2005年2月1日(火)

今日、待望の連絡通路が開通した。地下鉄スィーロム駅(シーロム駅)と高架電車 BTS サーラーデーング駅(サラデーン駅)とのあいだが高架橋で結ばれた。これからは狭い歩道で無尽蔵に並んでいる屋台に煩わされずに済む。

さらに、タイ文化センター駅(スーンワッタナタムヘングプラテートタイ駅)で先月17日に発生した鉄道事故を受けて運休していたタイ初の地下鉄「チャルームラッチャモンコン線(チャルームラチャモンコン線)」がおよそ2週間ぶりに営業を再開した。北の終点バーングスー駅(バンスー駅)ちかくに住んでいる友人は、これでまた都心部まで気軽に出て来られるようになると喜んでいる。

スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋 Bug and Bee 4階にある屋外喫煙所でタバコを吸ってから店内へと戻り、午前8時までペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年2月2日(水)

スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋で、東南アジア化されたキリスト教信仰について書かれた論文を蛍光ペンで線を引きながら大急ぎで読み進めていたところ、ペックちゃん(仮名)がマシンガンのように話し続けるユーちゃん(仮名)を連れてやってきた。あまりの煩わしさに本を閉じ、向かいのコンヴェント通り(コンベント通り)にある日本料理店 Zen() スィーロム(シーロム)店で友人たちと夕食をとってから地下鉄で帰宅した。

自分が担当している章(英文113ページ)を要約して、明後日の講義中にプレゼンテーション & ディスカッションをしなければならない。

2005年2月3日(木)

一日中、部屋に籠もってペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年2月4日(金)

午後の講義「東南アジアの価値観論」に出席し、珈琲屋でペーパー(小論文)を書いた。

2005年2月5日(土)

こんな危険な友人と関わっていては、いつ本当に逮捕されてしまうか分かったもんじゃない。

僕を腕時計泥棒の犯人と疑って警察に訴え出た昨年11月24日以降(留学生日記2004年11月24日付参照)も、ティックちゃん(仮名)は酒に酔ったときやイベント直前になると電話をかけてくるが、そのたびに僕は素っ気なくあしらっている。

夜、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でいつものように友人達とペーパー(小論文)を書いていたところ、携帯に登録されていない番号からの電話があった。不審に思いながらも注意深く出てみると、相手は「ラッチャダーソーイスィー(ラッチャダーピセーク4)パブ(Pub and Restaurant, 飲み屋)『○○』で一度会っている○○」と名乗った。そして、適当に話を合わせているうちに話主が代わり、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

ソッコウで受話器の終話ボタンを連打した。

この日記では、このような些細な事件について触れることなどほとんどないが、今日のティックちゃんは友人の携帯電話を使うなどいつもより少しだけ巧妙だったため、ついつい書いてしまった。

2005年2月6日(日)

「さっき私が面接に行ってきた会社、オーナーがインド人なんだって。小さな会社だったし雰囲気も悪かったからもういいや」

タイには日本のような「労働は美徳なり」という価値観がないため、卒業後に十分な休養をとってから就職活動を始める卒業生も少なくない(タイではむしろ労働をしないことが美徳とされている)。それに、学部のカリキュラムが日本よりハードなため、4年次に就職活動のための時間を確保することもできない。

タイにおける大学進学率が7割を超えた(2003年)ことを受けて、バンコクの中間層のあいだでは、大学院修士課程に進学することがブームになりつつある。出願者に1~2年の就業経験を課している修士課程も多いため、就職後短期間のうちに退職して、大学院へと進学するケースも目立つ。

この友人は、私立大学の理工系学部を卒業して現在就職活動をしているが、大学院へ進学する意志はないという。このような学歴軽視のスタンスをとるタイ人は、キャリア形成に役立つ企業と職種を選び、転職型労働市場で成功するための努力を続けていくことになる。

キャリアを形成するにあたっては、専門能力を伸ばせる職種、または大企業を選ぶとよい。タイ人大卒者は、たとえ大企業に入っても5年程度で退職して、2倍の給料を出してくれる企業へと転職していく。タイに年功序列的な給与体系がない以上、給与所得者は労働市場における自らの価値を高めて、よりよい待遇を勝ち取っていかなければならない。

