2005年1月3日(月)

午後11時過ぎ、バンコク・ドーンムアング空港(ドンムアン空港)に到着した。友人によると、今年のカウントダウンイベントは、 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) では通常通り午前5時まで行われたが、政府が運営する大規模なイベントについてはインド洋津波の被災者への配慮もあって中止されたという。もし僕がバンコクにいても、どうせ学期半ばのペーパー(小論文)地獄のせいで行けなかっただろうけど。

2005年1月4日(火)

タイに住んでいると、定説と実態とのあいだにある乖離に気づく。

スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋に籠もってトングチャイ(トンチャイ)ウィニッヂャグン(ウィニッチャクン)Siam Mapped(地図が作ったタイ) を読んでいたところ、ペーパー(小論文)の研究課題とは無関係だが非常に興味深い一節を見つけた。

トングチャイ(トンチャイ)は、国民国家論の古典であるベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体 - ナショナリズムの起源と流行」をタイ研究に応用することで、タイ人に関する定説と実態とのあいだにある乖離について説明している。

ピブーン・ソンクラーム内閣は、共産主義思想の拡大を防いで立憲君主制を維持するために、「タイ人らしさ(クワームペンコンタイ)」という概念を定めた(汎タイ民族主義政策)。この概念を人々に植え付けるにあたっては、国軍などの政府機関が運営しているマスコミが大きな役割を果たしたという。1970年代末に始まったラジオ番組「善悪とはなにか」では、仏教信仰を根拠に政治的権威の正統性を強調し、逆に政治的権威や仏教信仰に背反することを「タイ人らしくない」として徹底的に否定した(現在でも午前6時45分と午後6時の1日2回放送されており、タイ語が分かる日本人であれば「あれ!?」って思うような異様なラジオ放送を聞いたことがあるはず)。

ところが、「タイ人らしさ」という概念は、とても曖昧で漠然としていたという。伝記「王朝四代記(スィーペンディン)」の著者で元首相のモムラーチャウォング・クックリット(ククリット)プラーモート(プラモート)も、「タイ人のアイデンティティーが何か、自分でもよく分からない」と語っている。

したがって、いわゆる「タイ人らしさ」という概念は、政治宣伝を通じて人々のあいだに定着していったものであり、決してタイ人の行動様式を正確に説明しているわけではない。この概念については、タイ関連の日本語文献でも頻繁に紹介されているが、政治宣伝の内容を「定説」としてそのまま鵜呑みにしてしまうのはあまりにも安直すぎる。

実態≠定説=政治宣伝

これまでずっと、僕は「タイ人らしさ」という想像の産物に惑わされ続けてきた。「タイ/タイ人らしさ」について知ることは、タイにおける社会的なルールを知るときの参考にはなっても、実態を知るうえではまったく何の役にも立たない。

日没後、友人宅で行われた新年会に参加してから、午前5時まで珈琲屋で明日提出のペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年1月5日(水)

「ギックはファッションの主流よ。友達といるときにギックから電話がかかってくるのってイケてるし」

数年前に安易な男女関係を促す言葉として流行した「ギック」は現在、タイ社会全体の堕落を招く元凶になっているとして、主要な社会問題リストの上位にランキングされている。テレビでも「ギック」という概念を「タイ人らしくないもの」として否定する内容の番組を連日のように報じている。

タイでは、「自宅でいつもと変わりない生活をしていると、ある日、何かの用事でやってきたイケてるオトコと互いに『一目惚れ』して恋愛に発展する」ことが恋愛のあるべきかたちであると考えられてきた。それだけに、「一目惚れ」は恋愛における最大の美徳であると考えられており、タイ人の男女が知り合ってから交際を始めるまでの期間も極端に短い。タイに住んでいる日本人であれば、知り合ったその日に交際するように迫られて、度肝を抜かしたことが一度くらいはあるはずだ。そのため、タイの結婚式では新郎新婦の出会いが事実と異なるかたちで公表されることもある。トレンディードラマでも、「ある日、突発的な事件が起きて急に親しくなる」というパターンが多く、タイ人女性の受動的恋愛観を形成する大元になっている。

ところが、これまで受動的な恋愛を志向していたタイの女性たちは、インターネットの普及にともなって、自分好みの彼氏を積極的に物色するようになった。この友人によると、「ギック」という言葉は、「互いに探り合っている段階の相手(ドゥードゥーガン)」から「性的関係をともなう浮気・不倫相手(チュー)」までの広範囲にわたる男女関係を意味しているという。この可愛らしい新語の登場によって、それまで否定されていた不純異性行為が正当化され、若者たちのあいだで乱れた男女関係がトレンドになった。

スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋で、そんな話をしながらペーパー(小論文)を書いていたところ、友人が「ギック探しサイト」を開いて大量にギックを収集して見せてくれた。このサイトを活用すれば、「釣り堀の魚を底引き網漁法で収奪するかのような効率」で大量のギックがゲットできる。ただし、一定水準以上の容姿、年齢、社会的地位、経済力、学歴が必要で、日常会話レベルのタイ語をブラインドタッチ入力できる能力がないと難しい(とかく無茶をしがちなバンコク在住の一部の日本人が知ってしまったら何をしでかすか本当に分かったもんじゃないから、この日記では「ギック探しサイト」の利用方法についての解説は避ける。また、バンコク在住の一部の日本人のあいだでは何人の娼婦(売春婦)をタダ(または有料)でゲットできたか競われているが、これを知ればどんな馬鹿でも自分たちがしている競争の次元の低さに気づくはずだ)。

このサイトを利用することのリスクについて、友人はこう話している。

「ギックがたくさんいるのって楽しそうだけどさ、もしギック全員に気に入られてしまったらどうするつもりなんだ? とかく感情的に行動しがちなタイ人に『割り切った関係』を要求するのは間違っている。一週間もしないうちに複数のギックから交際するように迫られて、あれよあれよという間に何人もの女友達と綱渡り的な交際をせざるを得なくなると思うよ。それって本当に楽しいのかなあ? 最悪、女の子の家族や親族に政府の高官とかがいたら、自分の身が危険にさらされるし」

たしかに、持ち主不明の歯ブラシで洗面台が占領されたり、持ち主不明の洋服でタンスが占領されるのは避けたい。そんなヒッチャカメッチャカな人間関係を上手く管理していく自信もない。

ちなみに、今回の「ギック収集実践」に自らの携帯電話を提供してくれた献身的な友人は、今後数日間にわたって記憶にもないような無数の女子大学生からの電話に頭を抱えることになるだろう。

午後の講義に出席してから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人の奇行を見ながらペーパー(小論文)を書いた。

2005年1月6日(木)

昼過ぎからスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でレポートを書き、高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)前にある日本料理屋「本庄」で友人と夕食をとった。特に何があったということもない、ごくありふれた一日。

2005年1月7日(金)

午後の講義に出席し、午前1時までスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書いた。

2005年1月8日(土)

夕方、トンカツ屋「べっく」で友人と夕食をとり、午前5時までスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年1月9日(日)

数ヶ月前までは好奇の対象ですらあったカラオケスナックだが、何度も友人に連れて行ってもらっているうちにまったく興味が失せてしまった。店にもよるが、仕事として隣に座っているホステスの8割以上は子持ちだし、なぜ自分がそんな相手と酒を酌み交わさなくてはならないのかも理解できない。

昼過ぎからスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書き、日本料理店で友人と夕食をとってから、トーングロー通り(トンロー通り)にあるカラオケスナック「鳳凰」で飲んだ。

2005年1月10日(月)

「マンガに代表される日本発のサブカルチャーが世界的に拡散していくなかで、タイの文化はその悪影響をモロに被った。タイにおける社会問題の元凶は、すべて日本の腐りきった文化にある」

バンコク北部にある大型スーパー Big-C ウォングサワーング(ウォンサワン)店のビアガーデンで、国立大学の制服を着ている友人はビアスィング(シンハビール)の中ジョッキを豪快に飲みながら日本文化の低劣さを徹底的に糾弾した。

バンコクの書店では日本のマンガ本がタイ語訳されて売られており、電脳街「パンティッププラザ」や高架電車 BTS サーラーデーング(サラデーン)駅前の露店では日本のアダルトビデオが売られている。このため、日本文化は暴力と変態行為の代名詞として、一部のタイ人に認識されている。さらに、日本茶のテレビ CM などを通じて「ハラキリ」などの伝統文化が誇張されたかたちで伝えられたことで、一部のタイ人は日本人は冷酷であるという認識を持っている。

内心、タイの若者文化は日本以上に退廃しているし、ソープランドの数もタイのほうが全然多い・・・・・・と反論しようかとも思ったが、友人の祖国を面と向かって否定したところで百害あって一利なし。

2005年1月11日(火)

早朝、友人をインタマラ通りにあるインターン先のコンピュータ会社まで送り届けた。別の友人の会社で翻訳の手伝いをしてから、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でさらに別の友人とペーパー(小論文)を書いた。

2005年1月12日(水)

「だって、ちゃんと毎日、日焼け止めクリーム塗ってるもん」

白い肌は美しさの必要条件。これだけで容姿端麗な色黒の女性を圧倒できるため、タイ人女性は美白に異常なほどの執着をみせる。逆に色黒であることは、タイではデブと同じくらい醜いと考えられている。

灼熱の太陽の下で3年間も生活してきたせいで、真っ白だった僕の肌も時間の経過とともに徐々に黒ずんでいった。しかし、生まれてからずっと同じ環境で生活しているはずの一部のタイ人は、どうやって白い肌を保っていのだろうか。

