2004年12月1日(水)

昨晩、ネーンちゃん(仮名)と話していたところ、先月3日に運転免許証の期限が切れていることに気づき、昼過ぎになって、サスィちゃん(仮名)とスクンウィット(スクンビット)101にある運輸省バンコク第3運輸局へ出かけた。

運輸省バンコク第3運輸局の駐車場にクルマを停めて、フロントガラスに目をやると、自動車税納付章の期限が7ヶ月前の今年4月に切れているのに気づいて仰天した。・・・・・・よくもまあ、これで今日まで捕まらずにやってこられたものだ。

今日は運転免許証の更新のほかに、自動車税の納付もしなければならない。しかし、1年間有効の臨時自家用車(ロットヨンスワンブッコンチュワクラーオ)運転免許証なら写真2枚だけでも更新できるが、2回目以降の更新から選択できる5年間有効の自家用車運転免許証を申請するためには、写真のほかに日本大使館領事部が発行する在留証明が必要になるという。自動車登録証(タビアンロットヨン)も持ってきていなかったため、結局、運転免許証の更新も自動車税の納付もできなかった。

せっかく講義を休んでまで出かけたのに無駄足になってしまった。

その後、サヤーム(サイアム)ディスカバリーセンターで夕食をとり、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」に寄って帰宅した。

2004年12月2日(木)

バブル崩壊以降の1991年頃から2000年頃にかけて、日本国内で職にありつけなかった若者や職を失ってしまった中高年が急増したこと(平成不況, 失われた10年)を受けて、一部の日本人失業者たちのあいだにタイ移住ブームが巻き起こった。また、自動車産業の多国籍企業化が進み、数多くの日系企業がタイに進出したこともあり、現在では数万人の貧困日本人と平均的日本人がバンコク中心部の狭い地域に同居している。

それにともない、バンコク中心部では日本料理店が相次いで開店した。日本人向け無料情報誌(フリーペーパー)の広告を見ると、バンコク中心部にある日本料理店の多さには本当に驚かされる。

タイ人にとって日本料理がまだ目新しい存在だった1999年9月、日本料理ビュッフェ店 Oishi(オイシ) の第1号店が開店した。以降、タイ人のあいだに「日本料理のイメージ」を広く定着させ、常にタイにおける日本料理ブームの牽引役であり続けた。

Oishi(オイシ) の日本料理は、日本人にとって拷問以外の何物でもないが、都市部の中間層から絶大な支持を集め、いまでは日本料理の代名詞になっている。

タイ留学初期の頃から、僕はこの店にはいることを頑なに拒み続けてきた。しかし、そろそろ味が改善されたのではないかとの淡い期待を抱き、怖いもの見たさもあって、およそ3年ぶりに日本料理ビュッフェ店チェーン Oishi(オイシ) の第1号店であるトーングロー(トンロー)店に友人と入った。

料金は、ディナービュッフェ(午後5時から)が499バーツ、ランチビュッフェが399-445バーツ。最も安いのは、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)にあるパホンヨーティン店の299バーツ。

僕の淡い期待は見事に打ち砕かれた。激マズ日本料理を大量に食べて帰宅した。

2004年12月3日(金)

10月中旬に元カノのオーイ(仮名)と別れたあと、短期間のうちに友人の数を増やしすぎてしまったため、外出の回数や飲酒の頻度が劇的に増加し、勉強のための時間が極端に減少している。

午後の講義「東南アジア価値観論」に出席してから、スクンウィット(スクンビット)24にあるトンカツ屋「ベック」で夕食をとり、午前1時まで友人宅で「トマトジュースを混ぜたクロスタービール」(レッドアイ)を飲んでタクシーで帰宅しようとしたところ、別の友人からの電話があった。

「先輩から飲みに誘われてメンツを集めるように言われてるんだけど、トーングロー(トンロー)まで出てきてもらえないかしら? 」

僕はトーングロー通り(トンロー通り)にあるディスコ Bossy(ボッシー) へと向かった。この店は、ほかの店より1時間長い午前2時まで営業しているが、それだけに風俗店での仕事を終えてやってくる娼婦(売春婦)の数も異常に多い。何もかもがヘボく、数年前に RCA Royal City Avenue(ロイヤルシティーアヴェニュー) で流行した「ポンポコペンペン・ポンポコペンペン・ポンポコペンペン・ドゥドゥドゥドゥ・・・・・・」というような音楽を繰り返し流し続けていた。 Go Go Bar(ゴーゴーバー)娼婦(売春婦)の水着踊りバー)のような音楽と、音量を突然ミュートして始まる MJ には心底ウンザリしていたが、友人のメンツを潰すわけにもいかないから、ウイスキーグラス片手にぎこちなくリズムをとり続けた。

