2005年9月1日(木)

「こんなところに『タクシースタンド』なんて作ったところで何になるのか。みんな歩くのがイヤでタクシーに乗ってんだろう? だから、そんなところで俺たちが客待ちしても、どうせ誰も来やしないさ。そんなカネがあるなら、タクシー運転手に月給15,000バーツ程度を保障してくれないかなあ。そして、タクシースタンド以外での乗降車を禁止する法律を作って徹底してくれれば、協力してやってもいいけど」

昼すぎ、国家警察本部前のプララームヌング通り(ラマ1世通り)を通過中、新しくできたタクシースタンド「賢者のタクシー停車場(ヂュットジョートテックスィーアッチャリヤ)」を眺めながらタクシー運転手がそうこぼした。

ここのところ、バンコク都心部でバス停のようなタクシースタンドが次々と建設されている。このプロジェクトはバンコク都知事アピラック・ゴーサヨーティン(任期2004.2-)の公約により実現したものだが、タクシー運転手が話していたように、わざわざ指定された場所まで歩いて移動するタクシー客などいないから、結局は無駄に終わるだろう(2007年4月追記:ついにタクシースタンドの廃止が決定しました)。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)タイ・東南アジア研究所で、教官からペーパー(小論文)についてのアドバイスをもらってから、友人たちがいるスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと向かった。午後10時まで何回を極める社会人類学系の論文を読み、スィーロム(シーロム)19にある小籠包屋「永和豆腐(ラーンナームタオフーヨングホー)」で夕食をとった。

ちなみに、タイではタクシー運転手は貧困の代名詞であり、月給15,000バーツなど夢のまた夢。

またしてもタームペーパー(学期末小論文)のシーズンになり、課外活動の縮小を余儀なくされている。

2005年9月2日(金)

午後の講座「ミャンマー研究」に出席してから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で難解を極める社会人類学系の論文を読んでタームペーパー(学期末小論文)に備えた。日没後、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ラーチャダムリ店(ラチャダムリ通り店)裏のマッサージ屋 Mr. Feet へ友人と行き、アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリーチャイ, 戦勝記念塔)前のショッピングセンター Center One(センターワン) で別の友人たちと合流し、近くにある超レトロな飲み屋で夕食をとった。

2005年9月3日(土)

午前5時半、寝室からまだ薄暗い窓の外を見ると、一日中渋滞しているスクンウィット通り(スクンビット通り)が驚くほど閑散としていた。

タームペーパー(学期末小論文)の提出日を控え、ここのところ夜遅くまでタームペーパー(学期末小論文)作業をしているため、この時間に起きるのはかなり辛かった。それでも気合いでなんとかベッドから起き上がり、シャワー室でピッタリくっついている目蓋をこじ開けた。

スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」前からタクシーに乗った。ソーイ(ソイ, 小街路)の入口ではまだ深夜モードの泥酔西洋人が色黒の中年娼婦(売春婦)を膝の上に乗せ、ナーナー交差点(ナナ交差点)付近では黄色い袈裟を纏った僧が托鉢をしていた。なかなかに皮肉だが、このコントラストがいかにもバンコクらしい。

午前6時、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部4号館前に到着。タイ研究科が用意した観光バス(都市間高速バス2等車相当)でペッブリー県(ペブリ県)へと向かった。今日のタイ研究科の講座「タイ文化論」では、タイの高級文化(ハイカルチャー)の素晴らしさを学ぶため(?)に、ペッブリー県内にある歴代国王の離宮を見学してまわり、建築様式や芸術品から各時代のタイ美術を学ぶ予定になっている。

午前中、プラナコーンキリー宮殿を見学。この宮殿は1858年、プラヂョームグラーオ王(ラーマ4世, モンクット王)の離宮として、ソムデットヂャーオプラヤー・ボーロンママハースィースリヤウォングがソンマナ山の頂に建設した。プーミポンアドゥンヤデート大王(ラーマ9世, プミポン国王)の即位後に歴史公園として整備され、現在では一般に公開されている。純タイ風の建築物だが、装飾品から西洋化への流れが観察できる。ちなみに、装飾品の大半は盗難により散逸してしまっており、現在展示されているのはレプリカという。