夜、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋で、友人に美白を保つための秘訣を聞いた。友人によると、バンコクの女性たちは日焼け止めクリームの上に化粧をしており、日焼けが始まるまでの時間を40倍に延ばすクリーム(SPF40)を腕に、50倍に延ばすクリーム(SPF50)を顔に塗っているという。ちなみに、この日焼け止めクリームは化粧品より費用がかさむ。

今日はスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書いてから、チャチュンサオ県まで友人とドライブした。

2005年1月13日(木)

これまでバンコク都民が家族連れで遊びに行ける遊園地は、ラングスィット(ランシット)にある Dream World(ドリームワールド) ただ1ヶ所だけだった。ところが、時代遅れのアトラクションばかりで面白味に欠けるし、整備が行き届いていないため老朽化も著しい。レジャー施設に求められている「非日常」もほとんど演出されておらず、人々は遊園地に対する興味を徐々に失いつつあった。

ところが昨年11月24日、ノンタブリー県ムアングトーングターニー(ムアントンタニ)に巨大な遊園地が現れた。企画会社「マッチングエンターテインメント」と観光スポーツ省が共同して、イギリスのテーマパーク運営会社「ユーケーファンフェアー」の施設を2月14日までの期限付きで招致したもの。40ライの土地に約150の施設があり、トップブス、ジーフォース・バットマン・イジェクションシートなどの絶叫マシーンが人気を集めている。

夜、特設遊園地「ワールドカーニバルバンコク」へ友人と遊びに行った。中央にある支点を中心に40メートル離れたところにある4人乗りの座席が回転するアトラクション「ジーフォース」に乗ったところ、血液が顔面に登ってくるのを体感できた。遊技時間は約2分間、料金は200バーツ。最大で5Gの重力が加わるという。

今日は友人の会社社長の依頼で LAN システムを点検し、グルングテープ(クルンテープ)・ノンタブリー通りにある友人宅に寄ってから、特設遊園地「ワールドカーニバルバンコク」に行った。

2005年1月14日(金)

「この寒さ、いったいバンコクはどうしちゃったのかしら? 身体の芯までヒンヤリしてきたわ」

T シャツ1枚で少しでも肌寒く感じると、タイ人女性はすぐに「寒い」と騒ぎ立てては上着を羽織り、マフラーを巻くなど極端な行動に出る。そんな過剰反応に、僕は留学初期からウンザリしていたが、さすがに今晩の寒さは尋常ではなかった。冬の一時帰国に備えてタンスの奥深くで眠っている厚手のジャケットを取り出して羽織らないと、本当に風邪を引いてしまいそうだ。

夜、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアム「スクンウィット(スクンビット)スイート」199号室の自室で、友人とタバコをふかしながらウイスキーを5時間も飲み続けていた。リビングの空気がタバコの煙で真っ白になり、換気をしようとベランダの扉を開けると、5分もしないうちに部屋全体が冷気に包まれた。あまりの寒さに、すっかり出来上がっていた僕は、冷房のリモコンに「暖房」の文字を探した(もちろんタイのエアコンに暖房機能なんかない)。

友人によると、この寒さは夕方に降った季節外れの雨のせいだという。タイ北部のチアングマイ(チェンマイ)ならこの程度の寒さも日常茶飯事かもしれないが、バンコクで外気を肌寒く感じることがあるとは本当に意外だった。

今日は、友人の会社に遊びに行ってから、 CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) 前のビアガーデンで大量のハイネケンビールを飲みながら友人の生い立ちについて聞いた。その後、自室に戻ってウイスキーを飲み続けた。

2005年1月15日(土)

特に何もない一日。

2005年1月16日(日)

パーングスー(バンスー)からスィーロム(シーロム)までの運賃がたったの15バーツ。気が違ったかのような安さよ!」

タイ初の地下鉄チャルームラッチャモンコン線(チャルームラチャモンコン線)は、開業当初「全路線10バーツ」という破格の安さで話題を呼んだが、その後、郊外の住宅街から都心のオフィス街までの運賃を高卒労働者時給の約1.5倍(大卒労働者時給の約30%)にも相当する31バーツに値上げしたことで乗客数が激減した。これを受けて、タイ大量輸送公社から地下鉄運行業務を請け負っているバンコク電鉄公開株式会社は、行き当たりばったりで一貫性にも欠けるが、さまざまな解決策を随時実施している。

昼過ぎ、地下鉄スクンウィット駅で友人と待ち合わせていたが、出先から直接向かったため、クルマを地下鉄スクンウィット(スクンビット)駅附属の駐車場に駐めた。駐車場の発券係によると、駐車料金は1時間30バーツで、到着駅構内にある「駐車料金割引サービス」システムに駐車券をかざせば最初3時間の駐車料金が1時間5バーツ(およそ8割引)になるという。

