2006年1月1日(日)

ສະບາຍດີປີໃໝ່(サバーイディーピーマイ)

新年、あけましておめでとう

午前9時半、パークセー(パクセー)市内のゲストハウス「ナーリーンターヂャルーン」前で、眠い目をこすりながら寝起きのタバコを吸っていると、ノーイナーの友人でラオス永住権保持者のベトナム人が110ccバイクの乗ってやってきた。

ラオス人民民主共和国ヂャンパーサック(チャンパサック)パークセー(パクセー)は、首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)を経由して古都ルワングパバーン(ルワンプラバン, ルワンプラバーン, ルアンパバーン, ルアンパバン)へと伸びるラオス国道13号線の起点で、人口およそ47,000人(ラオス2位)。ここでメーコーング川(メコン川)とセドン川が交わり、タイ、カンボジア、ベトナムとの交易の中継地点になっている。すこし南にあるヂャンパーサック郡(チャンパサック郡)には、ラオス3王国時代にヂャンパーサック王国(チャンパサック王国)(1713-1946)の都がおかれた。

ラオス語の ສະບາຍດີປີໃໝ່(サバーイディーピーマイ) は、タイ文字に起こすと สบายดีปีใหม่(サバーイディーピーマイ) 、タイ語から直訳すると「新年元気」となる。ラオス語にサワッディー(サワディー)という語彙はない。

タイ語の สวัสดี(サワッディー) という語は、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部のプラヤーウィパギットスィンラパサーン教授が1931年、 good night の訳語として提唱した新語。当時はじまったばかりのラジオ放送を通じてタイ全国に普及した。現在では、おはよう、こんにちは、こんばんはなどに対応するオールマイティーな挨拶として定着している。 หวัดดี(ワッディー)ดี(ディー) と言うこともある。

タイ人は สวัสดี(サワッディー) という訳語を発明したが、ラオス人は ສະບາຍດີ(サバーイディー) という訳語を用いている。ただそれだけの違い。

バンコク在住の日本人のあいだに、タイ人は挨拶しない、礼儀がなってないという不満があるという。しかし、もともと挨拶のための語彙がなかったタイ人やラオス人に、日本式の厳格な挨拶を習慣づけるよう強要するのにはムリがある。

ラオス語は、バンコク人的な感覚からすると古典的でダサく、街中に掲げられている共産主義国的な赤い垂れ幕に書いてある ພັກປະຊາຊນປະຕິວັດລາວທີ່ມີກຽດສະຫງ່າ ໝັ້ນຍືນ(パックパサーソンパティワットラーオティーミーギニャットサンガーマンユーン) (偉大なるラオス人民革命党よ、永遠なれ)というスローガンは爆笑ネタにされていた。旅行中、タイ人6人のあいだでラオス語がブームになり、飲料水 น้ำดืม(ナームドゥーム) を、常に ນ້ຳບໍລິສຸດ(ナームボリスット) (タイ語の น้ำบริสุทธิ์(ナームボリスット) は「純水」の意)と言い換えて楽しんでいた。

パークセー(パクセー)市内にあるインド料理店で朝食をとり、タートファーム、ユアング、ファーソムの滝3ヶ所を見物した。午後5時、ラオス側国境のワングタオ市場(ワンタオ市場)で土産物を買ってから、午後6時半にタイ側のチョングメック(チョンメック)から1等長距離バス(466バーツ)でバンコクへと向かった。

2006年1月2日(月)

「どうも外の様子が慌ただしいようですが、なにも恐れる必要はありません。閉店時間まであとわずか、みんなで楽しく盛り上がりましょう!」

午前零時50分、安宿街カーオサーン(カオサン)の裏手にあるマヨム通り(トローク・マヨム)は20人規模の警察官に封鎖され、 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) deep(ディープ) の窓際にある僕たちの席を、人権という言葉を忘れたテレビ局のビデオカメラが明るく照らしていた。タイ語曲バンドのボーカルは、店内にいる数百人の客に平静を呼びかけていた。

麻薬取締の一環として行われている抜き打ち尿検査。このまま事態が推移すれば、警察の指揮官が店のドアを開いて、巡査たちが大挙して店内に流れ込んでくる。酒に酔った若者たちがあわてたり茫然自失になっている若者たちの姿は全国ネットで報じられ、「ザマアミロ」と思っている6千万タイ人の好奇の目にさらされる。

事態は予想どおりに推移した。ドアの前には即席の検査場が設置され、警察官が店内の客に検尿用の検尿セットを配布した。これを小便で満たさないと、店から出してもらえない。

「これ、ホントウに小便なのか? 尿の色が薄すぎるような気がするんだが」

――たくさんウイスキーを飲んで、トイレに行きまくってたんで、尿素が全部出てしまったんでしょう、と小学生のように元気よく答えた。

「この運転免許証は本物か? 氏名欄が英語で書かれているのはなぜか?」

――タイの公文書は外国人の氏名を英語に書くことになってるそうです、と小学生のように元気よく答えた。そんな規則が明文化されているかはともかく、さしあたって現場の警察官を納得させるには十分だった。

検査結果は、もちろん「シロ」だった(文末にある「続きを読む」をクリックすると、容器、内容物、試験紙等の検尿キットをご覧いただけます)。

しかし、立入検査は突如中止され、警察官は店のスタッフに見送られて引き揚げていった(なにかあったんだろうか?)。

「手柄をあげるなら、麻薬をやってる客が多いパブを狙うのがもっとも確実だからね」

大富豪のフイちゃん(仮名)は、ギリギリのところで難を逃れた。外に出てくると、ろれつが回らないながらも、そう説明してくれた。

「ところで、アレ、どこに捨てたのよ?」

フイは、間抜けなノックちゃん(仮名)から、あまりにも露骨すぎる質問を投げかけられ、眉間にシワを寄せながらしぶしぶ店の方を指さした。

――こんな腐ったヤツらが来るパーティーに俺を誘うな、と別の友人に告げて帰路についた。麻薬なんてルーザーのやることだ。

午前4時20分、地下鉄パホンヨーティン駅前のモーチット・バスターミナルに到着。昼すぎに起きて、Central(セントラル) 百貨店プララームサーム(ラマ3世通り)店の中華料理屋「上海小龍包」で友人と昼食をとり、フェイシャルエステを受けた。夜、マヨム通り(トローク・マヨム)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) deep(ディープ) へ友人たち6人と出かけた。

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2006年1月3日(火)

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とだらだら過ごしてから、スィーロム(シーロム)6にある中華料理店「上海小龍包」で夕食をとった。

2006年1月4日(水)

「通り過ぎてしまったのもムリないわ。このアパートは、これまでソーイ(小街路, ソーイ)の一番奥にあったけど、その奥にできた2棟のおかげで、今や何の特徴もなくなっちゃったからね。将来的には、この通りを大学前(ラームカムヘーング(ラムカムヘン)24)まで延ばす計画もあるそうよ。ここにはいろんな人が住んでるけど、ウチの大学の学生が一番多いんじゃないかしら。なんと言っても、大学の近所にあって家賃が安いのは魅力ね。月々たったの4,500バーツ!! それに、バーングナー(バンナー)校舎で授業がある日も、フワマーク校舎から学バス(35バーツ)に乗れば30分で行けるし。オトコと同棲するのは世間体が悪いからイヤだけど、ひとりでいるのも退屈だから誰かと部屋をシェアしようかしら」

午後11時45分、ラームカムヘーング(ラムカムヘン)24/2にある大規模な学生街で友人が言った。

バンコク都内にある私立大学の周辺には、ここのところ新築の(ホーパック, 安い民間アパートの総称)が次々と建設されている。この寮も、昨年の上半期に某私立大学から約500メートル離れたところに学生向けの格安アパートとして建てられたばかり。外観・内装ともに、日本人が東京近郊のワンルームマンションに求める水準をギリギリ満たしており、アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリーチャイサモンラプーム, 戦勝記念塔, ビクトリーモニュメント)付近にある貧困日本人が集住しているアパート群に比べると格段に良い。あの貧乏くさい、強制収容所のような絶望的な雰囲気をプンプンさせていないのがウレシイ。

バンコク在住の日本人は、地方出身の工場労働者や娼婦(売春婦)の生活水準を基準にして、バンコク人の標準を語ることがある。また、一部の貧困日本人のあいだには、バンコク人の標準を「ハイソ」と呼んで、例外的に扱おうとする嘆かわしい風潮もある。このような日本人は、タイ人大学生ですら「こんな部屋には住むのはちょっと・・・・・・」と躊躇するようなところに住んでいることが多い。貧しく生きる生活スタイルを否定するつもりはないが、自分の生活水準の低さを正当化するために、バンコク人の標準を不当に引き下げて語られては困る。

「いいわ。さっき食事代を出してもらったから、今度は私に出させてちょうだい」

午前零時半、高架電車 BTS エーガマイ(エカマイ)駅前にある珈琲屋「バーンライ」で友人と夜食をとった。24時間営業のこの店には、ほかの大学より半月近く遅れて中間テストの時期を迎えている某大学の学生たちが自習室代わり集まっていた。

ふたり分の珈琲とケーキで380バーツ。すべて友人のおごりだった。一部の日本人は、何から何まで日本人が負担しなければいけないと思い込んでいるようだが、相手がビジネスで恋愛サービスを提供している娼婦(売春婦)ならともかく、普通の友人同士であれば自分の費用は自分で負担する。前回おごってもらったら、次回はおごってあげるのが当然。

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でダラダラしてから、友人と夕食をとる予定だったが中止になった。そこで、2005年12月15日の学生寮街 その1で登場した友人と同レベルの私立大学英語学科に通う友人を訪ね、両校のカリキュラムを比較した。

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学生寮街 その1 (2005年12月15日)

2006年1月5日(木)

「ここで働いているコを持ち帰るのは、よほど『特別な能力』がないとムリなんじゃない?」

午後11時50分、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)13にあるキャバレー The Resort(ザ・リゾート) で、日本人社長の秘書が言った。きっと、日本人向けカラオケスナックや外国人向け Go Go Bar(ゴーゴーバー) との違いを明確にして、売買春を斡旋する店ではないことを強調したかったんだろう。

店の奥にはバンドが演奏するためのステージがあり、そこから客席に向かって円形のカウンターが突き出している。パット見では Go Go Bar(ゴーゴーバー) にも似ているが、双方には歴然とした違いがある。

Go Go Bar(ゴーゴーバー) で踊っているのは、見るからに教養がないと分かる地方出身の不細工な娼婦(売春婦)たち。ビキニ姿でステージに上がって、身体を気怠そうに左右に動かしている。毎月ペイバー(連れ出し)の回数がノルマとして課せられており、達成できないと減給され経済的にも厳しい状態に追い込まれる。

ところが、この店で踊っているのは、都会的な感覚を身に付け、容姿にも恵まれているダンサーたち。ダンス以外にも可愛らしさや華やかさが給料に反映されるため、さまざまな工夫が凝らされている。また、 Go Go Bar(ゴーゴーバー)娼婦(売春婦)のように身体を売っているわけではない。この種の店には、ダンサーとは別にホステスが多数在籍しているが、あくまでも客の話し相手としての位置づけにあり、性的なサービスがお望みなら他へ行ってやってくださいというスタンスをとっている。

