2005年7月1日(金)

「お医者さんの先生方にお知らせいたします。こちらでゲームに参加していただきますと、お土産として景品をお持ち帰りいただけます。簡単なお食事とお飲み物を用意しておりますので、開演まで今しばらくお待ちください」

夕方、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ラーチャダムリ(ラチャダムリ)店5階にある映画館 EGV へ友人たちと出かけた。特設会場の入口で「エイリアンの襲来により被害にあわれた患者さんの治療にご協力ください」と言われ、医師用の腕章を半ば強引にくくりつけられた。唖然としながらも、パスタをほおばり、さんざん迷いに迷ったあげく、ゲームにも参加して工具セットをもらった。その後、第7映写室でサムットプラーガーン県(サムットプラカン県)にある製薬会社 BIOLAB の広報用ビデオを30分ほど見せられてから、ハリウッド映画 War of the World を鑑賞した。今回は招待客ということで、無料だった。

午後、ミャンマー研究(午後1時~午後4時)の講義に出席する予定だったが、昨晩のみ過ぎたせいで二日酔いになってしまい、あわててベッドから飛び起きてみると午後1時40分をまわっていため、そのまま二度寝した。夕方、「映画の無料招待券がある」と友人に誘われ、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ラーチャダムリ(ラチャダムリ)店へと向かった。

2005年7月2日(土)

「料理の味はまあまあだけど、生演奏のほうは終わってるわね」

夜、バンコク北部ラートプラーオ(ラップラオ)73にあるレストラン「ヂャンパー(チャンパ, จันผา)」へ友人たちと出かけた。アコースティックギターの演奏と最新タイポップスの生ボーカルを聴きながら、屋外のプールサイドで夕食を楽しむのも風情があって良いと思うが、友人たちはボーカルの技量に対する不満をあらわにしていた。

朝、タオプーンにある自動車整備工場でクルマを受け取ってから、友人の従兄弟が営んでいるグルングテープ-ノンタブリー通り(クルンテープノン通り)にある整備工場へ行ったところ、エンジン系統の修理費用15,000バーツのうち、なんと13,850バーツ分は不要な修理だったと指摘された。その後、料理店「ヂャンパー(チャンパ, จันผา)」で友人4人と夕食をとり、 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) にある Pub and Restaurant(パブまたはレストラン) で友人たちと合流し、日本人5人を含む総勢14人で午前零時まで飲み続けた。

2005年7月3日(日)

翌4日午前零時半、ウォングウィアングヤイ(ウォンウィエンヤイ)ロータリーの一角に僕の BMW 318i を駐めた。

ウォングウィアングヤイ(ウォンウィエンヤイ)は、プラチャーティベーク通りとラートヤー通りが交わるロータリーで、都心部とトンブリー地区を結ぶ交通の要衝として賑わっている。ロータリーの中心には、小さな円形の公園があり、タークスィン大王(タクシン大王)(1734-1782)の像が建っている。ところが、午前零時をまわると交通量もまばらになり、まるで廃墟のような怪しさを帯びてくる。僕たちは治安の悪さを肌で感じ、スリに注意しながらロータリーの外周を時計回りに歩いた。西の外周にあるタハーンタイ銀行(タイ軍人銀行)前にさしかかったとき、身なりの貧しい女性グループが僕たちの接近に気づき、顔をあげて声をかけてきた。

ไปเที่ยวป่าว?(パイティアオパーオ)
「出かける?」

あり得ない。ムリだ。不気味すぎる。

彼女たちの容姿はあまりにもひどく、娼婦(売春婦)をオンナと見做している一部の日本人たちでも、性的な魅力を見出すのに苦労するに違いない。世紀末的な悲壮感を漂わせている疲れきった目と、今にも匂ってきそうな服が、街娼(立ちんぼ)たちがおかれている社会的・経済的な境遇をハッキリと物語っている。彼女たちと金を出してまで性交渉をしたいと思うような奇特な人など、この世に本当にいるんだろうか?(ちなみに、バンコク人の価値観の影響を強く受けている僕たちは、娼婦(売春婦)を女性とみなしていない)。

あまりの不気味さに、街娼(立ちんぼ)たちから目を背けながらイントラピセーク通り方面へと向かい、横断歩道の中央からロータリーの全景を眺めていると、なんと二人組の男女が公園に入っていくのが見えた。まったく、こんな雰囲気の悪い場所で、今にも匂ってきそうな女性と何をするんだろうか。

気持ち悪すぎる。

僕たちは街娼(立ちんぼ)たちに声をかけられながら、ロータリーの外周をひとまわりしてクルマへと戻った。

ちなみにバンコク都内で有名な街娼(立ちんぼ)スポットはつぎのとおり。

①ウォングウィアンヤイ(約20名・27-40歳・300バーツ前後)
②スクンウィット3-17(約200名・18-35歳・1,300バーツ前後・地方出身のゴーゴー嬢が主体, 外国人向け)
③サヤームホテル前(約60名・18-30歳・2,000バーツ前後・地方出身のソープ嬢やバンコク出身の非行学生が主体)
④王宮前広場サナームルワング(約35名・15-23歳・200-700バーツ・バンコク出身の中高生や地方出身の学生が主体)など

ヂャトゥヂャック週末定期市(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)で友人と買い物をしてから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋に寄った。トーングロー(トンロー)15の日本料理屋「大戸屋」で夕食をとり、ウォングウィアングヤイ(ウォンウィエンヤイ)街娼(立ちんぼ)たちを見物してから、サパーンプット(プット橋)の花卉市場へと向かった。

2005年7月4日(月)

午後1時23分、午後の授業「イスラーム研究」の講義開始から約20分が経過していた。年季の入った木製の扉を手前に引いて教室の中へ足を踏み入れると、今日のゲスト講師、ペットダーオ・トミーナー女医と目が合った。東南アジア研究所の主任教官がものすごい形相で、こちらを睨みつけている。僕は申し訳なく思い、軽く会釈をしてから空席を探した。

今学期の特別講座「イスラーム研究」は、主任教官のコネクションをフルに活用して著名な先生方をゲストに招き、莫大な研究予算を費やすことでようやく実現したという。そのため、2週間ほど前に主任教官から必ず出席するよう言い渡されていた。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)大学院東南アジア研究科の講義は、さまざまな研究課題について学術的に検証し、さまざまな言語で書かれた論文をもとにさらに掘り下げていくという手法がとられている。しかし、3時間程度の講義では、内容を完全に理解するのは不可能だし、仮に理解できたとしても説明に膨大な時間と文字数を割くことになる(っていうか、日記の題材としてはテーマが大きすぎて扱いきれない)。そのため、ブログ「バンコク留学生日記」では、日常生活に関わらないことは取り上げない、という方針を採っているが、今日は気分転換も兼ねて授業の様子について簡単に触れてみたい。

「イスラーム研究」の講義を担当したのは、先々週がナコーンラーチャスィーマー県(ナコンラチャシマ県, コーラート)選出の上院外務委員長グライサック・チュンハワン(クライサック・チュンハワン)上院議員(陸軍大将チャートチャーイ・チュンハワン元首相の長男)、先週が陸軍大将ウィチット・ヤーティップ(オンヌット)内務省顧問官(深南部担当)だった。

今週の講義では、タイ深南部問題の原点を探るために、イスラーム人権活動家デン・トミーナー元内務大臣の娘で、国民和解のための国家自由委員会精神衛生センター第17区(ヤラー・ナラーティワート県担当)の理事長を務めるペットダーオ・トミーナー女医をゲストにお招きした。

「深南部3県と呼ばれるパッターニー県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラーティワート県(ナラティワート県)では、警察官が出世するための点数稼ぎとして、市民、特にイスラーム教徒の人権を踏みにじるような行為が戦前から続けられてきました。それが深南部3県における反政府運動の原点になっているのです」

それ以外にも、イデオロギー的な対立もあるという。

太平洋戦争時、陸軍元帥ピプーン・ソンクラーム内閣は、国家主義政策 รัฐนิยม(ラッタニヨム) を掲げ、タイの近代化と国民の統合を図った。その際に、タイ人のあるべき姿として ①国王、②タイ語、③仏教(最近はテロのあおりを受けて「宗教」と呼ばれることが多い)の3要素を前面に押し出したため、 ①イスラーム教、②イスラーム神、③マレー語(またはアラビア語)で団結しているムスリムの主体性が大きく損なわれ、このときにできた対立を現在でも引きずっているという。

