ。それに袖の下だって、タイよりも断然融通が利くし」

午後10時半、スクンウィット(スクンビット)53にある格安居酒屋「いもや」で、運輸省鉄道局の4級文官(武官の中尉相当)の友人がソンクラー勤務時代に見聞きしたマレーシア事情を事細かに説明してくれた。途中、マレーシア側に出稼ぎに出ている友人たちから、不法滞在で捕まってしまったと連絡があった。高等専門学校後期課程(ポーウォーソー)卒の27歳で、月給9,400バーツ。官吏の昇給率が低いのは有名だが、これではバンコクで生活していくのもままならない。都内の民間企業に勤めていれば18,000-25,000バーツはもらっていてもおかしくない年齢。法科大学院に通っている友人は「27歳なら、最低でも12,000バーツはもらってないと話にならない」と話していた。今回の飲み代(計1,700バーツ)は、僕たち3人(国立大学院生1+国立法科大学院生1+私立大学生1)で支払った。

午前10時半、サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)前で友人と合流し、バンコクからおよそ500キロ離れた某所へ行き(友人の依頼で公開できない)、フワチアオチャルームプラギアット大学に寄った。午後9時、スクンウィット(スクンビット)53にある格安居酒屋「いもや」で別の友人たち3人と飲んだ。日本人ばかりのこの店で、オトコたちの議論をガンガン戦わせるのも珍しい。どうせ日本人の客に聞かれても理解できないのをいいことに、言いたい放題ぶちかましまくった。まるで東京の通勤電車で暗号会話をしてるかのような爽快な気分。その後、狭い友人の部屋で安ウイスキーを飲んだ。

なお、フワチアオチャルームプラギアット大学の詳細はつぎのとおり。

มหาวิทยาลัยหัวเฉียวเฉลิมพระเกียรติ (มจก.)
  マハーウィッタヤーライ・フワチアオチャルームプラギアット (モーヂョーゴー
種別 下位私立大学
設立年 2484年 (西暦1941年、前身は産科保健学校→フワチアオ准大学)
所在地 サムットプラーガーン県バーングプリー郡(バーングナー・トラート通り18/18)
設置学部 経営学部・文学部・薬学部・物理学部・保健環境学部・理工学部・漢方医療学部・医療技術学部・法学部・社会福祉学部・大学院・看護学部
標準学費 約22,750-42,400バーツ/学期
公式Wweb http://www.hcu.ac.th/
入試難易度 人文科学 19位 (文学部英語学科・正答率34%)
経営学 みなし22位 (経営学部会計学科・正答率36%、倍率1倍未満)
法学 情報なし
医学
工学
キャンパス 建築物 90点(教室棟の作りが簡素だが、その他の設備や庭園は整然と配置されている)
学生街 0点(セントラル・バーングナー店まで行く必要がある)
オシャレ 20点(一部に例外はいるものの、非常に無頓着な田舎っぽさが目立つ)
ボディコン 30点(一部に例外はいるものの、非常に無到着な田舎っぽさが目立つ)
歴史 2484年 産科保健学校(パドゥングカンアナーマイ学校)、フワチアオ学校が産科・看護科を目的として設立
2525年 ポーテックトゥング財団理事会が第4期国家経済社会開発計画を受け、フワチアオ准大学に拡張
2533年 国王・王妃両陛下からポーテックトゥン財団設立80年を記念して、「フワチアオチャルームプラギアット大学」の名称を下賜され、大学に昇格する

2006年2月16日(木)

「日本のアダルトビデオに出てくる男優たち、すっごくサディステックでしょう? だから、わたしだって本物の日本人と話すまでは怖い民族と思ってたわ。友人たちもそう思ってたはずよ。でも、ハリウッド映画の俳優たちが美男美女ばかりでも、アメリカ人全員がそうというわけじゃないから、イメージ先行ってとこかしら。まあ、あなたが『一部の日本人はタイ人女性全員が娼婦(売春婦)と勘違いしてる』っていうように、一部のタイ人は日本人男性全員がサディストと思ってる、ってことでお互い様。異文化に対する無理解って恐ろしいわね」

午後8時半、ガセートナワミン(カセートナワミン)5にあるタイ料理店「プアンデーラットチャーン(動物のおともだち)」で友人が言った。全長7メートルもある大蛇や世界一小さな猿たちに囲まれた店内で、「まったくそのとおり」とうなずいた。

なにしろ、6500万タイ人のたった0.02%を占めるにすぎないビジネスで恋愛やってる娼婦(売春婦)たちも、一部の日本人の手にかかれば多数派や標準にされてしまうんだからなあ。で、タイ人が「いらない」と言ってるダメな娼婦(売春婦)たちの受け皿は日本人男性と。他人事ながら情けなくなってくる。

夜、ガセートナワミン(カセートナワミン)5にあるタイ料理店「プアンデーラットチャーン(動物のおともだち)」で友人たち3人と夕食をとった。店内で「1日に5匹の鶏を食らう大蛇」など多数の動物を養っているためか、料理はほかの店に比べて若干割高。でも、個性的なメニューが多く、味の方もなかなか良かった。ソーイ(小街路)のかなり奥にあり、バンコクに不慣れな方にとってはちょっとした冒険になるが、今晩の夕食をどこで食べようかと悩んでいる方にはオススメ。

なお、檻と食堂はそれぞれ窓ガラスによって仕切られているため、ある程度の清潔性は保たれている。

2006年2月17日(金)

「ちょっと風、強すぎない? 肌寒いし、歯もズキズキする」

午後9時、ヂャランサニットウォング(チャランサニットウォン)86/1にあるタイ料理店 Castaway のヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)に張り出している桟橋には、強い風が吹くつけていた。視神経過敏になっており、飲料水の冷たさだけでなく、風を受けても歯に強烈な痛みが走った。