このような形態をとる酒場は、アメリカ映画 Coyote Ugly(コヨーテアグリー) (2001年)の世界観がモデルになっており、タイ人からは「コヨーテ(コーヨーティー)」と呼ばれている。この作品では、ニュージャージーの田舎町で生まれ育った21歳のヴァイオレット・サンフォード(パイパー・ペラーボ演)が、ニューヨーク市内に実在するクラブ・バー Coyote Ugly(コヨーテアグリー) で身に付けた経験を生かして夢を実現させていく過程が描かれている。オトコたちは、女性バーテンダーたちの情熱的なダンスパフォーマンスに好奇心をかき立てられること疑いない。

ところがタイの「コヨーテ」は、アジア人男性の嗜好に合わせて、かなりローカナイズされている。作品中に登場するコヨーテの役割は、ダンサーとホステスに分担されており、自分についているホステスが目の前で別の客に抱きつくことはない(無節操なオンナは好みじゃないと言うが、そもそも夜のオンナに節操なんか求めてどうするんだ!?)。

コヨーテ型キャバレーの登場は、ヴァイオレットのサクセスストーリーを口実に、夜の街でいかがわしい仕事に従事する大学生の急増を招いた。そのせいで勉強時間が減って学力も低下し、 GPA Grade Point Average(平均評定) が2.00を下回って除籍させられてしまうケースが相次いでいる。職場の仲間を通じて徐々に覚醒剤や売春に対する抵抗感がなくなり、単なるヤク漬け娼婦(売春婦)に成り下がってしまうこともある。

「その場かぎりの小遣い稼ぎ。札束持って店を出て、翌朝目を覚ましたら全部忘れてしまえ」というような軽い気持ちで始めたアルバイトが、知らず知らずのうちに生活における重要な位置を占め、最終的には自分の人生をも変えてしまう。

恥ずべき性風俗に対する執着を「タイを愛するココロ」と主張する日本人も少なくないが、ヤツらはいったい何を考えているのか。タイ人の友人たちの名誉や誇りを守ろうと志している日本人にとっては迷惑以外の何者でもない。ビジネスとして恋愛サービスを提供している娼婦(売春婦)を世間一般のタイ人女性と同列に扱うな。こんなヤツがいると、僕たちまともな日本人まで変な目で見られてしまう。頼むからマジで止めてほしい。

コヨーテ型キャバレーが、そんな「タイを愛するココロ」を満たしてくれるかどうか分からないが、外国人向け性風俗との違いについては、冒頭にある動画を見れば誰でも簡単に理解できる。

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と作業してから、スクンウィット(スクンビット)49にある韓国料理店「桃梨園(ドリウォン)」で別の友人たち3人と夕食をとり、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー)13にあるキャバレー The Resort(ザ・リゾート) へ出かけた。僕はホステスを女性とみなしていないが、「ホステス拒否戦略」は強引なフロア責任者(ママサン)の策に破られた。無視するのも気の毒だから、適当にホステスをあしらいながら友人たちと酒を飲み続けた。

まあ、話のネタとしては行ってみて正解だったかも。

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娼婦の評価に例外はあるか その3 (2004年12月13日)
援助交際 (2005年6月1日)

2006年1月6日(金)

「国旗の降納をおこないます。みなさまご起立ください」

午後6時、高架電車 BTS エーガマイ駅(エカマイ駅)前にある珈琲屋「バーンライ」で音楽が突如中断され、客に起立を促す店員のアナウンスが流れた。オレンジ色のポロシャツを着ている店員10人が国旗掲揚台の前に一列に並び、ふたりが掲揚台のロープを握っていた。

なんと不思議な店か。国歌が聞こえたら起立しなければならない規則はあるが、公的な施設(庁舎・教育機関・鉄道駅・長距離バスターミナルなど)にいなければ強制されない。普通、演奏が聞こえにくい珈琲屋いれば起立しなくても良いが、この店では午前8時と午後6時にラジオの国歌放送を流し、客に起立を求め、国旗を掲揚している。

珈琲屋「バーンライ」の不思議は、それだけにとどまらない。国旗掲揚台の隣には、伝統仮面舞踊(多くの場合「ラーマギアン物語」が演じられる)の舞台があり、夜叉(ヤック)の仮面が展示されている。また、各所には「文化的な振る舞い」をするよう呼びかける掲示があり、特に椅子で寝そべったり、テーブルの上に座ったり、足を投げ出したりすることを固く禁じている。その背景には、経営理念でもある「理想の農民文化の実現」があるという。

富国強兵から国家総動員へという時代、大日本帝国政府は学校教育を通じて、人口の8割以上が農民だった日本人に「武士の魂」を植え付けるのに成功した。伝統文化とは、美点のみを強調し、同時代に存在した汚点は無視してバッサリ切り捨てる。、先祖代々継承されてきたものではなく、新たにでっち上げた「古き良き価値観」を人々に信仰させるためにある。日本でも茶の湯をはじめとする絢爛豪華な桃山文化が語られることはあっても、同時代に存在した上位武家社会における小姓との同性愛について語られることはない(ってゆうか、同性愛なんて想像するだけでもイヤだ)。

タイの歴史教科書には、ねつ造された文化や伝統が多数登場する。タイ文字の起源とされるラームカムヘーング王碑文(ラムカムヘン王碑文)ローイグラトング(ロイクラトン, ロイカトーン, 灯籠流し)の起源についても懐疑的な論文が多い。

そのため、珈琲屋「バーンライ」は、世間一般より厳しい「伝統的な行動規範」を客に要求している。それが功奏して、結果的に上品で居心地の良い文化を創り上げることに成功した。

珈琲屋「バーンライ」の1号店は1998年、サーイチョン・パヤオノーイがガソリンスタンド「ポートートー」にオープンした。このエーガマイ(エカマイ)店は、その後に作られた。理想の農村文化は、ラングスィット(ランシット)から60キロほど離れたサラブリー県ノーングセーング郡にあり、ここで収穫された米はバーンライ各店の料理に用いられている(でも、おかずのほとんどを冷凍食品に頼っているため、美味しいのはご飯だけ)。

グルングテープ大学(バンコク大学)グルワイナームタイ校舎の最寄り駅にある。しかも今はちょうどアサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)の中間試験間近のため、さまざまな大学に通う学生たちが集まって自習をしている。

高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前にある日本料理屋「大戸屋サヤームパラゴン店(サイアムパラゴン店)」で友人と昼食をとり、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の試験前自習室となっている珈琲屋へと行き、その後グルングテープ大学(バンコク大学)アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)の試験前自習室となっている珈琲屋へ出かけた。

2006年1月7日(土)

「はじめてタイを旅行しましたが、もう二度と来ません。いろんなところに連れていってもらいましたが、ぜんぜん楽しくありませんでした。ぶっちゃけ、あれのどこがいいんです? Go Go Bar(ゴーゴーバー) とか、もう本当に終わってましたよ。この数日間ずっと疑問に思ってきたんですが、日本人観光客って大半が買春目的じゃないんっすか? 買春とかに興味がないと、ホントつまんないです」

午後7時半、スィーロム(シーロム)6にある日本料理店「伯楽」で、今年最初の焼酎を日本人7人で楽しんでいた。そこで、ある日本人観光客は、きょうまでに溜まり溜まった鬱憤を一気に発散させた。

――まあ、どんなレジャー施設も好き嫌いは分かれますから。それにですね、あんな贋物ワールドにハマっちゃう人の方がオカシイんですよ。

外国人向け Go Go Bar(ゴーゴーバー) や日本人向けカラオケスナックのレベルの低さには、本当に目を覆いたくなる。そもそも、タイの娼婦(売春婦)は、タイ人男性が「いらない」と言うほどレベルが低いし、それが外国人向けの娼婦(売春婦)となると、もう本当にヤバすぎる。どうやったら、あそこまでヒドいのを揃えられるんだろうか。

ここバンコクで商売するなら、タイ人客をターゲットにしたビジネスモデルの方が儲かる。タイに駐在しているサラリーマンより、現地の事業主の方が遙かにカネを持っている。カネ払いも、タイに来て節約旅行をしている外国人観光客より、現地でクルマに乗っている都市部の中間層の方がよい。だから、比較的競争力のある娼婦(売春婦)はタイ人向けの店へと流れ、そこで職にあぶれたヘボい娼婦(売春婦)ばかりが日本人向けスナックや外国人向け Go Go Bar(ゴーゴーバー) に集中する。

しかし、性風俗施設に長時間入り浸っていたら、売買春に興味のない正常な人間なら誰だってウンザリする。しかも、それがヒドいのばかりとあっては日本に帰りたくなるのもムリはない。ハッキリ言って、あんなのに価値を見出す方がどうかしている。

また、ヘンタイ的な嗜好を持っている一部の日本人は、バンコク最大の魅力として性風俗施設をあげる。だが、あんな狭い贋物レジャーランド「ロッチワールド*1」だけを見てバンコク全体を語ってしまうのは、あまりにもオカシイ。しかも、バンコク在住の一部の日本人男性は、「過去に何人の女性と性的な関係を持ったか」を互いに競い、自慢し合っている。それが思春期の若者なら理解できるが、いい歳をしたオトナがそんな数字を増やすことに自分のアイデンティティーを求めているようでは、ちょっとマズいんじゃないか?

その大半は、夜の娯楽施設(Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋), Go Go Bar(ゴーゴーバー), カラオケスナック, マッサージパーラー(ソープランド) etc )で戦果を挙げているようだが、実際にゲットしたものの裏面を見たことあるだろうか。そのキラキラ光るビックリマンシール*2は、「ロッテ」のホンモノではなく、裏に「ロッチ」と書かれているニセモノかもしれない。幸運にもホンモノを手に入れても、それは「天使」じゃなくて「悪魔」かもしれない。いずれにしても、せめて一枚くらいはちゃんとした本物のシールをゲットして、その裏面に書かれている解説をじっくり読んでみてはどうだろうか。

・・・・・・とはいっても、ある偉い学者さんによると、タイ語がまともに読めなくてもタイ関連の素晴らしい論文が書けるというのだから、世の中なにが正しいのか、なにが本物かなんて分かったもんじゃない。先行研究を参照できなくて、どうやって論文を書くのか。まさか参考文献ゼロの論文を学会で発表するつもりとか? (英語論文の最後のページにある参考文献欄からタイ語の文献の名前をコピペするのだけは絶対にやめてほしい)。ま、解説文が読めないのは仕方ないとしても、せめて「テ」と「チ」の違いを判読できる程度の能力はあると信じたい。

それ以前の問題として、大人になってもまだビックリマンシール収集を趣味にしているという時点で、すでにかなりキテるけど。

ロッチのビックリマンシールを集めることに意義を見出す日本人が集まるロッチワールド。ファンタジーで溢れかえるこの贋物ワールドを、ひとりの日本人観光客は敢然と拒否した。

でも、バンコクのホントウの醍醐味はロッチワールドの外にあるんだけどなあ。モッタイナイ。

夜、スィーロム(シーロム)6にある日本料理屋「伯楽」で日本人8人で日本産焼酎を堪能し、タニヤ通りにあるカラオケスナック Dunhill(ダンヒル) でタイ語曲を熱唱した。その後、タニヤ通りにある屋台で友人と酒を飲んでいたところ、スィーロム通り(シーロム通り)にあるパブで踊っている友人から電話があり、ふたたび合流して午前5時まで飲み続けた。

*1 ロッテワールド(Lotte World, 롯데월드)は大韓民国ソウル特別市蠶室、並びに釜山広域市にあるテーマパーク。経営はロッテ。室内娯楽施設としては世界最大級。(wikipediaから引用
*2 ビックリマンは、ロッテによって発売された一連のお菓子、それにオマケとして封入されたシールシリーズ、およびそれをもとに作られた作品。(wikipediaから引用
*3 ロッテから発売されていた、1980年代にヒットした食玩である「ビックリマンシール」をまねてコスモスが作った玩具のブランド。(wikipediaから引用

