2005年12月1日(木)

「今晩、何食べる?」

―― 何食べようか? MK に行こう。

午後7時すぎ、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)で友人と帰宅ラッシュにハマっていた。もう2時間も経つのにほとんど前に進んでおらず、さすがに話題も尽きてしまった。こういうときは、天気の話でもして沈黙を避けるのがセオリーだが、あいにくと雨は降っておらず、日が落ちて雲行きも分からないから、やむなく夕食の話題を選んだ。

しかし、この渋滞のせいで、すでに夕食のことなんかどうでも良くなっていた。この渋滞から今すぐ解放してくれるなら、今晩は即席麺「マーマー」(5バーツ)で我慢したって構わない。

ある経営学者によると、 McDonald’s(マクドナルド) のセットメニューは元来、思考力に欠け、メニューを選べない愚かな消費者に、少しでも多くのカネを使わせるための戦略商品で(「ポテトはいかがですか~?」のあとに登場した)なんでもいいから好きなものが食べられて、腹が満たされればいいという消費者心理を巧妙に利用しているという。

タイスキチェーン MK(エムケー) のテレビ CM は、タイにおける大衆宣伝の傑作と言われている。第1弾(2002年)の「トゥングルークトゥングタオ(討論番組トゥングルークトゥングコンのパロディー)では、司会者ソーラユットを演じる子供が「子供の野菜嫌いに効果がある」と謳い、その後タイ人のあいだで広まった健康志向の牽引役となった。特に第3弾の「何食べる?」は、 TACT 最優秀テレビコマーシャル賞(2003-2004年度)や最優秀大衆宣伝賞(食品部門, 2004年度)を受賞しており、特定のフレーズを反復することは、消費者の深層心理にある種のイメージを植え付けるという大衆扇動のセオリーにもかなっている。しかも、映画館での放映を想定して制作されているため映像としての質も高い。

それは、渋滞のせいで思考停止状態に陥っている僕たちにとって、まさに渡りに船だった。そうだ、 MK に行こう!

2005年12月2日(金)

「マイクを8番席から2番席へ」

――くっそー、何もリクエストもしてないのに、なんでマイクが回ってくるんだよ。

午後8時半、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある日本人向けカラオケスナック MOMO の前でタクシーを降り、笑顔で歓迎してくれた MOMO のホステスたちを無視して、道路のちょうど反対側にある大部屋カラオケ屋「アンチャン」前にいる友人の元へと直行した。

大部屋カラオケ屋「アンチャン」の店内は薄暗く、パソコンで選曲操作をする正面の DJ 席の真上に投影スクリーンがある。全9席で、収容人数は約50人。

「8番席」には、ビール2本で粘っている男女2人組がいた。特に女性の歌唱力はすさまじく、まるでコンサートを聞いているかのようだった。どうすれば、あれだけの微妙な音調の変化に対応できるんだろう。

僕たちは、 DJ 席から見て、ちょうど8番席と左右対称の位置にある2番席に陣取った。タイ語ポップスは、日本のものに比べてキーが低い。しかも、レーシックで完璧に矯正された視力で、巨大なスクリーンに投影されているタイ文字を読むめば良いだけだから難しくない。ところが友人によると、中学校以降の音楽芸術では、古典舞踊に重点が置かれ、合唱の授業はほとんどないという(サットリーウィッタヤー中等教育学校)。案の定、友人は小学校6年生のような歌い方をしていた。

それまで、僕たち2番席は比較的新しい曲(2年以内)をリクエストし、8番席は比較的古い曲(3-4年前)をリクエストしていたが、酒が進むにつれ次第に誰もにリクエストを出さなくなった。しかし、 DJ としては、音楽を中断するわけにいかないため、勝手に選曲してつぎつぎと客に歌わせた。リクエストを出す側と受ける側の立場が完全に逆転した。こうして、 DJ 主催のタイ映画「ワイオンラウォン4」(2番席)挿入歌 VS タイ映画「フェーンチャン(僕の恋人)」挿入歌(8番席)の戦いが始まった。曲目はつぎのとおり。

ワイオンラウォン フェーンチャン
1. เธอที่รัก / Paradox
2. รักหนอรัก / บัวชมพู ฟอร์ด
3. น่ารัก / ดา Endorphine
4. สองคนหนึ่งคัน / AB Normal
5. ไม่มีฉันแล้วเธอจะรู้สึก / Mr.Team
6. พรหมลิขิต / ปู Blackhead
7. ระทมรัก / อุ๊ หฤทัย
8. สุขาอยู่หนใด / กบ Taxi
9. กุหลาบน้อย / ชัยรัตน์ เทียบเทียม
10. ความเดิม / นิติพงษ์ ห่อนาค
1. แฟนฉัน / AB Normal
2. รักครั้งแรก / จั๊ก ชวิน
3. ความทรงจำสีขาว / ปาล์มมี่
4. คิดถึง / AB Normal
5. ป้ากะปู่ กู้อีจู้ / Dajim
6. รักบึงเก่า / เพื่อน
7. คอนเสิร์ตคนจน / นกแล
8. น่าอาย / รอยัลส์ไปร์ท
9. ใจเธอใจฉัน / 18กะรัต
10. คนที่รู้ใจ / แหวน ฐิติมา
11. สายเกินไป / โอเวชั่น

ほとんどが1度しか聴いたことのない曲ばかりだったが、友人に耳元で歌ってもらい、そのリズムに合わせて、なんとか全曲歌いきった。こんなスパルタカラオケに通っていたら、1週間もしないうちにボキャブラリーが100くらい簡単に増えてしまいそう。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で旅行中の高校時代の友人と合流し、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body Massage(キングスボディーマッサージ) (330バーツ)へ行き、エーガマイ通り(エカマイ通り)にある焼肉屋「座頭市」で夕食をとった。座頭市では開店1周年記念の焼肉食べ放題(ひとり300バーツ)をやっていたが、この店の焼肉がひと皿70バーツ前後であることを考えると、単品で頼んだ方が安上がりだったかも。午後8時半、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある大部屋カラオケ屋「アンチャン」前で合流し、午前3時まで歌い続けた。

帰りのクルマで、友人が面白いことを話していた。

「タイ映画『プアンサニット』のヒロイン『ダーガーンダー』(タイ語で愛しき人の意)って、やっぱり黒いわよね。タイ人は、それを『ダーガンダム(黒いと罵り合う)』って呼んでるんだけど、どう思う?」

そのジョーク、ブラックすぎ。ちなみにこの友人、最後の方の記憶がまったくないという。

2005年12月3日(土)

「この長蛇の列に並んでいるのは、この3連休を利用してやってきたカジノ客たちだ。出国審査場は8時には閉鎖されるから、それまでに手続きできければ、街まで引き返さなければならない。これから君がその最後尾に加わったところで、間に合わないんじゃないかな? それに、カンボジアにクルマを持ち出すのは、あまりにも無謀。鍵穴をこじ開けられて盗まれるのが関の山だ。どんなに君を助けたいと思っても、カンボジア領内で発生した盗難事件には手の出しようがない。やめておいた方が良い」

アランヤプラテート国境、午後7時10分。スワンソーン通り(タイ国道33号線)はすでに夕闇に包まれていた。遠くには、ひときわ明るい光を放っているカンボジア側のカジノ街「ポーイペート(ポイペト, ポイペット)」が見えた。道路中央にある「許可車両以外の通行を禁じる」と書かれた看板を無視して(国際車両通行証が許可証であると解釈した)出国審査場へ行き、車両用の国境ゲートで軽装歩兵から担当係官の居場所を教えてもらい、その先にある徒歩用の国境ゲートへと向かった。

壮年の小柄な自動車担当係官は、まだ受付終了時刻にはなっていなかったが、すでに掘っ立て小屋のような仮設オフィスの裏で同僚たちと酒を飲んでいた。別の係官に呼び出されて、ようやく席を立ち、冒頭にあるように話してから、「まあ、また明日来ればいいじゃないか」とアドバイスをくれた。

やむなく出国審査場の職員専用駐車場にクルマを駐め、徒歩用の出国審査場前にできている長蛇の列(400人くらい)の最後尾に並ぼうとしたところ、不潔でボロボロの服を着ているカンボジア人浮浪児(自由に国境を往来できる)が近づいてきた。

「お兄ちゃん、5バーツちょうだい。クスリを買うためにどうしても必要なの」

―― はてさて、どんなクスリのために必要なんだい? と、旅行者気分の軽い調子で受け答えしても良かったが、このような手合い関わるとロクなことがない。ここで根負けして5バーツ渡せば、つぎの5バーツをゲットするために無数の浮浪児たちが殺到してくる。

ところが、今回に限ってはそうではなかった。

「お兄ちゃんはタイ人じゃない。外国人はこの列に並ぶ必要ない。私の後に付いてくる」 カンボジア人女児は、片言のタイ語で貴重な情報を提供してくれた。さっそく女児のあとについて歩き、タイ人約400人と外国人30人の横を足早に通過して、最前列へと躍り出た。

最前列で人々の流れを管理しているカンボジア人青年は、浮浪児が「◎▲※◆□ジャポン」と言うと、タイ人入官職員の了解を取って手招きした。タイ人のオバさん連中が「ルールを守って列に並びなさい!」と叫んでいたが、女児に20バーツ札2枚を掴ませ柵を乗り越えて、冷房でキンキンに冷えている出国審査場に入った(オバさん連中は僕をタイ人と勘違いしていたが、僕が乗り越えたのは誰も並んでいない閉鎖中の外国人用ゲート)。

「兄貴、これからどこに行くんですか? わたしはタイ人の恋人と付き合っていたことがありますから、タイ語も話せますよ。気持ちばかりのお金をいただければ、シアムリアップ(シェムリアップ, アンコールワット)でもプノンペンでも、カンボジア国内ならどこへでもお供しましょう」

出国審査場を出ると、小汚い格好をしたカンボジア人青年が近づいてきた。普段なら無視してやり過ごすところだが、今回の旅行の目的は、いまだ足を踏み入れたことのないポーイペート(ポイペト, ポイペット)市内を探検して、巷に流布する情報の真偽を自分の目で確かめること。そのためには、やはりガイドがいた方がいろいろとやりやすいし、心が通じるレベルのタイ語を話せればそれで十分。人間、心が通う相手をそう易々と殺したりはしない。そう考えて、このカンボジア人青年を雇い入れた。

カジノ街ホテル Holiday Palace(ホリデーパレス) 入口付近でカンボジア到着ビザ(1,000バーツ)を申請し、カンボジア人青年と簡単な自己紹介を済ませて、カンボジアの入国審査場へ向かった。ここから先が、本物のポーイペート(ポイペト, ポイペット)市街。ロータリーの奥に見える Poipet Guesthouse(ポイペットゲストハウス) (400バーツ)にチェックインして、客室にある鍵付きの洋服ダンスのなかに、ノートパソコンと現金36,000バーツが入っているカバンを隠して、さっそくポーイペートの街を案内してもらった。

カンボジア国道6号プノンペン・ポーイペート(ポイペト)線は、アスファルトで舗装されているが手入れが行き届いていないためボコボコで、バイクが通過するたびにものすごい砂ぼこりが上がる。目のなかに大量に侵入してくる砂ぼこりに悩まされながら、国境とは正反対のプノンペン方面に向かって歩いていくと、右手に派手なホテルが見えた。

「まだホテルを決めてないようでしたら、ここを紹介しようと思ってたんですよ。カラオケ以外に、性感マッサージもあります。とはいっても・・・・・・ここの娼婦(売春婦)たちはクスリにハマっていて、そのために身体を売ってカネを稼いでいるような連中ですがね。特にこのホテルでは、ヤーバーやエクスタシーのみならずヘロインも蔓延しています」

東南アジア地域における売春は、主に違法薬物を購入資金を賄うために行われている。そのため、娼婦(売春婦)の麻薬汚染率はすさまじく高い。

タイの首都「グルングテープマハーナコーン(クルンテープマハーナコーン)(バンコク)」は、日本語に直訳すると天使大都。しかし、一部の日本人男性は、バンコクの地を這うる小汚いドブネズミにも等しい、麻薬に汚染されてい娼婦(売春婦)を、「天使」と呼んで天使の名を貶めている。そんな堕落退廃不義虚栄の象徴を崇め奉ってどうするのか?

