2005年8月1日(月)

午後、イスラーム研究の講義に出席した。その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で理学書の翻訳をするつもりだったが、昨日までの旅行の疲れが残っていたため帰宅した。自室で友人ととりとめもない話をしながら一日を終えた。

2005年8月2日(火)

「こんばんは。クイクイカーオをご覧の皆様はすでにご存じと思いますが、今晩のトゥングルークトゥングコンでは、ここ数日ホットな話題になっている『新ヴァージョンの国歌』について、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) の責任者の方をお招きして討論を進めてまいります。――中略―― 『G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) は軍務省からの依頼を受けて、国家団結力開発プロジェクトの一部門である国家芸術家国歌斉唱プロジェクトの指針に基づいて、市民の責務として全身全霊、全知全能をかけて国歌の録音候補を6種類制作しました。しかし、特に固執するつもりはなく、国民を扇動するのも本意ではないため、不満とあれば遠慮せずに破棄していただいて構わない』 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) のプレスリリースがここにあります。そこで今晩は、G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) 公開株式会社のグループ企業、グラミーグランド株式会社代表取締役のニティポング・ホーナート氏をお招きして、①どのような経緯があったのか、②なぜ依頼を受けたのか、③さまざまな意見があるなか、なぜ軍の意向だけを尊重したのか、④当事者である G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) はどう考えているのか、⑤どのように6種類のヴァージョンの候補を選んだのか、⑥今後どのようにしていけばよいのかの6点についてお話うかがってまいります」(トゥングルーク・トゥングコン5月24日「新バージョンの国歌」冒頭部分を要約)

「こんばんは。お聞きいただいたのは、わたしたちが日頃から聞き慣れているタイ国歌に変更されるまで使われていた1934年国歌(サヤーム国歌(シャム国歌, サイアム国歌), 曲と歌詞の一部が変更になった)です。国家文化委員会は本日、軍務省からの依頼により G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) が国歌の録音を新たに6種類制作したことを受けて会合を開きました。そのなかで文化相は、つぎのような談話を発表しています。『2003年末の閣議において、それまで国歌の録音に関する規程がなかったため、国家象徴委員会版の国歌のみを公式録音とする決定をいたしました。公的機関や国営企業では国家象徴委員会版の録音を用いており、民間にも国家象徴委員会版の録音を用いるよう要請しているところです。また当時の閣議決定は現在でも有効であるため、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) と軍務省が制作した新ヴァージョンの国歌については検討しない、との結論に至りました』。そこで今晩は、この機会に国歌に対する理解を深めるために、関係者や有識者の皆様をお招きしております」(トゥングルーク・トゥングコン5月25日「タイ国歌」冒頭部分を要約)

民主国家である以上、タイにも討論番組が存在する。なかでも、ソーラユット・スタッサナヂンダー氏(バンコク大学報道学部卒業・39歳)が司会を務める「トゥングルーク・トゥングコン」(とことん / 月-金 23:00-24:30)の存在は特に際だっている。さまざまな社会問題をタイムリーに取り上げ、当事者や専門家を招いて真相をとことん徹底的に追究していく姿勢は、市民からの根強い支持を得ている。ソーラユット氏のアグレッシブな追求ぶりは、日本人のジャーナリスト田原総一朗氏(早稲田大学文学部卒業・71歳)を思い起こさせる。

今回の国歌公式録音問題では、マヒドン大学附属ヂェンドゥリヤーングカスィン芸術カレッジの学者が「言語道断。全国民が敬意を払うべき国歌が、まるでダンスミュージックのようではいけない」と話していた。一方、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) 側は「技術革新によって、現在では鳥肌の立つような、以前とは比較にならないほど素晴らしい国歌が録音できるになった」と主張している。このようなやりとりは、タイ社会を理解するうえでとても参考になる(有識者の主張によると、国歌象徴委員会版の録音には、国歌に込められている思想を正確に表現するための工夫があるという)。

日没後、アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)フワマーク校舎裏で友人たちと合流。すぐ近くにあるタイ料理店で、学会に出席するためにプーゲット(プーケット)から来ている友人の高校時代の友人たちと夕食をとった。海軍士官学校の3年生によると、士官学校はタイ屈指の高等教育機関で、約19,000名の志願者のうち90名しか入学できず、入学後は准尉待遇の士官候補生として待遇されるという。

午後11時頃、自室のリビングでタバコを吸っていたところ、バンコク在住の日本人としては数少ない超人的な知識量を誇る友人から、電話越しに อ.ส.ม.ท.(MCOT, タイ大衆報道協会) で放映中の討論番組を見るよう勧められた。今晩は「近郊鉄道 バーングヤイ ― バーングスー線 は高架か地下か」について討論されていた。

番組終了後、インターネット上にアップロードされている過去の放送内容を発見。結局、朝まで見続けてしまった。この日記では語り尽くせないの魅力がギッシリ詰まっている番組なので、タイの社会問題に興味をお持ちの方には是非オススメしたい(必要最小スキル:ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部集中タイ語コース中級1 [ポーホック相当(小学校6年生相当のタイ語能力検定合格相当)] 以上 / 推奨スキル:上級1以上)。