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2006年1月8日(日)

風邪のため、一日中自室でぶっ倒れていた。夜、友人が見舞いに来て「豚肉のバジル炒めご飯(カーオガパオムーサップ)」を差し入れてくれた。寝室で入社前研修の資料を読んでいたところ、別の友人に誘われて高架電車 BTS エーガマイ駅(エカマイ駅)前にある民族主義的珈琲屋「バーンライ」へ出かけた。朝6時半に珈琲屋を出たが、渋滞にハマり、北東約5キロの地点にあるスクンウィット(スクンビット)13まで1時間半もかかった。通勤ラッシュと通学送迎ラッシュが重なるこの時間帯、スクンウィット通り(スクンビット通り)は想像以上に渋滞していた。

2006年1月9日(月)

昼前に起きて、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋に行った。帰宅後、部屋でダラダラと過ごした。

2006年1月10日(火)

「本当にすごい人気ね。ほかの店はガラガラなのに、この店の前には行列ができてる。あ、あそこに座っている人、見たことあるでしょう? 『ナーングバープ』(7チャンネルの主力ドラマシリーズ, 月火・午後8時20分~午後10時)で奴隷の妹の方(ヤート)を演じてる役者、エ=イッサリヤー・サーイサナンじゃない! エセ日本料理屋の Fuji(富士) よりちょっとだけ高いけど、これほど本格的な日本料理がこんな手頃な値段で食べられるようなって、日本人としては幸せでしょう?」

午後8時半、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前のサヤームパラゴン(サイアムパラゴン)で、周囲を見渡しながら友人が言った。

日本全国に165の店舗を展開している定食屋「大戸屋」は、ここバンコクでは「ハイソっぽい日本料理屋」として脚光を浴びている。そもそもの火付け役は、トーングロー(トンロー)15にあるオシャレなショッピングモール J-Avenue(ジェーアヴェニュー) に出入りしている本物志向の上流バンコク人たちだったが、口コミで「 Fuji(富士, フージ)Zen(禅, セン) 並のお手頃価格で本格日本料理が楽しめるオシャレスポット」としての評判がバンコク人のあいだに広がり、ついに高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前にバンコク2号店を出店。現在、エーガマイ通り(エカマイ通り)にある大型スーパー Big-C(ビッグシー) や高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)前にも出店を計画しているという。

日本料理屋「大戸屋」がバンコクで成功した要因は、バンコクの中間層のあいだで流行している健康志向と本物志向のニーズにタイムリーに応えたことにある。

近年、中流以上のバンコク人は、バブル景気の追い風に乗って所得が飛躍的に豊かになり、健康に対する関心も高まってきている。さらに、 Oishi や Unif などの飲料メーカーがテレビ CM を利用して緑茶が健康に良いと宣伝したため、日本料理のポジティブなイメージが定着した。現在、 Seven Eleven(セブンイレブン) では7種類の砂糖漬け緑茶が売られている。ところが、バンコク人はそれぞれ趣の異なる何種類もの「緑茶」に混乱させられた。もう、何がホンモノで、どこが健康的なのか訳が分からなくなってしまった。そこに登場したのが日本発のホンモノ志向の定食屋「大戸屋」だった。

大戸屋は、それまでの日本料理屋が全面に押し出していた「わざとらしい日本っぽさ」を完全に排除して、オシャレで都会的な日本のイメージを演出することで、健康を追求している本物志向のバンコク人のハートを射止めた。

しかし、大戸屋2号店が出店する直前、元祖である1号店の味が悪くなったのは記憶に新しい。ヘラでペッタンペッタンにされて出てきたライスには、心底ウンザリさせられた。もし、大戸屋のタイ法人が現地従業員の教育ノウハウを確立できれば、バンコク都内に20前後の店舗を展開するメジャーな外食チェーンの仲間入りを果たすかもしれない。

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちと過ごしてから、サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)で夕食をとった。

2006年1月11日(水)

「タイ人のオトコは、娼婦(売春婦)を恋愛の対象から外してるけど、喫煙習慣のある女性も同じくらい忌避されているの、知ってるでしょう? そんなヘボいのと同一視されてはかなわないから、タバコに手を出すわけにはいかないのよ」

午後11時30分、ナラーティワートラーチャナカリン(ナラティワートラチャナカリン, ナラティワット)15にあるパブ 15 th Street で、トイレに行こうとしたところ女性客のタバコが友人の手のひらに当たったせいで不機嫌になっていた。

喫煙女性については、もう少し婉曲的な表現だったが、ほかの友人からも同じような話を聞いたことがある。自分の友人にタバコを吸っている女性はほとんどいない。

昼すぎ、バーングスー区役所(バンスー区役所)へ友人と出かけてから、アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット)21にある歯医者で歯石除去(500バーツ)と虫歯治療(400バーツ)を受けた。夜、パブ 15 th Street で友人と夕食をとった。

2006年1月12日(木)

「わたしの友達には、日本人の彼氏と付き合ってる人なんていくらでもいるわよ。みんなレストランとかで知り合ったみたい。あなたも学生ってことは、彼らと同じようにビザのために学校に通ってるクチでしょう? そういえば、日本人ってそろいもそろって英語下手よね? どうせあなたもムリでしょうけど、せっかく外国人同士なんだし英語で話しましょうよ」

午前2時半、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室のベッドに寝ころんで、タイ人から紹介されたばかりのプレーオ(21, 仮名)と電話で話していた。そのとき、血液がものすごいスピードで頭のてっぺんに上がっていき、受話器を握っている右手がワナワナと震えている。

ホステスとして働くために酒田短期大学(閉校)に在学していたような一部の中国人女性留学生たちと同一視されては、まったく憤懣やるかたない。

カジュアルな場面で自己紹介するときは普通、「プラナコーン・ラーチャモンコンの3年で英語を勉強してます」くらいの砕けた表現を使うが、プレーオは「わたしはプラナコーン・ラーチャモンコン工科大学(ラチャモンコン大学, ラチャマンガラ大学)パニッチャヤゴーンプラナコーン校英語学科の3年生です」と言った。しかし、このような傾向は、プレーオに限らずラーチャパット(ラチャパット)系とラーチャモンコン(ラチャモンコン, ラチャマンガラ)系の国立大学にかよう学生に共通してみられる、目的は「大学」という単語を使うため。

ラーチャモンコン工科大学(ラチャモンコン大学, ラチャマンガラ大学)は昨年、高等専門学校的な位置づけにある高等教育機関(準学士(ポーウォーソー)の学位を発行)から、総合大学に昇格したばかり。もちろん、両校に通う学生のプライドは極端に高い。実際には、入学難易度、カリキュラム難易度、教育機関としてのイメージ、どれをとっても中堅以上の私立大学に劣るが、そのクセ国立大学の学生であるという自負心があまりにも強烈すぎる。

ラーチャモンコン工科大学(ラチャモンコン大学, ラチャマンガラ大学)のモデル授業料は、半年で6,610-9,110バーツと、(公開大学であるラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学), スコータイタンマティラート大学をのぞく)どの大学と比較しても安い(ラーチャパット大学(ラチャパット大学)12,025-12,750バーツ, 一般の国立大学11,150バーツ, 私立大学18,500~46,000バーツ)。このような事情から、経済的な問題を抱えている学生が多く、アルバイトに精を出す学生も少なくない。

正直、外国人の知り合いが多いタイ人はあまり好きになれない。もちろん良い学生もたくさんいるが、それよりも前に外国人と知り合った経緯が気になってしまう(そういった理由から、僕には日本語の語彙が5語以上ある友人はほとんどいない)。そもそも、ふつうのレストランで働いているのに、どうして外国人と知り合う機会があるんだ!? あまりにも不自然すぎる。

――キミは英語を専攻していて、英語ができるようなつもりになってるみたいだけど、俺だっていちおう大学院に入れるだけの英語力くらいはあるし、それはキミの大学の英語専攻のレベルより遙かにマシなはずだ。そもそも、なんで俺が、ビザのために学生してるようなキミのヘボいお友達と比較されなきゃいけないんだ。フザケンナ!

・・・・・という言葉が喉の先まで上がってきていたが、電話口で怒鳴ってもオトコが廃るだけで、まるでいいことがない。自分がいまどこで何をしているか言えば、効果覿面、一気に優位に立てるが、世間で言われているような「ヂュラー生(チュラ大生)」の悪いクセを真似る必要もない、と思ってグッと飲み込んだ。

――いや、英語で話す必要はないさ。なぜなら、キミと話すことなんか、もう何もないからだ。そろそろ受話器を戻しても良いかな?

ちょっと気を抜いたら、すぐにでも大きくなってしまいそうな声を必死で抑えながら言うと、相手からの応答も待たずに終話ボタンを押した。

そういえば先日、日本人の友人がこんなことを話していた。

「タニヤ通りで、同じ大学で日本語を専攻している学生と父の知り合いの3人でお茶してたときに、あろうことかそのオッサン『可愛いねえ、キミはどの店で働いているの?』なんて聞いてんのよ!? まったく、どういう神経してるのかしら。彼女、そのオッサンが立ち去ったあとに、涙ぐみながら『こんな屈辱は生まれて初めて。絶対にあり得ないこと』と悔しがっていたわ。あまりにも可哀想だった」

タイ人というだけで娼婦(売春婦)と同一視されてしまうタイ人女子大生、日本人というだけで棄民と同一視されてしまう日本人留学生。お互い様と言ってしまえばそれまでだが、どうも釈然としない。

でも、冷静になって考えてみれば、この日本人のオッサンは「タイ人は全員カネで買える」と本気で思い込んでいるかもしれないし、プレーオも「日本人はみんな頭ワルイ」と本気で思い込んでいるのかもしれない。

特に、娼婦(売春婦)としか交流のない一部の日本人は、能力的格差が著しいタイにおいてもっともヘボい階層だけを見て、タイに来れば自分は能力的にも経済的にも神になれると錯覚してしまう。しかし、もし仮にそんな妄想が真実であれば、バンコクの中間層もビックリするような貧民窟アパートに住んでいる日本人はひとりもいないはず。

タイは極端な階級社会。(タイ人でも日本人でも)階層ごとに異なるコミュニティーを形成しているため、交友関係が極度に低レベルなひとに限られていると、物事の全体像を正しく把握できなくなる。

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で入社前研修の e-Learning をしてから、タニヤ通りにある日本料理屋「味里」で友人と夕食をとり、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」で別の友人と飲んだ。

*1 プラナコーン・ラーチャモンコン工科大学は、2548(西暦2005)年1月18日布告のラーチャモンコン工科大学設置法に基づいて総合大学(マハーウィッタヤーライ級)へと昇格したばかり国立大学で、2年前までは「ラーチャモンコン工科学校」(サターバン級)と呼ばれていた。同法施行に伴い、それまで40近くあった分校舎は9つのラーチャモンコン工科大学と38の校舎に再編された。それぞれの内訳は次の通り。①タンヤブリー・ラーチャモンコン工科大学(別名クローングホック・2校舎)、②グルングテープ(バンコク)・ラーチャモンコン工科大学(3校舎)、③タワンオーク(東部)・ラーチャモンコン工科大学(5校舎)、④プラナコーン・ラーチャモンコン工科大学(5校舎)、⑤ラッタナゴースィン・ラーチャモンコン工科大学(4校舎)、⑥ラーンナー・ラーチャモンコン工科大学(7校舎)、⑦スィーウィチャイ・ラーチャモンコン工科大学(4校舎)、⑧スワンナプーム・ラーチャモンコン工科大学(4校舎)、⑨イーサーン・ラーチャモンコン工科大学(4校舎)。
*2 カリキュラムの難易度は、2年次に習う「音声学」のテスト前に、英語の発音記号のとなりにタイ文字で読み方が書かれている紙を眺めるようなレベル。
*3 タイの学費は理系学部に高い傾向がある。また、私学で唯一の医学部を擁するラングスィット大学の医学部学費は日本大学医学部の学費に匹敵する。なお、国からの補助金が大幅に削減され、独立採算モデルの確立に迫られている国立大学の学費は段階的ではあるが、年々著しく高騰している。
*4 本来、都市部のラーチャモンコン工科大学に入学して授業について行ける程度の能力があれば、下位以上の私立大学でもなんとかやっていける。私立グルングテープ大学(バンコク大学)工学部卒の友人の話によれば、「商業高専よりもちょっとだけマシなレベルでしょう? 全く比較の対象にもならない」とのこと。

2006年1月13日(金)

「ひとつ12バーツだよ!」

午後8時半、バンコクの中華街ヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラー通り)にある中華料理店「和成豊魚翅」で友人と夕食をとったが、飲茶の品揃えが期待していたより少なく、食後の物足りなさを感じていた。そこで、一軒の中華まん屋台に目が留まった。

一目で華人ではないと分かる色黒の中年男性に代金を支払って、ホクホクの中華まんを受け取った。さっそく、裏に貼られている紙をペリっと剥がして、ハムっとひとくちくわえてみる。

う――ま――い――!!

