階級社会に生きる その2 ナンパの社会学

「そんなパブ、聞いたことないわ。ってゆうか、タイ人との出会いが目的なら、 Slim とか Pump Up! とか、ほかにも良いパブなんていくらでもあるじゃないの。よりにもよって、なんでそんなところへ連れて行ったのよ?」

帰宅後、今晩の計画について説明を受けた友人は、半ばあきれ返りながら言った。

今晩の目的は、交換留学でタイに来たばかりの日本人に、少しでもまともなタイ人と知り合ってもらうことで、娼婦にハマってしまう危険を未然に防ぐことだった。タイは階層ごとに分断されている閉鎖的な階級社会であるため、もし娼婦のようなヘボい階層のタイ人と仲良くなってしまったら最後、平均以上のタイ人やタイ人の社会を知らないまま帰国することになる。それではあまりにも気の毒すぎる。ここは、なんとしても、平均以上のタイ人と知り合ってもらいたい。

タイと大衆文化研究

比較文化論の分野では常識とされていることだが、外国の文化について分析するときに、日本人的な感覚で理解しようとすると本質を見誤る原因となる。19世紀のヨーロッパ、特にフランスで繰り広げられた、思想や体制に関する民主主義と貴族主義の戦いにおいて、ほとんどの先進国では民主主義が勝利した(Wコーンハウザー「大衆社会の政治」)のに対し、タイでは革命によって王家が大衆に打倒されたこともなければ、思想的に王権が否定された経験もないため、依然として貴族主義が優勢を保っている。

タイ社会の底流には、日本や欧米ではすでに過去のものとなっている『階級社会』が、いまもなお昔のままのカタチで現存している。それを無視して、市民社会から大衆社会へ発展するという図式を自明の前提としている欧米の『大衆社会』的なアプローチを、そのままタイの社会に対して適用して分析するのは適当ではない。また、社会の大衆化にあわせて発展を遂げてきた消費社会論など最新の社会学的な派生理論を鵜呑みにしたままタイの社会を分析してしまうと、実態からかけ離れた見当違いな結論が導き出されることになるので注意しておきたい。

タイと国民国家

タイは、タイ人による単一民族国家であると主張ているが、地域ごとに民族構成や歴史的背景が異なる多民族国家というのが実態だ。

現在のヂャッグリー朝はスコータイ朝やアユッタヤー朝の流れをくむ小タイ族(シャム人)の王朝だが、ほかにも、チアングマイにラーンナー王国を建国したタイ・ユワン族、ウィアングヂャンにラーンサーン王国を建国したラーオ族、ヂャッグリー朝に征服されてラーオ族から分岐したイーサーン人、中国から移民してきた華人、マレー半島の中部にパッターニー王国を建国したマレー人など、少数民族を含めると30以上の民族が混在している。

第二次世界大戦の前後、全世界でピークを迎えた民族的なアイデンティティ(民族主義)の高まりによって、多民族国家のタイは解体の危機にさらされたが、歴代のバンコク政権はタイ領内に住んでいるすべての国民を「タイ人」と定義してまとめ上げようと試み(国民国家)、そのためのツールとして、同じ君主(タイ国王)、同じ言語(タイ語)、同じ宗教(仏教)という3つの要素を教育の現場やマスメディアなどを通じて広く国民に根付かせること(汎タイ民族主義)で、かろうじて国家としての骨格を保ってきた。

しかし、タイ人は、自分より貧しい地域に住んでいる同胞や、自分より劣った職業に就いている同胞については、ラオスやカンボジアなどに住んでいる最貧国の外国人たちと同じような存在としてみなし、容赦なく見下している。

その背景には、民族的な違いのほかにも、タイ独特の社会的な特性がある。

タイと階級社会

タイの社会は階級社会といわれている。階級社会とは、社会的地位、経済力、教育的なバックグラウンドによって、階層ごとに排他的なコミュニティーを形成している閉鎖的な社会のことで、それぞれの階層には独自の「愛国心」のような共通した集団意識がある。