この日記では日本人にも分かりやすい内容を選んで掲載した。なお、過去のバックナンバー(抜粋)はつぎのとおり。

8月1日 「第二種女子学生コンテスト」(ラーチャパットスワンドゥスィット大学が200名からのオカマ学生に晴れの舞台を用意したということについての是非)
7月29日 「若者達がアルコール飲料会社の上場に反対」
7月26日 「タイのカレンダーはズレている」(日刊紙コムチャットルックが仏教的な祭日がずれていると指摘したことについての真偽)
7月4日 「タクシー運賃の値上げ」
6月17日 「ズレてる新入生歓迎パーティー!」
6月16日 「新入生歓迎パーティーの悲劇」
6月13日 「新入生歓迎パーティーの中止」
5月31日 「エネルギー節約」
5月23日 「人生を変えるミニバス」
5月11日 「バンコク人の命の値段」

2005年8月3日(水)

午前10時半起床。昨晩、友人に紹介してもらった討論番組のバックナンバーを朝まで見続けた影響で、午前中の講座「タイ文化論」に欠席してしまった。しかし、討論番組から多くの有益な知識をゲットできたということで良しとしておきたい。昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で、ここ数週間「生活の足かせ」となっている理学書の翻訳を友人としてから帰宅した。この1年間いろんな店を転々としてきたが、スィーロム通り(シーロム通り)界隈の珈琲屋が自習室にもっとも適している。

2005年8月4日(木)

「日本人のあいだで最近、日本語対応の携帯電話がメチャメチャ普及してますよ。日本人なら、もうみんな持ってるんじゃないんですか?」

夜、スィーロム(シーロム)4の日本料理屋「楓」で、日本人の友人たちと夕食をとっていたところ、店内にいる日本人客のほとんどが日本製の携帯電話を使っていることを指摘されて驚いた。

先学期の学期末小論文(タームペーパー)を書いていた今年2月頃、エーガマイ通り(エカマイ通り)にあるコンドミニアムで日本人同士で酒を酌み交わしていたところ、「 Vodafone(ボーダフォン) の海外対応携帯なら、シムロックを外すだけでタイでも使えるようになる」という話を聞いた。日本で売られている携帯電話はタイより極端に安いため、日本から携帯電話を大量に輸入して MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)へと持ち込み、改造(シムロックを解除, ファームウェアをタイ語化)して売りさばくことでかなりの利益を上げたという。ところが、輸入量が増えるにしたがって市場価格が下落したため、今となってはそれほどオイシイ商売でもなくなった。

同時期、タイ在住の日本人のあいだで日本製の携帯電話が爆発的に普及した。日頃から日本語だけで生活している大部分の日本人にとって、日本語のショートメールが使えるようになったことは、生活スタイルに大きな変革をもたらしたという。しかし、日頃からタイ語で生活をしている僕にとって、タイ語が使えない携帯電話ほど不便なものはないため、これまで日本製携帯電話の普及にはまったく無関心だった。

友人によると、高架電車 BTS アソーク駅から徒歩5分のところにある商業ビル Times Square(タイムズスクエア) に、日本製の携帯電話を扱っている店があり、日本語ウェブサイトの閲覧や日本語電子メールの送受信が行えるサービスを年額3,000バーツで提供しているという。

ウエブサイトの閲覧や電子メールの送受信は、日本語にこだわらなければ、標準的な契約内容で十分利用できる。

約2時間後、タニヤ通りのカラオケスナックへ友人たちと出かけた。実は普通のカラオケボックスでも構わなかったが、ゲイだらけのバンコクでいい歳をした大人が男同士でカラオケボックスに入ったら、いよいよゲイとの疑いをもたれかねない。明日のカラオケ大会のためにタイ語曲を3曲ほど練習して、午前1時に店を出た。1,100バーツだった。どうせホステスを相手にするわけでもないから、もう少し安い店を選んでも良かったかも。

ちなみに、今晩のホステスは自称「ホーガーンカータイ大学(タイ商工会議所大学)卒」だったが、大学の正門の位置を正しく言えなければ、すぐ目の前にある高等教育機関「ラーチャモンコン技術大学(ラチャモンコン技術大学)ヂャッグラポングプワナート校」についても知らなかった。日本人がタイ人偽学士を見抜くのは簡単ではないが、夜のオンナの経歴を鵜呑みにしてしまうのはあまりにも危険すぎる。

2005年8月5日(金)

「あまり目新しいものがなかったわね。でも、屋外用無線 LAN 中継装置と PCT パケット通信技術はけっこう興味深かったかも」

午後、ミャンマー研究の講義を欠席して、ノンタブリー県ムアングトーングターニー(ムアントンタニ)にある IMPACT Exhibition and Convention Center(インパクトアリーナ・ムアングトーングターニー) へ行き、 Bangkok International ICT Expo 2005(バンコク国際 ICT 博) を友人と見物した。