友人が昼頃に面接を受けた企業は、キャリアを形成して行くにあたって有益な企業ではなかった。また、インド系タイ人は独自の文化を持っているため、マイノリティーとして扱われ忌避されている(実は単に黒くて臭いから嫌われているだけ)。

かくして、友人の就職活動は振り出しへと戻った。友人はいま、スキルを高められる技術系の職に就くべきか、それとも給料が良い販売系の職の就くべきか悩んでいる。

今日は、MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)へ友人と出かけてから、この日記に導入予定の「ブログ」の実用検証試験をした。

2005年2月7日(月)

「わたしは敬虔な仏教徒よ。だからバラモン教(プラーム)の信仰対象にはワーイ(手を合わせる)しないの」

昼前、午前中の講座「東南アジア映画演劇論」の講師を交えてクラスメイトたちと昼食をとるために、徒歩で CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) へと向かっていた。ラーチャプラソング交差点(ラチャプラソン交差点)前に差し掛かったところで、クラスメイトのエーちゃん(仮名)に「タクシー運転手だってエーラーワン廟にワーイ(手を合わせる)をしているのに、どうしてやらないのか」と尋ねたところ、このような答えが返ってきた。

エーちゃんによると、エーラーワン廟(サーンターオマハーラームエーラーワン, エラワン廟)の起源は、インド・バラモン神の乗り物の名「エラワン」を掲げている高級ホテル Grand Hyatt Erawan Bangkok(グランドハイヤットエラワン) の建設中に火災や死亡事故などの災難が相次ぎ、当時、建設前に十分な祈祷を行わなかったために土地神が祟ったのが原因であるとウワサされたため、ヒンドゥー教とバラモン教の創造神「ブラフマー」を奉納したことにさかのぼる。現在では祈れば恋愛が成就すると信じられている。

エーラーワン廟は、外国人向けツアー旅行のルートになっている CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) ちかくにある。東南アジア映画演劇論の講師によると、ここで奉納できるタイの伝統舞踊「ラーマギアン(ラーマキエン)」の技術はかなりお粗末という。

その後、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋でペーパー(小論文)を書いた。

2005年2月8日(火)

深夜、ペーパー(小論文)を書いていたところ、衝撃を与えるとすぐにバグを起こしてしまうノートパソコンの障害が猛烈に気になって自分で分解を始めた。ところが、キーボードまで使えなくなり、いよいよ手に負えなくなってしまった。

学期末まであと1ヶ月。ノートパソコンを日本に送る時間も、修理が終わって戻ってくるのを待っている時間もない。

2005年2月9日(水)

「これはマイナーなブランドのノートパソコンによく見られる症状だ。日本や台湾から純正チップを取り寄せて交換するだけだから、すぐに完全な状態に戻るだろう」

パンティッププラザでノートパソコンの修理を依頼する前に、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り, ペブリ通り)にあるソニー現地法人のサービスセンターで正規の修理費用を聞いてみるつもりだった。

ところが、今日は人口の14%を占める中国系タイ人たちの新年「旧正月」。華人系企業が休みになるという話は聞いていたが、まさが日本資本の企業までが休みになるとは意外だった。昨晩、電話で話した中国系タイ人のネーンちゃん(仮名)によると、ネーンちゃんが働いているフランス資本の商社も休みになり、みんな故郷に帰って家族と旧正月を祝うという。

友人の勧めでパンティッププラザ4階にあるノートパソコンを専門に扱っている修理屋に行った。このフロアには、パソコン関連機器の修理を請け負う仲介店が軒を連ねているが、複雑な作業は外注してほかの場所でやっているという。故障原因の評価は店によってまちまちで、好立地にあり繁盛してそうな店は見当違いな方法で故障原因を推定して見積を出してきた。

結局、僕たちは外注技術者を呼んできて修理の見通しを丁寧な説明をしてくれた店に修理を依頼した。修理完了予定は3日後、想定される修理費は7,500バーツ。

修理屋にノートパソコンを預けてしまったため、今日から珈琲屋でくつろぎながらペーパー(小論文)を書くことができなくなった。しばらくはリビングにある非常用デスクトップパソコンに向かって、腱鞘炎になるほど硬いキーボードを叩かなければならない。

2005年2月10日(木)

タイでは専門書の無断複製が横行している。特に英字論文の複製本は教育現場でも重宝されている。

サヤームスクウェア(サイアムスクエア)ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)ブックセンター地下にある書籍複製屋は、高い複製技術で定評がある。従業員数およそ10名、A4サイズのコピー1枚50サタング(サタン)。追加料金を支払えば、日本国内の通勤電車のなかで読んでいても違和感がないくらいキレイに製本してくれる。