小さな路地を左折すると、カンボジア人青年が言った。

「ここがポーイペート(ポイペト, ポイペット)のバスターミナルです。外国人観光客は、国境前のロータリーをバスターミナルと誤解しているようで、そこから法外な運賃を払ってシアムリアップ(シェムリアップ)やプノンペンへと向いますが、ここから乗れば普通に正規料金で行けるんですよ」

バスターミナルがある薄暗い未舗装路の両脇には、ピンク色の照明が眩しい置屋(簡素なセックス小屋)や謎の飲食店が並んいる。その奥へ入っていくと、屋外映写場兼キックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)試合場があった。木戸賃はひとり50バーツだった。

そこでキックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)を2時間ほど観戦していたが、その間、観客たちのあいだで小規模な乱闘騒ぎが頻発。小銃を肩にかけている兵士が鎮圧にあたり、そのたびに観客はプラスチック製の椅子に総立ちになり大いに盛り上がった。クライマックスの試合では重大な八百長があり、双方の選手が除名処分になった(カンボジア語のアナウンスをタイ語に訳してもらった)。

試合終了後、カンボジア国道6号線へと戻る途中、さっきからずっと気になっていた「全員が道路に向かって座っている」謎の飲食店に立ち寄った。扉のない入口をはいると店の奥へとされた。入口の左右にはテレビが1台ずつあり、左側のテレビには香港映画、右側のテレビには日本の無修正アダルトビデオが映っている。いい歳をした20人からの大人たちが、コーラを飲みながらそれをじっと眺めている。このシチュエーションをどうやって楽しめばいいのか悩みに悩み、20分もしないうちに店を出た。これでは香港映画にもアダルトビデオにも集中できない。

ポーイペート(ポイペト, ポイペット)の街は、国境付近に外国人専用カジノがあり、市街地には置屋と麻薬がある。それ以外に、何もない。まともな商店もなければ飲み屋もない。あるのはせいぜい屋外映写場兼キックボクシング(ムワイタイ, ムエタイ)試合場、アダルトビデオと一緒に見る謎の映画館くらい。

バスターミナル前の未舗装路は、昨晩降った大雨のせいでグチャグチャになっていた。革靴が泥濘のなかに何度もめり込み、右往左往しながら歩いていた。左右に並ぶ風俗店を冷やかして回っているうちに、タイ語を話す娼婦(売春婦)たちと意気投合し、実際に麻薬を使っている現場を見せてもらった。

「警察? あっはっは。そんなのがこの街にいるとは聞いたことないわ」

14歳から25歳くらいまでのベトナム移民の娼婦たちは、「ヤーバー」を気持ちよさそうに吸いながら、そんなメチャクチャなことを言ってのけた。そうか、この甘ったるい香りを放つクスリのために身体を売っているのか。

ヤーバーとは、過去に日本でヒロポンやシャブと呼ばれていたものと同じで、メタンフェタミン系の覚醒剤。現在、東南アジア一帯で猛威をふるっているのは、日本でアイス、スピード、エクスタシーなどの名称で知られている、あぶって吸引したり内服して摂取できるタイプのもので、強い覚醒作用や精神賦活作用がある。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、ヤーバーを吸引すると元気いっぱいになってジッとしていられなくなり、どんなことでもいいからいいからやりたくなるという。クスリの効果が切れると、強い疲労感や虚脱感を感じるため、強い回帰性があり危険。末端価格は1錠100バーツ前後。

つづいて、ガンチャーと呼ばれる大麻を見せてもらった。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、ここではヤーバーが圧倒的な人気を得ており、大麻の利用はあまり一般的ではないという。なるほど、このハッパとハッカを混ぜたの生臭い臭いを放つクスリのために、前途有望なアーチストたちが警察に次々と検挙されていくのか。

大麻はクワ科の一年草。中央アジア原産の植物で、古代から繊維用として栽培されてきた。葉などをあぶってその煙を吸うと、 THC という成分により酩酊感、陶酔感、幻覚作用などをもたらす。カンボジア人娼婦(売春婦)たちによると、味覚、嗅覚、聴覚が異常に発達して、料理が美味しくなりクラブが楽しくなるという。一方、免疫力の低下や白血球の減少などに見舞われるほか、「大麻精神病」と呼ばれる独特の妄言や異常行動、思考力低下などを引き起こすし、「フラッシュバック」と呼ばれる後遺症に苦しめられる。末端価格は500mlのペットボトル一杯の大麻で300バーツ程度。

2005年度前期の東南アジア麻薬流通論で、麻薬は脳に修復不能な損傷を与えると教わったため、娼婦(売春婦)たちから勧められても手を出さずに済んだ。それに、カンボジア人娼婦(売春婦)たちが、深夜のスクンウィット通り(スクンビット通り)を徘徊している娼婦(売春婦)に輪をかけて不潔で病的だったため、売春に手を染めずに済んだ。

深夜、ポーイペート(ポイペト)市街とポーイペート(ポイペト)カジノ街のあいだは完全に封鎖されて通行できない。そこで、カジノ街の北にある抜け道からカジノホテル Star Vegas(スターベガス) の裏に出た。カジノホテル Star Vegas(スターベガス) にあるクラブ「ナングレン(ナンレン)」には、強烈な大麻の臭いが充満していた。

大通りの向かいにある、カジノホテル Holiday Poipet(ホリデーポイペト) 脇にある貧しさ炸裂の掘っ立て小屋で夜食の即席麺を食べていたところ、小汚い格好をした男が変なタイ語で「オンナはいらんかね?」と言いながら近寄ってきた。それを断ると、今度はガンチャー(大麻)を勧められた。

カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト, ポイペット)は、まさに堕落と退廃という言葉がピッタリの街。麻薬と性風俗が横行している街。警察と正義が存在しない街。そしてバンコクより物価が安い街。

麻薬や性風俗だけを生き甲斐にしていたり、客が入らない風俗店を営んでいるようなバンコク在住の不良日本人たちは、みんなポーイペート(ポイペト, ポイペット)に移住してしまえばいいんだ。ここには不良貧困日本人たちが必要としているものすべてが揃っている。しかも、都市部の中間層がないから、中間層の現地人を「ハイソ」と呼んで卑屈にならなくても、日本人として振る舞い自由気ままな生活がおくれる。そこで不良日本人たちは格安で買春と麻薬存分に堪能し、それでわれわれまともな日本人が住んでいるバンコクの日本人社会も清潔になるなら、みんなハッピー。誰も何にも損しない。

Poi Pet Guesthouse(ポイペットゲストハウス) へと戻るバイクタクシーで、カンボジア人青年が言った。

「この街では、拳銃が6,000バーツの安値で取引されている。先日、俺の友人も2,000バーツで自分の拳銃を売り払っていたよ。君は俺を信用し、俺も君を信用しているから問題ないが、常識的に考えて、君の行動は自らの命を危険に晒している」

あんな真っ暗で何もないカンボジア国道6号線を、バイクタクシーで40分も深入りするなど、本当にどうかしていた。

午後3時ころ、スクンウィット(スクンビット)5にある Food Land(フードランド) で昼食をとった。午後4時半にナコーンナーヨック市(ナコンナーヨック市)、午後6時にサゲーオ市(サケオ市)を通過して、午後7時10分にアランヤプラテート国境に到着。カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト, ポイペット)の市街地を見物した。

2005年12月4日(日)

「首相、明日に控えた余の誕生日を祝福してくれてありがとう。素晴らしいスピーチでこの会場の内外にいる人々を元気づけてくれてありがとう。つい先日、余は首相のスピーチを讃えると、自分の不利益になると反対する者がおると知らされた。ところが、余が首相を讃えたところで他の者は讃えぬやもしれぬし、もし余が首相を讃えねばなぜ讃えぬのかと言われ、余自身が讃えられなくなってしまう。だが、首相は讃えられるために存在している。もし讃えられねば、首相としてはいささか不満であろうし、首相が不満なようで、この式典をどうして進めることができようか。だから、首相のスピーチは素晴らしかったと讃えねばならぬ。首相様のスピーチは良かった。あなた様は余を賛美するためにここにいらっしゃる。賛美を好み非難を嫌うのは、いたって正常なことである。余が落ち度を非難し続けることを、かの者はさぞ不満に思っているであろう。しかし、仮に余が誰かを非難しているとしても、たとえかの者が新聞社に掛け合って『王様が非難しているのは、自分ではなくあんな人やこんな人のことだ』と書かせても、余自身が特定の誰かを非難していると公言せぬかぎり、結局のところ、誰も非難されなかったことになる」

午後4時半、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」14階のミニマートで、民放各局が放映している国王の演説を聴いて驚いた。

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)は、タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)の首相就任以来、一貫して強い嫌悪感をあらわにしている。そして、今回はなんと自分より格下の首相を「様」付けで呼んで皮肉をお示しになり、首相の「非難嫌い」を論ったうえで、その独善的な政治姿勢について戒めているではないか! (ヂットラダーラホーターン王宮(チットラダー宮殿)ドゥスィッダーライホールで、国王78歳の誕生日を祝うために訪れた21,859名を前に下賜された勅語)。

タイは立憲君主制をとっている。そのため、立憲君主が国政に干渉することは、憲法によって厳しく制限されている。しかし、国王誕生日慶賀式典が催される12月4日は、一年に一度だけ、しかも一時間だけという時間制限付きで、参列者への返礼というかたちをとって、国王が国民に自由に直接語りかけることができる。制度上、タイの国王には政治的強制力はない。しかし、国民からの絶大な支持を集めている国王の演説は、知的かつウイットに富んでおり、かなりの政治的影響力を持っている。

現在、タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐は、日刊紙「プーヂャッガーン(プーチャッカーン, マネージャー)」の社主ソンティ・リムトーングン氏との泥仕合を演じている。タックスィン(タクシン)陣営は、国家権力を総動員して、ソンティ社主を国家反逆罪・王室不敬罪の疑いで投獄しようと試みており、もう一方の、ソンティ陣営も、国家資産私物化を理由にタックスィン(タクシン)首相を退陣へと追い込もうとしている。一部軍官僚などの過激な発言もあって、巷ではクーデターが噂されている。このような状況下でおこなわれた今回の国王演説は、疑いなくソンティ氏に有利に働いたはずであり、翌5日の高級日刊紙マティチョンは「今上、喧嘩もほどほどにとの詔勅」と報じている。

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)は最後に、「ほどほどの成功、ほどほどの経済状態」に言及し、「本当の成功が何のことかなんて分からないさ」と投げやりに言い放ったうえで、成功者の代名詞である首相をふたたびび詰り、式典に参列した人々に礼を言って演説を締めくった。

タイはいろいろな問題を抱えているが、国王が健在であるうちはまだまだ捨てたもんじゃない。政財界で圧倒的な権力を握っている首相に対抗できるのは、いまや国王ただひとりになってしまったがが、その国王が正面切って物申しているうちはこの国も大丈夫。今回の国王演説を聴いた人々の、国王に対する信頼感はより一層高まったはず。