午後、アソークモントリー通り(アソーク通り)にある商業ビル「スーンミットタワー(サミットタワー)」前の歯医者で、歯に無数の開けて美白成分を擦り込み(約1時間, 4,800バーツ)、虫歯になっていた親不知を抜いた(約45分間, 500バーツ)。

その向かいにある美容室で散髪(200バーツ)し、友人が働いている400人収容可能な某銀行の営業部オフィスへと向かった。さらにセントラル百貨店ラートプラーオ(ラップラオ)店6階ホールで開催中の「土地建物展」に別の某銀行不動産部門のブースを出している友人達と合流して、ヂャランサニットウォング(チャランサニットウォン)86/1にあるタイ料理店 Castaway で夕食をとった。

バンコク都内におけるコンドミニアムやタウンハウスの相場は、 BTS 沿線から少し離れた地域のタウンハウスで130万バーツから210万バーツ。ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)に面しており、高速道路出入口からも近いコンドミニアムの23-24階(138平方メートル, 760万バーツ)が一番気に入った。なお、この催事は今週末までおこなわれるという。

2006年2月18日(土)

「あれが火葬場の煙突よ。今日から5日間、お経を毎日あげ続けて、火葬されるのは最終日。初日の今晩は、湯灌(遺体の腕に水をかける)をして納棺する。それにしても、バンコク中央病院ってまともな霊安室ないのかしら? 遺体が傷んで紫色になっちゃってる。でも、ロットゥー(ワンボックスカー)に轢かれて亡くなった母方の祖母よりはかなりマシだけど」

午後4時、バーングスー区(バンスー区)にあるウェートワンタンマーワート寺院附属の葬儀場で、友人が言った。友人の祖母は、バンコク中央病院における約1年間の闘病生活ののちに亡くなった。享年94歳。入院費用は数百万バーツにのぼるが、友人の両親が官吏(公務員)で、大半は公費で賄われた。実費であれば、死期を1年早めるか、国会議事堂約15分のタウンハウス(時価1,700,000バーツ)を売りに出すかの選択を強いられたという。社会保険制度の整備が不十分なタイでは、月間の世帯収入が150,000バーツ程度あっても、集中的な治療を長期にわたって継続するのは難しい。

午後5時、湯灌の儀式が始まった。参列者が次々と前に進み出て、遺体の右腕に水をかけて最後のお別れを済ます。このとき、湯灌をする参列者ひとりひとりの写真が撮影されたが、友人によると、死者が生前にどんな人と関わってどんな死を迎えたのかを記録する行為として肯定的に考えられている(日本でこんなことをしたら大変なことになる。このあたりは日本とタイの死に対する価値観の違い)。その後、寺の作業員が台座のついた棺桶に納棺して、念入りに釘を打った。

午後7時、4人組の僧が読経をはじめた。それぞれの手には群青色の扇子のようなものが握られており、「逝って戻らず」 ไปไม่กลับ 、「寝て起きず」 หลับไม่ตื่น 、「生き返らず」 ฟื้นไม่มี 、「逃げ出さず」 หนีไม่พ้น と書かれている。ちゃんと成仏してくれってことだろうか。5分間の休憩を挟みながら、約8分間の読経が4回おこなわれた。読経前、冷凍食品レストラン・ベーカリーチェーン S&P のお食事セットが参列者に配られた。

午後、高架電車 BTS サナームギーラーヘングチャート駅(国立競技場駅, ナショナルスタジアム駅)前にある複合商業施設 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)に寄ってから、バーングスー区(バンスー区)にあるウェートワンタンマーワート寺院附属の葬儀場へ友人と向かった。

なお、寺院附属葬儀場の入口には、電話番号が書かれた看板が立っている、万一の時、そこに連絡すれば、葬儀の一切を取り仕切ってもらえるという。

2006年2月19日(日)

「こういう家に住んでる人って、電気代なんて気にしないんじゃないの? ほら、家を買うつもりなくても、木枠と壁紙を工夫すれば高級感が出るって分かるでしょう」

午後3時、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)53にある都市型集落(ムーバーン, 警備付き分譲住宅)のモデルルームを見学した。敷地面積98坪の一戸建てで、16,530,000バーツ(内装費含まず)。中年の女性販売員によると、モデルルーム同等レベルの内装を施すには、およそ10,000,000バーツの費用がかかるという。こんな家に住んでいれば上流階級の生活を思い存分堪能できるが、26,530,000バーツの出費に見合うか疑問。自分で1,000,000バーツの土地(ラングスィット(ランシット)付近なら約120坪)を買い、4,000,000バーツの邸宅を建て、内装費に1,000,000バーツかけた方が良いと思う。なお、この物件(内装費別16,530,000バーツ)をローンで購入するためには、約5,000,000バーツの頭金(全体の30%)のほか、25年間にわたって毎月76,400バーツ払えるだけの経済力が必要。ちなみに、土地法86条(タイ)は外国人の土地所有を禁じている。

この物件の間取りは3LDKだが、ただの3LDKではない。▽1階:駐車場、主リビング、食堂、台所、使用人室、第4トイレシャワー室、第5トイレシャワー室 ▽2階:書斎、主寝室、主寝室附属衣装室、副リビンク、ピアノ室、主トイレシャワー室(メイド室の3倍の広さ) ▽3階:第2寝室、第2トイレシャワー室、第3寝室、第3寝室附属衣装室、第3トイレシャワー室。リビングルームから3階へと通じる階段には扉がない。友人が指摘したとおり、こんな家に住んだら、冷房代が恐ろしいことになりそう。

