2005年8月1日(月)

午後、イスラーム研究の講義に出席した。その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で理学書の翻訳をするつもりだったが、昨日までの旅行の疲れが残っていたため帰宅した。自室で友人ととりとめもない話をしながら一日を終えた。

2005年8月2日(火)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20050802-2.jpg" width="300" height="169" align="right" />「こんばんは。クイクイカーオをご覧の皆様はすでにご存じと思いますが、今晩のトゥングルークトゥングコンでは、ここ数日ホットな話題になっている『新ヴァージョンの国歌』について、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) の責任者の方をお招きして討論を進めてまいります。――中略―― 『G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) は軍務省からの依頼を受けて、国家団結力開発プロジェクトの一部門である国家芸術家国歌斉唱プロジェクトの指針に基づいて、市民の責務として全身全霊、全知全能をかけて国歌の録音候補を6種類制作しました。しかし、特に固執するつもりはなく、国民を扇動するのも本意ではないため、不満とあれば遠慮せずに破棄していただいて構わない』 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) のプレスリリースがここにあります。そこで今晩は、G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) 公開株式会社のグループ企業、グラミーグランド株式会社代表取締役のニティポング・ホーナート氏をお招きして、①どのような経緯があったのか、②なぜ依頼を受けたのか、③さまざまな意見があるなか、なぜ軍の意向だけを尊重したのか、④当事者である G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) はどう考えているのか、⑤どのように6種類のヴァージョンの候補を選んだのか、⑥今後どのようにしていけばよいのかの6点についてお話うかがってまいります」(トゥングルーク・トゥングコン5月24日「新バージョンの国歌」冒頭部分を要約)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20050802-3.jpg" width="300" height="169" align="right" />「こんばんは。お聞きいただいたのは、わたしたちが日頃から聞き慣れているタイ国歌に変更されるまで使われていた1934年国歌(サヤーム国歌(シャム国歌, サイアム国歌), 曲と歌詞の一部が変更になった)です。国家文化委員会は本日、軍務省からの依頼により G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) が国歌の録音を新たに6種類制作したことを受けて会合を開きました。そのなかで文化相は、つぎのような談話を発表しています。『2003年末の閣議において、それまで国歌の録音に関する規程がなかったため、国家象徴委員会版の国歌のみを公式録音とする決定をいたしました。公的機関や国営企業では国家象徴委員会版の録音を用いており、民間にも国家象徴委員会版の録音を用いるよう要請しているところです。また当時の閣議決定は現在でも有効であるため、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) と軍務省が制作した新ヴァージョンの国歌については検討しない、との結論に至りました』。そこで今晩は、この機会に国歌に対する理解を深めるために、関係者や有識者の皆様をお招きしております」(トゥングルーク・トゥングコン5月25日「タイ国歌」冒頭部分を要約)

民主国家である以上、タイにも討論番組が存在する。なかでも、ソーラユット・スタッサナヂンダー氏(バンコク大学報道学部卒業・39歳)が司会を務める「トゥングルーク・トゥングコン」(とことん / 月-金 23:00-24:30)の存在は特に際だっている。さまざまな社会問題をタイムリーに取り上げ、当事者や専門家を招いて真相をとことん徹底的に追究していく姿勢は、市民からの根強い支持を得ている。ソーラユット氏のアグレッシブな追求ぶりは、日本人のジャーナリスト田原総一朗氏(早稲田大学文学部卒業・71歳)を思い起こさせる。

今回の国歌公式録音問題では、マヒドン大学附属ヂェンドゥリヤーングカスィン芸術カレッジの学者が「言語道断。全国民が敬意を払うべき国歌が、まるでダンスミュージックのようではいけない」と話していた。一方、 G”MM’ Grammy(ジーエムエムグラミー) 側は「技術革新によって、現在では鳥肌の立つような、以前とは比較にならないほど素晴らしい国歌が録音できるになった」と主張している。このようなやりとりは、タイ社会を理解するうえでとても参考になる(有識者の主張によると、国歌象徴委員会版の録音には、国歌に込められている思想を正確に表現するための工夫があるという)。

日没後、アサンプション大学(ABAC, アッサムチャン大学)フワマーク校舎裏で友人たちと合流。すぐ近くにあるタイ料理店で、学会に出席するためにプーゲット(プーケット)から来ている友人の高校時代の友人たちと夕食をとった。海軍士官学校の3年生によると、士官学校はタイ屈指の高等教育機関で、約19,000名の志願者のうち90名しか入学できず、入学後は准尉待遇の士官候補生として待遇されるという。

午後11時頃、自室のリビングでタバコを吸っていたところ、バンコク在住の日本人としては数少ない超人的な知識量を誇る友人から、電話越しに อ.ส.ม.ท.(MCOT, タイ大衆報道協会) で放映中の討論番組を見るよう勧められた。今晩は「近郊鉄道 バーングヤイ ― バーングスー線 は高架か地下か」について討論されていた。

番組終了後、インターネット上にアップロードされている過去の放送内容を発見。結局、朝まで見続けてしまった。この日記では語り尽くせないの魅力がギッシリ詰まっている番組なので、タイの社会問題に興味をお持ちの方には是非オススメしたい(必要最小スキル:ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部集中タイ語コース中級1 [ポーホック相当(小学校6年生相当のタイ語能力検定合格相当)] 以上 / 推奨スキル:上級1以上)。

この日記では日本人にも分かりやすい内容を選んで掲載した。なお、過去のバックナンバー(抜粋)はつぎのとおり。

8月1日 「第二種女子学生コンテスト」(ラーチャパットスワンドゥスィット大学が200名からのオカマ学生に晴れの舞台を用意したということについての是非)
7月29日 「若者達がアルコール飲料会社の上場に反対」
7月26日 「タイのカレンダーはズレている」(日刊紙コムチャットルックが仏教的な祭日がずれていると指摘したことについての真偽)
7月4日 「タクシー運賃の値上げ」
6月17日 「ズレてる新入生歓迎パーティー!」
6月16日 「新入生歓迎パーティーの悲劇」
6月13日 「新入生歓迎パーティーの中止」
5月31日 「エネルギー節約」
5月23日 「人生を変えるミニバス」
5月11日 「バンコク人の命の値段」

2005年8月3日(水)

午前10時半起床。昨晩、友人に紹介してもらった討論番組のバックナンバーを朝まで見続けた影響で、午前中の講座「タイ文化論」に欠席してしまった。しかし、討論番組から多くの有益な知識をゲットできたということで良しとしておきたい。昼すぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で、ここ数週間「生活の足かせ」となっている理学書の翻訳を友人としてから帰宅した。この1年間いろんな店を転々としてきたが、スィーロム通り(シーロム通り)界隈の珈琲屋が自習室にもっとも適している。

2005年8月4日(木)

「日本人のあいだで最近、日本語対応の携帯電話がメチャメチャ普及してますよ。日本人なら、もうみんな持ってるんじゃないんですか?」

夜、スィーロム(シーロム)4の日本料理屋「楓」で、日本人の友人たちと夕食をとっていたところ、店内にいる日本人客のほとんどが日本製の携帯電話を使っていることを指摘されて驚いた。

先学期の学期末小論文(タームペーパー)を書いていた今年2月頃、エーガマイ通り(エカマイ通り)にあるコンドミニアムで日本人同士で酒を酌み交わしていたところ、「 Vodafone(ボーダフォン) の海外対応携帯なら、シムロックを外すだけでタイでも使えるようになる」という話を聞いた。日本で売られている携帯電話はタイより極端に安いため、日本から携帯電話を大量に輸入して MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)へと持ち込み、改造(シムロックを解除, ファームウェアをタイ語化)して売りさばくことでかなりの利益を上げたという。ところが、輸入量が増えるにしたがって市場価格が下落したため、今となってはそれほどオイシイ商売でもなくなった。

同時期、タイ在住の日本人のあいだで日本製の携帯電話が爆発的に普及した。日頃から日本語だけで生活している大部分の日本人にとって、日本語のショートメールが使えるようになったことは、生活スタイルに大きな変革をもたらしたという。しかし、日頃からタイ語で生活をしている僕にとって、タイ語が使えない携帯電話ほど不便なものはないため、これまで日本製携帯電話の普及にはまったく無関心だった。

友人によると、高架電車 BTS アソーク駅から徒歩5分のところにある商業ビル Times Square(タイムズスクエア) に、日本製の携帯電話を扱っている店があり、日本語ウェブサイトの閲覧や日本語電子メールの送受信が行えるサービスを年額3,000バーツで提供しているという。

ウエブサイトの閲覧や電子メールの送受信は、日本語にこだわらなければ、標準的な契約内容で十分利用できる。

約2時間後、タニヤ通りのカラオケスナックへ友人たちと出かけた。実は普通のカラオケボックスでも構わなかったが、ゲイだらけのバンコクでいい歳をした大人が男同士でカラオケボックスに入ったら、いよいよゲイとの疑いをもたれかねない。明日のカラオケ大会のためにタイ語曲を3曲ほど練習して、午前1時に店を出た。1,100バーツだった。どうせホステスを相手にするわけでもないから、もう少し安い店を選んでも良かったかも。

ちなみに、今晩のホステスは自称「ホーガーンカータイ大学(タイ商工会議所大学)卒」だったが、大学の正門の位置を正しく言えなければ、すぐ目の前にある高等教育機関「ラーチャモンコン技術大学(ラチャモンコン技術大学)ヂャッグラポングプワナート校」についても知らなかった。日本人がタイ人偽学士を見抜くのは簡単ではないが、夜のオンナの経歴を鵜呑みにしてしまうのはあまりにも危険すぎる。

2005年8月5日(金)

「あまり目新しいものがなかったわね。でも、屋外用無線 LAN 中継装置と PCT パケット通信技術はけっこう興味深かったかも」

午後、ミャンマー研究の講義を欠席して、ノンタブリー県ムアングトーングターニー(ムアントンタニ)にある IMPACT Exhibition and Convention Center(インパクトアリーナ・ムアングトーングターニー) へ行き、 Bangkok International ICT Expo 2005(バンコク国際 ICT 博) を友人と見物した。