また、これまで12-31バーツだった運賃も、15バーツ均一に値下げされた(1月8日から3月31日まで, 最初の3区間のみ10バーツ)。パーングスー(バンスー) - スィーロム(シーロム)間を冷房バスで移動するのに比べ、費用を約4割節約でき、所要時間も約8割短縮できる。北の終着駅「バーングスー」から若者ファッションの発信基地「サヤーム」まで出てくることが多いこの友人は、今回の値下げをとても喜んでいる。

夜、大型スーパー Tesco Lotus(テスコロータス)パッタヤー(パタヤ)店へ友人と買い物に出かけた。出発時刻午後8時50分、到着時刻10時45分。照明が少なく薄暗い高速道路を時速150 km で飛ばしたら、2時間弱で到着した。・・・・・・が、 Tesco Lotus(テスコロータス) は午後11時に閉店していた。

2005年1月17日(月)

「今度は地下鉄事故だって。ここのところタイはトラブル続きね」

夕方、帰宅ラッシュの渋滞を避けるために、バンコク北部からバンコク環状線(ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)ウォングサワーング通り(ウォンサワン通り)プラヂャーオタークスィン通り(プラチャオタクシン通り)スックサワット通り(スクサワット通り))を経由して、プララームサーム通り(ラマ3世通り)へと向かっていた。そこで、友人が道を尋ねようと先輩に電話したところ、とんでもないニュースが飛び込んできた。

タイポップスの MP3 を止めて、交通情報や市民からの通報を流している FM ラジオ局「ヂョーソーローイ(100)」に切り替えた。

報道によると、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)にある地下鉄タイ文化センター(スーンワッタナタムヘングプラテートタイ)駅で午前9時20分頃、駅ちかくの車輌基地から本線に出てきた回送列車が、駅停車中のバーングスー(バンスー)フワラムポーング(ファランポーン)行き列車(3両編成)に衝突した。本線から車輌基地へと伸びる引き込み線は緩やかな登り勾配になっており、一部に不通電区間があるため、規則では十分な加速をつけてから進入するように定められていたが、この回送列車は動力故障により減速して走行していたため、勾配を上りきる前に逆走行を始めて駅ホームに進入してしまったという。駅停車中の列車にいた乗客約700名のうち約250名が重軽傷を負い付近の病院へと搬送された。この衝突で接触部分が70センチほど陥没し、運転台をはじめ各車両の内装の一部が脱落した。

スリヤ運輸相はバンコク電鉄会議室で行われた記者会見で午後2時半、今回の地下鉄事故について、「運行司令センターの担当職員が誤って手動ブレーキの使用許可を出してしてしまったことに原因がある」との見方を示した。チャルームラッチャモンコン線(チャルームラチャモンコン線)線の車両は、手動ブレーキを動作させると自動運転システムが解除される仕様になっており、衝突時に自動非常ブレーキが正常に機能しなかったという。タックスィン(タクシン)首相は視察先のプーゲット県(プーゲット県)で記者会見し、地下鉄の即時運休を発表。午後3時半には事故現場に到着し、安全を確保するため無期限の運休を決定した。運行システム上の欠陥であればすぐに改善し、人為的なミスであれば関係する従業員に対して再講習を施すという。

なお、今回の事件に関わった運行管制センターの職員をはじめ、各車両の運転手たちは業務上過失傷害の疑いで刑事訴追される可能性がある。今回の事故にともなう損害保険金は保険会社「ニパヤ損害保険」によって全額支払われる。

ビーチリゾート「パッタヤー(パタヤ)」からの帰路、エアコンが故障して汗だくになってしまった。バンコク北部のグルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場を友人に紹介してもらい、ブレーカー(50バーツ)を交換した。向かいにあるガソリンスタンドの普通洗車が50バーツ(都心部は120-220バーツ)だったため、一番高い「クルマをジャッキで上げてエンジンルームと車台の裏側も洗車」を依頼した。150バーツだった。

今回の地下鉄事故にともなう運休は、地下鉄バーングスー(バンスー)駅ちかくに住んでいる友人の家計を直撃した。友人によると、サヤーム(サイアム)へ行くために、わざわざタクシーでモーチット駅まで出てから、高架電車 BTS に乗り継がなければならないという。

2005年1月18日(火)

朝、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場でエアコンのフィルターと駆動モーターを交換した。整備工によると、もう寿命だったという。

自動車整備工場は郊外の大通り沿いに多く、トゥックテオ(商用長屋)の1階部分を改造して営業している。店先には อะไหร่(アライ, 自動車補修部品)แอร์(エー, エアコン) と書かれた看板が掲げられている。隣の店は ท่อไอเสีย(トーアイスィア, マフラー) という看板を掲げており、マフラーの補修・換装を請け負っている。

今日は、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場にクルマを預け、 部屋で友人とVCD レンタル屋 TSUTAYA (インド系タイ人資本のショップで、日本語ビデオがあるわけではない)から借りてきたハリウッドビデオ(1泊2日30バーツ)を見て時間をつぶし、日没後にクルマを取りに行った。