その後、クルマのホイールを買いに行ったが、日曜日でどの店も閉店していた。夜、トーングロー(トンロー)15向かいの居酒屋「美味しんぼ」で別の友人と飲み、タイの税制について教えてもらった。

* 1ライ=400ターラーングワー=1600平方メートル、1坪=3.30578512平方メートル=0.826446275ターラーングワー

2006年2月20日(月)

今晩の予定を埋めようと、コンサート好きでタイ語が堪能な友人(日本人女性)に電話したところ、 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) にハマっている日本人女性の話題になった。

Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) とは、 Go Go Bar(ゴーゴーバー, アゴーゴー) の同性愛者向けサービスで、性的なショーとアルコール飲料を提供し、男娼を斡旋している店のこと。料金は、ビール(350ml)がおおむね220バーツ、連れ出し料(ペイバー)がおおむね700バーツ、男娼との性行為への対価がおおむね1,000バーツと、店舗内サービスで比較的高く、店舗外サービスで比較的安い。

この友人によると、近頃、インターネットを通じて「 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ)パッタヤー(パタヤ)がイチバン」との迷信が広がり、パッタヤー(パタヤ)に通う日本人女性が急増しているという。パッタヤー(パタヤ)は、バンコクの南東140キロにある外国人に人気のビーチリゾート。 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) の物価はバンコクと同等~半額程度。

ところが、 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) にハマっている日本人女性は致命的な勘違いをしている、と友人は指摘した。

「オトコと手をつなぐのは嬉しい。オンナとも手をつなげないわけじゃないけど、でもやっぱり違和感があるしキモいカンジ」

ある晩、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)界隈のクラブへ友人がお気に入りの男娼を連れて行ったときに、男娼がそう話していたという。

世間一般の日本人は、(当然だが)同性愛者の価値観についてあまりに無知で無頓着すぎる。そんな「未知の同性愛者のためにある性風俗」にハマる前に、① Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) は男性同性愛者向けの性風俗店で、②男性同性愛者に男娼を斡旋していることを一度確認しておく必要がある。もちろん、男娼も同性愛者じゃないと勤まらない(タイの同性愛者人口は信じられないくらい多い, 女性向けの男娼はホストクラブで働いている)から、男娼を世間一般のオトコと同一視してしまうと、トンデモナイ誤解の原因になる。

ちなみに、友人たちは Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) で働いている男娼たちを G.O.(ジーオー) と呼んで蔑んでいる。

タイ人の若者のあいだには「白い=中国系っぽい=金持ちっぽい=イケてる」という信仰がある。日光浴や日サロはまったくウケない。ところが、 G.O.(ジーオー) たちの大多数は貧しい地方出身者で、肌の色も極端に黒い。先日、 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) へ連れて行ったタイ人女性も「このオトコたちのどこがいいのか理解できない」と話していた(フツウのタイ人女性の視点から見るゴーゴーボーイズ)。つまり、 G.O.(ジーオー) にカネを払ってまでセックスする価値はない。

でも、そんなものために足繁くはるばるタイまでやって来る日本人女性がいるというから滑稽だ。しかも、タイ的に不細工とされている G.O.(ジーオー) たちにとっても、異性(一般人にとっての同性のような存在)と肉体関係を持つのは拷問もの。いくらカネのために身体を売ってても、こればかりは本当にゴメンという。

ちなみに、男性同性愛者向けの性風俗店 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) は、いちおう女性観光客も客としてもてなしている。恋愛に不慣れな女性が、至れり尽くせりの接待にハマってしまう気持ちも分からなくはないが、こんな相手に恋愛関係を求めるのはどうなんだろう? だって、世間一般の価値観に置き換えて考えてみると、男性が男性に、女性が女性に恋愛関係を求めているのと同じでしょう? あまりにも要求が一方的すぎるし、身勝手すぎる。

問題は山積みだが、どうしてもガマンできない女性には、観光客相手に浜辺で仕事をしている「ビーチボーイ」をオススメしておきたい(ビーチボーイと日本人女性)。

なお、友人によると、 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) にいる男娼の質は、パッタヤー(パタヤ)よりバンコクのほうが高いという。

夜、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」でひとり寂しく飲んでいたところ、偶然友人と鉢合わせ、タイ国内屈指の大企業でマネージャーをやらないかと誘われた(月給100,000バーツ, 各種手当込)。けっこうウレシイ話だったが、すでに日本国内の企業に内定受諾書を提出しているため、後ろ髪引かれる思いで断った。将来、タイに駐在する機会を与えてくれればそれで十分。でも、もし自分にあとわずかばかりの勇気と冒険心(無鉄砲さ?)があれば、人生もっと楽しめたかも。

友人たちのプライバシーを守りながら日記を書くのも楽じゃない。内容に具体性が欠け、読んでてちっとも面白くない。しかし、他人に迷惑をかけたり、望んでもいない対立に直面するのもイヤだから、ほどほどにしておきたい。

<外部リンク>
2006年12月8日、こうした勘違いをしながらも、決して自らを疑うことを知らない日本人女性から昨日、反論記事を頂戴しましたので相互リンクいたします。将来、ビジネスで恋愛をしているような彼/彼女らから経済的な不利益を被ることがあっても、「タイ人に騙された」などと見当違いなことを騒ぎ立て、その他大勢の善良なるタイ人市民の名誉を損なうことのないよう希望しています。
http://blog.livedoor.jp/chiro00/archives/50855703.html

2006年2月21日(火)

