犬には犬のエサ 猫には猫のエサを

この時期、日本がお盆休みの連休とあって、タイに甘い夢を抱いている日本人の男性観光客たちが大挙して、ここバンコクへ押し寄せて来ている。今晩は珍しく暇を持て余していたので、旅行者のノリで夜の街へ久々に出かけてみることにした。

午後8時半、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite を出発し、旅行者の気分を盛り上げるために、タクシーには乗らず、スクンウィット4街路にある性風俗街 Nana Entertainment Plaza までの約1.2キロメートルの道のりをあえて徒歩で移動した。

高架電車ナーナー駅の周辺(スクンウィット通りの北側にある3街路から11街路にかけての一帯)には、外国人観光客向けの土産物屋が軒を連ね、屋台が歩道を埋め尽くすかのように並んでいて、そこを西洋系の外国人観光客や出勤途中の娼婦たちが絶え間なく行き交っている。バンコクに住んでいる僕にとって、外国人観光客向けの土産物屋はありきたりな商品をバカ高い値段で売りつけてくるだけのボッタクリ屋でしかないし、娼婦たちもタイ人が「いらない」と言っている程度の存在でしかない。

しかし、旅行者気分に浸るためには、カネさえ払えばセックスできる娼婦たちを、マジマジと見ながら歩く必要がある。が、すぐに挫折した。知性のかけらすら感じさせないイケてない容姿を見せつけられ、無教養者特有のあのタイ語を聞かせられると、せっかく高めた旅行者気分もあっという間にどこかへと吹き飛んでしまう。

ナーナー交差点で信号待ちをしていると、スズメを売っている4人組の壮年女性たちに遭遇した。タイの仏教では、スズメを籠から放ってやると、仏教における「善行」を積んだことになるため、「罪深い売春」をしている娼婦たちのあいだにはそれなりの需要がある。

スクンウィット通りを横断してスクンウィット4街路へ足を踏み入れると、そこには植民地時代の上海租界を思い起こさせるような魑魅魍魎の世界が広がっていた。歩道に大きくせり出している屋台では、バンコクの中間層たちの嗜好からは明らかにかけ離れている田舎っぽくてダサい安物の服や、バンコクの中間層が食べたら100%吐き出すであろうタイ東北部名物の昆虫料理などが売られている。さすがに昆虫料理の屋台からは目を背けながら目的地へ向かった。

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性風俗コンプレックスの Nana Entertainment Plaza には、カネさえ払えばセックスできる娼婦たちと一緒に酒が飲める「バービア」や、カネさえ払えばセックスできる娼婦たちが水着姿で踊っている Go Go Bar がある(そのほかにも、カネさえ払えばセックスできる娼婦たちが整髪をするためのエリアや、娼婦たちにカネを払ってセックスをするためのエリアもある)。

わざわざ Nana Entertainment Plaza まで足を運ぶこともそうそうあることではないので、この機会に Go Go Bar のすべてを見てまわろうと一気に3階まで上がったところ、日本人の男性が好みそうな容姿をしている呼び込み担当の娼婦に腕をつかまれた。笑顔でやり過ごそうとしたところ、今度はその隣の店にいた呼び込み担当の娼婦に股間をガッチリとつかまれてしまった。これが普通の女性だったら悪い気もしないが、タイ人が「いらない」と言っているような女性にされたところで、ただただ鬱陶しい。

――どうして、こんなにヘボい女性ばかりなんだろう?

なかば呆れながら階段で降りて2階へ行くと、さらに呼び込み担当の娼婦3人に腕をつかまれ、危うく店の中へ引き込まれてしまうところだった。どこもヒドい店ばかりで性的な欲求とは完全に無縁な空間だったが、せっかくだから比較的マシそうな店を2件ほど選んで入ってみることにした。

日本人のセックスツーリストたちのあいだで人気があるとされている Rainbow 2 へ入り、薄暗い店内でタイ語がまったく分からない観光客のふりをしてビールを飲んでいたところ、ママサンと呼ばれる中年のフロア責任者が僕の目に懐中電灯の光を当てて、遠くのほうから再三にわたって「気に入った娘を選べ」と要求してきた。懐中電灯の光だけでもかなり不快にさせられたが、ダンスを担当している娼婦たちの容姿のヒドさはもっと不快だった。

――どのように血迷ったら、このなかから「気に入った娘」を選べるというのか!?

心の中で、そう百回くらい愚痴を言った。しばらくすると、ママサンがダンス担当の娼婦を連れて近づいてきた。一向に選ぶ気配がない僕に無理矢理ダンス担当の娼婦をあてがうことで、レディースドリンクと呼ばれる指名料金のようなものや、ペイバーと呼ばれる連れ出し料金を支払わせて、儲けてやろうという魂胆だろう。たしかに、そのダンス担当の娼婦は、日本人のセックスツーリストたちが好きそうな容姿ではあったが、何が悲しくてタイ人が「いらない」と言っている程度のオンナにカネを出さなければならないのか!