講義終了後、自室でシャワーを浴びてから、スクンウィット(スクンビット)33にある居酒屋「姉御」で友人と飲んだ。テキパキと働く従業員たちの姿は、見ていて心地よかった。まるで客に不満をぶつけているかのように、ムスッとしながらダラダラと働いている従業員ばかりの他店には、ぜひこの店を見習ってもらいたい。

2005年7月5日(火)

「学位を持たない人は議会に立候補できないよ」

タイ王国憲法は、中流以下のタイ人にとって不平等である、という説がある。107条と123条で大卒未満の被選挙権(立候補する権利)を認めていないのが、その根拠とされる。日本で「第四四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」という条文を学んできた日本人には断固反対を唱える人も少なくないだろう。

現在の大学進学率は約35パーセント。そこで残りの約65%は、なぜ抗議行動を起こさないかと、友人に聞いてみた。

「だって、せめて学位ぐらい持っててもらわないと、安心して国政を委ねることなんてできないじゃないの」

日本人だったら絶対言わないようなセリフを、友人はあたかも当然のことのように言ってのけた。該当する条文はつぎのとおり。

รัฐธรรมนูญแห่งราชอาณาจักรไทย พุทธศักราช ๒๕๔๐
2540年改正タイ王国憲法

 
มาตรา 107 บุคคลผู้มีคุณสมบัติดังต่อไปนี้ เป็นผู้มีสิทธิสมัครรับเลือกตั้งเป็นสมาชิกผู้แทนราษฎร
第一〇七条 次の条件を満たす者は下院の被選挙権を有する。

(3) สำเร็จการศึกษาไม่ต่ำกว่าปริญญาตรีหรือเทียบเท่า เว้นแต่เคยเป็นสมาชิกสภาผู้แทนราษฎรหรือสภาวุฒิสภา
③ 学士以上もしくはそれに相当する学位を有する者。ただし過去に下院または上院の議員を務めた者を除く。

มาตรา 125 บุคคลผู้มีคุณสมบัติดังต่อไปนี้ เป็นผู้มีสิทธิสมัครรับเลือกตั้งเป็นสมาชิกวุฒิสภา
第一二五条 次の条件を満たす者は上院の被選挙権を有する。

(3) สำเร็จการศึกษาไม่ต่ำกว่าปริญญาตรีหรือเทียบเท่า
③ 学士以上もしくはそれに相当する学位を有する者。

タイでは、なんと「支配階級」と「被支配階級」との関係が憲法に明文化されている。そして、タイ人も学歴差別がさも当然のことであるかのように受け入れている。過去に尋常小学校卒(12歳までの教育)の首相が登場し、「仕事に学歴は関係ない」という妄言までがまかり通っている日本とは大違い。タイの極端な階級社会における「階級」は、憲法のこの条文のみならず、さまざまな場面で正当性を与えられている。

タイでは、日本にいれば煩わされずに済むような些細な価値観の違いにも気を遣わなければならない。それにしても、どこのバカが「日本人であれば誰でも上流階級になれるサバーイサバーイな国」なんて寝惚けたことを言い出したんだろうか? そりゃあ、最下層の娼婦(売春婦)を相手にしているだけなら気にしなくても構わないが、多くの場合、タイにいると日本にいるときより多くの理不尽に直面する。

スィーロム通り(シーロム通り)スラウォング通り(スリウォン通り)Starbucks(スターバックス) へ友人と出かけた。

2005年7月6日(水)

シアムリアップ(シェムリアップ)は、プラヂュンラヂョームグラーオ大王(ラーマ5世, ラマ5世, チュラロンコーン大王)がフランスに割譲するまでサヤーム(シャム, タイ)の領土だった。したがって、シアムリアップ(シェムリアップ)にある寺院都市アンコールワットは、プラヂョームグラーオ王(ラーマ4世, ラマ4世, モンクット王)期までのタイ文化が体現されているものである」

朝、タイ文化の講義中にサヤーム協会(サイアムソサエティー)の代表を務める王統派歴史家はそう言い放った。そこで休み時間、文学部学生食堂前でカンボジア人クラスメイトを直撃してみた。

「タイ教育省のカリキュラムで歴史を勉強してきたヤツらには、もっと勉強してくれ、と言ってやりたい。彼らの主張は近代史の一部分においては正しいが、それを言ってしまえば、かつてこの一帯はクメール帝国の領土だったのだし、文化だってアユッタヤー朝(アユタヤ朝)がクメール帝国に侵攻したときにコピーしてきたもんだろ? カンボジア人とタイ人との反目は、タイ人の思い違いが原因なんじゃないかな」

実際にタイ人歌手ゴップ=スワナンが「クメールはタイのアンコールワットを盗んだ」と発言したことを受けて2003年1月、カンボジアの首都プノンペンで暴動が発生し、タイ大使館が焼き討ちにあっている。しかしタイ政府としては、国民統合のための歴史教育、愛国心を鼓舞するための歴史教育という観点から、カンボジア側の主張を容れることはできない。

夜、トーングロー(トンロー)15にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Escude(エスクード) へ友人たちと出かけた。さっそく適当な空きソファーを見つけて腰をかけたところ、「当店においでになるのは今回が初めてでしょうか」と申し訳なさそうにしている店員に尋ねられた。店員によると、週末には多くの客で賑わうが、それ以外の日にはほとんど客が入らないという。それだけに、閉店までソファーが満席になることはなく、スペースを広く使えてよかった。

2005年7月7日(木)

「これは携帯電話というより、むしろデジカメよね? 私も今のを売って新しいのを買おうかしら」

NOKIA(ノキア) 7610は、処理速度が遅く、内部ソフトウェアにバグがある。それに、内臓カメラの撮影品質の悪さは耐え難い。留学終了まで残りわずかだが、思い切って Sony Ericsson(ソニーエリクソン)製 K750 を購入した。

Sony Ericsson K750
 
対応ネットワーク: GSM 900, GSM 1800, GSM 1900 / 重量: 99g / TFT 液晶26万色 176×220 ピクセル / Memory Stick Duo Pro 64M 付属 / データ転送速度: 32-48 kbps / オートフォーカス機能搭載内蔵カメラ200万画素(1632×1224ピクセル) / ハンズフリー用イヤホン付属 (FM ラジオ, MP3 視聴可) / 多国語入力支援辞書 T9 搭載でタイ語メールの綴り間違いを防げる / そのた日本の携帯電話に搭載されているような機能

これまで NOKIA(ノキア) は、タイ語入力デバイスの性能が他社を圧倒していたため絶大な支持を得てきた。ところが、この数年で他社製携帯電話のタイ語入力デバイスが NOKIA(ノキア) より便利になったことから、タイにおけるシェアを徐々に落としている。

タイでは個人の可処分所得に何倍もの格差がある。そのため、携帯電話は持ち主の階級社会力(社会的地位, 経済力, 教育的バックグラウンド)を印象付けるための重要なツールとなる。ちなみに、友人たちの携帯電話は、月間可処分所得のおおむね0.8-1.5倍。極端な階級社会であるタイにおいて、不本意な待遇を受けないようにするためにも、携帯電話は常に最新モデルにしておきたい。

昼、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)4階の携帯電話売り場で、 NOKIA 7610を9,500バーツで売却し、 Sony Ericson K750 を15,000バーツで購入した。ついでに Memory Stick Pro Duo 512M を2,800バーツで購入。6階のバーペキュー屋で夕食をとり、プララームヌング(ラマ1世通り)の大型スーパー Tesco Lotus(テスコ・ロータス) に立ち寄って、手動ウォッシュレットとトイレットペーパーを買った。

2005年7月8日(金)

「タイ人の踊り方って、かなりクセがあるから、六本木のクラブとかでもすぐに分かるよね」

夜、スクンウィット(スクンビット)23の Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) で、 L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人が言った。よくよく観察してみると、確かに変わっている。地方出身者比率が高いこの店だけを見て結論を出すわけにはいかないが、たしかに肘から先の腕の動きがタイ東北部(イーサーン地方)のモーラムダンス(田舎踊り)の影響を受けている。