「東京のタイ人街は本当にヒドい。先日、雑居ビルの2階に入っているタイ料理食材店へ行ったら、階段の両側に、タイ語のいかがわしい求人広告がびっしり張り出されていた。うちのナイス(仮名)は、もう二度と行きたくないと言っているが、それではタイ料理が作れないからそうもいかない。悲しいかな、それが日本国内におけるタイ人社会の現実なんだよ」

午後10時20分、ボーロームラーチャチョンナニー通り(バロムラチャチョンニー通り)にあるビールホール「ポーグングパオ(ポークンパオ)」で人気バンド Bodyslam(ボディースラム, ボッディーサレーム) のコンサートが始めるのを待っているとき、首都圏でまともなタイ人配偶者と生活していた友人が、日本国内におけるタイ人社会の惨状を、半ば不満をぶちまけるように訴えた。まあ、タイ人女性にハマる日本人の大半が、世間一般のまともなタイ人に目も呉れず、タイ人のなかでも最もダメなエッセンスである娼婦(売春婦)だけを厳選して結婚しているのだから、当然といえば当然かも。

このような嘆かわしい風潮による最大の犠牲者は、娼婦(売春婦)と同一視されてしまう世間一般のまともなタイ人と、まともなタイ人女性と結婚した日本人男性にほかならない。

現地における外国人の風評は、現地における外国人の文化によって判断される。たとえば、某国で「日本人コールガール大募集!」というチラシがあふれかえっていたら、その某国人は日本人の相当数が売春を目的にやってきたと判断するだろう。

そういえば、スクンウィット通り(スクンビット通り)沿いの日本料理屋には、日本人向け風俗情報誌の広告がデカデかと貼りだされている。これを見たら、タイ人はどう思うだろうか。自分が属している「日本人社会」のスタンダードが性風俗通いにあると思うと、本当に情けなくなる。日本在住のまともなタイ人が、自分たちの社会における奇妙なスタンダードに何を思い、何を感じているのか。本帰国前に当事者から直接お話を伺って、16ヶ月間にわたって連載を続けてきたシリーズ「微笑みの国タイランドと厳しい現実」を締めくくりたい。

昼すぎ、高架電車 BTS ヂャトゥヂャック駅(チャトゥチャック駅)ちかくの Sun Tower(サンタワー) 1階に入っている Sony Ericsson(ソニーエリクソン) の総代理店 Loxley(ロックスレー) で、かねてから交換を依頼していたメモリーカードを受け取った。その後、東南アジア競技大会選手通り(ナックギーラーレムトーング通り)へ友人を迎えに行き、自動車ディーラー巡りをしてから、ペッブリー通り(ペブリ通り, ペチャブリー通り)の友人を加えて、ボーロームラーチャチョンナニー通り(バロムラチャチョンニー通り)にあるビールホール「ポーグングパオ(ポークンパオ)」でほかの友人たちと合流し、 Bodyslam(ボディースラム, ボッディーサレーム) のコンサートを楽しんだ。

2006年2月22日(水)

「大変です! バンコク留学生日記の読者は、ケイイチさんが普段から日記のような口調で話しているんじゃないかって、ホンキで疑ってますよ!! とりあえず、みんなにはなかなかオモシロイ人だって言っておきましたけど。とにかく会いたいって言ってる人が急増中なんで、みんなの都合が合いそうな費を選んで、ぜひ一度飲み会でも開きませんか?」

先日、友人から受話器越しにそう指摘された。僕自身も、思わず身構えてしまうようなコメントの数々を見て、かなり前から「ああ、読者にはきっと僕が堅物人間のように映ってるんだろうなあ」とうすうす感じていたが、友人によると想像以上にとんでもない堅物と思われているという。

午後7時、スクンウィット(スクンビット)33にある居酒屋「姉御」で、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)でタイ語を学んでいる日本人4人と飲み、その足でスクンウィット(スクンビット)22にある居酒屋「あさみ」へハシゴした。閉店後、店主に捕まってしまい、さらに午前5時まで飲み続けた。

2006年2月23日(木)

論文読みの一日。 ASEAN 東南アジア諸国連合とグローバリゼーションとの関連を説明している論文を読んで明日の試験に備えた。

2006年2月24日(金)

昨年末に最後のペーパー(小論文)を提出して以来、この日のためにタイに留まってきた。

東南アジア研究科の卒業認定試験は、必修科目3講座(考古学、歴史学、国際経済)から2問ずつ出題され、それぞれ1問ずつ選択して回答する形式。制限時間(7時間)以内に、9ページ(1問あたり3ページ)以上の答案を作らなければならない。さすがに修士課程の修了認定試験だけあって難問奇問の連続だった。これはマズい、と思ったが、書いているうちに上手くまとまり、帰宅後に文献で自己採点したところ、要点はしっかりと網羅できていた。この試験に不合格になると、3月末の新入社員研修会までに帰国できなくなる恐れがでてくる。

午前9時から午後4時まで、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部4号館101教室で、東南アジア研究科修士課程の修了認定試験を受けた。その後、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅) 前にある大型複合商業施設「サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)」で友人たちと夕食をとり、午後9時すぎ、文学部インテンシブタイ(外国人向けタイ語講座)の飲み会に顔を出した。

タイ的には学位授与式が行われる7月までは「大学院生」としての身分が続くが、日本的には来月下旬から「会社員」になる。それまでの1ヶ月弱で、学生時代に遣り残したことをすべて済ませてしまいたい。

2006年2月25日(土)

「どの娘もみんな『持ち上げ上手』ですよ。決してお客様を不快にさせません。さあ、どの娘がよろしいですか?」

午後9時半、ウィッタユ通り(ワイヤレス通り)にあるキャバレー The Pent Executive Club(ペントエクスクルーシブクラブ) へ日タイ男女混成グループ(日本人男2, 日本人女1, タイ人男1)で出かけた。