今日は講義を欠席して図書館で本を借り、書籍複製屋に製本を依頼した。250ページ程度の論文3冊で560バーツ。明日の午後には完成する。すぐに部屋に戻って参考文献を黙々と読み続けた。

2005年2月11日(金)

朝から自室に籠もって一日中ペーパー(小論文)を書いていた。先学期末には毎日が平凡にならないようにいろいろな努力や工夫をしていたが、このままだと今学期末はペーパー(小論文)書き一色の日々になりそうだ。それでも、たとえペーパー(小論文)作業に忙殺されていようとも、やはり彩りのある日々を送りたい。そこで午後11時にはパソコンの電源を切って友人に電話をかけた。

午後11時半、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り, ペブリ通り)にあるホテル「アマリアトリウム」のパブ Mingles(ミングルス) で友人とハッピーアワーの半額カクテルを楽しんだ。アメリカのテレビドラマに出てくるようなオシャレなカクテルラウンジで、僕たちは奇妙なかたちをしたカクテルグラスを片手に日々の生活について語り合った。こんな幸せな日々が永遠に続くはずもないと思い、のこりの一日一日を大切に過ごさなければならないと気を引き締めた。

2005年2月12日(土)

午前10時起床。すぐにペーパー(小論文)作業に取りかかり、スクンウィット(スクンビット)31にある日本料理屋「雑談室」に昼食の出前を注文し、夕食に日本製即席麺を食べ、翌13日午前9時までペーパー(小論文)を書き続けた。今日に「彩り」なんてものは何ひとつなかった。

2005年2月13日(日)

昼すぎ、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」199号室の自室で、僕はダイニングテーブルの上にある予備パソコンに向かってペーパー(小論文)を書いていた。ペーパー(小論文)4本の提出日が今月末に迫っている。そんななか突然、後ろから妙な音が聞こえてきた。

バァン! プシュ――――――

何の音だろうか? このコンドミニアムにガスは供給されていない。となれば、水道管が破裂したか、エアコンの冷却ガスが漏れたかのどちらかしか考えられない。不安な気持ちを抑えながら、真後ろにある台所の方へ振り返ってみると、なんとシンクの下から大量の水が流れ出していた。

悪夢だ。ものすごい量の水が、とんでもない勢いで部屋全体へと広がっていく。

すぐにコードレスの内線電話に手を伸ばして、コンドミニアム管理室に水道管の破裂を通報し、水道の元栓を閉じるよう要請した。つぎに、携帯電話で部屋のオーナーに状況を説明して指示を仰いだ。

「原状回復に必要な費用はすべてこちらが負担する。来月の家賃から差し引いてくれて構わないから、やれることは何でもやってくれ」

約2分後、台所付近の水溜まりは深さ2センチに達し、リビングルームの端にまで迫っていた。大急ぎで部屋のブレーカーを落とし、猫に荒らされた毛糸のように複雑に絡み合っている配線を取り外してパソコンやプリンターを食卓の上に移した。

さらに3分後、コンドミニアムの警備主任と部下の警備員が共用部分にある水道栓を締め、管理部門の責任者が部屋の惨状をデジタルカメラに納めた。つづいて、清掃婦(メーバーン)7人組が排水ポンプを持って現れた。

こうして、水道管から溢れ出した水が寝室と共用部分に流出するのはギリギリのところで防がれた。僕は所在なく部屋の隅でタバコを吸いながら、約2時間にわたって清掃婦たちが手際よく後始末していく様子を眺めていた。1,000バーツの小遣いを手渡した。

ただせさえ絶望的な量のタームペーパー(学期末小論文)のせいで押しつぶされそうな気分になっているのに、愛用しているノートパソコンが壊れて作業の効率が低下し、代わりに使っている非常用パソコンが冷房の風がダイレクトに当たる位置にあるため風邪をひいて咳が止まらなくなり、そのうえ水道管が破裂して作業が中断されるなんて・・・・・・まったく本当にツイてない。

「もし外出中に水道管が破裂していたら部屋中プールになってたかもね?」

もし非常用パソコンまで壊れてしまったら、ペーパー(小論文)完成の見通しが絶望的になる。

2005年2月14日(月)

