コクられるためには、コクらなければいけない

「ねえ、わたしのこと好き?」

夜、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室で、パソコンのキーボードの上に突っ伏してグッタリとなった。

何の前触れもなく唐突に襲い掛かってくるこのフレーズに、バンコクで健全な生活を送っている普通の日本人男性であれば、誰しも一度は頭を悩まされたことがあるだろう。少女マンガの「わたしのこと好き? → わたしも好きよ」のパターンを想定して発せられた質問と言ってしまえばそれまでの話だが、その背景には、実はもう少しだけ複雑なタイ人固有の価値観と、タイ人女性独特の恋愛に関するポリシーがある。

タイ人の友人を一定数確保し続けるのも楽ではない。男友達であれば相手が同性愛者である可能性さえ排除できれば長期的に付き合っていくこともできるが、女友達というものは仲良くしているうちに必ずと言って良いほど「男女交際」を要求してくるようになるから本当に難しい。しかも、その要求を断ってしまったら友人関係そのものが破綻してしまうし、かと言って、逆に受け入れてしまったらとんでもなく不本意な男女交際を中長期的に続けていくことを余儀なくされることになる。

これは、何の前触れもなく、突然襲い掛かってくる自然災害のようなものだ。だから、女性からコクられたところで、ちっとも嬉しくない。しかも、タイ人の女性は「オトコの方から告白された」という形式をとりたがるため、オトコとしてはとても厄介な対応を迫られることになる。

タイ人女性にとっての恋愛とその戦術について

2004.11.17

なぜ、タイ人の女性が、そこまで「オトコの方から告白される」という形式にこだわるのか? その背景には、タイ人女性独特の恋愛観がある。

  1.  伝統的なタイの価値観と対立する外国の価値観を拒否するタイの国民性(タイ人の保守性)。
    タイ政府は1970年代、社会主義の脅威から国家の政治体制を守るため、ラジオ放送を通じて仏教信仰と国王崇拝の大切さを訴え、賛美してきた(欧米的な生き方は否定された)。その影響で、保守的な価値観を守り、舶来の新しい価値観を否定するタイ人の国民性が形成されている。
  2. タイ固有の道徳観にしたがって生きようとするタイの国民性(タイ人の道徳観)
    タイ政府は1970年代、社会主義の脅威から国体を守るために、ラジオ放送を通じて「タイ人としてのあるべき生き方(クワームペンコンタイ)」の大切さを訴え賛美した(欧米的な婚前交渉は否定された)。その影響で、道徳観にしたがって生きようとするタイの国民性が形成されている。
  3. 古典的な恋愛を理想とするタイの国民性(タイ人の保守的な恋愛観)
    タイ人の保守性や道徳観により古典的な恋愛観が形成されている影響で、日本の古典文学にもみられるような「好きなオトコに(ココロを)奪われたい」と願うタイ人女性の恋愛観が形成されるようになった。
  4. 根本的な変革を求めないタイの国民性(タイ人の受容性)
    タイにおける女性の社会進出は、かなりはやくから進んでおり、男女平等もしくは女性優位を唱えるフェミニズム論が台頭する余地がなかった。そのため、恋愛については西洋化の影響をほとんど受けていない。

これらの理由から、タイ人の女性が一大決心をして男性に対して愛を告白する行為は、あまり望ましくない行為、または、とんでもなくハシタナイ行為と認識されている。だから、タイ人の女性が特定の誰かと付き合うことを自ら希望する場合には、それこそどんな手段を使っても「オトコにコクらせる」という選択を取らざるを得ない(それこそ恋愛に対して完全に「待ち」の姿勢に徹しているタイ人女性も少なくない)。

そのようなタイ人独特の価値観が、今回の「ねえ、わたしのこと好き?」という冒頭の質問にあらわれている。ここで質問をした相手に否定されてしまったらそれでおしまいだが、幸運にも「うん」という答えが返ってきたら、そこで「完全なセンテンスでハッキリと言って」と改めて要求することで、とりあえず「オトコにコクられた」という形式をとることに成功するため、交際に至るまでの経緯について友人たちに話すときに、胸を張って説明できるようになる。

タイの文化については、タイの事情に疎い一部の外国人によって「マイペンライの文化」(なんでもテキトーの意)などとと言われているが、実際のところは「曖昧さを重んじる文化」と表現するのが正しい。だから、答えたくない質問には、遠回りな表現で答えるか、もしくは曖昧に答えておけばよい。そうするれば、相手から投げかけられた、自分にとって不都合な質問を無力化することができる。

日本でそんな曖昧な答えをしたら「バカにすんな」のグーパンチが顔面にメリ込んでくるかもしれないが、タイではそういった「曖昧」な対応こそが美徳とされている。タイ人が比較的温厚なのはその「曖昧さ」のおかげだし、もし対応を誤ってガチンコの勝負に発展してしまったら、それこそ殺し合いの死闘に発展することを覚悟しなければならない。何事も、曖昧であることが、タイと世界の平和を保つ秘訣ためのなのである。

・・・・・・とこじつけて、とりあえず曖昧に答えておいた。これで今回の自然災害から免れれば不幸中の幸いだ。

ああ、こんなくだらないことに何十行も費やしてしまった! 眼科医から、レーシック手術の事前検査が実施されるまでの一週間はコンタクトレンズを装用しないように言われているため、遠出することもできず時間を持て余している。

最近、バンコクもようやく涼しくなってきた。 T シャツ一枚では少し肌寒く感じるほどだ。屋外を早足で歩いても、汗をかくことなく、気持ちよく散歩することができる。きょうは、このようなやりとりを友人としてから、スクンウィット7街路に新しくできた「髭オヤジラーメン」へ行って別の友人と夕食をとった。

ちなみに、この日記にある「タイ人女性の恋愛観」は、夜の街などで「恋愛サービス」を有料で販売している娼婦に対しては適用はできないので注意が必要だ。また、「タイ人娼婦との恋愛」と「世間一般のタイ人女性との恋愛」を一緒に考えている方に対しては、この機会に厳重に抗議しておきたい。根本的にまったく性質が異なる人種、恋愛を同一視されては、タイ人が気の毒でならない。タイ人をバカにするのも大概にしろと言いたい。

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ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。