日本だったら400円出しても買えないような極上中華まんを、たった12バーツ(約35円)で味わえるとはスゴすぎる!! さすが、中華街ヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)。生半可な味では生き残れないというウワサはウソじゃないかも!

日本のセブンイレブンじゃ絶対に売ってない「究極の肉まん」をくわえながら、ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)を友人と歩き、タクシーでスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと向かった。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で、新入社員研修会の前に読んでおくように言われている資料に目を通した。中華街ヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)で夕食をとってから、ふたたび珈琲屋に戻って作業の続きをした。せっかくのフライデーナイトなのに、一日のすべてを珈琲屋で過ごしてしまった。こんなことなら、エーガマイ通り(エカマイ通り)パブ「ナングレン」へ友人と行っておけば良かった。

2006年1月14日(土)

「わたしたちのグループは今晩、 Slim(スリム) へ行く予定になってるんだけど、もうムリってカンジなのよね。前回なんて、オッサンと連れ出しバーの店員の巣窟と化してたし。さっきの Inch(インチ) は、初期の Slim(スリム) みたいでまあまあ良かったけど、女の子のレベルがちょっとヤバすぎ。ってゆうか、わたしたちが一番可愛いようじゃ問題アリよね」

午後9時半、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)にあるパブ Inch(インチ) に落第点を下して、すぐ隣にある不思議なパブ「ヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)」へと向かった。

パブ「ヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)」は、ひときわ独特なオーラを放っている。中国語の看板が店内の至る所に掲げられており、ステージの左右には漢字が書かれている赤い掛け軸もある。バンコクのパブといえば普通、最先端の西洋文化を象徴するかのような作りをしているが、これではまるで植民地時代の上海租界地のよう。入口の近くには、その場で選んで購入できる飲茶売場もある。

個人的には、タイポップスの生演奏まで聴きながら、広々とした席で飲み食いできて気に入った。しかし、雰囲気と客層で店を選ぶバンコク人にとって、この店は食べ物を重視しすぎておりオヤジっぽすぎるかも。タイでは忘れた頃にチャイナブームが巻き起こるが、この店はその流行を作り上げるのに失敗した。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)で友人たちと作業をした。その後、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅) 前の サヤームパラゴーン(サイアムパラゴン)で別の友人たちと創作イタリア料理を食べてから、パブ Pump Up!(パムアップ) 裏に新設された Inch(インチ)ヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)を見て回った。

2006年1月15日(日)

「わたしには都心のパブの方が合ってるわ。ライブは昨日のヤオワラート(ヤワラート, ヤワラー)よりマシだけど、なんかこう・・・・・・何から何までダサいのよね。郊外のパブなんて全部切り捨てて、これからは都心のパブを中心に回りましょうよ」

午前零時10分、ガセートナワミン通り(ガセートナワミン通り)にあるパブ「グラチュート」で、見るからにイケてないバンドの演奏を聴きながら、友人はウンザリした表情で言った。

僕たち「パブ探検隊」は、都内ブングム区に最前衛のパブがあると聞きつけ、自宅から北東に11.5キロのところにあるパブ「グラチュート」へと出かけた。メンバーは、銀行員OL(月給約80,000バーツ)、皮膚科女医(半日勤務月給約40,000バーツ)、日本人留学生(月間予算63,000バーツ)の「バンコク中間層の中の上」3人組。閉塞感漂うバンコクのナイトライフを少しでも楽しくするために、これまで足を踏み入れたことのないパブを探して、ライブを聴きながら優雅にウイスキーグラスを傾けるのを活動の目的としている。会員制で部外者の合流は歓迎しない。

今回の情報源となった日刊紙のウェブサイト Manager Online(マネージャーオンライン) によると、パブ「グラチュート」は昨年2月にオープンし、若者たちのあいだで人気のインディーズ系に強いという。全400席で最大900人まで収容できる。300台収容の駐車場はバンコク都内のパブでも屈指の規模。ところが、店の客層と雰囲気を第一に考える友人たちはすぐに落第点を下した。全然インディーズ系じゃなかったし、若者もいなかった。マスコミの店舗紹介なんて、いつもウソばっか。結局まんまと騙された。

朝、チョンブリー県にあるバーングセーン(バンセーン, バンセン)海岸で友人たち10人とちょっとしたリゾート気分を味わってから、海鮮料理店「ワングムック」で夕食をとり、大急ぎでバンコクへと戻った。その後、ガセートナワミン通り(ガセートナワミン通り)にあるパブ「グラチュート」へ別の友人たちと出かけた。

2006年1月16日(月)

特に何もない一日。アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット21)にある美容室でストレートパーマ(1,200バーツ)をかけてから、ンガームウォングワーン通り(ンガムウォンワン通り)にある食堂「デブやせ粥(カーオトムウワンポーム)」で友人と夕食をとった。

2006年1月17日(火)

「ふっふっふ。これをゲットしようと、年が明けるのをずっと首を長くして待ってたのよ。 IC チップ搭載の新型国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)のためなら、これまでお世話になってきた旧式国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)にも消えてもらいます。まだ有効期限が3年も残ってるけど、欲しいんだからしょうがないじゃん。それに顔写真も気に入らなかったから、ちょうどいいわ。ほら、目が上の方を向いてて、ちょっとオカシイでしょう?」

午前11時半、高架電車 BTS パヤータイ駅(パヤタイ駅)前にあるラーチャテーウィー区役所(ラチャテウィー区役所)で、友人は満面の笑みを浮かべて One Stop Service(ワンストップサービス) と書いてある扉を開いた。

「午前中の受付は終了いたしました。午後の部にも34人の予約が入っております。けっこう待つと思いますが、とりあえず予約を入れておきますか?」

いかにも公務員になりたてといった雰囲気の男性職員が、とても丁寧な口調で友人に言った。やむなく、高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(アヌサワリー駅, 戦勝記念塔駅, ビクトリーモニュメント駅)前に新しくできた複合商業施設 Century(センチュリー) にある鶏料理チェーン店 Chester’s Grill(チェスターズグリル) で昼食をとって、午後の業務開始を待った。

「公務員の勤務態度、この数年でかなり変わったと思わない? 昔はみんなブスッとしてたのに、今じゃサービス業の接客員みたくなってるもんね。仕事が遅いのは相変わらずだけど」

行政サービスの腐敗と非効率に世論の関心が集まり、タイ首相タクスィン・チンナワット警察中佐は2546年末、大規模なリストラや恩給の廃止などの公務員制度改革を次々と打ち出した。さすがにこれには多くの公務員から抗議の声が上がって骨抜きにされたが、それでも「現場の意識をドラスティックに変える」という別の目的はなんとか果たされた。

午後1時15分、ふたたびラーチャテーウィー区役所(ラチャテウィー区役所)One Stop Service(ワンストップサービス) オフィスに戻り、番号札を受け取って椅子に座った。午後1時40分、最初のカウンターで、15歳のおかっぱ頭の頃から数年前に撮影されたすべての顔写真を、本人確認のために照合した。午後2時10分、顔写真の撮影を待つ人の列に加わるように指示された。午後3時、ようやく指紋の採取と顔写真の撮影の順番が回ってきた。国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)が発行されたのは午後3時20分過ぎだった。

新型国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)では、旧式国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)にあった宗教欄と血液型欄が削除され、代わって各項目に英語が併記されるようになった。 IC チップには、▽宗教▽血液型▽指紋形状(両手親指・右手人差し指)▽最終学歴(教育機関名と学年)▽職業(会社名と職位)▽家族構成(親兄弟の氏名と国籍)などの個人情報が登録されている。将来的には、公的保険(プラガンサンコム)や30バーツ医療制度のカードも、この新型国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)に一本化される。

昼前、ラーチャテーウィー区役所(ラチャテウィー区役所)で友人の国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, パットプラチャーチョン)が発行されれるまでの流れを見学してから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で別の友人と調べ物をした。夜、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」でさらに別の友人と飲んだ。

今日はとても良いことがあった。午前11時頃、規定の成績以上で修了必要単位数に達したという電話が、大学院の研究室からあった。山あり谷ありだったタイ留学生活も残り僅か。担当職員によると、来月あと1回だけ研究室に顔を出せば修了が確定するという。

<関連記事>
国民IDカード (2003年12月14日)

2006年1月18日(水)

「ウッソー!? 郡役場に結婚届を出さないのに、なんでわざわざ結婚式なんか挙げたのよ? もしかして・・・・・・国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, バットプラチャーチョン)の氏名欄が『ナーングサーオ(ナンサオ)(Miss)』から『ナーング(ナーン)(Mrs.)』に変わるのがイヤだとか、そんな理由じゃないわよねえ?」

午後9時、ウィッタユ通り(ワイヤレス通り)を走るタクシーのなかで、友人は電話口の友人と冗談交じりに楽しそうに話していた。

日本では「結婚式→婚姻届」のプロセスが一般的だが、バンコクの中間層は婚姻届を提出しないことがある。その背景には、①本気で愛し合ってるから同棲してきた→②同棲は結婚してるのと同じ→③結婚を証明する必要がない→④入籍する必要もない、という結婚に対するタイ人独自の価値観がある。友人によると、ほかにも経済的な理由があるという。

「法的な手続き、たとえば銀行融資の審査や小学校の入学手続以外に、未婚既婚の区別は日常生活に直接的な影響がないから、出産まで婚姻届を出さないっていう選択肢もアリかもね。銀行融資の審査には、配偶者の借入履歴が影響してくるから、いろいろと面倒が増えるし、万一、破産したときに、結婚してたら夫婦もろともブラックリスト入りして首がまわらなくなるけど、未婚のままなら配偶者の名前で融資を受けて家庭を立て直すこともできる。金融面を重視すれば、籍を入れないままにしておいた方が有利・・・・・・でも、自分がそうするのはあまり気がすすまないけどね」