タイにおける階級社会は、欧米や日本のような大衆社会とはつぎのような違いがある。

  1. 【大衆社会】 妬みが個々人の消極的統一原理として定着しており、そのために平準化の現象が生じている社会[S キルケゴール, 現代の批判] ⇔ 【タイの階級社会】 エリート崇拝が個々人の積極的統一原理として定着しており、そのため平準化の要求が生じにくい社会(例:日本では平均以下の家庭で育ち高度な教育を受けていない芸能人たちが持てはやされているが、タイの芸能人は上流社会の象徴そのものであり、人気を得るためには出自や学歴などによって上流社会の一員であることをアピールしなければならない)
  2. 【大衆社会】 平等主義が蔓延する無制約な民主主義社会(超民主主義社会)であり、伝統的価値やエリートの創造的な価値保存機能を喪失した社会であり、また無能力者の追求する大衆的疑似権威が支配する社会[W コーンハウザー, 大衆社会の政治] ⇔ 【タイの階級社会】 エリート主義が蔓延する制約的な民主主義社会(半民主主義社会)であり、伝統的価値やエリートの創造的な価値保存機能を重んじる社会であり、また無能力者をないがしろにした権威が支配する社会(例:日本では憲法によって法の下の平等が保証されているが、タイでは憲法によってエリートの優位が保証されている, タイでは大学を卒業していない国民には被選挙権がない)
  3. 【大衆社会】 エリートの閉鎖性がなくなり、平均人・凡庸人が凡庸であることを知りつつ社会の至る所で凡庸であることの権利を主張し、かつてはエリートのものであった社会的権利を獲得している社会[オルテガ, 大衆の反逆] ⇔ 【タイの階級社会】 エリートによる閉鎖性が維持され、平均人・凡庸人が凡庸であることに甘んじて権利を主張できず、社会的権利をエリートが独占している社会(日本では戦後民主主義のなかで差別的思想が否定されたが、タイにおける立憲革命(2475年)では新興エリート層を築いたにすぎなかった)
  4. 【大衆社会】 優位な立場を求める恒常的な競争の中でしきりと動き回っている、俊敏で、嫉妬深く、要求によって動かされる大衆を、敗北者の落胆に陥ることへの脅威から守ってやろうとする試み[P スローターダイク, 大衆の侮蔑] ⇔ 【タイの階級社会】 優位な立場を求めることなく競争を放棄し、魯鈍で、外化的で、権利を主張しない大衆に、敗北者の落胆を受容させ続けている

階級社会と消費社会

「人の消費様式が社会的評価を決める」 [ボードリヤール, 消費社会の神話と構造]

ボードリヤールの消費社会の神話と構造は、30年ほど前に発表された論文で、思想でもある。そこには「今日の社会構造では、大量に消費されるモノや情報はすべて記号化され、その交換価値、使用価値だけではなく、社会的意味付けによって価値が左右される。相対的で相対化された価値は、永遠に遊びとしてゲーム化され、決定されることはない」とあって、情報やモノの価値基準が定義されている。

そしてこの理論は、情報でありモノでもあるヒトに対しても応用される。

大衆社会において、ひとりの人間が持っている「社会的意味付け」とは、先進性、メッセージ性、ユーモア性などに代表されるが、前述したように、タイは階級社会という、階層ごとに分断されている、非常に閉鎖的な社会である。そのため、社会的地位、経済力、教育バックグラウンドといった3つの要素がかなり突出したかたちで強調されている。

これをパブにおける価値基準に置き換えて考えれば、(社会的な地位や教育的なバックグラウンドは目視できないため)経済力だけが極端なカタチでクローズアップされることになる。したがって、ハイソな流行の服を着て、ハイソなブランド品を身に付け、ハイソなクルマで、ハイソな店へ行き、ハイソな友人達と、ハイソな良い酒を注文し、ハイソなコンドーで閉店後のプライベートパーティーを楽しむというライフスタイルを記号的を消費していけば、おのずから経済力のほかにも社会的地位や教育的バックグラウンドの高さを暗示することができるため、結果的として自分の記号的価値を高めることにつながる。

ナンパと社会消費

パブへ遊びに来ている男性客たちは、自分の記号的価値を代替消費することで、ほかの男性客に対する優位性をアピールしている。そして、女性客たちは、その男性が持っている記号的価値を代替消費する(知り合ったり交際したりする)ことで、自分の記号的価値を高めていく。そして男性客は、女性が持っている記号的価値を・・・・・・(以下省略)。

タイにおける「パブ」は本来、仲間内で楽しむための飲み屋として機能している。ナンパだけを目的にしてやってくる客は、むしろ少数派だ。ところが、午前零時ごろになると仕事を終えたばかりの娼婦たちがパブへ殺到する。娼婦のように社会の底辺にいる女性たちは、中間層以上の比較的裕福な男性客が持っている記号的価値を代替的に消費することで、自らの価値を高めようと努めている。そのため、娼婦の数が増えると、店全体のナンパ難易度が一気に下がる。しかし、中間層以上の女性グループは、それとは別に仲間内だけで楽しんでいるため、部外者が入り込んでナンパを仕掛けるための余地がない。