キャバレー The Pent Executive Club の内部は、3つの区画に分かれている。ひとつめの区画はラウンジで、リクライニングソファーに身体を沈め、元歌手の生演奏を聞き、ウイスキーを飲みながらホステスと会話できる。なかには寝っ転がってホステスに抱きついている男性客もいる。1階部分に個室カラオケ、2階部分には50人収容の大部屋カラオケ(貸切)が併設されている。ふたつめの区画にはプールがあり、店内を案内してくれたホステスによると、プールサイドでくつろいで会話を楽しめるという。しかし、暑季に差し掛かっているためか、少し蒸し暑くて、居心地も悪そう。みっつめの区画はダンスフロアで、 Hip Hop ミュージックにあわせてホステスと踊れるという。この店には100人前後のホステスが在籍しており、午後11時からタイ式コヨーテによるダンスショーもある。店内の外国人比率はおよそ50%だった。

店に入ると一番奥にあるダンスフロアへ案内され、フロア責任者(ママサン)に勧められるままにノーンカーイ県(ノンカイ県)出身のホステス(年齢不詳, 教育的バックグラウンド不詳)を選びラウンジへ戻った。従業員の教育はとても行き届いており、いたれりつくせりの接待攻勢で、日頃からホステスを無視している僕に腕時計を見せる隙すら与えなかった。

ホステスによると、毎晩のように通って同じホステスを指名し続ければ、閉店後に追加的な性的サービスに応じるケースもあるという。料金等については一切不明。ただし、高級店と呼ばれている日本人向けカラオケスナックとは比較にならないほど高額に違いない。

午後10時50分、ホステスたちの制止を振り切って友人と脱出し、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にあるイーサーン館(ローングイーサーン) Hollywood(ハリウッド)Endorphine(エンドロフィン) のコンサートを見に行った。ところが、他県にある Hollywood の間違いで、結局無駄足となった。

帰宅後の午前2時、僕たちが脱出したあとも The Pent Executive Club で楽しんでいた友人から電話があった。僕の負担分は1,500バーツ(約1時間半)。自分についたホステスが飲んだ「ドリンク代」(1杯250バーツ前後)程度であれば拒否することもできない。

何千万バーツもする高級車に乗っているタイ人の考えなどまったく想像もできないが、せっかく恋愛するのなら、ただ一方的に「持ち上げ」てもらうだけではなく、ロシアンルーレットのような微妙な駆け引きを楽しんだ方が有意義だし、なにより面白いと思う。

今晩、日本人の友人は、このタイ人を彼氏候補から完全に外すと決めたという。オトコの美学にももとる「娼婦との恋愛ごっこ」が、女性にどう映るか想像するのは難しくない。

夕方、ウィッタユ通りにあるホテル Swissôtel Nai Lert Park Bangkok,(ナイルートパークバンコク) の別荘即販会(要招待状, パッタヤー・ヂョームティアンビーチ, 3500万バーツから)を見て回ってから、キャバレー The Pent Executive Club 、イーサーン館 Hollywood へ行った。

* 写真は別荘即売会の様子

2006年2月26日(日)

「ホテルの部屋でビールを飲むぐらいなら、この店で飲んでいきなさいよ?」

午前2時15分、タイ最北端のチアングラーイ県メーサーイ(チェンライ県メーサイ)で、ドライブ(走行距離838km)の疲れを癒そうとビールを買いに出た。ところが、近年運用が強化されている革命団布告253号(西暦1950年布告)により、コンビニエンスストア Seven Eleven(セブンイレブン) は、午後12時以降の酒の販売を行っておらず、ほかの店もすでにシャッターを下ろしていた。

ホテル駐車場の警備員に勧められて向かったホテル裏のカラオケスナックは、シャッターを半分下ろして営業を続けていた。ビニル製の簾をかき分けて店内に首を突っ込んでみると、明らかにタイ人でないと分かる娼婦(売春婦)3人がソムタム(パパイヤサラダ)を突いていた。ミャンマー側国境の都市「ターチーレック(タチレク)」から干上がった河川を渡ってタイ側へと越境してきたミャンマー人だ。中年のフロア責任者(ママサン)に掛け合って、シンハビールを一本譲ってもらった。そして長旅による疲労を理由に、中年のフロア責任者の誘いを断りその場を辞した。

メーサーイは60年前、川を隔ててミャンマー国境「ターチーレック」に面している、チアングラーイ県メーヂャン郡の小さな村にすぎなかった。ところが1938年、メーヂャン郡から分離して支郡に昇格。1950年には郡に昇格した。地理的には混合林草原気候(温帯)に属しており、この時期、 T シャツ1枚ではやや肌寒く感じる。片側3車線の立派な舗装路を行き交うクルマはまばらで、ミャンマー人家族連れがスーパーマーケット「ロータス・クムカー」で生活消費財を買い込んでいるほかは、どこにでもあるような長閑な地方都市だ。

午後2時半、ウィッタユ通り(ワイヤレス通り)にあるホテル Conrad(コンラッド) で友人と合流。南プルーンヂット(プルンチット)交差点を右折すると、高速入口の交番で禁止場所右折で警官に呼び止められ、要求された賄賂400バーツを支払った。その後、チャルームマハーナコーン高速道路、ドーンムアング有料道路(ドンムアン有料道路)、国道1号パホンヨーティン線を北上。当初計画では、ターク県メーソート(メソト, メソット)のタイ・ミャンマー国境にあるカジノへ行くことになっていたが、現地のホテルに問い合わせたところ「ミャンマー側のカジノはずいぶん前から営業を取りやめている」ということだったため、予定を変更して北部のタイ・ミャンマー国境へと向かった。