先月の日記で、タイ都市部におけるクラブシーン Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) を「階級社会との親和性が高い『ハイソ』というイデオロギーのもとで、閉鎖的グループがタイポップスやヒップホップを聞きながら一体感を強めていくための場所」と説明した。そのなかで、新しい出会いやダンスをすることを目的としてやって来ているタイ人などほとんどいない、と繰り返し強調してきた。

ところが、Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) で流れているのは、主にプログレッシブハウスやトランスなど。 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) にはないエントランスフィーもあり、500バーツで3ドリンク付き。高齢化比率・外国人比率が高く、女性の平均年齢は24-40歳、男性の平均年齢は35-50歳。それだけに、店内のあちらこちらにメーバーン(清掃婦, 家政婦)のような冴えない女性を連れている日本人が見られた。

昼、ミャンマー研究の講義に出席してから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人と合流。地下鉄スィーロム駅(シーロム駅)でタイ旅行中の L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人たちと待ち合わせ、およそ3年ぶりにスクンウィット(スクンビット)23の Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) へと繰り出した。その後、スクンウィット(スクンビット)13の自宅前で高校時代の友人と再会し、預かってもらっていた当面の仕送り50万円を受け取った。

今回、 Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) を選んだのは、タイ文化を知らない友人をタイ的なクラブシーンに連れて行っても楽しんでもらえないと考えたから。

2005年7月9日(土)

「もしかしてタイ人ってシャイなの? せっかくいい音楽があるのに、なんでみんな踊らないのよ? こんなんじゃ踊れないじゃん」

夜、 RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) のパブ Route 66(ルート66 イーストEast) へ、L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人たちと繰り出した。

バンコクにおけるのクラブシーンの主流は2003年以降、ヒップホップミュージックとタイポップスの二本立てになった。トランスはすでに過去のものとなり、リズムに合わせて狂ったように踊るスタイルは確実にウケなくなっている。さらに、都市部における近代化と所得の増加にともない、階級社会との親和性が高い「ハイソ」が大衆化し、優雅にソファーに座りながら酒を飲むというスタイルが流行。バンコク人のあいだで「ヒップホップ=ハイソ系=踊らない」という図式が定着している。このような店で思いっきり踊っているのは、せいぜい流行についていけなくなった年寄りか、地方から出てきたばかりの田舎者くらいだろう。こうした変化も、ここ10年のタイの近代化を象徴している(末尾の関連記事を参照)。

Route 66(ルート66 イーストEast) に到着した頃には、店内はすでに満席なっており、人々が店の外にまであふれていた。とりあえず、店の入口前にあるテーブルに陣取り、友人たちはそこで酒を飲んでテンションをあげてから店内へ流れ込むという算段を立てていた。ところが、5分もしないうちに戻ってきて、冒頭のようにコメントして肩を落とした。

そこで、バンコクのクラブシーンについて話し合っていると、となりの Flix(フリックス) からトランスのようなテンポの速い曲が聞こえてきた。すぐに飲み始めたばかりのウイスキー Johnnie Walker(ジョニーウォーカー) Red Label(レッドラベル) を店に預け、音源に向かって歩いていった。ところが、 Flix(フリックス) でも踊っている客は一人もいなかった(念のために酒を注文する前に店内を歩いてまわった)。

「これじゃ DJ が可哀想だよ」

そのとおりかもしれないが、バンコクにおける現在の主流はヒップホップ系クラブとハイソ系クラブの融合体。踊らずに優雅に酒を飲むのが流行っているんだからしょうがない。夜のクラブで踊りまくりたいと考えている人に、タイ特有の「パブ」は向いてない。

その後、スクンウィット(スクンビット)31のディスコ mystique(ミスティーク) に行ったが、すでに閉店していたため、スクンウィット(スクンビット)23の Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) へと向かった。

ところで、ディスコ Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) の良い点は、①アホのようにはしゃいで踊りまくれること、②地上約5メートルのところに舞台が2ヶ所設置されていること、③ダンサーが旧 RCA 系のダンスを教科書どおり踊っており、踊りやすい環境を作っていること、④天井から風船や紙吹雪が降ってきて、客の一部は風船を持ってメチャクチャな踊りをしていること(こいつらよりもヘボくならないように踊るのは、そう難しくない)。悪い点は、①流行から外れていること、②客の平均年齢が高く、娼婦(売春婦)連れの外国人が多いこと、③友達になる価値のあるタイ人がいないこと。

いずれにしても、いま主流の階級社会的クラブシーン Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) では「非日常」を楽しめないから、社会のしがらみを忘れて思いっきりはしゃぎたい人には Narcissus Club(ナルシスサスクラブ) をオススメしておきたい。

夕方、 L.A.(ロサンゼルス) に駐在している友人がタイに遊びに来ていたので、プラカノーング(プラカノン)にある、しゃぶしゃぶ・すき焼き食べ放題の店「秋吉」で行われた英語学校の飲み会に顔を出し、途中で抜け出して、タイ旅行中の L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人たちとクラブへ繰り出した。

<関連記事>
6月3日付「都市型モーラム」
6月6日付「パブにおける雰囲気維持のための取り組み」
6月10日付「階級社会に生きる その2 ナンパの社会学」
6月11日付「階級社会に生きる その3 クラブシーンの社会学」
6月25日付「バンコクのパブでフツウに振る舞う」
7月8日付「非日常はどこにあるのか? 前編」

2005年7月10日(日)

「わたしの仕事は、指名してくれた男性客を接待すること。だから、指名されなかったときには、なぜ選ばれなかったのか、何がいけなかったのかと常に自問しているわ。でも、ホストクラブに行けば、立場が逆転して指名する側になれる。わたしは2回しか行ったことないけど、ホストたちが何を考えているのかと想像しながら指名するのって、けっこう新鮮でいいわよ」

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人たちと話し合っていたところ、知り合ったばかりの友人から「ミーチャイマンションにホストクラブがあるらしい」という情報を聞きつけた。そこで、半年ほど前に日本人向けカラオケスナックのホステスから聞いた話の一部でもかいま見ることができればと、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)1にあるアパート「ミーチャイマンション」へ友人と出かけた。

ミーチャイマンション(ソープランドの娼婦(売春婦)、オカマやゲイ、麻薬流通に関与しているムスリム系外国人、娼婦(売春婦)と同棲しているインド人や中国人が多い。家賃5,500バーツ)は、ラーチャプラーロップタワーマンション(ラチャプラロップマンション)(比較的貧しい日本人、日本人男性と同棲している娼婦(売春婦)、日本人向けカラオケスナックの娼婦(売春婦)が多い。家賃4,900-6,500バーツ)と並ぶ麻薬流通の中心地として知られており、麻薬阻止制圧委員会(ポーポーソー)麻薬制圧警察(ボーチョーポーソー)の重点取締対象にもなっている(「ポーポーソー委員会が関与した麻薬事犯逮捕実績」 2546年1-6月期参照)。

しかし、男同士でホストクラブに足を踏み入れるのは憚られる。そう思って、ミーチャイマンション1階にあるスヌカークラブでビールを飲みながらゲームをするだけにとどめておいた。スヌカークラブでは、タイ東北部(イーサーン地方)の民謡「ルークトゥン」ばかりが繰り返し流されており、料金はゲーム70バーツ/1時間・1台、ビアスィング(シンハビール)大瓶55バーツだった。

昼、ホテル The Westin Grande Sukhumvit(ウエスティングランデスクンウィット) 8階にある日本料理屋「吉左右」で、タイ旅行中の高校時代の友人たちと日曜ランチビュッフェ(850バーツ+税サ)を食べてから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で別の友人たちと合流し、スヌカークラブへと向かった。

ちなみに、外からちょっと見たカンジだと、けっこう日本人女性が好きそうなホストたちが揃っていた。半年前に日本人向けカラオケクラブのホステスから聞いた話によると、予算は約2,000バーツ。

2005年7月11日(月)