ところが、発展途上国で行われる博覧会で先端技術の発表があるはずもなく、ブースと呼べるものすらなかった(あるのは大企業の巨大な看板だけ)。唯一興味を惹かれたのは、大手通信会社 True(トゥルー)PCT(日本の PHS に相当) のネットし放題プラン(通信カード付き32-64kbps, 年間9,900バーツ)。約1時間後、会場を後にして友人たちと合流した。

「なかなかやるじゃない? それじゃ、この曲はどうかしら?」

夜、プララームサーム通り(ラマ3世通り)にある大部屋カラオケ屋 Easy Life(イージーライフ) で、マイクを握ったら離さないノリノリな友人が、僕に断りなく男性曲を次から次へと矢継ぎ早にリクエストしていった。

大部屋カラオケ屋 Easy Life(イージーライフ) は、酒とともに食事を食べながら、ほかの客(約50名)の前でカラオケを歌うというスタイルの店。気が向いたときにペンをとり、リクエスト(曲名・アーチスト名)を書いた紙を店員に渡せば歌えるというシステムをとっている。自分の歌声ひとつで店内の雰囲気を自由自在に変えられるのがこの店の醍醐味だ(毎週のように Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に出かけていたため、雰囲気を変えてみるという意味でこの店を選んだ)。

その後、僕が住んでいるスクンウィット(スクンビット)のコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の駐車場に BMW 318i を駐めてから、友人の Honda Jazz (DVDカラオケ搭載型)でトーングロー(トンロー・ヂャルーンスック通り)10にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブート, ブーズ) へ行き、友人の医学部時代の旧友たち(女医グループ)と合流した。

「なによこの店? 可愛い子なんてどこにもいないじゃないの?」

女性に容姿については男女で意見が分かれるところだが、たしかにいまひとつ冴えない印象。午後11時頃、 Johnnie Walker(ジョニーウォーカー) Red Label を飲み干したのを契機に、トーングロー(トンロー)15の The Duchess Plaza(ダッチネスプラザ)4階にある Escudo(エスクード) へと移動した。

「さっきの店より、レベルがぜんぜん高いんじゃないかしら?」

朝、目覚めたときには真面目で平凡な一日になる予定だったのに、 Bangkok International ICT Expo 2005(バンコク国際 ICT 博) のせいで調子を狂わされ、その後ナイトスポットを3件もハシゴしてしまったため、どうにも釈然としない。

2005年8月6日(土)

「タイ映画って、くだらないお笑いシーンが多すぎて、いつも本題がぼやけてしまうのよね」

夕方、高架電車 BTS エーガマイ駅(エカマイ駅)前の複合ショッピングモール Major Cineplex(メジャーシネプレックス) スクンウィット(スクンビット)エーガマイ(エカマイ)店で友人たちと合流し、タイ映画「ワイオンラウォング4」とハリウッド映画 The Island(アイランド) を見るグループとに分かれた。

就職活動中に出会った日本人学生によると、一度インディーズ映画の良さを知ってしまうと、ハリウッド映画の安っぽいストーリーには耐えられなくなるという。映画マニアではない僕にはいまひとつ良く分からないが、たしかにタイ映画には日本のインディーズ映画のような味がある。

タイ映画では、コメディータッチのストーリーのなかに作者の主張が隠されている。要所要所にお笑いシーンが多数挿入されている(これがないとタイ人は飽きる)ため、単なるコメディー映画と錯覚しがちだが、観客が映画館から出たあとに「なぜ○○は○○だったんだろう」と考えていく過程で作者の意図を自発的に理解させていく手法がとられている。ところがハリウッド映画では、心理学的に計算されつくした脚本にのっとって物語が展開し、無意識のうちに作者の主張を深層心理のなかへと刷り込んでいく手法がとられている。

タイ人ブロガー Chubby Chocobo 氏は、タイ映画「ワイオンラウォン4(Tum-Oh Return)」(ルタイワン・ウォングスィラサワット監督)を「ジェネレーションギャップを巡るドタバタ劇」と言い表している。

ストーリーはつぎのとおり。

若かれし日の『タム』(パイロート・サングワリブット演)と『オオ』(ロンラナー・スラーワン演)は、美男美女のカップルとして名を馳せていた。今年50歳になり、現在では年頃の2人の子供を育てている。長女の『バイトーング』(カヌングニット・ヂャッグラサニッターノン演)はチアングマイ県(チェンマイ県)内の大学に通う4年生、弟の『ナームトゥーイ』(ワスィット・スィラナーノン演)はバンコク都内の学校に通う中等教育学校6年生(高校3年生)の男の子。ある休日、タム(父)、オオ(母)、ナームトゥーイ(弟)、オーおばさん(オオの姉, ヂラワディー・イッサラーングーン・ナ・アユッタヤー演)の4人は、誕生日にバイトーング(姉)を驚かせるため、密かにチアングマイ(チェンマイ)へと向かった。タムとオーのふたりは、そこでのハプニングを通じて自分たちの青春時代に思いを馳せるが、若者文化の変化について行けずジェネレーションギャップを前にして当惑する。

この作品では、タイ人の家庭観や子育て観が巧みに表現されている。テーマは、①娘の同棲問題、②息子の同性愛問題、③両親にとっての青春、④家庭内コミュニケーションなど(これから家庭を持とうとしている人や高校生~大学生を持っている両親にオススメ。同性愛者や性転換者はやめておいた方がいい)。日本と共通する部分もあるが、タイ文化に関する貴重な情報で盛りだくさんの内容になっている。

その後、スクンウィット(スクンビット)107にある大部屋カラオケ屋で、別の友人たちと午前1時までタイカラオケを楽しんだ。

2005年8月7日(日)

朝、二度にわたる退役陸軍大将からの電話で起床。昼前、高校時代の友人から、カンボジアのゴゴング(コッコン)にあるカジノへ行くためバンコクに立ち寄るとの連絡があった。昼過ぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と雑談しながら学期末小論文(タームペーパー)の準備をした。

午後11時頃、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)へ高校時代の友人を迎えに行き、そのままカンボジア国境の街トラート県クローングヤイ郡ハートレック町へと向かった。

途中、バーングナー(バンナー)・チョンブリー高速道路(制限速度80キロ)を走行中に、「エネルギー節約のため時速90キロ走行にご協力ください」と書かれた電光掲示板を発見して、とてもビミョーな気分になった。同時に、ガソリンが30リットルしか残っていないことに気づいた。

タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)政権は今年6月以降、対外貿易赤字削減のためのエネルギー節約政策の一環として、ガソリンスタンドの営業時間を午前5時から午後10時までの17時間に制限している(以前は午前零時まで許されていた)。この時間、ガソリンスタンドはすでに店を閉めている。

今回と同じようなことは、6月下旬のラオス旅行のときにも経験している。そのときは飲み屋で闇ガソリンを給油して難を免れたが、その後ラオスの山中でエンジントラブルが発生したため目的地にたどり着けなくなってしまった(後日、修理に約14,000バーツ費やした)。そこで、今回はガソリンに余裕があるうちにホテルを探して朝を待つことにした。

翌8日午前2時頃、ガソリンの残りがついに10リットルを割り込み、トラート市の手前約60キロの地点にあるヂャンタブリー市(チャンタブリー市)のホテル KP Grand(ケーピーグランド) に宿泊。一部屋1,000バーツだった。

2005年8月8日(月)

「このホテルは連れ込みオッケー。街中で見つけた娘(売春宿にいる娼婦)を部屋に連れ込んでも、誰が咎めたりするもんか。もしなんだったら、可愛いベトナム娘が揃っているオレのアルバムの中から今晩のお供を選ばせてあげようじゃないか。タイの携帯電話は持ってきているか? ここに電話番号を書いておくから、気が向いたらいつでも気軽に連絡してくれ。今晩はきっと最高の夜になるぜ!」

カンボジア王国ゴゴング(コッコン)州のプムチャムイアム村にあるカジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) にチェックインして、タイ・チョンブリー県出身のベルボーイから客室内の設備について説明を受けていたところ、いきなり娼婦(売春婦)を斡旋された。この地球上に娼婦(売春婦)を斡旋するホテルがあるというウワサは聞いていたが、まさか海外生活3年目にしてお目にかかれるとは思いもよらなかった。ついに地の果てにまで来てしまったということか。

カンボジア人女性は、やはり美白至上主義のタイ人にはウケないのか? タイ人ベルボーイが「ベトナム娘」と強調していたのが可笑しくてならなかったが、その気がないのに見込み客と思われるのも不都合なため適当に聞き流した。とはいえ、ホテル関係者の機嫌を損ねて客室内の私物がなくなるのもイヤだから、「あとで連絡する」と答えてその場を繕った。

午前10時ころ、ヂャンタブリー(チャンタブリー)市内のホテル KP Grand(ケーピーグランド) の食堂でアメリカンブレックファストのビュッフェを食べ、途中でガソリンを給油して、タイ・カンボジア国境へと向かった。

昼すぎ、国境の街トラート県クローングヤイ郡ハートレック町に到着。国境の街といえば交易で栄えている市場を想像するが、カンボジア側のプムチャイイヤム村から市街地のゴゴング(コッコン)まで、ゴゴング(コッコン)川(全幅1,900メートル)を隔てて10キロも離れているため、人々の往来もなく静まり返っている。ハートレック – ゴゴング(コッコン)間を結ぶゴゴング橋(コッコン橋)(カンボジア最長, 建設費約8億円)が2002年4月に開通したが、通行料が44バーツと値が張るため、この橋を使う現地人は少ない(なぜかカンボジアの道路には有料の私道が多い)。

タイ・カンボジア間の物流は、ハートレック(トラート県, タイ国道318号線) – プムチャイイアム(ゴゴング州(コッコン州))国境ではなく、約220キロ北にあるアランヤプラテート(サゲーオ県(サケオ県), タイ国道33号線) – ポーイペート(ポイペト)(バンテイメンチェイ州, カンボジア国道6号線)国境に集約されている。

タイ側のハートレック入国管理局で、リエントリーパーミット(非移住ビザ資格滞在者のための再入国許可書)(シングル1,000バーツ)の発給を受け、旅券(パスポート)と国際交通許可証に出国スタンプをもらい、6m幅の道路を挟んで反対側にあるハートレック税関で自家用車持出証明書の交付を受けた。