その後、トーングロー(トンロー)18のコンドミニアム1階に入っている超小規模なパブで、午前4時まで友人たちとウイスキーを飲み続けた。

今年2月から、革命団布告第252号(2515年11月16日施行)の運用が強化されている。そのため、パッポング・ラッチャダー・ナーナー-アソーク以外の地域では、午前1時以降に酒を出せなくなった。外国人観光客が少なく、規制の対象にもなっているトーングロー通り(トンロー通り)に朝まで酒を飲み続けられる店があるとは意外だった。

2004年12月4日(土)

夜、高架電車 BTS チットロム駅ちかくのトンソン通り(ソーイ・トンソン)にあるイタリア料理店 Parsano で、友人の会社社長に IT 企業の経営者を紹介してもらってから、日本人向けの歓楽街「タニヤ」にあるカラオケスナック Noa でタイ語曲を歌いまくり、スクンウィット(スクンビット)33にある居酒屋「雲雀」へとハシゴした。

2004年12月5日(日)

おととい激マズ日本料理店 Oishi(オイシ) でタイ人の友人と夕食を取った話を日記に掲載したところ、サヤーム(サイアム)ディスカバリーセンター2階にある日本料理店 Oishi Grand(オイシクランド) へ行こうと日本人の友人に誘われた。

Oishi Grand(オイシクランド) は、日本料理ビュッフェ店 Oishi(オイシ) の高級版で、値段もランチビュッフェ(午前11時から午後3時)が650バーツ、ディナービュッフェ(午後5時から)が850バーツとやや割高だ。料理のレベルも若干マシになっており、日本人の好みに合うかどうかは別にして、店内には高級感を演出するためのさまざまな工夫がなされている。一般店舗にはない韓国料理や西洋料理などもあり、ディナービュッフェではイクラも出てくるという(イクラはここバンコクでは非常に高価な食材で、格安日本料理店「富士」でも1竿160バーツで売られている)。

この店でイクラを食べても値段に見合うだけの満足感は得られないだろうが、もしまた行く機会があればイクラだけを食べ続けよう。

2004年12月6日(月)

今日(月曜日)は、国王誕生日の振替休日。タイの振替休日には官公庁が休みになるが、民間企業も休みになるとは限らない。国立大学では休校日になったが、私立大学では通常通り授業が行われたという。

タニヤにあるカレー屋「辛右衛門」で夕食をとり、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で友人に会った。

2004年12月7日(火)

タイにおける労働社会は、封建制度下に築かれたサックディナー制(位階田制)11月2日付留学生日記参照)の上に成り立っている。このサックディナー制(位階田制)による影響については、タイの労働論のみならず、タイに関することすべてを語るうえで絶対に避けては通れない。

今日は労働論の授業の一環として、マッガサン通り(マッカサン通り)にあるタイ労働者博物館に行った。1991年に設立された東南アジア地域唯一の労働者博物館で、封建制度下における奴隷売買、近代化と奴隷労働力、中国移民とアヘン問題、ヂュラーロンゴーン大王(ラーマ5世)による奴隷制廃止、カナラーサドーン(人民党)による立憲革命、戦後の労働争議や現代の「こどもの強制労働」などの貴重な資料が展示されている。入場料は無料。開館時間は午前10時から午後4時半まで。

夕方、12月5日の国王誕生日を祝う祭りが行われている、ウドムスック通りのスワンルワング(スアンルアン)公園へ友人と出かけた。OTOP(1村1品政策)産品の市が立ち、屋台射撃や輪投げなどの景品付きアトラクションもあった。普段はジョギングや水泳を楽しむ市民たちに人気があるという。入場料は有料。開館時間は午後7時まで。

2004年12月8日(水)

午後の講義に出席してから、友人の会社へ行って明日の地鎮祭についての打ち合わせに参加し、それに関連してタニヤにあるカラオケスナック Noa でウイスキーを飲んだ。

2004年12月9日(木)

午前5時、友人の会社社長から地鎮祭での通訳を依頼され、社用車で一路ナコーンラーチャスィーマー県(コーラート, コラート)内にある日系工場の建設予定地へと向かった。

地鎮祭とは、土地の精霊を鎮め、工事の安全と無事の竣工を祈念する儀礼のことで、タイではバラモン教(サートサナー・プラーム)の形式に則って行われる。ところが儀式の内容は誰ひとりとして知らず、僕自身も地鎮祭のタイ語訳 พิธีลงเสาเอก(ピティーロングサオエーク) (主柱を沈める儀式)から推測するしかなかった。

午後9時、白装束をまとったバラモン教の神官がやってきた。豚の丸焼きなどが並べられている祭壇の前で20分ほど読経してから、巨大な工作機械から吊り下がっている長さ10メートル直径30センチのコンクリート杭に色とりどりのリボンを結びつけた。銀製の容器のなかに水を移しながら、コンクリート杭が地中に埋まっていくのを見届けた。

ナコーンラーチャスィーマー(コーラート, コラート)中心部にある激マズ日本料理店 Fuji(富士) で昼食をとってからバンコクへと戻り、関係者たちとタニヤにあるカラオケスナック Noa で飲んだ。