ところが、発展途上国で行われる博覧会で先端技術の発表があるはずもなく、ブースと呼べるものすらなかった(あるのは大企業の巨大な看板だけ)。唯一興味を惹かれたのは、大手通信会社 True(トゥルー)PCT(日本の PHS に相当) のネットし放題プラン(通信カード付き32-64kbps, 年間9,900バーツ)。約1時間後、会場を後にして友人たちと合流した。

「なかなかやるじゃない? それじゃ、この曲はどうかしら?」

夜、プララームサーム通り(ラマ3世通り)にある大部屋カラオケ屋 Easy Life(イージーライフ) で、マイクを握ったら離さないノリノリな友人が、僕に断りなく男性曲を次から次へと矢継ぎ早にリクエストしていった。

大部屋カラオケ屋 Easy Life(イージーライフ) は、酒とともに食事を食べながら、ほかの客(約50名)の前でカラオケを歌うというスタイルの店。気が向いたときにペンをとり、リクエスト(曲名・アーチスト名)を書いた紙を店員に渡せば歌えるというシステムをとっている。自分の歌声ひとつで店内の雰囲気を自由自在に変えられるのがこの店の醍醐味だ(毎週のように Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に出かけていたため、雰囲気を変えてみるという意味でこの店を選んだ)。

その後、僕が住んでいるスクンウィット(スクンビット)のコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の駐車場に BMW 318i を駐めてから、友人の Honda Jazz (DVDカラオケ搭載型)でトーングロー(トンロー・ヂャルーンスック通り)10にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブート, ブーズ) へ行き、友人の医学部時代の旧友たち(女医グループ)と合流した。

「なによこの店? 可愛い子なんてどこにもいないじゃないの?」

女性に容姿については男女で意見が分かれるところだが、たしかにいまひとつ冴えない印象。午後11時頃、 Johnnie Walker(ジョニーウォーカー) Red Label を飲み干したのを契機に、トーングロー(トンロー)15の The Duchess Plaza(ダッチネスプラザ)4階にある Escudo(エスクード) へと移動した。

「さっきの店より、レベルがぜんぜん高いんじゃないかしら?」

朝、目覚めたときには真面目で平凡な一日になる予定だったのに、 Bangkok International ICT Expo 2005(バンコク国際 ICT 博) のせいで調子を狂わされ、その後ナイトスポットを3件もハシゴしてしまったため、どうにも釈然としない。

2005年8月6日(土)

「タイ映画って、くだらないお笑いシーンが多すぎて、いつも本題がぼやけてしまうのよね」

夕方、高架電車 BTS エーガマイ駅(エカマイ駅)前の複合ショッピングモール Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット(スクンビット)エーガマイ(エカマイ)店で友人たちと合流し、タイ映画「ワイオンラウォング4」とハリウッド映画 The Island(アイランド) を見るグループとに分かれた。

就職活動中に出会った日本人学生によると、一度インディーズ映画の良さを知ってしまうと、ハリウッド映画の安っぽいストーリーには耐えられなくなるという。映画マニアではない僕にはいまひとつ良く分からないが、たしかにタイ映画には日本のインディーズ映画のような味がある。

タイ映画では、コメディータッチのストーリーのなかに作者の主張が隠されている。要所要所にお笑いシーンが多数挿入されている(これがないとタイ人は飽きる)ため、単なるコメディー映画と錯覚しがちだが、観客が映画館から出たあとに「なぜ○○は○○だったんだろう」と考えていく過程で作者の意図を自発的に理解させていく手法がとられている。ところがハリウッド映画では、心理学的に計算されつくした脚本にのっとって物語が展開し、無意識のうちに作者の主張を深層心理のなかへと刷り込んでいく手法がとられている。

タイ人ブロガー Chubby Chocobo 氏は、タイ映画「ワイオンラウォン4(Tum-Oh Return)」(ルタイワン・ウォングスィラサワット監督)を「ジェネレーションギャップを巡るドタバタ劇」と言い表している。

ストーリーはつぎのとおり。

若かれし日の『タム』(パイロート・サングワリブット演)と『オオ』(ロンラナー・スラーワン演)は、美男美女のカップルとして名を馳せていた。今年50歳になり、現在では年頃の2人の子供を育てている。長女の『バイトーング』(カヌングニット・ヂャッグラサニッターノン演)はチアングマイ県(チェンマイ県)内の大学に通う4年生、弟の『ナームトゥーイ』(ワスィット・スィラナーノン演)はバンコク都内の学校に通う中等教育学校6年生(高校3年生)の男の子。ある休日、タム(父)、オオ(母)、ナームトゥーイ(弟)、オーおばさん(オオの姉, ヂラワディー・イッサラーングーン・ナ・アユッタヤー演)の4人は、誕生日にバイトーング(姉)を驚かせるため、密かにチアングマイ(チェンマイ)へと向かった。タムとオーのふたりは、そこでのハプニングを通じて自分たちの青春時代に思いを馳せるが、若者文化の変化について行けずジェネレーションギャップを前にして当惑する。