それでも、自分の意志でこの店を選び、そこでビールを飲みながら娼婦の水着踊りを眺めている僕自身にも責任の一端はある。そう思って、ベトナム戦争の時代にパッタヤーにある Go Go Bar で戦地を離れ休養をとっていたアメリカ兵が発明したといわれている作法にのっとって、娼婦が出してきた手を握り返しすことで自分のとなりに座ることを許可した。娼婦は席に着くや否や、英語交じりのカタコトの日本語で、次から次へと矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。

娼婦とのトークのテンプレート

  • お名前は何ですか?(日本人かどうかの確認作業 その1)

→てきとうに日本人らしい名前を答えておいた。

  • 何県出身ですか?(日本人かどうかの確認作業 その2→日本人を偽装する外国人のほとんどが「東京」と答えるので、ここはあえて広島と答えておいた。
  • 今回の旅行は何日間の日程ですか?(旅行目的の詮索)→無難に5日間と答えておいた。
  • どこのホテルにお泊まりですか?(旅行者の経済力を測るためのテスト)→高架電車ナーナー駅から1駅のウエスティングランデスクンウィットと答えておいた。
  • 何人で旅行に来ていますか?(旅行者に対するアプローチ選択のためのテスト)→娼婦が必要以上に興味を持つように、あえて「ひとり」と答えておいた。

見込み客の経済状態や生活環境について知ることは、営業戦略の立案には欠かすことができない基本的な所作とされている。これらの質問は、もちろん娼婦個人の好奇心から発せられたものではない。 Go Go Bar での「サワッディーカー」は、結婚詐欺の「いらっしゃいませー」の同義語だ。

タイという極端な階級社会において、 Go Go Bar で働いている娼婦たちは、いわば「バイクタクシーの運転手すら相手にしない」ような存在とされている。そんな娼婦たちに入れ込んでカネを貢いでいるような一部の日本人男性客や、娼婦を自分の生涯の伴侶にしようと考えている一部の日本人男性客は、タイ人からしてみれば理解不能な宇宙人のように映るかもしれない。

ここで気分転換を兼ねて、娼婦にハマってしまった日本人の立場になって、この状況について考えてみることにしたい。

娼婦にハマってしまった日本人の立場になって考えてみた

日本人観光客 X は、初めての宇宙旅行で惑星 Y に漂着した。そして、日本とはまったく異なる文化を持っている Y 星人との出会いに興奮する。次第に Y 星人とも性的な関係が持てることが分かって行動を起こすが、その相手は Y 星人ではなく、実は Z という別の生命体だった。日本人観光客 X にとって、 Y 星人も生命体 Z も同じようなものだったが、 Y 星人にとってに生命体 Z は自分とはまったく異なる異質な生命体だ。もし Y 星人が人間であるとすれば、この日本人観光客 X の姿は、あたかも生命体 Z という人間以外の生き物との性交渉にハマっているキチガイのように映ることだろう。ぶっちゃけ、獣姦と一緒だ。

バンコクには、娼婦にハマった結果、日本国旅券以外のすべてのもの(標準的な収入, 健康保険, 標準的な年金支給等)を放棄して、どん底の貧しい生活を強いられている日本人がそれこそウジャウジャといる。「タイ沈没の悲劇を目の当たりにする」では、彼らを「カミツキ犬」と表現したが、それなら Go Go Bar で働いている娼婦たちは、さしずめカミツキ犬たちが大好きなドッグフードといったところだろうか。

そんな彼らにも、いつかは Starbucks Coffee の抹茶フラペチーノよりも甘い、激甘な夢から目を覚まして、誤って大量に頬張ってしまったドッグフードの不味さに気づいて吐き出すという日が来るのだろうか。ドッグフードなんか食べて腹を壊して、万一にも免疫不全になろうものならいよいよ救われないから、ここはやはり人間らしい生活をしておきたい

結局、10分もしないうちに娼婦を相手に話し続ける苦痛に耐えられなくなり、盛んに「ペイバー」を勧めてくる「ママサン」の営業を振り切って店を出た。そして、そんな身も蓋もないことを考えながら、バイクタクシーに乗ってスクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite へ戻ってきた。コンドミニアムの1階にあるバーで、バーテンダーに今晩の話をしてみたところ、スポーツ新聞「サポートプーン」が差し出された。そこには、「カーフェー」と呼ばれる舞台劇飲み屋、「クルマでお金」などの消費者金融、賭け事の原資を得るための質屋、テレクラの広告などが掲載されていた。

ペディグリーチャムを食べれば、きっとあなたの愛犬も喜んでしっぽを左右に激しく振ることでしょう! 犬には犬のエサ、猫には猫のエサ、ってあたりがちょうど良いのかもしれない。

僕にはドッグフードやキャットフードを頬張る趣味もなければ勇気もない。まったく、気分転換にすらならなかったではないか!!

娼婦にカネを貢ぐことは、タイフリークと呼ばれているいわゆるセックスツーリストたちのあいだでは、「仕送り」といった言葉で表現されています。仕送りの目的は、お気に入りの娼婦を自分の独占物とするために、売春をやめさせて、その見返りとして収入を補償してやることにあります。しかし、タイのような極端な階級社会では、教養のない娼婦が都市部で売春以外の仕事を見つけることは不可能に近く、しかも娼婦以外のコミュニティーに入れてもらうこともできません。ですから、いずれは娼婦のコミュニティーへ戻って、友人たちと売春を再開させることになるため、結局のところ「仕送り」の目的は達成されないままカネをドブに捨てる結果に終わりまづ。しかし、このような現実に気づいていない気の毒な方々は、バンコクに何年も住んでいる日本人のなかにもたくさんいらっしゃいますから、どうかご安心ください。