分かりやすくまとめれば、パブではイケてる女性客たちはブロックされていて、一般公開されているのは階級社会的にヘボい女性ばかりだということになる。ナンパ天国だった旧 Route 66 は、すでに過去のものとなったし、現在のパブに価値あるナンパを求めること自体がナンセンスで時代錯誤も良いところだ。時代は変わったのだ。このような事情を知らないバンコクに住んでいる一部の日本人男性たちは、まるで思春期の少年のように女性をひとりゲットするたびに無邪気に自慢しているが、彼らは自分自身が「記号的に消費された=ゲットされた」ことに気づいていないのか(いい歳ぶっこいて、ゲットしたオンナひとりひとりに、いちいち新鮮な喜びを感じてるな。ハッキリ言ってぜんぜんスゴくないし、逆にどんな青春時代を送ってきたのかと問い質したくなる)。

階級社会におけるナンパとは、すなわち相対的に高い階層に属している男性客が、相対的に低い階層に属する女性客にゲットされることである。自分のレベルが新生 Royal City Avenue で通用しなければ、ラッチャダーピセーク4や Pump Up! へ、それがダメならトーングロー通りにある微妙にハイソなパブや安パブへ、それでもどうにもならないようなら Narcissus(スクンウィット23)、Bossy(トーングロー通り)、Hollywood(ラッチャダーピセーク6-8)、Dance Fever(同左)へ毎日のように通い詰めて、自分よりも相対的に低い階層の女性たちに声をかけていけば、いずれ自分以下の誰かにゲットしてもらえるだろう。

日本人とタイ社会

ところで、ナンパの最たるものとして・・・・・・一部の日本人のあいだでは、タイ人娼婦との交際や結婚が流行っているようだが、階級社会的な立場から考えてみると、あまり賢明な選択ではない。もし、階級社会における最底辺に位置している娼婦と結婚してしまったら、自分が消費できる記号的価値(=階級社会における自分のレベル)の低さを露呈することになる。

娼婦と交際することは、タイ人富裕層の中高年のあいだでも同じように流行しているが、彼らが卑しい娼婦を自分のコミュニティー(最小単位は「家族」)に引き込むことはまずあり得ない。あくまでも遊びであり、どんなにハマったところで愛人や妾以上の待遇は絶対に与えない。もし娼婦を本妻にしてしまったら、階級社会における自らの地位を必要以上に貶め、日常生活にも重大な支障をきたすことになる。友人たちに元娼婦の本妻を紹介して、同じコミュニティーのメンバーとして待遇するよう要求すること(=友人たちに娼婦同等の階層まで落ちるよう強要すること)は重大な侮辱行為にあたる。

まとめ

階級社会における物事の本質は、ナンパという行為がもつ意味合いひとつをとっても、日本人的な感覚から著しくかけ離れている。「タイのナンパは階級社会的」と言いうこともできる。文化研究の理論をタイにおけるパブに適用して各論的に分析することにも意味はあるのかもしれないが、その前に物事の本質を見極めるための社会学の基本はきちんと押さえておきたい。

いずれにしても、タイでナンパを生き甲斐にするほどナンセンスなことはない。ってゆうか、ふつうにパブの本当の楽しみ方はもっとほかにある。

タイに関することすべてについて言えることだが、この社会で生きていくのは、タイに夢想を抱いている一部の日本人たちが考えているほど甘くはない。

「あのぉ、100 Piper 以外の酒を飲んでいる客って、ほとんどいないんですけどぉ――」

夜、トーングロー通りにあるパブ Ashley’s Rumour へ日本人の男女4人で繰り出した。この店を選んだのは「トーングロー通りにあるパブはイケているに違いない」という理由からだったが、実態は(ほかのパブでは扱っていない)安ウイスキーの 100 Piper を飲んでいる客が全体の9割以上を占め、しかも男性客の平均年齢が30歳以上という、まったくとんでもない店だった。しかも、入店前に階級社会論や記号消費論の基礎理論を友人たちに説明してしまっていたため、あまりの客層のヘボさに閉口した。僕の発言力とテンションは下がり続け、閉店直前にはほぼゼロにまで接近した。

こうして、ラッチャダーピセーク6街路にある「日の出まで営業」のパブへ行って友人たちと飲み直すことになった。こんな結果になってしまっては、飲み直すのを断ることもできない。

ABOUT US

ケイイチ
バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。