2004年12月10日(金)

「これが浮気者の堕ちる地獄よ。浮気者は、死後に槍を持った鬼に追い回されて、トゲトゲのある木に登って逃れようとするんだけど、上からもカラスに突かれて痛い思いをする。仏教の『永遠身体的苦痛』ね」

この説明の真偽はともかく、地獄という概念は世界中のほぼすべての宗教にあるという。

今日はタイの憲法記念日。官公庁や国立大学をはじめ、一部の民間企業が休みになった。僕は友人の会社社長に誘われて、2泊3日の社員旅行に連れて行ってもらった。

午前9時、友人の会社社長宅前で集合し、クルマ2台に分乗してバンコク近郊のビーチリゾート「パッタヤー(パタヤ)」へと向かった。途中、チョンブリー県バーングセーン郡(バンセン郡)の漁港で昼食をとり、周辺にある寺院を参拝した。

ルワングポーネーンノーイ財団がバーングセーン海岸(バンセン海岸)から1キロほど離れたところに建立したセーンスック寺はとりわけ印象的だった。境内には地獄区画と天国区画が設けられており、人々に自省を促すための巨大像が並んでいる。「親によく嘘をつく子がカラスに突かれ犬にかみつかれるシーン」を見せれば、子供たちは「絶対にもう嘘はつかない」と決意するかもしれない。入場料は無料。施設維持のための寄付を募っている。

パッタヤー(パタヤ)海岸の海鮮料理店「ナーングヌワン」で夕食をとり、酒に酔って夜の街へ繰り出していった友人たちと合流するために右往左往していたところで法定閉店時間の午前1時になり、結局リゾート地ならではの娯楽を楽しむことなくホテルへと戻った。

2004年12月11日(土)

午前9時、パッタヤー中央海岸(パタヤ中央海岸)から改造漁船に乗り込み、およそ1時間の距離にあるラーン島へと向かった。

パッタヤー中央海岸(パタヤ中央海岸)からラーン島までの海は普段からとても穏やかなため、海風を浴びながら缶ビール片手に快適なクルージングが楽しめるという。ところが、今日は横からの強風をモロに受け、まるで遊園地のアトラクションのように揺れに揺れた。手すりにしがみついていないと大荒れの海に投げ出されそうになるし、四つん這いになっても移動すらままならなかった。

そんな船内で奇声をあげながらハイネケンビール片手に宴会を続けていたものだから、パッタヤー中央海岸(パタヤ中央海岸)に戻ってきたときにはみんなゲッソリとしていた。協力会社のタイ人社員などは、体力を消耗しきってしまい小舟に乗り移れなかった。僕自身もこれほどの船酔いに悩まされたのは生まれて初めてかも。

その後、従業員たちとオカマキャバレー Tiffany’s Show(ティファニーズショウ) を見物し、夜のパッタヤー(パタヤ)の街を徘徊してからホテルへと戻った。午前3時まで賭トランプゲームを楽しんだ。

部屋に戻って横になったところ、まだ船に乗っているかのような錯覚にとらわれた。たぶん改造漁船に乗っていたときに三半規管をやられてしまったんだろう。

2004年12月12日(日)

ここのところ深刻な睡眠不足に悩まされている。釣りに行く話も断り、正午まで睡眠をむさぼった。パッタヤー(パタヤ)からバンコクまでの帰途、タイで2番目に多くの日本人がたくさん住んでいるスィーラーチャー(シーラチャ, シラチャ)ちかくにあるスィーラーチャー(シーラチャ, シラチャ)虎動物園に立ち寄った。

関連会社のタイ人社員によると、今朝の海は昨日の5倍も荒れており、船頭以下多数の参加者が吐き続けたという。

2004年12月13日(月)

「大学で声をかけてくるオトコも結構いるのよ。でも、こんな仕事をしていると社会からは受け入れてもらえないし彼氏だって作れない。仕事中には電話に出ちゃいけない決まりになってるから、仕事のことを隠して誰かと付き合っても、どうせ浮気してるって疑われて面倒なことになるだけだし・・・・・・ってことで、次の彼氏は日本人に決定!! 日本人のオトコって、こういうのに結構疎いところがあるから、きっと気楽にお付き合いできるでしょうね」

――いやあ、僕も日本人だけど、「こういうの」が彼女ってゆうのはご免被りたい。

ここ数週間、友人の仕事の関係でカラオケスナックへ行く機会が急増している。もちろん費用は友人の会社持ちだが、せっかくだから意味のあるものにしたい。そう考えて、カラオケスナックへ行くときには、楽しむことよりも情報収集することを優先させている。

夜、タニヤ通りにあるスナック「屋根裏」へ、友人の会社で働いている日本人従業員と出かけた。ウワサによると、この店のホステスたちにも現役大学生や現役 OL が多いという。