タイは女性の社会進出がかなり進んでおり、男女の所得格差もほとんどない(2005年7月28日付日記参照)。しかも、タイの所得税率は日本より低い。

タイの所得税(ภาษีเงินได้สำหรับบุคคลธรรมดา)は日本と同じ累進課税。▽年収100,000(月平均8,333)バーツ未満=5%▽100,000~499,999(同8,333~41,666)バーツ=10%▽500,000~999,999(同41,666~83,333)バーツ=20%▽1,000,000~3,999,999(同83,000~333,333)バーツ=30%▽4,000,000(同333,333)バーツ以上=37%(ちなみに日本は▽330万円以下=10%▽330万円超900万円以下=20%▽900万円超1,800万円以下=30%▽1,800万円超=37%, ただし負担軽減措置法により最大249万円控除される)。仮に日本人の大卒平均年収が300万円超900万円以下、タイ人の大卒平均年収が10万バーツ超40万バーツ未満だったら、タイの所得税率(10%)は日本(20%)の半分という計算になる。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と作業をしてから、スィーロム(シーロム)6にある中華料理屋「上海小龍包」で別の友人と夕食をとった。

<注釈>
1. タイは極端な階級社会。教育的バックグラウンド、経済力、生活スタイルなどにかなりの個人差がある。だから、タイ人の価値観について論じるときには、「どの階層の価値観か」を明確にしなければならない。ちなみに、日本人によって語られる「タイ人の価値観」は、多くの場合、娼婦(売春婦)の生活スタイルや価値観のみに限定されている。

2006年1月19日(木)

「持ち家の購入は、タイ人の一生のなかでとても重要なイベントよ。たとえ郊外にあっても、持ち家に住む喜びは、都心のどんなコンドミニアム(分譲マンション)にも勝るわ」

午後5時半、タイ国道305号ラングスィット(ランシット)ナコーンナーヨック(ナコンナーヨック)線沿いのムーバーン(都市型集落)にある友人宅で、友人が小声で言った。

バブル景気の追い風に乗って、首都圏ではコンドミニアム(分譲マンション)の建設やムーバーン(都市型集落)の開発ラッシュが続いている。このムーバーン(都市型集落)は、アソーク交差点から北北東に25キロも離れているパトゥムターニー(パトゥムタニ)クローングスィー(クロンシー)にあるが全戸(約200世帯)売約済み。まだ半数以上が未完成のままで、仕事を終えて家路を急ぐ建設作業員たちがムーバーン(都市型集落)の入口へと向かって歩いていた。

「でも、ここはちょっと田舎すぎるけどね」

その横から、ウォングウィアンユィースィップソーングガラッカダー(7月22日ロータリー)付近(都心)に住んでいる別の友人がツッコミを入れた。家主はそれに軽いノリで反論した。

「いやいやいやー、それは間違ってるね。この一帯は、タイ語で『郊外』って言うんだよ。キミはそんなことも知らないのかい?」

この友人の新居は、敷地面積72平方メートル(約22坪)のバーンフェート(1棟2世帯のタウンハウス)。間口の幅は6メートルで、標準的なバーンフェート(1棟2世帯のタウンハウス)より2メートルも広い。間取りは3LDKで、1階にリビング、ダイニングキッチン、シャワー室兼トイレ、2階に寝室3部屋、トイレ、シャワー室兼トイレがある。玄関口にある可愛らしい花壇は、自分で選んできた花を園芸業者に植えさせたもの。分譲価格は1,460,000バーツで、ほかに内装費や家具などおよそ400,000バーツかかっているという。日本だと25,600,000円くらいの物件(千葉県流山市の場合)。坪単価(≒1.21ワー)は、タイ国道305号ラングスィット・ナコーンナーヨック線(ランシット・ナコンナーヨック線)沿いのクローングスィー(クロンシー)付近で8,500バーツ、千葉県流山市向小金2丁目付近で107,000円と、日本のおよそ4分の1。

この一帯には、まだまだ空き地も目立つが、見栄えが良い警備員つきのムーバーン(都市型集落)が次々と造成されている。バンコクのベッドタウンは、県境を越えて近隣県にも拡大している。あと15年もすれば、都心とベッドタウンを結ぶ近郊通勤電車が走るかもしれない。

――近い将来、「昔この辺には10m幅の私道を作れるほど土地が余ってたんだよ」と、自分の子供たちに語って聞かせられる日がおとずれるかもよ。

遅れて到着した別の友人が彼氏に「わたしもこんな家に住みたい」と言ったところ、帰り道で大喧嘩になったという。

夕方、クローングソーング(クロンソン)の分譲住宅地にある、友人が PS2 をやりながら気楽に土地を売っているオフィスに寄ってから、クローングスィー(クロンシー)ムーバーン(都市型集落)にある友人宅へと向かった。クローングソーング(クロンソン)にあるドイツ風料理屋 Country Place(カントリープレイス) で友人たち6人と夕食をとり、友人宅に戻ってビールを飲みながらカラオケを楽しんだ。 DVD 1枚に100以上のカラオケが収録されている Unseen Group の Best of the Year シリーズがあれば、7時間は連続して熱唱できる。

午後零時すぎ、酔いを覚まに外に出て、タバコを吸いながら星空を見上げた。将来、あの頃が人生で一番楽しかった、と振り返る日がやってくるかもしれない。

2006年1月20日(金)

「俺が通ってる語学学校には、毎日ノンエアコンバス(赤バス, 普通バス)(全区間7バーツ)で通ってる日本人高齢者がけっこういるんだよね。将来を見据えて計画的に金を使っている、と最初は感心してたけど、よくよく話を聞いてみると、どうもオンナを囲ってるみたいなんだ」

午後1時半、タニヤ通りの薄暗い狭い路地にある屋台で、年上の日本人と氷入りハイネケンビールを飲んでいた。周囲には最新のタイポップスが鳴り響き、カラオケスナックの閉店(法定閉店時刻午前1時)とともに仕事上がりの娼婦(売春婦)たちが大挙押し寄せてきた。

そのなかには「ねじりタオルはちまき」をして娼婦(売春婦)を連れている日本人中年の姿もあった。自分の職業に誇りを持つのは素晴らしいことだが、場所柄をわきまえた身なりをしなければならない。バンコクでそんな格好をしていると、「お国はどちらですか? イーサーン(タイ東北部, イサーン地方)ですか? ラオスですか? それともミャンマーですか?」と聞かれかねない。僕の友人たちだったら、財布を盗られないように細心の注意を払うこと疑いない。

それにしても、その老人が、バンコクの中間層すら乗らないような貧困の象徴「普通バス(赤バス, ノンエアコンバス)」に甘んじてるのに、金持ちの道楽「オンナ」を囲っているというギャップが可笑しくてならなかった。

「きっと、家計を節約できるだけ節約して、オンナを囲うことに集中してカネを使ってるんじゃないかな。でも、そのおじいさん、毎月20,000バーツの手当を払ってるのに、週に2日しか来てくれないとぼやいてたんだけど・・・・・・なぜだと思う?」

かなり酒が回っていることを自覚しながらも、友人に続きを聞きたいと促した。

「手当を毎月20,000バーツしか払ってないってことは、オンナをシェアしてるんじゃないかなあ? それぞれ週2日ずつ3人でシェアしたら、週休1日で月収60,000バーツ。これくらいあれば、ビジネスとしても成り立つし」

バンコクにおける愛人契約の相場は、月々40,000バーツ前後。たった20,000バーツでは、都市部で働いている大卒女子(職務経験3年)の月給にも満たない。

「まあ、それで本人が満足だったら、真相なんてどうでもいいんだけどさ」

友人はこう話を締めくくった。

タイでも日本でも、性風俗や売買春の基本的な構造は変わらない。ところが一部の日本人は、バンコクに来ると基本的なことを忘れて(あるいは無意識のうちに無視して)娼婦(売春婦)に偏執的な愛着を抱いてしまう。これはもう信仰のようなもので、その矛盾を理詰めで説明したところで絶対に受け入れてもらえない。

「おやじ、口くせえんだよ。やめろ、近づくな。キスしてくんな。もうマジでキモイんだよ!!」

相手が日本人娼婦(売春婦)だったらサラっと言われてしまうようなキッツイ言葉も、タイに来れば大丈夫。タイには年長者を敬う文化があるし、タイ人女性はとても従順。だから、二十歳そこそこの青二才にプライドを傷つけられる心配もない・・・・・・とでも思ってるんだろうか? そんなワールドが一部では大腕を振ってまかりとおっているが、そんなこと絶対にありえないことくらい男子校の高校生だって理解できる。せっかく何十年も生きてきたんだから、その知識と経験を生かして、そろそろ真実に気付いてほしい。もう、あまりにも滑稽すぎて見ていられない。

数ヶ月前に会った別の日本人男性は、夜の街で働くオンナにカネを貢いでいるだけなのに、なぜかオンナにアプローチをかけていると話していた。

当然だが、娼婦(売春婦)にカネを貢ぐのと、信託銀行にカネを預けるのとでは、まったく別の行為のはず。利子もつかなければ、元本も保証されない。出費に見合うだけのサービスも絶対に受けられない。娼婦(売春婦)は貢がれたカネを性的奉仕の対価としか思っていない。貢いだカネはただ消えていくのみ。

学校を卒業してから、この歳になるまで、ずっと身を粉にして必死で働いてきたんだ。老後にオンナのひとりくらい囲ったっていいじゃないか!

そんな気持ちも理解できなくはないが、世の中そう簡単にオンナを囲えるはずがない。もし日本じゃ金がかかりすぎるという理由でタイに来たのなら、タイでも金がかかりすぎるからムリだ。それに、人生の総決算という大切な時期に、「オトコとしてもっとも恥ずかしい買春」に手を染めて自らを貶めるのって、どうなんだろう?

タイには、学生時代の友人も、昔の会社の同僚もいない。日本にいればすぐ仲間に入れてもらえるような近所の老人コミュニティーもない。

そのような環境で、一部の日本人高齢者が娼婦(売春婦)の誘惑に負けてしまうのはムリもない。しかし、そんなことは移住前に十分検討しておくべき事項だし、そうした事態に直面する前に社交ダンスやゲートボールで老後を幸せに送れるような伴侶をゲットするなり、できるかぎりの対策を打っておかないと本当にマズい。日本で放送されている「リタイア移住」番組では、若くて美しいタイ人女性と田舎で幸せな老後を送っている人々のエピソードが紹介されているが、いつ契約期間が満了して独りぼっちにさせられてしまうか分かったもんじゃない。なかにはタイ人に騙されたというエピソードもあるが、それだって性的奉仕の対価を不本意なかたちで無理矢理徴収されたにすぎない。単身でのリタイア移住は、あまりオススメできない。

現地の言葉を学ぶことは、自分の手で真実の扉を開くこと。だから、もし異文化に甘い夢を抱いてるのなら、絶対にタイ語を学んではいけない。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋にひとりで閉じこもって作業をした。夕方、タニヤ通りのカウンターバー Star 21(スター21) で、日本人男女4人でウイスキーをちまちまと飲んだ。その後、格安カラオケスナック dunhill(ダンヒル) (1時間500バーツ)でタイ語曲を熱唱した。

「それにしても、ケイイチ君は本当に娼婦(売春婦)をオンナと見做してないんだね。こうやって観察してると、人として見做してるのかどうかも・・・・・・もしかして、空気くらいにしか思ってないんじゃん? 俺も娼婦(売春婦)は好きになれないけど、彼女たちだってプロとしてのプライドをもって接待してるんだから、もうちょっと話してあげてもいいのに?」

――あはは。カラオケ機器のリモコンや、ウイスキーの自動補充装置くらいには思ってますって。「空気」なんかにしちゃったら可哀想すぎですし、呼吸するときに吸い込んでしまったら性感染症に罹って困るじゃないですか?