カーエアコン用フィルターの洗浄、駆動モーターの交換、空冷バルブの交換で8,700バーツだった(工賃込み)。

2005年1月19日(水)

ポーローボー(自賠責保険)だけって絶対にヤバいって。任意保険に入ってないと、事故を起こしたときに相手との示談から車両輸送の手配まで、ぜんぶ自分でやんなきゃいけなくなるわよ。先月、わたしの友達が事故ったんだけど、示談の相手は約束の場所に現金を受けに来ないし住所も分からない。本当に参ったわ。ほら、周りの風景をよく見てごらんなさい。こんなところで事故が起きたらどうするのよ? 悪いこと言わないから、今すぐ任意保険に入っておきなさい」

国道33号線は、ナコーンナーヨック県(ナコンナーヨック県)からサゲーオ県(サケオ県)へと伸びる片側一車線の見通しの良い田舎道。焼き畑の海が見渡すかぎり広がっており、2階建ての掘っ立て小屋が遠くにまるで米粒のように見える。最後に通過したガソリンスタンドは何十キロ手前だったろうか。

ここのところ頻発している例外的な用事と慢性的な時間不足にストレスをため込んでいたため、休講日を利用してタイ・カンボジア国境にあるカジノ街ポーイペート(ポイペト)へ友人と出かけた。

この友人は、出発直後から僕が任意保険に加入していないことをひどく気にかけていた。いつしか、インターネットをしていそうな友人に電話をかけては、保険代理店の電話番号を検索させ、自分で保険料や保証内容についての情報を収集するようになった。さらに自賠責保険が今日で満了してしまうことが判明し、いよいよ保険代理店に行かざるを得なくなった。

畑しかない田舎道を走りながら、自動車保険代理店が掲げている พ.ร.บ.(ポーローボー, 自賠責保険) という看板を探し続けていたところ、ようやくプラーヂンブリー(プラチンプリー)サゲーオ(サケオ)県境付近で自動車保険最大手「ウィリヤ損害保険(ウィリヤプラガンパイ)」の代理店を見つけた。

友人によると、自動車保険最王手「ウィリヤ損害保険」の保険料は他社より約15%高いが、事故時のケアや迅速な支払いには定評があり、提携している自動車修理工場の数もダントツに多いという。

さっそくクルマを路肩に停めて、保険代理店で自賠責保険「ポーローボー」と任意保険「第1種自動車保険」の加入手続きをした。

ポーローボー(自賠責保険)は、「自動車被害者保護法(2535年)」で加入が義務付けられており、無加入者には10,000バーツ未満の罰金、加入証書を正しく設置していない者には1,000バーツ未満の罰金が科せられる。掛け金は年700バーツ(税抜き)で、補償内容は被害者1人につき最高50,000バーツ(1件につき最高5,000,000バーツ)。

タイの任意保険は、第1種自動車保険と第3種自動車保険とに大別される(ウィリヤ損害保険では第2種自動車保険を扱っていない)。

第1種自動車保険(プラガンパイロットヨンプラペートヌング) の補償範囲は、①加入車両内外にいる被害者の生命・身体・衛生、②加入車両外にいる被害者の財産、③加入車両の損害、④加入車両の盗難および火災(自動車評価額48万バーツに対して8割が支払われる)。どのプランも内容にたいした違いはないが、僕が加入した「プラン110」は、加入車両外にいる被害者1人につき最高100,000バーツ(1件につき最高10,000,000バーツ)、対物1件につき最高200,000バーツ(*1)、加入車両内の被害者1件(6人)につき最高50,000バーツ、保釈金費用1件につき最高200,000バーツ。掛け金は年23,000バーツ。

*1 対人よりも対物の補償額の方が高めに設定されていることに注目してもらいたい。タイでは相手が任意保険に加入していても、たった10万バーツしか支払われない。犬死にを避けるためにも、タイで歩道を歩くときには細心の注意を払いたい。また、医療費の方が死亡慰謝料よりも高く付くため、運転手が第三者を負傷させたときに、さらに車両を前後させて殺してしまうケースもある。

第3種自動車保険(プラガンパイロットヨンプラペートサーム)は、第1種自動車保険の補償範囲限定版で、上記の①と②(人的損害)は補償されるが、③と④(物的損害)は補償されない。保険代理店によると、掛け金は年3,000バーツ(プロモーション期間中)。

バンコク都内の保険代理店に尋ねたところ、初回登録後10年間以上経過しているクルマ(僕のクルマ)は第1種自動車保険に入れないという。今朝もタイ商業銀行(サヤームコマーシャル銀行)の女性行員に「私どもでは初回登録後7年以上が経過している自家用車の第1種自動車保険を承っておりません。第3種自動車保険でしたらお受けできますがいかがでしょうか?」と言われた。