今日はバレンタインデー。恋を成就させるための絶好の機会とあって、街中どこも浮き足立っている。通学途中のタクシーでラジオ番組を聴いていたところ、パーソナリティーの女性が今日を「国家的処女喪失の日(ワンスィアトゥワヘングチャート)」と呼んで、僕や友人を仰天させた。

日本では女性が男性にチョコレートをプレゼントする日だが、伝統的に女性が男性に交際を要求するのが破廉恥であると考えられているタイでは、男性が女性にバラの花束をプレゼントする日として定着している。

昼休み、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部前にはバラの即売店が設置され、妙に古くさくて情欲的な音楽が4号館の安っぽい拡声器から流されていた。ベンチには女子学生たちが鈴なりになっており、男子学生が女子学生にバラを渡すたびに周囲の野次馬たちから悲鳴や歓声が沸き起こった。

タイ政府は性の若年化を憂慮している。マスコミは朝から「愛の日だからといってセックスの要求に応じる必要はありません」と盛んに呼びかけているが、それでも今日一日で何十万もの若者が初体験を済ませるという。

「せいぜい初体験の日を数ヶ月間先送りする程度の効果しかないでしょう。若者たちはダメっていわれてもヤルことはヤルんだから、バレンタインデーに初体験を済ませるのも青春時代の想い出づくりとしては悪くないわ」

午後の授業に出席してから、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」で友人と合流した。修理のために預けていたパソコンを引き取りに行ったが、不具合が直っていなかったため再修理を依頼した。スクンウィット(スクンビット)39にあるイタリア料理屋 L’opera(オペラ) で友人と夕食をとったが、味がひどく落ちていた。

帰宅後、午前2時までペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年2月15日(火)

朝からダイニングテーブルの非常用パソコンに向かって、教授に意見を求めるための資料づくりに追われていた。ペーパー(小論文)作業ばかりで日記に書くほどの事件も起きなければ、仮にあっても書くための時間を確保できない。

2005年2月16日(水)

「オレはパンティップ随一の修理工であると自負しているが、これを直すのはやめておこう。故障の原因は、おそらくこの何重にも重なっている超小型メインボードにあるんだろう。でも、修理の手間を考えると返却してしまった方が良いんだ」

当初、この修理工は絶対に直せると豪語していたが、結局最後には責任を放りだしてしまった。どうせ同じ工賃なら、簡単な修理を数多くこなした方が得なんだろう。彼らの話が口から出任せである可能性については最初から考慮に入れておくべきだ。まあ、キーボードだけはタダで直してもらえたのだし、これで良しとしよう。僕のノートパソコンは予定より4日遅れで故障したまま手元に戻ってきた。

午後の講義に出席してから、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」4階のノートパソコン修理屋へ友人と出かけた。

2005年2月17日(木)

朝、ペーパー(小論文)を書いてから教官を訪ねた。文学部4号館のコピー屋に教官から手渡された大量の英字論文の複製を依頼して、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で午前6時までペーパーを書き続けた。午前7時就寝。まさにタームペーパー(学期末小論文)地獄。

2005年2月18日(金)

午後の講義に出席してから、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央生協「サーラープラギアオ(サラプラキヤオ)」の本屋でタイ語で書かれた国民国家論やエスニシティー論の参考書をクラスメイトと探していたところ、大学入学統一試験(エントランス)の過去問題集を発見した。帰りに別の友人と社会科の過去問を解いてみたが、そこにある奇妙な設問の数々には驚いた。

今日は過去問について詳しく書こうと考えていたが、目下ペーパー(小論文)地獄の真っ只中とあって、そのための時間を確保できない。

昨晩の睡眠時間は2時間。午前9時からペーパー(小論文)の続きを書き、正午にタクシーで大学へと向かった。

2005年2月19日(土)

「学位授与式は午前8時半からの予定だったんだけど、午後12時半からに変更されたおかげで何時間も炎天下で待たされたわ」

そのせいで友人はすっかり疲れきっていた。少しでも油断したらすぐに寝てしまいそうだ。

国立大学の学位は、卒業後1年以内に高位王族によって手渡しで下賜される。以前は国王陛下が下賜されていたそうだが、現在では高齢を理由に直系の王子や王女が代行しているという。私立大学の学位は、卒業後1年以内に理事長によって授与される。