いつもより少しだけ煩雑な出国手続きを済ませ、バンコク都内の一戸建て住居にある門柱のような「国境ゲート」を越えてカンボジア側に入った。

カンボジア側のプムチャムイアム村は、ハートレック村に輪をかけて寂れている。国境の施設は、いずれも公立小学校の体育倉庫や簡易便所のようなありさまだった。プムチャムイアム入国管理局で到着ビザ(アライバルビザ)(1,100バーツ領収書なし)を申請し、旅券(パスポート)に入国スタンプをもらい、簡易便所よりも簡素な税関にタイの自動車登録証を預けると、カンボジア国内用の仮ナンバープレート(1日100バーツ領収書なし)が交付された。

なお、タイとカンボジアの二国間協定により、タイ人はビザなしでカンボジアに入国できる。

入国後、国境から約200メートルのところにあるカジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) を通過して、ゴゴング(コッコン)市街へと向かった。想像以上に小さな街で、テレビ局や郵便局が半ば廃墟と化しており、人々の暮らしも全体的にひどく貧しい。外国人向けのゲストハウスやマッサージ屋もあったが、いずれも強制収容所や豚小屋よりも劣悪な施設だった(そんな雰囲気の集落に BMW 318i が迷い込んだものだから、かなり注目された)。豪雨のなか、市街全域をクルマで10分くらいかけて見物してから、ふたたびゴゴング橋(コッコン橋)を超えて国境方面へと向かった。

カジノホテル Koh Kong International Resort Club(ゴゴンインターナショナルリゾートクラブ) にチェックインした。

カンボジアの国境カジノは、どこもさまざまなプロモーションを打ち出してカジノ客の誘致を図っている。

さっそく、15,000バーツずつ出し合って30,000バーツの換金不能チップを購入し、無料宿泊券と無料食事券を受け取って、カジノゲーム Black Jack(ブラックジャック) をしたところ、換金可能チップに換え終わるまで3時間かかり、650バーツ儲かった。

Koh Kong International Resort Club のプロモーション
①換金不能チップ30,000バーツ分購入で宿泊費・食費無料。
②換金不能チップ20,000バーツ分購入で近くにある別のホテルの宿泊費無料。
③換金不能チップ100,000バーツ以上購入でバンコク-トラート間の往復航空券・宿泊費無料。
※ 換金不能チップはゲームをしながら換金可能チップに換えていくことができる

このカジノクラブは、タイ人客をターゲットにしている。そのためタイ語が公用語になっており、英語はほとんど通じない。バカラがもっとも人気があり、 Black Jack(ブラックジャック) 台やルーレット台はそれぞれ1台ずつしかなかった。

午後10時、客室に戻った。化粧台の上に放置したままになっていたベルボーイの電話番号が書かれているメモをゴミ箱に放り込み、カジノホテルのプロモーションやゲームの勝率について友人から話を聞いた。

<関連記事>
タイ籍自家用車のラオスへの持ち出し要件とヴィエンチャンの夜 (2004年6月1日)
国際交通許可証と郊外の電脳街 (2005年1月28日)

2005年8月9日(火)

「あ、もしもし? けさ会社をやめたから、自分で事業を始めるつもり。ほら、あのサイドビジネス。これまで仕事を頼んでいた友達はあまりにもカネがかかりすぎてたし上手くもなかったから、チームを組みなおして一から出直してみるわ」

昼前、ヂャンタブリー(チャンタブリー)市内のガソリンスタンドで給油中、友人が電話越しでそう言った。でも、上司からの圧力に耐えられなくなったというのが本音のはず。以前から「顧客の新規開拓には際限がない。こんなことを続けていては、いつまで経っても安寧の日は訪れないし裕福にもなれない」とこぼしていたから、きっとタイ資本主義における「ヂャーオナーイ(上位者)の世界」の本質にようやく気づいたんだろう。タイに住んでいると、被雇用者がどのように搾取され、それを原資に大小さまざまな資本家たちがどのように豊かになっていくのか容易に理解できる。

いずれにしても、転職型労働社会のタイでは、会社を辞めてもキャリアがフイになったり、所得が半減するわけでもないから、自分が責任を負える範囲で冒険してみるのも悪くない。仮にこのビジネスがうまくいかなくても、またサラリーマンに戻れば良いだけの話。

夕方、スラウォング通り(スリウォン通り)にあるマッサージ屋 King’s Body House(キングス・ボディーハウス) でタイ古式マッサージ(330バーツ)を受けて旅の疲れを癒した。ここのマッサージには、按摩などの日本人向けのメニューも含まれているため、けっこうキモチイイ!

2005年8月10日(水)

午前中の講座「タイ文化論」が予定より1時間早く終わったため、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で友人と時間をつぶしてから、グルーク大学とガセートサート大学(カセサート大学, 農業大学)へ出かけた。

バンコク北部のバーングケーン区(バンケン区)には、ガセートサート大学(カセサート大学)スィーパトム大学(シーパトム大学)、グルーク大学の3学が密集している。特にガセートサート大学(カセサート大学)には国内最大規模の5万人が在学しているため、大学と学生街が一体となった巨大な地域コミュニティーがある(ガセートサート大学バーングケーン校の敷地だけでも1,353,600km2, 公開大学であるラームカムヘーング大学の約30万人を除く)。

夕方、バーングランプー百貨店(ハーンバンランプー, パンティッププラザ・ンガームウォングワーン店)で国内最大のプラクルアングラーング(プラクルアン, 携行護符)市場を友人と見学し、トーングロー(トンロー)15にある日本料理屋「大戸屋」で夕食をとった。その後、別の友人に呼び出されビールを一杯飲んで帰宅した。

各大学の詳細はつぎのとおり。

มหาวิทยาลัยเกริก (.เกริก)
  マハーウィッタヤーライ・グルーク(モー・グルーク
種別 下位私立大学
設立年 2495年 (西暦1952年、前身は英語職業学校→グルーク学院→グルーク準大学→グルーク社会技術高等教育機関→グルーク大学
所在地 バンコク都ラームイントラー通り 1km アヌサーワリー・ラックスィー 43/1111番地
設置学部 経営学部・経済学部・法学部・報道学部・芸術学部・大学院
標準学費 16,450バーツ/学期
公式Wweb http://www.krirk.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし21位 (報道芸術学部コミュニケーション英語学科・正答率42%、倍率1未満
経営学 みなし29位 (経営学部経営情報学科・正答率34%、倍率1未満
法学 情報なし
医学 -
工学 -
キャンパス 建築物 50点 (オレンジと白の塗装で統一されたこぢんまりとした校舎。各階に各学部が設置されており、エレベータはない。
学生街 10点 (小規模な商店がある。学生街はサ・モール・ンガームウォングワン店
オシャレ 30点 (田舎っぽい
ボディコン 70点 (ピッタリの着こなしだが何かが違う
歴史 2495年 英語職業学校、グルーク・マンカラパリック博士によりラーチャダムヌーン通りに設立
2504年 中等学校8年生(高校5年生)卒向けの学士課程(3年制)を設ける
2508年 グルーク学院と改称し、サムットプラーガーン県ムアング郡へ移転
2512年 グルーク準大学、グルーク学院から分離独立し、経営学部・経済学部を設置
2530年 国立大学と同格の学位を発行できる社会技術高等教育機関に昇格しグルーク社会技術高等教育機関と改称
2538年 大学院を設置し、グルーク大学と改称
มหาวิทยาลัยเกษตรศาสตร์ (.เกษตร)
  マハーウィッタヤーライ・ガセートサート (モー・ガセート
種別 上位国立大学
設立年 2486年 (西暦1943年)
所在地 バンコク都ヂャトゥヂャック区ラートヤーオ町パホンヨーティーン通り50番地 (バーングケーン校) / ナコーンパトム県ガンペーングセーン郡ガンペーングセーン町第6村1番地 (ガンペーングセーン校) / サゴンナコーン県ムアング郡チアングクルア町第1村59番地 (サゴンナコーン校) / チョンブリー県スィーラーチャー郡トゥングスックラー町スクンウィット通り第6村199番地 (スィーラーチャー校) / ロッブリー県コークサムローング郡パニアット町第1村50番地 (ロッブリー校) / スパンブリー県ムアング郡バーングプラーマー郡 (スパンブリー校) / グラビー県ヌアクローング郡ユワイユーング町 (グラビー情報通信校)
設置学部
農学部(理学部に相当)・経営学部・漁学部(理学部に相当)・人文学部(文学部に相当)・林学部(理学部に相当)・理学部・工学部・社会学部・獣医学部・教養学部・経済学部・農産学部・建築学部
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.ku.ac.th/
入試難易度 人文科学 3位 (人文学部外国語学科・正答率63%)
経営学 3位 (経営学部市場学科・正答率57%)
法学 -
医学 -
工学 3位 (工学部バーングケーン校・正答率55%)
キャンパス 建築物 90点 (バイクタクシーに乗らないと移動できないほどの広大な校舎。夕方には大渋滞が発生する
学生街 10点 (大学と商店がひとつの街を形成している。学生街はサ・モール・ンガームウォングワン店
オシャレ 50点 (田舎っぽい学生とオシャレな学生の差が激しい
ボディコン 35点 (おおむね制服を正しく着用している
歴史 2486年 ガセートサート大学設置法に基づき設立。農学部・教養学部・組合学部・漁学部を設置
2479年 農学部、医学大学の獣医学部を吸収し、農業獣医学部と改称。工学部設置
2509年
農理学部・理学部設置。農業獣医学部、獣医学部と改称。組合経済学部、経済経営学部に改称。獣医学部の一部、教養学部に移転。
2511年 大学院設置
2515年
世界銀行からの融資でガンペーングセーング校(ナコーンパトム県)設置。日本政府からの援助でガンペーングセーング校の研究所群が建設される。社会学部、農産学部、人文学部、図書館、研究所、
2521年 博士課程設置
2522年 一部学部の一部学年がガンペーングセーング校へ移転
2536年
ガンペーングセーング校文学部、ガンペーングセーング校理学部設置。各学部に修士課程・博士課程が設置される。農業文化博物館開館。
2538年 サゴンナコーン校設立。日本国秋篠宮親王に学位を授与。
2539年 スパンブリー校、ロッブリー校、グラビー校設立。
2542年 グラビー情報通信校設立
2543年 建築学部設立

2005年8月11日(木)