年下の日本人女性にもホステスがついたのは滑稽だったが、そっちでもウイスキー補充装置として機能していた。会計時に、頼んでもいない「オフ代(連れ出し料金, ペイバー)」が加算されてたのには仰天した。こんなオバちゃんを持ち帰って、どうしろっていうんだ!?

すぐに女性フロア責任者代理(チーママ)を呼んで伝票を訂正させ、タニヤ通りにある屋台で友人と午前5時まで飲み続けた。

*1 一部の日本人にとって、娼婦はタイ人女性のすべてかもしれないが、日本人女子高生のすべてが援助交際をしているわけではないように、世間一般のタイ人女性もごく普通な生活をしている。
*2 性風俗業 การค้าประเวณี ガーンカープラウェーニー に従事している娼婦は、タイ全国に130,000人(wikipedia)いるそうです。今回は、そのタイ語呼称をご紹介します(以降、括弧内は直訳または意訳)。個人的には、娼婦に対する見下し度合いを意図した通りに上手く上品に表現できる、 ① ผู้หญิงอย่างว่า プーユィングヤーングワー (卑婦) と ② หญิงบริการทางเพศ ユィングボリガーンターングペート (娼婦) という語を好んで使っています。ほかに有名なものに ③ กระหรี่ グラリー (売女) という語もありますが、多用しすぎると教養と品格を疑われるので、できるだけ使わないようにしています。手前に อีเหี้ย イーヒア (この忌むべき○○め!) という語を付ければ、効果的に娼婦を罵倒することができます。これを聞いた女性は間違いなく逆上します。また、 ④ ไก่ ガイ (鶏) にも同じ意味合いがありますが、これは露出度が高くてヒョロヒョロとしている黒い街娼というイメージです。外国人らしく อีเบิร์ด イーバード と、外国語風な表現を使うとオシャレです。でも、タイ人一般が使い慣れている表現ではないので、きっと相手は混乱します。 ⑤ อีตัว イートゥワ や ⑥ คุณตัว クントゥワ という表現はメッセージ性が弱いのであまり好きではありません。タイ語学校では ⑦ ผู้หญิงขายตัว プーユィングカーイトゥワ (売身婦) と ⑧ โสเภณี ソーペーニー (売春婦または売淫婦) の2語を教えています。なお、カラオケなどで働いている女性マネージャーを มาม่าซัง マーマーサング、その男性バージョンを แมงดา メーングダー と呼び、ともにヒモという意味合いで用いられることがあります。

2006年1月21日(土)

「だから行きたくないって言ったのよ。見てのとおり、魅力的なものなんて何一つないでしょう?」

午後10時、サートゥプラディット1にある食堂で友人と夕食をとり、部屋に戻ってもすることがないからと、ウォーラヂャック通り(ウォラチャック通り)にある週末深夜定期市(土曜夜~日曜昼)「クローングトム市場(クロントム市場)」を見物した。

ここはタイにおける自動車部品流通の中心地で、ありとあらゆる輸入自動車部品が所狭しと積み上げられている。ほかに、リビルド工具、リビルドテレビ、リビルド婦人用鞄、ドラえもんグッズ、海賊版 DVD なども扱っている。一般の消費者が興味を持ちそうなのは、正規版 CD/DVD 卸売店「ヂェー・ビッグス」 เจ-บิ๊กส์ くらい。露天が歩道いっぱいに広がっており、まともに歩けるような場所じゃない。

風邪のため、夕方まで部屋で寝込んでいた。夜のパーティーを欠席して友人と夕食をとり、商業ビル「スィーウォーラヂャック」にクルマを駐めてクローングトム市場(クロントム市場)を見物した。

2006年1月22日(日)

「徴集兵として入隊すると、まず『上官への絶対服従』を徹底的に叩き込まれる。肥だめにダイブしろと命じられたら、口答えせず直ちに飛び込まなければならない。平日は、午前中3時間、午後3時間の実戦訓練がある。単純な長距離走から実弾射撃までなんでもあり。けっこうハードで、入隊時に97キロあった体重も72キロまで落ちたよ。子供の日(1月14日)に基地が一般開放されたとき、俺たち高射砲第4中隊の徴集兵には、子供たちを自走高射砲の発射台に乗せる任務が与えられた。上官から『もし子供を転落させたら7日間の営巣入り』と釘を刺されてたから、一日中緊張の連続だったよ」

午後12時35分、プラディパット通りにあるタイ陸軍近衛第1師団砲兵第1大隊司令部のゲートを通過。ゲートには、タイ陸軍のスローガン「国家、信仰、国王、そして国民のために(เพื่อชาติ ศาสน์ กษัตริย์ และประชาชน)」の文字が刻まれている。高射砲第4中隊司令部兼宿舎前にクルマを駐めて、ブリーフィングルームで兵役に就いている友人から近況を聞いた。入隊前は真っ白だったのに、陽に焼けてすっかり真っ黒になっている。室内には、軍歌「至高の夢(ความฝันอันสูงสุด)」の一節「名誉のためには死をも厭わず(จะยอมตาย หมายให้เกียรติดำรง)」が掲げられている。いかに軍隊の価値観が市民社会からかけ離れているか実感させられた。

強烈なスローガンの数々を眺めているうちに気が滅入ってきたから、気分転換のために司令部兼宿舎の裏手を散歩した。この部隊の最強兵器は M42 ダスター自走高射機関砲(有効射程5,000m, アメリカ陸軍1952-1975年, 陸上自衛隊 -1988年)でミサイルは配備されていない。こんな装備で敵の爆撃機を撃退できるんだろうか。

タイの徴兵検査は、毎年4月1日からの11日間おこなわれる。タイ国籍を有する満21歳(徴兵猶予者は満22-29歳)の男子は、あらかじめ指定された会場への出頭が義務付けられている。午前7時にタンボン行政区ごとに整列し、午前8時の国旗掲揚後、中佐の階級にある担当者が国軍最高司令官の挨拶文を代読する。出欠確認で3回以内に返事をしないと「25条に基づく招集応諾拒否」になり、懲役または科料が課せられる。返事をしたら、靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をめくって第1テーブルへと走り、①ソートー35召集令状、②国民 ID カード(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, バットプラチャーチョン)、③ソートー9証明書、④在学証明書(兵役猶予のため)または学位授与証明書(兵役期間短縮のため)を提出し、指紋を登録する。不正防止のため、兵役猶予対象者と兵役期間短縮対象者の腕には召集令状番号が書き込まれる。その後、2番テーブルで軍医による健康診断を受け、甲乙丙丁(ดี1~4)の4グループに分類される。そして、「徴兵適格者証明書」と言われたら即入隊、「ソートー35」と言われたら召集令状が返却されて帰宅が許される。

朝、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」のレストラン S&P で友人と朝食をとった。娼婦(売春婦)が同伴している日本人に อานาตะ(アーナータ) と話しかけるのを見ていて朝から気分が悪くなった。食後、プラディパット通りにあるタイ陸軍近衛第1師団砲兵第1大隊司令部に寄ってから、部屋に戻って DVD 鑑賞。夜、セントラル百貨店プララームサーム店(ラマ3世通り店)で友人と夕食をとった。

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2006年1月23日(月)

「髭をそらないで朝礼に参加すると、上官にライターで髭を炙られる・・・・・・けど、それは軍隊の古い慣わしのようなもんで、今では形式的にその真似事をするだけ。昔は小学校すら出てないような徴集兵ばかりだからアリだったけど、イマドキの徴集兵はみんな大卒者ばかりだから、理不尽な命令や体罰は部隊の士気を低下させるだけで、しかも軍全体のイメージも損ないかねないからね」

昨日、近衛第1師団砲兵第1大隊で、このような話を友人から聞いた。たしかに、志願すれば自分(下士官, 高専卒以下)以上の階級(仕官, 大卒者以上)で任官できる部下を指揮する下士官は、いろいろと気苦労も多いかもしれない。太平洋戦争中の「兵卒は何も考えずに上官の命令に従っていればいいんだ」という理屈は、高学歴時代の軍隊組織では通用しない。現場指揮官たちは『あたらしい市民文化』と『古い軍隊文化』に板ばさみにされて苦しんでるはず。

タイ人進学率向上の推移 (単位:パーセント)


教育レベル 年齢(歳) 2542 2543 2544 2545 2546
小学校 6-11 102.5 103.2 103.8 104.8 104.4
中学校 12-14 83.5 82.8 82.2 82.2 84.6
高等学校 15-17 55.3 57.3 59.3 60.1 59.0
高等専門学校 15-17 22.1 20.7 20.4 20.2 21.5
高等教育* 18-21 22.7 24.9 26.1 26.5 35.8
合計 3-21 72.4 73.5 74.1 75.7 74.9

ソース: 教育省教育委員会事務局
* 公開大学(ラームカムヘーング大学・スコータイタンマティラート大学)の新入生を除く

自室できのう撮影した写真を整理していたら、司令部に掲げられている部隊章と階級章の資料を見つけた。基本的に、タイ陸軍とタイ国家警察の階級章の配置は共通しているが、星や冠のかたちが若干異なる。タイ国家警察の階級章はつぎのとおり。


階級章 日本語階級名 タイ語階級名 略号 公務員等級 参考職名
警察大将 พลตำรวจเอกポンタムルワットエーク พล... 第11級文官 管区司令
警察中将 พลตำรวจโทポンタムルワットトー พล... 管区副司令
警察少将 พลตำรวจตรีポンタムルワットトリー พล... 第10級文官 県警察司令
警察大佐 พันตำรวจเอกパンタムルワットエーク ... 第8~9級文官 警察署長
警察中佐 พันตำรวจโทパンタムルワットトー ... 第7級文官 警察副署長
警察少佐 พันตำรวจตรีパンタムルワットトリー ... 第6級文官 課長
警察大尉 ร้อยตำรวจเอกローイタムルワットエーク ... 第5級文官 係長
警察中尉 ร้อยตำรวจโทローイタムルワットトー ... 第4級文官
警察少尉 ร้อยตำรวจตรีローイタムルワットトリー ... 第3級文官
巡査部長 ดาบตำรวจダープタムルワット .. 主任
巡査長 จ่าสิบตำรวจヂャースィップタムルワット ... 第2級文官
一等巡査 สิบตำรวจเอกスィップタムルワットエーク ... 第1級文官 巡査
等巡査 สิบตำรวจโทスィップタムルワットトー ...
等巡査 สิบตำรวจตรีスィップタムルワットトリー ...