アユッタヤー(アユタヤ)で国道309号アユッタヤー(アユタヤ)アングトーング(アントン)線に入り、ナコーンサワン県(ナコンサワン県)の県境で国道1号パホンヨーティン線に復帰して、午後5時31分にタイ北部の大都市ナコーンサワン(ナコンサワン)を通過。6時10分、ガンペーングペット(カンペンペット)県庁舎前にクルマを駐め、ひどく貧しい食堂で夕食をとった。午後7時10分にガンペーングペット市(カンペンペット市)を出発。午後10時40分にランパーング市(ランパン市)を通過した。その後もランパーング・パヤオ間の峠道を悪戦苦闘しながら北上を続け、午前1時40分にメーサーイに到着し、ホテル「ワングトーング・メーサーイ」(1,000バーツ)にチェックインした。

2006年2月27日(月)

「あの無能たちは首相の座を手に入れるために、タイを良い方向へと導き国家と国民に奉仕している首相をも陥れるのね」

午後9時半、ホテル Golden Triangle Paradise Resort(ゴールデントライアングル・パラダイスリゾート) のマッサージ屋で、タイ北部ランプーン県出身の中年女性マッサージ師が、夜の報道番組「クイクイカーオ」を見ながらテレビ画面に現れた野党勢力の面々を罵っていた。マッサージ師の言葉は、バンコク人的な政治思想からはかけ離れているが、タイ北部の世論を代弁している。

クイクイカーオは、政治問題や社会問題を扱う討論番組で、タイ自由報道の象徴ソーラユット・スタッサナヂンダーと、元ラジオ番組プロデューサーのガノック・ラットウォングサグンが司会進行を務める。定時ニュースではサラッと流されてしまうような深刻な政治的・社会的な危機に光を当て、タイ市民の政治経済に対する意識向上に大きく寄与した。最近ではタイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐に批判的なスタンスを取っており、首相からも彼らに向けて皮肉とも罵声ともとれる発言がなされている。放映時間は平日が午後9時半から午後10時まで、土日曜が正午から午後1時まで。

2001年、それまで政治権力によって抑圧されてきた地方の農民が、圧力団体「貧民連合(サマッチャーコンヂョン)」とともに政治的権利を主張した。同年、首相に就任したタックスィン・チンナワット警察中佐は、タイ憲法221条に基づく施政方針演説で、経済回復と弱者救済が最優先の政策課題であると表明。つぎの9項目を当面の政策課題に定めた。

1. 農民負債の3年間猶予
2. 各村落に100万バーツ規模の基金を設立し、国内・国際競争力のある産業を育成する
3. 市民銀行を設立し、貧困者に対する融資を強化する
4. 中小企業銀行を設立し、企業、技術育成、雇用促進、所得向上、輸出支援などをおこなう
5. 資産管理機構を設立
6. 国営企業を民営化することで事業の効率化を図る
7. 全疾病疾患1回30バーツ診療により貧困者に対する医療の便を図り、国民保険制度を充実させる
8. 麻薬中毒者更正施設の設立と麻薬撲滅
9. 汚職撲滅

特に1, 2, 3, 7, 9の5項目は、貧困者からの熱烈な支持を集めた。誰だって、借金の返済が延期されれば喜ぶし、村落交付金でクルマを買って共同利用すれば便利になるし、金利の低い融資を受けられれば当面の生活も楽になる。バカ高い医療費がタダ同然になれば健康的な生活ができるようになるし、汚職が撲滅されれば官吏(公務員)への上納金に苦しめられずに済む。

パッと見では、これらの政策は有効需要派ないしは積極財政派とも呼ばれる学者達が唱える「金をまけば経済を刺激し景気が良くなる」理論のようだが、長期的な視野で見れば農民負債は軽減されないし、村落交付金が効果的に利用されるとは限らない。しかも、たった30バーツでは十分な医療を受けられず、その場しのぎの中途半端な治療に終始して、病気はいつになっても治らない。さらに国家の財政を疲弊させ、病院経営も危機に瀕している。まして、甘い審査基準で融資して貸し倒れたらどうするつもりなのか。労働者を支持基盤とするアルゼンチンのペロン政権(1946年)が、大衆迎合的なばらまき政策を続けて、どのような運命をたどったか。

いずれにせよ、タックスィン政権は極端な貧困者対策政策でて、貧困が深刻な東北部(イーサーン地方)から北部にかけての地域で確固たる支持地盤を築いた。

ちなみに、あえて世間一般のタイ人女性を忌避し、貧しく教養もない娼婦(売春婦)としかお付き合いしていない一部の日本人たちには、何はともあれ「タクスィン万歳」と言っておくことをオススメしたい。都市部における中間層の意見ばかりが尊重されがちな日本語媒体(紙媒体やインターネット上の情報)の論調を真に受けて、娼婦に自分の政治的意見をぶつけてしまうと相当厄介なことになる。

市民意識に乏しい娼婦の関心は、支配者にどんな便宜を図ってもらえるか、ただそれだけに集約されている。有り体に言ってしまえば、娼婦たちには、被支配階級としての奴隷根性が骨の髄まで染みついており、教養ある市民社会の一員としての正常な思考力は期待できない。

しかし、都市部の中間層は比較的裕福で教育のレベルも高い。市民社会の一員としての自負もあり、利権政治業者に対する不満を募らせやすい。どんな善政でも、社会の正義に反してはならないと考えている。実際に、彼らはタックスィン政権の弱者救済政策を「単なるばらまき政治」と考えているし、判断能力が乏しい地方の大衆を踊らせるだけの「衆愚政治」と見なしている。そのため、タックスィン・チンナワット警察中佐は常に都市部の比較的教養の高い層や知識人からの批判の矢面に立たされている。