「ケイイチさんの料金プランにおける GPRS 料金は、1分1バーツです」

昼、タニヤ通りにある日本料理屋「味里」でタイ旅行中の友人と昼食をとっていたところ、モバイルインターネットの話題になり、移動体通信会社 AIS Advanced Info Service のコールセンター 1175 に問い合わせた。

タイでは現在、顧客の名前を呼ぶのが流行っている。 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でも、注文を受けるときに名前を尋ね、出来上がると名前で呼び出すサービスを始めている。 One 2 Call (AISのプリペイド携帯電話サービス)のコールセンター担当者も、いつも僕の名前を必要以上に連呼しては、ものすごく明るい声で対応してくれる(でも話すスピードはネイティブの2倍速)。もちろん、ぶっきらぼうに対応されるよりはよほどマシだが、過剰なサービスを煩わしく思うこともある(今回は12日の国母生誕日に関連するサービスを紹介された)。

タイの携帯電話にも、さまざまな料金プランが設定されている。 One 2 Call の標準料金は、地域内1分5バーツ、地域外8バーツだが、利用者の大半はプロモーションと呼ばれる割引料金プランを選択している。割引料金プランは、それぞれ①通話料金、②ショートメール SMS 料金、③追加される電話番号利用日数に違いがあり、 One 2 Call なら *777 (自動音声)で変更できる。ちなみに、僕が使っているのは全国均一1分3バーツの Freedom More 。

パケット通信 GPRS にも割引料金プランが設定されており、通常1分1バーツのところ、1分0.08バーツになるプロモーションがある(プロバイダ料込み, 20時間100バーツのプロモーションを選択した場合)。 GPRS のプロモーションは、通話料金のプロモーションとは別に設定でき、 GPRS プロモーション登録専用番号 *138 (音声ガイダンス)または 1175 (AISコールセンター)から申し込める。料金は申し込みと同時に通話料金残高から差し引かれ(月の途中の場合は料金と通信時間残高が日割り)、その後は毎月1日に差し引かれる。利用可能時間残高は *139 (自動音声)で確認できる。

このほか、毎月40時間の GPRS パケット通信が無料になる One 2 Call! Net SIM もあるが、通話料が1分5バーツと割高なためお勧めできない(音声通話のプロモーションを選択できない)。

GPRS モバイルインターネットの接続方法はつぎのとおり。

①携帯電話の GPRS パケット通信を設定する(通信会社によって異なる)
②ケーブルまたは無線でパソコンと携帯電話を接続する
③パケット通信を開始する(携帯電話の説明書参照, 電話番号:*99***1#, ユーザー名:空欄, パスワード:空欄)

ちなみに、携帯電話から日本への通話料金はつぎのとおり。

001 (International Call) 30バーツ/分
008 (International Call) 7.49バーツ/分
009 (eFone) 21バーツ/分

その後、バンコクの電脳街「バンティッププラザ」でノートパソコンと携帯電話を無線接続するための Bluetooth 発信機を購入(450バーツ, パソコンと携帯電話をケーブルで接続しても OK )。スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で調べ物をしてから帰宅した。

2005年8月12日(金)

「あまり話題にしないから他人がどう思ってるか知らないけど、わたしは国王陛下を尊敬しているわよ。王室プロジェクトはわたしたちタイ国民に夢と希望を与えてくださっているし、ラッタナゴースィン朝(チャクリ朝, バンコク朝)の歴代国王もそれなりの功績を挙げているから、君主制への不満もないわ。でも、それは君主制に対する盲目的な信仰じゃなくて、あくまでも功績ある個人に対する尊敬よ」

夕方、ノンタブリー県にある粥屋「カーオトムウワンポーム」へ友人と向かう途中、プーミポンアドゥンヤデート国王の居城「ヂットラダー宮殿(チットラダ宮殿)」脇に差し掛かり、君主に対する忠誠の話題になった。

今日は国母生誕日(王妃誕生日, 母の日)。バンコク都内のビルというビルには巨大なスィリギット王妃(シリキット王妃)の肖像が掲げられ、陸橋にはタイ国旗とともに水色の王妃旗が立てられている。国母たる王妃の誕生日は、タイでは国家的な「母の日」との位置づけにあり、地方出身者は母親に会うためにこの3連休を利用して帰省するという。また自家用車を所有しているバンコクの中間層は、パッタヤー(パタヤ)フワヒン(ホアヒン)、チャアムなどのビーチリゾートへと出かけている。そのため、いつもは渋滞が深刻な社会問題になっているバンコクの主要道路が驚くほど空いていた。

プーミポンアドゥンヤデート国王の功績について、生活苦を訴えている気の毒な人に支援金を下賜されたという美談のほかに、友人はプルッサパータミン事件のときに政治に介入して事態を収拾したことを挙げていた。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, 5月の流血, Black May)とは、軍事政権「国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)」とバンコク都民のあいだに生じた対立と、1992年2月17日から20日にかけての一連の流血革命のこと。

事件の発端は1991年2月13日、国軍最高司令官スントーン・コングソンポング陸軍大将率いる国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が政治の腐敗と軍隊の弱体化を口実に起こした軍事革命(クーデター)にさかのぼる。チャートチャーイ・チュンハワン陸軍大将は首相の地位を追われ、新憲法の下、アナン・パンヤーラチュン陸軍大将が新首相に就任した(新憲法は国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)が任命した20名からなる憲法改正評議会が作成し、代議士以外にも首相になれる条項を加えた)。

新憲法施行後の1992年3月22日に実施された総選挙で、国家治安維持評議会(カナラックサークワームサゴップリアップローイヘングチャート)系の正義団結党(サーマッキータム党, サマッキータム党)が79議席を獲得して第一党になった。ところが、アメリカ国務省スポークスマンのマーガレット・テットワイラーは、正義団結党(サーマッキータム党)が首相に選出したナロング・ウォングワン党首へのビザ発給を、麻薬関与を理由に拒否すると発表。新たに首相を選出し直すことになった。

その後、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)が首相に就任。ところが、陸軍司令官スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は以前、空軍総司令官ガセート・ロートヂョンニット空軍大将(カセート・ローチョンニット空軍大将)に対して「いかなる政治的地位にも就かない」と確約していたため、当初の約束をたがえ、タイにおける議会制民主主義と議院内閣制の精神を貶めたとして、バンコク都民のあいだで激しい抗議行動が起こった。そして5月4日、元バンコク都知事で正義力党(パラングタム党, パランタム党)党首(当時)のヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)と元下院議員のチャラート・ワラチャット陸軍少尉がハンガーストライキを始めたことで、プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)の幕が上がった。

2月17日、サナームルワング(王宮前広場)で、スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)の首相就任に反対する20万人規模の集会が開かれた。翌18日午前4時頃、ラーチャダムヌーンナイ通り(ラチャダムヌンナイ通り)でバンコク都民によるデモ隊約4万人が軍と衝突。タイ軍制式突撃銃 M16 (20連発)の掃射により多数の死者・行方不明者を出した。同日午後、政府は非常事態宣言を発令し、デモ隊の指導者ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)ほかを逮捕拘束した。19日、逮捕を免れたデモ隊約5,000人がラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に活動の拠点を移した。20日、それまでテレビ局は報道管制により虚偽の報道を続けてきたが、突如、プーミポンアドゥンヤデート国王の前で跪いているスヂンダー・クラープラユーン首相(スチンダ・クラプラユン首相)ヂャムローング・スィームアング 陸軍少佐(チャムロン・シームアン陸軍少佐)の映像が映し出された。そのなかで、国王が「双方の代表であるふたりが直接話し合い、協力し合って問題の解決にあたるように」と述べられたことで一件落着。スヂンダー・クラープラユーン陸軍大将(スチンダ・クラプラユン陸軍大将)は24日、首相職を辞してテレコムホールディング社(旧 Telecom Asia(テレコムエイジア) = True(トゥルー) の親会社)の代表取締役に就任した。

一説によると、このタイミングで国王の政治介入がなかった場合、①陸軍内部における内乱の発生、②ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に集結していたデモ隊約10万人の虐殺がありえたという。

プルッサパータミン事件(5月の惨劇, Black May)における人的被害について、公式には死亡52名、負傷660名とされているが、タイ人のあいだでは「見当もつかないほどたくさんの市民が虐殺され、陸軍によって地方の山中に遺棄された」とウワサされている。犠牲者の数では「1976年の10月虐殺」を上回るとする説もある(リンク参照, 1枚の写真の中に500前後の遺体が映っているものもある)。

午後、電脳街「パンティッププラザ」で修理に出していたパソコンを受け取り、ンガームウォングワーン通りの粥屋で夕食をとり、スクンウィット(スクンビット)33/1にある日系スーパー「富士スーパー」で酒を買った。

これまでタイ人は盲目的に国王を崇拝していると考えてきたが、意外にもそれなりの根拠があることを知った。同時に、国王の偉業に感銘し、虐殺された市民の数すら特定できないタイ国民の基本的人権の脆弱さに改めて驚かされた。

仮に次回のクーデターがあるとすれば、どのような決着が図られるのだろうか。

<参考リンク>
プルッサパータミン 2535 (タイ語・写真付き)
惨劇と化した5月の3日間 (日本語)

2005年8月13日(土)

午後7時、スィーロム(シーロム)6にある日本料理屋「伯楽」で日本人の飲み会に参加し、スクンウィット103(スクンビット103, ウドムスック通り)にあるタイ人向けカラオケスナックで二次会をした。

日本酒、焼酎、ビール、ウイスキーをチャンポンして飲んだため泥酔寸前になった。これでクルマを運転して友人たちを送り届けられたのは奇跡だったかも。

2005年8月14日(日)

夕方、プララームサーム通り(ラマ3世通り)にあるカラオケレストラン Easy Life(イージーライフ) で友人たちと夕食をとり、スクンウィット(スクンビット)24のアイスクリーム屋 iberry(アイベリー) でデザートを食べた。

2005年8月15日(月)

「わたし以外にあなたの毛を抜く仕事を引き受ける人なんて絶対いないでしょうね」

中華街ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)沿いのパドゥングダーオ通り(パドゥンダオ通り)入口にある路上顔脱毛屋で顔面の毛を抜いてもらっていたところ、流暢だが明らかにネイティブではないと分かるタイ語を操る脱毛屋のおばさんが愚痴をこぼした。