フロア責任者の勧めで指名したファーストちゃん(仮名)は、スィーパトゥム大学(シーパトゥム大学)経営学部の2年生で21歳。タイ北部のパヤオ県出身で、両親はグワイッティアオ(クイッティアオ, タイ風ラーメン)屋を営んでいる。高校卒業後、グルングテープ大学(バンコク大学)へと進んだが、成績不良のためラングスィット大学(ランシット大学)に移り、そこでも授業について行けずに現在通っているスィーパトゥム大学(シーパトゥム大学)に流れ着いた。バンコク北部のアパートで友人と2人暮らしをしており、学費(年間約4万バーツ)と生活費のためにこの仕事をしているという。

この店での予算は1時間あたり1,200バーツとやや割高だが、娼婦のなかでは比較的教養が高いとされる現役大学生や現役 OL を数多くそろえ、すべてのホステスを「連れ出し不可」にすることで、日本人向けスナックとしては初めて日本人客にまともな(?)恋愛の機会を提供した。ところが、「連れ出せない=買春できない」と結論づけてしまうのは、あまりにも安直すぎる。そんなのは、閉店前の秘密の交渉次第でなんとでもなる。ホステスになると決めた時点で、誰もが世間体を捨ててでも金をゲットすることを選んでいる。

「ダメな子はダメな子ってすぐに分かるよね。話の内容の薄さもそうだけど、なにより使っているタイ語が明らかにベボいから。タイ語が分からない日本人には『知らぬが仏』ってことで構わないんだろうけど・・・・・・」

僕も友人と同意見だ。だからこそ、自分に選択権があるときには必ず「大学生がホステスをしているカラオケスナック」をリクエストしている。「脳みそ的個人差」があまりにも大きいタイでは、きちんとした話し相手を選ばないと本当に退屈する。

しかし、その相手が現役大学生であるかどうかに関わらず、前出のファーストちゃん(仮名)が自ら認めているように、社会的に受け入れられていない娼婦(売春婦)を自分の彼女として誰かに紹介するのはあまりにもダサすぎるし、どう頑張って娼婦(売春婦)であることを隠そうとしても、一言でもタイ語を話せばすぐにバレてしまう。

自分さえ納得できればそれで良しと考えるのか、それとも大多数に認められなくては意味がないと考えるのかは個人の自由だが、長年日本人向けのカラオケスナックに通い詰めてきた友人は、これとは異なる観点から娼婦(売春婦)と交際することの問題点を指摘している。

「タイ在住者にとって、ホステスと個人的に親しくなることは難しくない。彼女たちは『日本人のお嫁さん候補生』として存在しているしているんだから、こっちが黙っていても向こうから勝手に接近してくるはずだ。逆にホステスと親しくなれないという方がオカシイ。しかしまあ、売春の善し悪しについてはともかく、『カラオケスナックで働こう』と考えて、実際に実行してしまうという、彼女たちの『普通じゃない人間性』にこそ問題があるんだよ。だから俺は、夜の女たちは結婚相手として適切じゃないと言ってるんだ」

また、クラスメイトはこう話していた。

「どうして Go Go Bar(ゴーゴーバー) とかで働いている娼婦(売春婦)たちが、あそこまで外国へ移住したがっているのか知ってる? 彼女たちは、タイの階級社会的にスーパーベッボーい階層にいてタイにいる限りこれを覆すことなんて絶対にムリだから、誰か適当なファラン(西洋系外国人)と結婚して平等社会のアメリカとかに移住しちゃえばすべてを帳消しにして新しい自分になれるって考えてるんだ。精神的にも経済的にもそれがベスト。案外、娼婦(売春婦)たちの方向性もあながち間違ってないのかもね」

そんな超特殊な環境にいる一部のタイ人だけを見て、まるでタイ人すべてを理解したかのような気になっている日本人があまりにも多いことに、僕は心底ウンザリしている。娼婦(売春婦)が平均的タイ人であると勘違いしている日本人は、まともな生活を送っている大多数の存在を無視することでタイ民族全体を侮辱し、まともなタイ人女性と結婚した日本人にも不当な不利益を与えている。

(でも、こんなところに頻繁に出入りしていると、本当にそれが「タイ人のすべて」のように思えてきてしまうから不思議だ。実のところ、それは「タイ人のすべて」などではなく、自分が属しているタイ人最下層階級のすべてにほかならないのだが、これがタイの階級社会のスゴいところで、横方向へのつながりは広くても縦方向の交流がまったくないから、いったんある階層に属してしまうと、ほかの階層が全く見えなくなってしまう)

今日は東南アジア映画演劇論の講義に出席してから、サーラーデーング通り(サラデーン通り)の BMH 病院向かいにあるイタリア料理店 (シックスディグリー) で夕食をとり、友人の案内で日本人向け夜の歓楽街「タニヤ通り」にあるカラオケスナックを3軒ハシゴした。

2004年12月14日(火)