また、タックスィン・チンナワット警察中佐は首相就任以来、常にスキャンダルの中心人物であり続けた。2003年の麻薬撲滅戦争政策(ソンクラームプラッププラームヤーセープティット)では、軍警察が裁判なしで民間人2,500人を処刑して国際社会からの猛烈な非難を浴びた。さらに大物ブローカーたちに次々と無罪判決が下ると、末端のブローカーを虐殺しただけで麻薬撲滅にはほとんど効果がなかったとの見方が支配的になった。さらに、首相が事実上所有しているシンコーポレーションの不正献金疑惑や所有権移転税疑惑では、裁判所に証拠不十分でシロの判決を下させている。 Nation Multimedia Group(ネーション・マルチメディアグループ) 社長宅を家宅捜索して圧力を与え、タイ唯一の非政府系テレビ局 ITV を買収してシンコーポレーションの参加におくなど報道を統制した。2004年4月、次女ペートーングターン・チンナワット(ペートンターン・チナワット)の不正入学疑惑が発覚、数日後には農具を持った「武装勢力」100人以上を南部国境3県で虐殺した。2005年7月には、逮捕令状なしの身柄拘束や報道管制などを認める「非常事態宣言」を南部国境3県に発令し、この地域に住むタイ国民の基本的人権を大きく制限した。バンコクに事務所を置く日系報道機関は、首相に不利な記事を書くたびに首相府からの抗議の電話がかかってくるため困っているという。

そして今回、首相はチンナワット家一族による通信会社シンコーポレーション株売却に係わるインサイダー取引が噂されている。首相がこの取引のために通信関連法の外資規制を従来の25%から49%へと引き下げ、シンガポール資本の企業に売却することで、一族は不当に733億バーツの利益を得た。一族が英領バージン諸島に投資会社を設立し、シンコーポレーション株の名義人を長男と長女に移したときに所得税を免れ(タイの税法では個人の株取引に所得税は課税されない)、結局この取引で課せられた税額は付加価値税の2500万バーツにすぎなかったという。

これを受けて、日刊紙「プーヂャッガーン」の社主ソンティ・リムトーングン(ソンティ・リムトンクン)が、タックスィンの専横に反対して内閣総辞職を要求する「救国運動」を開始。2月4日には民主主義市民連合(スリヤサイ・ガタシンラー事務局長)が旧国会議事堂前で5万人規模の集会が開くなど、都内における「反タクスィン」の機運が急速に拡大した。その後も大規模な反政府集会が相次ぎ、2月20日には1992年の市民運動指導者で元バンコク都知事のヂャムローング・スィームアング陸軍少将が参加。2月24日、首相は職権で下院を解散し、総選挙日を4月2日とした。これに対し、主要野党3党は総選挙へのボイコットを決定。

その様子が今晩のニュースで報じられた。野党各党は、有権者に「選挙に行って『該当者なし』の欄に印を付ける」よう呼びかけている。これは、今回の総選挙に対して唯一候補者を擁立している与党「タイ愛国党」の得票率を異常に低い水準にすることで選挙そのものの無効を訴え、タイ憲法7条「憲法のいかなる規定によっても事態を解決できないときには、立憲君主政体の行政慣行に基づいて決定する」 ในเมื่อไม่มีบทบัญญัติแห่งรัฐธรรมนูญนี้บังคับแก่กรณีใดให้วินิจฉัยกรณีนั้นไปตามประเพณีการปกครองในระบอบประชาธิปไตยอันมีพระมหากษัตริย์ทรงเป็นประมุข に基づき、国王による暫定内閣を成立させようという目論んでいるという。

私立アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)附属の調査機関「エーベックポール」が2月17日、国内22県6,461人の有権者にアンケート調査を行い、タクスィン内閣の支持率が過去6ヶ月で58.2パーセントから34.5パーセントに低下した発表した。これを受けて大衆紙「コムチャットルック」は、タクスィンの支持率がチュワン政権と競っていた頃と同水準まで落ち込んだと報じている。なお、タクスィン政権不支持の理由は、汚職撲滅を真剣に取り組んでいない61.8%、30バーツ診療を真剣に取り組んでいない35.1%の順。

ここで地域別の内閣支持率を示そうと考えていたが、手元に十分な資料がない。先日、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)で立ち読みした日刊紙では、南部15%、中部35%、北部82%というカンジだったと記憶している。

マッサージ室へ入ると、マッサージ師に「好きなチャンネルを選んで良い」と言われた。そこで、地方における政治感情を知るために、あえてタックスィン(タクシン)首相に批判的な報道番組を選んだ。

結果は、冒頭にある文言のとおり。解説の内容が難しすぎたせいか、その後マッサージ師たちは口をつぐんでしまった。「耳に優しいスローガン」だけに耳を傾けて肝心な部分を理解しようとしない人々を騙すのは難しくない。

午後1時、タイ最北端のメーサーイ(メーサイ)国境前にあるホテル「ワングトーング」をチェックアウトし、東におよそ30kmのところにあるチアングセーン郡(チェンセン郡)「ゴールデントライアングル」 へとクルマを走らせた。

ところが、チアングセーン郡から船でミャンマー側のカジノ「ゴールデントライアングル・パラダイスリゾート」へ行こうとしたところ、滞在期限を超過しており、不法滞在同然になっていることが発覚。正月にチョングメック(チョンメック)国境から入国したときに、入国係官がパスポートの再入国許可証(リエントリーパーミット)を見落として、一般旅行者と同じスタンプを押してしまったようだ。チアングセーン入国管理局ゴールデントライアングル駐在所にはビザの発給権限がないため、係官がメーサーイ入国管理局に電話して話をつけてくれた。