午後の講座「ムスリム研究」に出席してから、地下鉄サームヤーン駅(サムヤン駅)で友人たちと合流し、ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)へと向かった。

商用長屋(トゥックテオ)の店先に出ている小さな椅子に腰を下ろし、首から肩にかけて風呂敷のようなものを巻いた。すると顔に白い粉を塗られ、脱毛屋が市販の白い糸を咥えながら作業に準備に取りかかった。友人たちは、怪しげなタイ語を操る脱毛屋に「彼はタイ人じゃないから正確に発音してあげて」と繰り返し言ってくれたが、そのたびに「そんなはずないじゃないの。わたしを騙そうとしても無駄よ」といった調子でまったく取り合ってもらえなかった。中国移民1世やラオス人は、ネイティブのタイ語と僕のタイ語の違いに気づかないことが多い。

脱毛屋は口と手を駆使して、糸と糸が交差する部分を移動させながら、シャッシャと調子よく額の産毛を抜き始めた。あまりに調子よく抜けていくから、10分もすればツルツルのスベスベになると思った。ところが、糸の交差部分が頬のあたりにさしかかると、肌が浮き上がるような感触があった。頬の髭は太くて強力なため、引き抜くときに皮膚がつってしまう。脱毛の速度が急速に落ち、ゆっくりブチンブチンと抜くようになった。

首を変な方向に傾けて顎の下の毛を抜いてもらっていたところ、茶髪の女性2人組が声をかけてきた。ところが、何を言っているのかまったく分からなかった。中国人観光客か中国移民1世が僕を同胞と勘違いして中国語で話してきたのかもしれない。

糸の交差部分が口髭にさしかかると、あまりの痛さに涙が浮かんできた。糸が剛毛に負けて頻繁に切れるようになったため、脱毛屋は糸を二重にして耐久性を上げたが、それでも少し力を入れるとすぐに切れてしまう。とうとう糸を使うのをあきらめて、毛抜きで一本ずつ抜き始めた。

所要時間約1時間、料金は200バーツだった(所要時間・料金ともに女性2倍)。セントラル百貨店プララームサーム通り(ラマ3世通り)店で鏡を見てみると、想像以上にツルツルに仕上がっていた。ついでに美容クリニックで肌の瑞々しさを取り戻すエステを受けた。所要時間1時間、料金は500バーツだった。

2005年8月16日(火)

この時期、日本はお盆休み。甘い夢を見ている日本人男性がバンコクに大挙して押し寄せてくる。ちょうど今晩は珍しく暇をもてあましていたから、旅行者のノリで久々に夜のバンコクへと出かけた。

午後8時半、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」を出発。旅行者気分を盛り上げるために高架電車 BTS ナーナー駅(ナナ駅)からスクンウィット(スクンビット)4にある性風俗街 Nana Entertainment Plaza(ナナ・エンターテインメントプラザ) までの道のりを徒歩で移動した。

高架電車 BTS ナーナー駅(ナナ駅)周辺(スクンウィット(スクンビット)11~3)には、外国人観光客向けの土産物屋が軒を連ね、屋台が歩道を埋め尽くすかのように並んでおり、そこを西洋系の外国人観光客や出勤途中の娼婦(売春婦)たちが絶え間なく行き交っている。もちろん、バンコクに住んでいる僕にとって、外国人観光客向けの土産物屋はありきたりな商品をバカ高い値段で売りつける店でしかないし、娼婦(売春婦)もタイ人が「いらない」と言っている程度の存在でしかない。

しかし、旅行者気分に浸るためには、カネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)たちを、マジマジと見ながら歩かなければならない。・・・・・・が、すぐに挫折した。知性のかけらすら感じられないイケてない容姿を見せつけられ、無教養者特有のあのタイ語を聞かせられると、せっかく高めた旅行者気分もどこかへ吹き飛んでしまう。

ナーナー交差点(ナナ交差点)で信号待ちをしていると、スズメを売りの壮年女性4人組に遭遇した。タイの仏教では、スズメを籠から放ってやると「善行」を積んだことになるため、「罪深い売春」をしている娼婦(売春婦)たちのあいだに需要がある。ちなみに、バンコクの中間層は動物愛護の精神に反する「スズメの監禁ビジネス」に関わろうとはしないが、そのあたりのことを Go Go Bar(ゴーゴーバー)娼婦(売春婦)に要求するのは酷すぎる(と、バンコクの中間層は考えている)。

スクンウィット通り(スクンビット通り)を横断してスクンウィット(スクンビット)4へ入ると、植民地時代の中国租界地を思い起こさせる魑魅魍魎の世界が広がっている。歩道に大きく張り出している屋台では、バンコクの中間層の嗜好とは明らかに異なる安物の服(田舎っぽくてダサい服)や、バンコクの中間層が食べたら100%吐き出すようなタイ東北部(イーサーン地方)名物の昆虫料理が売られている。さすがに昆虫料理屋台からは目を背けながら目的地へと向かった。

性風俗街 Nana Entertainment Plaza(ナナ・エンターテインメントプラザ) には、カネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)と酒が飲める「バービア(ビールバー)」と、カネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)が水着姿で踊っている Go Go Bar(ゴーゴーバー) がある(厳密には、カネを払えばセックスできる娼婦(売春婦)が整髪するためのエリアと、娼婦(売春婦)にカネを払ってセックスするためのエリアもある)。

わざわざ Nana Entertainment Plaza(ナナ・エンターテインメントプラザ) まで足を運ぶこともそうそうないから、この機会に Go Go Bar(ゴーゴーバー) のすべてを見てまわろうと一気に3階まで上がったところ、日本人が好きそうな容姿の呼び込み担当娼婦(売春婦)に腕をつかまれた。笑顔でやり過ごそうとしていたら、今度は隣の店の呼び込み担当娼婦(売春婦)に股間をガッチリつかまれてしまった。これが普通の女性なら悪い気もしないが、タイ人が「いらない」と言っているような女性にされても鬱陶しいだけだ。

――どうして、こんなにヘボい女性ばかりなんだろう?

半ば呆れながら階段を2階へ降りて行くと、さらに呼び込み担当娼婦(売春婦)3人に腕をつかまれ、危うく店の中へと引き込まれてしまうところだった。どこもヒドい店ばかりで性的欲求とは無縁な空間だったが、せっかくだからと比較的マシそうな店2件を選んで入ってみた。

日本人セックスツーリストに人気がある Rainbow 2(レインボー2) の薄暗い店内で、タイ語をまったく知らない観光客のフリをしながらビールを飲んでいたところ、中年のフロア責任者「ママサン」が僕の目に懐中電灯の光を当てて、遠くから再三にわたって「気に入った娘を選べ」と要求してきた。懐中電灯の光だけでもかなり不愉快だったが、より不愉快だったのは踊り担当娼婦(売春婦)の容姿のヒドさ。

――どう血迷ったら、このなかから「気に入った娘」を選べるというのか!?

そう心の中で百回くらい愚痴った。しばらくすると、ママサンが踊り担当娼婦(売春婦)を連れて近づいてきた。一向に選ぶ気配のない僕に無理矢理踊り担当娼婦(売春婦)をあてがうことで、レディースドリンクによる収入を確保し、あわよくば「ペイバー(店にカネを払って連れ出すこと)」させてもっと儲けてやろうとの魂胆だろう。たしかに日本人セックスツーリストが好きそうな容姿だったが、何が悲しくてタイ人が「いらない」と言っている程度のオンナに興味を持たなきゃいけないのか!

でも、自分の意志でこの店を選び、そこでビールを飲みながら娼婦(売春婦)の水着踊りを眺めている僕にも責任の一端はある。そう思って、娼婦(売春婦)が差し出してきた手を握った(隣に座ることを許可する合図)。娼婦(売春婦)は席に着くや否や、英語交じりのカタコトの日本語で次から次へと矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。

「お名前は何ですか?」(日本人かどうかの確認作業 その1)
  →適当に日本人らしい名前を答えておいた。
「何県出身ですか?」(日本人かどうかの確認作業 その2)
  →日本人を偽装するほとんどの外国人が「東京」と答えるから、ここは広島と答えておいた。
「今回の旅行は何日間の日程ですか?」(旅行目的の詮索)
  →無難に5日間と答えておいた。
「どこのホテルにお泊まりですか?」(旅行者の経済力を測るためのテスト)
  →ナーナー近くのウエスティングランデスクンウィットと答えておいた。
「何人で旅行に来ていますか?」(旅行者に対するアプローチ選択のためのテスト)
  →娼婦が必要以上の関心を持つように敢えて「ひとり」と答えておいた。

見込み客の経済力や生活環境について知ることは、営業戦略の立案に欠かせない。むろん、これらの質問は好奇心から発せられる性質のものではない。 Go Go Bar(ゴーゴーバー) での「サワッディーカー(こんばんは)」は、結婚詐欺の「いらっしゃいませー」の同義語。

タイという極端な階級社会において、 Go Go Bar(ゴーゴーバー) で働く娼婦(売春婦)は、「バイクタクシーの運転手ですら相手にしない」程度の存在でしかない。そんな娼婦(売春婦)たちに入れ込んでカネを貢いでいるような日本人*や、娼婦(売春婦)を生涯の伴侶にしようと考えている日本人は、タイ人からしてみれば理解不能な宇宙人のような存在だ。

気分転換を兼ねて、娼婦(売春婦)にハマってしまった日本人の立場になって考えてみよう。

「日本人観光客 X は、初めての宇宙旅行で惑星 Y に漂着した。そして、日本とはまったく異なる文化を持っている Y 星人との出会いに興奮する。次第に Y 星人とも性的な関係が持てることが分かり行動を起こすが、その相手は Y 星人ではなく、なんと Z という別の生命体だった。日本人観光客 X にとって、 Y 星人も生命体 Z も似たようなものだったが、 Y 星人にしてみれば生命体 Z はまったく異なる生き物。もし Y が人間であれば、 X は人間以外との性交渉にハマっているように映るはず。ぶっちゃけ獣姦と一緒だ。

バンコクには、娼婦(売春婦)にハマって、日本国旅券(パスポート)以外のすべてのもの(標準的な収入, 健康保険, 標準的な年金支給等)を放棄してしまい、非常に貧しい生活を強いられている日本人がウジャウジャいる。バンコク留学生日記2004年6月26日付「タイ沈没の悲劇を目の当たりにする」では、彼らを「カミツキ犬」と表現したが、それなら Go Go Bar(ゴーゴーバー)娼婦(売春婦)はさしずめカミツキ犬が大好きなドッグフードといったところか。