今日は今年国立大学に昇格したばかりのラーチャパット(ラチャパット)・スワンスナンター大学で学位授与式(卒業証書授与式, 卒業式)があった。ワチラロンゴーン皇太子(ワチラロンコン皇太子)殿下がおでましになり、昨年の5月または10月に卒業した卒業生に学位を下賜された。

オーラサーティラート(ワチラロンゴーン皇太子殿下)が学位を下賜するときって、演壇の台座の上に腕の先まで乗せて、手をわずかに動かして職員から卒業証書を受け取って卒業生に手渡すだけなのよね。でも、プラテープ(スィリントーン, シリトーン王女殿下)は演壇の台座の上に肘だけを乗せて、肘から先を大きく動かして手渡すのよ」

ワチラロンゴーン皇太子殿下(オーラサーティラート)が卒業証書を下賜するのに費やす時間はひとりあたり1.81秒。卒業生たちはその早業にあわせて遅滞なく行動するために、学位授与式直前になると毎日のように大学で予行練習をするという。

この友人によると、卒業生は学位授与式のために千数百バーツの現金を高位王族に納めなければならないという。高位王族から学位を賜るという栄誉を辞退するためには、大学当局に理由書を提出のうえ厳しい審査を経て承認を得なければならない。

ちなみに、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学位授与式にお出ましになるのはプーミポン国王(プミポン国王)の次女であるスィリントーン王女殿下(プラテープ, シリトーン王女殿下)

この日記では、学位授与式のあり方や、今回の学位授与式が遅れた理由について論じるのは避ける。

昼前、高架電車 BTS アソーク駅前のホテル Westin Grande Sukhumvit(ウエスティングランデスクンウィット) で催された某日系工場の完成記念式典に出席し、ロビー階でコーヒーを飲みながら夕方までペーパー(小論文)を書き続けた。夜、ペッブリータットマイ通り(ニューベッブリー通り, ペブリ通り)のホテル「アマリアトリウム」にあるカクテルバー Mingles(ミングルス) で友人と酒を飲んだ。

2005年2月20日(日)

2005年2月20日から25日までの日記は、データが現在修理中のノートパソコンに保存されているため、更新できない状況にあります。ノートパソコンが手元に戻り次第、この6日分の日記を更新します。

(2007年6月27日追記: ノートパソコンの修理は結局失敗し、データを永遠に取り出せなくなってしまいました)

2005年2月21日(月)

バンコク留学生日記 Society へようこそ。

このエントリーは、タイに関する全般的な話題を扱うための、電子掲示板に代わるものとして設けました。きわめて初歩的な話題から高度な話題まで、みなさまにはさまざまな質問や回答を投稿していただけます。ただし、ここは個々人にとっての正義を正当化させるための場ではありませんので、人生などの話題をあつかった「議論」はほかの掲示板でしていただけますようお願い申し上げます。

2005年2月26日(土)

自分の将来を左右するような計画を実行するにあたっては、事前に目的を明確にし、結果についても綿密に計算しておきたい。さもないと、目的達成までに気が遠くなるような時間的ロスを強いられ、最悪の場合、何も成し得ず目の前が真っ暗になるような思いをするかもしれない。

どうせ海外で生活するなら、経験を通じて身に付けたものを武器に、今後の人生を有利に展開していきたい。どうせ英語を学ぶなら、コストを無視してでも米英などの英語圏の国で「英語ならバリバリ話せます」くらいの実力は身に付けたいし、タイ語だってせめて小学校6年生相当タイ語能力試験(ポーホック)に合格できる程度の実力がないと話にもならない。もしネイティブにも通じないような短い文章(3語から5語程度の文章)がしゃべれるくらいで「○○語が使える」と主張できるなら、なんと僕は日本語・タイ語・英語・ラオス語・ミャンマー語・カンボジア語・台湾語・韓国語の「8ヶ国語も操れる」ことになってしまう(まともに使えるのは最初の3ヶ国語だけだし、ラオス語と中国語は読めても会話できない。残る3ヶ国語は挨拶程度しか知らない)。

日本料理店へ行くと、明らかに娼婦(売春婦)と分かるタイ人女性を連れて得意げになっているバンコク在住の日本人によく出くわす。彼らはきまって饒舌で、しかもキーワードとなる単語のことごとくが日本語に置き換えられているため、相手に言いたいことがまったく伝わっていない。端から見ていると「娼婦(売春婦)が日本語を十分に理解できないからオマエはタイ語を使って話しているのに、キーワードのすべてを日本語にしてど――する!?」とツッコミを入れたくなる。

