ペッブリー県にある離宮めぐり

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午前5時半、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の寝室から、カーテンを開けて、まだ薄暗い窓の外の様子を眺めてみたところ、一日中渋滞しているはずのスクンウィット通りは交通量が少なく、閑散としていた。

タームペーパーの提出日を控え、ここのところ夜遅くまでペーパー作業をする日々が続いていたため、この時間に起きるのは本当に辛かった。それでもなんとか気合いでベッドから起き上がり、まだピッタリとくっついている両目の目ぶたをシャワー室へ行ってこじ開けた。

スクンウィット13街路からタクシーに乗った。街路の入口では、まだ深夜モードのまま泥酔している西洋人たちが、肌の色が黒い中年の娼婦を自分の膝の上に乗せており、ナーナー交差点の付近では、黄色い袈裟を纏っている僧が托鉢をしていた。なかなかの皮肉だが、このコントラストがいかにもバンコクらしい。

午前6時、ヂュラーロンゴーン大学の文学部4号館に到着し、タイ研究科が用意した2等長距離バスに相当する42席ある観光バスに乗ってペッブリー県へ向かった。きょうのタイ文化論の講義では、タイの高級文化の素晴らしさを学ぶため(?)に、ペッブリー県にある歴代国王の離宮を見学してまわり、その建築様式や美術品からそれぞれの時代の芸術について学ぶ予定となっている。

午前中、プラナコーンキリー宮殿を見学した。この宮殿は1858年、プラヂョームグラーオ王(ラーマ4世)の離宮として、ソムデットヂャーオプラヤー・ボーロンママハースィースリヤウォングがソンマナ山の頂に建設した。プーミポンアドゥンヤデート大王(ラーマ9世)の即位後に歴史公園として整備され、現在では一般に公開されている。純タイ式の建築物だが、そこにある装飾品からタイにおける西洋化への流れを観察することができる。ちなみに、装飾品の大半は盗難によってすでに散逸してしまっており、現在展示されているのは当時のレプリカという。

きょうの講師がタイ文化研究における大物とだけあって、僕たちはどこへ行っても手厚い歓待を受けた。ここでは頂上付近でコーヒーと軽食が振る舞われたが、それ以前にこの山を歩き回るだけで体力を完全に使い果たしていた。

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昼食後、プララームラーチャニウェート宮殿を見学した。この宮殿はプラモングットグラーオ王(ラーマ6世)の離宮として、ソムデットプラヂャーオボーローンマウォングター・グロムプラヤー・ダムロングラーチャーヌパープがペッブリー川のほとりに建設した。西洋列強によって東南アジアが植民地化されていくなかで、当時のタイ政府は自らの地位や能力を西洋化の度合いによって証明して、独立を維持しようとしていたという。

その後、ワットゲーオスッターラーム寺とワットヤイスワンナーラーム寺を見学してから、市場へ行ってカーオラームやカノムモーゲーングナーメットブワなどの特産品を買った。

午後7時、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite に戻ってきた。酒を飲んでからすぐに寝て、あすのペーパー作業に備えた。

ABOUTこの記事をかいた人

2001年に金融機関の社内SEを辞めてタイへ渡り、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部が開講している外国人のための集中タイ語講座、インテンシブタイ・プログラムを修了しました。その後、アメリカ・ロサンゼルスにおける語学留学を経て、2006年にヂュラーロンゴーン大学大学院の東南アジア研究科修士課程を修了。以来、機械部品商社の海外営業、生産設備商社の海外営業を経験し、現在は機械メーカーの国内営業部門で海外現法向けの部品輸出を担当しています。