-

等巡査 พลตำรวจポンタムルワット พลฯ

朝、38.5℃の熱があり、いろいろと友人に処置してもらった。夕方まで自室でゴロゴロして、日没後に高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前の日本料理屋「大戸屋サヤームパラゴン店(サイアムパラゴン店)」で別の友人と夕食をとり、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ出かけた。

*1 タイの大学進学率は35.8%(2546年)。近年、国立高等専門学校の大学昇格と私立大学の新設が相次ぎ、過去5年間で13.8%上昇した。特に大学が集中しているバンコク都内の進学率は高い。

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2006年1月24日(火)

「舞台上で踊っている白い服の貴女! フロアのオトコ達はみんな貴女に釘付けですよ! 着ているシャツを今すぐ脱いで、みんなにセクシーなブラを見せてあげてください!! おお―――っと! フロア中央の椅子にピンクの服を着ている美しい女性が立ち上がりましたぁぁぁ!! さあ、貴女も早くブラを披露して、舞台の上で踊っている黒のブラに対抗してください! みんなノリノリかー? (オ――)今晩のオンナが欲しいかー? (オ――)黒い服着てきたオンナはみんなヤリマンだ! まだ女の子をゲットしていないオトコ達よ、彼女たちは貴男にナンパされるのを待っているぞぉぉぉ! 気に入ったオンナを見つけたら、すぐに突撃をかけて口説き落とせ―――! (ウォ――)」

午後1時半、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6にあるディスコ Dance Fever(ダンスフィーバー) で、 MJ が頻繁に音楽をミュートして、過激な行動に走る女性客たちに矢継ぎ早に指示を出し、2,000人以上の酔っ払いを煽って回っていた。

「さすがにこれはちょっと下品すぎると思います。フツウにヒクし」

タイ語が分かる日本人の友人は、ウイスキー Johnnie Walker Red Label(ジョニーウォーカーレッドラベル) (700バーツ)のコーラ・ソーダ割りを片手に大声で耳打ちしてきた。たしかに、バンコクのハイソ・オシャレ志向の流行ではあまりにもヘボすぎる。

ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6から8にかけてのパブ・ディスコ群は、バンコクでもっとも流行の伝播が遅いエリアとして知られている。女性客の大半が地方出身のソープランドやカラオケスナックの娼婦(従業員)で、バンコクでもっともナンパが簡単なスポット。娼婦(売春婦)はタイ人男性から完全に無視されているため、競争率が低く性的観念も欠乏しているため、声をかければ簡単に引っかかる。そこに、タイの諸事情に疎い外国人が殺到する。一部の日本人のあいだでは、娼婦(売春婦)が金持ち外国人に飢えているという説が有力だが、実はタイ人をターゲットにしても相手にされないから、何も知らない外国人狙いでいくしかないという、もうひとつの理由がある。

バンコクにおける音楽の流行は、数年前までトランスが主流だったが、ヒップホップに完全に取って代わられた。日本で新ジャンルの英語曲が流行すると日本語のカバー曲が登場するように、 Dance Fever(ダンスフィーバー) ではヒップホップがなんとイーサーン語(東北部方言, イサーン語)でカバーされている。不慣れな方言で聞き取りにくかったが、ところどころに บํเป็นหยัง(ボーペンヤング) (標準語の ไม่เป็นไร(マイペンライ) に相当)や บํฮู้(ボーフー) (同 ไม่รู้(マイルー) )というフレーズが挿入されている。

ダサい。あまりにもヘボすぎる。ハイソ・オシャレ志向の都市部の中間層は、こういうのを ລາວ(ラーオ) と呼んでバカにしている。ラオスの意味で、非文化的でヘボダサイことの代名詞。まわりを指差して思いっきり「ラーオ」と叫びたくなったが、さすがにラーオの中心でラーオと叫ぶのはヤバすぎる。

夜、大学の飲み会(15人規模)に顔を出してから、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にあるパブ「ハールー」で日本人や日本語を学んでいる大学院生たちと合流した。その後、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6にあるディスコ Dance Fever(ダンスフィーバー) に移動した。

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2006年1月25日(水)

「知ってました? 最近のカラオケには、ちゃんと本物が登場するんですよ」

午後8時20分、アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット21)にある日本語カラオケ屋 Big Echo(ビッグエコー) に20分遅れで到着。部屋に入ると、タイ人が僕の知らない日本語曲を歌っており、画面には GLAY のボーカル TERU の顔が映っていた。髪を短くしたら急にオヤジっぽくなったな・・・・・・と思ってたところ、日本人の友人がそう教えてくれた。

タイ人の友人が歌った曲にはすべてビデオクリップの映像があったのに、僕が選んだ曲はどれも安っぽいお笑いコントばかり。これまで自分がいかに日本の新曲に無関心だったか、改めて思い知らされた。事態は想像以上に深刻だった。本帰国したら、ビデオレンタル屋でオリコンランキング上位50曲を一気に借りてボキャブラリーを増やさないとマズい。

朝から風邪のため部屋でダラダラしていた。夜、アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット21)にある日本語カラオケ屋 Big Echo(ビッグエコー) で日本語曲を歌い、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6にあるディスコ Dance Fever(ダンスフィーバー) に行った。2日連続でイーサーン館(โรงอีสาร, ローングイーサーン)へ行くのは、あまりにも外聞が悪すぎて気が引けたが、いま人気の Bodyslam(ボディースラム) のコンサートを観るためにはやむを得ない。ボーカル「トゥーン」の広いステージを右へ左へと動き回るアクションは観衆を飽きさせない。

2006年1月26日(木)

この1週間、治りかけるたびに友人たちと飲みに出かけていたから、一向に風邪が治らない。でも、本帰国する3月中旬までに標準的なバンコク在住日本人並にエンジョイするためには、部屋で安静にしているわけにはいかない。一度過ぎ去ってしまった時間は、もう二度と戻らない。この機を逃したら、チャンスは永遠に訪れない。講義やペーパー(学期末小論文)から開放された今のうちに、できることは全部済ませてしまいたい(麻薬と買春だけは例外)。

夜、ナラーティワートラーチャナカリン(ナラティワートラチャナカリン, ナラティワット)15にあるパブ 15 th Street で友人と夕食をとった。エレキギターの独奏を聞きながら夕食をとり、ウイスキーを傾けることができるこの店をけっこう気に入っている。

2006年1月27日(金)

「もうムリ。自分の部下をクビにするのは気がすすまないけど、もう限界だわ。書類を書かせればいつも必ず間違える。もしそんな書類にサインしてしまったら、わたしの能力まで疑われかねない。自分でしっかり見直してるから今のところ何とかなってるけど、もうヤバいなんてもんじゃないわよ。 รถยนต์(ロットヨン) (クルマ)を รภยนตร(ロットヨン) とか書いてんのよ。もう信じられる? これじゃ小学4年生を連れてきてやらせたほうがマシなくらい。しかも、会社に来るのは週3日。なんだかんだ理由をつけて、すぐに休む。きょうは『母の体調が急変』だったかしら? 会社に来ても友達とずっと電話しっぱなしだし。もう救いようがないわ。情状酌量の余地なし。今すぐ次のコを見つけてきて交代させないと」

午後9時半、タニヤ通りにある居酒屋「魚ふく」で友人と夕食をとった。なぜタニヤの居酒屋かというと・・・・・・今晩パブへ出かける約束をしていた別の友人にドタキャンされ、フライデーナイトを部屋で地味に過ごすのもイヤだったから、日本人が娼婦(売春婦)しか連れて来ないような店に、あえてまともなタイ人女性を連れて行くというイヤミを思いっきり楽しむため(最近、我ながら性格が悪くなってきたと思う)。

とある上場企業で働いている友人は、同年齢の日本人 OL より良い給料をもらっており、その一部を使って個人的な事務員を雇い入れて仕事の一部を任せている。巨大掲示板群「パンティップドットコム」に求人を掲載して、中等教育学校2年(日本の中学校に相当する)まで教育を受けた地方出身の女性(18歳)を、労働市場の相場より若干高い月給7,000バーツで雇い入れたという。勤務時間は午前9時から午後5時までの1日7時間。

このケースは、タイで起業した日本人がよく言う苦言にとても似ている。バンコク在住の一部の日本人事業主は、①外国人向けの性風俗施設で働いている娼婦(売春婦)と結婚し、②配偶者の交友範囲「娼婦(売春婦)階級のコミュニティー」から従業員を選抜して採用し、③能力的に問題のある従業員を大量に抱え込み、④タイ人を頭が悪い劣等民族と決めつけ、⑤(症状がひどくなると)自ら僭称国王に即位してしまうこともある。

しかし、その過程を詳細に分析してみると、①タイ人のなかでも特にレベルの低い女性としか結婚できず、②自分が属しているレベルの低いコミュニティーからしか人材を選べず、③タイ語同士でも意志の疎通ができないようなアホと中途半端な英語でコミュニケーションをとろうと試みて当然のように失敗し、④アホなコミュニティーのメンバーたちを理解するために民族主義を持ち出し、⑤オレ様ワールドを作り上げて自ら国王を僭称することで自己完結してしまう、という深刻な問題を抱えている。

これは典型的な自己愛性精神障害の症状だが、小資本家が国王を僭称するなど言語道断だし(不敬罪に該当する)、前期中等教育すら受けていない16.5%だけを見てタイ人を劣等民族と決め付けるのはフェアじゃない。むしろ、タイ人すら相手にしていないような娼婦(売春婦)しか周りにいないという自分の境遇をこそ恥じるべきだ。

この友人は、前出のバンコク在住の一部の日本人事業主のケースと異なり、①娼婦(売春婦)を配偶者としておらず、②タイ全国から広く人材を収集することができ、③タイ語でコミュニケーションがとれ、④民族主義を持ち出す必要もなく、⑤アホみたいな結論を出さずに済む。元娼婦(売春婦)の配偶者を解任できない一部の日本人事業主と違って、月々7,000バーツもあれば、バンコク在住の中等教育学校後期課程(日本の高等学校に相当)卒、高等専門学校後期課程卒(ポーウォーソー)、一部の私立大学卒からもっとも適した人物を自由自在に採用できる。

深夜、パソコンの前で友人がオンライン求人票を眺めながら声を上げた。

「あっ!? このオンナ、大学時代に付き合っていた元カレと浮気してたヤツよ。まさか、こんなところで再会しようとは!」

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で作業をしてから、タニヤ通りにある居酒屋「魚ふく」で友人と夕食をとった。梅酒を勧めたところ、とても気に入ってくれた。

2006年1月28日(土)

「中国人って、どうしても好きになれないわ。さっきの店でもそうだったけど、ところ構わず口から物を吐き出すし、いきなり鼻に手を当てて鼻糞を飛ばし始めることもしばしば。お店だってパッと見では清潔だけど、厨房を覗いてみると超不潔ってことも珍しくないわよ。それにね、中国人がイチバンってゆうあの中華思想、なんとかならないのかしら? わたしが通ってた中等教育学校(中学高校)はチャイナタウンのど真ん中にあって、生徒の9割くらいが中国人だったから肌の色が少し浅黒いとすぐに目立っちゃって、肌が黒いコは中国語で『犬族』って呼ばれてバカにされてたもの。わたしは中国人より白かったから大丈夫だったけど、あんなのと一緒にされちゃたまったもんじゃない。ある日、学校に中国人生徒の保護者が来て、中国語で職員室の場所を聞かれたときなんて本当にムカッときたわ。そもそも、中国人は裸一貫でタイに来た日雇い労働者だったのよ。それが今ではまるでタイのご主人様のような顔してふんぞり返ってる。だいたい、『肌が白い=中国人っぽい=イケてる』なんていったい何処の誰が決めたのよ!? バカらしいにも程があるわ」

午後9時、チャイナタウンの愛称で親しまれているバンコクの中華街「ヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラー通り)」で渋滞にハマっていたところ、友人がプラモングットグラーオ王(ラーマ6世, ワチラウット王)(1880-1939)の英語論文「東洋のユダヤ人」さながらの華人批判を始めた。中国系タイ人が何かと持て囃されがちなこのタイ人社会で、中国系以外のタイ人は複雑なジレンマを抱えている。

タイは多民族国家。▽イーサーン人▽低地ラオス人▽ラーオ族▽タイ族▽マレー系▽クメール族▽ベトナム人▽モン族など、30以上のエスニックグループが複雑に入り混じっている。戦後の汎タイ民族主義と属地主義によって、タイ国籍を有する国民はすべて「タイ人」と定義され、中国系を含むほとんどのタイ人(インド系以外)が同化した。しかし、中国系タイ人は華人としてのアイデンティティーを頑なに守り続けている。