世の中にはバンコク在住年数だけを根拠に(ひどい場合はタイ旅行回数だけを根拠に)「自分はバンコクに精通している」と主張するような奇特な日本人も少なくない。しかし、言語による情報収集能力ゼロの人が、どうやって物事を分析して結論を導き出すのか。多くの場合、彼らは視覚や嗅覚などの動物的な直感を基に、謎の分析を経て、現実から著しくかけ離れている自分にとって都合の良いモウソウを日々発明しており、それらはタイ関係の日本語ウェブサイトにも多数掲載されている。残念なことに、現状ではモウソウや思い込みを根拠に「タイ人は○○だ」というような偏見と迷言が大腕を振ってまかり通っている。

バックパッカーの旅行スタイルは、旅行ガイドブックに紹介されている記事の一部を記憶して、それを実践してみることで非日常を体験することに重きが置かれている。しかし、非日常世界の住民たちの主張が理解できなければ、ガイドブックレベルの知識すら身に付かないはずだ。

効果が限りなくゼロに近いことを、何年何十年と続けても、能力の向上などまず期待できない。日本でフツウに働きながら常識的な定収入を得て、帰宅後のベッドのなかで旅行ガイドブックや専門書を読み返した方がどれだけ有意義だろうか。

歳をとればとるほど、求職活動時に高度な専門性と高度な職務経験が要求される。それに気づいた日本人3人が今日、本帰国を決意した。明日にでもチケットを買いに行って、来週中にはバンコクを離れるという。

ここのところ、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋に籠もって友人たちと朝までペーパー(小論文)を書く日々が続いている。

2005年2月27日(日)

もともと同性愛者に強い嫌悪感を持っていたわけではないが、こうも嫌がらせが続くと負の感情が生まれ、次第に敵意へと変わっていく。

「自分好みの人が自分に興味を持ってくれたらどんなに良いことでしょう。誰だってそう考えているはずよ。で、もしそうだったら、せっかくの機会を生かさないと損じゃない? 今回は同性愛者がそう考えていただけで、別におかしくもないわ」

友人はそう言うが、僕の心中は穏やかではない。締切に追われて一日中ペーパー(小論文)を書いているだけでも苦痛なのに、目の前に初老の西洋人が1分以上も立ち止まって僕の目をじ――っと見ていたり、隣のテーブルにいる5人組のタイ人男性たちが僕たちのほうを何分間も凝視しながら、ものすごく気色の悪い声色で「キャー」とか「アーオ」などと叫び、猥談で盛り上がっている。

まるで目で同性から犯されているかのような現状に耐えられなくなり、ついにあらぬ方向に向かってラムカーン(鬱陶しい)と叫んでしまった。彼らの行為は非常識で許し難いが、明らかな不法行為でない以上、あからさまな抗議の声を上げるわけにもいかず、こうするほかに事態を改善するための方法が思いつかなかった。

同性愛者たちが僕たちを凝視するたびに自動車盗難防止装置の警報音のような音が鳴る仕掛けがあればいいのに・・・・・・と友人たちと話しながら気を紛らわせた。

女性は全身を舐めるように見られると不快になるというが、それがどんなに鬱陶しさ実感するかのような日々が続いている。

2005年2月28日(月)

「あのぉ、もしかして文学部で勉強していませんか?」

僕たちが日ごろから通いつめている珈琲屋 Coffee Society(コーヒーソサエティー)ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)から比較的近いところに立地している。そのため、試験前になると店内の席は大学生たちでほぼ埋め尽くされる。

ペーパー(小論文)を書きながら友人が来るのを待っていたところ、中国語科の学生が話しかけてきた。そのとなりにいる学生が政治学部で地域研究をしていると聞いて、先日クラスメイトと探したときに見つけられなかった地域研究入門書のタイ語版について尋ねてみたところ、学部では講師が用意した補助プリントで対応しているという。タイ語の専門書は意外にも少ない。

知的なハイソを標榜しているヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学生のあいだで、商業の中心地にある珈琲屋で優雅にコーヒーを飲みながら試験勉強をするというスタイルが流行っている。おかげで居座り続けている僕たちが目立たなくなって助かっている。