午後、東南アジア労働論の講義に出席してから、トーングロー(トンロー)3にある日本料理店「まる」で財閥系企業の経営幹部と面会し、友人の会社社長が始めようとしている新規事業への協力を依頼した。トーングロー(トンロー)15にある日本人向けスナック「鳳凰」でタイ語曲を披露した。

ところで、僕はこの友人に感謝している。こうした経験を通じて人間関係を築いていくことは、図書館に籠もって論文を書いているより役に立つはずだ。

2004年12月15日(水)

ここ3週間分の日記を読み返してみて驚いた。これではまるで、遊び歩いてばかりいる、どうしようもない学生の日記だと思われても仕方ない。

この日記では、東南アジア地域で1000年も昔に作られた芸術作品について語っても意味がないと思い、大学での出来事を1行程度にまとめて、それ以外の活動に絞って書くようにしてきた。講義終了後に、スィーロム通り(シーロム)にある珈琲屋などに寄って、文献を読んだりペーパー(小論文)の原稿を書いたりしていることを強調しておきたい。

講義終了後、高架電車 BTS チットロム駅前の日本料理店「日本亭」で友人と夕食をとってから、 CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) 6階にある紀伊國屋書店で日タイ専門用語辞典を購入した。その向かいにある台湾式マッサージ屋で足つぼマッサージを受けてから、スィーロム通り(シーロム通り)の珈琲屋で深夜まで文献を読み続けた。

2004年12月16日(木)

「昨晩、アメリカ大使館のレセプションで日本の外交官と『日本のタイに対する賠償責任』の話になったんだが、どうも腑に落ちない。日本と賠償金協定を結んだのは、わたしの父が首相のときだったと思うが・・・・・・当時の日本の首相は誰だっただろうか? 分かり次第、わたしの携帯に連絡してほしい」

スクンウィット(スクンビット)101にある運輸省バンコク第3運輸局の駐車場にクルマを駐めると、先日友人から紹介されたばかりの陸軍大将から電話があった。ところが、現代タイ内政・外交史についてはまったくの専門外で即答できないし、そもそも「閣下」と呼ばなければならない相手に対して適切に立ち居振る舞いできる自信もない。30分後の回答を約束して電話を切ったが、こんな場所にいては必要な情報にもアクセスできない。そこで、クラスメイトに資料探しと情報収集を依頼した。

依頼人の父であるサリット・タナラットは、戦前戦後に頻発したクーデターに参加するたびに軍内部における立場を強化し、1957年に自らが主導したクーデターでは陸軍元帥ピブン・ソンクラーム首相を失脚させ、ポット・サーラスィン(文官)、陸軍中将タノーム・ギッティッカヂョーン(ギッティカチョン)らを首相に据えた。翌年、ふたたびクーデターを起こして自ら首相に就くと、立憲革命(1932年)以来続いてきた議会政治に終止符を打ち、20条からなる暫定憲法を定めて極端に強権的な支配体制を築いた。その権限を背景に、長年続いてきた政府と国王との確執を解消し、「パッタナー」(発展という意味のタイ語)をスローガンに社会基盤を整備し、外資を誘致するなど経済の発展に寄与した。

ちなみに、懸案の「日本のタイに対する賠償責任」は、依頼人の陸軍大将が考えているようなものではなく、太平洋戦争中に日本軍が泰緬鉄道敷設のためなどに調達した物資(利子率年4%)の返済問題のことだった。当初15億円だった旧日本軍の負債は、戦後の物価上昇の影響を受けて、1952年の時点で1350億円にまでふくれあがっていた(タイ側の主張)。1955年、サリット・池田両首相が東京で会談して総額150億円で決着(54億円はポンド払い、残りの6億円は分割払い)。さらに、1962年の合意で分割払いということになっていた96億円を無償供与扱いとすることで合意した。

こうした説明を電話越しに聞きながら、5年間有効の運転免許証を申請しようとしたが、なぜかパスポートの査証欄に押されているスタンプに「入国資格の種別」の記載漏れがあったため受理されなかった。後日、スワンプルー通り(南サートーン通り)の入国管理局で訂正してもらわなければならない。自動車税の納付も、車検証明がなかったため受理されなかった。

再度の無駄足にすっかり脱力してしまい、自動車検査場に寄ることもやめて、大型スーパー Tesco Lotus(テスコ・ロータス) で買い物をしてから、アソークモントリー通り(アソーク通り, スクンウィット21)にある国際交流基金附属図書館で友人と「特別円問題」について調べた。

日没頃、高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅)前にある日本料理店「本匠」で別の友人と夕食をとり、さらに別の友人たちが酒を飲んでいるモロッコ料理屋へと向かった。

2004年12月17日(金)

「ヌーの名前はなんて言ったかな?」

タイ語の人称代名詞はバラエティーに富んでいる。それぞれ相手との関係に応じて、親しみを込めた表現、フォーマルな表現、キザな表現、ケンカ腰の表現など正しく使い分けなければならない。相手との距離感をつかめず適切な表現が思いつかないとき、僕は人称代名詞、特に二人称の使用を避けてやり過ごすよう心がけている。