そんな彼らにも、いつかはStarbucks Coffee(スターバックスコーヒー) の抹茶フラペチーノよりも甘い激甘な夢から目を覚まし、誤って大量に飲み込んでしまったドッグフードの不味さに気づいて吐き出す日が来るんだろうか。ドッグフードなんか食べて腹をこわして免疫不全になってはかなわないから、ここはやはり人間らしい生活をしておきたい」

結局、10分もしないうちに娼婦(売春婦)を相手に話し続けることに耐えられなくなり、盛んに「ペイバー(店にカネを払って連れ出し、それとは別に娼婦にもカネを払ってセックスすること)」を勧めてくる「ママサン」の営業を振り切って店を出た。そして、そんな身も蓋もないことを考えながら、バイクタクシー(モーターサイ)でコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」へと戻った。コンドミニアム1階のバーで、今晩の話をバーテンダーにしたところ、スポーツ新聞「サポートプーン」が差し出された。そこには、①「カーフェー」と呼ばれる舞台劇飲み屋、②「クルマでお金」などの消費者金融、③賭け事の原資を得るための質屋、④テレクラなどの広告が掲載されていた。

ペディグリーチャムを食べれば、きっとあなたの愛犬も嬉しそうにしっぽ振るでしょう! 犬には犬のエサ、猫には猫のエサ、ってあたりがちょうど良いのかも。

僕にはドッグフードやキャットフードを頬張る趣味もなければ勇気もない。まったく、気分転換にすらなりやしなかったじゃないか!!

<注釈>
娼婦(売春婦)にカネを貢ぐことは、タイフリークのあいだで「仕送り」と表現されています。仕送りの目的は、お気に入りの娼婦(売春婦)を自分の独占物とするために売春をやめさせ、その見返りとして収入を補償してやることです。しかし、タイのような極端な階級社会では、教養のない娼婦(売春婦)が都市部で仕事を見つけることは不可能に近く、しかも娼婦(売春婦)以外のコミュニティーに入れてもらうこともできません。ですから、いずれは娼婦(売春婦)のコミュニティーへと戻り、友人たちと売春を再開することになるため、結局のところ「仕送り」の目的は達成されないままカネをドブに捨てたことになります。しかし、このような現実に気づかない方はバンコクに何年も住んでいる日本人にもたくさんいらっしゃいますから、どうかご安心ください。

<関連記事>
タイ沈没の悲劇を目の当たりにする 2004年6月26日 (犬について)
タイラット紙 今日のトップニュース 2004年7月31日 (送金について)
日本人による援助交際例 2004年8月17日 (送金について)
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娼婦の評価に例外はあるか その3 2004年12月13日 (娼婦の地位について)
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歩道とエロ本と海外旅行 2005年7月28日 (送金について)

2005年8月17日(水)

「タイ音楽を西洋楽器で演奏するのにも、西欧音楽をタイ楽器で演奏するのにも賛成できない」

タイ研究科の必修講座「タイ文化論」を担当している講師は、国王の曾孫に与えられる「モムラーチャウォング(モムラチャウォン)」の称号を持ち、王統派史家の牙城「サヤーム協会(サイアムソサエティー)」の会長を務めている。それだけに、先祖代々受け継がれてきた上流文化にとりわけ強いコダワリを持っている。「タイ伝統文化のスゴさ」をテーマにした講義が多く、王統派史家の歴史観を学ぶことができる。

午前9時半、サナームルワング(王宮前広場)前にある国立博物館に集合。チケット売場で館内撮影許可をもらい、スコータイ時代以降の王朝史に関する展示物がある本館へと向かった。水の都アユッタヤー(アユタヤ)プラヂュンラヂョームグラーオ大王(ラーマ5世, チュラロンコーン大王)(1853-1910)による中央集権国家建設と州県制の整備(ヂャッグリー改革(チャクリ改革))、英仏への領土割譲(内容はトングチャイの「地図が作ったタイ」と背反する)等に関する数々の史料がある。しかし、歴代王朝の華々しい歴史のみを扱っているため、サックディナー制(位階田制)と奴隷制、1932年以降の軍事革命(クーデター)と民衆虐殺など、タイ史における負の部分についてはマッガサン通り(マッカサン通り)にある労働者博物館の方が詳しい。

正午、国立劇場裏手にある芸術局付属ナーダスィン(ナタシン)高等専門学校バンコク校の学生食堂で夕食をとり、構内中心部にあるプラウボーソットブワンサターンスターワートを見学した。ヂャッグリー改革(チャクリ改革)以前に存在した「副王」は、芸術の分野で王室と競い合っていたため、ここにインド文化をふんだんに取り入れた壁画を作り上げた。その後、映画「風の前奏曲(ホームローング)」に出演した音楽教師が教室で弦楽器曲「プラチャンプレーングチェートナイチャンディアオ」をソロ演奏してくれ、次第に学生たちも加わっていった。タイ楽器のオーケストラ演奏に、感動のあまり涙を流す学生が続出した。

2005年8月18日(木)

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20050818.jpg" width="300" height="169" align="right" />「だって、タイでは国会議員や政府高官がマフィアだからねぇ」

映画館 Major(メジャー) セントラルプララームサーム(ラマ3世通り)店で、タイ映画「トムヤムグング(トムヤムクン)」を見た。上映終了後、友人がゲッソリとした表情で、作品中に登場するマフィアが中国マフィアである理由を説明してくれた。たしかに、公権力を手中に収めているタイマフィアを敵に回すような映画を作るのは危険すぎる。友人のなかには、「タイの国家機構そのものが制度化されたマフィアだ」との意見もあった。

タイ映画「トムヤムグング(トムヤムクン, Tom Yum Goong)」(サハモンコンフィルム配給)の製作には、かの大作「スリヨータイ」に次ぐタイ映画史上第2位となる約3億バーツもの巨費が投じられ、世界的な大作になると公開前から期待されていた。

ストーリーはつぎのとおり。

グローバル化の流れは、農民の子「カーム」(パノム・ユィーラム演)の人生をも変えた。カームは「象の飼育は国王陛下から信託された責務」と信じて、象の親子「ポーヤイ」(父象)と「コーン」(子象)を自分の命より大切にしていた。ところが、タイ政界の有力者にさらわれ、オーストラリアへと売り飛ばされてしまった。カームは象の親子の救出を決意して海を渡る。

オーストラリア・シドニーの街で、コーンは現地のタイ人警官「マーク巡査部長」(マム・ヂョックモック演)とタイ人娼婦「プラー」(バンゴット・コングマーライ演)の支援を受けて象の救出を試みるが、その前に「マダム・ロス」(ヂン・スィング演)率いる中国マフィアと無数の格闘家たちが立ちはだかった。

カームの大陸を越えた戦いがここに始まる。(続きは映画館でご覧ください)

この作品は、香港映画と比べ、社会的なメッセージが希薄で技の種類にも多様性を欠く。

2005年8月19日(金)

「分かってるちコラ! このマザーファッカー。くそヤーバー100錠だろ。バーロー」

サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)プラプラデーング港、午後11時頃。中学生がシンナーを吸い、高校生が麻薬の取引をし、男が壁にもたれかかって放心状態になっていた。ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)沿いのベンチでは、停電しようものならすぐにでも始めてしまいそうなカップルが鈴なりになっている。人々が麻薬を使っている現場をこんなに簡単に目の当たりにできるところは、バンコク広しと言えど、ここをおいてほかにない。

午後の講座「ミャンマー研究」のあと、珈琲屋で友人と合流し、高架電車 BTS プロームポング駅(プロンポン駅)近くの日本料理屋「新潟」で夕食をとった。そこで「行ったことないところへ行こう」という話になった。

これまでずっと気になっていた場所がある。そこはプララームスィー通り(ラマ4世通り)の南、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)を挟んでクローングトゥーイ港(クロントイ港, タールア)の反対側にある空白地。なぜ都心部からそう離れていないこの土地が空白地のままなんだろうか。

サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)プラプラデーング郡(73.4km2, 181,586人)は、トンブリー朝のタークスィン大王(タークシン大王)(1734-1782)の治世に港湾として開発された。ラッタナゴースィン朝(ラタナコーシン朝)プラプッタルートラーナパーライ王(ラーマ2世)(1766-1824)の治世になると、ビルマ族の南進により難民化したモーン族を労働力としてここに強制移住させ、それまで中断されていた港湾建設が再開された。

このような歴史的背景から、プラプラデーング郡の開発は軽視され続けてきた。そのため地価が安く、都市部の建設現場で働いている非熟練労働者たちが多く住み着いている(これをスラムと呼ぶかどうかについては議論がある)。さらに対岸には麻薬の集積基地と目されているクローングトゥーイ港(クロントイ港)クローングトゥーイスラム(クロントイスラム)があるため、麻薬が蔓延している。現在、バンコク都内の交通渋滞を緩和させるために、ヤーンナーワー・プラプラデーング間を結ぶ鉄橋(87億バーツ)が建設されており、今後の発展が期待される。

午後10時半頃、プラプラデーング郡バーングヨー町の薄暗い田舎道をゆっくり走っていたところ、「麻薬検問」の看板が光る常設簡易検問所で警察官2人が警備にあたっていた。カーオサーン通り(カオサン通り)に寄って帰宅した。

2005年8月20日(土)

昼、室内の無線 LAN システムをタイ旅行中の高校時代の友人に再構築してもらい、スィーロム(シーロム)6にある日本料理屋「伯楽」でディナービュッフェを食べた。スクンウィット(スクンビット)37にある日本料理屋 Samrai で別の友人と焼酎を飲み、友人オススメの Go Go Bar(ゴーゴーバー) へと出かけた。

2005年8月21日(日)

「どうして今日の夕食が『ムーガタ(豚肉食べ放題の店)』になっちゃったかというと、実は・・・・・・ユーちゃん(仮名)が『もう長いことムーガタ屋(豚肉食べ放題の店)に行ってないから味を忘れちゃった』って言い出したからなの。でも、いつ食べても酷い料理よね。みんなももう懲りたみたいだから安心して」