中国からの移民は、タイ語で「中国人(コンヂーン)」または「中国系タイ人(チャーオタイチュアサーイヂーン)」と呼ばれている。全国に685万人程度おり、総人口のおよそ10%を占めている。

中国系タイ人は、タイ人のあいだではひとくくりにされているが、よくよく調べてみると想像しているような中国人像とはまるで違うことが分かる。出身地別に分類すると、▽潮州人(テーヂウ) (南東部沿岸出身)56%、▽客家()(南部山岳出身)16%、▽海南系(ハイラム)(島嶼部出身)11%、▽福建系(ホックギアン, フーヂアン) 7%。有り体に言ってしまえば、タイに移住してきた中国人は、中国の地方方言を操る人々であり、北京や上海などの文化的な地域の出身者ではない。

華人のタイ定住は、アユッタヤー時代(1351-1767)におこなわれた泰中間の王室貿易と、それにともなう福建系商人の移住がはじまりといわれている。潮州系中国人の子タークスィン大王(タークシン王, タクシン王)(1734-1782)がトンブリー朝(1767-1782)を興し、タイ南部からラオスまでの領域を影響下におくと、潮州系の移民が増加した。その後、鄭姓を名乗るプラプッタヨートファーヂュラーローク大王(ラーマ1世, ソムデットヂャーオプラヤーマハーガサットスック)(1737-1809)が王位を簒奪してラッタナゴースィン朝を興すと、イギリスとボウリング条約(1855)を締結。王室独占貿易から自由貿易へと移行され、中国人労働者移民が大量に流入した。20世紀初頭に中国で海禁令が解かれると、移民が急増しはじめ1920年にピークを迎えた。その後も、国共内戦(1949)に破れミャンマーからも追われた難民(1950)、文化大革命(1966-1976)で亡命した難民、ミャンマーにおける政情不安による難民の流入が続いている。

華人のタイ移住に関しては、かなり研究が進んでおり文献も豊富。ちょっと日記では扱いきれないので、詳細はそちらに譲りたい。

春節前日(ワンワーイ)の今日、タイの中華街「ヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラー通り)」に集住している中国系タイ人は、朝に送神(パイラオイア)という儀式で道教の神々に5種類の動物(豚、ニワトリ、アヒルなど)を供え、昼前に「パイペーボー」という儀式で甘い食べ物を供えて先祖の霊を供養する。昼すぎに除夕(パイホーヒアティー)という儀式で災いを追い払い、福を呼び込む(大晦日の前日(ワンヂャーイ)には先祖を呼び込む儀式が行われ、豚、ニワトリ、アヒル、などの特定食品の値段が高騰し、一部の食堂は閉店を余儀なくされる)。こうして、明日の春節(トゥルットヂーン, ワンティアオ)を迎える(ルビはいずれもタイ語発音)。

友人は春節(トゥルットヂーン, ワンティアオ)を異民族の儀式のひとつと見做しており、まるで他人事のように話していた。

ところが、タイにおける中国移民の同化はかなり進んでおり、一説によると中国人の血が混ざっていないタイ人を探すほうが難しいという。だから、この友人が話していたようなことを相手を選ばずに言ってしまうと面倒なことになる。

―――この国も今や完全に中国人の手中に落ちてしまったからね。中国人は、政治的にも経済的にも、この国の支配者なんだよ。強者の価値観は優れているものとして重んじられ、弱者の価値観は劣っているものとして軽んじられる。弱者は強者に追従することを強制される。キミたちタイ人は中国人に敗れたんだよ。中国系タイ人だけが勝利して、それ以外のすべての「タイ人」はみんな敗北したんだ。もう国まで乗っ取られちゃったんだから、いまさら何を言ったってムダさ。

そう言ったら、友人はものすごく不機嫌そうな顔をしていた。愛国心が強いタイ人のアイデンティティーはどうなるんだろうか? 迎合的で日和見主義的なところがあるから、中国固有の文化を含めたすべての文化をタイ文化とする、とか言い出しそう。いずれにせよ、悪いのは僕でも日本人でもない。

それにしても、タイ農民銀行(ガスィゴーン銀行, カシコン銀行)の看板に書いてある支店名から営業時間まですべての項目に繁体字の中国語が併記されているのはなぜか? タイ農民銀行(ガスィゴーン銀行, カシコン銀行)の名称が、中国語表記にすると泰華農民銀行に変わるのはなぜか?

朝から38.1℃の高熱があり、夕方まで部屋でダラダラと過ごした。日没後、春節前で賑わっているヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラー通り)で友人と夕食をとった。

2006年1月29日(日)

グルングテープ病院(バンコク病院)が早期退職者を募ってるのは聞いたことあるけど、もしかして心臓疾患病院棟の建設費用で経営が厳しいのかしら? さすがに診察料もけっこうふんだくってるわね。でも、まともな処方をしてくれてるだけまだいいわ。昨年末、近所にあるガセームラート(カセムラート, カセムラット)プラチャーチューン(プラチャチュン)病院で診てもらったら、薬局で廉価版のクスリとして売られているような安物を市価の5倍で売りつけられて本当にあったまきた。海外旅行傷害保険に加入してて自己負担なしなら病院で診てもらってもいいけど、ちょっとした風邪なら薬局のほうがイイこともあるわよ」

午後10時5分、スーンウィヂャイ(スンビチャイ, スンヴィチャイ)1にあるグルングテープ病院(バンコク病院)で、友人が診療報酬明細書を見て言った。内訳は、▽診察料400バーツ▽看護婦料150バーツ▽処方薬代金2,570バーツの合計3,120バーツ。海外旅行傷害保険のキャッシュレス・メディカルサービスを利用した。処方薬代金は市価の5倍くらいだが、診察料はスクンウィット(スクンビット)3にあるバムルングラート病院(バムルングラッド病院, バムルンラット病院, バムルンラート病院)のおおむね3分の1と良心的。

朝から38℃の高熱があり、一日中自室でグッタリとしていた。夜、友人の勧めで、スーンウィヂャイ(スンビチャイ, スンヴィチャイ)1にあるグルングテープ病院(バンコク病院)へで深夜診療を受けた。

2006年1月30日(月)

「こんな危ないクルマ、よく乗ってこれたわね。ほら、このブレーキパッド、2mm しか残ってないじゃない。 もう完全にペッタンコになっちゃってる。そんなんでハートヤイ(ハジャイ)まで行こうなんて無謀もいいところよ」

午後6時、ペットガセーム(ペットカセム)101にある自動車整備工場で、友人が車体から外されたブレーキパットを眺めながら言った。

これまでも、立体駐車場など勾配の急な坂道でブレーキの効きの悪さがずっと気になっており、クルマを修理に出すたびにブレーキパッドの検査を依頼してきた。ちゃんとチェックしていてくれたんだろうか。友人によると、ブレーキバッドの厚さは通常10mm前後で、3mm以下になったら交換しなければならないという。

「クルマは、何回点検しても決して多すぎることはないわ。どうせタイヤのチェックもしたことないんでしょう? 明後日までにチェックしなきゃダメよ」

タイにも車検制度がある。正式には自家用車状態検査(トロワットサパープロットヨンスワンブッコン)といい、初回登録後7年以上が経過しているクルマは自動車税納付時(年1回)に、自家用車状態検査証明の提出が自動車管理法で義務づけられている。検査は、▽エンジン番号と車体番号の照合(1分)▽排ガス騒音検査(2分)▽制動系統検査(0.5分)▽前輪走行安定性検査(0.5分)▽前照灯検査(1分)▽装備品検査重量検査(2分)▽合否判定(0.5分)の計7.5分で、車検料は重量1,600キロ未満が150バーツ、重量1,600キロ以上が250バーツ。もちろん、こんな検査では不十分だから、自動車の保守点検はユーザーの自己責任で行われている(ってゆうか、市民の安全に過保護なのは日本くらい?)。それだけに、クルマを持っているタイ人はみんな自動車マニアのように詳しい。

日本にいたときは何も考えずディーラー任せにしていたが、留学中の限られた予算では下町にある自動車整備工場に頼らざるをえず心配の種は尽きない。

夕方、ペットガセーム(ペットカセム)101にある自動車整備工場へ友人たちと出かけ、ウッタヤーン通り(ウタヤン通り, ウタヤーン通り)にあるドイツ風屋外レストラン「バーンナームキアングディン」で夕食をとった。

2006年1月31日(火)

「わたしも名門進学校を卒業して、いちおう国立大学にも受かったのよ・・・・・・ナレースワン大学だけど。でも、あんな田舎(ピッサヌローク県(ピサヌローク県))に引っ越すなんて絶対にムリ」

午後8時40分、セントラル百貨店ラッチャダー(ラチャダー)プララームサーム(ラマ3世通り)店6階にあるタイ・ラーメン屋「グワイッティアオターサヤーム(クイッティオターサイアム)」で、友人が大学入試を振り返った。

日本ほどではないが、タイにも熾烈な受験戦争がある。予備校は主に進学校が多い地域に密集しており、日本の高校生とは似ても似つかない中等教育学校(日本の中学校・高校に相当)の制服を着ている生徒たちが午後9時頃までの時間をそこで過ごす。

タイにおける大学進学率は学齢年齢の36.8%(2003年教育省調べ, 公開大学の新入生をのぞく)。各国立大学の新入生は内申点と筆記試験の成績によって選抜されるがここ数年、内申点の比重が高まっている。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコン大学, チュラロンコーン大学)に多数の合格者を輩出している中等教育学校(日本の中学校・高校に相当)の上位10校はつぎのとおり。

ヂュラーロンゴーン大学合格者数ランキング
トリアムウドムスックサー(バンコク・パトゥムワン区)
スワングラープウィッタヤーライ(バンコク・プラナコーン区)
③ バビンデーチャー(バンコク・バーンガピ区)
サットリーウィッタヤー(バンコク・プラナコーン区)
⑤ トリアムウドムスックサー・パッタナーガーン(ノンタブリー・バーングブワトーング郡)
ヂュラーロンゴーン大学附属サーティット(バンコク・パトゥムワン区)
⑦ セントヨーゼフ・コンヴェント(バンコク・スィーロム区)
スックサーナーリー(バンコク・トンブリー区)
スィーナカリンウィロート大学附属サーティット・パトゥムワン(バンコク・パトゥムワン区)
テープスィリン(バンコク・ポムプラープサットゥルーパーイ区)

その他、つぎの中等教育学校(日本の中学校・高校に相当)も多くの卒業生を上位国立大学に排出している。

ホーワング、サームセーンウィッタヤーライ、サットリーウィッタヤー2、ヨーティンブーラナ、スラサックモントリー、ベーンヂャマラーチャーライ、ラーチャウィニット、ナワミントラーチヌーティット、サットリーウィッタヤー・プッタモントン、ラーチニー、サットリーワットマハープルッターラーム、バーングパゴーンウィッタヤーコム、アサンプション・コンヴェント、マヒドンウィッタヤーヌソーン、サーイパンヤー、ワットスッティワラーラーム、タウィーターピセーク、ワットラーチャバピット、ワットヌワンノーンディット、ワットラーチャオーロット、アサンプション・トンブリー、トリアムウドムスックサー・ノームグラーオ、プロットピッタヤパヤット、サーイナームプング、ワチラタム

午後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で作業をしてから、セントラル百貨店ラッチャダー(ラチャダー)プララームサーム(ラマ3世通り)店6階のタイ料理店「グワイッティアオターサヤーム(クイッティオターサイアム)」で友人と夕食をとった。