ところで、今朝の目覚めは強烈だった。

「あなたが早起きするかもしれないと思って、真正面の部屋をとっておいたんですよ。宿泊費400バーツかかりました」

朝、ホテル Poi Pet Guesthouse(ポーイペートゲストハウス) 客室の扉を開けると、正面にある部屋の扉が開いていた。しばらく、向かいの部屋の様子を眺めていると、そこに昨晩のカンボジア人青年が現れた。この瞬間、バンコクに帰りたい衝動に見舞われた。常識と文明的が恋しい!! 親切だが物乞いのような雰囲気を放っているこの男につきまとわれるのはもうご免だし、麻薬や売買春と隣り合わせの生活にもウンザリ。こんなところにいたら、本当にどうかしてしまいそうだ。昨晩は、「悪の道」へと足を踏み入れるのを思いとどまったが、次に何かあったら、どうなるか分かったもんじゃない。必要な情報収集が完了した今、こんなヤバい街からは一刻も早くおさらばするに限る。

正午、カンボジア・バンテイメンチェイ州ポーイペート(ポイペト)を発ち、午後3時には Robinson(ロビンソン) 百貨店スクンウィット店(スクンビット店)McDonald’s(マクドナルド) に到着し胸をなで下ろした。

2005年12月5日(月)

プーミポンアドゥンヤデート国王(プミポン国王)78歳の誕生日にともなって地上波各局で放映されている各宗教指導者からのお祝いの言葉を、部屋で調べ物をしながら一日中聴いていた。イスラーム教指導者の「タイ国内のイスラーム教徒はすべて国王陛下に対し忠誠申し上げる」という文言は特に興味深かった。

2005年12月6日(火)

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と談話してから、スィーロム(シーロム)6にある中華料理店「上海小龍包」で別の友人と夕食をとった。

2005年12月7日(水)

「当初予定200に対して、この24という数字はどういうことだ? それで今後3ヶ月間の資金繰りに問題はないのか?」

昼すぎ、スクンウィット(スクンビット)49にあるサミティウェート病院(サミティベート病院)の病室へ見舞いに行ったところ、某財閥系企業のファミリー幹部たちが、ある商品の販売戦略について話し合っていた。この商品は Seven Eleven(セブンイレブン) などで広く市販されている清涼飲料水だが、発売開始以降売り上げが伸び悩んでおり、40分にもわたって堂々めぐりの議論が続いていた。さすがに銀行系の財閥だけあって、金融財務関連の経営知識には明るいようで、関連する英単語が頻繁に飛び交っていた(専門用語はタイ語より英語の方がよく使われる)。

タイのテレビドラマに登場する「ハイソな家庭」を遙かに上回るスーパーハイソな人たちだったが、テレビドラマとは違ってバンコクの中流家庭のように振る舞っていたのは意外だった。まあ、みんなが役者のようにオーバーアクションをしていたら気持ち悪いから、このくらいがちょうどいいかも。上座から3番目のソファーに座るよう勧められたが、あまりに恐縮して2分もしないうちに席を立った。もちろん、こんなところで僕ごときに発言できることは何もない。

昼すぎ、アソークモントリー通り(アソーク通り)にある西洋料理店 Neil’s Tavern で、タイの軍官僚たちと昼食をとった。ある陸軍大将によると、タイの軍階級は国王から個人に下賜されたものだから、勝手に放棄することはできず、退役してもそのまま生涯名乗り続けなければならない。タイ首相タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)警察中佐をはじめ、一部の個人が他の地位に就いたあとでも前職の階級を名乗っているのには、そういた事情があるという。また副官から、さまざまな政治的危難から身を守るノウハウについて教えていただいた。

その後、スクンウィット(スクンビット)49にあるサミティウェート病院(サミティベート病院)の病室へ見舞いに行き、トーングロー(トンロー)3の日本料理屋 MARU で夕食を、スクンウィット(スクンビット)23にあるイタリア料理店 GIUSTO でワインをご馳走になった。

2005年12月8日(木)

「おやおや、この一年間で修理が2回。合計すると35,000バーツにもなるねえ。これだけの予算があれば、今後エンジン回りの修理など一切考えなくても良くなるのに。エンジンそのものを交換してしまえばいいんだから。それも BMW 5シリーズの良いものにね」

午後9時、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)の細くて深い薄暗い小街路の奥にある自動車整備工場で、友人の親戚にあたる自動車整備工が言った。

この付近は、バンコク郊外の住宅地で、一軒家が軒を連ねているが、人の往来はほとんどなく、ときおり近くの商店に買い物に行く中年男性が上半身裸で通りを歩いている。自動車整備工は、舗装された3メートル道路を隔てて母屋と反対側にある母屋から、上半身裸のまま薄暗い作業場に現れた。故障箇所については以前から詳しく説明していたが、念のため発生条件などについて確認した。それを鳥小屋のインコが復唱していた(何を言っているのか不明だが妙にタイ語っぽかった)。

こんな夜分遅くに図々しく押しかけてしまったから、クルマを預けてすぐに帰るわけにもいかず、自動車整備工の気が済むまで話に付き合った。冒頭の話は、過去の修理明細を手渡したときのもの。

いま BMW 318i に搭載している排気量 1,800cc の標準仕様エンジンを、排気量 2,500cc の5シリーズ用のエンジンに換装できたら、どんなに良いだろうか。日頃から、この貧弱なエンジンにはウンザリしているところだから、近日中に売却するつもりじゃなかったら、ポンと30,000バーツ支払って換装を依頼していたかもしれない(それにしても、これまで無駄な修理が多すぎた)。

ちなみに、今回はエンジンの吸気量を調整する「エアフローメーター」を交換する予定。予算はおおむね7,000バーツ。

昼、部屋でブログ管理プログラム Moveble Type をバージョンアップした(トラックスパムと呼ばれる変なリンクを排除するため)。その後、友人が買ってきてくれたカーオグラパオムーサップ(豚肉のバジル炒めご飯)を食べてから、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場へ出かけた。

そうそう、危うく明日の飛行機に乗れなくなるところだった。いつもはユナイテッド航空を利用しているからリコンファーム不要だが、今回はインド航空で一時帰国することになっているため、出発72時間前までにリコンファーム(予約の再確認)をしなければならない規則になっている。これを日本在住の友人から指摘されて、大急ぎでインド航空オフィスに電話を入れたが、出発33時間前にもかかわらず、すんなりリコンファームできた。

2005年12月9日(金)

「鼻の横に大きなニキビができてるじゃない? このまま放っておくと大変なことになるし見た目にも悪いから、できるだけ早いうちに皮膚科で処置してもらった方がいいわよ。ちょうど、わたしもそろそろ皮膚科に行かなきゃいけない頃だから、途中で待ち合わせて一緒に行きましょうよ」

朝、友人に指摘されて鏡を見たところ、珍しく大きなニキビができていた。明日からの数日間、日本でいろんな人に会うことになっているから、ここは友人の勧めにしたがって処置してもらったほうが良さそう。夜、セントラル百貨店プララームサーム(ラマ3世通り)店2階にあるラッチャダー(ラチャダー)・プララームサーム皮膚科クリニックへと向かった。

クリニックの内装は、白一色で統一されており、簡素だが清潔感が上手く演出されている。診察室で症状について女医に説明すると、医師の貫禄からは想像できないファンキーな口調で「なにか思い当たる節ある?」と尋ねられた。先月レーシックをして6日間も洗顔できなかったから、やむなくコットンとクレンジングフォームに頼っていたと答えると、医師は卓上灯を顔面に当て、ハンディーカメラで皮膚の状態を記録しはじめた。

「ひどい脂性ね。これだからニキビができるのよ。それと、タバコは皮膚の老化を加速させる原因になるから、すぐにやめなさい。とりあえず、アンチエイジングとニキビ対策をしておきましょう」

①レーザーを使うことで肌の瑞々しさを取り戻しニキビを予防するマッサージ(500バーツ)、②ニキビ処置(150バーツ)、③白い固形物を擦り付けることで肌の若々しさを取り戻すアンチエイジングマッサージ(700バーツ)を受けた。

ニキビ処置は、①金属製の金具でニキビを潰し、②2本の綿棒を使って中にある膿を出し、③そこに注射するという流れ。小さなニキビの場合、②は省かれる。

効果は今ひとつハッキリしないが、巨大なニキビ1ヶ所と小さなニキビ20ヶ所は取り除かれた。

このコース、日本のエステだったら13,400円くらい。バンコクの中間層のあいだでは一般化しており、 OL や女子大学生だけでなく男性も通っているという。

夜、セントラル百貨店プララームサーム(ラマ3世通り)店2階にあるラッチャダー(ラチャダー)・プララームサーム皮膚科クリニックでフェイシャルエステを受けてから、4階にある中華料理店「上海小龍包」で夕食をとった。帰宅後、大急ぎで荷造りをして、タクシーに乗り込み、午後10時40分にバンコク・トーンムアング(ドンムアン)空港に到着。インド航空 AI 306 便で成田空港へと向かった。

2005年12月10日(土)

「シューマツ ก็(ゴー) ・・・・・・ダイジョーブ」

深夜、六本木にある多国籍クラブ Muse(ミューズ) 地下3階で、不細工な日本人男性が、超不細工な南部系タイ人女性に言い寄っていた。女性はダンスフロアがある地下2階へ階段を駆け上りながら、男性の「じゃあ週末は大丈夫?」という問いかけに振り向きもせず、冒頭のように答えた。ちなみに、タイ語の「ゴー」にはいろいろな用法があるが、この場合は「う~~ん」っといったカンジ。

午前0時16分、地下鉄六本木駅3番出口から地上に出た。終電も間近というのに、六本木交差点前は日中のオフィス街のように人々がひっきりなしに行き交い、商業ビルの2階に設置されている大型液晶モニターからはパラパラ全盛時代のダンスミュージック Night of Fire(ナイトオブファイアー) が大音量で流れていた。

そういえば、大学1年生の夏に、せめてこれくらいは踊れるようになろうと、ビデオを見て練習したこともあったっけ。あれから9年が経ったいま、東南アジアでいろんな不思議なものを見てきて、フニャフニャしている謎の文字を何不自由なく読み書きできるようになった自分が、当時と同じ曲を聴いている。

友人によると、六本木には多国籍クラブが多数あり、外国人がいないクラブなどほとんどないという。六本木3丁目にある大型ディスカウントチェーン「激安の殿堂ドンキホーテ六本木店」前でロサンゼルス留学時代の友人と合流した。先日、バンコクのクラブめぐりに付き合ったお礼として、今晩は六本木界隈のクラブ数軒を案内してもらえることになっている。ほかにバンコクで一緒にクラブめぐりをしたイスラエルから帰国したばかりの友人と、外国人男性すべてを吸い寄せるモテモテの友人も加わり、外苑東通りにあるクラブ Hide Out(ハイドアウト) へと向かった。

階段をおり、コートやカバンをロッカールーム(300円)に突っ込んで、さっそくフロアへと向かった。カウンターで注文しようとメニューを眺めていたところ、せいぜい350ml瓶で600円くらいと思っていたハイネケンビールが800円もすることを知って驚いた。しかも友人によると、これはまだ安い方で、他の店に行けば1,000円はするという。バンコクの60-110バーツと比べて2.5-4.6倍、 LA のブロードウエーブルーバード沿いにあるクラブの4ドル+チップ1ドルと比べてもなお1.6倍もする計算になる(しかもカウンターでチップを払わなくてもいいのは意外だった)。