講師がタイ文化研究の大物だけあって、僕たちはどこへ行っても手厚い歓待を受けた。ここでは頂上付近でコーヒーと軽食が振る舞われたが、それ以前にこの山を歩き回るだけで体力を完全に使い果たしていた。

昼食後、プララームラーチャニウェート宮殿を見学。この宮殿はプラモングットグラーオ王(ラーマ6世, ワチラーウット王)の離宮として、ソムデットプラヂャーオボーローンマウォングター・グロムプラヤーダムロングラーチャーヌパープ(ダムロン親王)が建設した。西洋列強による東南アジアの植民地化が進むなかで、タイ政府は自らの地位や能力を西洋化の度合いによって証明しようとしたという。

その後、ワットゲーオスッターラーム寺、ワットヤイスワンナーラーム寺を見学し、市場でカーオラーム、カノムモーゲーングナーメットブワなどの名産品を買った。

午後7時、帰宅。酒を飲んでからすぐに寝て、明日のペーパー(小論文)作業に備えた。

2005年9月4日(日)

昼すぎ、Robinson(ロビンソン)百貨店スクンウィット店(スクンビット店)地階のクーポン食堂(フードコート)で、先月30日の日記で紹介したカーオカームー(豚足丼)を食べた。地下鉄スクンウィット駅(スクンビット駅)で電車を待っていたところ、構内扉に設置されているプロジェクターに気づいた。駅周辺の渋滞情報などが表示されている。

その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とタームペーパー(学期末小論文)を書いた。高架電車 BTS プルーンヂット駅(プルンチット駅)前のホテル Intercontinental(インターコンチネンタル) 地階にある日本料理屋「日本亭」で夕食をとってから、ふたたびスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でタームペーパー(学期末小論文)の続きを書いた。

2005年9月5日(月)

先日、日本料理屋で一緒に飲んだ友人によると、いろんな人たちがナイトシーンで人脈を広げようと躍起になっているという。たしかにこんなチャンスは日本にはない。

もちろん、それぞれが出会う場所にはあまり共通性がない。ヘボい人たちと出会いたければ、カネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)たちが水着で踊っている Go Go Bar(ゴーゴーバー) やルワムヂットプラザホテル地階にあるカネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)が暇そうにしている「トァーメー(テルメ)コーヒーショップ」で、適当な日本人に話しかければすぐ仲間に入れてもらえる。

ところが、東京証券取引所第一部上場企業の重役レベルに会うためには、とびっきりハイソな日本人向けスナックへ行く必要があるという。通い続けているうちに、いつか面識を持つこともできるかもしれない(一説によるとゴルフ場で再開する必要があるとか)。ただ、そのためには十分な予算がないと難しい。

午後、講義を欠席して、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館へ友人と社会学系の論文を収集しに出かけた。今学期末のペーパー(小論文)に使えそうな文献(英語2冊, タイ語4冊)を見つけ、図書館1階にあるコピーセンターに複製を依頼した。

その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でタイ語の修士論文を読んでから、スクンウィット(スクンビット)53にある格安居酒屋「いもや」で友人と1年ぶりに再会し、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」へひとりで行った。そこでタイ語が堪能な日本人(インテンシブタイ修了レベル)に遭遇し、午前3時までスクンウィット(スクンビット)界隈の飲み屋数件をハシゴした。

2005年9月6日(火)

スクンウィット(スクンビット)49にあるサミティウェート病院(サミティヴェート病院)は、グルングテープ病院(バンコク病院)バムルングラート病院(バムルンラット病院)とならぶ数多くの専門医を揃えるバンコク随一の高級私立病院して、バンコクの日本人社会のあいだで知られている。1979年に設立され、1999年にはタイ保健省、ユニセフ、世界保健機関から「母子保険病院」の指定を受けた。250の病室、87の診察室(45の外来診察室を含む)があり、勤務医・看護婦・職員約1,200名のほか、約200名の専門医が勤務している。また珈琲屋 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) のほか、ケーキ屋、パン屋、軽食屋などがある。

しかし、費用はべらぼうに高く、本国に住んでいる標準的な日本人でも手術を受けるのは難しい。やはり海外に住むなら、あらかじめ海外旅行傷害保険(年間約10万円)に加入しておきたい。

昼すぎ、スクンウィット・サミティウェート病院(サミティベート病院)に入院中の友人を見舞ってから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で論文を読んだ。昨晩、酒がすぎたせいで午後11時頃までひどい二日酔いに悩まされ続けた。