人称代名詞を決定する相手との距離感は、自分の意志とは無関係に決定される。たとえば、年長者が一人称に พี่(ピー, 兄貴・姉さん) を用いたり、二人称に น้อง(ノーング,)ลูก(ルーク) を用いたりしている場合は、こちらもそれに倣って พี่(ピー, 兄貴・姉さん) で応じ、相手が教科書通りにニュートラルな一人称 ผม(ポム, 私(男性)) , ฉัน(チャン, わたし(女性)) を用いていれば คุณ(クン, あなた) で応じれば良い。

さらに、タイ語では หนู(ヌー) という一人称がある。一般に子供の頃から世話になっている親族に対して用いられ、女性の場合は大学の教官や職場の上司に対して用いられることもある。これは、 น้อง(ノーング)ลูก(ルーク) と同じく、自分の子供と同じかそれより若い相手に対して用いることもある。ただし、最高度の謙譲の一人称 หนู(ヌー) が二人称として用いられるケースは非常に希で、通常は ลูก(ルーク) が用いられる。

ところが、昨日陸軍大将から依頼のあった資料を FAX するために電話をかけたところ、冒頭のような問いかけがあった。

なお、相手が特に社会的地位の高い(政府高官や会社社長などの)場合には、二人称 ท่าน(タン) で応じないと失礼にあたるから要注意だ。

2004年12月18日(土)

東南アジア価値観論の講義の一環として、水を重視した都市開発について学ぶために、旧都トンブリー地区にあるチャックプラ運河に出かけた。

チャックプラ運河(別名:バーングクンスィー運河)は、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)の旧本線で、現在ではスワンナキリー寺の対岸にあるバーングコークノーイ運河からバーングコークヤイ運河・パースィーヂャルーン運河までの全長約8キロを結ぶ、用水路、水上交通路、観光資源として用いられている。その名称は旧暦の12月にナーンスィー寺で行われていた行事に由来しているという。

タリングチャン区(タリンチャン区)役所前から大学がチャーターした高速船に乗り、いまだ運河とともに生活を送っている人々の生活をかいま見ながら、さまざまな仏教寺院に寄りつつ、環状運河を一周してタリングチャン区(タリンチャン区)役所前の船着場へと戻った。

この講座を担当している外国人講師によると、水路交通が交通の重要な位置を占めていた頃の船首像の文化は、現在でもバンコク都内を走る路線バスやタクシーなどの公共交通機関が掲げている国旗や国王旗に受け継がれているという。

タリングチャン区(タリンチャン区)役所前の船着場にある水上食堂で昼食をとってから、王室の典礼船か係留されている海軍基地を見学した。

2004年12月19日(日)

朝、オーンヌット通り(オンヌット通り, スクンウィット71)にある仏教寺院へ友人と出かけた。

午前9時、寺がある小街路(ソーイ)の入口で黄色いバケツに入っている寄進物セットを購入。僧の住居を兼ねている小さな建物でお経を上げてもらった。僕たちは狭い室内で正座をして、僧が唱えているお経を頑張って復唱していたが、中盤あたりから集中力が切れて放心状態になってしまった。最後に祝福の水をかけてもらい、あらかじめ誕生日ごとに定められている本数の線香を立てた。これをタイ語で「タワーイサンカターン」というが、日本人は「タンブン」と呼ぶことが多い。タンブンは、複数の脳に誕生日や結婚式を祝福してもらう仏教行事のこと。

その後、スクンウィット(スクンビット)の26のグワイッティアオ(クイッティオ, タイ風ラーメン)食堂で朝食をとった。この店は知る人ぞ知る有名店で、金持ち連中がベンツで乗りつけるという、夕方までスィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲屋でペーパー(小論文)を書き、スクンウィット(スクンビット)31にあるイタリア料理屋で友人と夕食をとった。

・・・・・・今日予定されていた補講に出るのをすっかり忘れていた。

2004年12月20日(月)

ラングスィット(ランシット)にある遊園地 Dream World(ドリームワールド) へ友人と遊びに行ってから、午後の講義に出席した。講師によると、昨日予定されていた補講に誰も出席しなかったという。罰として課題を与えられた。

2004年12月21日(火)

朝、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」でショップに自作パソコン4台の組み立てを依頼し、渋滞知らずのモーターサイ(バイクタクシー)で大学へと向かった。約4 km の道のりで70バーツだった。

午後の講義終了後、トゥクトゥク(三輪タクシー)で一方通行を U ターンでかわしながらパンティッププラザへ戻り、ショップでパソコンを受け取って友人の会社に届けた。

2004年12月22日(水)

友人の会社で無線 LAN の設定をしてから、スクンウィット(スクンビット)22にある大衆居酒屋「栄ちゃん」で夕食をとり、友人が出資する会社の事業計画を吟味するためにスクンウィット(スクンウィット)33にある日本人向けカラオケスナック「不死鳥」へと向かった。