男性客のほとんどは西洋人で、アジア系(日本人を含む)はむしろ少数派。女性客は半数程度が日本人だったが、ほかに中国人、韓国人、フィリピン人、タイ人もいる。希に白人や中南米系の女性の姿も見られた(ほかにヤマンバと呼ばれる黒い肌をした日本人女性客も若干名いたが、あまりにも美しくないからソッコウで視界から外した)。

R&B に始まりトランスへといった流れでフロア全体が盛り上がりはじめてきた午前2時ころ、2つのグループに分かれた。寒空の下、ガクガクと震えながら六本木通りを友人と1キロほど歩き、西麻布交差点を左に曲がったところにあるクラブ Muse(ミューズ) へと移動。オシャレなカウンター席で疲労を回復させながら、ロサンゼルス留学時代の思い出話や友人たちの後日談について話し合った。エントランスフィーは2,000円(2ドリンク付)、カクテル1杯900-1,000バーツだった。

午前4時半、六本木駅前郵便局近くの雑居ビル3階にあるクラブ Quest(クエスト) でふたたび友人たちと合流し、午前7時まで無料シャンパン券などを使って飲み続けた。

ところで、六本木界隈では、タイ産の栄養ドリンク「グラディングデーング(クラティンデン)(Red Bull)」が流行っている。どのクラブにも看板が掲げられており、外国人客がカクテルなどに混ぜて飲んでいた。また、トイレ前でベトナム人男性とこの栄養ドリンクについて話し合っていたところ、タイ人と間違えられて、

「新宿のホストクラブとかで働いているんですか?」

と尋ねられた。(僕にホストとしての適性があるかどうかはともかく)六本木界隈のクラブには外国人が多く、人々の意識が自然と多国籍前提になっているような印象を受けた。アジア系の外国人女性が日本国内でホステスとして働いている話はよく聞くが、アジア系の外国人男性もホストとして働いているんだろうか。

先日、バンコクに住んでいる日本人の友人が興味深いことを話していた。曰く、

「あるブログによると、六本木のクラブに通っている一部の日本人は、バンコクに来て立場を逆転させることに喜びを見出しているそうだ。目の前でイイオンナたちが次々と外国人客にかっさらわれて行くことに彼らは日頃から強烈な不満を募らせており、タイで立場を逆転させることによりストレスを発散させようと考えているらしい。タイにハマるのはモテない男ばかりと言われているが、このような男も相当数いるんじゃないか?」

六本木界隈のクラブについては他人に語れるほど精通していないが、今晩見て回った印象では、六本木界隈のクラブはバンコクよりもイージーそうな雰囲気だった。実際にイージーかどうかはともかく、比較的「オープン」であることは間違いない。さすがにバンコクのクラブ(現地ではパブと呼ばれている)であそこまで露骨に抱きついて歩き回ったら、必ずや露骨に嫌な顔をされること疑いない(たぶん肘打ちを食らう)。さらに、空間的なユニティーを形成している日本のクラブシーンとは違い、バンコクでは仲間内での強固なユニティーが形成されているから、知らない人から話しかけたところでどれだけまともに受け答えしてもらえるか分からない(それ以前に音量がうるさすぎて会話すらおぼつかない)。

また、バンコクのクラブでは、「オープン」になっている女性の比率があまりにも低すぎるのに加え、そのまま連れて帰って楽しんでしまうといった発想もあまりポピュラーではなく、携帯電話番号を交換して、後日デートを楽しむといったステップを踏むことが多い。このような煩わしいルールがないのは、カラオケスナックのホステスやソープランドで働く娼婦らでごった返しているラッチャダーピセーク(ラチャダー)8にある Hollywood(ハリウッド)ラッチャダーピセーク(ラチャダー)6にある Dance Fever(ダンスフィーバー) 、北トーングロー(トンロー)Bossy(ボッシー) 程度のもの。そう考えれば、バンコクに来れば立場を逆転できるという発想は正しくない(もちろん娼婦(売春婦)を女性とみなすのであれば一理ある)。より厳密に言えば、仮にタイ人娼婦(売春婦)に対しては有効であっても、世間一般のタイ人女性客には適用できない。

それで、六本木のクラブにいる女性客がどうだったかというと・・・・・・実のところあまりよく分からない。もしかしたらバンコク都内にある外国人客の多いクラブに見られるような傾向があるかもしれないし、そうでもないかもしれない。この辺についてはあまりリサーチしなかったから最後まで分からず仕舞い。

午前2時にクラブの閉店が義務づけられているバンコクに住んでいると、外が明るくなるまで遊び倒すことに妙な違和感や罪悪感がある。一晩の予算は7,000円程度。飲み屋に行くと思えば決して高くない「六本木クラブめぐり」。ちょっとハマってしまいそうだ。

それにしても、六本木界隈のクラブもなかなかいいじゃないか。ちょっとしたデートに出かけるなら、絶対に居酒屋ではなくクラブを選択するべきだ。椅子に座ってカクテルを飲み、気が向いたときにフロアへ行って楽しく踊ればいい。

午前9時40分、インド航空 AI 306 便は定刻より1時間40分遅れて成田空港に到着した。久々の深夜便だったがろくに眠ることができなかったため、実家に戻ると、歯も磨かないままベッドに潜り込んだ。約7時間の睡眠ののち、日本料理店で両親と会席料理を食べて、地下鉄で六本木へと向かった。複数のクラブをまわり、午前7時に店を出た。京都に本店があるという中華料理チェーン「天下一品」でバンコクにはない「味の素の味がしない味噌ラーメン」を食べて感動し、電車に揺られて帰宅した。

2005年12月13日(火)

11日 夕方まで熟睡した。

12日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを申請。日本人係官によると、出入国制限のない1年間有効の留学ビザは現在発給していないという。ビザの発給に必要な書類のうち、身元保証書と身元保証者のパスポートのコピーが欠けていたが、ビザを受領するときに提出すればよいと言われ、パスポート、申請用紙、大学からの招聘状の3通を提出した。その後、渋谷で働いている大学時代の友人とラーメンを食べた。

13日 午前中、目黒にあるタイ大使館で最後の学生ビザを受給。領事部査証課のプレハブ製オフィス内には液晶モニターが設置されており、今年11月1日にサービスが始まったばかりのタイ3チャンネル(タイ公共放送, 外国語衛星放送専門放送局 Access TV 配給, 月額2,840円)が放映されている。待合室の内外には頭の悪そうなタイ語を話すタイ人女性がたくさんいた。ああ、おそらく・・・・・・と思って、彼女らは自分とは無関係のタイ人として視界から外した。このとき、タイ人男性の姿をほとんど見かけなかった。彼女らと一緒にいる日本人男性と、タイ赴任を控えてビザ申請に来ている日本人サラリーマンのコントラストが印象的だった。日本国内におけるタイ人社会のレベルの低さについてを考えさせられた。頼むから娼婦(売春婦)を日本に連れてくるな。タイ人社会とは本来、もう少しまともなはずだし、日本国内のタイ人社会もそうであって欲しい。その後、4月から働く会社の内定者懇談会に参加し、有楽町駅前にある家電量販店「ビッグカメラ」に寄った。

2005年12月14日(水)

「あ、ごめん。すごく体調が悪くて電話に出られなかったの。きょうは一日中、ずっと実家で寝てた。本当に迎えに行きたいんだけど、これじゃダメっぽい。そうだ、ウチに寄っていかない? そうすれば、すべてバッチリになるはずよ」

午後11時40分、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)の駐機場から旅客ターミナル行きのシャトルバスに乗り込んだ。携帯電話の電源を入れて帰国の報告をすると、友人が冒頭のように話していた。今回はパーフェクトな空の旅を目指していたが、あともう少しのところで失敗した。でも、体調不良とあれば仕方ない。約7時間にもおよぶ空の旅で疲労困憊していたため、誘いを断って帰宅した。

4日前、いつものようにユナイテッド航空エコノミークラスの航空券(1年オープン, 52,040円)の手配を友人に依頼したが、ハイシーズンのため予約が取れなかった。そこで別の方法について尋ねると、ユナイテッド航空のウェブサイトで利用可能マイル数を調べるように勧められた。なんと49,873マイルも貯まっていた。

きょうで留学開始から1,499日が経過した。その間、いろんな都市へと飛んだが、これまでマイルにまったく無関心だったため、こんなにたくさん貯まっているとは意外だった。

ユナイテッド航空では、飛行機に乗ることでポイントが貯まる Mileage Plus Program(マイレージプラスプログラム) を実施している。 Mileage Plus(マイレージプラス) と呼ばれる無料アカウントを開くことでポイントを加算できるようになり、蓄積されたポイントは「マイル」という単位で計算される。一般会員資格でエコノミークラスに搭乗すると、成田バンコク間の片道で2,868マイル、成田ロサンゼルス間の片道で5,451マイル加算される。

蓄積されたマイレージは、特典旅行券(無料航空券)の入手やアップグレードなどに使うことができる。アジア圏内フライトの場合、それぞれエコノミークラスで20,000マイル、ビジネスクラスで30,000マイル、ファーストクラスで40,000マイルが必要になる。

12月16日に友人の結婚式があるため、どうしても前日の15日までにバンコクに戻ってこなければならなかった。まだ空席があるユナイテッドファーストをマイレージと交換するか、エコノミークラスを割高な正規運賃を払って購入するよう友人に勧められ、ユナイテッドファーストに乗ることにした。ユナイテッド航空のウェブサイトから予約できる。

搭乗手続終了時刻ぎりぎりに成田空港に到着し、日本にしか売ってないお菓子を大量に買ってからチェックインを済ませ、長蛇の列ができているイミグレーションで出国審査を受けて、ユナイテッド航空のファーストクラスラウンジでへと向かった。駐機場を一望できるソファー席に腰を下ろし、ワインを飲みながら友人と電話をしてから飛行機に乗り込んだ。

かねてから一度は座ってみたいと思っていた 1A のシートで、ファーストクラスのコース料理を満喫した。味はそこそこ、普通の料理店ならもう二度と行かないというレベル。

2005年12月15日(木)

「ろくに食堂もない不便なスクンウィット通り(スクンビット通り)に住んでるくらいなら、いっそのこと完璧な生活環境が整ってるここに引っ越してくればいいのに。この辺なら、美味しい食堂からコンビニまで何でもあるわ。手頃な家賃の新築アパートもたくさんあるし、古いアパートも改装されてどんどんキレイになってるし。それに、ウチの大学の女の子とたちがカワイイことで定評あるのは知ってるでしょう? チュラに通ってる日本人なら、モテること間違いなし。さあ、クルマの修理が終わったら、つぎは引っ越しの準備よ」

午前1時50分、プラチャーソンクロ23にあるホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)前の学生寮街で、友人は言った。こんな夜更けでも、通りは大学生の男女で賑わい、コンビニ、商店、屋台なども繁盛している。すこし歩けば、法令によって午前零時以降の販売が禁じられている酒類も簡単に買える。

大学敷地面積の何倍もある広大なエリアに、学生向けの民間アパート(このレベルのアパートは「(ホーパック)」と呼ばれている)が密集している。近代的な設計を取り入れている新築アパートが多く、家賃は月々3,000-5,500バーツで冷房完備。家計にある程度の余裕がある私立大学の現役学生(学費:年間50,000バーツ前後)が多いため、街全体にヤングでポップな活気がある。一部の困窮日本人が集住しているラーングナーム通り(ランナム通り)(高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(戦勝記念塔, ビクトリーモニュメント)徒歩5分)界隈(家賃4,500-6,500バーツ)のように貧民窟で絶望的な雰囲気を放っていないのがウレシイ。