朝、ムスリム研究の講義(今回だけ午前中に変更された)に出席した。講義は午後12時15分まで延長されたが、昼休みになって、文学部4号館の1階部分にある安物のスピーカーからアホな音楽が流されたせいで集中力が切れてしまい、ゲスト講師が提案していた「タイ政府がとるべき政策」をまったく理解できなかった。

その後、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)にあるタイ料理屋 Inter(インター) で友人と昼食をとり、大型スーパー Tesco Lotus(テスコ・ロータス) プララームヌング店(ラマ1世通り店)で手動ウォッシュレットと体重計を購入して別の友人と帰宅した。

2005年7月12日(火)

昼すぎ、メーバーン(清掃婦)が来る予定になっていたため、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へ行き、午後9時に帰宅した。

2005年7月13日(水)

「ちょっとぉ、あの辺なんて洪水になってるじゃないの? ここから、どうやって出ればいいのよ!?」

昼、ヂャッグリー・マハープラサート宮殿(チャクリ大宮殿)内部の荘厳な謁見の間や拝謁者控室で、優雅に歴代の国王や王族の肖像画を眺めていたところ、突如、滝のような大雨が宮殿全体を襲った。

ヂャッグリー・マハープラサート宮殿(チャクリ大宮殿)は、ラッタナゴースィン朝(ラタナコーシン朝, チャクリ朝)開闢100周年を記念して、プラヂュンラヂョームグラーオ大王(チュラロンコーン王, ラーマ5世)(1853-1910)の命で建設された。風格あるビクトリア様式と純粋なタイ様式が見事に融合されており、白亜の宮殿とも呼ばれている。

日本庭園では白砂が池に例えられているが、タイの伝統建築では石畳で海や川を表現している。

王族の担当講師は、すでに左隣のアマリンウィニッヂャイ堂(アマリンウィニッチャイ堂)へと移動していた。しかし、一般公開されていない王宮に、雨に濡れたくないという理由だけで、王族の講師なしに居座り続けるのは難しい。しかも雨脚が弱まる気配は一向にない。そこで一念発起して靴を脱ぎ、宮殿前に広がる「海」(=石畳, 水深25センチ)を裸足で駆け抜け、アマリンウィニッヂャイ堂(アマリンウィニッチャイ堂)へと飛び込んだ――と書くと、いかにもそれっぽいカンジになるが、実際はシャワーより強い雨に打たれ、アマリンウィニッヂャイ堂(アマリンウィニッチャイ堂)に着いた頃には、まるでプールに落ちた子供のように服がびしょ濡れのグジャグジャになっていた(昔から豪雨の屋外でシャンプーしてみたいと考えていたが、チャンスが到来するたびに「こんな歳になって、そんなことはしてはイケナイ」と思って自制してしまう)。

午前8時、王宮前で集合。豪雨のなか、王宮やワットスィーラッタナサーサダーラーム寺院(ワットプラケオ, エメラルド寺院)の非公開部分を見学してまわり、予定を切り上げて正午に解散。スィンラパーゴーン大学(シラパコン大学)前の食堂でクラスメイトたちと昼食をとった。洋服がびしょ濡れのままだったため、普段なら絶対に乗らない普通バス(赤バス)(エアコンなし, 6バーツ)で帰宅した。

その後、アヌサーワリーチャイサモンラプーム戦勝記念塔駅(ビクトリーモニュメント駅)前にあるパブ Saxophone(サクソフォーン) でタイ旅行中の L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人たちと夕食をとり、カーオサーン通り(カオサン通り)にあるクラブを3件ハシゴした。友人の解説のおかげで、なんとかタイのクラブシーンを L.A.(ロサンゼルス) や六本木と比較できるようになった。 L.A.(ロサンゼルス) のクラブは一応知っているから、つぎの休みに六本木へ行って、参考文献リストを作れば、ミニ論文くらいなら書けてしまうかも。ちなみに、友人によると、カーオサーン通り(カオサン通り)のクラブがもっとも日本の感覚に近いそうだが、タイ式の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に慣れきっている僕にとっては、貧相でまったくイケてない印象の方が強い。

2005年7月14日(木)

昨日、タイ研究科のタイ文化論の講義の一環としてヂャッグリー・マハープラサート宮殿(チャクリ大宮殿)を見学したときに、滝のような雨のなかを傘もささずに強行突破したため、風邪をひいてしまった。

来年のこの時期、日本に戻って仕事をしているはずだから、学位授与式には出席できないだろう。そこで、きょう学位授与式が行われる大学へ行って、クラスメイトたちの卒業を祝うとともに、学位授与式の雰囲気を少しでも体験できればと思っていたが、風邪のせいで11時間も寝てしまい行けなかった。

夕方、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ラーチャダムリ(ラチャダムリ)店の裏手にあるマッサージ屋 Mr. Feet へ、タイ旅行中の L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人たちと行き、ペッブリー(ペブリ)30のカーオマンガイ屋(カオマンガイ屋)「ガイトーンプラトゥーナーム」で夕食をとった。帰宅後、正しいダイエットの仕方について、中間試験前で慌しくしている友人と午前1時まで話し合った。友人によると、タイでは極端に安いダイエット薬が出回っており、医師の処方を受けたとしてもごくわずかな出費で済むという。

2005年7月15日(金)

「こんな日は、旧式の個人タクシーじゃないと乗せてもらえないでしょう。渋滞にはまってしまったら、新型のタクシーでは採算に合いませんから」

スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィット(スクンビット)スイート」前で、雨のなかタクシーを待っていたところ、駐車場の警備員がアドバイスをくれた。

昨日と今日の2日間、都心部にあるヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)では、学位授与式が行われている。そのため、大学に隣接しているプララームヌング通り(ラマ1世通り)パヤータイ通り(パヤタイ通り)アングリードゥーナン通り(ヘンリーデュナント通り)プララームスィー通り(ラマ4世通り)では、大渋滞が発生している。タイでも乗車拒否は違法だが、大学周辺を通るルートへ行くのを断るタクシーは多い。

しかし、タクシー運転手にも言い分はある。民間の企業や組合からタクシーを借りて営業している(12時間350-600バーツ)ため、午後4時と午前3時には車両基地に戻って返却しなければならない。そのため、乗車拒否が常態化している。これが拡大解釈されて、渋滞するところは利益が少ない、という理由での乗車拒否にも拍車をかけている。規則はひとつの例外を作ることで全てが骨抜きにされる。

旧式の個人タクシーは、不人気で新型車両に客をとられており、返却時間もなく、クルマの減価償却も終わっているため、多少不便なところでも行ってくれる。ちなみに、旧式といっても、初回登録から12年以上経過している車両は営業できない決まりになっている。

やっとのことで捕まえたタクシーの運転手によると、昨日のヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)学位授与式で、失恋した男子学生が拳銃自殺を図ったという。

今日は構内が通行止めになっていたので、工学部前のパヤータイ通り(パヤタイ通り)でタクシーを降り、スィリントーン内親王(プラテープ王女, シリトーン内親王)を迎えるために整列している体育学部の学生たちの後ろを700メートルほど歩き、約20分遅れで文学部4号館に到着した。

講義終了後、雨のなか、サヤーム駅(サイアム駅)までトゥックトゥック(三輪タクシー)で移動し、高架電車 BTS で帰宅。夜、近所のバーで偶然古い友人に会い、グロビールを飲みながら閉店まで語り合った。

2005年7月16日(土)

♪僕は君が必要としていない 君の人生の中で余計なもの

夜、ラッチャダーピセーク4(ラチャダーソイ4)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Rad(ラッド) で、本日一曲目のタイ語曲「余計なもの(スワングーン)」(Peacemaker(ピースメーカー))が演奏されると、途端にチェート(仮名)の目がギラリなり、しばらく遠くをぼんやりと眺めていた。そしてサビの部分になると、いきなりまるで気が触れたかのように大声で歌いだした。

♪この愛は終わりにしておこう

チェート(仮名)は3週間前、中等教育学校6年生(高等学校3年生に相当)の頃から付き合ってきたユー(仮名)にフラれた。その後、いろんな女友達と遊びまわっているようだが、いまだ心の傷は癒えていないという。そのような状態で「余計なもの(スワングーン)」を聴かされてしまっては、発狂したくなるのも無理はない。