2005年9月7日(水)

「疲れるしタクシー代も安くないから、いっそのことメッセンジャーでも雇おうかしら。契約件数の多い同僚は、仲介者にコミッションを払って代行させて、冷房の効いたオフィスで取り纏めてるだけ。それで社内的には十分業績をアピールできるし、歩合給からコミッションの一部を払えば済むだけの話だからまさに良いことずくめ。実際に営業担当者から仕事を請け負って、仲介だけをしている会社っていうのもあるらしいわよ」

昼、スクンウィットスイート(スクンビットスイート)199号室に、友人がカーオパットアメリカン(アメリカ式フライライス)を持ってきてくれた。朝から都内各所の客先をまわってきたそうで、大量の契約書を抱えながらそうこぼしていた。

タイ人を固定給で働かせるのは難しい。タイ人は年功序列的な給与体系よりも、むしろ超成果主義的な給与体系を好む。その背景には、つぎのようなタイ人労働社会の習慣がある。

1. タイ人会社員には通勤交通費と営業交通費が支給されない。そのため、歩合給がないと赤字になりかねない。また営業交通費を節約するために、個人的にバイク便(メッセンジャー)を雇っている。

2. タイ人会社員のあいだでは、客先を紹介することが日常的に行われている。そのときにも仲介料(コミッション)世話料(リベート)が発生するため、歩合給がないと採算に合わない。

そのため、企業内には会社の管理の手が及ばない場所で、個人の利益を図るためのシステムが形成されている。したがって、日本人経営者はタイ人の商慣習を考慮したうえで、会社の利益が損なわれないよう工夫しなければならない。友人の会社の例では、歩合給をはずむことで営業担当者に十分な「営業予算」を与え、業績向上につなげている。

タイは転職型労働市場であるため、従業員は常に会社の利益よりも個人の利益を優先する。「会社で忠勤していれば昇格して給料も上がる」とは誰も考えていない。タイ人にとって、会社に勤めることは、いわば個人でビジネスをするのに等しい。

日本の商慣習では完全にアウトかもしれないが、それがタイの商慣習なのだから、好むと好まざるとに関わらず、ある程度は受け入れざるをえない(日系企業はこのあたりでよく躓く)。

なお、一般的な歩合は受注総額の1~3%。

余談になるが、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)工学部の卒業生は、固定給の技術職より、むしろ歩合制の技術営業に就くことが多いという。タイの工場は、海外から技術を移転をしてそのまま生産しているにすぎないから、待遇の良い研究職の求人などほとんどない。

夕方まで部屋でタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、友人と飲みに出かけた。

2005年9月8日(木)

『通告書 ―― 依頼人 A は2544(西暦2001)年以来、 B と共同で生活し事業を営んできた。したがって、依頼人 A と B のあいだには、事実上の婚姻関係が成立していたと認められる。すなわち、依頼人 A には、当該事業によって得られた財産の半分を受け取る権利がある。よって、当方は B に対して、乗用車、オーブン、冷蔵庫、洗濯機、作業台、コンピュータ等に関する物権の半分を A に譲渡するよう要求するものである。○○弁護士事務所は、本日を起算日として7日後まで交渉に応じる用意がある。誠意ある回答が得られなければ、民事訴訟手続に則り B を告発する』

ヂャン通り(チャン通り)にある友人 B 宅に、弁護士事務所からの書留郵便が届いた。友人 B は、B の実家で B 家全額出資のケーキ製造工場を営んでおり、毎月約60,000バーツの収入がある。一方、現在失業中の A は、過去数年間 B の実家に「恋人」として住み込みケーキを宅配することで、 B 家から毎月15,000バーツの給与のほか必要に応じて現金をもらっていた。

訴追通告書によると、タイでは未婚の恋人同士が作業を分担して事業を行い、関係が破綻したときには、財産の半分ずつに分けなければならないということになる。しかし、弁護士の主張にはいくつかの疑問点がある。

1. 婚姻届を提出しておらず、婚約もしておらず、子供もいない男女を、長期的に同棲していたという理由だけで「事実上の婚姻関係にあった」とみなすことができるのか?