その後、パスポートのコピーに日付印をもらって「簡易出国」した。これは、タイ人が(マレーシアを除く)近隣国に出国するときに発行される国境通過許可証(バットパーンデーング)のようなもの。入局管理局駐在所の前から、安っぽい渡し舟で対岸のミャンマー領へと渡った。

ミャンマー側の船着場で制服の係員に入国許可証発給手数料(1泊2日, 10ドルまたは1,500バーツ)を支払い、スパンブリー県選出の下院議員の資本で運営されている Golden Triangle Paradise Resort(ゴールデントライアングル・パラダイスリゾート) (1泊2,400バーツ)にチェックイン。賭場で10,000バーツ以上プレイすると900バーツのディスカウントが受けられる。ブラックジャックで友人とそれぞれ5,000バーツずつ賭けた。

ちなみに、ゴールデントライアングルとは、日本語で「黄金の三角地帯」、タイ語で สามเหลี่ยมทองคำ(サームリアムトーンカム) といい、タイ・ミャンマー・ラオスの国境が接するこの一帯のこと。世界最大の麻薬・覚醒剤の密造地帯として知られており、生産される麻薬原料は年間2,500から3,000トン(タイ政府2004年推定)といわれている。現在ではタイ側の麻薬生産はほぼ一掃され、「麻薬博物館」が建てられるなど観光地化が進んでいる。なお、当地のホテルで麻薬や娼婦を入手するのはまずムリ。クリーンな環境でカジノが楽しめるので個人的には心から歓迎しているが、麻薬と売春に夢とロマンを追求している一部の日本人観光客にはあまりお勧めできない。

それにしても、タイ人のバカラ賭博好きには参った。賭場にはバカラ台が12台も設置されているのに、ブラックジャック台やルーレット台は隅っこに追いやられ、それぞれ1台ずつしかない。

2006年2月28日(火)

「チェンセーンの係官が君に説明したように、入国管理局は旅券(パスポート)の入国スタンプを訂正できる。だが、その権限はスタンプを押した入国管理局のみに与えられており、我々にはない。入国スタンプの訂正がお望みなら、ここメーサーイ入国管理局ではなく、ピブーンマングサーハーン入国管理局で申請をするべきだ。しかし・・・・・・それにしてもチェンセーン入管のヤツめ、こうも面倒くさい仕事ばかりを次から次へと押しつけてきやがって。まったくたまったもんじゃない。自分の管轄で生じた仕事くらい、自分たちの責任で処理してもらいたいもんだ。まったく気に食わん。だから私はやりたくない」

午前11時50分、ミャンマー国境にあるメーサーイ入国管理局(メーサイ入国管理局)の係官は、一向に僕からの申請に応じる気配を見せなかった。昼休み10分前という、タイミングの悪さのせいかもしれないが、この職員は窓口業務で飯を食っている。それがイヤなら、窓口業務がない警察中尉以上で任官するために学士相当の学位を取るなり転職するなりしてもらいたい。いずれにせよ、僕の知ったことじゃない。八つ当たりで申請を却下されてはかなわない。

1月1日にラオス国境「チョングメック(チョンメック)」から入国したときに、再入国許可証(リエントリーパーミット)の失効日である3月13日までの滞在許可が出るはずだったのに、係官の不手際によりノンビザ扱いになり1月30日までの許可しか出ていなかった。それに気づかなかったため、僕はいつの間にか不法滞在者になっていた。サイアクの場合、検問でパスポートを検められたときに逮捕拘束され、ミャンマー人不法滞在者のように犬小屋のような留置所に収監されてしまいかねない。昨日、そのことについてチアングセーング(チェンセン)入国管理局ゴールデントライアングル駐在所の係官に相談し、「再入国許可証の期限が残っていれば問題ない。メーサーイの担当者に話をつけておいてやる」と言われたが、上手くいかなかったんだろうか。

冒頭にある入国係官の言葉を聞いて、さすがに腹が立った。前半部分は拒否の理由として十分まともだが、本音は後半部分の「面倒くさい」だ。そんな理由で、不法滞在者にさせられてはかなわない。

できるだけ声のトーンを抑えて丁寧に、それでも自分の主張はしっかりとぶつけた。

「今すぐミャンマーに出国したい。しかし、入国スタンプが訂正してもらわないと、出国することすらできない。 しかも、すべては入国管理局の不手際のせいであり、私に非があったわけではありません。それとも、 タイに足を踏み入れたら最後、われわれ外国人は出国の権利までが剥奪されてしまうんですか? それなら、タイは国際的に承認され、制度化された外国人収容所ということになりますね」

これには、公務員上位主義的なタイ文化を信奉している中年係官もムッとした。

「留学ビザでの滞在資格ということだが、どこで勉強しているのか?」

僕はその質問に対して短く2秒以内で答えた。係官は「ふん」と鼻で笑ったあと、「入国スタンプが押されたときに、君には自ら入念な確認作業をおこなう義務があった。その義務を怠った君にこそ問題があるんだ」と愚痴りながら、無言でパスポートを取り上げ、入国記録台帳を開き、だらだらと入国スタンプを訂正をはじめた。

午後12時5分、当初入国係官に主張していたミャンマー国境ではなく、メーサーイから、国道118号チアングマイ(チェンマイ)チアングラーイ(チェンライ)線で南下した。午後2時頃、チアングマイ市郊外に到着。チアングマイ動物園で、2003年に中国から10年間の期限付きで貸し出されているパンダを見物し、ホテル Sheraton Chiangmai にチェックインした。