Peacemaker(ピースメーカー) の「余計なもの(スワングーン)」は、過去の恋に見切りをつけ、新しい恋を見つけるよう人々に促している。まさに、グループの一体感を高めることを最大の目的としているタイの Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) にはうってつけ曲で、一晩に4回以上演奏されることもある。

余計なもの(スワングーン)」の歌詞はつぎのとおり。

ส่วนเกิน – พีซเมกเกอร์
余計なもの – ピースメーカー
<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2005/20050716-2.jpg" width="300" height="169" align="center" />

ฉันคนนี้กับเขาคนนั้น ต่างกันเธอรู้ดี
君も知ってるとおり この僕とあの彼は違う
คนที่ดีกับคนที่รัก ต่างกันเธอรู้ไหม
でも「いい人」と「愛する人」というのが まったく別ものであることを君は知っているか?
เขาที่เธอผูกพัน กับฉันที่เธอหมดใจ
君が心を寄せる彼と 君が興味を失った僕
ทำยังไงก็คงไม่เหมือนเก่า
何をしてもきっと昔のようにはならないだろう

* เป็นส่วนเกินในชีวิตเธอ ที่เธอไม่ต้องการ
君が必要としていない 君の人生の中で余計なもの
ทำอะไรให้ไปเท่าไร แต่กลายเป็นรำคาญ
何をしてどんなに尽くしたとしても ただウザいことになるだけ
คำพูดที่คอยกดดัน บีบคั้นฉันมาเนิ่นนาน
長いあいだ僕を締め上げるように苦しめてきたキッツイ言葉
ก็พอจะรู้ว่าเธอต้องการเลือกใคร
君が誰を選びたいのか 僕にはもう分かってるつもりだ

** ฉันก็คงไม่ทนฝืนเธอต่อไป เมื่อรักไม่เป็นอย่างฝัน
僕が君にマジになることはもうないだろう 愛が夢のようにいかないのなら
ขอให้เราจบลงแค่นั้นเมื่อเธอไม่มีฉันในหัวใจ
僕たちはもうこれで終わりにしよう 君の心の中に僕がいないのなら

*** หยุดความรักเอาไว้เท่านี้ พอก่อนดีไหมถ้าใจอ่อนล้า
ココロが壊れてしまう前に この愛は終わりにしておこう
อย่ามัวเสียเวลากับรักเดิมๆ ที่เธอไม่มั่นใจ
君が懐疑的な今までの愛のために 時間を無駄に浪費するような愚行はやめよう
หากยิ่งฝืนจะยิ่งเจ็บช้ำ ยิ่งตอกยิ่งย้ำให้ยิ่งปวดใจ
もっとマジになればもっと痛みも増す もっとすれ違いを決定的なものにして もっと傷つくことになる
ยิ่งฝืนยิ่งห่างไกล ถึงคราวต้องตัดใจเสียที
もっとマジなればもっとココロも離れていく これがもう潮時なんだ

(* , ** , ***)

ยิ่งฝืนยิ่งห่างไกล ถึงคราวต้องตัดใจเสียที
もっとマジになればもっとココロも離れていく これがもう潮時なんだ

この曲を聴いたチェート(仮名)が過剰に反応したせいで、僕までしんみりした気分になった。そういえば先月6日、一緒にこの店で飲んでいた友人が、突然泣き出して手がつけられなくなったこともあった。酒の席での音楽には、きっと人々の心に何かを訴えるパワーがあるんだろう。

Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Rad(ラッド) は現在、これまでの「タイポップスの生演奏」を放棄して、Hip Hop(ヒップホップ)などの「洋楽の生演奏」へと完全にシフトした。通常、3時間ものあいだにタイ語曲が4曲しか演奏されないというのは考えられない。おそらく新しいスタンダードを打ち出すことで、新時代の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) における流行を先取りするつもりなんだろうが、旧 RCA 時代のディスコじゃあるまいし、150%ものスピードで Hip Hop(ヒップホップ) を演奏するのは本当に勘弁してほしい。

昼過ぎ、プララームサーム通り(ラマ3世通り)にある Sony Ericsson(ソニーエリクソン) の販売総代理店 Loxley(ロックスレー) や MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター) にある i-Mobile のオフィスへ行って、携帯電話 Sony Ericsson K750i のファームウェアを更新しようとしたが、前者は土曜のため休業、後者は K750i を扱っていなかった。その後、セントラル百貨店プララームサーム通り(ラマ3世通り)店で友人6人と合流し、中華料理屋「上海小籠包」で夕食をとり、ラッチャダーピセーク4(ラチャダーソイ4)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Rad(ラッド) へと繰り出した。

2005年7月17日(日)

「わたしが働いている病院なら、24時間いつでもきちんと診察してくれるわよ。当直の先生は4人しかいないけど、それぞれちゃんと専門科目を診られるようになっているから大丈夫。どうせタダなんでしょう? なら、行ってみたら?」

夜、バンコク西部のウッタヤーン通りにあるドイツ風屋外レストラン「バーンナームキアングディン」で、友人5人と夕食をとっていたところ、バンコク在住の日本人に人気の「バンコク病院」で働いている看護婦から、診察を受けるよう勧められた。

先週水曜日、タイ研究科の講座「タイ文化論」の一環として、ヂャッグリーマハープラサート宮殿(チャクリ大宮殿)を見学したときに、滝のような雨のなかを傘もささずに強行突破したため、風邪をひいてしまった。その後も酒を飲みに出かけていたせいで風邪をこじらせてしまったらしく、朝から軽い眩暈が続いていた。食後、さっそく友人の助言にしたがって、バンコク病院へ友人と向かった。

午後11時頃、スーンウィヂャイ(スンヴィチャイ)1にあるバンコク病院に到着。受付に旅券(パスポート)と海外旅行傷害保険証を提出して、診察券を発行してもらった。一般外来で簡単な診察を受けると、医師から酸素吸引室とエックス線撮影室に行くよう指示された。ふたたび診察室へと戻ると、「風邪」と診断され処方箋が出された。会計後に受け取ったクスリは、とりあえず患者が訴えている症状に効果があるものを全種類出しておきましたっていうカンジ。料金は3,373バーツ(ただし保険適用のキャッシュレス)だった。金儲けのための過剰な医療は、バンコク都内の高級病院では日常茶飯事。

昼、スィーロム(シーロム)19にある小籠包屋「永和豆腐(ラーンナームタオフーヨングホー)」で友人と昼食をとり、ホテル Sofitel Silom Bangkok(ソフィテルシーロムバンコク) のケーキ屋 LENOTRE で優雅にアフターヌーンティーを満喫した。その後、将来のタイ駐在に備えて、ラングスワン通り(ランスアン通り)のコンドミニアムを片っ端から見学した。価格帯は40,000-120,000バーツ。日没後、ウッタヤーン通りにあるドイツ風屋外レストラン「バーンナームキアングディン」で夕食をとり、スーンウィヂャイ(スンヴィチャイ)1にあるバンコク病院で診察を受けた。

2005年7月18日(月)

講義を欠席して、自室で病人としての一日を過ごした。夕方ごろ、友人がお粥を持って見舞いに来てくれた。

2005年7月19日(火)

「アナタヲソンケイシマス」

トーングロー通り(トンロー通り)にある某高級日本料理店の店先でタバコを吸っていたところ、接客マネージャーのタイ人がやってきて、片言の日本語を交えながら日々の業務について説明し、最後に日本式の最高礼をして店内へと戻っていった。この店は、タイ政府高官や財界関係者のあいだでも評判が良く、店先にはいつも高級車がならんでいる。しかし、接客マネージャーによると、日本人には無法な振る舞いをする客が多く、日頃から失望させられているという。