2. A が B 家の事業に関わっていたことを、 A と B の共同事業とみなすことができるのか?

そこで、僕なりの解釈を打ち立てて、民事訴追に応じるよう友人 B に提案した。

「 A は、 B 家全額出資のケーキ工場で宅配係として住み込みで働き月給を得ていた。したがって、 A と B のあいだには雇用関係があった。 B は、 A との恋人関係が破綻したことで、労働者保護法の定めにしたがって雇用契約を解除した。よって、当該事業を A と B による共同事業とみなすことはできず、物権を譲渡する必要もない」

その後、バンコク警視庁ワットプラヤーグライ警察署(プラヤークライ警察署)へ友人2人と行き、いつものように「今日の出来事(バントゥックプラヂャムワン)」に記録してもらった。そうすることで、後日問題が発生したときに、警察の捜査がやりやすくなる。

ついでに、当直の警察士官に、今回の件に関する法的な解釈について尋ねた。回答はつぎのとおり。

「この手紙自体に、法的な意味はまったくない。弁護士事務所は、依頼人の要望通りに手紙を書いたにすぎない。手紙に書かれている文言は、依頼人の主張が一方的に述べられているだけで、脅迫する意図があるとは認められない。警察士官学校で習った高裁判例には、婚前前の共同資産という概念はなかったと記憶している。いずれにせよ、これは裁判所が扱うべき問題だ」

明日、ラーチャダムヌーングラーング通り(ラチャダムヌン中央通り)にあるタイ弁護士評議会で、セオリー通りに相手側弁護士に対する懲戒請求をしてみるつもり。もしかしたら、驚いて事件から手を引くかもしれない。

ちなみに B によると、 A と弁護士は古い友人同士という。また、本文中の A はブーラパー大学中退の女性、 B はアサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)中退の男性。

昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちとタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、午後11時頃にサートゥプラディット3のカーオカームー(豚足丼)屋で別の友人と昼食をとって帰宅した。その後、 B からの電話が友人にあり、興味本位でバンコク警視庁ワットプラヤーグライ警察署(プラヤークライ警察署)へと出かけた。

2005年9月9日(金)

「これは重大な倫理規程違反だ。○○弁護士事務所が主張しているような財産分与に、法的根拠はない。しかも A にはその主張を証明するための手段もない。訴訟になれば、疑いなく A は敗訴する。もし A の代理人が本当に民事で争うようなことがあれば、なんと愚かなことだ。この事案は、 A とその代理人が不当に B から財産を不当に収奪しようと企図したもの。もし実際に告訴状が送られてきたらもう一度ここに来てくれ。相談料無料で勝訴を勝ち取り、さらに反訴して多額の損害賠償金をせしめてやろうじゃないか」

昼、ラーチャダムヌーングラーング通りにあるタイ弁護士評議会へと出かけた。今日は昨晩の2人に加え、新たに成田からスリランカへ行く途中の高校時代の友人も参加している。1階には無料法律相談のブースが6つあり、それぞれ2人の担当者が相談に応じていた。総合案内カウンターで事件のあらましについて説明し、順番を待ってブースにはいると、弁護士がそう話した。

弁護士が、告訴されてからの方がいろいろとやりやすくなるとアドバイスしたことから、 B は A の代理人からの告訴状が届くのを待つことにした。ちなみに B によると、件の弁護士事務所は、このような手紙を恒常的に送りつけ、法律の知識がない女性を萎縮させてサインを迫り財産を奪い取ることで知られているという。

「幸い、我々は愚かではなかった。それだけでも幸運だった」

というのはバンコク滞在中の友人の言。

「もう本当にウンザリだわ」

B はため息を吐いてから、短いが最も直接的な感想を言い放った。また、 B と高校時代からの親友である友人はつぎのように総括した。

「 B は A の浮気性に愛想を尽かせて A を切ったというのに、これでは B がどんなに努力しても『美しい交際の想い出』にはならないでしょう。すんなりキレイに別れておけば、あとでよりを戻すことだってできたのに、なんと愚かな・・・・・・」

それにしても、バンコクで無料法律相談ができるとは意外だった。

昼、スクンウィット(スクンビット)5にあるタイ料理屋で、昨晩の2人組に加え、新たに成田からスリランカへ行く途中の高校時代の友人と合流。ラーチャダムヌーングラーング通りにあるタイ弁護士評議会で無料法律相談を受けた。夕方から部屋でタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。この時期、タームペーパー(学期末小論文)で忙しいのに、興味深い事件がなかなか後を絶たない。まったく喜ぶべきなのか、それとも貴重な時間が消費されていくと嘆くべきなのか。