この2ヶ月ほどでバンコクにおけるカラオケスナック事情はほぼ知り尽くしてしまい、いまさら娼婦(売春婦)の素性を調査する気分にもなれず、最後までホステスを無視して日本語だけで通した。

タイにおけるカラオケスナックは、オトコがホステスを目当てに通うようなところではなく、むしろ仕事の話を円滑に進めるための飲み屋という位置づけにある。むろん、こうした正しい利用法に気づかない日本人は多い。

2004年12月23日(木)

友人の会社からの帰宅途中、自動車税納入のときに提出しなければならない「自動車状態検査証明」を手に入れるために、スクンウィット(スクンビット)15にある自動車修理工場に立ち寄った。

自動車整備工場で出迎えの従業員にクルマを預け、待合室で日刊紙 Daily News(デイリーニュース) の記事「中学校教育における性教育開始を検討するセミナー」を読みながら、検査終了までの時間をつぶした。検査内容は不明。所要時間は約15分で、費用は160バーツだった。

発行された証明書はつぎのとおり。

   รย./47เล่มที่ 22554
   ローヨー47 第22554号
เลขที่127690
第127690号
ใบอนุญาตเลขที่ กก. 1122/2547
許可証番号ゴーゴー1122/2547番
สิ้นอายุวันที่30 กันยายน 2549
有効期限2549年9月30日

ใบรับรองการตรวจสภาพรถตามกฎหมายว่าด้วยรถยนตร์
自動車管理法に基づく自動車状態検査証明書

   วันที่ 23 เดือนธันวาคม..2547
   仏教歴2547年12月23日

รถเลขที่ ษง 2768 จังหวัด กทม. ประเภท รถยนต์นั่งไม่เกิน 7 คน (รย. 1) ลักษณะรถ เก๋งสองตอน ได้ผ่านการตรวจสภาพรถแล้ว เมื่อวันที่ 23 เดือน ธันวาคม.. 2547 รับรองว่ามีสภาพมั่นคงแข็งแรง มีเครื่องอุปกรณ์และส่วนควบถูกต้องตามที่กำหนดในกฎกระทรวง และไม่มีการเปลี่ยนแปลงสีของรถ ตัวรถหรือส่วนใดส่วนหนึ่งของรถ ให้ผิดไปจากรายการการที่จดทะเบียนไว้ในใบคู่มีอจดทะเบียนรถ
7人乗り2輪駆動乗用車バンコクナンバー「ソー・ンゴー2768」(第1種)は、仏教歴2547年12月23日に自動車状態検査を通過した。自動車の状態は正常、エンジンおよび制御措置は省令が定めるとおりに設置されており、車体と車両部品は報告された仕様書通りであることを証明する。

ใบรับรองการจรวตสภาพรถ ให้ใช้เป็นหลักฐานในการเสียภาษีประจำปีได้ภายในกำหนดเวลาไม่เกินสามเดือน นับแต่วันที่ออกใบรับรองตรวจสภาพรถ
自動車状態検査証明書は、発行日より3ヶ月間以内に年間自動車税納入時に提出することが定められている。

   ลงขื่อ ___________________

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ผู้ควบคุมการตรวจรถ
自動車検査者

       ลงขื่อ _____________________

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ผู้ได้รับใบอนุญาตจัดตั้งสถานตรวจสภาพรถ
หรือผู้ได้รับมอบอำนาจ

自動車検査場設置の許可を受けた者
またはそれを委託された者

夕方、スィーロム通り(シーロム通り)にある珈琲店へ行き、午前2時まで友人とレポートを書き続けた。

2004年12月24日(金)

午前の講義を受けながら7階広場を眺めていると、研究室の職員が天井よりも高いクリスマスツリーを運び込んで手際よく飾り付けをしていた。くじ引きの賞品もあった。

正午、文学部新館「ボーローンマラーチャグンマリー館(バロムラチャクマリー館)」7階で東南アジア研究科とタイ研究科合同のクリスマスパーティーが催された。久しく会っていなかった修士論文執筆中のクラスメイトたちと近況を報告しあいながら、タイ料理ビュッフェを楽しんだ。

午後の講義を終えて自室へと戻ると、急な腹痛に襲われ午後9時まで寝込んでしまった。目が覚めるまでにかかってきた電話すべてをスルーしてしまい、このままではせっかくのクリスマスイブが大学行事だけになってしまう。それでは格好がつかなすぎると思い、友人たちを呼んで小規模なクリスマスパーティーを開いた。

彼女がいないだけでも十分マズいのに、よりにもよって腹痛とは本当にツイてない。

2004年12月25日(土)

彼女なしのクリスマス。初めての体験はどんなものでも貴重だが、何もせずに自室に引き篭もってふて腐れていては惨めすぎる。仏教国のタイでも、日本と同じように若者たちはスウィートな一日を楽しんでいる。