「ご存知とは思いますが、この店には日本人以外にも、社会的に地位のあるタイ人のお客様がたくさんいらっしゃいます。タイ人は上流の方であるほど控えめで、料理を注文されるときも上品な言葉を使ってくださいます。しかし日本人は、ほぼ全員が異常なほど偉そうに振る舞っており、料理を注文するときもまるで奴隷に命令するかのような態度をとっています。私たちもプロですから、全てのお客様に心のこもったサービスを提供しようと心がけていますが、正直なところ、傍若無人な振る舞いをしている客に良いサービスを提供するのには強い抵抗感があります。わたしはこの仕事に長いこと携わっておりますが、これまであなたのように紳士的な振る舞いをする日本人に出会ったことは一度としてありません。今日はわたしにとって記念すべき日となりました。本当に、ココロから感動しているんです」

バンコクに住んでいる日本人であれば、誰でも日本人向けサービス業の質の低さに何らかの疑問を持っているはず。ハッキリ言って、日本人向けのサービスの質は、タイ人向けのサービスと比べ著しく劣る。これまで僕は日本人客の振る舞いに原因があると推測してきたが、接客マネージャーの話を聞いて問題の核心部分に触れることができた。まあ、このような事情もあってか、僕は行きつけの店で日頃からいろいろと得をしている。

昼、高架電車 BTS モーチット(地下鉄ヂャトゥヂャック公園駅)ちかくの Sun Tower にある Sony Ericsson のサポートセンターで、携帯電話のファームウェアを更新してもらった(画像添付メールの通信障害ほかが改善された)。その後、トーングロー通り(トンロー通り)にある某高級日本料理店で友人に夕食をご馳走になり(3人でおよそ17,000バーツ)、高級クラブ Exotica Exclusive Club(エギソチカエクスクルーシブクラブ, 通称イクソー) で生演奏を聞きながらウイスキーを飲んだ。ホステスによると、会員になるためには30,000バーツ分の会員料金を前払いしなければならい。会員料金には、① Johnnie Walker Black Label 12本 + 個室利用権4回(1回 Johnnie Walker Black Label 1本分に相当)、② Johnnie Walker Black Label 6本 + ホステスドリンク48杯(1杯250バーツ相当) + 個室利用権4回、③ Johnnie Walker Black Label 3本 + ホステスドリンク80杯(1杯250バーツ相当) + 個室4回 の料金が含まれているという(いずれかひとつを選択できる)。

日頃から都市部の中間層とつるんでいる僕にとって、今晩はタイの上流階級の何たるかを学ぶ良い機会になった。高級クラブ Exotica Exclusive Club(エギソチカエクスクルーシブクラブ, 通称イクソー) では、目の前に10人ものホステスが群り、「ホステスドリンク」を驚異的な速度で消費していった。こんな遊び方をしていては、何百杯ものホステスドリンクが付いてくるプロモーションを選んでも、飛ぶようにカネが消えていくに違いない。

もちろん、もっとすごいカネの使い方をしているタイ人なんていくらでもいるんだろうが、さすがに個人でこんなカネの使い方をするのは無謀すぎる。ってゆうか、僕にはその勇気がない。まあ、これも個々人に定められた運命なんだろうけど。

2005年7月20日(水)

午後、たとえタイの政財界を牛耳っている警察中佐タックスィン・チンナワット(タクシン・チナワット)首相が強制力を行使しても、個人の希望だけでは絶対に入ることが許されない○○○○○○○宮殿の内部を見学することができた。この施設は、タイでもっとも入場が困難な施設トップ5にはいる。その後、某日本料理店で友人たちと夕食をとり、ルワムルディー通り(ルアムルディー通り)のワインバー Bacchus(バッカス) でワインとチーズを楽しんだ。

もう少し詳しく書きたいが、身の安全を考えると、これが限界。とにかくモノスゴイ体験だった。

2005年7月21日(木)

แสงอัลตร้าไวโอเลตไม่ใช่เหรอ(セーングアントラーウァイオーレートマイチャイロー)?”
「セーング・アントラーウァイオーレートじゃないの?」

ไม่ใช่น๊า ต้องเป็นแสงอุลตร้าไวโอเลตสิ(マイチャイナー・トングペンセーングウントラーウァイオーレートスィ)
「いや、それはセーング・ウントラーウァイオーレートのはずだ」

西洋の価値観が大量に流入した明治初期、それまで日本になかった語彙を和訳する過程で膨大な数の和製漢語が作られ、日本語の語彙は飛躍的に増加した。明治後期になると和製英語で対応するようになり、戦後は英単語をそのままカタカナで表記している。ところがタイ語は外国語の語彙をそのまま借用しているため、専門分野の英単語を知らないと専門書を読むことができない。こんな外来語だらけの教科書を小中学生が見せられたら、拒絶反応を起こして勉強する気も失せるのではないか。

【酸素】 Oxygen – ออกซิเจน (オークスィヂェーンと発音する)
【窒素酸化物】 Nitrogen Oxides – ไนโตรเจนออกไซด์ (ナイトローヂェーンオークサイと発音する)

タイ語に外来語の語彙が多いのは、母国語訳された専門書が貧弱で、将来的に英語で書かれた文献に頼らざるを得なくなる、というタイ特有の事情がある。どうせ英語の文献を読まざるをえなくなるのなら、最初から英語のまま専門用語を覚えたほうが効率が良い。

昼、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋で、日本語で書かれた理学書をタイ人の友人たちとタイ語に訳した。政治経済の分野なら楽勝だが、日本語で高校化学を習った僕にとって、想像以上に難解で面倒な作業になった。いつもは辞書なしで翻訳しているが、今回ばかりは片時も辞書を手放せなかった。しかも、誰が読んでも分かるようなタイ語に仕上げるために、化学の知識がある友人たちの協力を仰いだ。なお、今回の翻訳には「9,000語 専門用語辞典 (日本-ไทย-English)」(小川日出夫編)を使用した。

ちなみに、冒頭にある「セーング・ウントラーウァイオーレート」とは、 Ultravaiolet Rays (紫外線)のこと。個人的には แสงที่นอกคลื่นแม่เหล็กไฟฟ้าของแสงที่มองเห็นสีม่วง(セーングティーノーククルーンメーレックファイファーコーングセーングティーモーングヘンスィームワング) (紫色電磁波可視外光線)のように、完全なタイ語で表記したかったが、タイ語にない語彙を創作しても意味がない。

2005年7月22日(金)

昼過ぎ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で、先日以来懸案となっていた理学書のタイ語訳を友人に協力してもらいながら終わらせて、スクンウィット(スクンビット)20にあるドイツ風居酒屋で別の友人と夕食をとった。

2005年7月23日(土)

昼過ぎ、新たに発生した理学書のタイ語訳に着手。スィーロム(シーロム)2/1にある日系カレー屋で友人2人と夕食をった。さすがに同性愛者のメッカと呼ばれているソーイ(ソイ, 小街路)だけに、もちろん店員は同性愛者だし、置かれている書籍類も同性愛者向けのものばかりだった。もしこのソーイ(ソイ, 小街路)に男だけで足を踏み入れていたら、とんでもなく厄介な問題に直面していたはず。

午前零時前、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)にあるホテル「アマリアトリウム」2階のパブ Mingles(ミングルス) で友人とカクテルを飲んだ。

2005年7月24日(日)

「水曜日からずっとまともな料理を食べてないの!! タイ料理屋ならどこでもいい。味は分からないけど、この辺りの店なら雰囲気だけは OK なはずだから適当に入っちゃって。もう空腹で我慢できない」

午後9時ころ、友人が住んでいるバンコク北部にあるラームイントラー通りのアパートで合流し、ガセートナワミン通り(カセートナワミン通り)一帯に点在しているオシャレなレストランのひとつ「ナーイグレ」で友人たち4人と夕食をとった。

今日は、仏教の祝日ワンアーサーハブーチャー(三宝節)ワンカオパンサー(入安居)が連続した4連休の最終日。香港へ旅行に行っていた友人たちが続々とタイに帰国した。

中華人民共和国香港特別行政区は、タイ人でもビザなしで入国できるため、都市部の中間層のあいだで人気の海外旅行先になっている。友人たちは、日本人観光客と同じように、本国より安いブランド品を大量に買い込んできたそうで、香港でブランド品を買うのがどれだけオトクかと話していた。友人によるとこの週末、香港特別行政区のショッピングセンターはどこもタイ人観光客たちでごった返していたという。