夜、ラームカムヘーング(ラムカムヘン)36にあるムーガタ屋(豚肉食べ放題の店)からプララームガーオ(ラマ9世通り)41にあるアイスクリーム屋へと向かうクルマのなかで、友人がそう言った。

ムーガタ屋(豚肉食べ放題の店)は現在、バンコク都内に急増中。みんなで鍋(=ガタ)を囲んで豚肉(=ムー)を突きあいながら酒を飲んでだらだらするというコンセプトの店で、日本の寿司・焼肉食べ放題のようなもの。鍋には焼くための鉄板(豚肉・鶏肉・海鮮食材用)と茹でるための鍋(野菜類・麺類用)が一体になっている。脂分が多い安物の食材をその中に突っ込み、辛いムーガタのタレに漬けてから食べる。都市部の中流層以下をターゲットとしているため、料金が安く設定されている(時間無制限ひとり79~89バーツ)。店内を見渡してみると、客層の違いにびっくりする。

しかし、こんな料理では、食事に来ているのか太りに来ているのか分からなくなる。着衣には焼肉屋独特のあの臭いがこびり付き、口の中も脂分でベタベタ。顔全体が油ギッシュな膜で覆われてしまった。とうとう堪らなくなり、食後にアイスクリーム屋に寄った。午後9時に帰宅し、午前3時までペーパー(小論文)作業を続けた。

2005年8月22日(月)

午後、「イスラーム研究」の講義に出席し、友人の会社へと向かった。トーングロー(トンロー)3にある日本料理屋 MARU で夕食をご馳走になり、キャバレー Exotica Exclusive Club(エギゾチカ・エクスクルーシブクラブ, イクソー) に連れて行ってもらった。

今晩はホステスをつけなかった。ステージで演奏している生バンドを聞きながら、大手企業のタイ人幹部たちとウイスキーグラスを傾けていると、次第にホステスをつけないことがイケてることのように思えてきた。タイ人上流層は、正面を向いてホステスと話すことなく、仲間内だけで会話を楽しんでいる。ホステスが話題の中心になっている日本人向けカラオケスナックとは大違い。

タイ財界トップとの会合に居合わせたという別の友人が、面白いことを話していた。

「タイは極端な階級社会。だからホステスごときがタイ人経営幹部から相手にしてもらえることはまずない。でも、『モノ以下』の扱いを受けているホステスたちを見ていると、さすがに気の毒になってくるよ」

タイ人上流層にとってのオシャレとは、ホステスという高価な「お花」が飾られている店で、優雅にウイスキーグラスを傾けながら語り合うこと。ホステスと戯れること自体はあまり重要ではない。夜の街に求めているものが日本人とタイ人では違うんだろう。日本人向けカラオケスナックとは一風違った振る舞いに、タイにおける上流社会の一端を垣間見た。

これまでも鬱陶しいとは思っていたが、今晩ついにホステスを完全に無視した。

その後、別の友人たちと合流して酒を飲んだ。

2005年8月23日(火)

「融資を受けるなら、高金利の消費者金融より銀行の個人向けローンの方がいいわよ。審査も早いし金利も低い。なにより『滞納時の取り立てがお上品』なのは魅力ね。複数の金融機関からの借金を一度に完済し、新しい借金に一本化するのに適しているわ」

夜、自室で友人がパソコン画面に向かいながら、銀行の個人向けローンについて簡単に説明してくれた。

政府の規制緩和政策により、バンコク都内でも最近ノンバンクの支店が爆発的に増加している。銀行も個人向けローンに力を入れており、グルングタイ銀行(クルンタイ銀行)では都市部に個人向けローン KTC (バットグルングタイ(クルンタイカード公開株式会社))の支店を多数出店してブランドの浸透を図っている。

タイタナカーン銀行(タナーカーンタイタナーカーン, Bank Thai Bank)の個人向けローンはつぎのとおり。

対象:月収15,000バーツ以上の個人(保証人不要)
年利:15-20%(借入額により変動, 学資ローンは12%, 住宅ローンは5.75~6.00%)
限度額:月収の最大5倍または150万バーツまで
返済期間:12~60ヶ月
期日通りに返済すれば翌年の年利割引

個人向け多目的ローンの審査には、住民票(タビアンバーン)国民 ID カード(国民身分証)のコピーと給与明細の原本を提出しなければならない(外国人は融資を受けられない)。また、学生証を借りてきて提示すれば、低利の学資ローンに切り替えられるという。

友人(個人向け多目的ローン営業)の給料は、固定給15,000バーツ、歩合給約8,000バーツ(契約件数により変動)。ノルマは毎月10件で、インターネット等の掲示板を駆使して練るまで顧客を募っている。

昼すぎ、ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)の路上顔脱毛屋で、顔脱毛、ニキビ皮脂の除去(男性200・女性100バーツ)をしてから、友人宅でお好み焼きを食べた。

2005年8月24日(水)

「これまでも官吏の俸給(公務員の給与)は民間の給与水準より低いって言われてたけど、数年前の官吏制度改革(公務員制度改革)で官吏唯一の魅力だった普通恩給と退職金まで減らされてしまったから、副業をしないと、ちょっとバンコクでは生活していけないかもね」

夕方、ンガームウォングワーン通りの粥屋「カーオトムウワンポーム」でガイメットマムワング(鶏肉とカシューナッツの野菜和え)を友人と突いていたところ、タイの官吏制度(公務員制度)の話になった。

文官委員会(カナガンマガーンカーラーチャガーンポンラルアン)は2003年12月、145億9000万バーツの財政補正予算を組んで文官約5万人を早期退職させ、さらに2004年4月1日から業績評価システムを導入して文官の約2%にあたる約10万人を削減した。このときの早期退職制度で退職した友人の父親は、毎月15,000バーツ程度の恩給を受け取っているという。

一方、教育省付属の公立学校に勤めている友人の母親は、8級文官3号教諭 อาจารย์ 3 ระดับ 8 の役職にあるという。某金融機関の顧客情報によると、勤続30年50歳女性(高専卒)の8級文官3号教諭は26,800バーツ、勤続30年50歳女性(同)の7級文官3号教諭は24,600バーツの俸給を得ており、前者はタクシー運転手向けの講座で月々7,000~40,000バーツの副収入がある。

タイの官吏制度(公務員制度)には、1級から11級まである。

タイ官吏の階級
本省係員2~4級文官、本省係長級5~6級文官、本省課長級7~8級文官、本省副局長級9級文官、本省局長級10級文官、次官11級文官(郡長7級文官, 県知事10級文官)

タイ教育省には79,308人の常勤職員がいる。

タイ教育省常勤職員の内訳
教育省本省所属335,876名、普通教育局105,396名、職業教育局18,085名、学校外教育局2,610名、私立教育委員会事務局816名、カリキュラム指導局16,062名、芸術局1,062名、ラーチャパット高等教育機関7,533名、初等教育局1,292名、ラーチャモンコン高等教育機関5,089名など

うち普通教育局には14の職位がある。

普通教育局の職位
第1級教員 ครู 1 (2級文官, 1人)、第2級教員 ครู 2 (2~4級文官, 29人)、第1級教諭 อาจารย์ 1 (3~6級文官, 27,902人)、第2級教諭 อาจารย์ 2 (6~7級文官, 65,698人)、第3級教諭 อาจารย์ 3 (6~9級文官, 2,950人)、副教員長 ผู้ช่วยครูใหญ่ (5級文官, 1人)、教員長 ครูใหญ่ (6~8級文官, 30人)、副教頭 ผู้ช่วยอาจารย์ใหญ่ (5~7級文官, 356人)、教頭 อาจารย์ใหญ่ (6~8級文官, 568人)、副学校長 ผู้ช่วยผู้อำนวยการโรงเรียน (6~8級文官, 4,872人)、学校長 ผู้อำนวยการโรงเรียน (7~9級文官, 2,341人)、スクサーニテート ศึกษานิเทศก์ (5~9級文官, 420人)、県教育局副局長 ผู้ช่วยผู้อำนวยการสามัญศึกษาจังหวัด/กทม. (8級文官, 152人)、県教育局長 ผู้อำนวยการสามัญศึกษาจังหวัด/กทม. (8級文官, 76人)

教員の俸給は、官吏としての俸給と職位手当(第3級教諭以上3,600~9,900バーツ、特に専門性の高い職種13,000バーツ)によって決定される。

文官の初任給は、中学高校卒で4,640バーツ、職業学校卒で5,260バーツ、高等専門学校卒で6,490バーツ、4年生大学卒7,260バーツ、5年生大学卒7,960バーツ、修士卒8,870バーツ、博士卒12,000バーツ。

ちなみに前出の「8級文官3号教諭」だが、役職は「学年主任」に過ぎないという。複雑で分かりにくいが、タイの官吏に対する理解が少しだけ深まった。日常生活のなかでこのような話ができるバンコク中間層の友人たちとの語らいの日々にけっこう満足している。

午前9時から午後4時までの講義に出席してから、高架電車 BTS モーチット駅で友人と合流して夕食をとりに行った。

2005年8月25日(木)

午後の講義が休講になったため、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと出かけた。たいして美味くもないコーヒーを啜りながら友人とペーパー(小論文)作業のための資料を集めていたところ、「ジャズとは何か?」という話題になり、高架電車 BTS アヌサーワリーチャイサモンラプーム駅(アヌサワリー駅, 戦勝記念塔駅, Victory Monument)前のジャズバー Saxophone(サクソフォン) へと繰り出した。

2005年8月26日(金)

「店はいつも利益重視で客のことなんて後回し。店内が満席になったら、出入り口を閉めて新たな客の流入を禁止すべきよ。これじゃ、踊る踊らない以前の問題として、立つスペースすら確保できないじゃないの?」

夜、 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアベニュー)Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Slim(スリム) で友人が愚痴をこぼした。店内はまるで日本の通勤ラッシュ。にぎやかなのはいいが、それも度を越えると窮屈に感じる。

こんな環境でタイポップスのライブばかり聴いているせいか、心なしか気が短くなったような気がする。そこで、心のゆとりを作るために、ラーチャダムリ通り(ラチャダムリ通り)にあるホテル Four Seasons(フォーシーズンズ) へと向かった。