この作品では、タイ人の家庭観や子育て観が巧みに表現されている。テーマは、①娘の同棲問題、②息子の同性愛問題、③両親にとっての青春、④家庭内コミュニケーションなど(これから家庭を持とうとしている人や高校生~大学生を持っている両親にオススメ。同性愛者や性転換者はやめておいた方がいい)。日本と共通する部分もあるが、タイ文化に関する貴重な情報で盛りだくさんの内容になっている。

その後、スクンウィット(スクンビット)107にある大部屋カラオケ屋で、別の友人たちと午前1時までタイカラオケを楽しんだ。

2005年8月7日(日)

朝、二度にわたる退役陸軍大将からの電話で起床。昼前、高校時代の友人から、カンボジアのゴゴング(コッコン)にあるカジノへ行くためバンコクに立ち寄るとの連絡があった。昼過ぎ、スィーロム通り(シーロム通り/rt>)の珈琲屋で友人と雑談しながら学期末小論文(タームペーパー)の準備をした。

午後11時頃、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)へ高校時代の友人を迎えに行き、そのままカンボジア国境の街トラート県クローングヤイ郡ハートレック町へと向かった。

途中、バーングナー(バンナー)・チョンブリー高速道路(制限速度80キロ)を走行中に、「エネルギー節約のため時速90キロ走行にご協力ください」と書かれた電光掲示板を発見して、とてもビミョーな気分になった。同時に、ガソリンが30リットルしか残っていないことに気づいた。

タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)政権は今年6月以降、対外貿易赤字削減のためのエネルギー節約政策の一環として、ガソリンスタンドの営業時間を午前5時から午後10時までの17時間に制限している(以前は午前零時まで許されていた)。この時間、ガソリンスタンドはすでに店を閉めている。

今回と同じようなことは、6月下旬のラオス旅行のときにも経験している。そのときは飲み屋で闇ガソリンを給油して難を免れたが、その後ラオスの山中でエンジントラブルが発生したため目的地にたどり着けなくなってしまった(後日、修理に約14,000バーツ費やした)。そこで、今回はガソリンに余裕があるうちにホテルを探して朝を待つことにした。

翌8日午前2時頃、ガソリンの残りがついに10リットルを割り込み、トラート市の手前約60キロの地点にあるヂャンタブリー市(チャンタブリー市)のホテル KP Grand(ケーピーグランド) に宿泊。一部屋1,000バーツだった。

2005年8月8日(月)

「このホテルは連れ込みオッケー。街中で見つけた娘(売春宿にいる娼婦)を部屋に連れ込んでも、誰が咎めたりするもんか。もしなんだったら、可愛いベトナム娘が揃っているオレのアルバムの中から今晩のお供を選ばせてあげようじゃないか。タイの携帯電話は持ってきているか? ここに電話番号を書いておくから、気が向いたらいつでも気軽に連絡してくれ。今晩はきっと最高の夜になるぜ!」

カンボジア王国ゴゴング(コッコン)州のプムチャムイアム村にあるカジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) にチェックインして、タイ・チョンブリー県出身のベルボーイから客室内の設備について説明を受けていたところ、いきなり娼婦(売春婦)を斡旋された。この地球上に娼婦(売春婦)を斡旋するホテルがあるというウワサは聞いていたが、まさか海外生活3年目にしてお目にかかれるとは思いもよらなかった。ついに地の果てにまで来てしまったということか。

カンボジア人女性は、やはり美白至上主義のタイ人にはウケないのか? タイ人ベルボーイが「ベトナム娘」と強調していたのが可笑しくてならなかったが、その気がないのに見込み客と思われるのも不都合なため適当に聞き流した。とはいえ、ホテル関係者の機嫌を損ねて客室内の私物がなくなるのもイヤだから、「あとで連絡する」と答えてその場を繕った。

午前10時ころ、ヂャンタブリー(チャンタブリー)市内のホテル KP Grand(ケーピーグランド) の食堂でアメリカンブレックファストのビュッフェを食べ、途中でガソリンを給油して、タイ・カンボジア国境へと向かった。

昼すぎ、国境の街トラート県クローングヤイ郡ハートレック町に到着。国境の街といえば交易で栄えている市場を想像するが、カンボジア側のプムチャイイヤム村から市街地のゴゴング(コッコン)まで、ゴゴング(コッコン)川(全幅1,900メートル)を隔てて10キロも離れているため、人々の往来もなく静まり返っている。ハートレック - ゴゴング(コッコン)間を結ぶゴゴング橋(コッコン橋)(カンボジア最長, 建設費約8億円)が2002年4月に開通したが、通行料が44バーツと値が張るため、この橋を使う現地人は少ない(なぜかカンボジアの道路には有料の私道が多い)。