第1種自動車保険のように自車両を修理できる契約の場合、本来であれば契約前に加入者の車両に傷があるか確認するべきだが、保険代理店の女性店主は何もチェックせずに「検査済み」欄にサインしてしまった。

「『田舎だから何事もいい加減』ってことかしら? バンコクだったら、こんなこと絶対にあり得ないわ。でもせっかくだから、来週、わたしの親戚が営んでいる自動車整備工場で後部バンパーにある大きな傷を直しましょう。鐚一文失わずに、新車の輝きを取り戻せるわよ」

午後1時すぎにバンコクを発ち、途中サゲーオ県(サケオ県)で自動車保険に加入して、午後6時半にアランヤプラテート国境に到着。国境にあるローングルア市場(ロンクルア市場)の駐車場にクルマを預け(1日150バーツ)、徒歩でカンボジアに入国した。カバンのなかを何度も物乞いに漁られそうになったが、カンボジア側のポーイペート(ポイペト)で入国審査を受けてから大急ぎでホテルに駆け込んだ。

アランヤプラテート国境から出国する場合、外国人には一度カンボジアに入国することが義務づけられているが(違反すると罰金)、タイ人はカンボジアに入国することなく帰国できる(カンボジア入国査証発給手数料1,000バーツを節約できる)という。

ポーイペート(ポイペト)のカジノでは、換金不能チップ(*2)を買うことで宿泊費がタダになるプロモーションを行っている。カジノホテル Holiday Poipet(ホリデーポーイーペート) の宿泊料金は800バーツ。ところが、400バーツの換金不能チップがついてきて、それをブラックジャック台で全部使ったら100バーツ増えた。

*2 ホテルによって異なるが、だいたい15,000~35,000バーツの換金不能チップを買うと宿泊料金がタダになる。換金不能チップは、ゲーム中に換金可能チップに代えながらプレーしていけば、最終的に勝ち負けに応じて手持ちのチップを換金できるようになる。

この国境のタイ側の入国管理局には、「(タイ国の)公務員は法律により、出国前に所属官庁に届け出ることが義務づけられています」という告知のほかに、「もしタイ人がカジノ目的でカンボジアに入国して生命または財産の危機にさらされても、タイ当局としては保護できない可能性があります」というタイ語の警告文が貼られている。

数日前、ポーイペートのカジノでタイ人9人が電子機器を不正に操作して9,000万バーツだまし取り、そのうちの数名がカンボジア当局に逮捕・拘束されたという。

2005年1月20日(木)

午後8時、ポーイペート(ポイペト)から戻り、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)12にある格安飲茶屋「好運点心」 โชคดีติ่มซำ(チョークディーティムサム) で友人と夕食をとった。店の駐車場はヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)10にあるが、店前の街路も十分に広いため路上駐車してしまっても構わない。周囲にはヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学生寮街が立ち並んでいる。

この店の飲茶は1品15バーツ均一(一部商品を除く)。格安ながらも本格的な飲茶を多数用意していることから、店内はすぐに満席になる。24時間営業しており、味もなかなか悪くない。

2005年1月21日(金)

午後の講義に出席してから、午前3時半までスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年1月22日(土)

昼過ぎから夕方までスィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人とペーパー(小論文)を書き、タニヤ通りにある居酒屋「おばんざいや」で別の友人と夕食をとってからカラオケスナックに行った。不細工なホステスにウンザリしたのはいつものことだが、帰り際になって「電話してほしい」と執拗に頼まれ、いよいよキレそうになった。

タニヤ界隈のカラオケスナックは、商談が煮詰まったときに歌って仕切り直しが図れるという点で優れているが、目玉商品であるはずのホステスは・・・・・・まったく端にも棒にもかからない。

2005年1月23日(日)

昼すぎ、グルングテープ・ノンタブリー通り(クルンテープ・ノンタブリー通り)にある自動車整備工場へ友人と向かった。

カーエアコンを修理してからまだ5日しか経ってないが、1時間以上使い続けると冷たい風が出てこなくなってしまう。保障期間内だから無料で修理してもらえるという話だったが、僕たちが到着した午後3時にはすでにシャッターが下りていた。

その後、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)学生寮「プワングチョンプー寮(プアンチョンプー寮)」前にクルマをとめて、タクシーでスィーロム通り(シーロム通り)へと向かった。いつもの珈琲屋で僕はペーパー(小論文)を書き、友人はプログラミング言語 JSP の参考書を読んでいた。

夕方、タニヤ通りにある日本人向けカラオケスナックに詳しい別の友人に、カラオケスナックに飽きてしまったという悩み(?)を打ち明けたところ、とっておきの店を紹介してもらった。個室に鍵がかかって「やりたい放題」できるなど過激を極めていたが、それでも僕のホステスへの好奇心は復活しなかった。