2005年9月10日(土)

バンコクで最も有名なプーパットポングガリー(カニのカレー味炒め)といえば、美食家達はこのソンブーンポーチャナー(ソンブン)の名を真っ先に挙げるだろう。この店は30年以上の歴史を持ち、バンコク都内に4つの店舗を展開している。日本人の間ではスラウォング店(スリウォン店)が最も知られているが、本店はヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)裏のヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)8にある。

午後8時、海鮮料理屋「ソンブーンポーチャナー(ソンブン)サームヤーン本店(サムヤン本店)で、スリランカから戻り日本へ帰る途中の高校時代の友人と夕食をとった。週末ということもあって、店内は付近に住むバンコク中間層の家族連れでほぼ満席になっていた。サームヤーン本店(サムヤン本店)は、スラウォング店(スリウォン店)とは異なり、娼婦(売春婦)を連れている日本人に遭遇することなく、料理を美味しく食べられるのがウレシイ。さすがに一部の日本人にはすでに知られているようで、今晩も日系大手建設会社の予約が入っていた。予算はビール代込みでひとり500バーツ程度。カニの殻をむく手間がかからないヌアプーパットボングガリー(カニ肉のカレー味炒め)ほかを注文した。

夕方まで部屋に籠もってタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、ソンブーンポーチャナー(ソンブン)で友人と夕食を取り、日本から買ってきてもらった社会人類学関連の専門書を受け取った。

2005年9月11日(日)

日の出から日没まで部屋に籠もってタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。日没後、プララームサーム(ラマ3世通り)にある大部屋カラオケ屋 Easy Life(イージーライフ) で友人4人と夕食をとり、トーングロー(トンロー)15にあるアイスクリーム屋 iberry(アイベリー) に寄った。

2005年9月12日(月)

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とタームペーパー(学期末小論文)を書き、日没後、エーガマイ通り(エカマイ通り)にある友人宅で焼酎や泡盛を飲んだ。午前2時帰宅。

2005年9月13日(火)

午後8時、トーングロー(トンロー)10にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブーツ, ブーズ) へ大学の友人と出かけた。今晩は人気バンド Bodyslam(ボディースラム) のライブがあるため、入口で300バーツの金券を購入させられた。平日にもかかわらず店内はすでに満席。渋々2階の立ち席に陣を構えた。

「オレはタイポップス、全然分からないや」

途中で合流した Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Escude(エスクード) の DJ は、真打ちの Bodyslam(ボディースラム) がステージに上がる前に会場をあとにした。真の Hiphop(ヒップホップ) マニアにタイポップスは合わないのかも。

「もう本当に窒息してしまいそう」

午前零時、Bodyslam(ボディースラム) が登場した頃には、すでに足の踏み場すらなくなっていた。比較的風通しの良い2階でもこのありさまだから、1階にいた客など本当にどうなっていたものか。

昨晩、エーガマイ通り(エカマイ通り)にある友人宅で酒を飲んでいたところ、大学の友人から電話でライブに誘われた。日没まで部屋に籠もってペーパーを書き、日没後にトーングロー通り(トンロー通り)のラーメン屋で友人と合流し、トーングロー(トンロー)10の Booze(ブート, ブーズ)Bodyslam(ボディースラム) のライブを見に行った。

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2005年9月14日(水)

「学部生時代、夏休みにプーゲット(プーケット)のピザ屋でバイトをしてたとき、海岸で観光客相手のバナナボートやパラセイリングの仕事をしているビーチボーイたちがよく店に来てたんだけど、日本人女性観光客同伴で『今日もタダマンだぜ』と言っては仲間たちと大はしゃぎしているのを見ていて、本気で『コイツら最低』って思ったわ。普通、ビーチボーイのような卑しい仕事をしているオトコと付き合うなんてあり得ないけど、日本人女性にはあの日に焼けた黒い肌と逞しい体つきが堪らないのかしら?」