タイ・カンボジア間の物流は、ハートレック(トラート県, タイ国道318号線) - プムチャイイアム(ゴゴング州(コッコン州))国境ではなく、約220キロ北にあるアランヤプラテート(サゲーオ県(サケオ県), タイ国道33号線) - ポーイペート(ポイペト)(バンテイメンチェイ州, カンボジア国道6号線)国境に集約されている。

タイ側のハートレック入国管理局で、リエントリーパーミット(非移住ビザ資格滞在者のための再入国許可書)(シングル1,000バーツ)の発給を受け、旅券(パスポート)と国際交通許可証に出国スタンプをもらい、6m幅の道路を挟んで反対側にあるハートレック税関で自家用車持出証明書の交付を受けた。

いつもより少しだけ煩雑な出国手続きを済ませ、バンコク都内の一戸建て住居にある門柱のような「国境ゲート」を越えてカンボジア側に入った。

カンボジア側のプムチャムイアム村は、ハートレック村に輪をかけて寂れている。国境の施設は、いずれも公立小学校の体育倉庫や簡易便所のようなありさまだった。プムチャムイアム入国管理局で到着ビザ(アライバルビザ)(1,100バーツ領収書なし)を申請し、旅券(パスポート)に入国スタンプをもらい、簡易便所よりも簡素な税関にタイの自動車登録証を預けると、カンボジア国内用の仮ナンバープレート(1日100バーツ領収書なし)が交付された。

なお、タイとカンボジアの二国間協定により、タイ人はビザなしでカンボジアに入国できる。

入国後、国境から約200メートルのところにあるカジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) を通過して、ゴゴング(コッコン)市街へと向かった。想像以上に小さな街で、テレビ局や郵便局が半ば廃墟と化しており、人々の暮らしも全体的にひどく貧しい。外国人向けのゲストハウスやマッサージ屋もあったが、いずれも強制収容所や豚小屋よりも劣悪な施設だった(そんな雰囲気の集落に BMW 318i が迷い込んだものだから、かなり注目された)。豪雨のなか、市街全域をクルマで10分くらいかけて見物してから、ふたたびゴゴング橋(コッコン橋)を超えて国境方面へと向かった。

カジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) にチェックインした。

カンボジアの国境カジノは、どこもさまざまなプロモーションを打ち出してカジノ客の誘致を図っている。

さっそく、15,000バーツずつ出し合って30,000バーツの換金不能チップを購入し、無料宿泊券と無料食事券を受け取って、カジノゲーム Black Jack(ブラックジャック) をしたところ、換金可能チップに換え終わるまで3時間かかり、650バーツ儲かった。

Koh Kong International Resort Club のプロモーション
①換金不能チップ30,000バーツ分購入で宿泊費・食費無料。
②換金不能チップ20,000バーツ分購入で近くにある別のホテルの宿泊費無料。
③換金不能チップ100,000バーツ以上購入でバンコク-トラート間の往復航空券・宿泊費無料。
※ 換金不能チップはゲームをしながら換金可能チップに換えていくことができる

このカジノクラブは、タイ人客をターゲットにしている。そのためタイ語が公用語になっており、英語はほとんど通じない。バカラがもっとも人気があり、 Black Jack(ブラックジャック) 台やルーレット台はそれぞれ1台ずつしかなかった。

午後10時、客室に戻った。化粧台の上に放置したままになっていたベルボーイの電話番号が書かれているメモをゴミ箱に放り込み、カジノホテルのプロモーションやゲームの勝率について友人から話を聞いた。

<関連記事>
タイ籍自家用車のラオスへの持ち出し要件とヴィエンチャンの夜 (2004年6月1日)
国際交通許可証と郊外の電脳街 (2005年1月28日)

2005年8月9日(火)

「あ、もしもし? けさ会社をやめたから、自分で事業を始めるつもり。ほら、あのサイドビジネス。これまで仕事を頼んでいた友達はあまりにもカネがかかりすぎてたし上手くもなかったから、チームを組みなおして一から出直してみるわ」

昼前、ヂャンタブリー(チャンタブリー)市内のガソリンスタンドで給油中、友人が電話越しでそう言った。でも、上司からの圧力に耐えられなくなったというのが本音のはず。以前から「顧客の新規開拓には際限がない。こんなことを続けていては、いつまで経っても安寧の日は訪れないし裕福にもなれない」とこぼしていたから、きっとタイ資本主義における「ヂャーオナーイ(上位者)の世界」の本質にようやく気づいたんだろう。タイに住んでいると、被雇用者がどのように搾取され、それを原資に大小さまざまな資本家たちがどのように豊かになっていくのか容易に理解できる。

いずれにしても、転職型労働社会のタイでは、会社を辞めてもキャリアがフイになったり、所得が半減するわけでもないから、自分が責任を負える範囲で冒険してみるのも悪くない。仮にこのビジネスがうまくいかなくても、またサラリーマンに戻れば良いだけの話。

夕方、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body House(キングス・ボディーハウス) でタイ古式マッサージ(330バーツ)を受けて旅の疲れを癒した。ここのマッサージには、按摩などの日本人向けのメニューも含まれているため、けっこうキモチイイ!