このような学生寮街は、どの大学の近くにもある。アパートのグレードは各大学の授業料によって大きく左右される。

それにしても、友人が言うような薔薇色の学生街生活なんか送ったら、近所の大学に通っている学生たちに無料宿泊施設として使われ、私服、制服、歯ブラシ、教科書 etc の所有者が分からなくなってしまう。派手すぎる生活は度を超えると苦痛になる。昨年の今頃、話のネタのために4,500バーツくらいの別宅を借りることも検討したが、ただでさえハードな生活がもっと慌ただしくなるのはイヤだし、私物が2部屋に分散すると生活しにくくなるから取りやめた。

薔薇色の学生街生活を送ることを目的に部屋を選ぶなら、都内の各大学へと向かうバスの起点となっている高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(戦勝記念塔駅, ビクトリーモニュメント駅)周辺の、雑然としている界隈にアパートを借りるのも悪くない。ここなら▽マヒドン大学の医療系学部▽ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)ラーチャパットスワンドゥスィット大学(ラチャパットスワンドゥシット大学)トゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンッディット大学)ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)ラーチャモンコン(ラチャモンコン, ラチャマンカラ)大学ヂャッグラポングプワナート校(チャックラポンフアナート校)▽セントジョーン大学▽ラーチャパットスワンスナンター大学(ラチャパットスワンスナンター大学)を射程距離内に納め、さらに▽グルングテープ大学(バンコク大学)グルワイナームタイ校▽ガセートサート大学(カセサート大学)スィーパトゥム大学(シーパトゥム大学)グルーク大学(クルック大学)アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)フワマーク校▽タンマサート大学(タマサート大学)タープラヂャン校▽グルングテープ大学(バンコク大学)ラングスィット校、タンマサート大学(タマサート大学)ラングスィット校▽フワチアオチャルームプラギアット大学(フアチャオ大学)へも乗り換えなし1時間以内で行き来できる。

夜、パホンヨーティン通りにある Major Cineplex (メジャーシネプレックス) ラッチャヨーティン(ラチャヨーティン)店の日本料理屋 ZEN で友人と夕食をとりハリウッド映画を観てから、プラチャーソンクロ23にある友人宅へ遊びに行った。

2005年12月16日(金)

「わたしたち以外に誰がするのよ? 親友なら、やっぱり2時間前には会場に来て手伝ってないとマズいよね」

午後5時15分、ラッチャヨーティン交差点(ラチャヨーティン交差点)ちかくにある象形オフィスビル「トゥックチャーング(エレファントタワー, トゥックチャン)」12階の控室で、新郎新婦をはじめ親族や仲人たちが身支度を調え、友人たちもドレスを身に纏い、化粧をしたり髪の毛をセットしたりと忙しそうにしていた。そんな光景を眺めていると、テカリ防止効果のあるペーング(パウダー)を、友人たちに塗りたくられた。

友人たちによると、以前はちょっと微妙だったそうだが、イマドキのオトコはペーング(パウダー)をしてもおかしくないという。10年前、日本人男性が眉毛を抜き始めたときように、バンコクでもオトコのオシャレが流行り始めている。

タイ人女性は、第一次大戦期に流行したようなハイカラな髪型で式典に臨む。その髪型を作るために、新婦は午前5時に起きて結婚式に臨んだそうで、見るからに疲れ切っていた。

午後7時、トゥックチャーング(エレファントタワー, トゥックチャン)1階の結婚披露宴会場で、招待客の受付が始まり、新郎新婦は終始引きつった笑顔で招待客からの記念撮影に応じていた。僕たちはその横で、招待客が持参したピンク封筒に入っている御祝儀をまとめ、大きな台帳にサインと簡単なメッセージを書いてもらう仕事をしていた。新郎が中国移民3世ということもあって、親類縁者のなかには中国語話者も多く、自分の名前を中国語で書いていた。

「中国人って名前しか書かないの? ちょっとオカシイんなじゃい?」

隣にいる友人が小声で耳打ちしてきたが、中国人独自の習慣や、名前以外の中国語を書けない可能性も考慮して、特にメッセージは求めなかった。

午後8時半、披露宴が始まり、巨大なスクリーンに新郎深部の写真が映し出された。友人によると、ステッカー(写真屋で撮るプリクラのようなもの)をパソコンに取り込んだという。新郎新婦による挨拶と、大手銀行の課長を務める仲人の挨拶が続いた。そして、中国語曲の生演奏を聴きながら、中国式のコース料理を友人たちと突きあった。

新郎新婦はともにホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)卒の26歳。典型的なバンコクの中間層で、それぞれ25,000バーツ程度の所得を得ている(バンコク在住の日本人貧困層は、自分の所得の低さを正当化するために、タイ人の大卒初任給が9,000バーツ程度と強調しているが、バンコク都内の民間企業で働いている大卒労働者の給与は、男女ともに3年も働けば2-3倍に跳ね上がり、その後も緩やかな昇給が続く)。結婚式の予算は約200,000バーツ(結婚披露宴費用が半分、のこりは結婚式や結婚指輪の代金)。

「ちゃんと、元とれたのかしら?」

帰路、クルマのなかで友人(月給80,000バーツ強)は、そう心配していた。損益分岐点は、招待客200人全員が御祝儀を1,000バーツずつ持参すれば達成されるが、そのなかには子供たちもたくさん含まれているし、大人だって2,000バーツ出す人もいれば、500バーツしか出さない人もいる。たぶん回収できたのは、費用の半分程度のはず。

オトコにとって、結婚とは最後の日であり、再出発の日でもある。友人たちが次々と新たなスタートを切っていくなか、我が身を振り返るとすえ恐ろしい気分になる。娼婦(売春婦)との刹那的な恋愛を謳歌している日本人よりはかなりマシだが、それでも学部生ような恋愛をここままずっと楽しんでいるわけにはいかない。

2005年12月17日(土)

「ヨシオさん、あのとき相当落ち込んでいたもんね。ペーングちゃんと別れたあと、他の従業員と付き合ったみたいだけど、それもどうも上手くいかなかったらしくて・・・・・・」

午前零時20分、タニヤ通りにある日本人向けカラオケスナック Alpha(アルファ) で、語学留学時代と同じソファーに座って、当時のホステスと思い出話に花を咲かせた。オーナーも代わり、店の名前も変わったが、店の作りだけは以前のままだった。

運命の何と冷酷で気まぐれなことか。当時、この店でつるんでいた日本人6人のうち、社会的な生存者はわずか3人にすぎない。▽ひとりは当時計画段階にあった事業を立ち上げ、現在では人様に胸を張って近況を報告できるレベルになっている▽ひとりは独立して、現在では小さいながらも自らの事業を切り盛りしている▽ひとりは大学院に進学して、来年から日本の企業で働くことになっている。

しかし、▽ひとりは栄華を誇っていたが、その後事業に失敗して日本にも帰れなくなった▽ひとりは雇用主の没落にともない日本に帰国した▽ひとりは自室で化学実験中に事故で亡くなった。

わずか3年で、人々の立場や環境がここまで変わろうとは。バンコクで生活している何割かの日本人は、日々綱渡り的な生活を続けているため、このようなことも決して珍しくないが、それでも世の中の理不尽をかいま見て憂鬱になった。

自分だって、大学院に入学できなかったり、成績不良で除籍処分になっていたら、今頃どうなっていたことか。相変わらずお気楽なのは、3年前と同じソファーに座っている年老いた娼婦(売春婦)ひとりだけ。ミッションをクリアすることなく、自由気ままな人生を謳歌しているのを見ていると、心底うらやましくなる。

昼すぎ、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープノンタブリー通り)にある自動車整備工場へ、友人とクルマを取りに行った。自動車整備工によると、現在バンコクでは中古エアフローメーターの品薄状態が続いており、6,000バーツのものが売り切れていたため、11,000バーツのものをつけたという。これまで型番違いのエアフローメーターを使っていたせいで動力系統の伝達効率が悪かったが、交換後は新車のように快適になった。

夜、スクンウィット(スクンビット)11にある日本料理店「勝一」で別の友人と夕食をとり、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるドゥワンタウィープラザの Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) The Boy で日本人男性2人+日本人女性5人と合流した。この店は、ドゥワンタウィープラザ入口にあるカウンターバー店員のイチオシ。オトコなら誰でも似たようなことを考えるそうだが、 Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) へ行くと自分の男性機能に自信がなくなる。その後、「映画のセットのように拡張手術をして大きくしているだけだから気にしない方が良いわよ」と友人から慰めてもらい、密かに胸をなで下ろした。あのペニス(直径6センチ, 長さ24センチ)はちょっとデカすぎる。

タニヤプラザの地下駐車場(祭のため本日のみ無料)に向かって歩いていると、3年ぶりにホステスと再会し、閉店後の日本人向けカラオケスナック Alpha(アルファ) で話し込んだ。その後、ウォングサワーング(ウォンサワン)通りへ別の友人に会いに行った。

(本文中に登場するの固有名詞はすべて仮名です。)

2005年12月18日(日)

「キミはまだ帰っちゃダメだよ。話がまだ済んでないじゃないか」

午後10時、バンコク都ラートプラーオ区(ラップラオ区)の高級住宅街、1億円の邸宅にある照明がキレイなプールサイドで白ワイン片手に巨大エビを友人たちと楽しんでから、女性や子供たちが帰るタイミングを見計らって自分も脱出しよう企てていたが、家主に見つかり引き留められてしまった。

ラートプラーオ区(ラップラオ区)内の狭い路地で、前方を走る友人のセカンドカー BMW 630i (排気量3,000cc・オープンカー)を追跡中、ステアリングに問題を抱える BMW 318i (排気量1,800cc)が人々の列に突っ込みそうになった。歩行者たちはタイヤのスリップ音を聞いて、壁に張り付くように回避。僕はスリップしたクルマの姿勢を、ゲームセンターにあるレーシングカーの要領でなんとか立て直してハンドル制御を回復させた。危うく人を轢き殺してしまうところだった。スピードは控えめに、ブレーキは早めに。

プラチャーウティット通りにあるキャバレー Caribbean Musical Theatre(カリビアンミュージカルシアター) の入口で、ドアマンにクルマの鍵を預けた。店内は、コンサート形式のフロア「カリビアン」と、コヨーテと呼ばれるダンサーが踊っているフロア「バロン」に別れている。ホステスから簡単な説明を受けたが、このときすでに酩酊状態になっていたため、詳細については何も覚えていない。気づいたときには隣にホステスが座っていた。料金も不明(友人が全額出してくれた)。

どこを走っているのか分からずかなり遠回りしたが、ゆっくり安全運転で帰宅した。

昼すぎ、スクンウィット(スクンビット)3にあるバムルングラート病院(バムルンラート病院, バムルングラッド病院)の整形外科で、一時帰国時に革靴で父のウォーキングに付き合ったせいで炎症した足の裏を診てもらった。45秒間の診察と2種類のクスリで1,100バーツだった。その後、セントラル百貨店プララームサーム店(ラマ3世通り店)で友人と映画を観ようとしたが、4時間の長編映画「キングコング」しかなかったため、やむなく友人と別れて高級住宅街へと向かった。

2005年12月19日(月)

「疲れた」

午後1時半、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前にある複合商業施設「サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)」で、友人はゲッソリとした表情でそう言った。

サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)は、83,200平方メートルの土地に約150億バーツを投じて建設された複合商業施設で、▽サービスアパートメント▽ホテル▽高級ブティック(250店舗以上)▽宝飾品店(50店舗以上)▽映画館(15映写室全5,500席+Imax600席)▽オペラハウス(1,800席)▽コンベンションセンター(50,000人収容)▽自動車展示場(14,000 sq.m.)▽百貨店▽専門店▽書店▽飲食店(30店舗)▽スーパーマーケットなど、都市にあるべきものすべてを備えている(2005年12月9日開業)。