このグループの夕食の予算は、ひとりあたり200-300バーツ。これだけあれば、郊外のオシャレな店で、ビールとともにタイ料理を思いっきり満喫できる。

昼過ぎ、ノンタブリー県パーグレット郡にある美容室でストレートパーマをかけ、ガセートナワミン通り(カセートナワミン通り)のレストランで友人たちと夕食をとった。

2005年7月25日(月)

スクンウィット(スクンビット)13にあるスクンウィットスイート(スクンビットスイート)199号室。リビングルームは、テレビ&インターネット部屋として友人に利用されているが、ひとりでいるときに喫煙以外の目的で足を踏み入れることはまずない。その部屋のソファーに寝っころがりながら、珍しくひとりでテレビを眺めていたところ、突然、画面に満面の笑みを浮かべている東南アジア研究科の主任教官が現れた(ミャンマー紀行番組の予告編だった)。おかげで危うくソファーからずり落ちるところだった。けっこうまじめなシーンであの笑顔を見せ付けられると調子が狂ってしまう。

昼、タニヤ通りにある日本料理店「味里」でタイ旅行中の友人と昼食をとり、来週からの旅行に備えて日本での購入を依頼してあった大容量フラッシュメモリを受け取った。その後、バイクタクシー(モーターサイ)(20バーツ)で大学へと向かった。講義終了後、大学裏にあるサヤームスクウェア(サイアムスクエア)の珈琲屋 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で別の友人からデジカメを返してもらい、セントラル百貨店チットロム店のオシャレな食堂 Food Loft でさらに別の友人と夕食をとった。

2005年7月26日(火)

「5つ星ホテルのオーナーだよ」

この世界にいると、食卓に頭から突っ伏したくなることがある。もちろん、実際に突っ伏してテーブルに乗っている料理を台無しにしてしまうわけではないが、あまりの勢いに鼻先を擦り剥いてしまったかのような気分になるのはなぜだろう。

タイは貧富の格差が激しい国だから、どこに富豪の娘がいて、いつ知り合っても決しておかしくない(むろん娼婦(売春婦)ばかりを相手にしている一部の日本人にとっては永遠に無縁でいられる話)。しかし、これまで典型的な中産階級だと信じてきたプライベートの友人が、実は5つ星ホテルのオーナーの娘だと聞かされると不思議な感覚にとらわれる。

昼、アソークモントリー通り(アソーク通り)にある商業ビル「スーミットタワー(サミットタワー)」9階の日本大使館領事部で、査証欄の増補を依頼していた旅券(パスポート)を受け取り(翌日仕上がり, 961バーツ)、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋へと出かけた。夕方、大型スーパー Big-C(ビッグシー) ンガームウォングワーン店のタイ料理屋で鼻の先をさすりながら別の友人と夕食をとり、買い物をした。

これとは別の友人が今日、パトゥムターニー県ラングスィット(パトゥムタニ県ランシット)にバーンフェート(2階建ての2連棟式共同住宅)を購入した。約200万バーツ(約600万円)のローンを30年かけて返済するという。返済額は、利子頭金を無視して単純計算しても月々5,555バーツ。

2005年7月27日(水)

「こちらはタワーラワディータイ銀行頭取のナパラットさんの長男グラモンさんで、現在タワラワディー・エンタープライズの社長をしておられます。こちらはタワーラワディータイ銀行副頭取のプラスートさんで、その隣にいるのはタワーラワディータイ経済研究所長のスパポーンさん。ああ、あちらに見える黄緑色のスカートを履いている方は、元財務相の奥さんヂュッタマートさんですね」

・・・・・・どうぞよろしくおねがいします。

ひとにはそれぞれ身の丈にあったサイズの服があるという。しかし、きょう着た借り物の服は、平安時代の女性用宮廷衣装「十二単」より重く、裾を何十メートルも引きずらなければならないような代物だった。友人は「何事も経験が肝要だ」と言うが、分不相応な場所に居座り続けるのも楽じゃない。

一息つこうと、すぐ近くの椅子に座って暇そうにしていた、気のよさそうな中年女性に声をかけたところ、なんとその人も大物だったから、いよいよ困り果てた。

午後、アユッタヤー(アユタヤ)方面にある日系素材工場で環境関連の先端技術を友人と見学してから、トーングロー(トンロー)23の向かいにある高所得者向けショッピングモール Playgraund(プレイグラウンド) で催された緑茶の新ブランドのお披露目パーティーに出席した。まさに「真のハイソのためのパーティー」といった雰囲気で、なんとも居心地が悪くて仕方なかった。このパーティーに出席するなら、せめて第二地銀の頭取くらいの肩書きはほしい。

カメラマンが僕の写真を何枚も撮影していたが、どこかのハイソ向け英語雑誌に、分不相応にも掲載されてしまうのではないかと心配でならない。ところで、本当に力のある出席者たちは、どのような思いでこのパーティーに出席したんだろうか。

外国人中間層という立場からタイの階級社会を見上げている自分がここにいる。そして、このような社会に身を置いていると、ヘボいヤツがまったく視界に入らなくなる。これこそまさに階級社会の本質だが・・・・・・上ばかりを見ていると首が疲れてかなわない。

ところで、一部の日本人男性は、娼婦(売春婦)との交際しか経験していないため、世間知らずも甚だしい。何を根拠に、タイ人は貧乏でバカでヘボい、と断言しているのだろうか? でも、都市部の中間層が想像以上に手強いという事実を知らずに生きていけるんだから、きっとメチャメチャ幸せなんだろうなあ。首だって疲れずに済むだろうし(本文中に登場する政府機関名や固有名詞は、すべて仮称または仮名です)。

2005年7月28日(木)

「香港の歩道って歩きやすくていいよね! バンコクの歩道もこれだけ歩きやすかったらウォーキング始めちゃうかも。でもさあ、どうして道端でこんなに堂々とエロ本が売られているのかしら?」

彌敦道(ネイザン通り)の地下鉄 MTR 佐敦站(ジョーダン駅)前で、友人が香港到着以来はじめて外国観光らしい感想を口にした。たしかに彌敦道(ネイザン通り)の歩道は、バンコクの主要道路と違って、広くて段差も少ない。足元に注意を払わなくても歩ける歩道が、タイ人の目に斬新なものとして映っても決して不思議ではない。

旅行ガイドブック「地球の歩き方」によると、香港の露天では大量の無修正エロ本が売られているという。ところが、タイではエロ本の販売が禁じられているため、これが友人にとって初めてのエロ本となった。実際にタイの高級日刊紙「マティチョン」の週刊版(2005年7月1-7日版)では、大学の制服を正しく着用している16-23歳の女性の写真が掲載されているだけの雑誌 Life on Campus(ライフオンキャンパス) (39バーツ)が「ヨダレが垂れんばかりの雑誌」と紹介されている。それだけに、日本で成人誌と呼ばれている雑誌は、タイ人にとって縁遠い存在になっている。とりあえず、「日本や香港には、庶民が気軽に通えるような性風俗がないから、必然的にエロ本の需要が高まるんだろう」と説明しておいた。

昼前、高架電車 BTS モーチット駅(地下鉄ヂャトゥヂャック公園駅)近くにあるオフィスビル Sun Tower へ友人と行き、携帯電話メーカー Sony Ericsson(ソニーエリクソン) の販売総代理店 Loxley(ロックスレー) の支店で携帯電話 Sony Ericsson K750 のファームウェアを更新し、そのままバンコク・ドーンムアング(ドンムアン)空港へと向かい、アラブ首長国連邦 UAE の航空会社エミレーツ航空 KE384 便に搭乗した。

午後6時半、中華人民共和國香港特別行政區(中華人民共和国香港特別行政区)香港國際機場(香港国際空港)に到着。バンコクの旅行代理店が用意した観光バスで、地下鉄 MTR 佐敦站(ジョーダン駅)徒歩3分のところにあるホテル「大華酒店(マジェスティック)」にチェックイン。その後、部屋でくつろいでから、地下鉄と路線バスを乗り継いで山頂纜車「山頂纜車站(ピークトラム駅)」へ行き、維多利亜公園(ヴィクトリアピーク公園)から「百万ドルの夜景」で知られる香港の夜景を眺めた。帰途、カタヤキソバ(35香港ドル)を食べてホテルへと戻った。