2005年8月10日(水)

午前中の講座「タイ文化論」が予定より1時間早く終わったため、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で友人と時間をつぶしてから、グルーク大学とガセートサート大学(カセサート大学, 農業大学)へ出かけた。

バンコク北部のバーングケーン区(バンケン区)には、ガセートサート大学(カセサート大学)スィーパトム大学(シーパトム大学)、グルーク大学の3学が密集している。特にガセートサート大学(カセサート大学)には国内最大規模の5万人が在学しているため、大学と学生街が一体となった巨大な地域コミュニティーがある(ガセートサート大学バーングケーン校の敷地だけでも1,353,600km2, 公開大学であるラームカムヘーング大学の約30万人を除く)。

夕方、バーングランプー百貨店(ハーンバンランプー, パンティッププラザ・ンガームウォングワーン店)で国内最大のプラクルアングラーング(プラクルアン, 携行護符)市場を友人と見学し、トーングロー(トンロー)15にある日本料理屋「大戸屋」で夕食をとった。その後、別の友人に呼び出されビールを一杯飲んで帰宅した。

各大学の詳細はつぎのとおり。

มหาวิทยาลัยเกริก (.เกริก)
  マハーウィッタヤーライ・グルーク(モー・グルーク
種別 下位私立大学
設立年 2495年 (西暦1952年、前身は英語職業学校→グルーク学院→グルーク準大学→グルーク社会技術高等教育機関→グルーク大学
所在地 バンコク都ラームイントラー通り 1km アヌサーワリー・ラックスィー 43/1111番地
設置学部 経営学部・経済学部・法学部・報道学部・芸術学部・大学院
標準学費 16,450バーツ/学期
公式Wweb http://www.krirk.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし21位 (報道芸術学部コミュニケーション英語学科・正答率42%、倍率1未満
経営学 みなし29位 (経営学部経営情報学科・正答率34%、倍率1未満
法学 情報なし
医学 -
工学 -
キャンパス 建築物 50点 (オレンジと白の塗装で統一されたこぢんまりとした校舎。各階に各学部が設置されており、エレベータはない。
学生街 10点 (小規模な商店がある。学生街はサ・モール・ンガームウォングワン店
オシャレ 30点 (田舎っぽい
ボディコン 70点 (ピッタリの着こなしだが何かが違う
歴史 2495年 英語職業学校、グルーク・マンカラパリック博士によりラーチャダムヌーン通りに設立
2504年 中等学校8年生(高校5年生)卒向けの学士課程(3年制)を設ける
2508年 グルーク学院と改称し、サムットプラーガーン県ムアング郡へ移転
2512年 グルーク準大学、グルーク学院から分離独立し、経営学部・経済学部を設置
2530年 国立大学と同格の学位を発行できる社会技術高等教育機関に昇格しグルーク社会技術高等教育機関と改称
2538年 大学院を設置し、グルーク大学と改称
มหาวิทยาลัยเกษตรศาสตร์ (.เกษตร)
  マハーウィッタヤーライ・ガセートサート (モー・ガセート
種別 上位国立大学
設立年 2486年 (西暦1943年)
所在地 バンコク都ヂャトゥヂャック区ラートヤーオ町パホンヨーティーン通り50番地 (バーングケーン校) / ナコーンパトム県ガンペーングセーン郡ガンペーングセーン町第6村1番地 (ガンペーングセーン校) / サゴンナコーン県ムアング郡チアングクルア町第1村59番地 (サゴンナコーン校) / チョンブリー県スィーラーチャー郡トゥングスックラー町スクンウィット通り第6村199番地 (スィーラーチャー校) / ロッブリー県コークサムローング郡パニアット町第1村50番地 (ロッブリー校) / スパンブリー県ムアング郡バーングプラーマー郡 (スパンブリー校) / グラビー県ヌアクローング郡ユワイユーング町 (グラビー情報通信校)
設置学部
農学部(理学部に相当)・経営学部・漁学部(理学部に相当)・人文学部(文学部に相当)・林学部(理学部に相当)・理学部・工学部・社会学部・獣医学部・教養学部・経済学部・農産学部・建築学部
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.ku.ac.th/
入試難易度 人文科学 3位 (人文学部外国語学科・正答率63%)
経営学 3位 (経営学部市場学科・正答率57%)
法学 -
医学 -
工学 3位 (工学部バーングケーン校・正答率55%)
キャンパス 建築物 90点 (バイクタクシーに乗らないと移動できないほどの広大な校舎。夕方には大渋滞が発生する
学生街 10点 (大学と商店がひとつの街を形成している。学生街はサ・モール・ンガームウォングワン店
オシャレ 50点 (田舎っぽい学生とオシャレな学生の差が激しい
ボディコン 35点 (おおむね制服を正しく着用している
歴史 2486年 ガセートサート大学設置法に基づき設立。農学部・教養学部・組合学部・漁学部を設置
2479年 農学部、医学大学の獣医学部を吸収し、農業獣医学部と改称。工学部設置
2509年
農理学部・理学部設置。農業獣医学部、獣医学部と改称。組合経済学部、経済経営学部に改称。獣医学部の一部、教養学部に移転。
2511年 大学院設置
2515年
世界銀行からの融資でガンペーングセーング校(ナコーンパトム県)設置。日本政府からの援助でガンペーングセーング校の研究所群が建設される。社会学部、農産学部、人文学部、図書館、研究所、
2521年 博士課程設置
2522年 一部学部の一部学年がガンペーングセーング校へ移転
2536年
ガンペーングセーング校文学部、ガンペーングセーング校理学部設置。各学部に修士課程・博士課程が設置される。農業文化博物館開館。
2538年 サゴンナコーン校設立。日本国秋篠宮親王に学位を授与。
2539年 スパンブリー校、ロッブリー校、グラビー校設立。
2542年 グラビー情報通信校設立
2543年 建築学部設立