しかし、個人的な印象は「ただ広いだけ」の一言に尽きる。タイを代表する商業施設だけあって、世界的ブランドのブティックが勢揃いしているが、内装の貧弱さには目を覆いたくなる。突貫工事で開業日に間に合わせたため、ペンキが至る所に飛び散っており、天井には未塗装の部分もある。1階レストラン街も、広大な空間に膨大な数の料理店を配置しており、各店舗の間仕切りも1.5メートル程度と低いため、落ち着いて食事をとることもできない。これでは、1,000人収容の巨大食堂にいるのと何も変わらない。

タイの商業施設は、日本のように小さなスペースに専門店をぎゅうぎゅう詰めにしているイメージだが、サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)は、アメリカの郊外型商業施設に似ており、必要なものを手早く買うにはあまりにも不向き。冷房が効いている巨大多層のお散歩広場といったところ。ちなみに、この施設の売りは地階にある東南アジア最大規模の水族館 Bangkok Siam Ocean World (入場料450バーツ)。

昼すぎ、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前の複合商業施設「サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)」1階にある日本料理屋「大戸屋」で友人と昼食をとった。駐車場に戻ると、タイヤに釘が刺さってパンクしていたため、アソークモントリー通り(アソーク通り)のガソリンスタンドでタイヤを補修(120バーツ)してから、タイスキ屋 MK で友人7人と夕食をとった。

2005年12月20日(火)

午後8時40分、スクンウィット(スクンビット)53にある格安居酒屋「いもや」で、語学留学時代の日本人の友人と久々に再会した。連日の激務にもかかわらず、ここ3ヶ月間の近況をいつになくイキイキと語ってくれた。

新しい職場にもすっかり慣れて、毎日タイ人の同僚たちと慌ただしく働いている。職場での公用語は英語だが、実際にはタイ語が使われることがほとんど。転職当時は意思の疎通すらままならなかったが、同僚と話しているうちに上達し、いまでも新しい語彙をどんどん身に付けている。語学留学時代、もう少しタイ語の学習に身を入れていれば、仕事の負担を軽減できたと後悔することもあるという。

こう書くと失礼になってしまうかもしれないが、現地採用日本人の平均にも満たない程度の給料でも、何不自由なく生活できているという(忙しすぎてカネを使う時間すらないという)。もし転職するなら、つぎはタイ資本の企業に挑戦してみたいと話していた。

この話を聞いて、ココロ洗われたような気分になった。バンコクには、さまざまな理不尽に耐えられず、時間の経過とともに偏屈になってしまう日本人が掃いて捨てるほどいるが、僕の友人はそうならなかった! タイ人の同僚を見下さずに、タイ人の力を借りながら地道に実力を蓄え続けている。タイ現地採用生活最初の1年半をこれだけ有意義に送れれば、つぎの1年半も充実した生活が送れるに違いない。

バンコクの日本人社会は、所得格差という深刻な社会問題を抱えている。しかも、年功序列型の給与テーブルもないから、歳をとればとるほど個人のプライドが歪んだかたちで表現されるようになる。特にタイに甘い幻想を抱いて移住してきた日本人は、本当にひどい目に遭っている。いかに日本国が優秀な国家でも、個人としての日本人は国家と同格ではないし、日本国民が例外なく優秀なわけじゃないんだから、もうすこし自分の実力に見合った中長期的な見通しを立ててから移住してもらいたい。

移住の動機であったはずの娼婦(売春婦)には捨てられ(商売で付き合ってもらっていたことに気づいていない)、なけなしの貯金を投資して設立した会社もすぐに廃業を余儀なくされ(タイに来れば自分はスーパーマンになれると妄想している)、タイでは外国人の単純労働が認められていないため思うような仕事が見つからず(労働市場における競争力について理解できていない)、運良く仕事が見つかっても高校生アルバイトのような賃金でコキ使われ、日本人なら誰でももらえるはずの生活保障「年金(基礎年金・厚生年金・企業年金)」の受給資格も失い、もう死ぬしかないような状況にまで追い込まれている日本人がウヨウヨしている。もう現実が直視できなくなって、他人と比較しては「そんなのはウソだ。そんなはずない!」と言って自分の殻に引き籠もってばかりいる重度の自己愛性人格障害を患っている日本人も少なくない。必死に否定しようと頑張っていることより、ホントウの現実の方がきっともっと不愉快なはず。

一部で生ゴミ集積場より強烈な腐臭を放っているバンコクの日本人社会で、今晩は希少なダイヤの原石を見つけたかような喜びがあった。友人はありのままの現実を客観的に分析し、自分のポリシーに従って行動しようと心がけているし、そう努める限りここバンコクで幸せにやっていけるに違いない。きっと、友人のようにステキな現地採用生活を送っている日本人も相当数いるはず。日頃から妄想の世界に引き籠もってばかりいる日本人たちにウンザリさせられっぱなしの僕にとって、彼女はまさに砂漠のなかのオアシスだった。

バンコクで生活していくための適性についていろいろ語られているが、僕は個人の能力より、むしろ精神的な清潔さの方が大切だと思う。

ステキな現地採用生活に乾杯!

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現地採用 (2004年6月9日)

2005年12月21日(水)

特に何もない一日。夜、 McDonald’s(マクドナルド)Big Mac Set(ビッグマックセット) を友人が差し入れてくれた。

2005年12月22日(木)

「誰かに好意を持たれたら絶対に応えなきゃいけないっていう法律、日本にある? わたしの記憶違いでなければ、タイにそんな法律はないわ。これまで、わたしは一度として彼に『可能性がある』素振りなんか見せなかったし、遭遇するたびに『あなたは運命の人じゃない』ってハッキリ伝えてきたのに、『君の心が僕に靡くまで続ける』とかワケワカンナイこと言って、毎日夕方頃になると寮に白い花束を届けに来るし、夜になると固定電話、携帯電話、携帯メールの三重奏が鳴り響く。これはもう嫌がらせよ。完全なストーカー行為。そもそも、恋人でもない普通の友人の私生活に、ここまで図々しく入り込んでくる権利あんの? わたしにも人権はあるはずよ。すでに、ひどい頭痛と明日のテストのことでイッパイイッパイになってるのに、これ以上問題を増やされても困るわ。 もうホントウにキモい。今晩は寮に帰りたくない。明日のテストももういい。宿泊代金払うから、部屋に一晩泊めてもらえないかしら?」

午後10時20分、パホンヨーティン2の橋のたもとに停車中のクルマのなかで、友人は一向に鳴りやまない携帯電話の終話ボタンを連打しながら、そう憤慨していた。唖然とした表情で、涙ぐんですらいた。1時間以上にもわたるミスコールのせいで、厚さ13ミリの Motorola 製新型携帯電話 RAZA V3 の貧弱なバッテリーが、今にもなくなりそうだった。

この数分前、アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリー, 戦勝記念塔, ビクトリーモニュメント)ロータリーを通過中に、隣の部屋に住んでいる友人から「例のオトコが寮の前で座り込んでいる」という知らせを受けている。

バンコク在住の(タイ人社会とある程度の交流がある)日本人女性なら、一度や二度はこのようなシチュエーションに直面したことがあるはず。タイ人男性には、押してもダメなら引いてみろという発想がなく、相撲力士のように力ずくで寄り切って決着をつけようとするきらいがある。この戦略は、古典的な恋愛観を信奉している女性には効果的だが、比較的自立心の強い女性にはかえって逆効果になる。

なぜ自分のアパートがバレてしまったか、友人は不思議がっていたが、電話会社 TOT に問い合わせれば、①契約者名、②電話番号、③住所のどれかひとつ分かれば、すべての情報を引き出すことができる。

実のところ、ストーカー呼ばわりされているオトコが本当にストーカーかどうか、まったく確認できていない。この数日のあいだに優先順位第一位から追い落とされたばかりの元準彼氏かもしれないし、いまにも関係が破綻しそうな現役彼氏かもしれない。だから、話半分で聞いておいても良さそうだが、それだけにこれは典型的な口説き方。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ行ってから、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)12にある格安飲茶屋「チョークディーティムサム」で友人3人と夕食をとった。

2005年12月23日(金)

早朝、プラチャーソンクロ23にある食堂で朝食をとり、ンガームウォングワーン通り(ンガームウォンワン通り)にあるショッピングモール「バーングランプー百貨店(ハーンバンランプー, パンティッププラザ・ンガームウォングワーン店)」へ別の友人と出かけた。その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で作業を済ませ、サーラーデーング通り(サラデーン通り)で友人たちと午後11時半まで飲み続けた。

2005年12月24日(土)

「やっぱり、タイではこのあたりが限界かも」

午後10時50分、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室で、テレビのチャンネルを替えていたところ、スピーカーからベッドがギシギシ鳴る音と、ものすごくセクシーな女性の声が聞こえてきた。何事かと思ってチャンネルをとめて画面を眺めていると、コードレス電話を持っている女性がベッドの上で飛び跳ねていた。それを見た友人が冒頭のように話していた。

タイ映画「テレフォンセックス(Sexphone, The Girl Next Door)孤独放送局と隣家の女性(คลื่นเหงา สาวข้างบ้าน)」 (2003年)は、恐怖鬼(ปอบ หวีด สยอง)のヘーマン・チェートミーとチャルームポン・ブンナーク監督のロマンスコメディー。 Yoho Film (RS Promotion(アールエスプロモーション)系)配給。

主人公のドゥー(ビーム=ガウィー・タンヂラーラック演)は、高齢の祖父と二人で具らしている温和で自然を愛する青年で、家事全般を一手に引き受けており、その腕前は女性をも上回る。

隣家のジェー(ポーラー・テーラー演)は、北部のチアングマイ県(チェンマイ県)で両親と暮らしていたが、ひとりバンコクに引っ越してきたオーストラリア人とのハーフ。西洋的な環境で育てられてきたため、人一倍自立心が強くプライドも高い。

ジェーには、ドゥーが理想としている女性らしさが欠けている。住宅地のマナーに無関心で、近所迷惑を顧みず深夜にカラオケ装置で思いっきりシャウトする。本物の愛に出会うために、ひとりでも多くの男友達と交際しているがゲイばかり。それを知らないドゥーは、夜明け前に男友達を連れ込んでばかりいるジェーに強い嫌悪感を抱き、次第にジェーのなにもかもが嫌いになった。二人の対立は日を追うごとに深刻になり、後日、大きな問題を引き起こす。

ある日、ゲイのエンマーが、失恋して悲嘆に暮れているジェーに腹を立て、腹いせに DJ メーン(アナン・ブンナーク)がパーソナリティーを務める深夜の人気ラジオ番組「孤独放送局」にジェーの家の電話番号を投稿した。

運命の日。ジェーの家に、オドオドしてまったく要領を得ない不思議な電話がかかってきた。それを聞いて、変人がいたずら電話をかけてきたと思い込んで、撃退しようとテレフォンセックスの声を真似た。ところが、それは私用で休んでいる DJ メーンの代わりに、スタッフのドゥーがパーソナリティーを努めているラジオ番組のリスナーへの電話だった。・・・・・・ジェーの恥ずかしい声は、生放送でオンエアーされ街中で話題になった。

こうして急展開を迎えた隣人ふたりの関係は、その後どうなるのか。

夜、ナラーティワートラーチャナカリン通り(ナラティワートラチャナカリン通り)にある Connection Bar(コネクションバー) で友人3人と夕食をとった。うちふたりはカノジョの浮気が原因で破綻寸前のカップルで、オトコは取り乱して「浮気がちな女性と付き合うくらいなら、話の分かるオトコと付き合ったほうがマシだ」と言い放った。ディナーは暗い雰囲気のままお開きになり、部屋に戻ってタイ映画「テレフォンセックス(Sexphone, The Girl Next Door)孤独放送局と隣家の女性(คลื่นเหงา สาวข้างบ้าน)」を友人と見て地味にすごした。

クリスマスの夜を、こんな地味に過ごしてよかったんだろうか?

