バンコクにおける愛人契約の相場

「このまえチャットをしていたときに、ある男が毎週土曜日に丸一日付き合ってくれれば月々20,000バーツの手当を支払うという話を持ちかけてきたから、相場は30,000~40,000バーツなんじゃないかって切り返してやったの。もちろん興味本位でからかってやっただけなんだけど、とうとう最後には25,000バーツ出すとまで言ってきたわ。この男が女子大生に対して手慣れた様子で愛人契約の話を持ちかけてきているところから推測すると、おそらくすでにそれなりの実績があるってことなんじゃないかしら?」

夕方、きのう飲んだ酒の二日酔いが抜けきらないまま自室でぼんやりとテレビを眺めていたところ、友人が夕食の差し入れに来てくれた。話は半ば上の空だったが、ふと標準的な日本人の給与所得者にこれほどの大金を用意できるものかと気になった。もし仮に、タイにおける愛人契約の相場が月額30,000バーツであるのなら、年間で100万円弱の費用がかかる計算になる。

愛人の女性に対して支払われるいわゆる手当や仕送りといったものは、お気に入りの娼婦を売春から足を洗わせることによって自分ひとりで独占するための収入補償といった意味合いがある。ひとりの女性をいろいろな意味で拘束するわけだから、とうぜん贅沢な暮らしなどといったそれなりの見返りを与える必要がある。バンコクであればせめて大卒女性25歳の標準的な月給である20,000バーツ程度はほしいところだ。相場は25,000~35,000バーツと言われており、月額40,000バーツ以上になると「そこそこオイシイ話」に分類される。

これが今、一部の日本人中年男性たちのあいだで流行っている。ところがタイにおける愛人手当の相場は日本の3分の1程度と決して安くはない。タイにおける所得格差に疎い一部の日本人男性たちは、タイ人はみんな均質に貧しいと思い込んで毎月6,000バーツもやれば十分と考えているようだが、それでは高卒の工場労働者の月給にも劣るため愛人に対して支払う手当としてはあまりにも少なすぎる。手当が少なければ、その愛人は男性に対して手当の増額を要求するか、もしくはスポンサーとなる男性の数を増やさざるを得なくなるだろう。したがって、少額の手当や仕送りだけでは、特定の女性に売春から足を洗わせて自分ひとりで独占するという愛人契約本来の目的を果たすことはできない(そもそも十分な手当を支払ったところでどれだけ上手くいくのかも疑わしい)。

一部の日本人中年男性たちは「タイの女性は金の亡者だ」とよく言うが、恋愛ビジネスにおけるサービスの提供者が利用者に対して正当な報酬を要求することのどこがおかしいのか?それとも普通の恋愛と「ビジネスとしての恋愛」との区別すらついていないのか!?

私的なNGO活動として自己満足に浸りたいのなら、まずは本物のNGO団体に金銭を寄付をしてみてはどうだろうか。中途半端なカネを愛人なり娼婦なりに与えたところで、どうせ麻薬の購入費やヒモとなる別の男性の生活費に変わることは目に見えている。それなら最初から民間の団体を通じてタイの貧しい子どもたちに文房具などの有益な物品を提供して地球社会の発展に貢献したほうがよほど有意義なはずだ。一部の見当違いな同胞たちを見ていると、本当にいたたまれない気持ちになる。

この友人は、就職活動をしていたときに「高収入保証」と書かれた求人案件をインターネットで見つけ、電話をかけて問い合わせてみたところ、なんとその電話はラッチャダーピセーク通りにあるマッサージパーラー(ソープランド)に繋がったという。そのときも今回と同じように興味本位で相手を質問攻めにしたようで、そのときはじめてマッサージパーラーで働いているマッサージ師(ソープ嬢)には月々50,000バーツの固定給のほか、チップによる追加収入があるということを知ったそうだ(肌は白くて目は大きいか、と電話中に何度も聞かれたらしい)。

ところで、冒頭にある友人の話にはオチがあった。

「この男、手当は毎月末に銀行の口座に振り込むとかほざいていたのよ。それではせいぜい1ヶ月間まるまる好き勝手なことをされたあげくにトンヅラこかれるのがオチね。誰がそんなバカな話に付き合うもんですか!って思うけど、こんな誘いに乗ってしまう愚か者もきっといるんでしょう。ま、わたしは端から誰かの愛人になるつもりなんてないから関係のない話だけど」

支払う側にとっても受け取る側にとっても自己責任。それが愛人契約の原則なのかもしれない。

昨晩、トーングロー通りにあるキャバレー Exotica Exclusive Club を出たあとの記憶が全くない。コンタクトレンズの左側はきちんと保存容器のなかに納められていたのに、なぜか右側だけが目のなかに残ったままだった。部屋の鍵やカバンが定位置にはなかったので、コンドミニアムの警備員が部屋まで送り届けてくれたのか、それとも自力で部屋まで戻って来たのかも判断できない。まったく分からないことばかりで、朝からイヤな気分になった。

視力は午後3時ごろに回復し、午後6時には眩暈からも開放された。そのためタームペーパー(学期末の課題小論文)の提出日が間近に迫っているにもかかわらず、昼寝をしたりネットサーフィンをしたりと、一日を無為に過ごしてしまった。

ここのところ、好奇心旺盛な人の話力には感心させられることが多い。好奇心は知識を蓄積し、知識はコミュニケーション能力として発揮される。

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ケイイチ
バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。