2005年8月11日(木)

「ケイイチさんの料金プランにおける GPRS 料金は、1分1バーツです」

昼、タニヤ通りにある日本料理屋「味里」でタイ旅行中の友人と昼食をとっていたところ、モバイルインターネットの話題になり、移動体通信会社 AIS Advanced Info Service のコールセンター 1175 に問い合わせた。

タイでは現在、顧客の名前を呼ぶのが流行っている。 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でも、注文を受けるときに名前を尋ね、出来上がると名前で呼び出すサービスを始めている。 One 2 Call (AISのプリペイド携帯電話サービス)のコールセンター担当者も、いつも僕の名前を必要以上に連呼しては、ものすごく明るい声で対応してくれる(でも話すスピードはネイティブの2倍速)。もちろん、ぶっきらぼうに対応されるよりはよほどマシだが、過剰なサービスを煩わしく思うこともある(今回は12日の国母生誕日に関連するサービスを紹介された)。

タイの携帯電話にも、さまざまな料金プランが設定されている。 One 2 Call の標準料金は、地域内1分5バーツ、地域外8バーツだが、利用者の大半はプロモーションと呼ばれる割引料金プランを選択している。割引料金プランは、それぞれ①通話料金、②ショートメール SMS 料金、③追加される電話番号利用日数に違いがあり、 One 2 Call なら *777 (自動音声)で変更できる。ちなみに、僕が使っているのは全国均一1分3バーツの Freedom More 。

パケット通信 GPRS にも割引料金プランが設定されており、通常1分1バーツのところ、1分0.08バーツになるプロモーションがある(プロバイダ料込み, 20時間100バーツのプロモーションを選択した場合)。 GPRS のプロモーションは、通話料金のプロモーションとは別に設定でき、 GPRS プロモーション登録専用番号 *138 (音声ガイダンス)または 1175 (AISコールセンター)から申し込める。料金は申し込みと同時に通話料金残高から差し引かれ(月の途中の場合は料金と通信時間残高が日割り)、その後は毎月1日に差し引かれる。利用可能時間残高は *139 (自動音声)で確認できる。

このほか、毎月40時間の GPRS パケット通信が無料になる One 2 Call! Net SIM もあるが、通話料が1分5バーツと割高なためお勧めできない(音声通話のプロモーションを選択できない)。

GPRS モバイルインターネットの接続方法はつぎのとおり。

①携帯電話の GPRS パケット通信を設定する(通信会社によって異なる)
②ケーブルまたは無線でパソコンと携帯電話を接続する
③パケット通信を開始する(携帯電話の説明書参照, 電話番号:*99***1#, ユーザー名:空欄, パスワード:空欄)

ちなみに、携帯電話から日本への通話料金はつぎのとおり。

001 (International Call) 30バーツ/分
008 (International Call) 7.49バーツ/分
009 (eFone) 21バーツ/分

その後、バンコクの電脳街「バンティッププラザ」でノートパソコンと携帯電話を無線接続するための Bluetooth 発信機を購入(450バーツ, パソコンと携帯電話をケーブルで接続しても OK )。スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で調べ物をしてから帰宅した。

2005年8月12日(金)

「あまり話題にしないから他人がどう思ってるか知らないけど、わたしは国王陛下を尊敬しているわよ。王室プロジェクトはわたしたちタイ国民に夢と希望を与えてくださっているし、ラッタナゴースィン朝(チャクリ朝, バンコク朝)の歴代国王もそれなりの功績を挙げているから、君主制への不満もないわ。でも、それは君主制に対する盲目的な信仰じゃなくて、あくまでも功績ある個人に対する尊敬よ」

夕方、ノンタブリー県にある粥屋「カーオトムウワンポーム」へ友人と向かう途中、プーミポンアドゥンヤデート国王の居城「ヂットラダー宮殿(チットラダ宮殿)」脇に差し掛かり、君主に対する忠誠の話題になった。