正午、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)スックスィットニウェート学生寮(スクシットニウェート学生寮)前にある食堂でクラスメイトたちと昼食をとっていたところ、日本人女性の価値観が話題にのぼった。たしかに、タイ人女性と日本人女性では男性の好みがまったく違う。日本人女性は「ビーチボーイ=肌の色が黒い=アウトドア系=男らしい=イケてる」と考えているが、タイ人女性のあいだには「ビーチボーイ=肌の色が黒い=肉体労働者っぽい=教養がない=貧しい=ヘボい」といった階級社会特有の構図がある。

階級社会と大衆社会のどちらを信奉するかによって、オトコの評価がここまで変わるとは恐ろしい。

「どうせ、いらないんだもん。なら、タイ人が必要としていない『娼婦は外国人男性に、ビーチボーイは日本人女性に』あげちゃえば、国内の需給バランスは保たれるし、資源も有効活用されるからいいんじゃない?」

まるで、英仏から圧力を受けた20世紀初頭のサヤーム(現在のタイ王国, シャム)政府が、辺境のブーラパー州(現カンボジア西部)やトライブリー州(現マレーシア北部)をあっさり割譲してしまったときのような無関心さだ。友人はことの本質を安直に総括してしまったが、僕はこころの中で「日本人はタイ人のダストシュートじゃないぞ」と反論した。しかし、実情は友人が言っているとおりだからしょうがない。トンチンカンな同胞たちに、なんとも歯痒い思いがする。

「タイに来ればモテる」

そう豪語している日本人がバンコクに掃いて捨てるほどいるが、そりゃあタイ人が「いらない」といっている異性に声をかけて、しかも金までくれてやれば簡単に落とせるのも当然だろう。

――日本人には階級社会という価値観があまりないから、このような(タイ人にとって)信じがたい愚行を犯すんじゃないかな。

さしあたって、クラスメイトにはそう説明しておいた。このような交叉的な人間関係は、発展途上国における国際結婚によくみられるが、まともな異性を落とすのはそう楽なことではない。

「まったく、私たちタイ人女性が誰だって簡単に身売りしてしまうと思ってもらっては困るわ。100,000バーツ? 金をもらっても譲れないものが人にはあるということを、変態外国人の皆様にはよぉく理解してもらいたいものね」

帰宅後、自室で別の友人にこの話をしたところ、こんな答えが返ってきた。日本人とタイ人、どちらの価値観が正義に照らして正しいかについては判断に迷うところだが、このような価値観の相違が「外国人との相互理解」の障害になっているのではないか。さしあたって、われわれ日本人にできることは日本とは異なる価値観を学ぶことしかない。

朝、タイ研究科の講座「タイ文化論」に出席してから、降り止まぬ雨のなか、午後10時までスックスィットニウェート学生寮(スクシットニウェート学生寮)1階にあるオープンテラスでクラスメイト5人とタイ文化論のグループプレゼンテーションの準備をした。

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2005年9月15日(木)


「まったく可笑しな話だけど、わたしの大学ってヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の真似ばかりしていて、どうも自らが私立大学であるという自覚に欠けるのよね。制服の着こなしについてウルサイのはまあいいとして、大学の職員は民間セクターの給与所得者の分際で『先生』と呼ばないと事務手続すらしてくれないのよ」

夕方、ラートプラーオ(ラップラオ)107にあるラッタナバンディット大学(RBAC, ラタナバンディット大学)へ友人と出かけ、数ヶ月前に別の友人から聞いた話の真偽について調査した。新校舎の中央には樹木が生い茂る中庭があり、道路を挟んで向かい側にはこぢんまりとしているが真新しい学生向けショッピングモールがある。旧校舎内を散策していると、「正しく制服を着用している今月のニスィット(学生)」書かれた掲示板があり、約30名の全身写真が掲載されていた。どこの大学も同じような問題を抱えているが、社会的評価が中途半端な私立大学は自らの品位を保つために特に努力せざるを得ない(ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)でも制服着用に関する学則があるが形骸化している)。

学生を「ニスィット(ニシット)」と呼んでいることを、友人はヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の真似をしていると言ってたんだろうか。ちなみに、学生を「ナックスックサー(ナクスクサー)」ではなく「ニスィット(ニシット)」と呼んでいる大学は全国に9学ある。

学生をニスィットと呼んでいる大学
ヂュラーロンゴーン大学(国立), ガセートサート大学(国立), スィーナカリンウィロート大学(国立), ブーラパー大学(国立), マハーサーラーカーム大学(国立), ナレースワン大学(国立), タックスィン大学(国立), マハーヂュラーロンゴーンラーチャウィッタヤー大学(国立特殊), ラッタナバンディット大学(私立)