ホテル Four Seasons(フォーシーズンズ) の地下駐車場にクルマを駐めて、ロビーで大学院のクラスメイトと合流した。前回ここに来たのは1,137日前。当時、このホテルは Legend(リージェント) という名前だったが、自然豊かな庭園と広々としたロビーは少しも変わっていなかった。

バイオリンの生演奏を聴きながら、アールグレイ(130バーツ)とチーズケーキ(180バーツ)を堪能した( Four Seasons(フォーシーズンズ) のアフタヌーンティーは午後3時から午後5時まで, アフタヌーンティーセット560バーツ)。

その後、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」で買い物をし、トーングロー(トンロー)15のラーメン屋「珉珉」で味気ない夕食をとってから、 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアベニュー)Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Slim(スリム) で別の友人たちと合流した。

2005年8月27日(土)

「バンコクがこんなに売春婦だらけになっているとは・・・・・・。もしかして、現在激増中とかそういうの?」

ホテル Amari Atrium(アマリアトリウム) のパブ Mingles(ミングルス) 、午前零時。苦悩している友人を前に、カントリーミュージックの生演奏とともにカクテルを楽しんだ。

友人によると、①午後10時半頃、スクンウィット(スクンビット)19にある百貨店 Robinson(ロビンソン) 前の歩道で友人を待っていたときに道行く人々から凝視され、②午前零時頃、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)にあるホテル Amari Atrium(アマリアトリウム) 前で僕を待っていたときに道行くクルマが徐行して覗き込できたという。

なんでそんなところで人を待つのか!? もう無謀を超えて英雄の域に達している。

高架電車 BTS ナーナー駅(ナナ駅)からアソーク駅にかけてのスクンウィット通り(スクンビット通り)(ソーイ1から21にかけて)にはその時間帯、何百人もの街娼(立ちんぼ, 娼婦, 売春婦)が徘徊している。また、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)には、若年売春の本拠地として知られる「サヤームホテル(サイアムホテル)」があり、年齢制限などの問題により店内での営業活動ができない100人弱の娼婦(売春婦)たちが周囲をうろついている。

そんなところに突っ立ってたら、オトコたちから「品定め」されるに決まってるじゃないか。

タイ人の中間層は、一部の日本人にとってのホットスポットにとことん疎い。この友人も、街娼(立ちんぼ, 娼婦, 売春婦)といえば、サナームルワング(王宮前広場, サナールムアン)とルンピニー公園前だけ、と思い込んでいたという。

午後、サートーン通り(サトーン通り)にあるセーンルイ病院(セントルイス病院)へ友人と歯石を取りに出かけたが、事前の予約がないことを理由に断られてしまった。仕方なく、ヂャン通り(チャン通り)の歯医者で診てもらったところ、タバコによる歯の黄ばみと4ヶ所の虫歯を指摘され、うち2本は抜歯する必要があると診断された。費用は歯石除去が500バーツ、抜歯2本と虫歯の治療2ヶ所で2,000バーツ。大型スーパー Tesco Lotus(テスコロータス) プララームサーム店(ラマ3世通り店)で買い物をして解散。午前零時ごろ、Amari Atrium(アマリアトリウム) のパブ Mingles(ミングルス) で再び合流した友人とカクテルを飲んだ。

2005年8月28日(日)

「それでは、このフォームに記入してください」

夜、 Central Silom Complex(セントラル百貨店シーロムコンプレックス) 駐車場の料金所で、滝のような汗を流しながら駐車券を探したがとうとう見つけられなかった。出庫照明フォームに住所やパスポート番号などの個人情報を記入すると、料金徴収係の中年女性が事務的に処理してくれた。駐車料金90バーツ(1時間30バーツ)と手数料300バーツを支払った。

昼すぎ、スクンウィット(スクンビット)20にあるホテル Winsor Suite(ウインザースイート) でタイ旅行中の高校時代の友人と日本料理ビュッフェ(390バーツ)を食べた。味はそこそこだが、この値段で寿司からしゃぶしゃぶまで何でもそろっている日本食ビュッフェはほかにない(現在バンコクの物価は急騰中)。その後、スラウォング通り(スリウォン通り)のマッサージ屋 King’s Body Massage(キングスボディーマッサージ) (2時間330バーツ)、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋、セントラル百貨店プララームサーム店(ラマ3世通り店)に行った。

2005年8月29日(月)

「われわれタイ人と日本人は共存共栄できるはずだ。しかし、共同で事業を起こすにあたって、互いの信頼関係の醸成と維持は欠かせない。当店のケースでは、共同出資者だった日本人が独善的な経営に終始したせいで、双方の信頼関係に深刻な禍根を残す結果になった。だから、日本人出資者から経営権を『継承』することによって、わたしは正義を貫いたんだ!」

夜、スクンウィット通り(スクンビット通り)某所にある日本人向け居酒屋で、タイ人の店主はそう話していた。もう一方の当事者である日本人出資者はきっと「乗っ取られた」と主張するだろうが、このタイ人店主に「乗っ取った」という意識はまるでない。

この日本人向け居酒屋は、およそ4年前に営業を開始した。ところが経営方針をめぐって日本人出資者とタイ人出資者のあいだに対立が生じ、最終的に日本人出資者が経営から排除される結果になったという。だが、ことの真相は日本人出資者の話を聞いてみるまで分からない。

タイでは、外国人事業法によって、外国資本が過半数を占める企業の設立は制限されている(ただし投資奨励法に基づく BOI タイ国投資奨励委員会ほかによる指定企業は除く)。したがってタイで起業する場合、登記上の経営権はタイ人株主によって牛耳られることになり、これがタイ人による企業乗っ取りの温床となっている。

実際に、タイにおいて日本人の経営権が収奪されたという話は枚挙にいとまがない。そのため、企業乗っ取りに対して、日本人経営者たちは知恵を絞ってあの手この手の対抗策を講じている。企業乗っ取りは、①株主総会で日本人経営者が含まれない取締役会メンバーが選任されること、②取締役会で日本人代表取締役が解任されることによってはじめて成立するから、株主総会または取締役会で自分に不利な議決があったときには、あらかじめタイ人株主に書かせておいた株式譲渡契約書(日付空欄)とタイ人取締役に取締役辞任願(日付空欄)を武器に議決そのものを無効化させるという戦術もある(ただし法的な実効性については未確認)。

でも、タイで会社を経営するなら、そんな防衛策を弄するより前に、出資者との信頼を築き維持できるだけの能力がないと難しい。

昼、ミャンマー研究の講義に出席してから、スクンウィット通り(スクンビット通り)某所にある日本人向け居酒屋で友人と飲んだ。飲みたいときに付き合ってくれる友人に感謝!

2005年8月30日(火)

「ここのカーオカームーも悪くはないけど、やっぱりセンルイ通り(セントルイス通り)のカーオカームー屋には敵わないわね」

昼すぎ、百貨店 Robinson(ロビンソン) スクンウィット店(スクンビット通り店)地階のクーポン食堂(フードコート)で、カーオカームー(豚足丼)を食べていたところ、左手にフォーク、右手にスプーン(タイ料理を食べるときの基本姿勢)を持っている友人がそう話していた。

ここ2週間ほど、タイ料理「カーオカームー(豚足丼)」にハマっている。牛か豚かという違いはあるが、つゆだくご飯の上に肉が乗っているのが牛丼っぽくて親しみを感じる。それに、注文してから1分もかからずに出てくるので、手早く昼食をとれるのがウレシイ。値段は店舗によって異なるが、大型スーパー Tesco Lotus(テスコ・ロータス) プララームサーム店(ラマ3世通り店)では並盛20バーツ、大盛り30バーツ。百貨店 Robinson(ロビンソン) スクンウィット店(スクンビット通り店)では並盛30バーツ、ゆで卵付き35バーツ。

昼すぎ、百貨店 Robinson(ロビンソン) スクンウィット店(スクンビット通り店)地階で友人昼食をとってから、地下鉄スクンウィット駅(スクンビット駅)からスィーロム駅(シーロム駅)へと移動し、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で別の友人たちとタームペーパー(学期末小論文)の資料集めをした。

2005年8月31日(水)

「まあだいたい4,000通くらい発信して、無事に届くのが1,500通。不達が2,500通くらいかしら。そのうち7人くらいからレスポンスがあって、審査を通るのが約半数。この調子でいけば、月給30,000バーツの大台も夢ではないわ。これを『インターネットマーケティング』っていうんだけど知ってる?」

夜、僕が住んでいるスクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室で、パソコンの上に山積みになっている大量の契約書類を前に、友人は今後の明るい見通しについて語った。客観的に見ても、歩合給を含めた今月の給与が25,000バーツを下回ることはまずない。社会通念上、会社の許可なく無断で不特定多数の潜在的顧客にスパムメールをばらまく行為が許されるかどうかはさておき、友人はこのような手段で毎月の歩合給を確保している。

この会社では、1ヶ月間に30件以上の契約があれば、1件につき1,200バーツの歩合給を基本給に加算している。このペースで行けば、今月の友人の給料は[基本給15,000バーツ+歩合給1,200バーツ×30件+ボーナス5,000バーツ]の合計56,000バーツになる。タイでは勤務歯科医の月給でもせいぜい40,000バーツくらいだから、この収入はなかなか悪くない。

昼、日系百貨店「伊勢丹」6階の紀伊國屋書店でタームペーパー(学期末小論文)のための参考文献を収集し、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」へ日本人の友人と出かけた。アップルコンピュータ社は、国際的なサポートを保証しているため、日本で購入したものについてもタイで無料で修理できるという。タイにおける同社のサポートセンターは、大型スーパー Tesco Lotus(テスコロータス) プララームサーム店(ラマ3世通り店)にある。

午後6時45分、 Lobinson(ロビンソン) 百貨店スィーロム店(シーロム店)の駐車場から景色を眺めていたところ、ルンピニー公園で無数の人々がエアロビクスを楽しんでいるのが見えた。その後背に見えるのは、ウィッタユ通り(ワイヤレス通り)、チットロム通り、スクンウィット通り(スクンビット通り)へと伸びる高層ビル群。これまでバンコクの眺望がこれほど美しいとは思ってもみなかった。午後10時までスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でタームペーパー(学期末小論文)を書いてから、 Robinson(ロビンソン) 百貨店地階のスーパーマーケット Top’s(トップス) でワイン(536バーツ)とチーズ(179バーツ)を買って帰宅した。