そこで、エーガマイ(エカマイ)にある映画館 Major Cineplex(メジャーシネプレックス)で、おととい公開されたばかりのコメディー映画「ヂェオ」(M.A.I.D.、GTH配給)を友人と見た。

この作品の監督、スィン=ヨングユット・トーングゴーングトゥン(38歳・ヂュラーロンゴーン大学報道放送学部卒)は、日本でも公開されて話題になったコメディー映画「サトリーレック」(鋼鉄の淑女、2544年)を監督したことで知られている。脚本のソムマーイ・ルーサウラーンは、コメディー映画「パラーングチョンプー」(SAVING PRIVATE TOOTSIE、2545年)で名声を得て、現在放映中のテレビドラマ「メロドラマ」(タイ陸軍放送=チャンネル5)では原作を担当するなど今をときめく有名作家。主演のベーンツ=ポーンラチター・ナ・ソンクラー(24歳、スィーナカリンウィロート大学文学部演劇学科卒、ウェーオ役)は、テレビドラマ「ナーングアーイ」やテレビCM「ウエラ・サニードロップシャンプー」に出演するなど注目を浴びている。

新興工業国として急速に発展してきたタイは、政治的経済的な監督システムの整備が立ち遅れたままになっている。こうした事態を憂慮した首相は、利権によって甘い汁を吸っている高級官僚の不正を暴いて、国家の発展を促進させることを目的に、タイ警察本部犯罪制圧局を定年直前に退官したプラセーリット(ソムチャーイ・サックティグン演)を長とする密偵組織「ヂェオ」を結成した。

主人公のウェーオは、イーサーン地方(タイ東北部)からバンコクに出てきたばかりの出稼ぎ労働者。この日、ウェーオはメイドとして住み込みで働いていた家から追い出されてしまい、姉を頼ろうと地理不案内のバンコクの街を右往左往していた。そこで、任務中の「ヂェオ」を救出しようと現場に向かっていたプラセーリットのバンに接触。応急手当を受けているあいだに逃走に失敗したヂェオの面々が射殺されてしまった。

ウェーオはプラセーリットの家で住み込みのメイドとして働くことになった。ところが、ウェーオのメイドとしての仕事ぶりはまさに目を覆わんばかりだった。ある日、プラセーリットは一念発起してウェーオに工作員としての訓練を施すことを決め、新たに3人を雇い入れて、国家のために働く密偵組織「ヂェオ」を再結成した。

ヂェオの4人組は、毎回のようにドジを踏んでは任務のことごとくを失敗に終わらせた。特にチェンマイのホテルで踏んだドジは致命的だった。

紆余曲折を経て、ついに政府高官が違法カジノから巨額の利益をあげている証拠が記録されているコンピュータデータを入手することに成功した。しかし、同時にプラセーリットの秘密を知ってしまう。

ヂェオは国家の発展のために首相が組織した秘密結社ではなかった。プラセーリットが女性関係のいざこざでひとりの高級官僚を逆恨みして、弱みを握って嫌がらせをするために結成した素人探偵団にすぎなかった。正義はむしろ高級官僚の方にこそある。

秘密を知ってしまったヂェオの4人組は、上司のプラセーリットから命を狙われ、敵にも追われる羽目になった。4月に行われるタイ正月を祝う水掛祭り「ソングラーン」の行列に紛れ込んで敵を撒こうとするがこれにも失敗。敵が用意したトラックに追い込まれて監禁されてしまった。

あまりの無能ぶりあきれ果てた愛人は、トラックの荷台のなかでプラセーリットに銃口を向けた。そして、その美しい姿からは想像できない低い声で真実を告げて引き金を引いた。

「実はオレ、男なんだ」

プラセーリットはあまりの理不尽に動揺して唖然としながら息を引き取っていった。

プラセーリットの死でようやく生命の危機を脱したウェーオは、依然トラックに監禁されたままだったが、(タイでは貧困とマヌケの象徴とされている)水牛にまたがってやってきたヂェオのメンバー「ヂムヤイ」に救出された。こうして、自由の身となったヂェオの4人組はそれぞれの道へと歩み始めた。

タイの映画俳優は、一般に学歴や容姿だけで選ばれることが多く、役者としての能力は必ずしも高くない。この作品に登場する役者たちも大半が中学生の「学園祭の出し物」程度の演技力しかなく、切り替えの早いカメラワークと派手な映像効果でそれなんとかカバーしている。

前半のコミカルな雰囲気のなかでシリアスな展開を観客に期待させておきながら、こうした予想を後半でことごとく裏切るという完全反転型のストーリーで、腹を抱えて大笑いできる場面や、社会問題として話題になっている舞台などをふんだんに織り交ぜるなど、観客を飽きさせないための工夫が随所に見られた。また、タイ標準語字幕が必要なほどコテコテの地方方言が頻繁に飛び交い、ターペー門前を舞台としたチェンマイ名物「ソンクラーン祭り」を小道