今回、バンコクのタイ人向け旅行代理店に申し込んだのは、①航空券、②ホテル、③半日無料ツアー込みで、ひとり11,000バーツのプラン。ツアー代金を含む全旅費のうち、自分のぶんは自分で払うと友人が言っていたので、講義を1日欠席して、3泊4日の香港旅行に出かけた。

ところで、マスターカード・インターナショナル(本社ニューヨーク州パーチェス)が、アジア太平洋地域の13の市場における女性の社会進出の度合いを、①「雇用市場への参加」②「学歴」③「管理職の割合」④「平均収入」の4つの指標で数値化した「女性の社会進出度調査」によると、1位がタイ(男性を100とした場合92.3)、2位がマレーシア(同86.2)だった。この調査から、タイ人の女性には、男性とほぼ同等の社会的経済的な能力があることが分かる(ちなみに日本人女性は54.5)。

一部の日本人のあいだでタイ人の恋人への仕送りがしばしば話題に上っているが、中流のタイ人女性の経済力を侮ってはいけない。実際に、バンコク在住の独身日本人現地採用世帯(平均40,000バーツ×1)と、既婚タイ人中流世帯(平均24,000バーツ×2)の月間所得を比較すると、ほとんど差がないことが分かる。

タイ人の彼女に仕送りをしていると公言することは、普通のタイ人女性であれば仕送りに頼らなくても十分生活していけるため、相手に就労能力がないのを認めているのに等しい。実際に「仕送り」の背景を詳しく調査してみると、お気に入りの娼婦(売春婦)に売春をやめさせるための所得保障として支払われており、これはタイに関する習熟度の低い日本人によくあるケース。

標準的なバンコクの若者たちは、両親に仕送りをすることはあっても、他人に仕送りを要求するはずがないし、仮に仕送りの提案をしても拒否するはずだ。なにしろ、彼/彼女たちには、海外旅行を楽しめるだけの経済的な余裕があるのだから。

2005年7月29日(金)

「バンコクで売ってる宝石の方が全然イケてるのに、なんでこんなのにカネを出さなきゃいけないの? だれも買わないんじゃないかしら。安物パッケージツアー参加料の一部っていうのは分かってるけど、もう付き合いきれないわ」

香港市内にある出口のない宝飾品工場アウトレット。どこを見渡しても出口が見つからない「軟禁システム」からの脱出を図るために、友人は店内の扉(従業員専用と書かれている扉を含む)を片っ端から開けて回った。

朝、タイ人向けの無料市内観光ツアーに参加し、微妙すぎるタイ語を話す香港人ガイドの案内で、維多利亜公園(ビクトリアピーク公園)中腹から市内を眺め、整備の行き届いている淺水灣( レパルスベイ)のビーチリゾートを散歩した。その後、市内へと引き返した。

およそ9年ぶりにパッケージツアーに参加したため、土産物軟禁という恒例行事の存在をすっかり失念していた。タイ人ツアー客(日本人1名を含む)を乗せた観光バスは、16階建ての雑居ビルに停車。香港人ガイドについていくと、1-3階部分に入居しているタイ人観光客向けの宝飾品アウトレットへと案内された。店内には英語、中国語、タイ語の表示がある(日本語はない)。日本人向けの土産物屋と比較すると中心価格帯が若干低い印象だが、市中の相場より割高という点では似たようなものだった。

一時間が経過し、忍耐力が限界に達したところで、そろそろ出ようと友人を促した。ところが、店内のどこを探しても出口の表示が見つからない。やっとのことで見つけた出口の先には、ラグジュアリーな店内の雰囲気からは想像できないような、古ぼけたエレベーターホールがあった。

宝飾品店で受けた精神的苦痛にのせいで、ホテル「大華酒店(マジェスティック)」に戻ってから、午後6時まで昼寝してしまった。その後、銅鑼灣站(コーズウェイベイ駅)周辺の百貨店街と、旺角站(ウォンコック駅)周辺の香港ブランドのブティック街を見て回った。

2005年7月30日(土)

「子供の頃から香港映画が好きだったから、香港のことはけっこう詳しく知っているつもりだったけど、やっぱり実物と映画は別物ね。香港人女性がこれほど可愛くないとは夢にも思わなかった。世間一般で言われている香港人が、みんな芸能人のように可愛いとは限らないっていうのは分かるけど、中国系タイ人が純血よりも混血の方が可愛いのと同じように、ゲルマン民族とか他の民族と交配しないと中国人は可愛くなれないのかしら?」

地下鉄 MTR 旺角站(ウォンコック駅)周辺に広がる庶民向けの繁華街を歩いていたところ、友人は香港人女性に対する感想について話し始めた。

タイにおける極端な階級社会では、直射日光を浴びるような仕事をしている人はヘボいとみなされる。そのため、肌の白い中国移民は、よほど不細工でない限り優位に立つことができる。ところが、どうやら漢民族であれば誰でも無条件に可愛いというわけでもないらしい。友人によると、若者が多いこの繁華街でも、可愛いと思えた女性は3時間で2人しかいなかったという。

昼すぎ、地下鉄 MTR 中環站(セントラル駅)から小型バス6番で遊園地「海洋公園」へと向かった、午後6時、ホテル「大華酒店(マジェスティック)」に戻り、シャワーを浴びてから、地下鉄 MTR 中環站(セントラル駅)周辺の繁華街へセール品漁りに出かけた。

この時期、香港ブランドのブティックでは、夏物のバーゲンセールを実施しており、3-7割引の店も珍しくない。それを見越した常夏の国タイから、ブランド品を買い集めるために、人々が殺到するという。都市部の繁華街では、店舗内や交差点などでタイ語が飛び交っていた。

午前5時半ころ、ホテル1階のディスコから聞こえてくる騒音で目を覚ました。

2005年7月31日(日)

「バンコクの方が可愛い服がたくさんあるし値段だって安いから、わざわざ香港までショッピングに来る必要なんかないわ」

海外旅行の醍醐味は、日常とは異なる空間で、社会的なしがらみを忘れて思いっきり羽を伸ばすことにある。学者たちはこれを非日常と呼んでいるが、日本人とタイ人では海外旅行に求めているものがまるで違う。

僕たち日本人がバンコクの開放的な雰囲気に居心地の良さを感じるように、タイ人は自分たちの「あいまいな社会」をそれなりに気に入っている。 L.A.(ロサンゼルス) 留学時代の友人によると、タイ人は母国でストレスを十分発散できるから、逆に外国に行ってもストレスを蓄積させるだけで、あまりいいことがないという。

日本人にとっての香港の魅力は、物価が安く混沌としているため、非日常という空間で開放感を満喫できることにある。ところがタイ人にとっては、物価が高く整然としているため、妙に現実的で逆に窮屈に感じるという。

タイという極端な階級社会で生きる人々にとっての海外旅行とは、非日常を楽しむことではなく、むしろ階級社会という現実のなかで自分が中流であることを証明するための行為、という意味合いが強い。

タイ人は、自らのルーツを漢民族に求めており、中国人と中国の文化に一種の憧れを持っている。そのため、香港、シンガポール、雲南省などへのパッケージツアーが人気を集めている。ところが、香港特別行政区やシンガポールのような都市国家に漢民族のルーツを見出すのは難しい。時として、それがタイ人観光客を落胆させる原因にもなっている。

今回の香港旅行では、3日連続で雨が降り続け、しかも英語が日本並みに通用しなかっため、いろいろと苦労が絶えなかった。朝、ホテルをチェックアウトして、ショッピングに出かけた。が、ついに都市観光に対する意欲を完全に失い、昼すぎにホテル「大華酒店(マジェスティック)」へと戻ってきてから、旅行代理店が手配した香港國際機場(香港国際空港)行きのバスが迎えに来る午後6時まで、だらだらとロビーで時間をつぶし続けた。翌8日午前1時過ぎ、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)に到着した。初日にバンコク・ドーンムアング・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)国際空港で両替した香港ドルは全て使い切った。ツアー代金11,000バーツ(1人分)のほか、現地で食費、交通費、遊園地入場料など合計7,004バーツの出費があった。