この時期、バンコクの男たちは、みんな古い友人や知り合ったばかりの友人たちからの声がかかる。新年のカウントダウン、バレンタインデー、タイ正月(ソングラーン)直前もそう。その電話に対応するだけで、精も魂も尽き果てて、クリスマスを楽しむどころではなくなってしまった。

2005年12月25日(日)

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と合流し、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅)前にある複合商業施設「サヤームパラゴン(サイアムパラゴン)」1階の日本料理屋「大戸屋」で夕食をとった。その後、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body Massage(キングスボディーマッサージ) (全身マッサージ330バーツ)へ、バンコク滞在中の高校時代の友人と出かけた。

このブログについて、「死人に鞭打つような表現が気になる」との指摘を高校時代の友人から受けた。

クリスマス、世の中は思った以上に平和だった。

帰宅後、別の友人がタクシーに乗ってやってきた。

2005年12月26日(月)

「実は・・・・・・父の希望もあって、一度はクリスティアン大学(クリスチャン大学)に入ったんだけど、なんか自分には合わないと思ったから、いまの大学に編入したの」

午後8時15分、プララームガーオ通り(ラマ9世通り)にある屋外レストラン「タレーバーンゴーク」で、日本人のあいだで「タイの私立大学御三家(グルングテープ大学(バンコク大学), ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学), アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学))」と呼ばれる大学に通っている友人は、自分の過去について少しずつ話し始めた。

私立大学の学生が大学を転々とするのは、タイではよくある話。

23日夜、サーラーデーング通り(サラデーン通り)で日本人の友人たちと飲んでいたとき、日本語学校 Waseda Education Thailand(早稲田・日本言語文化学校) (2003年4月設立)に通っているタイ人に、どう説明したら早稲田大学の素晴らしさと、そこへ留学することの意義を分かってもらえるか、という話になった。さしあたって、その答えを得るためには、タイの私立大学とは何か知っておく必要がある。

不利益を被る人々からの猛反発を食らう可能性があるため、これまでバンコク留学生日記ではタイの高等教育制度に言及するのを極力避けてきた。しかし、日系人材紹介会社ですらタイの大学を正しく理解しておらず、また、日本人の友人からも詳しく取り上げて欲しいと依頼されたため、今回はタイ社会における私立大学の位置づけについて考えてみたい。

タイにおける私立大学の序列は、バンコクの日本人社会でもしばしば話題にのぼる。よく聞くたとえ話に、第一位:グルングテープ大学(バンコク大学)は日本の早稲田大学相当、第二位:ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)は日本の慶應義塾大学相当、第三位:アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)は日本の上智大学相当、というものがある。

しかし、タイの私立大学と日本の私立大学とでは、教育研究期間としての▽歴史▽格付け▽入学難易度▽卒業難易度▽カリキュラムの質がまるで違うため、双方を単純に比較することはできない。

日本の私立大学には、長い歴史がある(1890年慶應義塾大学昇格, 1902年早稲田大学昇格)。そのため、日本人のあいだでは私立大学の伝統と格式が広く認識されており、上位私立大学の入学難易度も高い。

タイの私立大学は、つい最近まで准大学(カレッジ)という位置づけにあり、正規大学(ユニバーシティー)としての歴史がほとんどがない(1984年グルングテープ大学(バンコク大学)昇格, 1984年ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)昇格, 1990年アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)昇格)。歴史と伝統で国立大学に大きくおくれをとっているため、タイ人のあいだでは私立大学の歴史と格式が軽んじられている(1916年ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)昇格, 1934年ウィチャータンマサートレガーンムアング大学(道徳政治学大学)昇格=現在のタンマサート大学(タマサート大学))。

また、タイの私立大学は、形式的な入学検定試験を設けている大学もあるが、定員数や合格基準があいまいで、毎年、大量の新入生を際限なく受け入れている。つまり、授業料を払えるだけの経済力があれば、第一志望の私立大学に入ることができる(一部大学の一部学部を除く)。

その背景には、私立大学の切迫した台所事情がある。日本の私立大学は入学検定料(30,000円前後)が貴重な収入源になっており、大学によっては年間予算の25%を超えているが、タイの入学検定料はたったの200-300バーツ。これでは運営資金の足しにもならないため、タイの私立大学は新入生を大量の受け入れて授業料収入を増やそうとしている。各私立大学の入学要件はつぎのとおり。

グルングテープ大学(バンコク大学)の入学要件
会計学部・経営学部・報道放送学部・法学部・人文学部・経済学部・理工学部
1. 総合能力試験(社会科A、タイ語A、時事問題)
2. 英語能力試験(表現と理解力)
3. 数学応用力試験(数学A、日常生活における応用的数学力)

 

ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)の入学要件
1. 面接試験
2. 入学検定試験については面接試験日に告知する

 

アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)の入学要件
1. 平均評定3.0以上または
2. 平均評定2.50以上かつ、高等教育委員会主催の能力検定試験(統一大学入学試験)において、入学志望学部が指定した教科で50%以上の得点をとることまたは
3. 国立大学への入学が許可されることまたは
4. 高等教育委員会主催の能力検定試験(統一大学入学試験)において、英語で60点以上をとることまたは
5. TOEFL 500点以上、または IELTS レベル5以上を所持していること

 

トゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンディット大学)の入学要件
1. 基礎分析力試験
2. 面接試験(合否は試験日に告知する)
 
< ただし以下に該当するものは筆記試験を免除する>
A. 高等専門学校前期課程・工業高等学校・高等専門学校後期課程を卒業した者で平均評定3.0以上の者または
B. 高等学校を卒業した者で平均評定2.50以上の者または
C. 高等教育委員会主催の能力検定(統一大学入学試験)で数学、英語、タイ語、社会科のどれか一教科で平均点以上をとった者または
D. 第二部(夜間)に入学希望の者または
E. 地方の出張所に願書を提出した者

パッと見では難しそうだが、ちょっとした工夫をするだけで簡単に各大学の入学要件を満たすことができる。

私立大学合格必勝法

 
<グルングテープ大学>
入学試験を受験しに行けばオッケー(合格最低点はかなり低いし、入学定員もない)
<ホーガーンカータイ大学>
面接試験で学習の意志をアピールすればオッケー
<アサンプション大学>
地方にある全入状態の国立ラーチャパット大学(ラチャパット大学)またはラーチャモンコン大学(ラチャマンガラ大学)を受験する
<トゥラギットバンディット大学>
地方の出張所に願書を提出する

*ただし、一部大学のマスコミ学科や日本語学科には入学希望者が殺到し不合格者も出る

各私立大学は、自らの威信をかけて「学位」を発行している。その質を維持するために学生を常にふるいにかけ、平均評定 GPA が2.00に満たない学生を容赦なく放校しているから、入学できたところで卒業できるとは限らない。入学生に対する卒業生の割合は、グルングテープ大学(バンコク大学)工学部で4:1、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)経済学部3:1程度といわれている。

不幸にも退学を余儀なくされた学生は、より格下の大学へと編入していく(一部の単位は互換性がある)。グルングテープ大学(バンコク大学)の学生によると、① GPA が2.00になる前に自主退学し、②単位の互換性が高く評定も甘いラングスィット大学(ランシット大学)に編入して、③グルングテープ大学(バンコク大学)と互換性のある単位を集め、④卒業単位が近くなったらグルングテープ大学(バンコク大学)に返り咲けば、⑤グルングテープ大学(バンコク大学)の学位を取得できる(グルングテープ大学(バンコク大学)は一度まで復学を認めている)。ところが、そのように上手くいくの希で、たいていは転出先の大学で学位を取得するという。なお、ラングスィット大学(ランシット大学)からの転出先には、トゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンディット大学)スィーパトム大学(シーパトム大学)がある。

このようなタイ独特の大学事情があるため、入学難易度だけで私立大学をランク付けするのにはムリがある。各大学が発行する学位の格は、▽卒業難易度▽放校時の転出先▽卒業後の進路などから総合的に判断しなければならない。・・・・・・ここで僕独自のタイの私立大学ランキングを公表するのも面白いが、客観的に数値化できないものをフィーリングだけで順序づけても無意味だからやめておく。

もし自分が日系企業の採用担当者なら、私立大学を卒業したタイ人を積極的に採用する。論理的思考力が求められる仕事には国立大学の卒業生を充てるが、▽都会的かつ理知的な振る舞い▽豊かな想像力▽機敏な行動力が求められる職種には私立大学の卒業生の方が向いている。ちなみに、日系企業に強いのはアサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)(語学力があり、日本文化への親和性も高い*ため使いやすい, ただし西洋かぶれでタイ語やタイ史には弱い)、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学, タイ商工会議所大学)は私立大学トップの就職内定率86.27%を誇り、グルングテープ大学(バンコク大学)も人材の質には定評がある。

* アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)の卒業生(英語専攻を除く)は、 TOEFL 400 点代後半から500点代前半程度の英語力がある(550点には満たない)。

また、「タイの私立大学御三家」を一流大学とする場合、少なくとも以下に掲げる大学すべてを一流としなければならない。

ヂュラーロンゴーン大学、タンマサート大学、ガセートサート大学、マヒドン大学、スィンラパーゴーン大学、チアングマイ大学、コーンゲン大学、ソンクラーナカリン大学、プラヂョームグラーオ工科大学、スィーナカリンウィロート大学、ラームカムヘーング大学

・・・・・・日本における上位私立大学のスゴさを理解してもらうには、最低でもこの程度のことをふまえたうえで、本人にも受け入れやすいような表現を選んで丁寧に説明していくしかない。

タイで大学生をするのも楽じゃない。少し手を抜くとすぐに放校されてしまうし、高校生のように中間テストもある。テスト期間中に遊び歩いてばかりいる友人も、いつどうなるか分からない。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ出かけてから、プララームガーオ通り(ラマ9世通り)にある屋外レストラン「タレーバーンゴーク」で友人と夕食をとり、さらに別の友人たちも加わりラッチャダーピセーク通り(ラチャダーピセーク通り)にある Pump Up!(パムアップ) へと繰り出した。

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バンコク留学生日記大学めぐり関連

2005年12月27日(火)

「贋物ふかひれスープなんて、出せるわけないじゃないの。どうせ客はすぐに気付くし、警察の手入れを受けたら廃業もんよ」

午後7時、ヤオワラート通り(ヤワラー通り, ヤワラ通り)にある中国料理屋「和成豊魚翅(Hua Seng Hong)」で友人と夕食をとった。ふかひれスープのあまりの安さに驚いて「ホントに本物?」と尋ねると、中年の女性従業員が憤慨して猛烈に否定した。

上海の下町にありそうな古ぼけた店内は、中国系タイ人や中国人観光客でごった返しており、さしずめ「公用語がタイ語の中国」といったイメージ。どこを見ても、タイらしいものはまったくない。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と過ごしてから、ヤオワラート通り(ヤワラー通り, ヤワラ通り)にある中国料理屋「和成豊魚翅(Hua Seng Hong)」で友人と夕食をとった。ふかひれスープ2杯(300バーツ×2)、飲茶3品、酢豚、蟹炒飯で、合計890バーツ。