ラッチャダーピセーク(ラチャダー)8に午前8時まで営業している屋外飲食店街があるという話をカラオケスナック「アルカディア」のホステスから聞いて、さっそくみんなでその一帯を見物してまわり、大通りを挟んで反対側にある大型 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Pump Up!(パムアップ) へハシゴした。ペーパー(小論文)作業に余裕があれば、週末の Pump Up!(パムアップ) で盛り上がってみたい。

友人によると、夜の遊び場の流行は、これまで RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) からトーングロー通り(トンロー通り)エーガマイ通り(エカマイ通り)へと移ってきたが、いまではラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)が一番栄えているという。

2005年1月24日(月)

著作権保護に対する外国からの圧力が高まるたびに、タイ政府は海賊版撲滅のデモンストレーションを繰り返し行ってきた。昨年もタイ警察本部と商務省が協力して行った取り締まりにより、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」にある違法な商店は一時的に全滅した。しかし、いつの間にか息を吹き返し、いまでは以前にも増して賑わっている。海賊版 CD を多く扱っている2階フロアには、海賊版コンピュータソフトウェア(100-150バーツ)をはじめ海賊版音楽 MP3 や海賊版映画 DVD が豊富にあり、客引きの男たちが通路を塞いで営業活動をしている。

海賊版 CD を手に入れるためには、カラー印刷されたパッケージの束から自分が欲しい CD を見つけ出し、全額を前払いして手書きの引換券を受け取り、指定された時間(おおむね20分後)に取りに行けばよい。これらは駐車場に駐めてあるクルマに在庫しているか、そこで生産している。また、客引きの後について人通りの少ない一角へ行くと、椅子に座りながらゆっくり CD を選んで、在庫があればそのまま持って帰ることもできる。

今日は講義に出席してから、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」でパソコンの再インストールに必要なソフトウェアを友人と調達した。スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書くつもりだったが、やる気が起こらなかったためコーヒーを一杯飲んだだけで帰宅した。パンティップで買い物をすると、体力をものすごく消耗する。

2005年1月25日(火)

夜、スクンウィット(スクンビット)11にあるトンカツ屋「勝一」で出資話のヒアリングを行った。友人の会社社長はバンコク在住の日本人男性が立ち上げるビジネスに300万バーツを出資するというが、事業の将来性は事業計画書に目を通せば大体の見通しがつくし、現実味のない数字が並んでいる事業計画は必ず失敗する。この件について徹底的に追求したところ、バンコク在住の日本人出資募集男は逆上して「カネは夢や希望を提供するオトコの元に集まるんだ」と言い放った。もちろん配当金を出すつもりなど毛頭ないという。・・・・・・それじゃあ、出資者は何のために出資するのか!? これでは出資ではなく単なる「カンパ」だ。あまりにもバカげている。

バンコクには脱サラして背水の陣を敷いている貧しい日本人がたくさん住んでいる。そのため出資詐欺は一度にたくさんのカネを騙し取れる手段として多用されている。ところが、バンコク日本人社会におけるこういった実情を知らず、また情報不足ためタイにおける経営環境を正確に把握できない日本在住の日本人は、出資募集男が描くバラ色の話を鵜呑みにして次から次へと無謀な出資に踏み切ってしまう。

タイにも技術はあります。タイ人にも専門家はいます。すくなくとも、何をやっているのか分からないような一部のバンコク在住の日本人よりは能力があります。日本人だからって、誰が何をやっても成功するわけではありません。くれぐれもお気をつけて。

この出資募集男の口車に乗せられた3人の日本人が、今回1,200万バーツを棒に振った。

昼過ぎに日本から旅行に来ている高校時代の友人と昼食をとってから、別の友人の出資話を聞きに行った。

2545年12月21日付日記「バンコクの起業家」参照

2005年1月26日(水)

パソコンの不具合が許容できない水準に達したため、一日がかりで日本から遊びに来ている高校時代の友人とウインドウズを再インストールした。夕方すぎ、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)4にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Gig Club(ギッククラブ) へ別の友人と出かけた。

2005年1月27日(木)

スクンウィット(スクンビット)5にあるスーパーマーケット Food Land(フードランド) で友人と昼食をとり、友人がインターンシップをしているインターマラ通りにある IT 企業まで送り届けた。その後、ディンデーング(ディンデン)入口からチャルームマハーナコーン高速道路に乗ってバンコク第3陸運局へ行き、運転免許を更新し(2ヶ月遅れ)、自動車税を納付した(9ヶ月滞納)。

タイの運転免許証は1年間毎更新だが、最近、更新時に有効期限5年の運転免許証を選択できるようになった。有効期限5年の運転免許証を申請するためには、①パスポート、②パスポートのコピー(顔写真のページと「ノンイミグラント(非永住者)」資格で滞在していることが記載されている入国スタンプのページ, 陸運局内にもコピー屋がある)、③日本大使館領事部発行の在留証明書、④1インチの写真2枚(陸運局内にも写真屋がある)、⑤更新前の運転免許証(返却する)、⑥事務手数料505バーツが必要。