昼、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、夕方頃チョークチャイスィー通り(チョークチャイシー通り)にあるプラクルアングラーング(プラクルアン)屋へと出かけた。ラッタナバンディット大学に寄ってから、ふたたびスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと戻り、午後11時までタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。

<関連記事>
タイにおける大学生の制服 2003年10月25日 (制服に関する規則)
タイ大学めぐり その1 2004年06月24日 (制服に関する規則)

なお、ラッタナバンディット大学(RBAC, ラタナバンディット大学)の詳細はつぎのとおり。

มหาวิทยาลัยรัตนบัณฑิต วิทยาศาสตร์และเทคโนโลยี (ม.RBAC)
  マハーウィッタヤーライ・ラッタナバンディット・ウィッタヤーサートレテークノーローユィー (モーアーバック)
種別 下位私立大学
設立年 2505年 (西暦1962年、前身は各商業学校)
所在地 バンコク都バーングガピ区(ラートプラーオ107)ほか3校舎
設置学部 経営学部・文学部・理工学部・法学部・報道学部・大学院・インターナショナルプログラム
標準学費  
公式Wweb http://www.rbac.ac.th/
入試難易度 人文科学 情報なし
経営学 みなし22位(国際経営学科・正答率36%、倍率1倍未満)
法学 情報なし
医学 -
工学 情報なし
キャンパス 建築物 90点(旧校舎と自然豊かな新校舎)
学生街 85点(大学前の新設学生街とザ・モール・バーングガピ店)
オシャレ 50点(都会風と田舎風が混在している)
ボディコン 30点(一部スカート丈が短いがおおむね制服を正しく着用している)
歴史 2505年 元教育大臣プラチュム・ラッタナピアンとウィヂッタラー・ラッタナピアンがアヌサーワリーチャイサモンラプーム界隈にドゥスィット商業学校
โรงเรียนดุสิตพณิชยการ を設立
2508年 スィーロム商業学校 โรงเรียนพณิชยการสีลม 設立
2523年 ラッタナ商業学校 โรงเรียนรัตนพณิชยการ 設立
2532年 ドゥスィット商業学校ノンタブリー校 โรงเรียนดุสิตพณิชยการนนทบุรี 設立
2540年 大学庁よりラッタナバンディット準大学設置が許可される
2646年 大学庁よりラッタナバンディット理工大学設置が許可される

2005年9月16日(金)

「高校生の頃、放課後に使うお金なんてかなったから、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)を徘徊したあと、いつもヂュラー(チュラ, ヂュラーロンゴーン大学)の文学部前でダラダラしてたのよね。タダで座れる日陰のベンチはとても魅力だったわ」

数週間前、友人が自分の高校時代をそう振り返っていた。昼前、その友人が注文しておいてくれた宅配タイ料理をかっ込んでから、髭も剃らずに大急ぎで大学へと向かった。タームペーパー(学期末小論文)提出日を間近にして、髭や頭髪だけでなく、日常生活のありとあらゆる場面で破綻が生じている。

それでも良いニュースもあった。ひとつは、イスラーム研究のタームペーパー(学期末小論文)提出期限が1ヶ月延期されたこと。もうひとつは、ミャンマー研究のプレゼンテーションが1週間延期されたこと。特にミャンマー研究については絶望的な状況だったから、かなり救われた。しかし、胸をなでおろしてばかりもいられない。提出期限はいずれやって来る。どこかへ飛んでいって自然消滅してしまったわけではない。

ミャンマー研究の講義終了後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部4号館前のベンチに陣取って、テーブルの上にタームペーパー(学期末小論文)の資料を広げ、学生専用の無線 LAN にノートパソコンを接続した(事前登録が必要)。

午前4時、帰宅途中の文学部生、隣接するスィーナカリンウィロート大学附属サーティット・パトゥムワン中等教育学校、トリアムウドムスックサー中等教育学校、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)附属サーティット中等教育学校の生徒たちでごった返した。

午後5時、肌を焼くような太陽も穏やかになり、学部生や生徒たちが家路につく。教科書を広げて試験勉強をしながら、友人を待っている学生の姿もちらほら。芝生のど真ん中では巨大な雑種犬が寝ころび、頭上の木々をリスが走り回っていた。