2005年12月28日(水)

スィーロム通り(シーロム通り)で友人とだらだら過ごしてから、中華街ヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラ通り)にある中華料理屋でふかひれスープを堪能した。ここのところ本格中華にハマっている。

食後、ヤオワラート通り(ヤワラート通り, ヤワラ通り)ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)を散策し、プララームスィー通り(ラマ4世通り)にある夜間定期市「スワンルム・ナイトバザール」へと向かった。

スワンルム・ナイトバザール(スアンルム・ナイトバザール)は、ウィッタユ通り(ワイアレス通り)を挟んでルンピニー公園(スワンルム)の向かいにあり、動植物、服飾品、家具・家庭用品、手工芸品、画材道具、宝飾品、電子機器、骨董品、旅行代理店、玩具店、楽器店、スパ、ビューティーサロン、各種サービスなどを扱っている。

地下鉄ガンペーングペット駅(カンペンペット駅)前にあるヂャトゥヂャック週末定期市(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)の小型版と聞いていたため、これまでまったく無関心だった。しかし、聞くと見るとでは大違い。店舗の配置はたしかにヂャトゥヂャック週末定期市(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)に似ているが、商品は高品質で魅力的なものばかり。

ヂャトゥヂャック週末定期市(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)が庶民向けの日用品市場とするなら、スワンルム・ナイトバザール(スアンルム・ナイトバザール)は都市部の中間層(世帯収入20,000~80,000バーツ)向けの嗜好品店街。

いま使っているカバンが超ヘボいため、思わずオシャレなカバン(3,100バーツ)を衝動買い。タイ赴任が決定したら、ここで家具やアロマ関連商品をめいっぱい集めて、レトロでアジアンな部屋を作ってみるのもいいかも。

マンゴスチン石鹸など、土産物品に適した商品もたくさんある。

<関連リンク>
スワンルム・ドットネット オンラインショッピング

2005年12月29日(木)

「あのさ・・・・・・絶対に怒らないでね。実はさっきノーイナー(仮名)から電話があって、これからモーチットのバスターミナルで長距離バスの乗車券を買うところなんだって。わたしが言ってることの意味、分かってる? 今晩出発するみたいなのよ」

午後5時20分、サートーン通り(サトーン通り)にある高級ホテル「スコータイ」のロビーで友人とアフタヌーンティーを楽しんでいたところ、別の友人が電話口でそう言った。

数週間前、この友人から「30日に長距離バスでラオス方面へ行く」と聞いていた。目的地はノーンカーイ県(ノンカイ県)チョングメック郡(チョンメック郡)メーコーング川(メコン川)のタイ側で、ビールを飲みながら新年を迎えるという話だった。

ところが、突如、出発日と目的地が変更され、ノーンカーイ(ノンカイ)の南東380キロの地点にあるウボンラーチャターニー県(ウボンラチャタニ県)ムアング郡へ行き、そこから現地に住んでいる後輩のクルマで同県スィリントーン郡(シリトーン郡)チョングメック村(チョンメック村)にあるキャンプまで移動して新年を迎えることになった。

「おまえ、それでも本当にタイ人か? なぜ母国語でコミュニケーションをとっているのに行き違いが起こるんだ? チョングメック村(チョンメック村)の場所が分からないとは・・・・・・それでも社会科の勉強してきたのか?」 思わずイヤミを連発してしまった。

もうサイアクだ。計画立案時における曖昧さと説明不足が原因で、統率能力に欠けるタイ人が5人以上で行動するときに起こるミスコミュニケーション。この悪循環に陥ると、事態が悪化することはあっても好転することなどほとんど期待できない。

「参加を取りやめて、わたしたちだけで別のところへ行くという選択肢もあるわ。まだ今なら間に合うはず」

今回の急な予定変更には友人もウンザリしている様子で、今後の見通しについても似たような予測を立てている。無謀な集団行動をするより、個別で行動したほうが楽だしムダもない。

しかし、今年のクリスマスがあまりにも平凡すぎたから、せめて新年くらいは充実した日々を送りたい。そう考えて友人のアドバイスを退け、地下鉄パホンヨーティン駅前のモーチット・バスターミナルへと向かった。

午後10時15分、モーチット・バスターミナルの乗車券売り場は、帰省客でごった返しており、人々の汗の臭いが周囲に充満していた。難民キャンプさながらの様相で、バス乗車場53番前の階段には人が鈴なりになっていた。そこに、ウボン(ウボンラーチャターニー)行きのプラカードを持っている T シャツ姿の男が現れた。

「ウボン行き増発便のチケットを持っている人は、わたしの後に付いてきてください」

連れてこられた場所は、バスターミナルの隣にある広大な操車場。30~40人規模の人々の列が縦横無尽に行き交い、映画に登場する兵営さながらの光景だった。

午後11時、すぐ近くで群れをなしていた集団が、スリン行きのバス(発車時刻午後6時)のバスに乗り込んだ。この様子では、ウボンラーチャターニー(ウボンラチャタニ)行き(発車時刻午後10時半)が、いつ出発するか分かったもんじゃない。

結局、翌30日午前零時半にモーチットを発った。

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とダラダラしてから、サートーン通り(サトーン通り)にあるホテル「スコータイ」でアフタヌーンティーを楽しんだ。その後、部屋に戻って別の友人と荷造りし、地下鉄パホンヨーティン駅からバイクタクシー(モーターサイ)でモーチット・バスターミナルへと向かった。

2005年12月30日(金)

「工業高専の角を右に曲がって、すぐに右折です」

午前10時半、ウボンラーチャターニー県(ウボンラチャタニー県)で、観光バス(1等高速バス644バーツ相当の臨時増発便)の運転手が道に迷い、目的地のウボンラーチャターニー市(ウボンラチャタニー市)から東に40キロ離れたピブーンマングサーハーン郡におり、堪りかねた乗客が運転手に指示を出した。

午後11時、ウボンラーチャターニー市(ウボンラチャタニー市)のバスターミナルに到着。バンコクからの距離およそ630キロ、所要時間10時間半。迎えに来てくれた、現地に住んでいる友人の後輩のピックアップトラック(ロットグラバ)で、タイ・ラオス国境があるチョングメック郡(チョンメック郡)へと向かった。

ラオスに行かないのに、なぜ何もない国境に向かってるのか?
(このとき、友人に確認したところ、国境は越えないという答えが返ってきた)

午後12時半、同県スィリントーン郡(シリトーン郡)にあるスィリントーンダム公園を経由して、チョングメック国境(チョンメック国境)に到着。友人たち9人(友人7人+現地に住んでいる友人の後輩3人)は、近代的な紫色の建物を目指して歩き出した。

こんなところにある近代的な建物といえば、入国管理局の庁舎以外に考えられない。絶対にラオスへ出国するつもりだ。

「そうに決まってるじゃないか。でなければ、誰がこんな片田舎の市場まで来るんだよ」

なんてこった。この集団にはまともなコミュニケーション能力がないのか? 「外国に行く」という肝心な情報が共有されてないとはどういうことか? タイ人は国民 ID(バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン, バットプラチャーチョン)を提示すれば「国境通行証(パットパーンデーング)」(200バーツ)がもらえるからいいが、こっちは再入国許可証(リエントリーパーミット)をもらってから出国しないと留学ビザが失効してしまう。

やむなく、ピブーンマングサーハーン郡まで戻って、入国管理局で再入国許可証(リエントリーパーミット)を発給してもらった。

午後3時すぎ、国境を越え、ラオス側のワングタオ(ワンタオ)市場でワンボックスカー(ロットゥー)(500バーツ)を借り切った。このとき、不思議なショートメールを受信した。

「 AIS からのお知らせ。▽ウィアングヂャン(ビエンチャン)最低気温23℃, 最高気温32℃▽為替レート1ラオスギープ(ラオスキップ)=0.004タイバーツ▽時差0時間。外国でも One-2-Call のサービスをご利用いただけます。携帯電話から *131*(国番号)(電話番号)# の順に押すと発信できます。もちろん着信することもできます。外国旅行中も低コストでお友達とのやりとりができる Freedom Planet Promotion をどうぞご利用ください」

これは、 AIS の Freedom Planet Promotion (国際ローミングサービス)申込者が、外国でそのまま携帯電話を使うと自動的に送られてくるメッセージ。このサービスへの申し込みは、携帯電話から *125 +発信ボタンを押すだけ。通話料は着信1分40バーツ。ちなみに日本でも、▽国内通話1分50バーツ▽タイ向け発信1分30バーツ▽着信1分30バーツ払えば利用できる。送られてきたメッセージどおりに利用すると、発信後に折り返し電話がかかってくるコールバック通話になる。ラオス国内でも、残高照会(*121)とプリペイドカード補充ができる。ラオスで長期滞在するなら、タイ国内で大量のプリペイドカードを買っておくと便利。

日没前、僕たちはヂャンパーサック県(チャンパサック県)の県都パークセー市(パクセー市)にある小学校に、ノーイナーがベトナム旅行中に知り合ったラオス在住のベトナム人(永住ビザ滞在者)が迎えに来てくれた。

ゲストハウス「ナーリーンターヂャルーン」(7人部屋300バーツ)にチェックイン。メーコーン川(メコン川)の畔にある屋台街でラオス産ビール「ビアラーオ(ビアラオ, ラオスビール)」を飲んで、旅の疲れを癒した。

2005年12月31日(土)

「こんなスゴい滝がタイにあったら、もっと本腰を入れて観光開発に乗り出すはずよ。たとえば、あの岩の先端まで行けるように木造の橋をつけたり、トッククローングプルー(トックロンプルー)滝みたいに50メートルおきに警備員を配置して安全をアピールするんじゃないかしら」

午後12時半、ヂャンパーサック県(チャンパサック県)コーンパペングの滝(コーンパペンの滝, コンパペンの滝)で友人は言った。メーコーング川(メコン川)の対岸にあるカンボジア領を望め、自然のダイナミズムに圧倒される。バンコク人の安全に対する意識は日本人が考えているより高い。

コーンパペングの滝(コーンパペンの滝, コンパペンの滝)は、パークセー(パクセー)の南およそ90キロ、悪路のなかを約3時間走ったところにある。 東南アジア圏内の滝としては最大の高さ約15メートル、全幅約300メートル、「第二のナイアガラ(ラオスのナイアガラ)」の別名でも知られている。「観光といえば滝」という旅行哲学を持っているタイ人には大盛況で、年末年始の休みを利用して来ている観光客の90%以上がタイ人だった。ちなみに、ここにある簡素な物見櫓は、1993年7月にタイ政府の援助によって建てられた。

午前5時半起床。新パークセー(パクセー)市場を2時間かけて散策した。午後10時まで仮眠をとり、それから新パークセー(パクセー)市場でノーイナーがチャーターしたワンボックスカー(運転手付き2日間6,000バーツ)でコーンパペングの滝(コーンパペンの滝, コンパペンの滝)へ向かった。いちおう東南アジア研究科の学生ということで、ワットプー遺跡を見物した。この寺院はユネスコの支援により一部修復されたが、それでも原形をほとんど留めていない。パークセー(パクセー)市内の中華料理店で夕食をとり、ゲストハウス「ナーリーンターヂャルーン」に戻った。

いろんな場所を見物して体力を使い果たし、7人とも午前零時の新年カウントダウン番組(バンコクから生中継)を観る前に眠りに落ちた。写真は、オイルマッサージのために立ち寄ったパークセー(パクセー)最高のホテル Champasak Palace hotel Pakse(ヂャンパーサックパレスホテルパークセー) の正面噴水前で撮影したもの。