バンコク第3陸運局で申請する場合(居住地により所管する陸運局が異なる)、①1階入口正面のデスクで書類の確認を受けてから整理券を受け取る、②整理券番号を読み上げられたら7番カウンターに申請書類一式を提出する、③おおむね10分後に新しい免許証が交付される。タイの免許証はプラスチック製ではなく紙でできているため、運輸局内の写真屋でラミネート加工してもらうのがオススメ。タイでは有効期限が切れていても普通に更新できる。

自動車税は納付期限の3ヶ月前から納めることができる。僕の場合は、前回の納付期限から9ヶ月経過しており、次回の納付期限まであと3ヶ月だったため、1度に2年分の自動車税を納付できた。滞納利息は104.70バーツだった。生産後10年が経過しているクルマの自動車税を納めるためには、①自動車登録証(クームータビアン)、②自賠責保険加入証(陸運局内に保険会社の窓口がある)、③自動車状態検査証明書が必要。所要時間は約5分、自動車税は年1,047バーツだった。

ついでに国際交通許可証を申請した。手数料は55バーツ。明日には発給されるという。

陸運局で手続きをしていたところ、ラオス人の友人から電話があった。事前に何も聞かされてなかったが、僕が住んでいるコンドミニアム前まで来ているというので大急ぎで帰宅した。夜、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋 Bug and Bee(バグアンドビー) で午前4時まで友人たちとペーパー(小論文)を書き続けた。

2005年1月28日(金)

正午頃、スクンウィット(スクンビット)101にあるバンコク第3陸運局で、昨日申請した国際交通許可証の交付を受けた。タイの役所でこれほど簡単に例外的な書類が入手できるとは本当に意外だった。

国際交通許可証の申請に提出したものは、①自動車所有者証(日本の車検証に相当)、②パスポートのコピー(顔写真と入国スタンプのあるページ)、③パスポート(提示のみ)、④手数料55バーツ、⑤申請用紙(氏名年齢と申請目的を記入する)。交付されたのは、①国際交通許可証(パスポートサイズの冊子で、車両情報、所有者情報、有効期限、車両の出入国記録などが記載されている)、②車籍表示(白地に黒の文字で「 T 」と書かれている楕円形のステッカー2枚)。

ノーンカーイ国境(ノンカイ国境)(タイ側)の入国係官によると、国際交通許可証があればタイナンバーのクルマをラオスに持ち出せるという。また、ペットサイソンペーング国境(ペットサイソンペン国境)(ラオス側)の入国係官によると、手数料(数百バーツ)と自賠責保険加入料(数百バーツ)を支払えば外国ナンバーのクルマをラオスに持ち出せるという(留学生日記2004年6月1日付参照)。

夏休み(3-5月)を利用して、ウィアングヂャン県(ビエンチャン県)の山頂にあるカジノリゾートまでドライブに行こう!

その後、サムットプラーガーン県バーングプリー(サムットプラカン県バンプリー)バーングナー(バンナー)の東)にある日本人の友人の父親が営んでいる町工場を見学し、プラウェート区スィーナカリン通り(シーナカリン通り)にある電脳街「セーリーセンター」へ行った。

電脳街「セーリーセンター」における海賊版ソフトウェアの相場は120バーツ(パンティップは130バーツ)。裏面にカラー印刷が施されている工場でプレスされた CD (パンティップは無地手製の CDR )で、なんと専用の CD ケースに入って売られている。パンティッププラザに出回っている海賊版 CDR よりかなり本格的だ。

スィーロム(シーロム)6にある友人宅前でクルマを路駐して、午前4時までちかくの珈琲屋でウインドウズの再インストール作業。ラオス人の友人を連れて夜明けのバンコク都内を案内した。この友人は、タイが多数のラオス人奴隷を犠牲にして完成させたセーンセープ運河(センセープ運河)を見ては涙を流し、タイが旧ラオス王室(ラーンサーング王室)の宝物を奪って建立したプラスィーラッタナサートサダーラーム寺院(ワットプラゲーオ, ワットプラケオ)を見ては怒りを露わにしていた(註:すべてラオス人の友人の視点)。ラオスの首都ウィアングヂャン(ビエンチャン)にあるワットプラゲーオ寺(ワットプラケオ)には、「他国により当寺院の宝物のほとんどが奪われた」と書かれた碑が建てられている。

これで一応、半年ほど前にウィアングヂャン(ビエンチャン)で世話になった礼は済んだはず(留学生日記2004年6月1日付参照)。

2005年1月29日(土)

「ラオスの入境許可証で、バンコクまで来られたっけ? せいぜいコーンゲン(コンケン)