今日は国母生誕日(王妃誕生日, 母の日)。バンコク都内のビルというビルには巨大なスィリギット王妃(シリキット王妃)の肖像が掲げられ、陸橋にはタイ国旗とともに水色の王妃旗が立てられている。国母たる王妃の誕生日は、タイでは国家的な「母の日」との位置づけにあり、地方出身者は母親に会うためにこの3連休を利用して帰省するという。また自家用車を所有しているバンコクの中間層は、パッタヤー(パタヤ)フワヒン(ホアヒン)、チャアムなどのビーチリゾートへと出かけている。そのため、いつもは渋滞が深刻な社会問題になっているバンコクの主要道路が驚くほど空いていた。

プーミポンアドゥンヤデート国王の功績について、生活苦を訴えている気の毒な人に支援金を下賜されたという美談のほかに、友人はプルッサパータミン事件のときに政治に介入して事態を収拾したことを挙げていた。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, 5月の流血, Black May)とは、軍事政権「国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)」とバンコク都民のあいだに生じた対立と、1992年2月17日から20日にかけての一連の流血革命のこと。

事件の発端は1991年2月13日、国軍最高司令官スントーン・コングソンポング陸軍大将率いる国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が政治の腐敗と軍隊の弱体化を口実に起こした軍事革命(クーデター)にさかのぼる。チャートチャーイ・チュンハワン陸軍大将は首相の地位を追われ、新憲法の下、アナン・パンヤーラチュン陸軍大将が新首相に就任した(新憲法は国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が任命した20名からなる憲法改正評議会が作成し、代議士以外にも首相になれる条項を加えた)。

新憲法施行後の1992年3月22日に実施された総選挙で、国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)系の正義団結党(サーマッキータム党, サマッキータム党)が79議席を獲得して第一党になった。ところが、アメリカ国務省スポークスマンのマーガレット・テットワイラーは、正義団結党(サーマッキータム党)が首相に選出したナロング・ウォングワン党首へのビザ発給を、麻薬関与を理由に拒否すると発表。新たに首相を選出し直すことになった。

その後、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)が首相に就任。ところが、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は以前、空軍総司令官ガセート・ロートヂョンニット空軍大将(カセート・ローチョンニット空軍大将)に対して「いかなる政治的地位にも就かない」と確約していたため、当初の約束をたがえ、タイにおける議会制民主主義と議院内閣制の精神を貶めたとして、バンコク都民のあいだで激しい抗議行動が起こった。そして5月4日、元バンコク都知事で正義力党(パラングタム党, パランタム党)党首(当時)のヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)と元下院議員のチャラート・ワラチャット陸軍少尉がハンガーストライキを始めたことで、プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)の幕が上がった。

2月17日、サナームルワング(王宮前広場)で、スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)の首相就任に反対する20万人規模の集会が開かれた。翌18日午前4時頃、ラーチャダムヌーンナイ通り(ラチャダムヌンナイ通り)でバンコク都民によるデモ隊約4万人が軍と衝突。タイ軍制式突撃銃 M16 (20連発)の掃射により多数の死者・行方不明者を出した。同日午後、政府は非常事態宣言を発令し、デモ隊の指導者ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)ほかを逮捕拘束した。19日、逮捕を免れたデモ隊約5,000人がラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に活動の拠点を移した。20日、それまでテレビ局は報道管制により虚偽の報道を続けてきたが、突如、プーミポンアドゥンヤデート国王の前で跪いているスヂンダー・クラープラユーン首相(スチンダ・クラプラユン首相)ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)の映像が映し出された。そのなかで、国王が「双方の代表であるふたりが直接話し合い、協力し合って問題の解決にあたるように」と述べられたことで一件落着。スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は24日、首相職を辞してテレコムホールディング社(旧 Telecom Asia(テレコムエイジア) = True(トゥルー) の親会社)の代表取締役に就任した。

一説によると、このタイミングで国王の政治介入がなかった場合、①陸軍内部における内乱の発生、②ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に集結していたデモ隊約10万人の虐殺がありえたという。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)における人的被害について、公式には死亡52名、負傷660名とされているが、タイ人のあいだでは「見当もつかないほどたくさんの市民が虐殺され、陸軍によって地方の山中に遺棄された」とウワサされている。犠牲者の数では「1976年の10月虐殺」を上回るとする説もある(リンク参照, 1枚の写真の中に500前後の遺体が映っているものもある)。

午後、電脳街「パンティッププラザ」で修理に出していたパソコンを受け取り、ンガームウォングワーン通りの粥屋で夕食をとり、スクンウィット(スクンビット)33/1にある日系スーパー「富士スーパー」で酒を買った。

これまでタイ人は盲目的に国王を崇拝していると考えてきたが、意外にもそれなりの根拠があることを知った。同時に、国王の偉業に感銘し、虐殺された市民の数すら特定できないタイ国民の基本的人権の脆弱さに改めて驚かされた。

仮に次回のクーデターがあるとすれば、どのような決着が図られるのだろうか。

<参考リンク>
プルッサパータミン 2535 (タイ語・写真付き)
惨劇と化した5月の3日間 (日本語)

2005年8月13日(土)