午後6時、文学部の最終講義が終わり、ボーローンマラーチャグンマリー館(ボロムラチャクマリー館)から本日最後の学生の一団が吐き出された。タイ国歌の放送とともにプラヂュンラヂョームグラーオ大王(ラマ5世, チュラロンコーン大王)プラヂョームグラーオ王(ラマ4世. モンクット王)像前に掲げられているタイ国旗が降納され、人々が直立不動の姿勢をとった。

以降、学生たちは完全に姿を消し、構内の警備が厳格になった。何匹もの雑種犬が警備員のあとについて歩き、食堂のおばちゃんたちが店を閉めてベンチでくつろいでいた。日没とともに急速に薄暗くなり、ノートパソコンの明るい画面に集まってきた蚊に全身を刺されまくった。

その後、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」で友人たちと飲んだ。

2005年9月17日(土)

「この店で牛乳を飲むのはファッションなの。ほら、こんな時間なのに満席になってるでしょう? 高校生の頃は、よく学校帰りにクラスメイトたちと牛乳を飲みながら帰ったわ」

午後10時すぎ、バンコク都庁前ディンソー通りにある牛乳屋「モン生乳店(ラーンモンノムソット)」へ友人と出かけた。ファーストフード店のような明るい雰囲気で、ウワサに違わず美味しかった。日中には店の前に長蛇の列ができるという。

モン生乳店は1964年、珈琲屋で働いていたモン・ワニソーングンが創業。1995年に店舗を改装し、今日に至るまで伝統の味をバンコク都民に伝え続けている。なかでもストロベリーミルクが人気で、生乳(ペッブリー産・サラブリー産)、チョコレートコーヒー、アイスティーなどのメニューがある。

夜、ノンタブリー県ンガームウォングワーン通りにある粥屋「カーオトムウワンポーム」で友人と夕食をとってから、バンコク都庁となりの牛乳屋「モン生乳店(ラーンモンノムソット)」でストロベリーミルクを飲んだ。その後、スクンウィット(スクンビット)107にある庶民向けカラオケ屋でタイポップスを3曲歌って帰宅した。この店にあるウイスキーが安物ばかりだったせいで友人が酩酊状態になり、午前5時まで介抱し続けた。

2005年9月18日(日)

一日中、部屋に籠もってタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。午後8時、スクンウィット(スクンビット)31にある日本料理屋「雑談室」で友人と夕食をとって帰宅。午前2時まで理学書を翻訳した。

2005年9月19日(月)

「このフォームに必要事項を記入し、裏面に書かれている必要書類を添えて、ヂャームヂュリー5号館(チャムチュリー5号館)3階のオフィスに提出するように」

昼すぎ、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)大学院事務局で、構内駐車許可証について問い合わせた。

入学当初、東南アジア研究科の事務員から「学生は構内に駐車できない」と言われ、やむなくアングリードゥーナン通り(ヘンリーデュナント通り)に無理矢理3重駐車していたが、先日ラオス人クラスメイトから「タイ人クラスメイトが文学部本館前に駐車している」という情報を入手した(まだこの情報を知らないタイ人クラスメイトも多いはず)。事務局のアドミニストレーションの悪さには反吐が出そうになるが、その後、担当者が替わって情報をまともに得られるようになった。

構内駐車許可証の申請には、主任教官のサイン、学生証のコピー、パスポートのコピー、自動車登録証(タビアンロット)のコピーが必要。

昼すぎ、イスラーム研究がまたしても休講になったため、中央図書館に複製を依頼していた文献を受け取りに行った(2冊で390バーツ)。その後、ヂャームヂュリー5号館(チャムチュリー5号館)4階の海外学生部に依頼していた学生ビザを受け取りに行ったが、「すでに文学部の職員が持ち帰った」とのことだった。スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で午後11時まで友人たちとタームペーパー(学期末小論文)を書き続けた。

融通の利きやすいタイ文化の曖昧さが嫌いなわけではないが、もう少し予定通りに物事が運ばないのか。

2005年9月20日(火)

翌21日午前5時まで、部屋に籠もってタームペーパー(学期末小論文)を書き、明日のプレゼンテーションの準備をした。途中、友人が夕食を差し入れに来てくれた。